今回は都営バスの東20系統と、東急バスの渋12系統に乗車しましたのでレポートします。
なお、この活動からそのままとある遠征に繋がっていきますが、活動内容が異なることからこの日の活動は遠征とは別のタイトルとしています。
また、この活動の主題である東20系統については2022年3月31日をもって運行終了、渋12系統については同日をもって大幅減便となっていますが、この活動はそれより以前のものであり、記事中の記述は当時のものとしてご覧下さい。
各系統の詳細は記事中で説明するとして早速本編に入っていきたいと思います。
都営バス東20系統
まず最初に乗車するのは都営バスの東20系統です。
この路線は東京駅丸の内北口と錦糸町駅を結ぶ路線であり、同区間には同時に廃止されたS-1系統と、他に東22系統も存在しており、2022年3月31日までは同じ区間に3つの系統が共存している状態でした。
そのうち、S-1系統については前回の活動で乗車しているので、詳しくはその時の記事をご覧頂きたいのですが、こちらは東京スカイツリーや浅草・上野の方を経由するのに対して、今回乗車する東20系統は永代通り・三ツ目通りを経由し、東京都現代美術館経由となっています。
一方、東22系統とは東京駅丸の内北口~木場駅間では並行しており、東20系統は東22系統の補完路線という役割も果たしていました。
元々は東京都現代美術館へのアクセスを改善する目的で設定され、この路線のお陰で東京駅から東京都現代美術館まで直通で移動できるようになっていましたが、今回の廃止により今後の東京都現代美術館へのアクセスは新橋駅~とうきょうスカイツリー駅間の業10系統のみということになります。
というわけで東京駅にやってきました。
丸の内口の赤レンガ駅舎はいつ見ても壮観ですね。
赤レンガ駅舎と中央線E233系
井上勝氏の銅像がありました。
この方は明治期の鉄道官僚を務めた方で、「日本の鉄道の父」とも言われる方なんです。
主な功績としては現在の東海道本線に相当する路線の建設計画に関わったなどがあり、明治期の日本の鉄道の発展に尽力したそうです。
そんな東京駅丸の内口には2つのロータリーがあり、そのうち丸の内北口から今回乗車する東20系統も発車します。
こちらがバス停です。
ちょうど掲示物を入れ替える作業をしていたようです。
屋根や柱にも「東京都現代美術館経由錦糸町駅前行」と案内されています。
作業が終わったようなので案内を撮りますが、新たに東京駅丸の内北口発が設定される都03系統の案内になっていました。
東20系統廃止で余る乗り場を転用するようですが、まだ東20系統の運行が残っているのにもう貼り替えてしまうんですねw
永代通りの主力路線と言える東22系統は1つ手前の乗り場から出発です。
バスがきました。
ちなみに、以前は東京都現代美術館のラッピングバスを優先的に充当していたこともあるらしいですが、今は特にそんなこともないようです。
側面の幕は撮りそびれましたがとりあえず乗車します。
↑車窓は動画でどうぞ
今回は平日の活動ということで前回のS-1系統みたいなさよなら乗車組による混雑はなく割と空いていました。
東京駅丸の内北口を出るとバスは永代通りへ出てJRの高架下を潜ると呉服橋バス停に到着します。
ここは東京駅日本橋口のすぐ傍であり、東京駅でも利用する路線によっては呉服橋から乗ったほうが便利な場合もあるのかここからの乗車も多かったです。
その先も引き続き永代通りですが、この地下には東京メトロ東西線が通っており、木場駅までは完全に並行して走ることになります。
なので、鉄道に利用客を奪われる形になり、この区間の利用者は少なめでした。
あと、車窓の特徴と言っていいのか分かりませんが、この先にはJRバス関東の車庫がある関係で、JRバスを始め、共同運行のバス会社の高速バスが回送で頻繁に往来するためバス好きにはそういう意味でも楽しめる区間だと思います。
そして、永代通りの名の由来である永代橋で隅田川を渡ると中央区から江東区へと入っていきます。
ところで、この永代橋ですが、初代の橋は江戸時代に掛けられたという由緒ある橋となっており、かつては都電も通っていました。
