北海道遠征2018(1日目)

今回はもはや毎年恒例のようになっている北海道遠征です。
紀伊半島遠征の記事をお読み頂いている方は、北海道と聞いて「おや?」と思ったかもしれませんが、実は9月に実施予定だったこの北海道遠征を「北海道胆振東部地震」の影響から中止したという経緯がありました。結局この時は既に休暇を取ってしまっていてどこかへ出掛けないと4日間自宅で引きこもり生活をすることになるのに加えて、青春18きっぷ4回分が利用期間の残り数日というところで宙に浮いてしまう事態となり、結局関西方面の遠征に切り替えて実施しました。(それは別記事でレポート済みなのでよろしければご覧下さい)
それから1ヶ月ほどを経た10月半ばにこの北海道遠征を実施したのですが、これは政府が風評被害対策として北海道の観光業を支援すべく導入した「ふっこう割」の恩恵でこの時期ならホテルが安く泊まれること、「秋の乗り放題パス」の期間であり、元々青春18きっぷの利用を前提とした行程だったものをリベンジするには好都合だったことなどからリベンジとなったわけです。
ただし、元々は3泊4日の計画だったのが、今回は取得できた休暇の関係で3連休までしか取れず、秋の乗り放題パスも3日間しか有効でなく4日目は別にきっぷを用意する必要があるという事情から一部行程をカットして2泊3日に短縮しました。

今回の行程

元々9月にやるはずだった行程も中止になった経緯だけ書いて具体的な中身についてはこれまで触れてこなかったのでここでちゃんと説明しておきます。
今回の遠征の最大の目的は「キハ40系に乗車する」です。JR北海道も非電化線区の普通列車を中心に大量のキハ40系を走らせており、今や次々姿を消しつつあるキハ40系が見られる希少な地域の1つが北海道になっているのですが、流石に老朽化には逆らえずに、JR東日本のGV-E400系をベースとしたH100形という新型気動車で置き換えが始まるという発表もあり、キハ40系の運用線区のうち未だ乗っていない道東の路線を中心に乗っておこうというわけですね。
3日間それぞれの行程はそれぞれの記事で説明するとして、1日目についてですが、空路で帯広空港へ飛び、バスで帯広駅に向かったところから行動開始です。帯広からは根室本線を普通列車で釧路まで向かい、釧網本線に乗り継いで網走へ、更に石北本線に乗り継いで北見を経て遠軽まで行きゴールです。
帯広から遠軽まで釧路・網走経由でひたすら普通列車に乗って移動するという内容であり、釧網本線以外はキハ40系充当の列車です。

まずは北海道へひとっ飛び

まずは羽田空港へ向かい飛行機で北海道入りするわけですが、その前に1つネタがありました。


羽田空港への移動で利用したエアポート快特がなんとデビューして間もない5500形だったのです!
もちろん、これが初乗車であり、早朝出発ゆえの寝ぼけ眼もバッチリ覚めましたw


朝からテンションが上がったところでチェックインを済ませ搭乗口へ向かいます。
今回は帯広空港からの北海道入りですが、実は帯広空港を利用するのも初めてでした。
あと、驚いたのがLCCではない「エア・ドゥ」による運航なのにボーディングブリッジではなくバスによる移動だったことです。
なお、その移動のバスでは自動放送で飛行機の行き先などが案内されていたのにも驚きました。


そのバスの窓から見えた飛行機ですがこれは乗るやつではありません。


こちらが私を帯広まで運んでくれる機体です。
航空マニアというわけではないので機種がどうとかいう話は省きますが、新千歳-東京などの幹線航路で運航されるものより小型の機材のようです。


↑飛行機に乗った時は大体撮っていますが今回も機窓動画をどうぞ


さらば東京!


