(たまたま)宮原線跡を訪ねて…

こんにちは。副管理人の西鉄8000系です。
前回にブログ記事を書いたのが今年の正月なので、これまた久々の投稿になります(焦)

さて突然ですが、わたくし副管理人、仕事の関係で今年度から関東から九州に生活の場所を戻しまして、
引っ越してきてしばらくは多忙だったので趣味の撮影にも行けずじまいでした。
それも落ち着いてきたある日、西鉄好き氏とテクニカルエンジニアのyamanomi氏から日帰り旅行のお誘いをいただきまして、
車であちこち行ってきたわけですが(詳しくは西鉄好き氏が執筆されたこちらの記事を参照ください)、
その旅の途中、旧国鉄の路線である宮原線の跡をいくつか訪れました。
その後ATSメンバー内で、そこでの模様をもっと詳しく紹介できないかという話になりまして、
今回、(普段あまりサイトの仕事ができていない)副管理人が、宮原線跡を訪れたレポートを紹介させていただくことになりました。

今回の日帰り旅行を全体的に紹介している西鉄好き氏の記事と一部被る部分もありますが、
その記事では紹介できなかった物も今回取り上げておりますので、是非最後までご覧ください。

そもそも「宮原線(みやのはるせん)」って?

まずは宮原線の概略から紹介しますと、
この路線は久大本線の恵良駅を起点に、大分・熊本県境を越えた肥後小国駅までの26.6kmを結ぶ非電化ローカル線でした。
起点・終点駅を含めた線内の駅数は6つ(恵良、町田、宝泉寺、麻生釣、北里、肥後小国)で、
全ての列車が久大本線の豊後森駅(恵良駅の隣)まで乗り入れていました。
人口の少ない山間部を走り、かつ人の行き来が少ない県境を越える路線であったため、輸送量が伸び悩み、
国鉄分割民営化前の1984年(昭和59年)に廃止となってしまいました。

突然現れた廃駅跡

元々、私たちは宮原線の跡に行く予定は全くなかったんです。
でも、国道387号線の町田バイパスを車で走っていたら、いきなり現れたんですね。
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これが。(笑)
突然の廃駅(これはホーム跡ですね)に驚く三人。
急いで車から降ろしてもらった私はカメラを片手に撮影を開始します。
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ここは宮原線の町田駅跡でした。駅名標がいまだに残っているなんて、感激です!
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ホーム跡から下を見下ろすと結構高さがありました。ホームから下に降りる長い階段は間違いなく駅の構造物。
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階段を降りて後ろを振り返ってみました。やはりこれはホームに続く階段のようです。
…レンズが汚れていたのに気付かなかったのが悔やまれます(泣)
訪問後に町田駅のことを調べてみた結果、
この階段を登った先に簡素な木造駅舎があり、そのすぐ横に単式ホームがある、という構造だったことが分かりました。
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町田駅跡から見た駅前の様子です。駅のすぐ近くに民家が密集していますね。
さて、お二人を車の中で待たせてしまっているので、この辺で撤収しましょう。

鉄道記念公園と竹筋コンクリート橋

町田駅跡を出発したところで、ネット検索などにより、
現在走行中の町田バイパスがどうやら宮原線の廃線跡だということがはっきり分かったため、
この後登場するであろう遺構もせっかくだから見学しようということになりました。
そして走行中の車内から遺構を探していると…
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鉄道記念公園になっている北里駅跡に着きました!
ちなみにこの駅跡付近には、著名な細菌学者・医学者である北里柴三郎の生まれた家が残っています。
そういえば、この中央のキャラクター、妖怪ウ○ッチに出てくるやつらしいですが、ポケモン世代の私には全く分かりません…(笑)
その後ろには石積みのホーム跡みたいなのが残っていました。でもこれ、後日調べてみたらホーム跡じゃなかったんですよ。
その辺りは後で詳しく書くとして、
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ホーム跡(のようなもの)の後ろにはこんな感じで草むした広場が広がっていました。
これはこの駅が現役の頃からあったスペースのようで、コンクリートの柵の先は大きな崖になっています。
こういうコンクリートの柵の意匠、いいですね~
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そして、ホーム跡(のようなもの)のすぐ近くに、こんな階段があるんですが、
これ、先程の写真にあったコンクリート柵の向こうの崖の下と、この写真を撮っている自分が立っている崖の上を結ぶ階段通路なんです。
この駅が現役だったころは崖の下に駅舎、崖の上にホームがあったため、この階段は駅舎とホームを結ぶ連絡通路の一部だったわけです。
ただ、この階段、ホーム跡(のようなもの)からちょっと離れたところにあるんで、現地にいた時はそこが自分の中で引っかかっていました。