また、面白いのが永代橋上の区間の永代通りは中央線変移区間となっており、5車線ある車線のうち、真ん中の1車線は状況に応じて通行する方向が変わるのです。
現在は真ん中の車線は西行きとして運用されるのが基本となっており、西行き3車線、東行き2車線という運用になっているようですが、状況に応じて不定期に東行き3車線、西行き2車線という運用をすることもあるみたいです。
バスはその後も永代通りを進みますが、木場五丁目交差点で左折して三ツ目通りに入っていきます。
ここで東西線とはお別れですが、地下を走っているので車窓からは分かりませんw
また、東22系統はこの先も永代通りを直進なのでやっぱりここでお別れです。
三ツ目通りを進むとしばらくして東20系統の本来の目的とも言える東京都現代美術館が出てきます。
錦糸町駅行きは三ツ目通りの路上にある「東京都現代美術館前」というバス停にのみ停車しますが、反対の東京駅丸の内北口行きの場合は東京都現代美術館の敷地内にあるバス停にも乗り入れており、こちらのバス停名は「東京都現代美術館」となっており、しかも東京行きも「東京都現代美術館前」にも連続停車するなどちょっと紛らわしいですw
まあ、錦糸町から乗車してきた場合は、「東京都現代美術館」の方に先に停まるので「東京都現代美術館前」の方で間違えて降りてしまうというパターンはまずないと思いますが・・・
ちなみに、三ツ目通りには東20系統の他に、業10系統も通っていますが、東京都現代美術館の構内へ乗り入れていたのは東20系統だけであり、業10系統は路上の「東京都現代美術館前」にのみ停車だったため、東20系統の廃止後は東京都現代美術館構内へ乗り入れる路線バスは消滅し、(構内の)「東京都現代美術館」のバス停は廃止ということになると思います。
ここでは数名の観光客風の人が降りていきまして、本来の目的でこの東20系統が使われている様子を見ることが出来ました。
東京都現代美術館を過ぎると清洲橋通りと交差し、同時にこの地下を通る東京メトロ半蔵門線とも交差するわけですが、この付近に駅はなく800mほど離れた清澄白河駅まで行かないと乗り換えられません。
なお、清洲橋通りには秋葉原駅と葛西駅を結ぶ都営バスの秋26系統も走っているので、三ツ目通り沿いからの利用なら都営バスのほうが便利かもしれません。
もう少し三ツ目通りを進み都営新宿線の菊川駅付近で右折して新大橋通りに入っていきます。
しかし、住吉一丁目ですぐに左折して大門通りへ折れてしまい、新大橋通りを走るのはほんの僅かです。
大門通りを北上して首都高7号小松川線と交差しつつ江東橋交差点で国道14号(京葉道路)に右折して錦糸町駅です。
錦糸町駅に到着ですが、降ろされたのは東22系統が出るバス停でした。
東22系統は今後も運行されますし、東20系統よりも本数が多いのですが、錦糸町駅~東陽町駅間の区間便もあるため錦糸町側は特に本数が多くなっています。
東陽町駅~東京駅間は東京メトロ東西線と並行するため本数が控えめなんでしょうが、それでも日中でも15分ヘッド程度はありますからすごいですよね。
区間便も加わる錦糸町側では日中でも5分ヘッドという高頻度運行です。
この東20系統は都営バスの中でも利用者数の上位に入るドル箱路線の1つのようです
このようにバス停に直接着けずに客扱いをするバスもあるみたいで、それを知らずに乗り遅れて苦情を言った人がいるのかもしれませんね。
これはバスロータリーのスペースに余裕がない場所でありがちですが、慣れていないと分からないですもんね。
さて、ここからはまた東20系統で東京駅へ折り返すわけですが、錦糸町駅での乗車バス停は駅前ロータリーではなく少し離れた四ツ目通りの路上にあるバス停なのでそこまで歩いて移動です。
こういうところでも冷遇されていますね・・・w
あそこがバス停です
同じバス停から築地行きの錦11系統と臨海車庫行きの錦22系統も出ており、ちょうど錦22系統が停車中ですね。
というわけでバス停の案内ですが、こちらは錦11と錦22の案内のみとなっていますね。
そして、東20系統については簡易な貼り紙で案内されていました。
恐らくは東京駅と同じで既に正式な案内は廃止後のものに貼り替えられていて、東20系統廃止までは簡易の貼り紙で凌ごうということなんでしょうw
東20のバスがやってきました。
