2017年10月15日、29年間に渡り西鉄電車の顔として活躍してきた8000形全車両が引退しました。 今回は、最後に引退しました8051Fによる「さよなら8000形ラストランツアー」の様子と、過去に撮影した写真や動画を元に8000形について話したいと思います。
さよなら8000形ラストランツアー
このツアーは西鉄旅行が企画したもので、西鉄2000形引退の時も同様のツアーが組まれていました。 知人の誘いを受け、ツアーに参加することとなりました。 先頭車両の展望席のは満席となっていたようで、8000形の人気が伺えます。
当日、福岡(天神)駅でツアーの受付を済ませてくれた知人と落ち合い、8051Fが到着する3番乗り場に向かいます。
福岡(天神)駅は、乗車専用ホームと降車専用ホームに分けられており、ツアー参加者は普段降車専用ホームから8051Fに乗り込みます。 10:22に発車した8000形は、途中何駅かに退避のために停車しながら、花畑駅に11:31に到着しました。 道中では西鉄の車両課長によるお話があり、8000形への愛を感じるお話を聞くことができました。
福岡(天神)から花畑への道中、車内でデビュー時に配布された8000形のカタログ(再印刷)・8000形引退記念nimoca・引退を記念して作られたスタンプ(2種類)が押された記念乗車証が配布されました。 その後にお見送り用に用意されたフラッグも配られました。
8051Fは花畑駅で30分ほど停車した後筑紫駅に向けて発車しました。 沿線ではあいにくの天気にも関わらず、8000形の最後の勇姿を収めようとカメラを構える人の姿が多く見受けられました。 そして12:30、8051Fは筑紫駅に到着しました。 このあと8051Fは筑紫工場内に入り、展示スペースに置かれました。 8051Fの隣には、今や西鉄の特急を担う3000形の「水都」が展示されていました。
あゝ8000形
私のパソコンに保存されている西鉄8000形の写真の中で最も古いものは2010年のものでした。
このように撮ってはいたのですが、この頃の私の興味は3000形に集中していました。
2014年3月から、8051Fは「大宰府観光列車~旅人~」としてラッピング及び車内改装を受けました。 朝に筑紫から普通運用で福岡(天神)に上り、大宰府行き急行として太宰府に向かい、その後二日市-大宰府を夕方近くまで往復した後筑紫車庫に帰る運用を続けていました。
3番目の動画のような「妖怪ウォッチ」や 聞ける車両辞典に写真で掲載していますが、「西鉄100周年」「純真学園」などのラッピングが施行されて運行されていた時期もありました。
「8000形さよなら運行」
2014年から3年間「旅人」として運用に就いていた8051Fが、2017年9月16日に旅人としての運用を終え、外装や内装もできる範囲で元に戻され、10月8日から特急運用に入る「8000形さよなら運行」が行われました。 往年の勇姿を見よう・撮ろうと、沿線や車内に鉄道ファンが数多く見受けられました。
私は10月9日と13日に撮影を行ったり、乗車して最後の特急運用を楽しみました。
その後、沿線で8051Fを撮り(ましたがどれも失敗)、柳川で8051Fに乗り込み A190→A203→G216→4233と8051Fに連続乗車しました。
(FUKUOKA 1DAY PASSを使用し、柳川-大牟田間は別途乗車券購入で対応)
私と同じく、全区間通しの急行運用を楽しもうとする鉄道ファンが10名ほどおられ、大牟田駅は8051Fの撮影会場となっておりました。
福岡(天神)駅に着いた8051F、それを待っていた鉄道ファンの姿がありました。 そして4233列車として筑紫駅まで行き、車庫に帰って行きました。
最後に
「8000形」と言われると、東急8000系だったり、東武8000系、京王8000系などが挙げられる方が多いと思われます。 幼いころの私にとって「8000形」と言えば西鉄8000形以外いませんでした。そして「西鉄の顔」と聞かれても8000形を挙げていたでしょう。 8000形といえば、同じ年に同じく特急運用を主眼に製造された京阪8000系がいます。 京阪8000系はまだまだ現役のようで、近々「プレミアムカー」に乗りに行きたいと思います。 外面だけ見れば西鉄8000形もまだまだいけると考える人も多いようですが、我々の見えない所で老朽化は進んでおり、引退もやむを得ない という判断になったのだろうと思われます。
西鉄8000形の座席の感触が好きでした。
8000形が颯爽と走っていく姿を沿線で眺めるのが好きでした。
8000形を写真に収めるのが好きでした。
「特急 大牟田」を掲げて、福岡(天神)駅の3番線に佇む8000系を見るのが好きでした。
もう、その姿を見ることは出来ません。 ですが、彼が29年間「西鉄の特急」として看板を背負って立ってきた事が忘れられることは無いでしょう。 29年の永きに渡る活躍に敬意を表すとともに、愛を込めて