実質2泊3日で実施した関西遠征の3日目です。事実上の1日目となる「ひだ」を満喫する旅、及び事実上の2日目となる「春の関西乗り鉄旅1日目」の続きとなりますので、それら2つの記事・・・最低でも「春の関西乗り鉄旅1日目」はご覧になってからこの記事をご覧になることをおすすめします。
本日の行程
最終日となる今日の目的はというと、直通快速に奈良→尼崎で乗車し、残った時間で伊賀鉄道・信楽高原鐵道を完乗しつつ”国鉄型”巡りで取りこぼしていた京都→草津での113系運用をここで回収することとなります。
行程としては、まず昨晩宿泊した奈良から直通快速に乗って尼崎まで行き、とんぼ返りする形でJR東西線で折り返して木津まで向かい、関西本線へと乗り継いで伊賀上野へ行きます。
伊賀上野からは伊賀鉄道を伊賀神戸まで1往復乗車したら再び関西本線に乗って柘植まで出て、草津線に乗り継いで貴生川から信楽高原鐵道を1往復した後、京都へ出て京都→草津で113系充当の草津線直通列車に乗ったらあとは在来線で名古屋まで頑張って移動して東海道新幹線で東京へワープします。
直通快速で尼崎へ
それでは最終日もレポートを始めるとしましょう。
ホテルをチェックアウトして奈良駅へやってきた私は昨晩も乗った直通快速に乗るわけですが、昨日の朝みたいにまだ街が動き出す前の早朝というわけではなく、既にラッシュが始まりつつあり到着する列車のドアからは多くのサラリーマンや学生が吐き出されるという雑踏の中での旅立ちとなりました。
理由として、朝に3本設定されている直通快速のうち、一番遅い便を選択したからであり、これは単純に最終日くらいはのんびり出発したいという私の希望からの選択です。
なお、直通快速については昨日分のレポートで詳しく解説しているのでこの記事では説明は端折ります。
駅にやってきて真っ先にすることはもちろん発車標の撮影です。
なにせ、ダイヤ改正以後はもう奈良駅で尼崎行きという表示を拝むことはできなくなりますからね。
ちゃんと「東線経由」と表示して天王寺や西九条などは経由しないことを案内しています。
ホームへ上がると既に直通快速は入線済みでした。昨晩とは違って321系ですね。
入線シーンの動画を撮ろうかとも思っていたのですが見事に目論見が外れましたw
尼崎行きではなくなるってだけで、直通快速自体は残るわけですしまあいいでしょう。
321系なので液晶ディスプレイによる車内案内表示器もあります。
207系のGTOサウンドを期待していましたが、321系もこの点においては魅力ですね。
それでは発車です。
客層は通勤客が多めなのは昨晩の奈良行きと同じですが、やっぱりガラガラw
この列車でも8時台後半には大阪の中心地へ入れるので通勤に使えるギリギリの時間帯を走る列車と言えますが、職場が直通快速の停車駅から徒歩圏内にあるとかでないと厳しい設定なので余計少ないのかもしれませんね。
余裕があれば朝一番の列車の状況を見に奈良駅へ訪れておけばよかったですが、初日は夜行バスから始まってずっと乗りっぱなしで3日目ですからここは楽をする方を選びましたw
王寺や久宝寺まで来ると奈良県内ながら大阪志向の強い地域だと思われ乗ってくる人もちらほら見受けられますが、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車には程遠いですね。
例えば首都圏で言う湘南新宿ラインレベルまで本数が増えて大和路線のバイパスルートとして定着すれば別でしょうが、ラッシュ時に3本ずつしかないという設定では利用者を取り込めていないところもありそうです。
久宝寺を出ておおさか東線へ入りますが、やっぱりあんまり飛ばさないw
放出からはJR学研都市線・東西線へと入りますが、ここから先ははっきり言ってただの学研都市線の快速とほとんど差がないんですよねw
そのため、京橋あたりで折り返してしまおうかとも思いましたが、せっかくですし終点まで乗り通します。
学研都市線に入って鴫野駅付近ですが、放出~鴫野間は学研都市線の線路に並行して新たな複線を建設する形で、学研都市線とおおさか東線の複々線区間となる予定であり、営業開始を今や遅しと待つピカピカの線路が見えました。
鴫野を過ぎるとおおさか東線は新大阪へ向けて分かれていきます。
あちらもいつか乗りに行かないと・・・w
京橋を過ぎてしまえばあとはJR東西線ですが、この先通過駅はないのでなおさら直通快速の意味がないなと思っていたのですが、発車標にはちゃんと直通快速と表示してくれていたのでドアが開いたところを狙って撮影しました。
昨晩の奈良駅でもそうでしたが、利用者的には意味がない表示もちゃんとしてくれるのはJR西日本の特徴なんでしょうか。
そういえば、JR西日本は通過する貨物列車まで表示してくれる駅がありますからね。
京橋を出てすぐ地下へ潜ったJR東西線は尼崎の手前でようやく地上へ顔を出しまして、いよいよ終点の尼崎です。