往路と同じバスのようですね。
それでは発車です。
↑復路も車窓は動画でどうぞ
錦糸町駅からしばらくは錦糸町行きの運行とは異なる経路となり、バス停のある四ツ目通りをそのまま南下していきます。
首都高を過ぎて住吉駅付近で新大橋通りとぶつかると右折して行きます。
そのまま直進して住吉一丁目交差点で錦糸町行きの経路と合流してあとは同じ経路で東京駅まで向かいます。
菊川から左折で三ツ目通りに入ると東京都現代美術館に差し掛かりますが、前述の通り東京駅行きに限り構内まで乗り入れます。
ここからは美術館見学の帰りだったのか数名乗ってきました。
その後は往路と同様に永代通りを経て東京駅まで行きました。
そして、東京駅へ戻ってきました。
ここからはJRに乗って渋谷へ移動し、お次は渋12系統です。
東急バス渋12系統
続いて乗車するのは東急バスの渋12系統です。
こちらもまず解説から入ると、渋12系統は渋谷駅と二子玉川駅を国道246号(玉川通り)経由で結ぶ路線となっていて、桜新町駅・用賀駅付近を除いて東急田園都市線に並行する路線となっています。
歴史的にはかつて渋谷~二子玉川間を結んでいた路面電車の玉川線(玉電)の廃止代替バスとして登場しましたが、新玉川線(現在の田園都市線)が開業してからはその補完路線という形になっていました。
それでも2022年3月までは日中でも毎時2本程度の本数が設定されており、決してマイナー路線ではなかったのですが、2022年4月1日以降は運行本数が土曜日の夜に1往復のみと大幅に削減され、代替として二子玉川~駒沢大学前駅間に玉12系統が設定され、渋谷方面への利用の場合は駒沢大学前駅で乗り換えが必要になりますが、同時に乗継割引制度が導入され、駒沢大学前駅にて90分以内に乗り継ぐ場合は2回目に乗車したバスの運賃はICカード利用に限り引き去られず、実質1回分の運賃のみで利用可能となっています。
このため渋12系統については完全に廃止というわけではありませんが、週に1回だけという事実上の免許維持路線化されるためその前に乗っておこうということで今回乗車することにしました。
というわけで渋谷へやってきました。
いつ来ても活気に溢れる街ですが、私は乗り換え以外の目的で訪れたことがありませんw
こちらも渋谷名所の1つだと思いますが、モヤイ像です。
そういえば、普段は乗り換えだけですぐに立ち去っていたので、ハチ公もモヤイ像もちゃんと見たのは初めてかもw
渋谷は鉄道駅としても主要ターミナル駅の1つですが、路線バスも多く集まっていて案内板もすごいことになっていますw
渋谷駅西口の駅前ロータリーとは別に東急フラクスの1階部分にもバスターミナルがあり、渋12もそこから出ています。
車道と乗り場はガラスで仕切られるというなかなか本格的なバスターミナルです。
敷地の都合か規模はそんなに大きくないですけどねw
渋12の案内です。
基本は二子玉川駅行きですが、入庫を兼ねて高津営業所まで行く便も存在します。
時刻表です。
このように毎時2本程度出ていて、鉄道に並行する路線にしては本数が確保されている方だと思いますが、東急電鉄では混雑の激しい田園都市線のバイパスルートとして路線バスを推してきた経緯もあってなんでしょうね。
なお、三軒茶屋駅や駒沢大学前駅までは他路線が多く重複して走っており、特に三軒茶屋までは時刻表が不要なのではないかというほど頻繁にバスが走っています。
ダイヤ改正のお知らせです。
今回渋12系統はあくまでも「大幅減便」であり、廃止ではないのですが、毎時2本程度走っていた路線が一気に週1本だけの免許維持路線化されるわけですから一般利用者にとっては廃止に等しい改正ですよね。
バスは既に停車していましたが、ガラス越しだと撮りづらいですw
そして、今回もマニア席を確保できました。
前回玉11系統に乗った時に東急バスではマニア席を開放していることを確認済みで、今回も期待していたのですが、私より先に並んでいた人たちはマニア席には興味が無いみたいで普通に後ろの方の席に行ったので座ることが出来ました。
まあ、一般人からすればマニア席なんてやたらと高くて乗り降りしづらいし、1人がけなので複数名での利用には向かないですしねw
↑というわけで前面展望動画をどうぞ!
