2泊3日(前後の夜行含まず)で実施した四国遠征の2日目です。
なお、時系列としては「ままかりライナー」で岡山入りした実質1日目、岡山を起点に香川、徳島県を周り児島に宿を取った四国1日目(実質2日目)の続きとなります。できればそれらの記事を先にご覧頂くことをお勧めします。
このレポートでは「ままかりライナー」部分は別の旅とみなして、この記事を四国2日目として公開していきます。
行程の説明
宿を取った児島から2日目はスタートします。まずは特急「南風」で一気に高知まで移動し、とさでん交通の路面電車を乗りつぶします。まずは桟橋線で桟橋通五丁目へ向かい、その後まずは伊野線で伊野へ向かい、折り返して後免線で後免町へ、ごめん・なはり線で後免に向かった後、奈半利まで1往復して、復路は高知行きのJR直通列車で高知へ向かいます。その後は特急「あしずり」で中村へ向かい今日の行程は終わりです。
旅のメインは土讃線乗りつぶしととさでん交通、ごめん・なはり線の乗りつぶしということになりますね。
朝の児島駅
大都市圏ではそろそろ通勤ラッシュが本格化しているであろう朝7時過ぎ、ホテルをチェックアウトし、私は児島駅に向かいました。
ホテルから駅への道すがらに見えたのは「ミニ瀬戸大橋」とでも言うべき意匠の橋でした。
どうやら歩行者専用の橋のようで豪華な歩道橋みたいなものでしょうか?
明るい時の駅前の写真も押さえておきます。しかし、私の場合朝は1分でも長く寝ていたいというのもあり、あえて取材のための時間を確保しているわけではないので、駅取材というほど本格的に撮影はしません。
西鉄8000系さんが一緒なら、「絶対朝早くホテルを出て駅を撮る」と言って聞かなかったでしょうねw
下津井電鉄のバスがやって来ました。児島駅は倉敷市にありますが、鉄道で倉敷駅へ向かう場合一旦は岡山を経由しなければなりません。それがバスなら直行です。
明らかに1線増設出来そうなスペースが確保されていますが、これは何のためなんですかね。
将来的に輸送量が増えた時に留置線を設けるのか、四国新幹線のための施設なのか、大穴で下津井電鉄は当駅とは離れた位置に「児島駅」を別途設けていましたが乗り入れ計画でもあったとかですかね。
真相はともかく、こうして色々想像してみるのも面白いです。
「南風」で高知へ
昨夜も乗った「南風」ですが、今度は高知まで乗り通します。岡山~児島間には乗っていないので全区間乗車とはなりませんが、JR四国管内という意味では全区間乗車ですね。
「マリンライナー」でも昨日見た景色なのでもう動画は撮りませんが、つい写真は撮ってしまいましたw
時間的には昨日より1時間ほど早いのでまだ太陽の位置も低く違った印象の景色ですね。
四国に上陸し坂出市内です。ここで坂出駅方面と宇多津駅方面の線路が分岐しデルタ線となりますが、昨日は写真に写っている坂出方面の線路を通ったのでこの景色は初めて見ることになりますね。
宇多津駅で「しまんと」を連結
四国入りして最初の停車駅が宇多津となりますが、ここで高松からの特急「しまんと」を連結します。
この「しまんと」ですが、高松~高知・中村・宿毛間を運行する特急で、高松と高知の都市間輸送を担う列車となっています。しかしながら、岡山駅で山陽新幹線と連絡する「南風」に対して四国内完結の「しまんと」は需要が少ないようで「南風」単独運転の列車が増えており、その場合は多度津~高松間に「南風リレー」という快速列車が運行され、高松発着の利用者は乗り換えることとなります。
連結作業の間、ホームに降りてみることにしました。
貫通扉が開けられて「しまんと」を待ちます。
↑連結の瞬間は動画でどうぞ
無事連結を見届けたら車内に戻って高知への旅を続けます。
土佐路を快走!