そうそう、JR東西線ってほとんどがJR宝塚線、ないしJR神戸線へ直通するため尼崎止まりの列車ってほとんど存在せず、直通快速ということを脇においてもなお尼崎行きという点でレアです。
回送幕に変わってしまいましたが、最後に外観を撮ってこれにて直通快速編は終了です。
文字通りとんぼ返りで木津へ折り返します。
学研都市線については以前にも乗っていてレポートでも触れているので道中は大胆に端折ってお次は伊賀鉄道です。
伊賀鉄道
木津からは関西本線に乗り継いで加茂からはディーゼルカーに変わって伊賀上野までやってきました。
伊賀鉄道との接続駅であり、ここから伊賀鉄道編のスタートとなります。
↑加茂駅でキハ120系入線シーン
JR西日本のローカル線の代名詞的存在のキハ120系とは一旦お別れです。
伊賀上野駅も初訪問なので駅名標くらいは撮っておきましょう。
実は今回は乗り換え時間が僅かなため、伊賀上野駅の写真はこれだけになります。
折り返してきた復路ではちゃんとご紹介しますので、まずは伊賀鉄道のご紹介とします。
こちらが伊賀鉄道の電車です。
忍者列車となっており、車体には松本零士氏デザインのキャラクターが描かれており、伊賀=忍者のイメージそのままの鉄道となっています。
伊賀鉄道は私鉄であり青春18きっぷは使えないので乗車券を購入する必要がありますが、私が使おうと思っている1日乗車券は車内購入も可能っぽいのでそのまま乗ってしまいます。
それではもはや恒例ですが、伊賀鉄道の解説を入れてからレポートを進めていきます。
伊賀鉄道は伊賀上野~伊賀神戸間を結ぶ伊賀線を運営する鉄道会社であり、2007年に近鉄から伊賀線の運営を引き継ぐ形で発足した比較的新しい鉄道会社です。同様に近鉄から路線を引き継いで発足した鉄道会社としては養老鉄道もありますが、同時に近鉄から路線を移譲されており、兄弟分とも言える関係ですね。
しかしながら、その経営状況は多くの地方私鉄の例に漏れず厳しいようであり、2017年からは線路や駅などの地上設備を自治体などで保有して伊賀鉄道は列車の運行のみを行うという上下分離方式へと転換されたため、現在の伊賀鉄道は第2種鉄道事業者というカテゴリーに入ります。
ところで、元々伊賀線は伊賀軌道という私鉄の手により開業した経緯があり、この伊賀軌道は何度か社名変更をしますが、「伊賀鉄道」を名乗っていた時期もあるため、現在の伊賀鉄道とは全くの無関係ではありますが、大正時代に一度消滅した名前が平成になって復活したという見方もできますね。
続いて伊賀線についてですが、1916年に伊賀軌道の手により上野駅連絡所と上野町駅の間で開業したのが端緒であり、国鉄の伊賀上野駅が上野町の中心から逸れていたために国鉄線と上野町中心部の連絡を目的に開業しました。その後、上野駅連絡所が廃止になって国鉄の伊賀上野駅に統合されたり、上野町から延伸して名張駅(現在の西名張駅)まで伸びたりして現在の形となります。
え?名張じゃなくて伊賀神戸じゃないの?と疑問符が浮かんでいる読者さんもいるでしょうが、これは誤字ではなくて本当に伊賀線は名張まで達していた時期があるのです。これはどういうことかというと伊賀神戸~西名張間は現在でも近鉄の幹線として活躍する大阪線と並行して走っており、戦時中には不要不急線として休止されるも戦後に再開されます。
いくら近鉄が大きな会社でも同じ区間に並走する2つの路線を維持し続ける意味はないようにも思えますが、これは貨物列車の運行が理由だったようです。伊賀線は伊賀上野駅で関西本線に接続しており、ここから貨物列車を直通させて西名張まで走っていたようなのですが、伊賀線が国鉄線と同じ1067mm(狭軌)の軌間なのに対し、大阪線は1435mmの標準軌を採用しており、伊賀線の伊賀神戸~西名張間を廃止してしまうと名張へ貨物列車を直通できなくなるという事情があったようです。
しかし、それもトラック輸送への転換が進み貨物列車自体の乗り入れがなくなると、実質上貨物列車のためだけに存続していたとも言える伊賀線の伊賀神戸~西名張間は廃止されて、現在に至ります。
伊賀上野~伊賀神戸間だけになった伊賀線は長らく近鉄線のネットワークの一任として走り続けますが、既述の通り2007年より伊賀鉄道に移管されて現在に至ります。
ダイヤとしては全列車が伊賀線のみで完結する運転であり、近鉄線やJR線への直通はありません。近鉄線についてはそもそも軌間が違うのでフリーゲージトレインでも導入するか大胆にも改軌をしない限り直通は不可能ですし、JRについては軌間の問題はなくとも、関西本線が非電化なので気動車による直通しかできないということもありますから、今後もやらないでしょうね。
線内では上野市駅が拠点駅となっており、この駅を境に系統が分断されているのですが、一部上野市駅を跨いで全線を走破する列車も設定されています。
上野市の中心部と近鉄・JRを連絡する役割を反映したダイヤ設定なんでしょうが、今は上野市と名古屋や大阪を結ぶ高速バスも走っており、特急で大阪や名古屋へ直通できる近鉄ルートはまだしも、伊賀上野駅には普通列車しかやってこず、大阪や名古屋へは乗り換え必須なJRルートはほぼ利用されていなさそうですね・・・w