というわけで後日、北里駅のことも詳しく調べてみたんですが…
この駅が現役の頃のホームは、この階段を登ってきたすぐのところ(この写真の手前部分)に設置されており
現在、北里駅にあるホーム跡(のようなもの)は、営業時に使われていたホームをぶっ壊した後、記念碑的なノリで新しく建設された物なんですね…orz
熊本県小国町の「旧国鉄宮原線遊歩道←pdfファイルです」の観光案内(北里駅跡の説明は5番)にも「ホームを模したもの」と記述があるので間違いないと思われます。
まあ、このような形で北里駅跡だとはっきり分かるように保存されていることに感謝しましょう(笑)

で、階段の話に戻りますが、試しに降りてみたところ、コンクリートは劣化しているわ、じめじめしていて変な虫が出てきそうだわで
色んな意味で危険を感じ、最後まで降りるのをあきらめました…
まあ、事故や怪我があった後では遅いですからね。
ですが、階段の向こう側(崖下側の階段出入口)は塞がっていないようだったので、
googleマップで見つけた、崖の上から崖の下に降りられる坂道を通って崖下まで行き、
そこで、階段のもう一つの出入口が無いか、yamamomi氏と一緒に調べてみることにしました。

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坂道を下っていますと、コンクリート橋がありました。宮原線の遺構の一つである「北里橋梁」です。
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実は文化庁の有形文化財に指定されているんですね~、鉄道の遺構がこういう形で指定を受けているのを見るのはなんだかうれしいです。
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北里橋梁を振り返ってみてみます。橋の上は遊歩道になっている「らしい」ですが、あまり時間がなかったので実際の踏破はお預けです…(泣)
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北里橋梁をくぐってしばらく歩くと、北里駅跡がある高台の下にやってきました。
北里の集落はこの周辺に広がっているため、かつてはここが北里駅前だったものと思われます。
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いかにも昔駅舎があったような空き地がありました。上の方にちょっと見えている欄干みたいな物は北里駅跡の広場のコンクリート柵です。
で、当初の目的であった、北里駅跡のホーム(のようなもの)のすぐ近くにある
階段通路のもう一つの入り口を探していると…
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先程の空き地の左手にありました!でもこれはあまり近づきたくないwwww
夜に来たらいろんな意味でこわいでしょうが、宮原線の現役当時を今に伝える貴重な遺構であることは間違いありませんね。
かつてはこの階段の手前に改札口や駅員室があったりしたんでしょうか。

北里駅跡を堪能した副管理人とyamamomi氏、この後、西鉄好き氏の車に拾ってもらいまして、宮原線の終点であった肥後小国駅(熊本県小国町)方面へと向かいます。

出口が見えないトンネルの中へ

車で走っていますと、
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こんなコンクリートの橋を見つけました!
かつてはこの上に宮原線のガーター橋がかかっていたことを思わせるつくりですね。
すぐ近くにこの橋へと続く脇道があり、そこを登ってみると、
この橋は人が通ることを前提に整備されているようだったので、実際に渡ってみることにしました。
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橋を渡り終え、自分が来た方向を振り返って見ます。まっすぐに森の中を突き進む線路跡がすごく印象的です。
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この橋は簡易保険の融資施設なんですね… 恐るべし郵便局(笑)
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橋の先も森の中を突き進む遊歩道になっていました。これは先に進んでみるっきゃないですね。
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しばらく歩いていると、森の中の遊歩道がなんだか暗く、そしてひんやりしてきました。奥に何かありますね…
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トンネルだぁぁぁぁぁぁぁ!副管理人、年甲斐もなくはしゃいでしまいました…(笑)
遊歩道を歩いていてだんだんひんやりしてきた原因はどうやらこれのようです。
この写真を撮った地点に立っていると、まるで自分が冷蔵庫のドアを開けてその前に立っているような感覚になりましたね~