宇多津から少しだけ予讃線を走ったら多度津から土讃線に入ります。
琴平までは電化区間であり、比較的本数も多い区間ですが、その先は非電化区間となり普通列車の本数はかなり少なくなります。
今回の旅は特急も使える切符だからいいですが、18きっぷで通るとしたら苦労しそうな区間ですね。
↑有名な「大歩危」付近です。
海沿いに進んだ前日とは打って変わり山岳地帯を抜け、高知市街へと入っていきます。
よく駅名がネタにされる後免駅に到着です。
ここからは土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線が分岐しています。
すっかり車窓は開け街中を走るようになると高知駅に到着です。
高知駅
高知県の県庁所在地、高知駅に到着です。
縦型です。
駅名ナンバリングが2つありますが、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線が当駅まで直通運転があるため2つになるようです。
隣の乗り場には土佐くろしお鉄道の展望デッキ付き車両9640-1Sがいました。
形式名は「くろしお」の語呂合わせから来ているようです。
↑発車シーンです。
私が乗ってきた「南風」はここで終着となります。回送幕に変わり一旦引き上げるようです。
↑そして、2000系の2両編成が入線してきました。これが「あしずり」として運行される車両です。
「あしずり」は高知~中村・宿毛を運行する特急列車でして、利用の多い時間帯以外は「南風」「しまんと」は高知止まりにして末端部を別列車として系統分断しているということですね。
列車名は高知県の西部に位置する足摺岬から来ています。
ホームです。2008年に建て替わったばかりの駅なので構内も今風のデザインです。
コンコースに降りてくるといきなり出迎えてくれたのは「よさこい祭り」で使われる鳴子でした。特大サイズですがw
「歓迎」の迎を鯨に変えてダジャレになっているようですが、この尻尾は鯨の尻尾なんでしょうね。
高知県はホエールウォッチングが盛んなようなのでそれをアピールしているんでしょうか。
高知の名所「はりまや橋」の模型もありました。
ちなみに、後ほど”本物の”はりまや橋にも訪れます。
瀬戸大橋周辺の路線図を再現しているようですが、瀬戸大橋線と土讃線の分岐点が同じ位置に来ていますねw
実際には宇多津と多度津で僅かですがズレて接続しています。
駅前にはバスターミナルがあります。ここからは四国内各地や九州・中国・京阪神・首都圏方面へと高速バスが出ています。
こちらは県交北部交通というバス会社でして、現在はとさでん交通に統合された高知県交通の子会社で不採算路線を引き継ぐために設立された会社のようです。
ちなみに、高知県で初めて女性運転士が誕生したバス会社だそうですよ。
路面電車が乗り入れる南口に対して北口はちょっと寂しい印象です。
それにしても、この巨大な鉄の箱のようなものは一体何なんでしょうねw
道路ブログでもないのに青看(案内標識)を貼ってみましたが、気になったのは「四万十市(旧中村)」という表記です。
中村は今宵の宿泊地でもあり、土佐くろしお鉄道中村線の終着駅となっていますが、現在は合併して四万十市と名前を変えているんですね。
合併後も旧名を併記するのは親切ですよね。
駅に貼ってあった「高知家」というものですが、高知県が地域振興策として県を家族に見立ててPRしているものようです。
とさでん交通
さて、ここからはJRとはしばらくお別れしてとさでん交通の乗りつぶしとなります。
とさでん交通という名前は先ほどから何度も出ていますが、土佐電気鉄道と言ったほうが馴染みのある方も多いかもしれませんね。
2014年に高知県交通、土佐電ドリームサービス、そして土佐電気鉄道を統合し「とさでん交通」と改称されました。