それでは、そろそろ乗車レポートに戻りましょう。
2両編成のローカル列車は当然のごとくガラガラで乗り鉄的には最高の環境で始まった伊賀鉄道の乗りつぶし、これといった山場はなさそうですが、逆にローカル線らしくまったりと楽しみたいと思います。
気になったのは運賃表示器なんですが、表示部分が平成初期のスーパーのレジを彷彿とさせる色合いなんですがw
東急1000系としてみれば新しい車両とはお世辞にも言えない車齢ですが、この運賃表示器は伊賀鉄道移管に伴って設置されたはずであり、そう考えると10年は経っていないはずですよね。
車内です。元々は東京の大都会で大勢の通勤客を運んでいた車両だけにロングシート主体ですが、ローカル線での第二の人生に合わせてか、部分的にクロスシートになっているのが分かりますね。
乗り鉄的には景色を楽しみやすいクロスシートを歓迎しますが、どうせならセミクロスシートと呼べるくらいクロスシートの割合を増やしてほしかったなぁw
あと、この200系ですが、元となる東急1000系がそうなので当然ですが、VVVFインバータを装備した車両なんです。地方私鉄に譲渡されるような車両って抵抗制御の古い電車というイメージで、私が子供の頃は最新鋭と呼べたVVVFインバータ制御の電車がそういった”中古車”になるなんて時の経つのは早いものです。
まあ、1000系の場合、主要な活躍の場だった東横線での日比谷線直通が中止となったという事情もありますけどね。
そのため、大量に余剰が生じ、東急の内部でも池上線や多摩川線への転属がありましたが、それでも余った分は廃車されたり、この伊賀鉄道の例のように地方私鉄で第二の人生を送るものも多くいるようで、他には上田電鉄、一畑電車、福島交通でも活躍中です。
余談になりますが、東急1000系は従来伊賀鉄道(及び近鉄時代の伊賀線)で活躍していた車両よりも車体のサイズが大きいため、導入に際してはホームを一部削るなどの工事が必要だったようです。
車内の忍者を眺めたりしていると沿線一の主要駅、上野市駅に到着です。
駅名はかつて駅の所在地だった上野市から来ていますが、現在は市町村合併により伊賀市の一部となり、上野市は自治体としては消滅しました。
駅名変更もお金がかかる話だし、既に「上野市駅」で定着しているならばわざわざ変えることもないということなんでしょうが、一方で観光PRには熱心なのか「忍者市」という愛称がついています。
そんな上野市駅ですがここでちょっとしたハプニングが・・・
というのは、おそらく保育園か幼稚園の子どもたちであろう団体が乗り込んできたのです。普通に乗っている時に遭遇すれば「微笑ましい光景だなぁ」で終わりですが、音鉄中となれば話は別w
単独であっても小さな子供が車内でおとなしくしていることの難しさは今までの経験からよく知っていますが、それが数十人単位で乗ってくるのですからまさしく\(^o^)/オワタ
伊賀鉄道の200系はまだ導入されてそんなには経っていないので当分置き換えはないだろうことと、今回は乗りつぶすだけで途中駅には一切立ち寄らないためいずれ全駅制覇という名目で再訪することになるだろうことが救いですが、ここは仕方ないと割り切ってぼんやり車窓を眺めて過ごしました。
が・・・捨てる神あれば拾う神ありとの諺もありますが、その子どもたちはなんと1駅隣の広小路駅で降りていったのです。
上野市駅と広小路駅の間はわずかに500mしかなく、園児たちの足でも徒歩移動も可能であろう距離ですが、そこをあえて電車で移動するのは鉄道移動という経験をさせる社会見学的な意味合いが強いのかもしれませんね。
「大きくなって免許が取れる歳になっても時々は伊賀線に乗ってね」なんて言葉を心の中で囁いて園児たちを見送ったら再びローカル線らしい平穏な車内が戻ってきたのでした。
何か車窓として目玉になるものを・・・と探していましたが川くらいしか撮るものがありませんでしたw
伊賀線は景色目当てに乗る路線ではないというのが正直な感想ではありましたが、その分忍者列車は手が込んでいて面白いですし、観光がてらでも忍者列車に乗るとよいでしょう。
どこかの駅からかおばちゃんが乗り込んできて乗務員と親しげに話しているのが気になっていたのですが、どうやら彼女は車掌(アテンダント?)だったようで、車内改札をはじめました。
伊賀上野駅での文章で触れましたが、私は1日乗車券を購入するつもりでしたので何らのきっぷを持っていません。
ここでの車内改札という予想外の展開にちょっと焦りましたが、ここで売ってもらえれば下車時に運転士さんに言って買うよりは手っ取り早いですいむしろ渡りに舟ですね。
というわけで、今や遅しと私のところへやってくるのを待ちました。
1日券を買いたい旨を申し出ると代金を請求され、それを支払うというごく当たり前の流れがあって、最後には1日券を手渡されると思いきや!?
