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0系新幹線




概要

国鉄が東海道新幹線向けの車両として開発した初代新幹線車両であり、世界初の高速鉄道専用車両でもあります。
世界で初めて200km/hを超える速度での営業運転を実現した車両でもあり、航空機を参考にした先頭部形状は「団子鼻」とも称され、新幹線の初期のイメージを確立し、高度経済成長を象徴する存在でもありました。
1964年に運用を開始し、2008年まで定期運用があり44年に渡り活躍し続けた長寿な車両でもあり、鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞しています。
なお、形式名である0系という呼び方は登場から長らく存在せず、単に「新幹線電車」と呼ばれる事が多かったようですが、東北・上越新幹線用の200系が登場すると、区別する必要が生じたため、0系と呼ばれるようになりました。

設計にあたっては未経験の技術は使わず、既に実績のある技術を組み合わせ、将来に改良の余地を残すというコンセプトを取り入れており、世界初の高速鉄道専用車両でありながら、革新的な新技術は使われていません。
車体は普通鋼製ですが、箇所ごとに板厚や使用する鋼材を変更することで普通鋼製車体にしては構体を軽量に仕上げることに成功しましたが、搭載機器は冗長性を高める設計であり、重装備であったため車両重量は50tを超えることになりました。
先頭部のデザインは高速走行にあたって空力特性を考慮し、レーシングカーや航空機の設計を参考に、DC-8形ジェット旅客機の先頭部形状を修正して採用されました。
運転台は高い位置に設けられており、高速運転でも運転士の視界を確保しやすくしています。
先頭部床下には排障器を設けており、少々の岩程度であれば軽く跳ね除けることができ、脱線には至らないようにしていますが、本来の役割は揚力による浮き上がり脱線を防ぐことであり、車体を下に押し付けるダウンフォースを発生させるようなデザインになっています。
本形式以降の新幹線車両では一般的となった在来線とは逆のマスコン・ブレーキハンドルの配置や、架線に電気が流れているかを検知する「静電アンテナ」も本形式が元祖となっています。

走行機器は変圧器のコイルの巻数をスイッチによって変更できるようにしたタップ制御によって連続定格185kWのモーターを制御します。
これは当時の鉄道用モーターとしては最高出力のもので、更に全ての車両を電動車とすることで高速走行に必要なパワーを確保しています。
ブレーキも摩擦ブレーキのみならず発電ブレーキも搭載しており、高速域からでも安全に停車させることが出来るようになっています。
本形式以降の多くの新幹線車両では特高圧引通線と呼ばれる電線を車両間に通し、少数のパンタグラフで受け取った電力を各車両に供給する方式をとっていましたが、本形式ではこの方式は採用しておらず、2両ごとに1基のパンタグラフを設置しています。
これは送電設備側の問題で、特高圧引通線を設置するとセクションなどを通過する際に大きなアーク電流が発生してパンタグラフや架線を損傷する可能性があったためで、後に送電設備側の改良でこの問題はなくなりますが、最後まで本形式に特高圧引通線を設置することはありませんでした。
このため、16両編成では1編成で8基ものパンタグラフが存在することになり、これが大きな騒音源となり、名古屋新幹線訴訟の原因にもなりました。

編成は初期は12両固定編成でしたが、1970年の大阪万博開催に伴う輸送力増強のため16両に変更されています。
ただし、後に「こだま」用として再び12両に短縮された編成も出てきました。
その他に国鉄末期に博多~小倉間の区間運転用として登場したR編成は全車普通車の6両編成であり、JR西日本では4両編成のものも登場しました。
増備は国鉄末期の1986年まで続けられ、その間に初期に登場したグループの車両の廃車が出ているため、「0系で0系を置き換える」状態も発生していました。
最終的に38次にも及ぶ長期の増備となり、累計で224編成3216両が製造される大所帯となりました。
このような長期間の増備が続いた背景には当時の国鉄の財政難や労使紛争の頻発などから、車両面でも技術革新が停滞しており、新型車両の開発が進まず、また本形式の基本性能が必要十分なものとされ、安定した性能を有していたことも後継車がなかなか登場しなかった背景としてあります。
更に「0系で0系を置き換える」ということを続けた結果、同じ0系でも車齢が大きく異なる車両が混在することになり、互換性維持のために新型車両を導入しづらくなるという問題も発生しました。

車内設備は普通車・グリーン車(登場時は1等車)に加えて食堂車も設置されていました。

国鉄分割民営化後はJR東海・JR西日本に引き継がれ、東海道・山陽新幹線での活躍を続けますが、JRグループ発足後は後継車が続々と登場し、性能面で劣る本形式はダイヤ編成上の足かせとなるようになり、本形式も徐々に活躍の幅を減らしていきました。
まず東海道新幹線から撤退し、晩年は山陽新幹線での「こだま」としての運用をこなす余生を送りました。
それもN700系の登場で、500系を「こだま」に転用することで本形式を置き換えることとなり、引退となりました。
しかし、本形式が世界初の高速鉄道の車両であり、車両数も多かったことから各地に保存車両が存在し、国内のみならず海外での保存例もあります。
保存・展示している施設の中で主要なものをあげると「京都鉄道博物館」(京都市)「鉄道博物館」(さいたま市)「リニア・鉄道館」(名古屋市)などがあります。

歴史

1964年10月1日に東海道新幹線開業と同時に運用を開始しました。
1965年には鉄道友の会の第8回ブルーリボン賞を受賞しました。
1986年をもって増備が終了し、1987年には国鉄分割民営化に合わせて、JR東海・JR西日本に引き継がれました。
1999年9月18日をもって東海道新幹線から撤退し、2008年12月14日をもって山陽新幹線からも撤退し、定期運用がなくなりました。
2009年1月23日に最後の編成が廃車となり、消滅形式となりました。

現状

全車廃車済みであり、走行可能なものは現存しません。
ただし、各地に保存車両が存在し、「京都鉄道博物館」(京都市)「鉄道博物館」(さいたま市)「リニア・鉄道館」(名古屋市)などでその姿を見ることが出来ます。

走行音

録音区間:博多~博多南(お持ち帰り)

走行線区(特記無い場合は全線)

廃形式につき省略

フォトギャラリー

画像をクリックすると拡大できます。

JR西日本によるリニューアル塗装

リバイバルされた初代塗装

パンタグラフ(リニア・鉄道館蔵)

パンタグラフ(カバー装着)

車番表記

妻面表示

車内(JR西日本)

座席(JR西日本)

ドア

方向幕

車内電光掲示板

車内公衆電話

デッキ部くず物入れ

2人がけ初期座席(リニア・鉄道館蔵)

3人がけ初期座席(リニア・鉄道館蔵)

給水器(リニア・鉄道館蔵)

食堂車車内(リニア・鉄道館蔵)

食堂車テーブル(リニア・鉄道館蔵)

食堂車厨房(リニア・鉄道館蔵)
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