「りょうもう」で行く北関東の旅

今回は東武鉄道の特急「りょうもう」に乗って北関東へ出掛けましたのでそのレポートとなります。
目的としては、「りょうもう」(というより200系・250系)に乗ったことがなかったので乗ってみたかったというのと、私にとって東武鉄道最後の未乗区間となっていた佐野線の完乗を果たして、東武鉄道を完乗してしまおうということです。
その他の路線は別の機会に乗りつぶしを済ませていることもあって、昼前にのんびり出発して佐野線だけ乗って戻ってくるというシンプルな内容になっています。

本日の行程

まず浅草駅から「りょうもう」に乗車して、終点の赤城まで乗車後、折り返す形で館林に戻ってそこから佐野線を葛生まで1往復して完乗を果たし、再び赤城まで行って「りょうもう」で一気に浅草まで戻ってきます。
「りょうもう」に乗りつつ佐野線を目指すなら館林で降りたほうが便利なのは言うまでもないですが、全区間乗車したいという私の持病「乗りたい病」が発症し、一旦赤城まで行って引き返す行程となりました。

浅草から「りょうもう」で旅立つ

電車を乗り継いで浅草駅まで向かった私が最初にするのはきっぷの購入です。
今回の旅では「ふらっと両毛 東武フリーパス」というきっぷを使うのですが、これと「りょうもう」の特急券を同時に購入します。
「ふらっと両毛 東武フリーパス」は任意の発駅から両毛地域を中心としたフリーエリアの入口にあたる茂林寺駅までの往復運賃とフリーエリア内の鉄道・バスの3日間乗り放題がセットというきっぷで特急券を追加購入すれば、「りょうもう」も利用可能です。


無事きっぷを買えたらホームへ行きますが、その前に発車標を撮影です。


それでは入場です。
「ふらっと両毛 東武フリーパス」も自動改札機対応なのでスムーズに通過します。


ここでも発車標を撮ります。
それにしても、この時間帯は伊勢崎線系統も日光線系統も共に特急が30分ヘッドなので、浅草駅では1時間に4本・・・JRでもこれだけ特急が走っている路線って限られますよね。


それでは、「りょうもう」とご対面!
駅などで撮影したことこそありましたが、乗ったことはなく、今日ついに乗車を果たせます。


方向幕

と言ったところで乗車します。
ここで「りょうもう」についての解説を挟んでから乗車レポートへと入っていきます。
「りょうもう」は浅草駅と赤城駅・伊勢崎駅・太田駅・館林駅・葛生駅を結ぶ特急で、東武伊勢崎線の主力列車とも言える列車であり、群馬県・栃木県と首都圏を連絡する役割を持っています。
このように運行区間はいくつかのバリエーションがありますが、主力は浅草駅から赤城駅を結ぶ系統であり、利用者の多い時間帯には太田駅までの区間便が追加されます。
一方、伊勢崎駅、館林駅、葛生駅発着は1日に1往復ずつとなっており、これらは通勤客に向けたライナー的な列車と言えますね。
ちなみに、伊勢崎線の終点はその名の通り伊勢崎ですが、ほとんどの「りょうもう」は太田から桐生線に入って赤城発着として運転されていて、本来の終点である伊勢崎は1往復しか乗り入れないという、どっちが本線だかわからない状態になっていますねw

両毛地域は日光や鬼怒川温泉、会津なんかと比べると観光地が少ないこともあって、「りょうもう」の利用者は地元住民の東京への足だったり、沿線にある工業地域の企業関係の業務移動に使われることも多くビジネス特急の色が濃く、観光色の強い「けごん」「きぬ」とは対照的ですね。

車両についてですが、かつて日光線特急として活躍した1700系・1720系(DRC)の足回りを流用して車体のみを新製することで製造された200系という電車がメインで使われ、1本だけ足回りも含めて完全新造された250系が混じって運用されていますが、外観は酷似しているため、200系・250系と一まとめにされることも多いです。これに乗車したかったというのが一番強いのですが、特に200系はいくら車体は新造とはいえ足回りはDRC時代からのものということでかなりガタが来ているであろうことは容易に想定でき、今後500系「リバティ」の増備で「りょうもう」にも本格的に投入されることになれば200系置き換えとなる可能性も高いので早めに乗っておきたかったわけです。


そうそう、車内に自販機があるのが最近の列車では珍しい気がして撮りましたw
おや?


綾鷹だけ販売中止になっていましたw
しかし、自販機側でも販売中止のランプが付いているはずなのに、わざわざ紙を差し入れるのが面白いですね。


あと、エメラルドコーヒーも中止ですが、何故か手書きw


自販機ネタもあったところで発車です。
東武鉄道を使った乗り鉄旅では毎度お馴染みのこの景色から旅が始まりますが、聞こえてきたのはDRC譲りの抵抗制御の音ではなく、VVVFインバータの音でした。
あ、これ200系じゃなくて250系だわw
200系が本命だったのでちょっと残念ですが、復路で乗車する「りょうもう」は往路とは運用番号が別の便を選んでいますし、250系は1編成しかいないことを考えれば復路は確実に200系に当たることが保証されたようなもの・・・200系は復路の楽しみにとっておきましょう。

