こんばんは。副管理人の西鉄8000系です。
本日から、2018年4月1日を以って廃止となった、JR西日本の三江線の中間駅を2日間かけて取材した時の模様をご紹介していこうと思います。
今回の旅では時間の都合により、残念ながらすべての駅を周ることは叶いませんでしたが、それでも中間駅33駅中30駅を訪問することができ、非常に充実した旅となりました。
なお、今回の旅で未訪問の粟屋駅、作木口駅、沢谷駅については、せめて廃止後の姿を見たいと思っているところなのですが、他の鉄道旅行との兼ね合いもあって、いつ行けるかは今のところ未定です…
また、タイトルに「駅取材」とありますが、以前から個人的に「駅取材」と称して駅を巡り歩くのが私の鉄道趣味の根幹をなしておりまして、
鉄道旅行をする際、実際に車両に乗って路線を楽しむというのも楽しみとして確かにあるのですが、それよりも、自分が訪れたことがない駅に降り立ち、その駅や駅周辺の地域を見てまわることの方が好きだったりします。
今回は、そんな駅取材をメインに執筆する初めての記事になります。中身は他サイト様のブログに掲載されている駅訪問の記事と変わりないかもしれませんし、全部執筆し終えるまでにかなり時間がかかりそうで恐縮ですが(冷や汗)、
自分なりに駅を訪れた時の状況をご紹介できればと思っておりますので、気軽に、そして気長に読んでいただけると幸いです。
それでは、三江線が廃止になる約3ヶ月前の様子を、当時撮影した写真を見ながら振り返っていきたいと思います。
本日は、三次駅から1駅目、三次市の市街地に位置していた尾関山駅をご紹介します。
三次駅から車で10分ほどかけて尾関山駅に到着しました。三次駅の次の駅ということもあってそんなに距離もないのですが、
現地に不慣れな私たちは江の川沿いに駅を目指してしまったがために駅の裏手に周ってしまう形になってしまい、到着までに余計に時間がかかるハプニングがありました(笑)
理由は後述しますが、実はこの時少し急いで尾関山駅に向かっていたため、無事にたどり着いて安心しました。
さて、この駅は1955年3月31日に三江南線の三次駅~式敷駅(最初の開通区間)が営業開始した時にあわせて開業しました。
三次市の市街地にあったこともあってか、元々は有人駅だったようですが、簡易委託化を経て、2010年には完全な無人駅になっています。
三江線は駅舎がなく待合所のみの駅も多々ある中、この駅には開業時からの物でしょうか、小さいながらも平屋建ての駅舎が現存していました。
ちょっと見えにくいですが、新年を迎えて間もないこともあり、小さなしめ飾りが駅舎入口上部に飾られていました。
では、早速駅舎の中に入ってみます。
駅舎の中には窓口跡が残っていましたが、無人駅になるにあたって板で塞がれてしまったようでした。また、窓口跡には金属製の集札箱が設置されていました。
なお、1枚目の写真でいうと、駅舎の左側が窓口やその他業務にあたる駅員用のスペースだったようです。
先程の写真とは反対向き、駅舎入口の方を向いて待合スペース部分を見ます。
設置されてからそんなに経っていないように見受けられる椅子が多めに設置してありましたが、椅子が新しくなって以後、列車の到着前にこれらが全て使われるようなことはあったのでしょうか。
今度は駅舎から出て、駅構内に向かうことにします。
駅舎の駅構内側の扉を開け、ホーム入口方向を見ます。
駅舎からホームまでは少しだけ距離があり、通路両脇にはヤシ科のように見える木(違っていたらすみません)が植えられていました。
三次市は別に南国ってわけではないと思うのですが、なんでこういった木をチョイスしたんだろう、と現地で見たときに考えていました。
通路に向かって右側には池もありました。国鉄時代には有人でJR化後に無人になった駅ではこういった枯れた池がよく見られます。昔はきちんと手入れされて、ニシキゴイとかが泳いでいたんでしょうか。
ホームに上がる階段を上り、駅舎の方向を見ます。やはり通路の両側のヤシ科のように見える木が印象的でした。ここの風景だけだと、南九州の駅だと言われてもあんまり違和感がない気が個人的にします。
駅名標、名所案内標、そして最近貼られたと思われるステッカー式の縦型駅名標です。
この駅の周辺にある名所は、地元三次市では桜と紅葉の名所として親しまれている尾関山公園(当駅の名前の由来にもなっています、別ウインドウで三次市の観光案内が開きます)と、近隣を流れる江の川で行われている「う飼」です。
