新潟遠征の旅2017(3日目)

2泊3日に及んだ新潟遠征の3日目(最終日)です。
なお、例によって1日を1記事として分割していますので、まだ1日目2日目をご覧になっていない方は先にそちらをご覧頂くことをおすすめします。

行程の説明

新潟遠征の3日目ということですが、実をいうと活動内容は1日目、2日目とはほとんど繋がっておらず、新潟から東京への帰路を磐越西線・会津鉄道・野岩鉄道・東武鉄道経由として乗りつぶしを兼ねることにしたというのが実情です。
そのため、実は昨晩新潟に到着した後でも最終の上越新幹線には間に合いましたし、夜行バスという選択肢もあったわけですが、せっかく3連休が取れたということもあり、乗りつぶしがてらもう1泊したというわけです。
で、新潟から磐越西線の列車で喜多方まで向かい、喜多方からは鬼怒川温泉行きの「AIZUマウントエクスプレス」で一気に会津鉄道・野岩鉄道を駆け抜けて関東まで行ってしまいます。鬼怒川温泉で撮影がてら少しぶらついたら一旦新藤原まで引き返して、区間快速で浅草まで行って、後は地下鉄銀座線などを乗り継いで家路につきます。

最終日の幕開け

今日の出発は朝の9時台の出発であり、ホテルではわざわざ別料金の朝食を申し込むなど、ゆっくりと支度をしてからチェックアウトすることが出来ました。
今回の旅では始発列車を使うような極端な早朝出発はなかったものの、疲れもたまりつつある最終日にゆっくり出発できるのはいいですよね。
ちなみに、磐越西線の列車としては8時台に快速「あがの」があり、こちらを使う行程にする案もあったのですが、実は「あがの」には以前の旅で乗っており、今回は普通列車で喜多方まで行ってみようということで9時台出発になりました。


駅へ向かう道中、早速連節バス「ツインくる」に遭遇
明るいときの写真も確保できてよかったです。


やっぱり連接バスは車体が折れているときが画になります。


構内に入ると早速「いなほ」がお出迎え
まあ、乗るわけではありませんがw


雪国らしく雪化粧をまとったE129系


そして、115系
こちらも雪化粧でした。


新津行きでした。


構内も真っ白
昨晩の間に結構降ったんでしょうね。


最後の名残に駅名標を撮っていきましょうか。


↑ここで乗車する列車が入線してきました。


磐越西線直通会津若松行きとして走るのはキハE120系でした。
兄弟形式とも言えるキハE130系には久留里線で乗ったことがありますが、キハE120系には初めての乗車です。キハ40系ではなかったのは残念ですが、初めての車種だということでこれはこれでいいですね。

磐越西線で喜多方へ

最近の車両らしい軽快なエンジン音で軽やかに加速して新潟駅を発車していきます。
快速「あがの」だったら新津までノンストップですが、普通列車なので各駅に停まっていきます。

五泉あたりまではそこそこ乗っていたんですが、そこから先はいかにもローカル線というガラガラ具合になりました。

そして、三川駅が近づくと前回から気になっている物が見えるので車窓に注目です。


↑まずは動画でご覧ください。

で、何が見どころかといえば、並行して走る道路です。
以前に磐越西線に乗った際の記事でも触れたのですが、国道49号線の旧道だったりします。
長らく新潟~福島を結ぶ幹線道路として活躍していましたが、土砂災害の多発するこの区間は危険であるとして対岸にバイパスが整備され、磐越西線と並走する区間は廃道となってしまいました。


廃道なので除雪もされておらず、路面には大量の雪が積もっています。


そろそろ核心部の本尊岩が近いですね。


こちらが本尊岩隧道です。バイパス切り替え前の国道49号を通行した経験がある方なら見覚えのある光景かもしれませんね。
幹線道路に幅員減少の標識があるというのもすごいですが、実際トンネルは狭く、崩壊の危険もあるとしてまさしく難所だったようです。