地元でどこまで新名称が浸透しているのかは分かりませんが、旧来は「土電(とでん)」と呼ばれることが多かったようです。県外では「とでん」と言うと「都電」の方が連想されてしまうので「土佐電」と呼ぶ事が多かったようで、これを新会社の名称に採用したというわけですね。
また、高知県内ではとさでん交通が唯一の電化鉄道であることから単に「電車」と呼ぶこともあるようです。
そういえば、福岡でも田舎の方だとJR線を汽車、私鉄を電車と呼び分ける風習があるようですね。
桟橋線
まずは高知駅前から桟橋通五丁目までを結ぶ桟橋線に乗ります。この路線はとさでん交通の軌道線では唯一高知駅に乗り入れる路線となっており、他の路線ははりまや橋へ出ないと利用できません。大抵の路面電車はJR駅を運行拠点としている事が多いですが、高知の場合バスも含めて市内交通ははりまや橋に集中しているようです。
そのため、短い路線ながら高知駅とはりまや橋を結ぶ重要な路線とも言えます。
線内にある桟橋車庫への入出庫以外は桟橋線内完結の運行となっており、伊野線、後免線への直通は通常実施されていません。
路面電車は駅前広場に乗り入れており、屋根付きの通路で繋がっているので雨でも安心です。
ベンチに時刻表などの掲示板、そして駅名標がコンパクトにまとめられた最近の路面電車の電停に多い施設になっています。
この辺りの軌道は新しく見えますが、高知駅高架化の時に延伸開業した部分に当たるようです。
電車がやって来ました。この電車には乗らずに次の電車に乗って桟橋通五丁目へ向かいます。
↑この電車に乗って桟橋通五丁目へ向かいたいと思います。
「わんぱーくこうち」というヘッドマークのようなものがついていますが、これは桟橋通五丁目の近くにある動物園の名称で開園時間中のみ電車にヘッドマークを装着しているようです。
乗り込んで早速目についたのは降車ボタンです。当然現在はワンマン運転となっていますが、この表記は車掌が乗務していた時代の名残なんですかね。
降車ボタンに連動して点灯するランプがついています。バスでもこういうギミックを設置している例がありますね。
桟橋通五丁目電停
桟橋線の終点、桟橋通五丁目です。
桟橋線は全線複線ですが終点部分は単線となっています。路面電車の終着駅にはよくある構造ですね。
電停付近は大きな交差点になっているようで車の往来はひっきりなしです。
道路管理者も流石にあの標識ではまずいと思ったのか交差点形状をイラスト化したものも併記されていました。
とさでん交通のバスがやって来ました。それにしてもホイールまで塗装されているんですね。
↑私が乗ってきた電車が発車していくようです。
↑信号が青になり交差点を通過していきます。
”桟橋”とつくだけに隣には桟橋があります。かつては大阪や東京へのフェリーが発着しており、桟橋線はフェリー航路連絡の使命もあったようですが、その全てが廃止されてしまい現在は漁船が係留されているのみでフェリーターミナルも解体されてしまったようです。
↑続いてやってきたこの電車ではりまや橋まで引き返します。
はりまや橋
高知市の交通の要衝にして、著名観光地でもあるはりまや橋で撮影と乗り換えを兼ねてしばらくぶらつきます。
このビルはデンテツターミナルビルといい、とさでん交通が保有するビルのようです。
ところで、この交差点はある事で日本で唯一だったりします。
その”ある事”というのは路面電車同士が十字に交差するということです。
かつては全国に多々あったんでしょうが、今では路面電車網も衰退してしまいこのような場所は貴重になりました。
さて、時間もあるので有名な「はりまや橋」へも行ってみましょう。
と思ったら実はこれがはりまや橋のようですね。現在は路面電車も通る大通りとなっており、橋の長さよりも幅のほうが長く現代の交通路に組み込まれてしまっており、観光名所の橋という感じはしません。
アンパンマンの石像を配置して少しでも観光地らしさを演出しているんでしょうか。
行政としてもはりまや橋をアピールしたいのか標識も用意されていました。
そして、橋の脇には観光客向けの復元したはりまや橋がかかっています。