みるみるうちに上昇して巡航高度に達するとこんな景色がありました。
雲と空で水平線を描くように見えて何だか神秘的です。

シートベルトサインが消えると機内サービスが始まり、CAたちが飲み物を配って回ります。
飛行機といえばLCCばかりの私からすると、飲み物が無償提供されるだけでも破格のサービスに感じてしまいますw
サービスのドリンクと共に空港で買っておいたおにぎりで軽い朝食をとるなどして空の旅を過ごしました。
そうこうしているうちに着陸態勢となりシートベルトサインも点灯しました。


気づけば随分高度が下がり眼下の景色は雲海から地面に変わっていました。
帯広・・・というか十勝地方は農業や酪農が盛んだとは聞いていますが、空から見ると一目瞭然ですね。


↑帯広空港着陸時の機窓


定刻どおりに帯広空港に着陸となりました。
約1年ぶりの北海道ですが、定期的に来ていると何だか里帰りした気分w


観光利用も多い空港なんでしょうが、顔出しパネルがありました。


預け荷物が流れるコンベアにも馬や牛がいましたw


出口にも大きな馬w
競馬好きの方ならピンとくるかも知れませんが、これは「ばんえい競馬」と呼ばれる帯広独特の競馬で活躍する馬でして、通常の競馬の馬より体格も大きく、重いソリを牽かせて走るという独特なものです。
かつては北海道内のいくつかの都市で公営競馬として開催されていたようですが、今でも続いているのは帯広のみであり、世界的に見てもここ帯広だけで見られる特殊な競馬となっています。
そのため、空港にこんな大きな像を設置してしまうくらいプッシュしているのでしょうね。


空港に着いたらすぐにバスに乗り換えて帯広駅を目指します。
運行するのは黄色い車体が特徴的な十勝バスです。


その後ろにいた紅白カラーのバスは「北海道拓殖バス」です。
面白いのが、こちらも全く同じ時刻に発車する上、どちらも帯広市内を目指すということですが、私が乗る方は帯広空港から幸福・愛国など途中の停留所にも停車しつつ帯広駅バスターミナルを経てさらに市内各停留所にこまめに停車して十勝バス本社前が終点となるもので、全便が十勝バスによる運行です。
一方、後ろにいる方のバスは空港を出ると市内までノンストップですが、帯広駅やバスターミナルには乗り入れず、市内のホテルを巡るルートになっていて、北海道拓殖バスと十勝バスの共同運行となっています。
他都市の空港リムジンバスでもホテルを巡回するようなルート設定は見られますが、地方都市だと駅や市内のバスターミナルといった拠点に立ち寄った後にホテルを巡回するなどして一本化されていることが多い気がする中、ダブルトラックとして共存しているのは興味深いですね。
ただ、どちらも単に「空港連絡バス」と呼称されており、特にホテル巡回の方も十勝バス担当の時間帯だった場合、どちらも十勝バスでどっちに乗ればいいの?ってなりそうですがw

空港の券売機で切符を求めたら乗車です。乗車率はだいたい半分くらいでしょうか。


空港から出るところに青看がありますが、ここにも歓迎のメッセージがありました。
あと、「帯広広尾自動車道」の案内が出ていますが、実は私が乗車したバスはこれを使いませんw
高速道路と言っても対面通行の簡易的なものであり、かつ、北海道は一般道でも市街地を除けば渋滞もほぼないでしょうし信号なども少なく高速道路による時短効果が限られる上、空港から市内までの途中バス停にも停車しなければなりませんから高速道路を使うわけには行かないのでしょう。
ちなみに、帯広空港から帯広駅でルート検索すると高速を使わないルートを案内されるようなので、バス停の都合がない自家用車やレンタカーの場合でも高速のメリットはあまりないのでしょう。


あれれ?まだ帯広駅じゃないのに列車が見えるぞ!?
バスの説明のくだりで”幸福”というワードが出た時点で感づいていた方もいるかもしれませんが、「愛国から幸福ゆき」の記念きっぷで知られたあの幸福駅です。
幸福駅は国鉄広尾線という路線にあった駅で、広尾線が廃止された際に駅も廃止されたため廃駅ということになりますが、跡地は「幸福交通公園」として整備され、保存車両の展示などもあっているようです。
記念きっぷのおかげで知名度は高い幸福駅ですが、具体的にどこにあるのか知っている人って案外少なんじゃないでしょうか。これは十勝バスも観光資源と認識しているようでバスのアナウンスでも言及がありました。
あと、余談ですが、幸福という駅名の由来ですが、元々付近の地名としてアイヌ語で「サツナイ」というものがあり、入植者による開拓が行われた際に「幸震」という字を当てられました。しかし、「幸震」が「サツナイ」というのは難読であり、いつしか「こうしん」と読まれるようになり、当地には福井から移住した人たちが多く住んでいたことから、「震」+「井」で「幸福」という集落名になり、これが駅名にも採用されたという経緯のようです。
この駅名が縁起がよいとされ、付近の愛国駅と合わせて切符が一大ブームとなったのは広く知られている通りです。