通称”おにぎり”を発見、廃道となってもそのままの姿で残っていました。

なんだか国道49号の方に記事の文字数をかなり割いてしまいましたが、本筋は鉄道旅行なのでそろそろ話を進めていきたいと思いますw


キハ40系と交換しました。遭遇はするものの乗る列車には充当されませんね・・・w


ダムが見えました。


険しい川沿いの区間を抜けると開けた景色になっていきます。
会津盆地に入ったようですね。
そして、喜多方に到着です。

喜多方駅

列車の終点は会津若松ですが、「AIZUマウントエクスプレス」が喜多方まで延長運転されているため、それに始発から乗車するべく、あえて終点の会津若松まで行かずに喜多方駅で途中下車します。


乗ってきた列車


↑発車シーンです。


駅名標


「SLばんえつ物語」の停車駅であるためか、こんなデザインの駅名標もありました。


縦型


LEDタイプのものも


配線は2面3線の国鉄型ですね。


日本酒の酒樽が出迎えてくれました。


「AIZUマウントエクスプレス」の案内も撮ったら外に出ます。
普通乗車券を使っていますが、新潟→西若松でも100kmを超えるので途中下車が可能なんですね。
あ、ちなみに、会津若松~西若松間は会津鉄道ではなく正式にはJR只見線なので切符は西若松まで買っています。


発車標には既に「AIZUマウントエクスプレス」の案内が出ていました。
喜多方延長は一部の土日のみであり、平日などは「AIZUマウントエクスプレス」は当駅にやってこないのでレア表示ですよね。


駅舎内です。改札口は寒冷地らしくドアが付いていますが自動改札はなく、昔ながらの駅員さんに手渡しするスタイルが残っています。


駅前の風景です。やはり雪がすごいですね。


こちらが駅舎です。蔵の街としても知られる喜多方だけに蔵造り風のデザインになっていますね。


東北の駅100選に選ばれているんですね。


普通の市街地の背景に山々が見えるのは盆地ならではの風景ですね。


やってきた会津バスを撮影

さて、ここでふと携帯を見ると不在着信の表示が出ていました。
思い当たるのは一つ、昨日捜索依頼の手続きをした新潟駅の忘れ物センターですね。早速折り返すと案の定忘れ物センターからの連絡で、私のバッグが発見されたという連絡でした。私はてっきりその場で託送の手続きに進むと思ったのですが、最寄りのJR駅に行って手続きをしてほしいとのことで、発見の報だけを受けて後の手続きは帰宅後ということになりました。
バッグも見つかって一安心したところで空腹を満たすべくラーメン屋さんを求めて歩いてみることに。
やっぱり喜多方といえばラーメンですからねぇ。


真っ先に見かけたラーメン屋さんに入って頂いたのがこちら。
喜多方ラーメンというと醤油ベースが基本らしいのですが、味噌ラーメンが食べたい気分だったこともあり、味噌味を頂きました。おいしく頂きました。

喜多方ラーメンは日本三大ラーメンの1つだそうですよ。ちなみに、他の2つは札幌ラーメンと博多ラーメンだとか
博多ラーメンが入っていたとは知りませんでしたが、福岡生まれとしては嬉しいですね。

それでは腹ごしらえも済んだので駅に戻りましょう。


↑「AIZUマウントエクスプレス」の入線シーン


発車時間までサクッと撮影を済ませます。


反対のホームからも


キハ40系がいたのでついでに撮影
乗れないのにやたらと遭遇するなぁ、本当にw

それではそろそろ乗車しましょう。

AIZUマウントエクスプレス

喜多方から乗車する「AIZUマウントエクスプレス」ですが、この列車はJR東日本、会津鉄道、野岩鉄道、東武鉄道の4社に跨って喜多方・会津若松と鬼怒川温泉・東武日光間を結ぶ快速列車です。
元々名古屋鉄道から特急「北アルプス」に使っていたキハ8500系を譲り受けた際にこの車両の愛称としてつけられ、その後AT-700形の愛称にもなりました。また、AT-600形は当初は「AIZU尾瀬エクスプレス」という愛称でしたが、現在は「AIZUマウントエクスプレス」に統合されています。
本当はキハ8500系に乗りたかったですが、残念ながら2010年に引退してしまったため叶わぬ夢です。