もらったのはこれでした。
いわゆる車内補充券というやつですが、聞くと車内では代金の収受こそしますが、1日券の現物は扱っておらず補充券を引換証として手渡して発売している駅で現物と引き換えてもらうという流れになっているみたいです。
事由欄にちゃんと「一日フリー乗車券引換用」という項目があることからもこれが正式な取扱であることが分かりますが、今まで色んな鉄道に乗ってきた私も初めてのパターンでした。
あと、フリー乗車券なのだからどこから乗っていようが関係ない気もしますが、しっかり乗車駅も確認されて私が乗った伊賀上野駅に発駅の印を入れられていました。
ところで、ふと疑問に思ったのですが、私のように1日券を発売していない駅から乗車して引換証だけをもらった状態で、引き換えが可能な駅以外に降りたいとなった場合、どういう扱いになるんでしょうね。
具体例をあげるならば、伊賀上野駅から乗車して車内にて代金を支払って丸山駅で下車なんて場合、丸山駅は無人駅ですから当然運転士さんに切符を提示して下車することになるでしょうが、提示しようにも切符はまだ手元にはない・・・でも既に代金を払っているのだから新たに普通運賃を請求されるのでは乗客としては理不尽に感じますしね。
もしも、今後伊賀鉄道全駅制覇なんて活動をしようと思ったときは影響ありそうな話なので気にはなりますが、現実的な対応として引き換えが可能な駅へ降り立つまでは便宜上引換証を1日券とみなして扱うとかですかね。(私の勝手な想像なのでこういう扱いになる保証はありません)
あと、この車内改札についてですが、上野市以南の区間ではほとんどの利用者が近鉄線との接続駅になる伊賀神戸駅を発着するので、無人駅から乗って切符を買わずに乗っていた利用者に対して車内で運賃を収受してしまうことで伊賀神戸駅での精算業務を簡略化する狙いがあるみたいですね。
そんなこんなで近鉄線が見えたらあっという間に伊賀鉄道の旅は伊賀神戸駅にて終わりを迎えました。
ところで、伊賀鉄道の車内で、絶対聞いたことがあるのにどこの鉄道の音とも違うチャイムが聞こえてきて必死に記憶を辿っていたのですが、終点伊賀神戸駅で再び聞いたことでついに私の記憶回路はつながりどこで聞いたことがあるのか思い出しました。
それは・・・「スシロー」です。え?「そんな鉄道会社聞いたことないぞ」って?w
ですから、鉄道会社じゃなくて回転ずしの「スシロー」です。行ったことがある方なら分かるでしょうが、タッチパネルで注文した商品が届くときに鳴るあのチャイムと同じメロディだったのです。
おそらくは著作権のないフリー音源なんでしょうが、鉄道会社で採用している例は伊賀鉄道以外知りません。
いっそのこと、スシローとコラボして寿司電車とかやればいいのにw
初訪問なので伊賀神戸駅はしっかり撮っていきましょう。
といっても滞在時間はわずかに5分ですがw
忍者列車に忍者の人形、駅名標まで写してこれでもかとばかりに伊賀鉄道要素を盛り込んだ1枚になりましたw
それにしても、この部分だけ見るとキャラクターの眼力がすごくてちょっとたじろぎそうに・・・w
ホームです。
近鉄側は特急の一部も停車するほどの主要駅ですが、伊賀鉄道・近鉄合わせても3面3線しかない意外とコンパクトな構造であり、伊賀鉄道としては1面1線という至ってシンプルな構造です。
と思ったら隣に別のスロープがあって改札へ通じていました。
以前は閉鎖されていた方のスロープから構内踏切に繋がって近鉄線へ行けたようですが、別会社になったことで改札を分離するために構造を改めたのでしょうね。
駅前はバスの待機場所を兼ねているであろう広場があるくらいでさっぱりしていました。
改札口です。
近鉄と伊賀鉄道で完全に分離されており、言うまでもないですが自動改札機がある方が近鉄です。
確かに元々伊賀鉄道乗り場への通路であっただろう場所は近鉄の改札機より奥に繋がるのでそのままでは改札を分離できませんし、今の構造にも合理性がありそうです。
それか、養老鉄道の桑名駅みたいに改札内に中間改札を設ける形もありだったかもしれませんけどね。
ここで1日券の引き換えというミッションをこなしたら急いで伊賀鉄道乗り場へ引き返します。
これを見送っても30分後くらいにはまたあるので無理にこの列車に乗らなくてもよかったといえばよかったのですが、そうするとこの先の行程がかなりタイトになってしまうので結局5分折り返しとなりました。
復路は先程のリプレイであり、道中のことは書きませんが1つだけ小ネタを・・・
揺れる車内でどうして忍者人形が落ちてこないのか気になって覗き込んだのですが・・・
予想通りというか、普通に紐で縛ってあるだけでした。
しかし、忍者が紐で縛られているとなると、敵地へ潜入中に見つかってしまい捕らえられて晒し者にされているように見えてきてしまうという・・・w
伊賀上野駅
伊賀上野駅に戻ってきました。今度は時間があるので伊賀上野駅のレポートを挟んでから旅を続けていきます。
駅名標です。JRっぽいデザインであり、JRのロゴまで入っていますが、隣の駅が新居駅なので伊賀鉄道の駅名標ということになりますね。
ホームです。
2面4線ですが、うち1線は伊賀鉄道が使用する切り欠きホームとなっており、変則的なホーム配置です。