浅草を出てしばらくは急カーブが続き走行音も大人しいものですが、あっという間に最初の停車駅のとうきょうスカイツリー駅に到着です。
ただ、まだ観光を終えて帰るには早すぎる時間帯なのもあって、乗ってくる人はほぼいませんでしたけどねw
続いては北千住に停車ですが、北千住まではくねくねした線形が続き、やはり特急らしからぬのんびりした走行が続きます。
北千住ではやはり大勢乗車があり座席の半分以上は埋まりましたが、まだまだ満席とは程遠い様子、まあビジネスマンは朝一出発が多いでしょうし、昼前のこの時間帯は需要が少ないんでしょうね。


特急専用ホームがあるので特急停車駅が隣の駅として書かれていますが、日光線系統の「けごん」「きぬ」「会津」「きりふり」「しもつけ」は春日部に停車するのに対して、伊勢崎線系統の「りょうもう」は春日部に停まらず東武動物公園に停車するなど千鳥停車が採用されていることもあって、列車のイラスト付きで区別されているのは面白いですね。

北千住を出ると私鉄最長の複々線区間を生かして特急らしい高速運転が始まります。
音鉄的には一番モーターが唸る見どころ・・・いや聞きどころですね。


高架化工事が進む竹ノ塚駅付近です。

東武野田線(アーバンパークライン)との交差点となる春日部駅も容赦なく通過して東武動物公園駅に到着です。
そういえば、前回東武動物公園に出掛けた際はわざわざ日比谷線から直通の各駅停車で乗り通しましたが、特急だとあっという間ですね。
ちなみに、日光線系統の特急は基本的には東武動物公園駅には停車しないので東武動物公園へのアクセス手段として使える特急は「りょうもう」のみとなりますね。

東武動物公園駅を過ぎて「スカイツリーライン」の愛称もなくなりここからは名実ともに東武伊勢崎線を走っていきますが、ここまでは途切れなく市街地が続いていたのが時折長閑な景色も見られるようになってきました。


東武動物公園駅の次はJR宇都宮線(東北本線)との接続駅の久喜に停車しますが、ここでも意外と乗車が多かったです。
浅草や北千住に出る利便性が低い地域から「りょうもう」を利用する場合はJRで久喜に出て乗り換えるルートも結構メジャーなんでしょうかね。
今は上野東京ラインとして東海道線熱海(一部や沼津・伊東)まで宇都宮線と直通になって、浅草や北千住に出るよりも利便性が高くなったのもあるんでしょうね。
ここでだいたい座席が埋まりました。
久喜を出ると次は館林までノンストップであり、久喜は埼玉県内最後の停車駅となります。


久喜には停まらないものの東北新幹線とも交差しており、その高架橋としばし並走したら東武伊勢崎線は北へ進路を変えて離れていきます。


まだ埼玉県内のはずですが・・・いやぁ、長閑ですねぇ~
ここまで来るともう首都圏ではなくて北関東って感じがします。
こういう車窓を見ながらの乗車は乗り鉄気分を高めてくれます。

そして、群馬県入りして最初の停車駅の館林ですが、今日乗車する佐野線と小泉線という2つの支線が分岐するターミナル駅でもあり、ここでの下車も多かったです。
続いて足利市、太田と停車していきますが、ここまで来ると駅に着く都度下車していく一方で車内は空いていく一方でした。


一部の「りょうもう」が折り返す太田駅ではSUBARUの建物が見えました。
SUBARUといえば、自動車メーカーとして有名ですが、かつては富士重工業という社名であり、鉄道車両も作っていた時代があります。
東武鉄道の電車も作っていたことがあるようですが、現在は鉄道車両の製造からは撤退しています。
で、太田市とSUBARUの関係ですが、SUBARUの発祥は太田市に設立された航空機メーカーの「飛行機研究所」だそうで、その縁からか、現在でも自動車部門の主要な工場を太田市に置いているんだそうです。
もちろんSUBARUというメーカーのことは知っていましたが、太田市に工場があるのは知りませんでした。

太田からは伊勢崎線を外れて桐生線に入っていきます。


館林以北の区間は桐生線も含めて単線となっていて「りょうもう」同士の行き違いもありました。

桐生線に入ってからは藪塚、新桐生、相老、赤城と停車していきますが、ここまで来るとガラガラでしたね。
それにしても、桐生市の市街に近い新桐生や、わたらせ渓谷鐵道と連絡する相老駅が特急停車駅なのは納得ですが、特に分岐路線もなく、主要都市を抱えるわけでもない藪塚が特急停車駅なのは何故なのか気になって調べると、「三日月村」というテーマパークがあり、そこの最寄り駅が藪塚駅なんだそうです。他に藪塚温泉という温泉もあり、観光客の需要を当て込んで特急停車駅にしているんでしょうね。


新桐生駅付近ではJR両毛線と交差しますが、交差部に駅はなく桐生線と両毛線を乗り継ぐことは出来ません。
そういえば、足利市駅もJR足利駅とは徒歩で15分ほど離れていますし、「りょうもう」という列車名なのに両毛線とは接続悪いですねw
なお、伊勢崎発着系統は伊勢崎駅で、葛生発着系統は佐野駅でJR両毛線と直接接続しますが、それぞれ1日1往復しかありませんw