喜多方からは塩川、会津若松と磐越西線を進んでいきます。この間にも通過駅があり、快速運転をしているようですが、実は喜多方~会津若松間では普通列車でも1日5往復を除く大半の列車が塩川以外の駅を通過運転しており、快速運転をしているのか微妙なところなんですよねw
会津鉄道内は本格的に通過駅が設定されて快速列車らしい設定になっています。一方で、野岩鉄道内は男鹿高原駅以外はすべて停車する設定となっており、野岩鉄道線内では”名ばかり快速”ですねw


雪景色を見つつ会津盆地を進んでいきます。


車窓から見えたのは磐梯山ですかね。

会津若松駅にて

会津若松駅では少し停車時間があるようなのでホームに出て撮影することにします。


乗ってきた「AIZUマウントエクスプレス」


ここでもキハ40系がいました。
こちらは磐越西線ではなく只見線の車両のようです。


2016年より導入が進むE721系1000番台でした。


試運転をしていたんですね。
719系もいよいよ見納めでしょうかね・・・

いよいよ会津鉄道へ

さて、ここからは只見線に入り、西若松からはいよいよ会津鉄道です。
それにしても、会津若松~西若松間はJR線だとしてもそれ以外は私鉄か第三セクターの路線だけで東京まで行けてしまうのだからすごいですよね。
ここで会津鉄道について解説を入れたいと思いますが、会津鉄道は国鉄会津線を引き継いで発足したものです。1927年から順次延伸され1953年までに現在の会津高原尾瀬口駅となる会津滝ノ原駅まで開業しました。
しかし、国鉄時代には野岩鉄道に相当するルートは計画のみで国鉄線として建設されることはありませんでした。そのため、会津線は会津地方と首都圏を結ぶ役割をはたすことは出来ず、長らく盲腸線であったため赤字となり第三セクター転換となりました。

さて、西若松を出ると車掌さんがやってきて車内改札をしますが、切符は西若松までしか買っていないので車内精算しなければなりません。新潟駅で会津鉄道直通の連絡きっぷが買えればよかったんですが、流石に無理でしたw


会津鉄道に入ってから最初の停車駅となる芦ノ牧温泉駅です。
当駅といえばネコ駅長「ばす」のいる駅として有名でしたが、残念ながら「ばす」は老衰のため去年死んでしまったようです。
後任のネコ駅長として「らぶ」が現在就任しているとのことで、今回は途中下車はしませんが、降り立つ機会があればお目にかかりたいですね。


芦ノ牧温泉の次の停車駅は湯野上温泉です。会津高原も温泉が多いですね。


雪景色の中進んでいきます。まだまだ東北地方ですね。


雪の川辺の景色というのも乙なものです。


続いての停車駅は塔のへつり駅です。
変わった名前ですが、駅周辺にある景勝地「塔のへつり」にちなんだ駅名でして、”へつり”とは、会津地方の方言で「川に迫った険しい断崖」といった意味があるそうです。
いかにも第三セクター転換時に観光客を当て込んで設置した駅のような感じですが、意外にも国鉄時代にも仮乗降場として設置されたことがあり、一旦廃止されますが会津鉄道転換時に正式な駅として再開業した経緯があるようです。

そして、列車は会津田島駅に到着します。
東武鉄道から直通運転される快速・区間快速の終点であり、それ以外の普通列車も基本的に当駅で系統分断されます。
というのは、当駅以北は非電化、以南は電化区間であるからであり、当駅以南は野岩鉄道と一体化した運行形態となっており電車による運行、当駅以北は気動車による運行が基本です。そんな電化区間に気動車として乗り入れるのは「AIZUマウントエクスプレス」以外にはほとんどありません。
ちなみに、私はこの旅行の直前まで会津田島が会津鉄道と野岩鉄道の境界だとばかり思っていましたw