長い有効長にかつて側線でもあったことを思わせる上下線の間隔といい、かつて幹線ルートの一部だった栄光の時代を物語るような駅構造ですね。
伊賀鉄道としては終点であり終端部があります。
それにしても、枕木の後ろに盛り土をして、更にコンクリートの車止めまであると、ローカル線にしては厳重な作りですね。
国鉄(当時)の駅を間借りしているわけで、万が一にもオーバーランして国鉄の駅を壊す訳にはいかないという配慮なんでしょうか。
伊賀鉄道もJRと改札を共有しており、近鉄とは完全に分離している伊賀神戸駅とは対称的ですが、伊賀鉄道に乗ってきてそのままJRへ乗り継ぐ人のためにホーム上にも券売機が設けられています。
亀山はともかく、名古屋が表記されている上に国鉄フォントと来れば、懐古趣味な鉄にとっては垂涎のアイテムですね。
伊賀鉄道乗り場への案内ももちろん忍者が担当しますw
ここまで徹底した忍者推しもすごいですね。
忍びなのにこんなに目立っていいのか?というツッコミは野暮かw
改札口です。自動改札なんてものはなく、関西”本線”の駅とは思えぬローカル臭w
上には伊賀鉄道の乗り場案内もありますが、よく知らない人だと改札外で乗り換えだと思って出場してしまう人もいるかも知れませんしね。
ちょうどキハ120系が入ってきましたが反対方向の列車なので写真だけ撮ったら一旦外へ出ます。
駅舎内です。
「JR」とか「スマートEX」というワードに目をつむれば、ここだけ国鉄時代で時が止まっているようです。
こうしてショーケースで名産品を紹介するのも昭和の風景という気がします。
外へ出ました。こちらが駅舎です。
構内があれだけ忍者推しだったので、駅舎も忍者屋敷風なのかなとも思いましたが、思ったよりは普通でしたね。
観光案内もありました。
それにしても、両脇のシルエットが気になりますが、右はもしかしなくても忍者だとして、左はどなたでしょうか?
伊賀は松尾芭蕉の生まれた地だそうなので、もしかして松尾芭蕉?
と思ったら芭蕉さんの俳句の碑があったので、間違いなさそうです。
私が乗る亀山方面へは跨線橋を使わないといけないので登っていきます。
へー、伊賀鉄道に乗り換えるには手すりをスタスタと駆け上がるくらいの身体能力が必要なのか・・・(そんなわけないw
ここにも伊賀鉄道の案内が出ていました。
JRとしても伊賀鉄道への乗り継ぎ客は貴重な集客手段として重視しているんでしょうかね。
と言ったところで伊賀上野駅はこのくらいにします。
このあとは関西本線で柘植駅へ移動します。
柘植駅
関西本線に乗って柘植駅へやってきました。ここから草津線に乗り換えですが時間があるので駅の方もレポートしていきます。
↑せっかくなので発車シーンを撮ってから取材開始です。
跨線橋には早速忍者がいますが、伊賀上野を見てきたばかりなのでもう驚かないぞw
構内です。
草津線を含めて2面3線ですが、ホームの面しない中線もあります。
この黒い汚れってもしかしてSLの煤煙でしょうか?
だとしたらますます歴史を感じさせますね。
そして、駅名標
このカラーリングは関西本線の統一的なものですが、忍者に毒されすぎてもはや装束の色に見えてきましたw
変わった形のオブジェだなと思っていたら投句箱になっているようです。
松尾芭蕉の生まれた地ですし、納得の配置です。
改札口です。ここもやはり自動改札なんてものはありませんw
ん?よく見ると・・・
関西本線と草津線の分岐駅であることを示すように配置されたレピーター
それにしても、まるで改札を取り囲むバリアのように引かれた線は一体何なんでしょうかw
ところで、ICカード用改札機がありますが、当駅もICOCAエリア内でありICカードの利用が可能です。
ただし、利用できるのは草津線のみであり、関西本線では使えないので注意が必要です。
そして、外へ出ました。
古風な日本家屋という佇まいの落ち着いた駅舎ですね。
駅前にはバス停がありますが、乗り入れるのは伊賀市行政バスという、いわゆるコミュニティバスだけであり、純民営の路線バスは乗り入れていません。
バス網が貧弱な分、タクシーが利用されているのか、タクシーの待機場所はしっかり整備されており、実際に客待ちのタクシーもいました。
それでは再び構内に戻って草津線乗り場です。
ここも忍者だらけだったりしますが、前回訪れたときにこのホームはしっかり撮影しているのであとは待合室で時間を潰すことにしました。
運行情報を知らせるモニターのようですが・・・小さい!w
よほど視力の良い方じゃないと見えないんじゃないでしょうか。市販のタブレット端末を転用した説が濃厚ですが、せめてもうちょっと低い位置に設置してあげてw
最後に思わぬツッコミをしてしまいましたがそろそろ草津線の発車時間なので車内に入り貴生川まで移動します。草津線については昨日分のレポートで触れているので記事は貴生川から信楽高原鐵道に乗るところまでワープします。
信楽高原鐵道
113系の爆音モーターをBGMに貴生川までやってきました。
ここからは信楽高原鐵道に1往復乗車して完乗を目指します。
乗り換え時間が少ないため往路では駅取材はしませんが駅名標だけは習慣化しているようで撮っていましたので貼っておきます。
すぐ隣の乗り場に信楽高原鐵道が発着するので乗り換えは便利ですね。