個人的に「う飼」のイメージは岐阜県の長良川沿いだったので、三次市でも行われていることを初めて知りました。三次市の「う飼」についてはこちら(別ウィンドウで開きます)をご参照ください。
なお、ステッカー式の縦型駅名標はこれから訪れる三江線の中間駅のほぼ全てに貼られていまして、廃止が決まっている路線にこういった設備投資が行われているのには驚きました。
尾関山駅に限らず、三江線の全ての駅には「三江線活性化協議会」という団体により、石見神楽の演目名にちなんだ愛称が付けられていまして、
この駅は「紅葉狩」という愛称が付けられていました。これは先程も触れた尾関山公園が紅葉の名所であることからの連想により名付けられたとのことです。
そういえば、この愛称を紹介した看板、廃止後にはどこかで保存でもされるんでしょうかね。
ホームの江津駅寄りから三次駅方面を俯瞰して見ます。こちらの方にもステッカー式の縦型駅名標が貼られていました。
近年、日常的には1両編成での運用がなされていた三江線ですが、この駅のホームはそれに見合わない非常に長いホームになっていました。国鉄時代にもっと長い編成だったとしてもなお長いように思われます。
左側に見えている通路を進み、階段を下りると、先程ご紹介した駅舎にたどり着きます。
さて、先程駅舎の写真を紹介した際、この駅に急いで向かっていたとお話したところですが、その理由は
これを撮りたかったためでした。尾関山公園直下の尾関山トンネルを抜け、ちょうど106キロポストの横を通るシーンです。
あわせて、到着の様子を管理人氏が動画で録画していますのでそちらもご紹介します。
皆様もご存じだと思いますが、三江線の廃止が決まってからというもの、三江線の乗客は増加の一途をたどっており、車内が満員になることも珍しくなくなったため、2017年の12月頃から、JR西日本内の他区所から車両を融通してもらう形で3両編成での運転が始まっていました。
運転席横にカメラを持った人影が見えますが、なんだかその後ろもすごく混雑しているような雰囲気です。
なお、この日は浜田鉄道部所属のキハ120形で、下関総合車両所新山口支所所属のキハ120形を挟む形での運用がなされていました。
新山口支所のキハ120形が先頭に立たないのは単なる見栄えを意識してなのか、それともATS等運転機器の関係によるものなのか、個人的には後者の理由なのではないかと思っているのですが、実際のところはどうなんでしょうね。
3両編成の列車は尾関山駅をすぐに発車します。この駅で降りた乗客もちらほら、私たちのようにこの列車を見るために駅を訪れた人もちらほら、といった感じでした。
先頭は前照灯がLEDに換装され、前方監視用のカメラも備え付けられた車両でした。
列車が三次駅方面に向かっていきます。ちょっと分かりにくいですが、2両目の窓から車掌さんが後方を確認していました。左側奥に見えているのは三次駅に続く高架橋でして、
あと3ヶ月後に廃止になるとは思えない立派なものでした。この写真からも、三江線が市街地を高架橋で突っ切っていく様子が見てとれると思います。
先程の写真を撮った位置から振り返って、ホームの三次駅寄りから江津駅方面を俯瞰してみます。ここからホーム全体の形状を見ると、1面2線の交換駅にもできそうな構造になっていることが分かります。そうなれば、駅舎からホームまでの通路は、線路をまたぐ構内踏切といったところでしょうか。
もっとも、この駅は開業してから廃止となるまで棒線駅のままになってしまいましたが…
駅構内を取材し終えたので、最後に駅舎から出て駅前通りを見てみます。
市街地の方向に向かって真っすぐ、駅前通りが伸びています。駅の開業に合わせて計画的に整備されたものなのでしょうか。
なお、この駅が簡易委託化されていたときは、ちょうど道路標識があるあたりの商店で切符を売っていたそうです。
このあたりで尾関山駅の駅取材を終了とし、次なる目的地を長谷駅と決め、車で出発しました。
長谷駅といえば、もともと利用できる列車の本数が少ない三江線の中で通過列車があり、利用する本数が極限に少ないという特徴がある駅になりますね。
こんな感じで、当分は三江線駅取材の模様を紹介していきたいと思っています。
ご覧くださいましてありがとうございました。次の駅も是非お楽しみに!
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