駅は廃止されて久しいですが、「幸福」の名は地名としては生き続けており、道路の路線名にもなっています。
また、先程出てきた帯広広尾自動車道のインターチェンジにも「幸福IC」があります。


その後ものどかな田園風景が続いていきます。

それにしても、途中のバス停での乗り降りは皆無であり、気がつけばバスは市街地に入っていて、もう帯広駅に到着していました。
前述の通りバスの終点は十勝バス本社前であり、更に先まで乗車することも出来ますが、帯広駅ではやりたいこともあったので終点までの全区間乗車はせず大人しく帯広駅バスターミナルにて下車しました。
ここで全員が降りたようで残る区間は文字通り空気輸送となったようでしたw


乗ってきたバスを見送ります。


何ともカラフルなラッピングバス


空港でも見た北海道拓殖バスです。市内での一般路線バスも手がけているのですが、元々は北海道拓殖鉄道という名前の鉄道会社でした。
最盛期には新得駅から上士幌までの54.3kmを結んでいましたが、段階的に廃止が進み1968年までに全線が廃止されました。


北海道拓殖バスの高速バスも撮ったら撮りバスはこれくらいにしておきましょう。


そういえば、帯広駅バスターミナルですが、何だか変わった気がしますね・・・


こちらは一昨年帯広を訪れた際に撮ったバスターミナルです。
比較すると明らかですがもはや別物w
調べると今年の5月に現在の新しいバスターミナルがオープンしたようで、完全に建て替えられていたようです。
何度も訪れているとこういう変化を実感できるのがまた面白いです。


去年も来ている帯広駅なのであまり詳しくは撮りませんが、1年ぶりの北海道にテンションが上がり、思わず撮影w


青函トンネルの開業30周年記念の展示があっていました。


帯広でやりたかったことはこれですw
帯広に来たらやはり豚丼を食べなければ始まりませんねw

あとは、「秋の乗り放題パス」を買って行動開始です。

いよいよ行動開始

ここまでは北海道への移動の過程をレポートしたものであり、実際に乗り鉄的な意味での行動が始まるのはここからであり、今まではいわゆる序章ということになります。(序章だけで4000字を超えていますが気にしてはいけないw)


北海道は基本的に列車別改札なので「改札中」の表示が発車標にもあるのが特徴的ですね。
この釧路行き普通列車から今回の乗り鉄が始まります。
なお、1時間11分後に特急があるわけですが、流石にこれだけ間隔があいていれば釧路まで逃げ切れるようでこの普通列車が終点まで先行します。
ただし、釧路ではわずか4分差にまで詰められていますが・・・w


待っていたのはもちろんキハ40系。


北海道ではサボが普通に使われているのもいいですね。

それでは早速乗車します。車内はガラガラであり、ボックスを占領できるローカル線らしい混雑具合でした。
発車4分前に新得からの普通列車の接続を受けますが乗り換え客は数えるほどでした。
秋の乗り放題パスがあるとはいえ、18きっぷより使い勝手が悪いきっぷなので18きっぷシーズンほどは鈍行で長距離移動する利用者は少ないのでしょうね。

10時29分、定刻通り帯広駅を出発した我が列車は途中古瀬駅の1駅だけ通過してあとは各駅停車となり、19駅に停車してようやく釧路駅となりますが、これが特急だと池田、白糠と停まり終点釧路なのでわずか3駅しか停まりません。(白糠を通過する列車もあるのでそれだと2駅)
いかに特急が早いかということを実感すると同時に、それだけ帯広と釧路の間の沿線人口が希薄だということでもありますね。


川を渡りました。
その名もズバリ十勝川ですが、これを渡れば池田町となります。
特急では帯広を出て最初の停車駅となります。
かつて池田からは池北線という国鉄線が出ていて、北見駅まで結んでいましたが、ちほく高原鉄道という第三セクターへの転換を経て結局廃止されてしまいました・・・