信楽高原鐵道は元々は国鉄信楽線だったのを転換した第三セクター鉄道なので当然といえば当然ですが・・・
気になったのがこれ・・・
中間改札と呼ぶには両脇がノーガードすぎて「脇が甘いよ」状態なわけですが、どうやらICOCAで草津線に乗ってきて信楽高原鐵道に乗り継ぐ利用者向けのICカード用改札という位置づけであり、改札の分離という意図はないようです。
しかし、それなら無人駅によくある簡易型を設置すれば良かった話なんじゃ・・・w
こちらが信楽高原鐵道の車両で、SKR310形という車両です。
反対側も同じSKR310形ですが色が違いますね。
どちらも「SHINOBI-TRAIN」となっており、伊賀鉄道と同じく忍者推しですw
信楽高原鐵道は区間運転はなくJRへの直通もしない単純な運行形態であるためか、方向幕はサボみたいな区間のみを表示するやつでした。
信楽高原鐵道はJR線ではなく、当然18きっぷは使えないわけですが、ここは現金精算となるので整理券だけとってそのまま乗り込みます。
駅数が少ないため、運賃表示器はスペースが余りまくっていますw
沿線の信楽は陶器の町であり、その中でも狸の置物が有名なことにちなんでか狸もいました。
それでは、ここで恒例の解説を入れてから旅行記を進めていきます。
信楽高原鐵道は旧国鉄の信楽線を転換した第三セクター鉄道であり、1987年に発足しました。ただし、会社自体は同年2月に設立されたものの信楽線を実際に転換したのは7月のことだったため、同年4月に国鉄は分割民営化されており、ごく僅かな期間ではありましたが、信楽線はJR線だった時期もあることになります。
続いて信楽線についてですが、貴生川駅と信楽駅を結ぶ全長14.7kmのローカル線であり、他路線との接続は貴生川で草津線と接続するのみであり、典型的な盲腸線となっています。
また、終点の信楽駅構内を除いては交換可能な駅はなく、唯一途中で交換可能な施設である小野谷信号場は使用停止中であるため、実質全線で1閉塞となっており、鉄道としての必要最小限の設備で運行されているとも言えますね。1駅か2駅くらいしか走っていないミニ支線ならこういうパターンもありますが、14.7kmもあって駅数も5駅もあってこれですからすごいですよね。
なお、現在は線路は甲賀市が保有(第三種鉄道事業者)し、信楽高原鐵道は運行のみをしている(第二種鉄道事業者)という上下分離方式が採用されています。
運行形態としては、全列車が普通列車であり、貴生川~信楽間を行ったり来たりするだけのピストン運行ですが、国鉄時代には草津線に直通したり、更には京都駅まで直通する列車が存在した時代もありましたが、後述する事故発生以後は一切JRへの直通は行われなくなりました。
歴史から言うと、貴生川から信楽を経て加茂へ至る鉄道として計画されたものの、実際に建設されたのは信楽までであり、信楽~加茂間はついに実現することはなくその代替として運行されていたJRバスの「近城線」も2002年に廃止されたため現在では信楽~加茂間を公共交通機関で辿ることはできなくなっています。
なお、近江鉄道本線とこの信楽線を活用して、信楽からJR学研都市線のどこかまで新線を建設した上で「びわこ京阪奈線」として整備する構想があるようですが、今の所具体的な動きはないようです。実現すれば信楽線も電化されて通勤型電車が行き交う日も来るのかもしれませんね。
さて、信楽高原鐵道を語る上で避けて通れない話題があります。それは転換間もない1991年に発生した「信楽高原鐵道列車衝突事故」です。
詳しく解説するとそれだけで1つの記事が出来上がるほどのボリュームになりそうなので要点を絞って説明すると、この事故は1991年5月14日、小野谷信号場~紫香楽宮跡駅間で信楽発貴生川行き普通列車と、京都駅からやってきた信楽行き臨時快速列車「世界陶芸祭しがらき号」が正面衝突したというものであり、折しも開催されていた「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき’91」を訪れる大勢の来場者で列車は超満員であり、死者42名、重軽傷者614名を出す大惨事となりました。
陶芸祭の輸送を担うため輸送力増強策として設置された小野谷信号場でしたが、この時設置した信号システムに不備があり、JRと信楽高原鐵道それぞれで意思疎通が不十分なままシステムを無断改造(しかも無認可)をしたことが、単線区間に上下両方の列車が同時に進入してしまうという、鉄道の安全の根幹とも言える「閉塞」が機能しない状況を作ってしまいこのような大惨事となりました。
この事故後信楽高原鐵道とJRとの直通は行われなくなりましたし、他の第三セクターとJRの直通運転もこの事故を契機に中止されたものがいくつかありました。また、小野谷信号場も書類上廃止はされていないようですが、事故以降使用停止とされており、この信号場で列車交換を行うダイヤは組まれていません。
影響は運行面だけでなく、裁判の結果JRと信楽高原鐵道が折半で被害者への補償金を負担することとなったものの、信楽高原鐵道では普段のローカル線としての利用者数を想定した額の保険しか掛けられておらず、これだけ大勢の被害者への補償金を負担できるものではなく、当初株主でもある滋賀県と信楽町(当時)が貸し付ける形で補償に充当し、2013年には滋賀県と甲賀市(旧信楽町)が債権放棄することで事実上の公金投入による救済となり、その後2013年に前述のように上下分離方式となりました。
