119系電車
概要
国鉄が飯田線で長年にわたり使用していた吊駆け駆動方式の「旧型国電」の代替のために製造した車両です。飯田線と同じく旧型国電が長年にわたって活躍していた身延線と大糸線には115系が新たに投入されましたが、飯田線には身延線と大糸線と違って、駅間距離が短いこと、運行距離が最大200km以上にも及ぶこと、そして人口希薄地帯を沿線に持つことから短編成での運転が不可欠であることなどの特殊な輸送事情がありました。これらを考慮して、性能面で飯田線に適しており、また福塩線で旧型国電を置き換えた実績のある105系を、飯田線の環境にあわせて仕様の変更を行った当系列が新しく投入されることになりました。このように特定のローカル線での使用を目的に設計された当系列は、全国的に使用できる汎用型車両が多かった国鉄型電車の中でも特殊な車両と言えます。当系列は先述のとおり車体や車両性能が105系ベースをとして設計されており、105系の特徴であった高加速性能と短編成でも運転可能な機器構成は継承した上で、連続急勾配を走行するための走行機器を装備し、短編成での運転を可能にするため単行で運行可能な1M方式を採用しています。このように飯田線での運用に特化した性能のため、当系列は長距離の高速走行には不向きであり、最高時速は85~90km/h程度になっています。また、製造コスト削減のため簡素な構造が採用され、一部には廃車発生部品を再利用しています。ただし、沿線の厳しい寒さに適応するため耐寒構造は施されています。車内は飯田線が長距離路線かつ観光路線の側面を持っているため、長時間乗車に適するように焦げ茶色のモケットのセミクロスシートが設置されています。当初は飯田線に並行して流れる天竜川にちなみ、水色基調の塗装が施されていました。
歴史
当系列の投入によって飯田線の旧型国電は全廃されることとなりました。1886年に一部の編成が冷房化などの諸改造、塗装の変更を行って東海道本線の静岡近郊のシャトル電車「するがシャトル」として使用されていましたが、先述のとおり当系列は長距離の高速走行には不向きであるため運用上の問題が発生し、2年ほどでその運用は終了しました。国鉄民営化後は全車両がJR東海に引き継がれ、全車がクリーム地に湘南色をモチーフとした帯がまかれたJR東海色へ塗装が変更されています。その後1両での運転を可能にするため何両かの片運転台車を両運転台車へと改造する工事が行われ、工事が施工された車両は100番台とされました。この100番台は後年の冷房化改造時に5100番台に変更されています。残りの2両編成で「するがシャトル」に未使用であった非冷房の車両についても冷房化改造が行われ、5000番台に変更されました。1999年から翌年にかけて、この5000番台の中の何両かに、車両側面にドア開閉ボタンを設置するなどのワンマン化改造工事が行われ、5300番台となりました。2004年10月に台風による路盤流失が原因で脱線・転覆事故を起こした2両編成が廃車となっています。ちなみに当系列は以前に中央本線 辰野~塩尻の区間列車の定期運用を持っていたことがあります。2012年3月のダイヤ改正をもってJR東海での定期運用を全て終了した後、廃車および後述する他社への譲渡が進められたため、当系列は形式消滅しました。
現状
JR東海での定期運用が終了した後、ワンマン運転に対応した5300番台の2両編成6本がえちぜん鉄道へ譲渡されました。現在は改造工事が施された上で、えちぜん鉄道のMC7000形として活躍しています。
走行音は準備中です。
廃形式につき走行線区は省略
フォトギャラリー
画像をクリックすると拡大できます。
0番台 普通 岡谷行 北殿駅にて
5000番台 国鉄色 中部天竜駅にて
単行運転が可能な5100番台 飯田駅にて
方向幕
車外仕様表記
車外所属表記
車外車号表記
5300番台 車外のドア開閉ボタン
先頭車同士の連結部分