北海道ではすっかり紅葉も色づいているようで平地ですらこんな景色が見られました。


ふと、私はホームに降りて撮影をしていました。
何故かと言うと・・・

厚内駅

途中にある厚内駅では15分も停車するというのでホームに出て撮影することにしたのでした。


とりあえず駅名標
「~ない」という地名はいかにも北海道らしいですが、アイヌ語の「ナイ」は川を意味しており、川が絡む地名では「~ない」となることが多いようです。
ちなみに、厚内の場合は由来が諸説ありますが「アプナイ」(釣り針・川)、もしくは「アックナイ」(小獣を捕る川)との説があるんだとか。


縦型


特急の高速通過もあるだけに跨線橋は完備していました。


跨線橋から見下ろした構内
何気に2面3線の設備となっており、基本は1番線を使用、列車の行き違い時のみ2・3番線を使用するという扱いのようです。


反対の釧路方


最初は落書きかなとも思ったのですが、よく見ると駅名が書いてあったんですねw


無人駅なので集札箱・・・かと思ったら「工具箱」って書いてありました。
保線作業用の工具を保管するんでしょうか。


駅舎内はガランとしていますが案外きれいでした。


このスペースは元々放送用スピーカーでも付いていたのでしょうか?
※読者様からの情報によるとストーブの煙突用の穴だそうです。


ローカル駅らしく駅ノートも完備していました。


掲示物の類もなく、パンフレットを置くような台もなく、本当に殺風景です。


駅前へ出ました。
駅前ロータリーのようでもありますが、雪国は元々道路の幅員を広めに取る傾向にあるのでただの道路なのかも知れません。


こちらが駅舎です。
きれいに塗られていますが木造駅舎のようです。


駅名の表記は国鉄チックなものでした。


この板張りされているスペースが気になりましたが、調べるとかつて駅舎内で喫茶店が営業していたそうで、その名残だそうです。
その喫茶店も当駅にまだ駅員が配置されていた頃に駅長室だった場所を改装していたということで、元を辿れば駅長室の名残ということになりますね。
今では簡易委託すらもされない完全な無人駅ですが、駅舎にだけはかつて賑わった時代の名残が残っているようでした。


当駅には浦幌町のコミュニティバスが乗り入れていて、バス停もありますが、驚くべきはその本数。
なんと1日1往復だけ・・・しかも運行するのは毎週火曜と木曜のみで、週に2往復しかないようです。
浦幌町のコミュニティバスは全部で5路線あり、土日を除く平日に2路線ずつをローテーションで運行しているようで、極度に過疎化が進んだ地域ではまま見られる運行形態ですが、このバスしか交通手段がないという人は週に2日しか外出が不可能になりますし、1日1往復ですから、往路はともかく、復路で用事が長引いたりすれば帰れなくなるなんて流石に不便すぎる・・・
まあ、実際には家族や知人の車に乗せてもらったり、タクシーを利用したりということもあるでしょうから、それ以外の外出が不可能というのは言いすぎかも知れませんが、いずれにせよこういう地域では車を持たないと行動パターンが大幅に制限されるのは間違いなさそうです。

あと、乗りバスするにしても、全路線制覇したかったら月曜から金曜まで5日ぶっ通しで浦幌町に滞在しないといけないという高難易度の路線ですねw

といったところで駅の撮影は終わりにしてホームに戻ります。
そろそろ、私の普通列車を15分も待たせていた元凶の列車が通過しますからね。


↑その通過列車というのは「スーパーおおぞら」でした。
といっても後続の「スーパーおおぞら」は釧路まで追いついては来ませんから、釧路発札幌行きの対向列車ということになりますね。


キャプチャ画像も貼ったら釧路へ向けての旅を再開します。

釧路へ

厚内を発車したらあとは長い停車時間のある駅もなく淡々と釧路目指して進んでいくだけです。
キハ40系の独特の乗り心地やエンジン音、そして雄大な北海道の車窓が揃えばそれ以外に娯楽はいらぬとばかりにひたすら車窓を眺めて過ごしました。


気づけば車窓に海が現れました。
以前にも根室本線には乗っていて、不通区間を除いては完乗を果たしているのですが、この区間に関しては完全に日没後の乗車だったためまともに車窓を見られてはおらず、海が見えるのも知りませんでしたw