新桐生を過ぎたら後は通過駅はなくお次は相老駅です。
なお、駅所在地の地名としては「相」という表記になりますが、兵庫県にあり山陽新幹線も停車する相生駅と重複するために、あえて表記を変えて「相」とした経緯があるようです。
重複を避ける目的では通常、旧国名を冠するケースが多いので、それに従えば「上州相生」、ないし「群馬相生」あたりが順当でしょうが、当時はまだそのあたりの対応が定まっていなかったのかもしれませんね。


そのわたらせ渓谷鐵道の列車も車窓から見えましたが、今日は見るだけでお預けです。

そして、最後の1区間が終わって終点の赤城に到着です。

赤城駅

特急「りょうもう」の終点にして、東武桐生線の終点でもある赤城駅ですが、直後の折返し列車が「りょうもう」の入線と同時に発車するダイヤであり、乗り換え不可能である可能性が高かったこともあって1本見送った結果、1時間ほどの待ち時間が発生しましたので、それを利用して駅周辺をレポートしていきます。
まあ、以前にも訪れてはいるんですが、記事では取り上げていなかったのでレポートするのは初になりますね。


まずは駅名標


縦型


隣りにいたのは東小泉行きの8000系
前述の通りこれに飛び乗って折り返す案もあったのですが、「りょうもう」の入線時刻と発車時刻が時刻表上ではほぼ同時となっていて、乗り継げない可能性が高いと考えられたため1本見送ることにしました。
実際には「りょうもう」が入線してしばらく経ってから8000系のドアが閉まったのでやろうと思えば折り返し乗車も可能だったようですが、もう1本見送る前提で行程を組んでしまったのもありますし、このまま予定通り行きます。


↑発車シーンは動画撮影


普通列車は短い2両編成なのでホーム奥には停車しないためこんな案内がありました。


別タイプの駅名標


東武としてのホームは1面2線ですが・・・


上毛電気鉄道のホームも隣接していてそれと合わせると2面4線となります。
そのため上毛電気鉄道とは改札を出ずに乗り換えることが出来ます。


乗換案内


今時珍しい気もするホーム上の水場


「りょうもう」ももちろん撮影します。


先発列車の乗り場を知らせるちょっと古いギミックがありましたが、こういうのいいですねぇ。


東武鉄道としては終着駅になるので車止めがあります。


上毛電気鉄道への乗り換えと、改札へ向かうには構内踏切を通行します。


上毛電気鉄道のホーム


上毛電気鉄道の方にも簡易型のICカード用改札機がありますが、実は上毛電気鉄道ではSuica・PASMOなどのICカード乗車券は使えず、この簡易改札機は東武鉄道をICカード乗車券で乗車してきてそのまま上毛電気鉄道に乗り継ぐ人のために設置されているものであり、当駅から直接上毛電気鉄道に乗車する場合は紙の乗車券を駅で購入してから入場しないといけません。


ホーム上から見た駅舎です。


駅名部分をアップにしてみましたが、よく見ると赤城駅との表記に「おおまま」と併記されていますね。
これは当駅の所在地がみどり市大間々町(合併以前は大間々町)であること、当駅の以前の名称が「新大間々駅」だったことからですかね。
ちなみに、所在地の地名ではなく、赤城山に近いとも言えない当駅が「赤城」に改称された経緯ですが、かつて当駅から路線バスを介して「赤城登山鉄道」というケーブルカーに接続し、赤城山へ至る観光ルートが存在し、赤城山観光の玄関口として当駅を「赤城」としたんだそうです。
かつてはバスとケーブルカー・ロープウェイを乗り継いで前橋まで出る観光ルートがあったようですが、現在はいずれも廃止されて、前橋駅からの関越交通のバスが残るのみとなっていますが、大間々町にあるのに赤城駅という駅名になっている事実がその当時を物語っていますね。


改札を出て駅舎内です。
ご覧のように改札も簡易改札機があるのみで、紙の乗車券の人は駅員さんが改札を行う昔ながらのスタイルです。
また、駅そのものは上毛電気鉄道の管轄とされているため、上毛電気鉄道の駅員が勤務しているようです。


時刻表です。東武と上毛電気鉄道で別々になっていますが、東武については到着時間も載っていますね。


何かと思ったら中央前橋駅から前橋駅を結ぶ路線バスがあるという案内でした。
実は上毛電気鉄道の中央前橋駅はJR前橋駅からは1kmほど離れていて徒歩連絡するには若干遠いこともあり、両駅連絡用の路線バスが日本中央バスによって運行されています。
また、これ以外の路線も多くが中央前橋駅を経由する形で前橋駅起点で運行されているため、両駅間のバスの利便性は高くなっています。


それから、上毛電気鉄道ではICカードは使えませんよっていう案内です。
Suicaなどを持っていたらついタッチしたくなりますが、上毛電気鉄道に乗るならばぐっとこらえて切符を買いましょう。


運賃表ですが、なんだかレトロな感じ
東武の管轄駅だったらもっと今風のものに変えられてしまっているんでしょうね。


券売機は東武用と上毛電気鉄道用で1台ずつ設置されていますが、東武がタッチパネルを備えた割と新しそうなタイプなのに対し、上毛電気鉄道は昔ながらのボタン式で、大手私鉄と中小私鉄の格差を見せつけられたような感じw