はりまや橋は日本三大がっかり名所なんて不名誉な称号を与えられてしまっているようですが、それを脱却すべく行政も頑張っているんでしょうか。
↑動画も撮ってみました。
それでは、今度は伊野線の方に乗りますので乗り場へ向かいます。
駅名標のデザインが桟橋線とは異なりますね。
何だこの痛電車と思えば、どうやら広告ラッピングのようですね。
伊野線
伊野線ははりまや橋から伊野までを結ぶ11.2kmの路線であり、はりまや橋が起点となっていますが、実際には後免線と直通する電車が大半であり、伊野線と後免線をひっくるめて東西線という呼ばれ方をすることもあるようです。
はりまや橋から鏡川橋までの区間は大通りの真ん中を複線で走るごく一般的な路面電車の区間ですが、そこから先は単線となり、路地のような場所を走り抜けたり田舎道の脇を進んだりと路面電車らしからぬ景色になっていきます。
こんな狭いところを路面電車が走るだけでも驚きなのにこんなところに交換場所があるのもすごいですね。
2車線道路の片側を軌道が占領しているわけですが、道路自体は普通の2車線道路として供用されているので電車が来ると車は対向車線にはみ出して電車をかわしながら通行していきます。
何も知らずにこの道路に迷い込んだドライバーは戸惑うこと間違いなしでしょうねw
こんな狭いところなので電停も安全地帯すらなく路上に直接乗り降りするスタイルです。
この右側の四角い標識の意味が分かる方ってどれくらいいらっしゃるでしょうか?
運転免許を取り立ての方か、現在進行形で教習所に通っている方には分かってもらいたいものですが、「軌道敷内通行可」という標識です。
ようするに路面電車の軌道は原則として自動車は通行禁止ですが、この標識がある場所に限り通行してもよいという標識ですね。
かくいう私も実物を見たのは初めてでした。
そりゃあんな狭い場所を路面電車が通っていて軌道敷内を通行できないのでは車はどこを走ればいいんだという話ですよねw
狭いところを抜けると道路の端を通るようになります。これでも併用軌道として扱われるんでしょうかね?
この分岐の形からして、恐らく伊野線が通っている細い道が旧道で、バイパスとして直進する道が後から造られたんでしょうね。
もはや市街地ではなくちょっとした峠を越えるようになります。
路面電車というよりはローカル私鉄という感じですかね。
ちょっと分かりにくいですが、これは中山信号所でのタブレット交換風景です。
伊野線の朝倉~伊野間は通票閉塞となっており、今でもタブレット交換が見られる数少ない貴重な路線です。
末端部は流石にガラガラで学生の通学時間帯でもないこともあり、お年寄りが目立ちましたね。まさに地方の足という雰囲気でした。
伊野駅
様々な驚きを私に与えてくれた伊野線もここ伊野駅が終点です。
本数が少ないこともありすぐに折り返すため、大した撮影はできていませんが、簡単にご紹介していきたいと思います。
とりあえず電車を撮ります。
写真でも分かるように伊野駅は2線を備えており、2両の電車が同時に入線できる構造ですが、通常は駅舎に面した1線のみが使用され、路上に面した方は降車専用扱いのようです。
駅名標です。隣の駅が伊野駅前ですが、JR伊野駅最寄りはそちらとなっており、ちょっと紛らわしいですねw
ところで、この周辺にはかつて車庫があったようですが、現在は廃止されパークアンドライド用の駐車場となっているようです。
それらしい分岐の跡が車窓から見えたので行ってみたかったんですが、滞在時間が数分しかなく残念ながらそれは再訪時の宿題となりました。
この後は伊野線を折り返して一気に後免線まで進んでいきますが、伊野から後免町まで直通の電車は設定されていないので文珠通で一旦下車します。
後免線
はりまや橋までは先ほどの伊野線を引き返すだけなので後免線の紹介をしておきたいと思います。
後免線ははりまや橋から東へ後免町まで伸びる路線で、伊野線とは相互直通運転をしているのは前述の通りです。