と思ったら内陸へ入ったり・・・


また海が見えたりと、ゆったりした時間の流れの中、もう数十分しか乗車時間が残っていないことに気づきます。
こうなってくると名残惜しさもありますね。


その途中にあったのがこの大楽毛駅です。
よくネタにされる珍駅名ですが、アイヌ語の「オタノシキ」が由来で、「砂浜の中央」といった意味合いのようです。
このあたりからは釧路市内に入り、一般利用者も少しずつ乗ってくるようになりました。


その2駅先にはこれまたネタ駅名があります。
といってもアイヌ語由来でもなさそうな普通の駅名・・・では、何がネタかと言えば、東海道新幹線の駅と被っていることですw
東海道新幹線をよく利用する人ならば(と言っても「こだま」しか停まらないので多くは「ただいま、新富士駅付近を通過中」という案内表示によってでしょうが)見聞きしたことがある駅名であり、実際に降りたことがあるかはともかくとりあえず存在を知っている人は多いでしょう。
それと名前が被っているわけですが、実は開業はこちらの方が古く、1923年から営業している、東海道新幹線以上に歴史のある駅です。(静岡の新富士駅はJR化後に地元の請願により開業したため1988年の開業です)

駅名の由来は開業時に当駅から専用線を引いていた「富士製紙」であり、富士駅は既に東海道本線の駅として存在していたので”新”を付けて新富士駅となりました。
富士製紙は現在、日本製紙となっていますが、工場は日本製紙釧路工場として現役であり、また、貨物駅としても現役・・・というか旅客営業がおまけで貨物営業がメインといってもいいくらいで、紙以外にも様々なものがここから運ばれているようです。
なお、貨物駅については2011年より「釧路貨物駅」という名前で呼ばれており、正式には「新富士駅」は旅客のみの駅ということになっています。

そして、その新富士駅の次がいよいよ終点の釧路駅です。

釧路にて

帯広から2時間47分で終着の釧路に到着です。
以前にも訪れている駅ということで細かい紹介は省きますが、少し撮影もしたので車両メインで貼っていきます。


まずは乗ってきた列車です。


このまま帯広行きとして折り返すようです。


ところが、もう1両には違うサボが・・・
後で知ったことなのですが、釧網本線にもキハ40系の運用があり、釧路~摩周間の列車ではキハ40系が入ることがあるようです。
これはノーマークでした・・・(リベンジフラグ?w


↑列車が入るという放送に思わずカメラを構えていると・・・


やってきたのは花咲線のキハ54系・・・しかも、ただのキハ54系ではありません。


漫画やアニメが人気の「ルパン三世」のラッピング列車でした。
実は原作者のモンキー・パンチ氏は花咲線沿線の浜中町出身であり、その縁から花咲線にラッピング列車が走っています。


側面


ルパン三世に


銭形警部もいます。


窓ガラスにもこんな演出が・・・
芸が細かいですねw


こんなカラフルな車両がいましたがこれも列記としたキハ40系です。
JR北海道では「北海道の恵み」シリーズと称し、道東・道北・道央・道南の4エリアで1両ずつキハ40系を改造した観光列車風の車両を走らせているのですが、これは道東エリアの「道東 森の恵み」という車両です。
今年から始まった取り組みで3月~7月にかけて順次デビューしましたが、ここのところ廃線・廃駅・減便と暗いニュースの続いていたJR北海道にあって、久々に前向きなニュースとなりました。


ヘッドマークも付いています。


ちょっとだけ車内にもお邪魔しました。

この列車は花咲線の列車に充当されるようで根室行きとなっているようなのですが、これがまた誤算・・・
というのも、いわゆる花咲線区間は基本的にキハ54系の運用区間であり、キハ40系の運用はないはずなのですが、急遽の運用変更だったのか、間合いで実は入ることがあるのか、どちらなのかは分かりませんが、変更前の予定通りの行程だったらこの列車に乗ることになっていたのでした。
それが、1日行程を短縮した影響で根室往復はカットとなり、今晩中に遠軽まで行くことになったのですが、今から根室へ行ってしまえば所定の行程に復帰することは出来なくなりますし、ここはぐっと我慢です・・・
予定通りの行程でこの運用に当たっていたら「嬉しい誤算」でしたがね・・・