野岩鉄道との境界点となる会津高原尾瀬口に到着です。
ここから先は野岩鉄道ですが、せっかくなので野岩鉄道についても簡単に解説しておきます。

野岩鉄道は会津高原~今市間の未成線となった国鉄線を引き継いで開業した第三セクターであり、計画としては会津鉄道会津線と同じ計画に含まれます。もっと言えば、野岩羽線という今市~会津若松~米沢を結ぶ壮大な路線計画の一部でもあったわけですね。

そして、野岩鉄道会津鬼怒川線となる区間ですが、鉄建公団により東武鉄道と並走する藤原~今市間を除く区間についてはトンネル・橋梁などを含む設備が完成していながら国鉄再建法のあおりを受けて工事凍結となり、第三セクターによる開業となりました。同様の経緯の路線としては北越急行ほくほく線や智頭急行智頭線、井原鉄道井原線、土佐くろしお鉄道宿毛線・阿佐線などがありますね。

この区間は山の中を進むだけに沿線人口も少なく、通勤・通学などの定期利用はほとんどなく、沿線にある温泉地・観光地を目指す行楽客による利用がほとんどというのも特筆できますね。実際、旅行当日は日曜日だったこともあってかほとんど観光客ばかりでした。


ところで、車窓から見えた川なんですが、これって水面が凍っているんですかね?
こんな景色、生で見たのは生まれて初めてかもしれません。

会津鬼怒川線はトンネルを多用した高規格な路線なんですが、その分車窓はあまり楽しめないというのが正直な感想だったのですが、その高規格を活かしてローカル線にしては高速運転をしており、野岩鉄道に入ってからはあっという間に過ぎていった感じですね。

そういえば、野岩鉄道って実は会津高原尾瀬口以外はすべて栃木県日光市内に所在しているんですが、新藤原を過ぎるまではまだ東北って感じがしますね。


新藤原を過ぎて東武鉄道に入りました。
雪景色も消えて、すっかり関東の風景になっていました。
終点の鬼怒川温泉はもうすぐそこです。

鬼怒川温泉駅

ここからは一旦新藤原に引き返しますが、それまで時間があるので駅の方を見ていきます。


乗ってきた列車であり、再びこれに乗って新藤原に戻りますw


ホームは2面2線なんですが、「AIZUマウントエクスプレス」と浅草・新宿方面の特急を並べて首都圏への乗り継ぎの利便性に配慮しているようです。


↑ここで6050系区間快速と100系スペーシアの入線&発車シーンです。


6050系区間快速


100系スペーシア


駅名標です。


縦型


駅前では何やら大規模に工事をやっているようですね。


観光客を出迎えるパネルは鬼のキャラクターなんですね。
登別温泉でも鬼の像があった気がしますが、温泉といえば鬼なんですかね。


その隣の顔出しパネルはまるでお姫様のような着物を召したリアルな女性のパネルでした。


鬼怒川温泉より先の観光地や温泉地までの距離が書かれた看板でした。
あえて木製なのも歴史ある温泉地としての演出なんですかね。


発車標です。会津若松なんて表示が見られるのはやっぱりすごいですよね。


駅の入口には大きな暖簾(のれん)が掲げられていました。


こちらはホームにもいた鬼のキャラクター


一方、看板はごく普通w


全体像はこんな感じ


それにしても、このデザインは温泉地というより遊園地とかの最寄り駅って感じがします。


面白いと思ったのが駅を起点に各旅館・ホテルへ送迎するバスが走っているんですね。
各旅館・ホテルが独自に宿泊客を駅まで送迎するのはよくありますが、これは通常の路線バス扱いであり運賃が必要なんです。旅館などへのアクセスに特化した路線バスってなかなか無いと思います。調べたところ町の取り決めで旅館独自に送迎サービスをすることが出来ない決まりになっているんだそうです。