飲み物の自販機ですが、上毛電気鉄道が保有する旧型電車デハ100形のデザインになっていました。


外に出ました。
駅舎は2003年に建て替えられているようで、割と現代風です。


それにしても、ここも「おおまま」を併記なんですね。
地元としては旧町名である「おおまま」を推したいのが本音だったりするんですかね。
ちなみに、大間々駅はわたらせ渓谷鐵道の駅として別に存在します。


外の自販機もやっぱりデハ100形デザインw
左側は上毛電気鉄道自体のPRのデザインになっているようです。


当駅には駅前ロータリーが整備されていますが、がらんとして寂しい印象・・・


せっかくの駅前ロータリーですが、純粋な路線バスは既になくなっており、「電話でバス」といういわゆるデマンドバスが乗り入れるのみとなっているようです。
デマンドバスっていうと山間部などの過疎集落で走っているイメージですが、こういう市街地が見られる地域でもあるんだなと思ったんですが、両毛地域はモータリゼーションが早くから進んだ地域のようですし、東武バスが群馬県全域から撤退したことを考えるとバス事業者にとっては厳しい地域なのかもしれませんね。


駅舎正面はちょっとした庭園のようになっていました。


そんな中にあった祠(?)


解説によると二十三夜石塔というものだそうで、かつては日本中で月待行事という特定の月齢の夜に集まってお経を詠んだりしながら月を拝む習慣があったようで、その慣習からこのような石塔が作られたんだそうです。
そのような風習があった事自体知りませんでしたが、やっぱり旅は勉強にもなりますね。


と、脇にはこんな石碑がありました。
「上電通運株式会社発祥の地」らしいですが、上電=上毛電気鉄道であるのは推察されるとして、関連会社とかですかね。


もう1箇所出入り口がありましたが、デザインは他と全く一緒ですねw


駅の方はあらかた見てしまったので少し散策しているとこんな建物がありました。
駅前の石碑にも名前があった「上電通運」の事業所のようですね。
そもそも「通運」とは、現在では「鉄道利用運送事業」と呼ばれる事業のことであり、鉄道貨物を利用して顧客の荷物を目的地まで輸送する事業を指します。
現在でも日本通運や福山通運など、社名に通運を含める会社は多く残っていますが、上電通運の場合は、赤城駅に乗り入れる東武も、上毛電気鉄道も貨物輸送を廃止して久しく、現在は通運業ではなく、運送業や倉庫業が主体の事業形態になっているようですね。
また、どうやら上毛電気鉄道の関連会社というわけでもないようです。


駅周辺をしばらくぶらついた後、駅付近の線路際で足を止めました。
作業員や乗務員の詰め所なのかこんな建物がありましたが、現役かどうかも怪しいボロさですねw


何かの屋根と思われる部分が放置されていました。付近にはいろんなものが散乱していますし、ここは解体場とかなんでしょうか。


あと、足元に目をやると「大間々町」と入ったマンホールの蓋を発見しました。
現在は合併してみどり市となっているので、これは合併前に設置されたものなんでしょうね。こういう発見は確かに面白く、世の中にはマンホールの蓋の図柄を撮影して回るような趣味の方もいらっしゃるようですが、ちょっとだけそういう方たちの気持ちがわかった気がしましたw


で、こんなところで足を止めた理由は電車の撮影に向いてそうだったからです。


8000系も首都圏では絶滅危惧と言ってもいい状態ですし、撮れるうちに撮っておくに越したことはありません。


↑動画もどうぞ


あと、上毛電気鉄道の700型です。


これは元京王3000系ですが、現在は上毛電気鉄道の主力車種です。


↑動画もどうぞ


↑続いて対向の西桐生行きも撮影です。

と言ったところでそろそろ駅に戻ります。


ホームに入ると先程撮った8000系が既にドアを開けてスタンバイしていましたが、発車まではしばらくあるので・・・


改札が共通であることを活用して上毛電気鉄道のホームにも行ってみました。


簡易改札機です。
ホームに向いている方が入場というのは変な感じですが、上毛電気鉄道でやってきて東武に乗り換える人は、東武としては入場することになりますからね。


駅舎内や外にもオリジナルデザインの自販機がありましたが、ホームにもありました。
今度は鉄道むすめのデザインのようです。
ちなみに、上毛電気鉄道のキャラクターは「北原ゆうき」というそうで、名前の由来は沿線にある「北原駅」と、「桐生球場前駅」のひらがな表記「きりゅうきゅうじょうまえ」の一部をとったもののようです。


雪国というわけではない土地柄ですが、立派な待合室が用意されていました。
そういえば、群馬県では「赤城おろし」と呼ばれる冬季の冷たい北風が吹くそうで、それを考慮して立派な待合室を用意しているのかもしれませんね。


気になったのは時刻表と並んで運賃表があったことです。
ホームに運賃表を掲げているのは珍しいようにも思いましたが、ICカードで東武に乗ってきてそのまま上毛電気鉄道に乗り換える人は運賃を着駅精算することになりますし、ホーム上で運賃を把握してもらっておいたほうが、後々駅員的にも助かるということなんでしょうかw