↑せめて発車シーンは撮るw


根室本線のエース的存在の「スーパーおおぞら」を撮ったらそろそろ外へ出ようかと思います。


駅の方は一切撮らずに外へ出てきましたが、そんな私が向かった先はここです。


「和商市場」という場所なのですが、何が目当てかと言えば・・・


北海道といえば海鮮丼!・・・ということで昼食とも夕食ともつかない微妙な時間ではありますが、ここで食事をすることにしました。
海鮮丼は海鮮丼でもここ釧路で食べられる海鮮丼はちょっと変わっていて「勝手丼」というものがあります。
「勝手丼」とは、ざっくり言えば市場の中でご飯だけ買って、そのご飯に乗せるネタとなる刺し身や魚卵といったものを色んなお店を巡りながらバラバラに選んで買っていき、ご飯に乗せて食べるというものであり、釧路の和商市場の名物として知られています。(自由に選べる勝手丼という性質上、写真は一例であり、人それぞれの勝手丼があるということになります)
ただし、注意が必要なのが和商市場の中でも勝手丼のシステムに提携しているお店でのみ可能な注文方法であり、全てのお店でネタのバラ売りをしているわけではないということです。対象となるお店は地図で指し示されていたり、そのお店に「勝手丼」とデカデカと看板や幟が出ていたりするのでそこで見分けましょう。
流れとしては、市場に入ったらご飯を売っているお店に行き、好みのサイズのご飯を買います。(白米のところと酢飯のところ、どちらか選べるところなど店によって分かれるようです)
そのご飯を持って勝手丼の対象となっているお店を探して好みのネタを選び載せてもらい頂きます。まあ、ご飯を持ってうろついていれば十中八九店員さんに声をかけられますけどねw
なお、会計は店ごとの個別であり、ご飯とネタはそれぞれで精算となりますし、複数のお店でネタを買う場合も店ごとでの精算となります。
値段はご飯が100円~300円程度(量による)、ネタが1切れ50円~200円といったところで、普通サイズでネタもよほど高級なものを選ばなければ1500円程度ですが、私は勧められるがままに気になったネタを次々載せてもらっているうちに2000円を超えていましたw
値段的には普通にメニューにある海鮮丼を食べるのと変わらない気もしますが、自分で勝手にネタを選べるというのはなかなか面白いと思います。
北海道沿岸の土地ということもあり、どのネタも新鮮でとても美味しかったです。
更に詳しい情報は公式サイトなどをご覧下さい。
おっと、勝手丼だけで随分字数が嵩んでしまいましたが、そろそろ旅に戻るとしましょう。


続いては釧網本線で一気に網走を目指します。
ここもキハ54系ですが、流氷をイメージしたであろう白い塗装になっていました。

なお、釧網本線は2度目の乗車ですし、道中ではあまり書くこともなかったので一気に網走駅まで記事が飛びますw

網走駅からは石北本線

釧路から3時間あまりで終点の網走に到着しました。記事では道中をばっさりカットしてしまいましたが、特急も走らない区間ゆえ長時間停車もなく、2度目の乗車だった上、今朝は早朝出発で飛行機でもろくに眠らずにきたのでここで眠気が一気に襲ってきてうつらうつらとしているうちに着いてしまったという感じでしたw
まあ、今回の主目的はキハ40系であり、釧網本線は移動のために乗ったという感が強いですしねw


3時間ぶりに列車を降りると、周りはもうすっかり真っ暗でした。
時刻はまだ17時過ぎですが、ここは北海道の東の方ですから日没が本州よりもさらに早いんでしょうね。


ここから先の石北本線では再びキハ40系となります。
石北本線って以前に1度だけ「オホーツク」で乗車したきりなので普通列車では乗っていませんでしたし、キハ40系ということを脇においても新鮮な体験です。


ちなみに、列車は北見行きです。


隣には「オホーツク」がいたので並べてみる。


反対側


「オホーツク」単独で・・・
以前乗った時はキハ183系初期の面影を残す基本番台でしたが、そちらは引退してしまい、今は通称「新183系」あるいは「N183系」とも呼ばれる後期型だけになってしまいました。
キハ183系という枠で見ても「北斗」「サロベツ」からの撤退で定期運用があるのは「オホーツク」「大雪」の2列車のみとなり、石北本線は最後のキハ183系の活躍の場となってしまいました。