それでは発車です。
渋谷駅を出ると玉川通りを出るわけですが、構造上一旦西口ロータリーを周回する必要があります。
玉川通りに出るとあとはずっと道なりですが、玉川通りと通称されるこの道路は国道246号であり、厚木市や御殿場市を経て沼津市まで行く幹線道路であり国道1号のバイパスとしても使われるためかなり交通量が多いです。
また、上には首都高3号渋谷線も通っており、かつては富士山も見えたという眺望も今では高架しか見えませんw
なので、車窓を楽しむという点では微妙かもしれませんが、逆に都会の道路らしい景色とも言えるかもしれませんね。
更に駒沢大学前駅付近までは地下に東急田園都市線も通っており、東急田園都市線・国道246号(玉川通り)・首都高3号渋谷線という3つの交通路が重複して通るという究極に高度化された土地利用の姿という見方もできますね。
流石は世界でも有数の人口密度を誇る東京です。
駒沢大学前駅は改正後に新設される玉12系統の起点となる場所であり、等々力方面や田園調布方面のバスが分岐していく場所でもありますが、渋12系統としてはそのまま玉川通りを直進する場所に過ぎません。
なお、東急田園都市線についてはここから先は玉川通りを外れて少し北側を通り桜新町・用賀を経由して二子玉川へ向かうため、ここでお別れとなります。
この駒沢大学前駅~二子玉川駅間について解説しておきますと、現在田園調布線が通っているルートはかつての玉川線のルートでもあり、また、かつての国道246号のルートでもありました。
しかし、バイパスとして現在の玉川通りや首都高3号渋谷線が通るルートが後から開業し、その時に国道246号の経路が現在のものに切り替えられた経緯があります。
同時にかつての国道246号だった玉川線経由のルートは桜新町駅を境に世田谷区道と都道427号瀬田貫井線に格下げされました。
なので、渋12系統は元々玉川線の代替バスとして運行されたのに部分的に玉川線の経路を踏襲していないことになりますが、これについても解説しておきますと、実は玉川線の代替として設定されたバスは渋12だけではなくて、他にも多数の路線が設定されていて、その中には渋03・渋04という系統もありました。
この系統はそれぞれ渋谷~二子玉川間と渋谷~溝の口間を結んでいたのですが、こちらは駒沢大学前~二子玉川間ではかつての玉川線のルートを通っていたのです。
この時点では田園都市線沿いに進む「旧道経由」に対して、渋12は「新道経由」と案内され、当時は急行便の設定もある速達系統という位置づけだったみたいですが、後に玉川線のルートを引き継いで新玉川線(現在の田園都市線)が開業すると玉川線の代替として設定された系統も整理されることとなり、そのうち旧道経由の路線は縮小され、後に廃止されることとなりました。
このようにして最終的に渋谷~二子玉川間のバスは渋12だけとなったわけですが、それすらも免許維持路線化され、玉電の痕跡はますます希薄になっていきますね。
これには東急田園都市線が首都圏でも屈指の混雑路線であり、並行して走る路線バスをバイパスルートとして活用したい東急電鉄の思惑もあり渋12も現在まで維持されてきたのが、コロナ禍でテレワーク化が進んで通勤需要が減った結果として、ラッシュの混雑も緩和される方向になり、路線バスでバイパスルートを提供する必要性が薄れ、より合理的な運行形態として、駒沢大学前駅~渋谷駅間は並行する他路線を活用して、代替手段がない駒澤大学前駅~二子玉川駅間のみを玉11系統として存続させるという判断になったというのがありそうな理由ですかね。
用賀一丁目にて首都高は別れていき、上空の見晴らしが良くなりますが、すぐに瀬田交差点に差し掛かります。
ここで旧道にあたる都道とも合流し、また東京を代表する道路の1つとも言える環八通りとも交差する交通の要衝となっています。
そのために渋滞多発ポイントともなっているみたいですが、この時は日中だったおかげかそれほど渋滞はしていませんでした。
また、この地下東急田園都市線も通っていますが、この付近に駅はないためこの地区からの公共交通機関はバスのみとなっています。
瀬田を過ぎるとバスは側道へと分岐していき旧道の方へと進んでいきます。