上毛電気鉄道の駅名標


縦型


名所案内もありました。


それでは8000系に乗って一旦赤城駅を後にします。

館林へ移動する

赤城駅から乗車した8000系でまずは太田を目指して、伊勢崎線で館林へ出る計画だったのですが、乗車した列車は小泉線に直通する東小泉行きであり、調べてみるとそのまま東小泉まで行って館林行きに乗り換えたほうが数分ですが館林へ早く到着することがわかって急遽小泉線経由に変更となりました。
実は館林~太田間は伊勢崎線と小泉線のダブルルートが成立していてどっちに乗車しても往来することが出来ます。
また、メインルートであり、特急「りょうもう」も走る伊勢崎線経由が20.1kmですが、小泉線経由だと16.2kmと、実は小泉線経由のほうが距離が短いのですが、小泉線は東小泉~太田間は桐生線と一体化して赤城~東小泉間の系統と、西小泉~館林間の系統に分かれており東小泉で乗り換えが必要であり、この接続次第で小泉線経由が早い場合と、伊勢崎線経由が早い場合でばらつきが出るようです。
面白いのが、小泉線の営業キロを割増して伊勢崎線経由と同等の営業キロになるように調整していることで、そのためどっちに乗っても営業キロは全く同じで運賃に差が出ないようにしているようです。JRの経路特定区間や列車特定区間、あるいは大都市近郊区間の特例のようにどっちに乗っても短い方のキロ数で計算する特例でも設ければ済む話じゃないかと思いますが、それをやると結果的に遠回りの方の伊勢崎線を利用する乗客に対しては値引きをすることになって運賃収入が減ってしまうという皮算用もあったのかもしれませんねw


そして、東小泉駅に到着です。
ここから先は館林行きへ乗り換えですが、調べると一旦西小泉駅に行ってから折り返しても同じ列車になることがわかり、せっかくのフリーきっぷなので西小泉駅に行ってから折り返すことにしました。
東小泉駅も以前に訪問済みですしねw
ちなみに、当駅、及び西小泉駅、小泉町駅の所在地は「大泉町」であり、大きいのか小さいのかはっきりしてほしい状態になっていますが、これは開業当時は町名も小泉町だったものの、1957年に小町と川村が合併して、それぞれ1字ずつ(太字部)を取って大泉町としたため、駅名と町名が食い違っているようです。いわゆる合成地名の1つですね。


というわけで西小泉駅にやってきました。
ここが小泉線の終点であり、館林からの系統のみが乗り入れていますが、小泉線の前身となる中原鉄道という会社が館林~小泉町間を開業させたのがルーツですから、西小泉~東小泉間を支線として扱うよりは、太田~東小泉間を支線と考えたほうがより歴史的経緯に即していますかね。

これで館林まで行っていよいよ佐野線に乗ります。

館林駅にて

館林では20分ほど乗り換え時間があるのでホーム上での撮影などしながら時間を潰します。
なお、葛生まで行って戻ってくるときも同様に20分程度滞在時間があるので、駅舎など外の撮影はそっちに回します。


駅名標


小泉線の列車はこのような切り欠きホームから発車します。


やっぱりあった「りょうもう」のアフィw


「りょうもう」も来るようなのでそれを撮っていきましょう。


まずは伊勢崎線の8000系


↑動画もどうぞ


そして、「りょうもう」のお出まし
しかも、ただの「りょうもう」じゃなくて普悠瑪(プユマ)塗装でした。


後追いでもう1枚


↑動画です。


↑逆方向の「りょうもう」の発車シーン


そういえば、気になったのが車掌がホームの安全確認をするためのモニターに標語のようなものが取り付けられていたことです。
「ホーム末端まで 安心するな!目を切るな!」


別のホームにはまた別の標語が付いていました。
「迷うな!常に安全側!」


それでは佐野線乗り場へ行きます。


コンコースには1800系記念乗車券のポスターが出ていましたが完売のようですw


こちらが佐野線が発車する1番線


1番線は佐野線専用なので隣の駅は片方だけ書かれていました。


ここでもやぱり8000系・・・いや800型でした。
800型というのは結局8000系の仲間だったりするんですが、どう違うかというと連結両数です。
8000系は2両・4両・6両・8両と編成のバリエーションがありますが、2両では足りないが4両では輸送力過剰となる線区向けに8両編成からサハ(付随車)を2両抜いて6両としたものを2分割して3両2本を作りました。
元々の連結位置によって800型と850型に分かれますが、正直車番を見ないと区別が付きませんw

それではこれより佐野線乗りつぶしが始まります。

東武佐野線

恒例ですがまず解説から入ると、佐野線は館林駅と葛生駅を結ぶ22.1kmの路線です。歴史としては1890年に葛生で採れた石灰石を運ぶための馬車鉄道として開業した安蘇馬車鉄道がルーツであり、当初は葛生から渡良瀬川沿いの越名駅(現存せず)までであり、渡良瀬川の水運を利用して東京へ運んでいたようです。
後に馬車鉄道では輸送力不足となったことから蒸気機関車を導入して佐野鉄道となり、1912年に東武鉄道に吸収されました。東武鉄道としては当時日光方面への路線建設を計画しており、当時は館林より分岐して佐野・葛生を経て鹿沼・日光へと至るルートで計画されていたこともあり、計画ルートに重複する佐野線を買収した経緯があったようです。
しかし、結局日光への延伸は栃木市を通る現在のルートに変更となり、佐野線は日光への幹線ルートに組み込まれることはありませんでした。地図で見てみると確かに葛生から一直線に線を伸ばしていけば鹿沼にぶつかるので、そういうルートもあり得たなと思いますが、もし実現していたら伊勢崎線の浅草~館林間は太田・赤城方面と日光・鬼怒川・会津方面すべての特急が集まる区間となって今以上に賑やかな区間になっていたんでしょうね。
また、現在実施されているJRと東武の直通特急も栗橋ではなく久喜で東武線に入るようになっていたでしょうね。