ヘッドマーク


↑「オホーツク」発車シーン


2度目の訪問の網走駅ですが、駅舎だけ撮ったら旅を続けます。

石北本線の普通列車で目指すは北見です。

北見駅

今日の行程の中では最後の途中下車となる北見駅です。
ここは初訪問なので既に暗いというのはありますが出来るだけ撮影しつつご紹介したいと思います。


まずは駅名標
それにしても、漢字表記こそ違いますが、「きたみ」と書かれると小田急線の駅のような気がしてくるw


構内は暗くて撮りづらかったのと、どうせ明日もここに戻ってくるスケジュールになっているのであえて撮らずに改札を出てしまいました。


発車標は今風の液晶ディスプレイでした。
一番上に出ている遠軽行きが次に乗る列車ですがここで意外と時間が開くのでしばらくぶらつきます。


北海道を旅しているとみどりの窓口があるだけでも大都会に思えてきますw


ご当地入場券とキハ183系引退記念入場券のアフィw
私はこういう記念モノにはあまり手を出さない傾向がありますが、友人から頼まれてどのみち1枚は買うことになっていたことと、JR北海道へのささやかな支援になればという思いから今回は思わず買ってしまいました。
まあ、1枚170円というお手頃プライスですしね。


あと、注目すべきは「スマホ定期」ですね。
JR北海道では、石北本線・釧網本線の一部区間を対象にスマホで買える定期券を発売しているのですが、これが変わっています。
というのは、スマホで利用する定期というからにはFelicaを利用したICカード形式を想像しがちですが、ここの場合は専用アプリをインストールの上、コンビニ決済やクレジットカードなどで支払えば購入完了で、利用時はそのアプリを立ち上げて画面に定期券の券面を表示し運転士に見せるという、デジタルなのかアナログなのかよく分からないものとなっていますw
これが画期的なのが利用者サイドからすれば従来は駅に行かなければ定期券を買えなかったのが、スマホ1つでいつでも買えるようになり、事業者サイドからすればICカード乗車券や自動改札機の導入が難しい閑散線区でも車載料金機や改札機といった特別な設備が必要ないため導入しやすいということで、現在のスマホの普及率を考えれば今後広まる可能性が高いサービスだと思います。


あと、構内に何故かレールが展示されていました。


駅前へ出ました。
予想以上に栄えた様子に驚きましたが、それもそのはずで北見市はオホーツク総合振興局管内では最大の人口を擁し、オホーツク地域の経済の中心と言える都市なんだそうです。
ちなみに、2010年までこのあたりは「網走支庁」の管内となっていましたが、網走よりも人口が多く実質的な中心地である北見市の働きかけもあり、支庁が総合振興局と改組された際に「オホーツク総合振興局」と改名されたというエピソードもあるようですよ。


時間的にそろそろ閉店みたいですが商業施設も揃っているようです。


そして、こっちが駅舎です。
駅舎はそんなに大きいというわけでもないですが、駅前の駐車場にはこの時間でもちらほら車が止まっているあたりは都会感がありますね。


お次はこのキハ40系で今宵の宿がある遠軽まで行きます。


と思ったら反対側はキハ54系でした。
つまりは、キハ54系+キハ40系+キハ40系の3両編成でした。
この区間でのキハ54系の運用もまたレアなのですが、やはり主目的はキハ40系ですのでここは浮気せずにキハ40系に乗っていくことにします。


サボも撮ったら乗車します。

19時36分発の北見発遠軽行きですが、この列車は留辺蘂より先の遠軽までの各駅へは最終列車となります。
都会で終電なら混雑しているイメージですが、地方では終電を気にするような用事なら最初から車を使うということなのか3両つないでいるせいもあって閑散としていて、録音環境はばっちり!
相内駅では対向列車遅延のため25分も待たされるというハプニングもありましたが、その他は特に書くこともなく列車は終点遠軽に到着です。

遠軽駅

今宵の宿がある遠軽駅に到着し、これにて1日目の行動は終了となります。
が・・・初訪問の駅だったので思わず色々撮影してしまいましたので、軽くレポートしてから1日目の記事をシメたいと思います。


