2泊3日で四国をほぼ乗りつぶす旅の3日目です。
なお、1日目・2日目の続きとなりますのでなるべくそちらを先にご覧になることをおすすめします。
本日の行程
昨夜宿を取った中村から土佐くろしお鉄道宿毛線の始発列車で一旦宿毛まで行って、そのまま折り返す形で窪川へ、そこからは予土線で宇和島に出ますが、そこで利用する列車が「鉄道ホビートレイン」となります。
宇和島からは特急「宇和海」で松山へ行きます。松山からは普通列車で伊予長浜経由の旧線の方を乗りつぶしつつ伊予大洲で今度は内子経由の新線で松山に戻ります。
松山では伊予鉄の路面電車で松山市駅に移動後、郊外電車の高浜線・横河原線の2路線を乗りつぶしたら終了です。そこからは夜行バス「道後エクスプレスふくおか号」で福岡へ移動となりますがそれは別記事としてレポートしたいと思います。
早朝の中村駅
まずはホテルをチェックアウトして中村駅に向かいます。今回利用するのは6時23分発の列車でして、当駅から宿毛方面への始発列車となります。
中村から宿毛への流動を考えればずいぶん早い始発のようにも思えますが、土佐くろしお鉄道中村・宿毛線の運行拠点がここ中村駅なので宿毛駅からの始発列車の送り込みを兼ねて設定されている列車なんでしょうね。
6時過ぎとはいえ、もう撮影に支障がないほど明るいですね。
西日本は関東に比べて日の出が遅いわけですが、関東での生活が長くなるとその感覚がおかしくなりつつありますw
そして、こちらが駅舎です。当駅は1970年に国鉄線の駅として開業したもので、1988年に土佐くろしお鉄道に継承されていますが、国鉄分割民営化は1987年のことですから1年間はJRの駅だった時期もあることになりますね。
土佐くろしお鉄道に継承後は駅舎内に土佐くろしお鉄道の営業拠点が設置され、本社の所在地ともなっているようです。
なお、駅舎自体は開業当初のもののようですが、リノベーションと称して大規模な改築がされており、外見は古いですが中は新しかったりします。
当然土佐くろしお鉄道の表記ですが、1年間限定のJR駅だった頃はJRのロゴが付いていたんですかね。
ご覧のように内部は現代風ですね。
ちなみに、改札はあるものの出入り自由となっており、切符を事前購入している人や車内精算の人はそのままホームに入れますが、私は1日券を買わなければならないので改札に立ち寄ってからの入場となります。
ホームには2000系がいました。当駅始発の「あしずり」に充当される車両のようです。
そして、お次に乗るのはこの1両編成のワンマンカーです。
TKT8000形という車両で、土佐くろしお鉄道発足時から頑張っている車両のようです。
早速乗車しますが予想通り車内はガラガラw
これは最高の録音になりそうですw
まあ、前述の通りこの列車は宿毛からの始発列車のための送り込み運用のようなものでしょうし、早朝に中村駅から出発する人はほとんどが県庁所在地の高知へと続く窪川方面への利用者でしょうしね。
中村・宿毛線の愛称は「四万十くろしおライン」というんですね。初めて知りましたw
土佐くろしお鉄道宿毛線
ここから乗車する土佐くろしお鉄道宿毛線について解説をしておきたいと思います。
宿毛線は中村線の延長のような路線ですが、普通列車については中村で系統分断されるケースが多く、中村線直通は朝夕に限られています。
その他、特急「南風」と「あしずり」が乗り入れますが年々本数が減っており、現在は「南風」1往復と「あしずり」0.5往復のみとなっています。
「あしずり」については宿毛まで運行してきた車両を高知へ回送するついでに走らせているというのが実態だと思いますから、実質的には1日1往復のみということになりますね。最盛期には6往復の特急が宿毛線に乗り入れていたようですが、このまま乗り入れ自体が廃止されてしまうじゃないかというくらいの落ちぶれっぷりですね・・・
ちなみに、逆に宿毛へ向かう送り込み運用的な特急は走っていませんが、恐らく前日の運用を終えて中村に滞泊した車両を回送で宿毛まで持っていっているんでしょうね。
特急の話はこれくらいにして宿毛線の紹介に戻りますが、この宿毛線は元々宇和島から中村を結ぶ路線の一部として計画されていました。
予讃線、土讃線(当時はそれぞれ予讃本線、土讃本線)が開通し、宇和島や窪川まで鉄道がやってくるとこれを接続して四国を循環する鉄道ルートを作ろうという機運が高まり、既に私鉄として一部が開通していた江川崎経由のルートと宇和島から海辺に沿って宿毛を経由して中村に至るルートが考えられ、それぞれ建設されることとなりました。