ただし、後免線の終点の後免町を発着する電車は原則として伊野線の鏡川橋まで、逆に伊野線の伊野を発着する電車は後免線の文殊通までしか乗り入れず、後免町~伊野を走破する電車というのは存在しません。
まあそもそも伊野と後免を相互に移動する需要自体が少ないでしょうし、JR土讃線が完全に並行しているので所要時間面ではJRが圧倒的に有利だから直通する意味が無いということでしょうか。
後免町発着で後免線を走破する電車は日中は20分~30分に1本程度となりますが、今回途中下車する文殊通や領石通で折り返す電車も多く、高知市内では5~6分間隔で運行されており、市内交通としても便利な高頻度運行をしています。
あと、終点の後免町では土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線と接続していますが、かつては土佐電気鉄道(現とさでん交通)の安芸線という路線が接続しており、ラッシュ時には後免線に直通して急行運転をする電車も走っていたようです。
この安芸線は廃止されてしまいましたが、路盤の一部をごめん・なはり線が引き継いでおり、ルートも重複している部分も多いので、発展的解消とも言えるかもしれませんね。
文殊通駅
後免町方面へ乗り継ぐために一旦下車した文殊通ですが、意外と待ち時間があるので撮影は捗りましたw
駅名標です。明らかに修正された跡がありますが、何なんでしょうね。
ちなみに、文殊通も隣の介良通も駅名が変わったような経緯はないようです。
この区間は専用軌道ですが、すぐ脇を道路が通っており、路面電車っぽさはありますね。
ここで折り返す電車は一旦後免町方面へ進んで、この渡り線を使ってはりまや橋方面に折り返していきます。
ここに渡り線が設けられたのは1999年と意外と最近のことのようです。どうりで電車が折り返す割には車庫があるわけでもなく普通の住宅街の中にあるだけでそれらしさがないと思いました。
↑動画も撮影
はりまや橋でも見た”痛電車”が今度乗る後免町行きのようです。
とさでん交通は後免を「ごめん」とひらがな表記するのが好きなようですが、行先表示がちょうど車体に描かれている女の子のイラストの真横なので、まるであの女の子に「ごめん!」と謝られている気分になりますw
このあとは一気に終点後免町まで行ってとさでん交通完乗を果たします。
後免町駅
後免線終点の後免町駅に到着し、とさでん交通完乗達成です。
こちらの駅名標も修正された跡がありますが、かつては「ごめん町」と表記されていたようですね。
電車の行先表示でも「ごめん」と表記することが多いようですが、駅名の方も前は「ごめん」表記だったようですね。ついでにいうと隣の後免東町も「ごめん東町」と表記されていたようですね。
とさでん交通移管時に変更されたんでしょうかね。
駅自体は2面1線のシンプルな構造ですが、コンビニを併設した待合所が設けられており、ごめん・なはり線や路線バスとの交通結節点として活躍しています。
待合所は簡素な造りながら電車を待つには十分な設備が揃えられています。
隣にはバスの待機場所があり、路線バスの拠点ともなっています。
↑とさでん交通の動画を取ったらごめん・なはり線の方へ移動します。
すぐ隣には土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の後免町駅もあり、数分で乗り換えが可能です。
ごめん・なはり線の沿線には「アンパンマン」の原作者として知られるやなせたかし氏ゆかりの地があることもあって、ごめん・なはり線のマスコットキャラクターもやなせ氏がデザインしていたりしますが、これもその一つのようで「ごめん まちこさん」という名前のようです。
あと、当駅にはありがとう駅という愛称がつけられています。
これもやなせ氏の発案だそうです。その経緯を解説しようと思いましたが・・・
説明文まで現地調達できてしまいましたw