このように、結局は単なるローカル線となった佐野線ですが、開業当初からの目的だった石灰石の貨物輸送は近年まで続いており、葛生駅から先へもいくつかの貨物線や専用鉄道が分岐していた栄光の時代もありましたが、1997年までにトラック輸送に切り替えられるなどして廃止され、最後まで残った久喜~北館林荷扱所間の石油輸送が2003年に廃止となったのを最後に東武鉄道の貨物輸送は終焉を迎えました。つまりは佐野線は東武鉄道で最後まで貨物列車が走っていた路線の1つということになりますね。

そして、現在の佐野線についてですが、普通列車はわずかに佐野~館林間の区間運転がある以外はほぼ全ての普通列車が館林~葛生間の全線を走破する列車となっており、逆に他線区との直通は特急「りょうもう」を除き行われていません。
その「りょうもう」は朝に浅草行き、夜に葛生行きが1本ずつ設定されているのみであり、実態としてはホームライナー的な列車と言えますね。


館林駅を出てしばらくするとこんな車両基地のような場所が見えてきます。
ここは先ほども出てきた北館林荷扱所というところで、かつては貨物駅として使われていました。
貨物輸送がなくなった現在は廃車される車両の解体場として使われており、東武鉄道はもとより、首都圏の私鉄各社、東京都交通局に地方私鉄まで様々な鉄道会社で廃車された車両の解体を請け負っています。
つまりは、ここに並んでいる車両たちは解体を待つ身ということであり、そう思うと切ない思いもしますが、人も車両もいつかは終りが来るものですからねぇ・・・


渡良瀬川を渡って栃木県佐野市へと入ります。
佐野線は短い路線ながら何気に県境を跨いでいる路線なんですよね。


佐野駅ではJR両毛線と交差します。


路線名にもなっている佐野駅に到着しました。
佐野ラーメンが有名ですね。


JRの駅名標もズームで頑張ってみました。


その先は長閑な田園風景が続きます。


佐野あたりまではそれなりに乗っていたんですが、終点が近づくとご覧の閑散っぷりw
日中は1時間に1本程度しか走らない佐野線ですが、これを見てしまったら納得せざるを得ないですね。
多くのローカル線の例に漏れず、主要な利用者層は高校生であり、朝夕以外は需要が少ないんでしょうね。


葛生の1駅手前は多田(ただ)です。
ここまでの運賃もタダ?w

と言ったところで終点の葛生に到着です。

葛生駅

当駅到着をもってついに東武佐野線、ひいては東武鉄道完乗を達成しました!
ここでは10分にも満たない滞在時間になるため駆け足で取材をこなしていきます。


乗ってきた800型


駅名標です。


縦型


ホームは1本しかなく1面1線となっていますが、側線群が広がっているため構内は広いです。
かつては貨物ターミナルとしての役割があったので、その名残とも言えますが、最盛期には20本もの線路が広がる巨大なターミナル駅であり、東武鉄道最大のターミナルだった時期もあるようですよ。
なお、使われなくなった側線の跡地(写真右側にちらっと写っています)は太陽光発電所として転用されているんだとか。


ホームは一部分だけ屋根がついていました。


今はホームの広さに対して閑散っぷりが目立ちますが、朝夕の通学時間帯は混み合うんでしょうかね。


名所案内ですが、徒歩でも行けそうなのは「葛生原人出土跡」くらいではないですかねw
それ以外は路線バスなどのアクセス手段もないですし、タクシーを使わないと無理そうですが、そういう名所を載せているのは東武に限らず全国的な傾向ではないかと思います。


こういうホームは小さいけど構内は広い駅は、博多南駅を彷彿とさせます。(規模は段違いですけどねw)
ちなみに、これら側線群は現在は留置線として使われていて、「りょうもう」を始め夜間滞泊に使われているようですよ。


それでは時間もないので改札へ急ぎます。


改札機はなくICカードの人は簡易改札機にタッチしますが、紙の乗車券の人は駅員さんに見せる昔ながらのスタイルです。
また、時間帯によっては無人になるのでその間に対応するために乗車駅証明書発行機もあります。


駅舎です。
2014年に建て替えられたばかりのようでまだまだ新しさが残っています。


駅前にあったのは立派なお寺さんでした。
ていうか、駅のものより車寄せが立派ですねw
ちなみに、当駅の敷地内にはバスの乗り入れはありませんが、少し離れたところに佐野市営バス葛生車庫があり、そこが事実上のバスターミナルとして機能しているようです。