前者は既に一部区間が開通していたこともあって予土線として全通にこぎつけましたが、後者については中村線として窪川~中村間が整備されたところで国鉄の経営悪化もあって工事が凍結されてしまいました。この時現在の宿毛線に当たる区間ではおよそ半分の用地買収とおよそ3割の路盤工事が完了していましたがしばらくそのまま放置されることとなります。
そして、中村線の経営分離に伴い発足した土佐くろしお鉄道が工事を引き継ぎ開業させることとなり、1997年に開業を果たします。
更に凄いのが元々最高速度100km/hで計画されていたものを2億円を追加投入して120km/h対応に改良している点でして、現在の特急1日1.5往復の運行形態からすればオーバースペックな線路規格のようにも思えますが、もしかしたら将来的に宇和島まで繋げる構想を意識してのことだったんでしょうかね。
このように、元々国鉄が建設・運営していたものを引き継いだ中村線と違って、国鉄が造りかけて凍結した工事を引き継いで開通させたのが宿毛線ということになりますね。
計画自体が比較的近年にされていたこともあって、トンネルや高架を多用した直線的な路線となっており、地域輸送に徹するのはもったいない印象もありますね。
その後も特に乗ってくる人もなく列車は終点宿毛に到着です。
ところで、ここで車窓から見えたコンビニの看板がきっかけである失態に気付きました。それはホテルをチェックアウトするときのことでした。
昨夜夕飯を食べ終えた後に立ち寄ったコンビニで買ったスイーツを冷蔵庫に入れたまま来てしまったのですw
数百円のもののために行程を変更してまで取りに戻る気は起こりませんでしたが、こういうときってやたらと悔しく感じますよねw
部屋を清掃するスタッフが見つけて美味しく食べているか廃棄されるかのどちらかでしょうが、過ぎたことは仕方ないとそのまま旅を続けていきます。
宿毛駅
宿毛線の終点宿毛駅に到着です。
特急のためなんでしょうが、単行のワンマンカーのためのホームにしては長大な有効長となっています。
終着駅だけに終端部も見ておきます。
ところで、宿毛線って実は中村が起点ではなく、ここ宿毛が起点になっているんですね。当初の計画では宇和島が起点だった名残のようです。
あと、当駅を語る上で避けて通れないのが「宿毛駅衝突事故」です。この事故は当駅へ向かって走ってきた特急「南風」がほとんど減速することなく当駅の車止めに突入し駅舎を半壊させ車両も大破したという事故で、直前までインフルエンザを患っていた運転士が復帰した当日の事故だったとのことですが、当該運転士が事故で死亡してしまったこともあって、インフルエンザとの因果関係は分かっていません。事故で駅舎が大破したことからしばらくは東宿毛駅で折り返し運転となっていましたが現在はこの写真のように綺麗に修復されています。
この事故ではATS地上子による速度照査も機能し非常ブレーキを作動させることには成功していたようですが、路線の最高速度に近い110km/h超で進入してきた列車を停止させるには至らなかったようです。原因として元々このあたりは最高速度70km/hで計画されていたものを途中で引き上げたため、地上子の位置が現在の最高速度に対応できていなかったことがあげられており、これを受けてJR四国や高松琴平電気鉄道(ことでん)でも行き止まりの配線になっている駅では対策が施されました。
幸いにして乗客に死者は出なかったようですが、保安装置の重要さを実感しますね。
改札へと続く階段です。この階段も位置的に事故で大破したんでしょうかね。
改札口は昔ながらのスタイルです。
むしろ自動改札だったら驚きますけどw
ちょっと分かりにくいかもしれませんが、駅前ロータリーも整備されています。
当駅からは宇和島への路線バスが出ていて、2時間ほどで宇和島へ出られるようです。バスを使えば鉄道が果たせなかったルートを走破できるのは阿佐線と同じですね。
また、京阪神や東京への夜行バス、高知市への高速バスもあるようです。
駅周辺はロードサイド店が多く終着駅周辺にしては珍しいパターンのように思いましたが、宿毛市の中心部へは隣の東宿毛の方が近く、当駅は市内の臨港地区へもアクセスしやすい位置ということで設置されたようです。
あと、当駅は四国最南端にして高知県最西端になるようです。
2度目の中村駅