まずは駅名標
当駅は石北本線としては単なる中間駅ですが、スイッチバック構造のため片方にだけ隣駅が書かれています。


縦型


それにしても、跨線橋の床がかなり年季が入っていましたw


ここで乗ってきた列車を撮影


階段部分です。踏み板にシートのようなものが掛かっているので分かりづらいですが、ここもかなり年季の入った木材のようです。


あと、階段の上にあったこの物体が気になりましたが、微かに「旭川 札幌 函館方面」「北見 網走 釧路方面」「の方はこの橋をお渡りください」と読めるので、跨線橋を渡る方のホームに列車が発着する時は点灯して案内するんでしょうね。
なんというアナログなギミックw


その近くの壁面には制御盤があったのですが、これってさっきの案内板を制御するやつでしょうか?
こんな一般人の手の届くところに置いてあっていいの?w


その先にも似たような案内板がありましたが、あれ?表示する行が1つ多いぞ?
1行目は旭川・札幌、2行目は北見・網走と先ほどと同じですが、3行目は紋別・名寄と書いてあります。
実は昔は当駅から北へ向かう名寄本線という路線が出ていて、名前の通り名寄と当駅を結んでいましたが、JR転換直後の1989年に廃止されてしまいました。
ということは1989年以前から使われているということですよね・・・

ここでちょっと脱線しますが余談として当駅がスイッチバック構造になっている理由と名寄本線の関係について触れておくと、元々名寄本線は名寄と網走を結ぶルートとして計画・建設されました。
しかし、後から旭川方面と短絡するルートとして現在の石北本線が開業し、遠軽駅では名寄本線名寄方面に接続する形で繋がったため、網走方面へはスイッチバックするようになりました。後に名寄本線が廃止されて石北本線だけになったため今では単なる中間駅なのにスイッチバックということになっていますが、そういう歴史があったんですね。


キハ40系を先頭にもう1枚撮ったら構内はこれくらいで撤収します。


改札を出ました。この時間では無人となっており出入り自由になっています。


駅構内も閑散としていました。


構内で出迎えてくれたのはどこかで見覚えがある人達のパネル・・・
あ、この人達って平昌オリンピックでの活躍から有名になった「ロコ・ソラーレ」(通称:LS北見)のメンバーですね。
なるほど、さも一緒に記念撮影したかのような感じで撮れる顔出しパネルというわけですね。
やっぱり地元では大スターなんでしょうね。
そういえば、北見駅の売店で彼女らの試合中の発言から有名になり流行語大賞にもノミネートした「そだねー」をもじったであろう「SODAね~」というお菓子が売っていたのを思い出しましたw


そして、駅前ですが、21時頃ともなるとこんな閑散っぷりw
まあ、これが北海道の駅前としてはむしろ一般的と言えるのかも知れませんが・・・


駅舎は駅前広場から一段上がったところにあり全体を入れようと思うとこんな感じになってしまいますw

と言ったところで1日目は終了!
2日目は追ってレポートしますのでしばらくお待ち下さい。
~追記~
2日目も公開しました。

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つばめ501号(管理人) について

関東を拠点に鉄道旅行を楽しんでいます。また、写真撮影や走行音の録音もしています。 サイトの方ではそれら写真や録音も公開していますのでぜひご覧ください。
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北海道遠征2018(1日目) への2件のフィードバック

  1. とおりすがり のコメント:

    初めまして。ネットサーフィンでたまたま見ましたが、書かずにいられないので書きます。
    厚内駅の壁の穴はスピーカーのものでなく、煙突の穴です。ブリキの円筒がストーブから伸びていて、外に煙を排出させるようになっていました。国鉄時代は石炭や薪を使ったストーブがどこの駅の待合室にもあって、暑いくらいに燃やされていましたが、JRになってそんなことは無くなりました。今の駅を見ると「侘しい」の一言です。
    遠軽もホームの目の前に機関区があり、夜中でも活気があったのです。
    今とは別世界でした。

  2. つばめ501号(管理人) のコメント:

    コメントありがとうございます。
    なるほど、スピーカーではなくてストーブの煙突の穴でしたか。
    教えて頂きありがとうございました。
    本文にも追記させて頂きますね。
    今後とも当ブログをよろしく願いします。

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