キハ35系気動車
概要
国鉄が高度経済成長期に、大都市近郊の非電化路線向けに開発した気動車です。
元々は現在の大和路線に該当する湊町~奈良間の輸送力強化のために開発され、後に各地の都市近郊の非電化路線に広がりました。
キハ35系は同等の設計思想で作られた車両の総称であり、最初期に製造されたキハ35形から始まり、それのトイレ省略版のキハ36形、キハ36形の両運転台版とも言えるキハ30形があります。
また、本形式を車対更新したキハ38形もあります。
その他、山陽本線の和田岬支線専用で使われていたキハ35形300番台、キクハ35形300番台があり、ドアが片方にしかない、1つのエンジンで2両を動かすなど同線に特化した仕様になっていましたが、同線の電化により運用離脱となりました。
一方、私鉄の関東鉄道は非電化ながら通勤路線の性格の強い常総線向けに、JRや国鉄清算事業団からキハ35系を大量に購入しました。
キハ30形はキハ300形、キハ35形はキハ350形、キハ300形をワンマン化にしたキハ100形などと形式名を変更して使用されていましたが新型車への置き換えが進み、現在では全廃されています。
3つドアやロングシートなど通勤客の輸送に特化した構造が混雑の緩和には寄与したものの、大都市近郊の路線が電化されるにつれ、次第に活躍の場は狭まり、ローカル線に転用しようにも通勤向けに特化した設備が長距離運用には向かず、1980年代以降急激に数を減らしました。
車体は101系電車の基本構造を踏襲し、オールロングシートで、1.3m幅の両開き戸を片側3箇所ずつ設置するなど、まさに通勤型気動車と呼べる構造を備えていました。
一方で、長距離運用も想定し、トイレも設置されていました。
エンジンなどの主要機器は急行型気動車のキハ58系と共通になっており、定格180PSを発揮するDMH17H形ディーゼルエンジンを搭載し、液体式変速機のTC-2A形ないしDF115A形を組み合わせていました。
最高速度は95km/hで、ブレーキは自動空気ブレーキです。
国鉄では関西本線への投入を皮切りに、都市近郊の非電化路線を中心に幅広い活躍を見せ、大都市近郊路線の輸送改善に貢献しました。
国鉄分割民営化に際してはJR北海道を除く旅客各社に継承されました。
しばらくは国鉄時代と引き続き、都市近郊の非電化路線を中心に活躍していましたが、そういった路線にも電化の波が訪れたことや、後継となる気動車への置き換えなどで徐々に活躍の幅を減らし、最後まで残ったJR東日本の久留里線で運用されていた車両の引退をもって、2012年でJRグループからは全廃されました。
一歩、私鉄への譲渡例としては筑波鉄道・関東鉄道・会津鉄道・水島臨海鉄道といった例があり、特に関東鉄道では首都圏近郊ながら非電化という路線環境に本形式がマッチしていたこともあり、数多くの車両を運用していました。
また、JR東日本で活躍していた編成はキハ30形の2両が水島臨海鉄道へ譲渡されており、2025年現在唯一の現役車となっています。
歴史
1961年のダイヤ改正より運用を開始し、関西本線に投入されました。
従来は蒸気機関車牽引の客車列車が中心だったのが、本形式の投入で気動車へ置き換えることができ、大幅な輸送改善を実現しました。
1965年からは山陰本線京都口や加古川線、及び山陰本線鳥取・島根地区や境線・大社線、更には山口線や美祢線でも運用されました。
1973年に関西本線の電化が行われると、本形式は奈良線・草津線・信楽線(現:信楽高原鐵道)・桜井線・和歌山線・紀勢本線・片町線などに転用されました。
これらの路線も徐々に電化されてくると本形式の運用は縮小し、1980年代には廃車も発生するようになりました。
関東地方では1962年より総武本線・内房線・外房線・成田線・鹿島線・木原線(現:いすみ鉄道)・久留里線に投入されました。
1964年からは川越線・八高線・足尾線(現:わたらせ渓谷鐵道)に、翌1965年からは相模線に投入されました。
新潟地区では1962年から越後線・弥彦線にて投入され、北陸地方では1965年より城端線・氷見線、四国地方では同年より高徳本線(現:高徳線)・鳴門線・徳島本線(現:徳島線)・牟岐線にて、九州地区では同年より筑肥線博多~東唐津間に投入されたあと、1980年には関西地区の電化により余剰となった本形式を流用する形で九州地区へ投入されますが、筑肥線の電化と福岡市地下鉄開業に伴う博多~姪浜間の廃止に伴い、本形式は長崎本線・大村線・松浦線(現:松浦鉄道西九州線)にて運用されました。