ざっくりいうと、後免駅と後免町駅が隣同士では紛らわしいから、後免町駅をありがとう駅と呼べばいいだろうという感じですかね。
ホームへはこの階段を上がっていきます。無人駅扱いとなっており、切符の発売や改札業務などは行っていませんのでホームへは出入り自由となっています。
ごめん・なはり線の方は高架駅となっており、見晴らしがいいです。構造としては1面1線の棒線駅です。
縦型を撮ったら一旦後免駅へ向かいます。
先に奈半利へ行って後免に引き返す形でもごめん・なはり線完乗は達成できるんですが、どうせなら1つでも多く録音を押さえたいという目的で後免に行ってから奈半利という遠回りなルートを選びましたw
後免駅
ごめん・なはり線の起点にしてJR土讃線との接続駅の後免にやってきました。
ここではある”ミッション”があります。
そのミッションとはごめん・なはり線1日乗車券の購入です。
後免町→後免の乗車を含めると1日券のほうが割安だったためそっちを使うつもりだったのですが、降車時に運転士に尋ねると車内では発売していないとのことでした。
となると後免町→後免間の運賃を一旦精算しなければならないのかと思えば、運賃は要らないから駅の方で買ってきてくれとのこと。
駅の方で事情を言うと普通に切符を買って無事ミッションクリアです。
というわけで、蛇足はこれくらいにして滞在時間わずかゆえに構内を簡単に撮っただけですがレポートしていきたいと思います。
列車を撮ったら奈半利へ向けてごめん・なはり線の旅を続けていきたいと思います。
切符を買ったりしている間に時間を食ってしまいろくに構内の撮影ができませんでしたねw
ごめん・なはり線
ここまでの記述では全て「ごめん・なはり線」の名称を用いてきましたが、これは愛称であり正式名称は土佐くろしお鉄道阿佐線となります。
前日の記事でも触れましたが、阿佐線というのは牟岐~後免間を室戸岬経由で結ぶことを目指して建設が進められていた国鉄の路線で、国鉄牟岐線の延伸扱いで海部まで開業したところで国鉄線としての建設はストップし、その後一部完成していた路盤を活用して徳島側は高知県境を越えた甲浦までが阿佐海岸鉄道阿佐東線として開業、高知県側は土佐くろしお鉄道が引き継ぎ、阿佐線として後免駅から奈半利駅までが開業したものの奈半利~甲浦間は未成となり、その後も建設の目処は立たず現在に至ります。
土佐くろしお鉄道は阿佐線の前に不採算路線として国鉄から引き継いだ中村線(窪川~中村間)の維持やその延伸区間にあたり国鉄から引き継いで建設することとなった宿毛線(中村~宿毛間)の整備を優先することとなったため、阿佐線は後回しとされ、開業にこぎつけたのは2002年のことでした。全く新規の建設というわけではないとは言え、地方のローカル鉄道が2000年代に入ってから開業していたというのはちょっと意外な事実ですよね。
徳島側の片割れである阿佐海岸鉄道の方はたった2区間しかない路線長や通学客の見込めない県境を跨ぐ区間であることもあり、存廃問題が度々持ち上がるなど予断を許さない状況ですが、こちらはJR土讃線の高知駅まで乗り入れを行っていたり、快速列車の運行があったり、オープンデッキを備える観光列車「やたろう」「しんたろう」が走るなど頑張っています。
比較的近年の建設だったため高架区間が多く、海沿いを走ることから眺望もよく、アンパンマンミュージアムや龍河洞といった観光名所にも近いので観光客の利用が見込めるのが阿佐海岸鉄道との明暗を分けた点かもしれませんね。
私が乗った列車は高知駅からやってきた快速列車で球場前まで快速運転をします。
しばらくは田園風景が続く普通のローカル線の景色です。
今では珍しい可動橋が見えました。手結内港という港へ繋がる橋のようですね。
「わしょく」と読みたくなりますが、「わじき」と読みます。
”食”を「じき」と読む例としては、他に成田線の安食(あじき)がありますね。
夜須を出てしばらくすると美しい海岸の景色が広がります。