この後は窪川行きの列車なので乗り換えは必要ないのですが、中村駅で20分程度停車するようなので車内にいるのも暇で少しだけホームで撮影をしました。
ところで、この停車時間についてはアナウンスを聞くまで知らなかったんですが、ここで駅前のホテルに戻って、置いてきてしまったスイーツを回収しようかという案が浮かびました。確かにホテルは本当に駅前ですし時間的には十分回収してくることは可能です。
しかし、よほど高価なものならともかく、一度宿毛に行ってから戻ってくるという行程を知らないホテルのスタッフにわざわざ数百円のスイーツのために戻ってきたと思われるのも恥ずかしいという考えがよぎり、結局潔く諦めることにしましたw
気を取り直して色々撮っていきます。2000系が側線に入っていました。
↑ここでTKT8000形が2両編成で入線してきました。
↑1両だけ切り離されて発車していきました。
↑残りの1両も発車です。
ホームに据え付けられました。当駅始発の「あしずり」に充当されるのかと思いましたが、次の「あしずり」は11時過ぎと3時間以上も後のようなので違うようです。
反対側へ移動するときには回送幕に変わっていました。
ここで合点がいきました。昨日も軽く触れた話ですが、1日1往復だけ「南風」が宿毛に乗り入れていますが、宿毛始発岡山行きの「南風」に充当する車両を宿毛に回送するところだったんですね。
流石にこの短距離を特急として営業するわけにも行かず、回送としているんでしょうね。
意外と撮るものがあっていい具合に時間も潰れたところで発車時間です。更に進んで窪川へ向かいます。
土佐くろしお鉄道中村線
昨日も「あしずり」で乗った中村線ですが、昨夜は暗くて車窓も見えなかったのでここでご紹介を兼ねて車窓を何枚か貼っていきたいと思います。
中村線は国鉄線として建設され、赤字83線の1つとして第三セクターに転換され現在に至るのは既にご紹介した通りです。
これが土讃本線の一部として扱われていたら国鉄の赤字路線整理の方式が路線単位での収支だったことを考えれば、第三セクター転換はなく現在でもJR土讃線の一部として運行されていたかもしれませんが、その場合土佐くろしお鉄道は全て国鉄の工事を引き継いで開業させた路線のみになっていたのでその収支は今よりも悪かったかもしれませんね。
現在は土讃線から直通してくる特急以外は窪川~中村間の普通列車というラインナップですが、窪川~若井間は予土線の列車も乗り入れてくるのが特色でしょうか。
特急が1日1.5往復になってしまった宿毛線に比べれば高知以南の特急は基本的に中村まで運行されるので恵まれているといえますね。
あと、余談ですが、中村駅があるのは四万十市なんですが、窪川駅があるのは四万十町なんですね。”市”か”町”かの違いだけで名前が同じというのは紛らわしいですよねw
名前からしてお察しですが、どちらもいわゆる平成の大合併で誕生した地名で、四万十市は2005年に中村市と西土佐村が合併して成立、四万十町は2006年に窪川町、大正町、十和村が合併して成立しているようで、四万十市の方が1年早く”四万十”の名前を使ったことになりますが、後発となった四万十町も有名な四万十川の知名度にあやかりたくて紛らわしさを承知で同じ名前にしたんでしょうかね。
更に余談ですが、四万十市には”四万十町”という地名があるそうで、こちらは窪川の方の四万十町よりも古い歴史を持つようです。
高速道路の方ですが、現在窪川のあたりまで延伸しており、四万十町中央インターという名前のインターチェンジがあるようです。
一方、中村の方には中村宿毛道路という自動車専用道路がありますが、そちらのインターは四万十インターチェンジです。市町村名にこだわらないで中村インター、窪川インターとしたほうが分かりやすかったと思いますけどねw
道路ブログでも行政ブログでもないのでこれくらいにして旅を続けていきます。
開業が1970年と古いこともあってカーブも多く線形は宿毛線に比べると低規格ですが、その分海沿いの景色が楽しめます。
土佐佐賀駅から海辺を離れていき、荷稲駅からはループ線で一気に登っていき若井駅に至ります。
営業上の予土線との分岐は若井駅ですが、その手前の川奥信号場が実際の分岐点となっています。その写真も撮っておきたかったですが、うっかりしていて撮り忘れましたw
その代わりと言っては何ですが若井駅付近からループ線の荷稲方面の線路を見下ろした写真です。
ちょっと分かりにくいですが写真中央の谷の奥にレールが延びているのが分かるでしょうか?
