奈良線103系を訪ねて・・・

今回は関西地区での活動ということで奈良線の103系に乗るべく活動をしました。時系列としては、「成り行き任せの岐阜・滋賀乗り鉄」で大阪の京橋に宿を取った翌朝となり、前回の記事でも軽く触れた通り、今回の遠征は家族旅行を兼ねたものであり、このレポート当日の昼前に新幹線でやってくる家族と京都で落ち合うことになっており、それまでの空き時間を活用しての活動となりました。
目的としては、乗ったことのなかった片町線、奈良線の乗りつぶしと、引退が迫っている奈良線の103系への乗車でしたが、103系については確実な運用情報を入手できなかったこと、家族との待ち合わせの都合から「来るまで待つ」戦法が取れないこともあり、乗れたらラッキーという位置づけであり、片町線・奈良線を乗りつぶしつつ、運が良ければ103系も・・・ということになりますね。

まずは片町線へ

宿を後にしてまず向かうは京橋駅です。距離的には数分でたどり着ける立地の宿だったのですが、駅の入口が分からなくて手間取ってしまい乗り遅れるかとヒヤヒヤしましたw
片町線は「学研都市線」という愛称もあって、大阪近郊の路線として高頻度運転なんですが、終点の木津まで走破する列車は少なく、予定の便を逃してしまうと大幅なタイムロスになってしまいますが、ギリギリで間に合いました。


おかげで駅の方は駅名標を撮るのが精一杯・・・
昨晩は暗くてろくな撮影ができていませんし、せっかく休日の朝という空いている時間帯に訪れるチャンスだったので残念ですが、またの機会を待つしかないですね。


やってきたのは321系でした。
関西在住の方にはすっかりお馴染みで特にネタでもない車種でしょうが、大阪の鉄道自体あまり乗る機会のない私にとってはこれでも新鮮味があります。

ただ、困ったのがM車であっても片方の台車が動力台車、もう片方が付随台車といういわゆる0.5Mを採用していることなんですよね・・・
321系の走行音は以前にも収録したことがあったのですが、その時はたまたま動力台車の上に乗り込んだため、そのような構造であることを意識することはなく、今回収録した際、やけにモーター音が小さいなと感じてネットで調べたら0.5Mで今いる場所が付随台車の上であることに気づいた経緯があり、おかげで1区間分、実質T車での収録みたいになってしまいました・・・
まあ、まだまだ新しい部類の車両ですしまた機会もあるでしょうw

ここで片町線について解説しておくと、片町線は京橋駅と木津駅を結ぶ路線であり、全区間に「学研都市線」の愛称が付けられています。現地の案内では専ら「学研都市線」の呼称が使われているようで、沿線にお住まいの方でも片町線が正式名称であることを知らない、あるいはあまり意識しないことが多いかも知れませんね。
ちなみに、片町線という路線名はかつての大阪側の終点だった片町駅から来ていますが、片町線の京橋~片町間はJR東西線が開通すると入れ替わるように廃止され、片町駅も廃止されたためこの経緯を知らないとどこにも片町なんてないのになんで片町線?と思ってしまいますよね。
あと、「学研都市線」という愛称についてですが、通信教材で知られる学研とはもちろん関係なく、沿線にある「関西文化学術研究都市」の田辺地区へのアクセス路線となっていることに因みます。

歴史としては、1895年に浪速鉄道という私鉄の手により、野崎観音や四條畷神社への参詣路線として片町~四條畷間が開業したのが端緒であり、現在の関西本線を建設した関西鉄道に合併されると木津まで延伸されて現在の形が完成しました。当時は名古屋~大阪間の幹線ルートに組み入れられ、現在の東海道本線である官設鉄道と関西鉄道は名古屋~大阪間で熾烈な競争を繰り広げました。その後、現在の関西本線である郡山・王寺・久宝寺を通るルートが完成すると片町線はローカル線となります。国有化後は1932年に片町~四條畷間が関西地区の国電では初めて電化されるなど、都市近郊の路線として成長しますが、一方で、電化区間が長尾まで伸ばされた後も木津~長尾間は非電化のまま国鉄分割民営化を迎えることとなりました。この区間は国鉄末期まで1~2時間に1本しか運行がないローカル線だったようです。
JR西日本へと継承された直後の1989年、ついに木津まで電化区間が伸びて全線が電化され、1997年にはJR東西線の開通により京橋~片町間の廃止と引き換えにJR宝塚線、JR神戸線との直通運転が始まり、一気に都会的な路線へと変貌していきました。
松井山手~木津間は単線のまま残されており、増発のネックとなっているものの、路線付け替えによる高速化や有効長延長、行き違い設備の新設など輸送改善は進んでおり、更には北陸新幹線の京都~新大阪間のルートが学研都市線沿線の京田辺市を通る南回り案が採用されたことから、北陸新幹線新大阪乗り入れの暁には学研都市線が木津・奈良方面からの新幹線アクセスを担うようになることも想定されます。