このあたりで田園都市線も地下から地上へ顔を出してきて二子玉川駅に到着です。
降車は路上のバス停でした。
この旧道も国道246号に指定されているみたいですが、駒沢大学~二子玉川間とは違って都道などへの格下げはされていないみたいですね。
その向こうにバスターミナルがあります。
渋12系統も乗車はこちらとなるようです。
二子玉川ライズはバスターミナルの向こうまで続いているようです。
また、この奥には国内有数のインターネット企業として知られるあの楽天の本社もあります。
バスロータリーの前を通るのは多摩堤通りでして、前回の活動で乗車した玉12系統が走行していた道路です。
ところで気になったのがこの盛土のような構造物でして、最初はかつての玉電の遺構ではないかとも思ったのですが、よくよく考えると多摩堤通りは多摩川に沿って進んでいるわけでかつての玉電のルートとはずれていますし、ではこれは何なんだと調べてみると、多摩川の旧堤防だそうです。
今はもっと大規模な堤防が作られたので本来の役割は失われていますが、撤去されること無く残っているようです。
東京23区内でしかも駅前という好立地にありながら撤去を免れてきたのはすごいことですよね。
そして、真ん中には切れ目になっている部分がありますが、この部分は道を通すためにあえて堤防に切れ目を作った陸閘(りっこう)というものだそうです。
堤防は川が氾濫した時に洪水を防ぐために作られるものなのに、そこに切れ目を作ったら意味がなくなるのは当然ですが、氾濫時には陸閘に板を嵌めたりして氾濫を抑えていたようです。
なお、この陸閘は既に本来の役割では使われておらず、旧堤防の向こうにある住宅地とを結ぶ道路としての役割のみとなっていますが、全国各地を見渡せば陸閘は今でも現役のものが存在していて、大きなものでは既に廃線になっていますがJR西日本の旧三江線が陸閘を通過していました。
旧堤防の上にも登れるようになっていましたので登ってみました。
こうしてみるとやっぱり鉄道用の盛土のようにも見えてきますね。
複線の線路を敷くには窮屈ですが、単線なら有り得そうです。
まだ折り返しの渋12まで時間があるのでしばらく撮りバスします。
この玉06は二子玉川駅と砧本村を結ぶ路線なんですが、これも鉄道の名残とも言える路線でして、玉川線の支線的な存在だった砧線の後を引き継ぐバスとなっています。
終点の砧本村付近には駒澤大学の玉川キャンパスがあるみたいなので、砧線も存続していれば通学路線として賑わっていたような気もしますが残念ですね。
なお、砧という漢字は一般的には馴染みが薄い漢字だと思いますが、これは「きぬた」と読みます。
これも玉川線絡みの知識の一つとして知ったマニアの方を除けば、地元の方くらいしか読めない地名ではないかと思いますが、漢字の意味としては洗濯した布を叩いて柔らかくしたりシワを延ばすための道具のことなんだそうです。
地名としての砧もこの道具が由来であるようですが、この土地と道具としての砧の関係については調べても分かりませんでした。
教習車がいました。
もちろんこれは教習所の車ではなくて、東急バスが所有するもので新人運転士さんの訓練用ということなんでしょうね。
どんなバス会社でも新人運転士さんはいきなり営業運転をするのではなくて、最初は乗客を乗せないバスで腕を磨いてから営業デビューするものですが、その練習期間中は一般の営業用のバスをそのまま利用するケースや、このように専用の教習車を用意しているケースもあります。
こちらは前回乗車した玉11系統です。
ただし、この日は平日でしたので小杉駅東口への乗り入れはなく、玉川駅行きでした。
小田急バスもいました。
ここから調布駅までの玉08系統であり、この路線は狛江駅を経由するのですが、かつての東急砧線は狛江市への延伸計画もあったそうだったので砧線の幻のルートを辿るバスという見方もできますね。
向ヶ丘遊園駅行きの向02系統と同じバス停に渋12系統も発着します。
ここにもダイヤ改正のお知らせですが、コピー用紙に印刷しただけのものを養生テープで貼ってあるだけなので湿気を吸ってしまったせいか捲れてしまっていますw
そして、バスが来ました。
って、あれ?これって・・・ワンロマ!?