ところで、若井でも予土線に乗り継ぐことは可能ですが、窪川で乗り換えても十分な乗り換え時間が確保でき、「鉄道ホビートレイン」を撮影する時間を確保する意味でも窪川乗り換えとしました。
窪川駅
土佐くろしお鉄道とJR線の接続点となる窪川駅です。
駅名標は中村駅にあったのと同じタイプですが、駅名ナンバリングの後付感がw
名所案内のようですが、やっぱり札所が入っているのは流石四国です。
構造は3面4線で、現在立っている1番線は中村方にのみ繋がっていて土佐くろしお鉄道の普通列車が発着します。
真ん中の1面2線に土讃線の普通列車と特急列車がそれぞれ発着し、それを挟んだ向かい側に位置する4番線が予土線の列車が使用するという感じで特急列車以外は列車の向かう方向でホームが固定されているようですね。
忘れないうちに乗ってきた列車を撮ったら一旦外に出たいと思います。
JRと土佐くろしお鉄道はホームが分離されているだけでなく、駅舎も別々となっており、改札も別だったりします。まあ仮に普通に構内で乗り換えができたとしても駅前には出たでしょうけどねw
中間改札もあるようで、ホーム上で乗り換えを完結することも出来るようですね。
広告入りのベンチというのは地域に根ざした駅という感じでいいですね。
駅前にいた可愛らしいバスは四万十交通というバスでした。
それにしても、せっかく電光掲示板タイプの行先表示器なのに行先ではなく運行区間のみを表示しているんですね。
他にもバスがいました。右側は塗装こそ違うものの先ほどと同じ四万十交通です。一方、左側はコミュニティバスでおなじみのポンチョの時点で察しが付きますが四万十町のコミュニティバスのようです。
それにしても、このコミュニティバスの時刻表がすごいですw
なんと日替わりで1路線ずつ運行するという方式で各路線は1週間のうち1日しか運行されていないようです。しかも土日の掲載がないことから土日は運行しないようです。
最小限の車両と運転士でできるだけ遍く町域をカバーしようとした結果なんでしょうけど、週に1回しかやって来ないバスとなると本当にマイカーに頼れない交通弱者のための最後の砦といったところでしょうか。
しかし、バス路線の乗りつぶしとかを実践されている方にしたらこういう路線は月曜~金曜まで最低5日間は四万十町に滞在しないと乗りつぶせないということであり乗りバス泣かせになりそうですw
そして、こっちがJRの窪川駅です。なんか土佐くろしお鉄道の駅舎のほうが立派な気がw
なんだか遠目だと駅に見えませんw
駅名の表記が小さいこともあるかもしれませんね。
鉄道開通記念の石碑がありました。この鉄道のおかげで県庁所在地の高知市はもちろん、全国ネットワークに繋がったわけで恩恵は計り知れないでしょうね。
案内標識にも札所があるのには驚きました。
車での八十八ヶ所巡礼にも対応してのことなんですかね。まあ八十八ヶ所巡礼でなくても普通に参拝するケースもあるでしょうけど。
そして、JRの駅舎の内部です。土佐くろしお鉄道のものと比べて小綺麗になっていて、心なしか活気もある気がします。
このあとはいよいよ「鉄道ホビートレイン」にご対面です!