運行形態ですが、駅から旅館などへ向かう場合、所定時間内の東京方面からの電車の到着に合わせて運行され、乗車時に宿泊先を申告するとその宿泊施設へ立ち寄ってもらえるようです。逆に旅館・ホテルから駅へ向かう場合はホテルのフロントを通して申し込むと乗車できるようです。この他観光地へ向かう路線や宇都宮駅発着の路線もあり、温泉地の公共交通としては興味深いものでした。


あのバスが例のバスのようですが、「ダイヤルバス」って言うんですねw
現在は利用に際して電話で申し込むわけではないようなので、「ダイヤル」という名前はいささか疑問に感じてしまいますが、元々は「東武ダイヤルバス」というバス会社の名前から来ているようで、当初は旅館・ホテルへの送迎バスを本業としていて、当時は電話で乗車申し込みをする仕組みになっていたようです。それにしても、「ダイヤル」という単語で「電話」を連想できるのってある程度上の世代に限られそうですw
で、その後2000年に東武バスが鬼怒川地区から撤退すると、その路線を引き継ぎ路線バスに参入、2008年には日光交通と合併して「東武ダイヤルバス」という会社は消滅しますが、旅館・ホテルの送迎バスについては引き続き「ダイヤルバス」の名称を使用しているというのが真相のようです。


何やらブルーシートが掛けられた物体を発見、これは一体・・・?


てっきり、「SL大樹」の運行開始に関連するオブジェか何かだと思ったら、JRとの直通特急運行開始を記念するもののようです。
って、あれ?JRとの直通が始まったのって結構前の話なのになんで今更?w


で、ホームからも見えて気になっていた工事の囲いです。


「SL復活運転対応工事」と称されていますが、ようするに・・・?


ターンテーブルでした。
なるほど、SLはターンテーブルがないと方向転換できませんからね。
新しくSLの運行を始めるならば整備しなければなりませんね。


完成予想図が出ていました。
単なる運行上必要な設備というだけでなく、折り返し運転の間など、広場にSLが鎮座する形になり、観光客の目を楽しませる工夫にもなっているようです。
これは、伊予鉄道が道後温泉駅で「坊っちゃん列車」を広場から見える位置に留置して観光客にサービスしているのと同じ発想ですね。


駅前広場です。こうしてみると鬼怒川温泉って山の中の温泉ですね。


時計塔なんでしょうが、ひび割れてしまって補修の跡がかなり目立っていますw


あと、温泉地ということで無料で入れる足湯があります。
観光客にも好評のようで、列車を待つ間に気軽に温泉が楽しめますね。


ダイヤルバスとは別に、駅と観光地を結ぶ路線バスも充実しています。
写真は日光交通です。


駅前にも鬼の銅像がありました。

それでは、再び「AIZUマウントエクスプレス」で折り返す形で一旦新藤原まで引き返します。

新藤原駅

東武鬼怒川線の終点で野岩鉄道会津鬼怒川線の起点となる新藤原駅です。


駅名標は野岩鉄道仕様でした。


別のタイプ


縦型


ホーム売店がありましたが、既に営業していないようでした。
当駅は東武鉄道最北端、そして大手私鉄の駅としても最北端となりますが、観光客は鬼怒川温泉駅を利用するほうが圧倒的に多いでしょうし、その先野岩鉄道沿線に行く人は直通運転なのでそのまま列車に乗って通り過ぎてしまうわけで、純粋に当駅で乗り降りする人はかなり少ないんでしょうね。

思ったのは野岩鉄道開業前なら当駅は純粋な終着駅であったわけで、龍王峡や川治温泉といった観光地に向かうには当駅まで列車でやってきてバスに乗り換えるというルートが主流だった可能性もあり、だとすればこの売店はその時代の名残だとも言えるのかもしれません。