乗車レポートも簡単にしておきますと、松井山手など郊外まで来ると長閑な景色が広がる車窓風景が時折見られたのですが、学研都市線という都会的なネーミングからするとちょっとしたカルチャーショックですよねw


そんなこんなで木津に到着です。

運命の奈良線・・・

ここからはいよいよ103系に会えるかどうか運命の奈良線ですが・・・


お前かーw
まあ、関東では205系も十分希少車種なんですが、103系を期待していただけにこれは正直ハズレ・・・
とはいえ冒頭で書いたとおり家族との待ち合わせがあるので、103系が来ることを期待してこれを見送るということもできませんし、これに乗って京都に行くしかありません。

ちなみに、この205系は元々阪和線にいたやつで、そのため帯の色も阪和線の塗装のままになっています。
いずれ103系に準じてウグイスに塗り替えられるとしたら山手線の205系を彷彿とさせますねw

ここもせっかくですので、奈良線の解説を挟んでいきたいと思いますが、奈良線は京都駅と木津駅を結ぶ路線ですが、木津駅があるのは京都府木津川市となっており、つまりは奈良線は全区間が京都府内・・・なんと奈良線を名乗っておきながら奈良県内を1区間も走っていないのですw
これもまた歴史的経緯が関わっており、奈良線は奈良鉄道という私鉄が起源であり、当時は京都駅と奈良駅を結ぶ路線であり、ちゃんと奈良県内にも乗り入れていました。しかし、先ほども出てきた関西鉄道に買収され、木津~奈良間は名古屋~奈良~大阪のルートに組み込まれる形となり、国有化後には木津~奈良間は関西本線に編入されることとなったため、奈良線は京都~木津間の路線となり、奈良線なのに奈良県を走らない路線になりました。
しかしながら、奈良線の多くの列車が木津~奈良間では関西本線に直通しており、運行系統としての奈良線はちゃんと奈良県内まで連れて行ってくれます。
このため、京都市と奈良市との都市間輸送や、東海道新幹線と奈良市との接続という役割もありますが、ほぼ並行して走っている近鉄京都線とはライバル関係にあり、全線複線の近鉄に対し、JR奈良線はごく僅かな区間が部分的に複線化されている以外はほとんどが単線であり、運行本数の面でも近鉄優勢の状況にあります。

国鉄時代は分割民営化直前の1984年まで非電化のままで、電化後もJR発足からしばらくは2両編成の電車が走るローカル線でした。
その後は新駅の設置、交換設備の増設、一部区間の複線化など輸送改善が図られ、京都~奈良間の都市間輸送に対しては「みやこ路快速」という最速達系統を設定するなどして近鉄に対抗しています。

余談ですが、天皇・皇后両陛下が奈良を訪問された際、東海道新幹線で京都駅にやってきて、京都からは近鉄で奈良へ向かったため、JR西日本の路線を一切使われれなかったという出来事があり、これが奈良線への投資を後押ししたのでは?という話もあります。それから輸送改善が進み利用者が増えつつある奈良線ですが、結局その後も皇族方の奈良への移動では近鉄を使われることが多いようで、奈良線の利用は実現していないようです。


解説をしている間に列車はお茶で有名な宇治に到着です。


ここで「みやこ路快速」を待避します。当然京都へは乗り換えた方が早いですが、ここはあえて普通列車で乗り通していきます。


↑「みやこ路快速」発車シーン


205系も撮ったら再び乗車です。

城陽あたりまではローカル線という雰囲気が強く車内も空いていたのですが、城陽・宇治・六地蔵と進み京都が近づくに連れて徐々に車内は混み合ってきていました。地元の人の利用も多いですが、さすがは国際観光地京都というか、大きなスーツケースを抱えた外国人も多く見られました。