ごめん・なはり線がテレビなんかで取り上げられるときはこのあたりの景色が紹介されることが多いのではないでしょうか。
↑動画も撮ってみました。
日本一高い防潮堤だそうです。高知県は南海トラフ地震による津波被害が懸念されており、対策にも力を入れているようですね。
そして、阿佐線の主要駅となる安芸駅に到着です。
安芸駅のある安芸市は高知県東部の主要都市で、江戸時代の風情を残す土居廓中や、岩崎弥太郎生家があることでも知られます。
駅としては阿佐線の車両基地があり、夜間滞泊も設定されるなど阿佐線の運行拠点となっています。当駅と後免を結ぶ区間列車も多く沿線の主要都市の1つと言えますね。
また、阪神タイガースが安芸市をキャンプ地としていることから阪神タイガースグッズも販売していたりするようです。
ここからは阿佐線未成区間を代替する甲浦方面、ゆずドリンク「ごっくん馬路村」で有名な馬路村方面などの路線バスがあり、その他市内バスや後免・高知方面のバス、大阪への夜行バスなどが出ており、交通結節点としても重要な場所です。
奈半利駅
阿佐線の終点、奈半利駅に到着です。
ここではただ単に折り返すだけですが意外と待ち時間があったのでしっかりした撮影ができたと思います。
終端部です。唐突な終わり方をしているのがいかにも未成区間があるという感じですが、この鉄路が室戸岬を越えて甲浦まで繋がる日は来るのでしょうか。
外に出てみます。駅舎はローカル線の終端とは思えない立派な作りです。
中にはお店があり、観光物産館のようになっているようです。
駅前ロータリーには路線バスが乗り入れており交通結節点という役目もあります。
乗り入れるバスの行先を一覧にしていて分かりやすいですね。
入口はこんな感じ
よく見ると「津波避難ビル」の標識が付けられていますが、先程の展望デッキに倉庫のようなものがあったのは避難施設としても使えるように防災用品などを備蓄しているのでしょうかね。
これが噂の甲浦方面へのバスです。外から見る限り乗客は数名程度のようでしたがw
まだ少し時間があるので駅の裏手の方へ行ってみました。
見てみたかったのはこの景色です。高架橋が唐突に終わるのはやっぱり未成線らしさがあります。
当初は甲浦方面への延伸を考慮した設計だったそうなんですが、結局計画段階で延伸を考慮しない構造に変更されているようですね。それにしても、どのあたりが「延伸を考慮しない」構造なんでしょうかね。
それではホームに戻って高知へ戻りましょう。当駅のホームは1面1線の棒線駅と終着駅としては寂しい構造ですが、2002年開業なら必要最低限の設備のみ設けた合理的な設計ということで納得してしまいますね。
昔は終着駅と言えば、機関車牽引の列車が多かったので機回し線やターンテーブルなんかも必要ですから、こんな簡素な構造というわけにもいかなかったのが、今は単行ディーゼルカーならそのまま逆方向へ折り返せるので極論を言えばホームさえあれば駅として成立してしまうんですねw
先ほどと同じ列車ですが、今回は甲浦方面からバスでやってきたのか鉄道少年団のようなグループが乗り合わせており録音環境は微妙です・・・w
今回はJR線直通の高知行きということでそのまま高知まで一気に移動してしまいます。
高知で小休止
高知駅では特急「あしずり」に乗り換えるのですが、それまでは1時間半にも及ぶ待ち時間がありますw
各駅停車の窪川行きならすぐに接続していたのですが、それに乗って行っても結局「あしずり」が追いついてしまうダイヤとなっており、だったら高知市内でゆっくり夕飯でもということで1時間半の乗り換え待ちを許容した経緯があります。
とはいったものの、高知駅周辺にはこれだという飲食店を見つけられず、せっかくとさでん交通の1日券の効力がまだ残っているので高知市の繁華街であるはりまや橋まで市電で行ってみることにしました。
その前に先ほどは撮れなかった高知駅の残りの部分を撮影してから乗車しました。