バスに詳しくない方にはワンロマと言われても分からないと思うので解説すると、ワンロマというのは「ワンマンロマンスカー」の略であり、外観は一般路線バスであり2箇所の乗降扉を備えるなど通常の路線バスとしての利用も可能としつつ、車内は一般の路線バスより上質な座席を使用したり座席定員を増やしたり、中にはシートベルトやETCなどを装備して高速道路の通行に対応していたりと、貸切バスや高速バスとしての運行にも対応するという、路線バスと高速バス・貸切バス(観光バス)の折衷的なバスの俗称となっています。
このようなバスが登場した背景には、例えば路線バスの場合は平日は通勤通学需要があるためより多くの本数を走らせる必要があるものの、休日は平日よりは少ない本数で済みますが、対して貸切バスは休日に需要が集中しがちであり、このように一般路線と貸切で需要のピークがずれる場合に両方に対応する車両を導入することでより効率的な車両運用を目指したわけですね。
バスマニア目線では比較的珍しいバスになるので出会えれば嬉しいですし、一般利用者目線でも一般のバスよりも座席が上質な分、快適に乗車できるメリットはありますが、バス会社にとっては座席定員を増やしている分、立ち席乗車できるスペースが減っていますから混雑時の詰め込みが効かず輸送力という面では通常の路線バスより目減りしてしまいますし、車内が混み合うと乗降に時間がかかったりするため、一般路線バスとして運用する場合は比較的利用者の少ない路線に投入される事が多いです。
そして東急バスにおいては渋12がこのワンロマを走らせる定番路線ということのようです。
ただ、そうなると渋12が大幅減便された後は、そのまま流れで玉12に投入されるのか、別の路線に投入先が変わるのか、どうなんでしょうね。
私の前にも大勢先客がいた都合上後ろからの構図ですが車内です。
なんとなく普通の路線バスより座席が豪華なのが分かるでしょうか?
それでは発車です。
今回はマニア席に座れなかったのと、このまま遠征に繋がるのでバッテリーとSDカードの残量を温存する意味で動画はなしです。
代わりに車窓は写真で撮っていきます。
バスロータリーを出て国道246号(旧道)に出ると二子玉川駅の高架下を潜ります。
国道246号の本線はアンダーパスが整備されていて信号無しで通過可能ですが、バスは側道にバス停がある関係上側道を通ります。
あと、何故か「瀬田陸橋」がひらがな表記にw
首都高3号渋谷線と中央環状線の接続点となる大橋ジャンクションです。
中央環状線の方は地下トンネルの山手トンネルの中なので地上からは見えませんが、3号渋谷線から分岐するランプウェイが見えますね。
ちなみに、地上の高架道路から地下まで狭い敷地でランプウェイを繋がなければならなかったためループ状のランプウェイとなっているのも大橋ジャンクションの特徴ですが、そのループ状のランプウェイが設置されている敷地は2002年まで東急バス大橋営業所があった場所で、さらに遡ると玉川線の大橋車庫があった場所となっており、鉄道とも縁のある場所となっています。
そして、終点の渋谷駅に到着ですがここで1つ気づきました。
最後尾座席の下に「移動中!」と書かれたステッカーが貼ってあるのですが、何故か鏡文字になっています。
どうやらこれは運転士さんに向けたもので、車内事故防止の観点から乗客がまだ車内を移動していないかをしっかり確認せよというニュアンスなんでしょうね。
鏡文字なのは運転士さんは車内を鏡越しに確認するので、鏡越しに見た時に正しく読めるようにしているのでしょう。
折り返しは高津営業所行きとなるようですね。
高津営業所行きだと二子玉川駅を通り越して二子橋を通って多摩川を渡るのでこちらもいずれ乗ってみたいですが、もう渋谷から乗るチャンスはありません・・・