事故の規模から言ってそのまま廃線になってもおかしくないレベルの惨事でしたが、自治体の支援などもあり信楽高原鐵道は今日まで走り続けることができています。しかし、鉄道の安全の根幹である「閉塞」の重要性を示したこの事故を教訓として、二度と起こさぬように安全運行に努めていってもらいたいものですね。
重い話題になってしまいましたが、そろそろ旅行記の続きに戻るとしましょう。
貴生川駅を発車した列車は”高原鉄道”の名に相応しく、一気に急勾配を駆け上がっていきます。
貴生川駅を出て最初の停車駅となる紫香楽宮跡駅まではなんと9.6kmもあり、路線全体の3分の2ほどをこの1区間が占めている計算となりますが、この1区間で一気に勾配を登っていきます。
列車はみるみると高度を上げていき先程走っていた平地はもうあんな下になりました。
まるで飛行機の離陸のようにさえ感じましたね。
貴生川を出て15分かけてようやく最初の停車駅となる紫香楽宮跡に到着です。
信楽らしく狸の置物がお出迎えです。
駅名標です。
音だけで「しがらきぐうし」と聞くと「ぐうし」が「宮跡」とはなかなか連想できないですし、逆に漢字で書かれると「紫香楽」が「しがらき」というのも分かりづらいですし、なかなか初見殺しな駅名ですねw
紫香楽宮跡から2駅進んで「勅旨」というなんとも仰々しい名前の駅ですが、普通に所在地が「勅旨」という地名みたいです。
歴史を紐解けば天皇とのゆかりが見つかりそうな地名ではありますが、あくまで鉄道旅行記なので深追いはしませんw
信楽駅
列車は終点の信楽駅に到着です。短い路線ですしあっという間でしたね。
ずらりと並ぶ姿は壮観ですね。
ところで、余談ですが、信楽焼の狸って実はそんなに古い伝統があるわけではなくて、明治時代に始まったものだそうで、広まったきっかけは1951年に昭和天皇が信楽を行幸の際に沿道に日の丸をもたせた信楽焼の狸を並べたところ、昭和天皇がこれを歌に詠み新聞が取り上げたことで一躍有名になったそうです。
駅舎全体が巨大な狸だったらどうしようとか想像していましたが、流石にそこまで攻めてはいないようでしたw
そこへやってきたボンネット(風?)バスですが、信楽高原バスというコミュニティバスみたいです。
駅周辺のフィーダー路線がほとんどですが、京阪石山坂本線の京阪石山寺駅へも本数が少ないながら出ており、京都方面から信楽高原鐵道を目指すならば時間さえ合えば有用なアクセスルートとなりそうです。
↑ちょうど発車するところだったので動画を撮りました。
それでは、もう折返しの時間です。
貴生川駅にて
あとは、貴生川まで普通に引き返して、草津線と琵琶湖線を乗り継いで京都へ出るだけだったんですが、すぐにやってくる列車に乗り継いでも京都で時間があまり過ぎることがわかっていました。
そして、貴生川駅は前回近江鉄道部分と外観などの撮影はしていましたが、JR(と信楽高原鐵道)の乗り場の撮影はほとんどしていなかったことを思い出し、1本見送っても貴生川始発の草津行きがあるおかげでそんなに時間をロスしないこともあって、貴生川駅を再度取材することにしたのでした。
↑ちょうど草津行きの列車が入ってきました。
当初はこれに乗る予定でしたから、計画変更していなければろくに撮影できませんでしたね。
関東地区で見かけたら垂涎の車種でしょうが、関西で見るとあんまりレアに思えないのはなんでだろうw
信楽線の案内がなんとも国鉄チックでした。
もしや国鉄時代から使われている案内なんでしょうか。
↑さっきの113系が対向列車との交換でまだ停車していたので今度は発車シーンを撮ります。
列車が去ったところで構内です。
JRと信楽高原鐵道で2面3線となっており、近江鉄道の1面2線を合わせると3面5線となり案外規模の大きい駅ですよね。
跨線橋からちらっと近江鉄道の電車が見えました。
以前の活動で一応完乗こそしましたが、古い車両も多いですしまた乗りに行きたいです。
前回撮ってはいますが一応外観写真も1枚だけ載せたら貴生川駅はこのくらいにしましょう。
さて、お次の草津行きはまだかと待っていたら・・・
↑なんと221系がやってきました。
221系と223系も草津線で運用がある事自体は知っていましたが、まさかそれに当たるとは・・・
予定通りの列車に乗っていたら113系でしたから、これはラッキーでした。
↑調子に乗って草津駅でも発車シーンを撮りましたw
それにしても、国鉄型よりJR発足後の車両のほうがレア車としてありがたがるってどうなんでしょうねw
京都駅でまさかのサプライズ
草津駅からは新快速で一気に移動して京都駅に戻ってきました。
既に直通快速・伊賀鉄道・信楽高原鐵道と3つのネタを味わってお腹いっぱいになりつつありますが、まだ回収できていない国鉄型の運用がありましたよね。
それは、京都発柘植行きの113系運用です。このうち草津線内は草津始発の列車として既に乗っているので草津駅までの乗車として、京都→草津で乗車するため一旦京都駅にやってきたわけです。
しかし、予定の列車を見送ってもなお40~50分の待ち時間が生じるため構内を適当にぶらついていたら驚きのサプライズが!?