そして、京都に到着です。


隣りにいた221系


乗ってきた205系を撮ったら撤収してあとは家族が乗ってくる新幹線を待ちます。

京都観光ダイジェスト版

家族と合流した後は普通の観光旅行だったのでレポートにするような内容はあまりなかったのですが、ダイジェスト版として主だったところをご紹介したいと思います。
元々は保津川の川下りを計画していたのですが、これは増水により運休となったため急遽変更して目指したは「東映太秦映画村」です。
京都の定番観光スポットの1つですし、結構見どころが多い場所なので詳しく取り上げるとそれだけで1つの記事になりそうなので気になったネタを1つだけ・・・


昔の路面電車が展示されているんですね。もちろんレプリカですが、それでも実物大は迫力あります。
この車両は京都電気鉄道という私鉄の車両だそうで、日本初の営業運転する電車を走らせた会社として知られています。
なお、これの実物が愛知県の明治村で動態保存されていて、実際に乗車できるようです。そっちもいずれ行ってみなければ・・・

他にもいろいろ見どころがありましたが、あくまでダイジェスト版なので次へ・・・


一昨年乗車して以来の嵐電に乗って向かったのは・・・


嵐山にある渡月橋でした。
これも当初の予定にはなかったのですがスケジュールが余ってしまい太秦から行きやすい場所にある観光地として白羽の矢が立って訪れる運びとなりました。
ただ、今日は順調に回れているので忘れているかも知れませんが、この旅行は折しも大雨の時でした。旅行時点では雨のピークは越してむしろ暑さすら感じる気候でしたが、川はというと・・・


荒々しいというか、ダイナミックというか、渡月橋のイメージとは完全にかけ離れた姿を見せていました。
訪れた日の前日には渡月橋は通行止めとなっていたそうですが、これでも水位が下がってきていたようでこの日は通行は再開されていました。


↑動画を撮ってみました。
ちなみに、外国人を中心にやはりこのような姿の渡月橋は珍しいということなのか熱心に撮影している方の姿が見られました。

渡月橋の流出という最悪の事態は免れたようですが、現地で実際に見ると改めて大雨の恐ろしさを実感しました。このあたりでも増水により浸水などの被害はあったものと思います。
被害に遭われた方にはお見舞いを申し上げます。


渡月橋を渡るバスという若干の趣味要素を入れたらそろそろ撤収します。


帰り道はまっすぐ駅へ戻らず竹林の中を歩いてみました。
京都といえば竹というイメージがありましたからね。

この日は宿へ戻り翌日は京都鉄道博物館を訪れたのですが、これはちゃんとレポートしたいので別記事にします。

そして、旅行最終日、京都タワーへ登りましたが、京都タワーは京都駅の駅前にありますから当然行き交う列車も見えるわけで、鉄的にも楽しめるスポットでした。


乗りたくて乗れなかった103系が見えました。
ああ、乗りたかったなぁ・・・


続いて205系


新幹線もばっちり
こうしてみるとまるで模型ですねw

ダイジェスト版ということで観光部分のレポートはこれくらいにしたいと思います。

旅はまだ終わらない

あとは帰路につくだけと思ったら、まだ終わりません。
このとき時刻は16時前・・・まだ時間があるぞ!


そういってやってきたのは京都駅の奈良線乗り場

そう、今から奈良線の103系に乗るべくリベンジすることにしたのです。
調べたところ17時前には奈良行きで103系の運用の可能性が高い列車をTwitterなどの目撃情報から割り出しており、それで奈良まで1往復しても今日中に東京に戻ることが出来ることもリサーチ済みでした。
せっかく京都にいて時間的には103系に乗れる・・・この状況で乗らずに帰ってきたなんてあまりにもったいないですからねw


隣の乗り場には「サンダーバード」も入線してきます。


205系


221系

といった感じで撮り鉄しながら待ちます。実は4本いる103系のうちの2本は運用を概ね把握できていたのですが、残り2本の運用は不明なままだったので、もしかしたらひょっこり現れるかも知れないと期待してずっとホームでスタンバっていたのです。
もし早めに来てくれればそれだけ早く東京に戻れるわけでありがたいですしね。

103系を待つ間に動画もいくつか撮ったのでまとめてご紹介しちゃいますね。


↑221系「みやこ路快速」発車シーン


↑205系発車


↑221系入線


↑221系入線その2


↑205系入線


↑EF510形貨物列車通過

といった感じで撮り鉄を楽しんでいましたが、結局103系は来ず・・・
ですが、おそらく103系だろうと目星をつけている運用がそろそろやってきます。


↑そして、ついに103系キター!


221系との並び


いや~、乗れないと思ったのが結局乗れることになっただけに嬉しいですね~


反対の乗り場からも・・・


もういっちょ並べてみる。


↑もう1本103系キター!