ヘキサ(県道標識)を発見!
正式には栃木県道123号葛生停車場線というそうですが、名前の通り葛生駅へのアクセスのための県道です。


それではホームに戻ろうと思ったらこんなメッセージが掲げられていました。
こういうちょっとした気遣いは気分がいいですよね。

それでは、館林に戻ることとします。

2度目の館林駅

構内の撮影は先程済ませましたが、まだ外には出ていなかったのでここで外部の撮影をこなします。


と、その前にまた「りょうもう」がやってきたので撮影


コンコースにあったSL大樹の宣伝
そういえば、何だかんだ乗れてませんね。


改札です。


脇にはパンフレットと並んでスカイツリーが鎮座


自由通路のようですが、天井が高く開放的ですね。


自由通路の出口


駅前にあった石碑です。
「文福」と聞いて「文福茶釜」の昔話を連想する人も多いでしょうが、このモデルとされているのが館林市内にある茂林寺(伊勢崎線の駅名にもなっていますね)というお寺に伝わる伝説なんだそうで、館林と分福茶釜は縁深しということになりますね。
また、巨人軍云々の話ですが、その茂林寺の近くに文福球場という野球場があったそうで、かつて巨人軍がそこでキャンプをやっていたそうで、それが現在の巨人軍の礎を築いたということで石碑になっているようです。


いわゆる橋上駅舎ではないので東口の改札は別に設けられていました。


駅舎全景


ロータリー


駅前にいたのは「広域公共路線バス」というコミュニティバスであり、周辺の板倉町、千代田町、明和町、邑楽町を含めた1市4町が共同で運営するものだそうです。
元々は東武バスが市内各所に路線網を持っていましたが、群馬県内から撤退してしまい館林市は日本で唯一の一切路線バスが存在しない町だった時期もありましたが、その代替としてこの「広域公共路線バス」が設定された経緯があるようです。
この路線を使うと東武日光線の板倉東洋大前駅や赤岩渡船を介して埼玉県熊谷市に抜けることも出来るため、市内だけでなく広域交通も担っているようです。
コミュニティバスって、各自治体がバラバラに設定することが多く、極力市町村内で完結するように設定されたりすることもあって、必ずしも住民の利便を優先できていないケースも散見されますが、ここは周辺市町が合同で運営するおかげで利便性を確保出来ている印象ですね。

それでは今度は西口へ行きましょう。


コンコースには「駅ナカ文庫」という簡易の図書館のような場所がありました。
どうやら借りたい本があったら用紙に記入して持ち帰り、読み終わったらここに戻すというかなり利用者の善意を信用した運営形態のようですが、これが成り立つというのはそれだけ治安がいいということでもあるんでしょうか。


日清製粉の工場が見えました。
主要駅の近くに工場があるということは、かつては鉄道で原料や製品を運んだ時代もあったんでしょうかね。


西口に出てきました。


西口はどうやら整備の真っ最中のようでした。


だって、実物がこれですもんw
まだまだ完成へは程遠いようですね。


続いては伊勢崎線でまずは太田を目指しますがここもやっぱり8000系w
首都圏近郊ではなかなかお目にかかれなくなりましたから乗れるのは嬉しいことなんですが、これだけ続くとだんだん飽きてくるw


隣には1000系が停まってました。
日中は、伊勢崎線における特急以外での都心部からの直通は久喜が北限となりますが、朝夕ラッシュ時を中心に浅草~館林直通の区間急行が走るため、都内や埼玉県内での運用がメインの車両もたまに館林にも顔を出します。(ごく僅かですが太田から浅草まで直通の区間急行もあるようです)


その奥にいたのは20000系のようですがなんか塗装が違う!?
噂によると日比谷線直通運用が70000系に置き換えられて余剰となる20000系の一部を短編成化、ワンマン化改造の上、北関東地区のローカル線に転用するという説がありますから、それに向けて帯の色も変えるということなんでしょうかね。

それでは、今度は小泉線ではなく伊勢崎線で太田に向かいます。

太田駅

赤城へ向かうにはもう1回乗り換えが必要になりますので、ここ太田で小休止となります。


駅名標


乗ってきた列車は伊勢崎行きですが、当駅でしばらく停車するようです。


↑桐生線からやってきて東小泉行きの8000系が入線してきました。


続いて「りょうもう」が入ってきました。
これの折返しが私が浅草へ戻るときに乗る列車になります。


これも発車シーンを撮ります。


↑続いて伊勢崎行きの発車も撮ったら駅取材を開始します。


ホーム上にも「りょうもう」の特急券券売機がありました。


これより先に電車は止まらないという案内でして、これは「りょうもう」も含めて全列車が止まらないということのようです。
実は1~4番線の北側は7~10番線という別の番号が付けられていて、別の乗り場として扱われているようなのですが、現在これらのホームに停車する列車は設定されておらず列車が止まらないホームになったようです。
以前のダイヤでは伊勢崎線は伊勢崎~太田と太田~館林で運行形態が分かれていて、なおかつ、桐生線、小泉線との平面乗り換えを実現しようとすると縦に電車を並べるこの方式が有利だということでこの構造が採用されたんでしょうが、現在は伊勢崎~館林間が基本的に直通運転となったので乗り換えの必要はなくなったこともあり、7~10番線の運用は停止され、ただ列車が通過するだけの遊休施設と化してしまっているようですね。


あと、ここにも水場がありました。


ホームですが、7~10番線はホーム端部分に別の名前をつけているだけなので、実質的には3面6線の高架駅です。


コンコースへと降りてきました。


乗り場案内ですが、今は使われていないこともあり7~10番線の表記はありません。


コンコースの脇にはちょっとしたギャラリーのようなスペースがありました。


1800系引退関係の展示
私も1回だけ1800系に乗ったことがあったんですが、元々は「りょうもう」として走っていた車両ですし、古くから伊勢崎線沿線に住んでいる方ほど愛着があるかもしれませんね。