私が乗る柘植行きの1本前になんかある!?
もったいぶるまでもなく画像の中に思いっきり答えが出ていますが、「トワイライトエクスプレス瑞風」がやってくるみたいなのです。
しかも、ちょうど撮影できる時間帯ではないですか!
というわけで、京都駅で軽く夕飯をと思っていたのをホーム上の立ち食いうどんに変更して、うどんを写真に撮る余裕もないほど慌ただしく掻き込んだら撮影場所を探しながらスタンバります。
結局、0番のりばが見渡せる2番のりばのホームから撮ることにしました。
流石は人気の豪華列車とあって同業者の姿もチラホラ見られますが、早めに動いていたおかげで割といいポジションを確保できたと思います。
↑瑞風のお出まし!
生で見るのは初めてでしたがやっぱりかっこいい!
列車名のロゴマーク
ここだけ見ると先代の「トワイライトエクスプレス」を意識したデザインなのが分かりますね。
庶民には無縁の豪華列車といえども鉄道車両である以上は車番があります。
普通、電車だったら「モハ」だの「クハ」だったり、気動車なら「キハ」といった具合に着く記号ですが、「トワイライトエクスプレス瑞風」の場合、「キイテ」となっています。”キ”は気動車のことで、全ての車両についています。
”イ”はイロハの”イ”であり1等車という意味があります。1等車はかつて鉄道の客室が3等制だった頃に最上級のクラスとして設けられていたものであり、飛行機で言うファーストクラスのような存在ですが、グリーン車と普通車という2クラス制に再編された結果、1等車という存在は一時消滅しましたが、このような豪華列車の登場で再び復活することになったのです。
ちなみに、”テ”は展望車のことです。
と、そこへ回送列車がやってきました。
0番のりばと2番のりばの間は通過線になっているので通過するのかと思ったらみるみる速度が落ちていきついには瑞風の真横につけるかのように停車したのでした。
これって・・・四季島の上野駅の時みたいに撮影させないための目隠し代わりってこと?w
何だかんだで鉄道ファンには優しい印象のあるJR西日本ですからそんなことはないと信じたいですが、このバッチリ過ぎるタイミングは・・・w
が、ここでこれ以上の撮影を諦める私ではありません。
京都駅では瑞風の進行方向が変わるようであり、しばらく停車しているっぽい雰囲気なので急いで0番のりばへダッシュ!
無事に間に合って撮ったのがこの1枚です。
0番のりばは瑞風専用のホームというわけではないですから、上野駅の13・5番線みたいに一般人立入禁止とまでは言えないですからね。
↑発車シーンも無事押さえました。
そうそう、目隠し・・・じゃなくて回送列車は瑞風が発車したらすぐに走り去って行きました。
「任務完了!」・・・なんて言っていたかどうかは定かでありませんが、これはもう意図的に隣の線路に停めたとしか思えないw
それでは、そろそろ最後のネタに行きます。
113系でシメ
2泊3日に及んだ今回の遠征のシメは113系となります。
今回の遠征ではもう飽きるほどに乗った国鉄型もこれで当分の間乗ることはなさそうです。
この乗車で京都→草津の録音も確保できて草津線系統の録音は制覇となります。
が・・・京都駅を出てわずかに1駅目の山科駅から赤ちゃんを連れた親子が乗ってくるというw
元々ラッシュのこの時間はあまりよい車内環境を期待できないことは分かっていましたから仕方ないといえばそうなのですが、最後の最後でまさかでしたねw
草津まで乗車したらあとは帰路に就くのみですが、名古屋までは在来線で頑張って、そこから新幹線で東京へワープすることにしました。
時間帯の関係で新快速がちょうど走っておらず、琵琶湖線内は各駅停車となる快速だったため米原までが長かったですが、米原からは新快速に接続していて、大垣での乗り換えは不要だったのが嬉しかったです。
名古屋駅では新幹線に乗る前に「矢場とん」で味噌カツを頂きました。
これにて今回の遠征は終わりで、レポートとしても完結となります。最後までお付き合いありがとうございました。
で、次の活動なんですが、実はこの遠征が終わった翌日、またも私は乗り鉄に出かけてしまったのでした。
流石にそれは日帰りの活動ですが、そちらのレポートが次回となりますのでしばらくお待ち下さい。