駅前に堂々と鎮座されているのは土佐を代表する偉人の武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎のお三方ですね。
何の警告かと思えば車道にはみ出て撮影するなということのようです。
確かに広角でないレンズのカメラを使って先ほどの三志士を並べて撮影しようとすると車道にはみ出ないといけない場合もありますからね。それは安全上好ましくないということでの警告なんでしょう。
撮影も済んだら市電ではりまや橋へ向かいます。
電車を撮ったら飲食店を探してアーケード街を彷徨いますが、高知の地のものをと思うと高級そうなお店ばかりになってしまい、散々歩き回った挙句ファーストフードで軽く食べて、中村駅付近で食べ直すこととなり、はりまや橋まで出た意味は?という結果となりましたw
この仕掛け時計が見られたのはちょっとした観光要素でしたかね。
あと、帰りに乗ったこの電車、名鉄美濃町線で走っていたものが譲渡されてきた車両のようで、2両しか在籍しないレア車種だったようですね。
結局はりまや橋界隈を散歩したついでにファーストフードを食べただけになりましたが、特急「あしずり」で中村へ向かって本日の行程を終えたいと思います。
特急「あしずり」
ここからは特急「あしずり」で一気に中村へ移動して終わりです。
この「あしずり」ですが、高知~中村・宿毛間を運行する特急列車で、実態としては「南風」「しまんと」の高知駅以西を系統分断したものといえます。時期によって事実上「南風」「しまんと」の送り込み運用として運行されていたこともありますが、現在は「南風」「しまんと」の高知以西乗り入れが減ったこともあり、それに接続する列車という意味合いが強くなっています。
乗車率はさほど高くなく、系統分断されるだけのことはあるななどと思いつつ、高知駅を発車していきます。ところで、「あしずり」は高知県内完結の特急列車ながら2時間近く乗車するわけですが、こうして考えると高知県も広いものですね。
高知を出ると旭、朝倉、伊野と停まっていきますが特急で3駅先まで路面電車が並走して走っているというのはすごいですよね。
このあたりから車窓も暗くなり楽しめなかったのですが、かといって寝落ちすることもなくエンジン音をBGMに列車にただ揺られる時間が過ぎていきました。
窪川をすぎるとJR線ではなく土佐くろしお鉄道に入りますが、今回使用する「若者限定 四国フリーきっぷ」では土佐くろしお鉄道には乗れないので車内で精算しました。
本当は精算のやり取りが録音に入るのを避けるため、高知駅の窓口で購入しておきたかったんですが、窓口で尋ねると車内精算してくれとのことで土佐くろしお鉄道の乗車券・特急券は売ってもらえませんでしたw
あと、思ったのは普通の鉄道マンという雰囲気のJRの制服に対して、土佐くろしお鉄道の制服はいすみ鉄道かジェットスターの乗務員のようにラフな感じでしたw
中村駅
とさでん交通やごめん・なはり線に立ち寄りつつ、1日かけて高知県を横断してきましたが、これにて2日目の行程は終わりです。
とりあえず駅名標を撮りました。
何気に駅名ナンバリングがされていました。
別バージョンもありました。
中村は土佐の小京都なんて呼ばれているんですね。
隣のホームからは普通宿毛行きが接続していました。
実はこの列車で宿毛まで今日中に行って、宿毛に宿泊という案もあったんですが、中村の方がホテルや飲食店も充実していたので中村で宿泊にしました。
↑夜遅くで暗いのですが動画です。
やはり高知で食べた軽食では足りず小腹も空いてきたのと、早くホテルに入って荷物をおいてきたかったので駅の方はほとんど撮らずにホテルへ直行しました。
さて、夕飯ですが少し歩くもののインター付近に丸亀製麺を発見したのでそこで頂きました。チェーン展開しているとは言え、一応四国のご当地グルメですからね。あ、丸亀市は高知県じゃなくて香川県というツッコミはなしですよ?w
というわけで、この記事はここまでです。翌日分は追って執筆したいと思います。
~追記~
3日目も公開しました。