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小田急旧3000形電車




概要

新宿駅と小田原駅を1時間で結ぶことを目指す「画期的な軽量高性能新特急車」として計画され、小田急電鉄で初めての「ロマンスカー」となった特急形電車が旧3000形です。当系列の開発に関しては国鉄の鉄道技術研究所の協力もあったため、日本の鉄道車両において初となる新技術がいくつか導入されています。それらの中には、後に新幹線0系電車で採用された技術も存在するため、当系列は「新幹線のルーツ」や「超高速鉄道のパイオニア」とも呼ばれます。当系列には"Super Express"(略称:SE)という愛称が付きましたが、それには"Super Electric Car"という意味も含ませてあります。
当初は、開発初期当時の小田急電鉄における最長編成が17m車4両編成であることを考慮して全長70mの5両編成で製造することが検討されました。また、当時の小田急電鉄取締役の方針により、1mあたりの車両重量を1tにすることを目標とした軽量車両で、かつ安全に走行するための条件が徹底的に追及されたほか、将来の一般車両への格下げを考慮せず特急専用車とすることとされ、車両の騒音・動揺・乗り心地を改善する上で連接構造が有利であるという理由で当系列は連接車で製造されることになりました。そして「特急形車両は10年間で陳腐化する」「丈夫かつ長期間使えるようにすると鉄道車両の進歩が遅れる」といった取締役の考えにより、耐用年数は当時としては異例の10年間とされました。
設計計画の進行と並行して小田急電鉄の社内でも様々な検討が行われましたが、それまでの車両に比べて明らかに突出した構想に基づく車両であったため反対意見が続出し、その結果社内での意見集約が難航しただけでなく、その検討自体が一時中止となりました。しかし1956年に国鉄が小田原・伊豆方面に新たに準急列車を運転することを発表し、この準急列車が小田急電鉄の観光輸送に大きな影響が及ぼすことが予想されました。そのため社内での検討が再開され、同年に8両連接車に計画が変更されていよいよ製造が開始されることになりました。
当系列には徹底的な軽量化・高速化のために航空機の技術が取り入れられたこともあり、モノコック構造とされました。先頭部分は風洞実験の結果を基にしたスカート付きの流線型とされ、前照灯には日本の鉄道車両では初めてシールドビームが採用されました。当時は鉄道車両用のものが開発されていなかったために自動車用のものが取り付けられており、減光機能も備えられていました。
ドアには現在の鉄道車両では見られない手動式内開きドアが採用されましたが、これは車体を極力平滑にして空気抵抗を減らすためです。塗装は後継の特急形車両でも用いられることになったバーミリオンオレンジを基調にしたものが採用されています。
車内の座席には特急形車両にふさわしい回転式クロスシートを採用しています。車内には他にも喫茶カウンター(売店)やトイレ、化粧室が設置されています。走行制御装置には発電制動付電動カム軸式抵抗制御が、ブレーキには日本の鉄道車両では初めてディスクブレーキが採用されています。
当系列には警笛のほかに補助警報装置として、小田急沿線の音楽家が監修したビブラフォンの音色のミュージックホーンが設置されており、これは当系列が「オルゴール電車」と呼ばれる由来となりました。そして、運転台前面の窓ガラスは運転士を守るために防弾ガラスを設置しています。

歴史

当系列は1957年から使用が開始されました。「電車と言えば四角い箱」であった登場当時、当系列は多くの利用客から注目を集め、また運行開始後すぐに夏休みを迎えたこともあって利用客が殺到し、連日満席となる好成績を記録しました。
同年には高速性能の確認のために日本の鉄道史上初めてとなる私鉄・国鉄の共同試験が東海道本線を使って行われました。その結果、当時の狭軌鉄道における世界最高速度記録となる145km/hを達成し、その後の国鉄の特急形電車開発に貴重なデータを提供する形となりました。また、当駅列の登場がきっかけで鉄道友の会による「ブルーリボン賞」が創設され、当系列が1958年に栄えある第1回ブルーリボン賞の受賞車両となりました。1962年には他の鉄道事業者で冷房装備の特急形電車が増加していたために当系列への冷房設置が行われています。
1968年に小田急電鉄がキハ5000形気動車によって片乗り入れを行っていた国鉄御殿場線が電化されたため、後継の特急形電車である小田急3100形(愛称:NSE)が登場して定期の「はこね」には使用されなくなっていた当系列を改造した上でキハ5000形を置き換え、新たに直通運転に使用することになりました。
改造の際に8両連接車4本を5両連接車6本へ組み換えましたが、この時足りない先頭車は中間車を先頭車化改造することで補われ、余剰の2両は廃車となりました。また、前面に愛称表示機を設置したためシールドビームの位置が変更され、簡易連結器は大きな連結器カバー付きの電気連結器付密着連結器に変更されました。これらの改造によって先頭部分のデザインが大きく変わり、また編成も短縮されたため当系列の愛称は"Short Super Express"(略称:SSE)と称されるようになりました。
こうして当系列は御殿場線への連絡急行「あさぎり」を中心に運用され、多客期には2編成を連結した重連運転で「はこね」にも使用されていましたが、1970年代に入ると、もともと耐用年数が10年とされていたこともあって老朽化が進行していました。そのため1980年には新たに小田急7000形(愛称:LSE)が製造され、当系列は余剰となった1本が廃車されて大井川鉄道に譲渡されるなどの動きがあったものの、諸般の事情で車体修理工事を受けつつ使用が継続されることとなりました。
しかし、国鉄が分割民営化され直通運転先の御殿場線がJR東海の路線になった後、「あさぎり」の運行形態を小田急電鉄とJR東海との相互直通運転に変更し、合わせて新型車両を投入するということで両社が一致したため、1990年末からようやく小田急30000形(愛称:RSE)によって当系列の全車が置き換えられることになりました。当系列は1991年春に定期運用から離脱し、しばらくは波動輸送用として残されていましたが、1992年にさよなら運転が行われた後に全車両が廃車となりました。

現状

当系列は先述の通り全車が廃車となり、大井川鉄道に譲渡されたものも後に廃車となりました。当初は当系列の保存計画はありませんでしたが、様々な検討の結果1編成を永久保存することが決定され、現在は海老名検車区に建設された専用の保存用車庫に静態保存されています。
保存されている編成の形態は、外装のみを復元したSE車が2両(内装はSSE車のまま)と、SSE車が2両の4両連接編成となっています。通常は非公開ですが、毎年行われている「ファミリー鉄道展」等のイベントで展示されることがあります。

走行音はありません。

廃形式につき走行線区は省略

フォトギャラリー

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SE車 海老名検車区にて

運転台(左側部分)

運転台(右側部分)

乗務員室の椅子

座席

車内

車内窓カーテン

手動内開き式ドア 内側部分

ドア横の折り畳み式テーブル

車内貫通路部分

車内貫通路部分の渡り板

喫茶カウンター(売店)

車内銘板

SSE車 海老名検車区にて

車外銘板

側面の種別表示サボ
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