可愛らしい「普悠瑪」の模型ですが・・
おや?なんだか仮面ライダーが乗っているぞw


あと、気になったのがマンションのベランダに猫よけのために設置するかのような柵がありましたが、改札をスルーしてここを乗り換える輩が後を絶たず、対策としてこのような柵が設けられたんでしょうか。


私はもちろん正規の改札を通って外へ出ます。


ライトアップ用の照明まで付いて破格の扱いの石碑ですが、どなたの石碑なんでしょうか・・・
もっと近くで撮っていればちゃんと字を読めたのでしょうがね。


駅前の様子です。何やら水蒸気が出ているのにお気づきでしょうか?
「ドライミスト」という微細な水蒸気を散布して局所的に涼しくする冷房装置の1つなんですが、両毛地域の夏は暑いというイメージもありますし、真夏に来た場合はこの装置はありがたいものになるんでしょうね。


そして、先程の石碑の写真でも見切れていましたが、「SUBARU」の建物です。
太田市がSUBARUのいわゆる企業城下町であることは既に触れていますが、SUBARUの敷地となっている一帯は「スバル町」という正式な地名が付けられているくらい、太田市とSUBARUの関係は深いようです。


反対側へ抜ける自由通路がありました。


おや?わざわざ歩行者専用道路の標識があるということは、もしかしてここは公道扱いなんでしょうか?


駅名を撮ったら自由通路を抜けて向こう側に出てみましょう。


中にはラジオ局の公開スタジオ(?)が入っていました。


その先にも屋根にドライミストが付いていました。


こちらが南口
というわけでそろそろ時間なので構内に戻ります。やっぱり時間に追われながらだと特に大きな駅はあまりしっかりした取材は難しいですね・・・w

それでは、普通列車で赤城へ行って「りょうもう」で一気に帰路につきます。

「りょうもう」で東京へ戻る

今回はそんなに詰め込んだ内容ではなかったですが、4月の静岡以来遠征もしていなかったこともあって意外に疲れてきました。
しかし、あとは「りょうもう」でのんびり座って帰れるわけで特急はやっぱりありがたいですね。


乗ってきた8000系と「りょうもう」
ただ、3分折り返しなのでじっくり撮っている暇はありませんw


「りょうもう」単独でも撮ったら乗車です。

基本的に往路の逆になるだけなのであまり書くこともないのですが、違いを上げるとすると250系ではなくて200系だったことと、往路で乗車した便では通過していた羽生、加須にも停車することくらいでしょうか。
200系の走行音は抵抗制御ということで特別に特徴のあるものではなかったですが、これが聞きたくてこの旅を企画した部分もありますし、満足でした。
あと、赤城駅を17時以降に発車する便は「夜割」の対象となって特急料金が安くなるのですが、私が乗った便も該当しており、ちょっとお得に利用できました。
乗車率ですが、赤城発車時点ではそれほど乗っておらず、太田、足利市、館林からの乗車が多く、客層はやはりビジネスマンがメインでしたね。

久喜で結構入れ替わるのも往路と同じ傾向であり、北越谷からの複々線区間も快調に飛ばしていましたが、北千住手前では先行列車が遅れていてちょっとつっかえました。
道路でも高速道路は順調でも出口のインターチェンジで渋滞するのはあるあるですしねw
あと、とうきょうスカイツリー駅からは浅草行きに限って1区間だけですが、特急券無しで乗車できる特例があり、それで乗ってくる人たちが若干名いました。
確かに特急は北千住で降りてしまう人が多く、浅草まではガラガラになることも多い上、浅草付近の東武線は普通電車の本数がそれほど多くないので、特急にタダで乗せるのはいいサービスだと思いますが、最後の1区間で車内が騒がしくなることも多いので音鉄的には微妙だったりしますw(今回は平日&時間が遅いのもあってそれほど騒がしくなりませんでしたけどね)
まあ、逆に1区間だけでもいいから乗れればいいなんて方は、この1区間だけ乗れば特急券を買わずに特急型車両の乗り鉄が出来るということではありますから、うまく使えばいい特例かもしれません。


夜の浅草の景色を見ながらついに終点浅草に到着です。


浅草駅名物の橋渡しを見たら帰るとしましょう。


と、隣りにいたのは「リバティ」ですが・・・


よく見ると「リバティりょうもう」の館林行きでした。
現在「りょうもう」では唯一の500系充当便となっていますが、これが今後拡大していくのか動向に注目ですね。


最後に「リバティりょうもう」の発車標を撮ったら撤収です。
そういえば、以前に乗った「アーバンパークライナー」も出ていますね。

ということでレポートは以上!
これにてようやく溜め込んでいたレポートはなくなり肩の荷が下りた気分ですが、どうせまた近々何かしらに出かけることになりそうですし、それまでに溜まった写真や録音の整理、余裕があれば聞ける車両時点やSimuTransプロジェクトの更新などやりたいと思います。

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関東を拠点に鉄道旅行を楽しんでいます。また、写真撮影や走行音の録音もしています。 サイトの方ではそれら写真や録音も公開していますのでぜひご覧ください。
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