もうすぐ発車みたいなので出発を動画で撮ってから撤収したいと思います。
↑というわけで発車シーンです。
このあとは所用があり池袋へ行かないといけないのですが、せっかく都バスの1日券があることですしバスで行きたいと思います。
なお、JRか副都心線を使った方が早いのは言うまでもありませんw
大々的に再開発の進む渋谷の光景もしっかり記録しておきましょう。
渋谷スクランブル交差点の通称もある渋谷駅前交差点です。
今やただの交差点ではなく外国人にも注目される観光スポットにさえなっていて、1回の青信号では最大で1000人を超える歩行者が横断するなど、知名度と歩行者の交通量にて大変な知名度がありますね。
渋谷の象徴の1つとも言える場所ですが、都営バスの渋谷駅西口バス停はこの交差点の先にあります。
ここから先は正直言っておまけですが、是非最後までご覧下さい。
おまけ
というわけで、渋谷から都営バスで池袋を目指します。
こちらは富士急行の系列のフジエクスプレスというバスです。
貸切バスがメインの同社ですが、路線バスとしてはコミュニティバスの運行受託の他、渋谷周辺のシャトルバスも走らせています。
都営バスがやってきました。
こちらは池86という系統で、渋谷駅から明治通り経由で池袋まで行き、一部便はサンシャインシティまで乗り入れます。
この池86については以前に乗っていてレポートもしていることもあって詳しいことは割愛しますw
この後は池袋で降りて用事を済ませて、あとはそのまま池袋から夜行バスに乗る予定だったのですが、思いの外用事が早く終わり時間が余ったので、せっかく買った都バスの1日券を活用してもう1本乗りバスすることにしましたw
次に乗るのは王40系統です。
この路線は池袋駅東口を起点に明治通りを北上して西巣鴨・王子駅へ至り、更に豊島五丁目団地・江北橋・西新井大師を経て西新井駅まで行く路線であり、その全長は約11kmと都内の路線バスとしては長い部類になります。
それでいて、実はこの路線は最新のデータでは都バスの中でトップの運賃収入を誇り、利用者数でも第2位という都バス屈指のドル箱路線なのです。
西新井から池袋へ抜けるには鉄道で行くと乗り換え必須であり遠回りを強いられるのでバスの需要が大きいのでしょうね。
実際、既に日も落ちてラッシュも一段落した時間帯でもバス停には大勢が並んでいて私は何とか座れましたが、私より後に乗った人は立ち席になっていました。
ざっくりと乗った感想ですが、王子駅の少し先までは明治通りを通るため大通りを進むのですが、その先は2車線道路の狭い道が続き王子を境にして大きく沿線風景が変わります。
一方で、王子駅を跨ぐ利用者も多く、王子から先の道路は交通量はあまりないのにバスは混んでいるという不思議な感じです。
西新井に到着です。
このまま池袋へ折り返しますが、しばらく西新井で撮影をしたいと思います。
西新井駅は東武鉄道の駅ですから当然という気もしますが東武バスも乗り入れています。
ただし、運行しているのは周辺地域と駅を結ぶローカル系統ばかりで、他の路線の駅までショートカットできるような路線はほとんどないみたいです。
王40系統のバスが3台も並んでいました。
本数の多さがよく分かりますね。
駅舎ですが、ちょうど再開発工事の最中だったこともあり一部が解体されていました。
時刻表です。
日中ですら7~8分間隔であり、しかもそのほとんどが池袋まで行くんだからすごいものです。
特に朝ラッシュの時間帯が凄まじくて、なんと4分間隔で走っています。
これを1時間あたりの本数に換算すると15本ということになります。
あとはまた王40系統に乗って池袋へ戻り、そこで夜行バスに乗って次の遠征に旅立ちますが、夜行バスは単独でレポートの需要が多そうなので、別記事ということにして、今回の記事はここで区切りたいと思います。