古い駅にはよくある気がする給水器


ホームですが、列車が停まっていて分かりにくいながら変則の島式2面3線です。


ここでもしっかりフリーきっぷのアフィが貼られていましたw


これから東京までお世話になる6050系
早く乗り込みたい気持ちもありますが、ICカードで入場していますし、一旦改札を出ないとキセルになってしまいますからね。
それにしても、こんな景色の中に浅草行きの電車が停まっている光景というのもなかなか面白いです。
まあ、これもあと1ヶ月もせず(執筆時基準)見納めになるんですけどね・・・
それもあってわざわざ新藤原に引き返してまで全区間乗車にこだわったというのもあります。


標高を示す看板


こちらが改札口ですが、まさかの簡易ICカードリーダーのみというw


改札外からです。ICカード以外の人は駅員さんから切符を買って見せて入場という昔ながらのスタイルです。


運賃表は掲げられていますが、券売機がありそうなスペースはポスターのみw
こんなノスタルジックな空間にAEDがあるのはちょっと場違いな感じですが、そのギャップがまたいいですねw


こちらが駅舎
鬼怒川温泉駅と比べるとかなり小ぢんまりとしていますね。


駅名の表示部分
ちなみに、当駅の読み方は「しんふじわら」ですが、地名としては「ふじはら」が正しいようです。
何故か分かりませんが、こういう地名と駅名の読み方が一致しないケースって全国的にちょくちょくありますよね。


駅前の目抜き通り・・・のはずですが、狭いw
流石にバスはこの道には乗り入れてこず、少し離れた国道上にバス停があるようです。


最後に乗り場案内を撮ったら東京へのラストスパートの始まりです。
ちなみに、特急の案内も出ていますが、これは誤記でも過去のものが残っているわけでもなく、実は当駅始発の特急列車が朝に2本だけ設定されていたりします。
観光客が帰るには早すぎる時間帯ですから、沿線住民が東京へ行くのに使うのを想定した列車なんでしょうが、当駅からの利用者はどれくらいいるんですかね。
ただし、逆に当駅行きの特急は走っておらず、鬼怒川温泉までやってきた車両を当駅まで回送して充当しているようです。どうりで新藤原行きの特急なんて見たことないわけですw
まあ、それも「リバティ会津」がデビューすれば、普通に特急がやってくる駅になるわけですけどもw

区間快速浅草行き

それでは、区間快速浅草行きで東京への最後の旅路が始まります。


車内は案の定ガラガラw
他に何名か乗ってきたようですが、私の車両は貸切状態でした。


あと、面白いのが車内にも方向幕が設置されていることですね。
ある意味では車内案内表示器の先駆けとも言えそうですが、これは区間快速が分割併合を行い、同じ列車でも車両によって行先が違ったりするため誤乗対策のようです。
例えば、浅草発の区間快速の場合ですと、まず下今市駅で、東武日光行き2両を切り離し、新藤原で新藤原止まりの2両を切り離し、残った2両が会津田島まで運行するという感じです。

そして、先程までうろうろしていた鬼怒川温泉駅まで戻ってきますが、ここでしばらく停車時間があります。特急列車を先に発車させるようでした。


その間にホームに降りて1枚

そして、列車は下今市に向けて下っていきます。
この路線は元々ダム建設の資材運搬用に作られた軌道を起源としているため線形が悪く特急列車でもノロノロ運転をするのが特徴ですが、観光地への足ということを考えればそれはそれで情緒があっていいのかもしれません。


続いては下今市駅で停車時間があります。
鬼怒川線は当駅でおしまいで、ここからは東武日光線となりますが、東武日光からやってくる編成を連結する作業の間に特急を先発させるようです。


253系発車&6050系入線


キャプチャですが、並べてみました。


対向区間快速の東武日光幕を撮ったら車内に戻ります。

さて、あとはひたすら乗っていれば浅草まで連れて行ってもらえるかと思いきや・・・?