このトンネル、今は真っ暗ですが、人の通行用に照明スイッチが壁についておりましたので、
照明を付けてから、副管理人と西鉄好き氏の2名でトンネル内部へ突撃しました。
このトンネル、自分たちが入ったところから見ると右に緩やかにカーブしておりまして、歩いても歩いてもなかなか出口が見えません。
上から水がしたたり落ちているのもあって、トンネルの中はその辺のエアコンを利かせた部屋より涼しかったです。
歩くこと約5~6分、無事にトンネルを抜けることができました。 22
どうやらこのトンネルの名前は北里トンネルというみたいです。
後日調べましたら、このトンネル、長さが298.24mありました。
トンネルがカーブしていたせいで出口がなかなか見えなかったのもありますが、どうりで地味に長く感じたわけです。
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トンネルを抜けた先は相変わらず森の中の通路が続いています。道路がトンネルの出口のすぐ近くをオーバークロスしていました。
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ここから2名でもっと先へ進むことも検討しましたが、今抜けてきたトンネルの向こう側で乗ってきた車の番をしてくれているyamanomi氏にも悪い上、
遊歩道の終点が近いのか遠いのか分からないまま先に進み続けるのもキリがないということで、この辺で引き返すことにしました。
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というわけで、もう一度トンネルを抜けて帰りましょう!
なお、トンネル内の照明をつけたときの様子はこんな感じです。また、このアングルからだとトンネルがその坑口部分から早速カーブしていることが見て取れると思います。
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トンネルの中はこんな感じです。トンネルが全体的にカーブし、足元もそんなに良くないため、
真っ暗な中で通ったらいろんなところにぶつかったりつまづいたりしそうですので、やはり照明は必須でしょうね。

トンネルを抜け橋をもう一度わたり、車へ戻った後は、再び肥後小国駅方面へと移動を開始します。

ちょっとの工夫が優美な外観に。

車で移動することしばらくして、本日最大の目玉と言っても過言ではない宮原線の遺構に出会いました。
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それがこれ、幸野川橋梁です。
この橋梁、1939(昭和14)年頃に建設されたんですが、当時の日本国内の鉄不足のために、コンクリートの中に鉄筋を入れる「鉄筋コンクリート橋」ではなく、
鉄筋の代用品として竹を入れた「竹筋橋」として建設されたのではないか、という説があります。そんなこともあって、
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こちらも文化庁の登録有形文化財に指定されているんですね~
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夕日が当たる方向から幸野川橋梁を見てみます。
この橋梁は「スパンドレル」と呼ばれる特徴的な透かし穴が橋梁本体にあしらわれており、残り6つある他の宮原線の橋梁には無い、非常に優美なデザインとなっています。
コンクリート橋といえど、デザインをちょっと工夫するだけでこんなにも印象が違うものなのだな~と思った副管理人でした。
…ですが、この橋梁も
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やはり老朽化が進行しているようですね。コンクリートが剥がれて下に落ちることを防ぐネットが張られていました。
登録有形文化財ですからこのままボロボロになることはないでしょうが、これからどのように補修・維持していくのかは気になるところです。

色々な考えを巡らせつつ幸野川橋梁を観察していると、上から声が。
なんぞや?と思って見上げると、幸野川橋梁から西鉄好き氏が私を呼んでいるっ…!
そうです、この橋梁も人が通れる遊歩道として整備されているんです。
橋梁の入口へと続く険しいけもの道を登ると、
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こんな感じで人が通れるようになっていました。この先にも遊歩道は続いているようです。
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後ろを振り返ると、こちらもまだまだ遊歩道が続いていますね。この先にさっきのトンネルやらがあるんでしょう。
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橋梁の上から周辺の景色を眺めます。なんかどこからか「にゃ○ぱす~」とかいう声が聞こえてきそう。(真顔)
…そんなことはどうでもいいとして、橋梁の上から眺める阿蘇の山々や田畑は格別でした。
私はこういう夕暮れ時の景色が特に好きなので、ここに来てこのような景色を見ることができてうれしかったですね~

景色を楽しんだ後、さっき登ってきたけもの道を降りていると…
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なんと、国鉄の境界杭がいまだに残っているではありませんか!
国鉄の境界杭は廃線跡の遊歩道とかにちらほら残ってたりしますが、ここもその例外ではありませんでしたね。

本来なら宮原線の終点である肥後小国駅跡まで行ってみたいところですが、夕暮れが迫っていたこと、そして次の予定(西鉄好き氏のレポートで紹介されている露天風呂に行くこと)もあったため、今回は幸野川橋梁を最後に探索を終了しました。
当初は予定していなかったものの、非常に充実した廃線跡歩きになってよかったです。
次は気候がもう少し涼しくなってからリベンジしたいですね!

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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西鉄8000系(副管理人) について

AlmightyTrainSiteの副管理人です。以前は関東を中心に活動していましたが、現在は九州に生活の拠点を移して活動しています。写真撮影や走行音の録音はもちろん、色々な駅を巡って詳しく観察する「駅取材」をよく行っています。
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