なんと、103系同士の並びを拝むことができました!


↑というわけで城陽行きはあえて見送って発車シーンを撮ることに


この奈良行きで奈良まで1往復することにしました。


乗り込んで印象に残ったのがこの扇風機
もはや古い車両を象徴するアイテムと言ってもいいくらいですよね。

奈良線の解説などは前半でやってしまっているので省略しますが、録音環境も悪くなくわざわざ待った甲斐がありました。
また、もしレポート冒頭の大阪から京都への移動の道中で103系に乗っていたら録音は片道だけになっていたでしょうし、木津~奈良間にも乗れなかったので帰ってよかったかも知れません。

奈良駅にて

103系は一旦引き上げ線に入って30分後の列車で京都に折り返すようなのでその間に初訪問となった奈良駅の取材をしたいと思います。


201系と103系と221系という並び
221系がいなかったら国鉄時代に撮った写真だと言われても違和感がなさそうw


ホームです。3面5線というちょっと変則的な構造ですが、2面4線のホームのうち端っこの2番線に接する形で1面1線を追加した感じですね。
写真はその2番線ですが、1番線の隣は番号のないホームということになっていてこれは全国的にも珍しいのではないでしょうか。

これは1番線に発着する桜井線(万葉まほろば線)と2番線に発着する関西本線(大和路線)を対面乗り換えさせるためであり、2番線に入線した大和路線の列車は両側のドアを開けます。


駅名標
奈良駅では基本的に路線ごとに乗り場を統一しているためか、隣の駅は関西本線のものしか書かれていませんね。


103系と221系の並びを撮ったら外に出ます。


県庁所在地にして観光地奈良の玄関口の駅のためか、広々としたコンコースでした。


観光客を出迎えるパネル


奈良公園の鹿とせんとくんもお出迎え


立体Ver.のせんとくんも
そりゃ奈良がせんとくんのお膝元ですし、ここにいなかったらおかしな話ですよねw


コンコースの天井は神社仏閣をイメージしたのか和風ですね。


西口の駅舎です。奈良だけにもっと古風なデザインかと思ったら思いっきり現代風でしたw
2010年にこの駅舎に切り替わったそうで、まだまだ8年しか経っていないようです。


駅前広場もよく整備され、交通結節点としては十分な設備を整えているようです。


もう少し引いた駅舎


バスの待機スペース


ちょっと撮りバスもします。
奈良駅に乗り入れるバスの主役はなんと言っても県名をそのまま頂いた名前の奈良交通
ちなみに、以前乗車した日本最長路線の「八木新宮線」もこの奈良交通が運行しています。


ふと気になったのが左後輪のフェンダーにだけカバーが付いていることですね。
調べると関西圏の一部バス事業者でのみ見られる装備で、バス停で待っている乗客を後輪で巻き込まないようにするためのものだという話もありますが、全国的には少数派ですし、他に関西特有の事情でもあるんでしょうか。


これは東口ですが、なんと旧駅舎が保存されていたのです。
前の駅舎のほうが奈良の歴史にふさわしい重厚さがありますね。


古都らしい要素も見つけたら奈良駅はこれくらいで撤収です。


ホームで221系を撮影


↑桜井線の105系入線シーン


こちらも置き換えが発表されていますからね。近いうちに乗りに行かないとw


そして、103系もやってきました。
今度も録音環境は良さそうです。


宇治駅での待避での一コマ
当然乗り換えず京都まで103系に揺られます。

京都駅1つ手前の東福寺駅ではもう夜の8時近いというのに観光客が大勢乗ってきて驚きましたが京都駅で活動終了となります。


すっかり暗くなってしまいました。
ああ、これから東京まで戻るかと思うと気が重いですが、新幹線のおかげで2時間ちょっと座席に座っていれば着きますからね。


どうせN700系だと思って撮影もせずに乗り込んだ私はテーブルを出して駅弁を広げました。


牛肉のお弁当でした。普段はあまり駅弁を食べない方なのですが、帰宅が10時過ぎになるのは確定で、夕飯も車内で済ませようということで駅弁にしました。
時代は移り変われど、やっぱり駅弁こそ旅のお供ですよね(もう少し安く売ってくれれば買う機会も増えそうですがw

あとは書くこともないのでレポートは以上!
珍しく1万字未満で終わったレポートになりましたが、記事中でさり気なく触れたように京都鉄道博物館にも行ったので、次回はそのレポートでお会いしましょう。

~追記~
京都鉄道博物館の記事も公開しました。

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