まさかの新鹿沼で足止め

新鹿沼駅停車中にアナウンスがあり、この先の区間で人身事故が発生したため運転を見合わせるとのことでした。
スマホを駆使して情報を集めると人身事故は先程起きたばかりのようで、これから事故の処理を始めると考えれば1時間以上は確実に動かないでしょう・・・
かといって、新鹿沼ではJR鹿沼まではとても歩ける距離ではなくJR日光線をエスケープルートとしては使えませんし、いっそ下今市まで戻って東武日光経由でJR日光線に逃げることも考えましたが、そもそもこの先がだめなんだからこれ以後の下り列車がちゃんとやってくる保証もありません。
仕方がないので大人しく待つこととしましたが、新宿行きの特急が先行した後に、新栃木行きの普通列車を先行させて運転再開するとの情報が入りました。


車種は同じく6050系ですが、6両編成に乗っていた区間快速の乗客が一斉に2両編成の普通列車に殺到したことから車内は通勤ラッシュを思わせる大混雑・・・区間快速全区間乗車が果たせなくなった上、座れないイライラも募ります・・・


そして、なんとか新栃木までやってきました。
ここまでくれば、1駅隣の栃木駅からJR両毛線に逃げることも出来ますし、なんとか帰宅の目処がたちました。


ホームは更に東京方面へ乗り継ぐ人たちで大混乱


東京都内でも見慣れた東武電車がやってきました。これに乗って家路に・・・と思いましたが、ホーム上で案内していた駅員さんの話では、すぐ後ろにさっきまで乗っていた区間快速が来ており、北千住・浅草の到着はほとんど変わらないのではないかという情報を頂きました。
だったら、もう全区間乗車ではないですが、複々線区間での爆走を堪能すべく区間快速を待つことにしました。
う~ん、これなら新鹿沼でそのまま区間快速に乗っていればよかったw


結局、1時間半ほど遅れて浅草に到着です。一応都心部をかっ飛ばす6050系の音も録れたのでまあよしとしますが、なんか消化不良ですねぇ。
とはいえ、人身事故は鉄道会社の責任とはいえませんし、仕方ないですよね。


もう区間快速・快速としてお目にかかることはないかもしれませんので、最後の名残で撮影


あとは、銀座線で帰路に着きました。
そういえば、1000系がデビューしてから銀座線に乗っていなかったので、これが1000系とのファーストコンタクトとなりました。

というわけで、最後は色々ありましたが無事3日間の日程が終わりました。
この新潟遠征シリーズとしては完結ですが、新津鉄道資料館のレポートがまだですし、実はこの記事を書く間にもまた2回ほど旅をしてしまいまして、そのレポートも書かないといけないというw
まあ、そちらもどうか気長にお待ち頂ければと思います。

最後に・・・

2日目のレポートもしっかり読んで下さっている読者さんなら私のバッグのその後が気になっていることでしょう。最後まで読んでくださった皆さんにだけお教えします。
後日、私の最寄りのJR駅の忘れ物センターへ出向き、新潟駅で忘れ物を預かってもらっていて、それを送ってもらいたい旨を伝えますと、まず紛失した日にちや乗車した列車、無くしたものの特徴などを色々聞かれ、それを基に新潟駅に連絡し、間違いなく私がバッグの持ち主であると確認されれば、免許証などの身分証を提示の上で書類に記入して手続き完了です。
そして、なんと手続きをした翌日には私の家に宅急便で届きました。着払いで送料は1000円弱でしたが、中身の衣類やバッグを放棄して買い換えることを考えれば安く済んだ・・・ということにしておきましょう。
まあ、今回はいい勉強になったということで、今後の教訓にしたいと思います。
最後に、手続きをしてくださった方を始め、新潟駅で応対してくださった方など、関係各所にはこの場を借りましてお礼をしたいと思います。

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