1987年には国鉄分割民営化によりJR北海道を除く旅客5社に継承されました。
JR九州では1991年に、JR四国では1990年にそれぞれ運用を終了し、まとまった数を継承したJR東日本でも運用線区の電化が進展するにつれて運用範囲を減らしていきました。
JR西日本でも同様の傾向ですが、1990年に和田岬線向けにエンジン付きのキハ35形300番台とエンジンを撤去したキクハ35形300番台のペアを組む編成を製作し、運用範囲である兵庫駅と和田岬駅の2駅のホームがいずれも同じ方向であったことから、ドアが片方のみというまさに和田岬線専用として運用されるようになりました。
これがJR西日本での最後の本形式の運用事例となりましたが、2001年に和田岬線が電化されると運用を終了し、2004年までに除籍・解体され、JR西日本からは本形式が全廃されました。
JR東日本では電化の進展もあって順次本形式の運用が消滅していき、最後まで残ったのは久留里線となりました。
久留里線ではキハ37形・キハ38形とともに活躍していましたが、2012年にキハE130形への置き換えにより運用を終了し、JRグループからは本形式が全廃されました。
この久留里線の車両の一部が水島臨海鉄道へ譲渡され、本形式2両も水島臨海鉄道へ移籍しています。
その後は水島臨海鉄道水島本線にて運用されています。
私鉄への譲渡例としてはつくば鉄道では1986年に事故で大破した車両の代替として本形式1両を譲り受けますが、1987年に筑波鉄道が廃止になると関東鉄道へ移籍しています。
関東鉄道では1987年から1992年にかけて筑波鉄道やJRグループから本形式を大量に購入しており、2017年1月8日まで活躍しました。
会津鉄道ではJR東日本よりキハ30形1両が譲渡され、トロッコ列車のAT-300形へ改造の上、2009年まで運用されました。
また、2011年に関東鉄道から引退したキハ350形が2015年にフィリピン国鉄に譲渡され、同国にて運用されています。
現状
JRグループでは全車引退済みで現存しません。
譲渡車としては水島臨海鉄道が運用中であり、水島本線にて活躍中ですが、非冷房のため秋冬の平日のみの運用となっています。
保存車としては福島県会津若松市の会津鉄道芦ノ牧温泉駅にてAT-301(元キハ30-18)が、茨城県筑西市のザ・ヒロサワ・シティレールパークにてキハ101(元キハ30-55)とキハ102(元キハ30-96)が、栃木県日光市のわたらせ渓谷鐵道足尾駅にてキハ30-35とキハ35-70が、群馬県安中市の碓氷峠鉄道文化むらにてキハ35-901が、千葉県いすみ市のいすみ鉄道国吉駅にてキハ30-62が、岐阜県美濃加茂市のJR東海美濃太田車両区にてキハ30-51が、兵庫県西脇市の鍛冶屋線市原駅記念館にてキハ30-70とキハ30-72が、兵庫県多可郡多可町の鍛冶屋線記念館にてキハ30-69がそれぞれ保存、及び展示されています。
走行音
キハ350形
録音区間:寺原~西取手(お持ち帰り)
走行線区(特記無い場合は全線)
2025.07.24現在
フォトギャラリー
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キハ30形 木更津駅にて
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キハ30形 先頭部分の拡大
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キハ30形の車体側面
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外吊り式ドア
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留置中のキハ30形 木更津駅にて
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キハ350形 水海道駅にて
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キハ350形の車内
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キハ350形の運転台
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キハ350形 ドア内側部分