いよいよ「鉄道ホビートレイン」
それでは、特急券も要らない四国新幹線に乗りに行きましょう。
こちら側は普通のキハ32系の顔の面影が残っています。
キハ32系に0系っぽい塗装を施したという感じに見えますね。
やはり鉄道ホビートレインはこっちから見てなんぼですよね。
立体的なパーツを取り付けて0系をかなりリアルに再現しています。
”鼻”の部分のメッシュが気になりますが、それでもよく再現できていると思います。
こちらが0系の鼻部分ですが、前照灯はキハ32系に元々ついているものを筒のような部分を通してそのまま利用する仕組みになっているようです。
面白いのが前照灯と尾灯を切り替える機構でして、この筒は前照灯の方にしかついていないため車両側で尾灯に切り替えてもうまく照らせません。
そこで、前照灯の筒部分に赤いフィルターを挿入して尾灯に切り替えてしまうという機構になっているようですが、そのフィルターは運転士が手動で抜き差しするというアナログな手法なんだそうですw
早速乗車しますが、ご覧のように車内はすごい混雑。撮影が困難なのは言うまでもなく、そもそも座ることすらできそうにありません。
どうやら先ほど隣に停車した特急列車から団体客が乗り換えてきたようですね。漏れ聞こえる会話から察するに鉄道ファンのサークルのようでしたが、ごめん・なはり線でも遭遇したシチュエーションですねw
乗車記念として新幹線の座席を模した部分があってそこで記念撮影できるようにしているようですが、この混雑では撮影は無理・・・w
あと、運賃表示器ですがちゃっかり東海道新幹線の駅名を入れているあたり芸が細かいですねぇ。
しかも、東海道新幹線開業当時から存在する駅のみ記載されています。
整理券発行機も青く塗られ、車内のデザインに溶け込むように配慮されているようです。
軽く鉄道ホビートレインについて説明しておくと、鉄道ホビートレインは予土線の全通40周年と前身の宇和島鉄道宇和島~近永間開業100周年を記念して2014年3月にデビューしました。観光列車にありがちな全席指定席と言ったケチなことはしておらず、予土線の普通列車として走っているので乗車区間に有効な乗車券さえ持っていれば誰でも乗れます。
車内の撮影はろくにできませんでしたが、とりあえず宇和島へ行くにはこれに乗るより他にないのでこれに乗って予土線完乗を果たしたいと思います。
予土線の旅
予土線については土佐くろしお鉄道のくだりで軽く触れましたが、改めてご紹介しつつ旅を進めたいと思います。
予土線は予讃線の北宇和島駅と土佐くろしお鉄道中村線若井駅の間を結ぶ路線で、予讃線は宇和島駅まで、中村線は窪川駅までそれぞれ直通運転となっており、実質的には窪川~宇和島間の路線であるといえます。
土讃線と予讃線を接続するルートの一つとして計画された3つのルートの内、唯一全線開業にこぎつけたのが予土線であることは既に触れたとおりですが、北宇和島~吉野生間は宇和島鉄道という軽便鉄道が前身であり規格が低く急カーブが連続する区間となっています。
一方、吉野生~若井間は国鉄が建設した区間であり、特に江川崎~若井間は1970年代に開業したこともあって比較的線形がよく運転速度も高速です。
現在は観光列車の「しまんトロッコ」を別とすれば全て普通列車のみの運行であり、一時期は急行「あしずり」が予土線内快速扱いのものの乗り入れていた時期もあったようですが、専らローカル輸送を担ってきた路線です。
また、予土線には「しまんとグリーンライン」という愛称がつけられており、実際四万十川の車窓がとても綺麗であり、それを売りにした観光列車が幾つか設定されています。そのうちの1つが今乗っている「鉄道ホビートレイン」なんですが、他に「海洋堂ホビートレイン」や「しまんトロッコ」があります。
それらについては実はこの先の駅で見るチャンスがありますのでそのときに詳しくご紹介したいと思います。
四万十川を見つつ往く
若井からは土佐くろしお鉄道中村線とも別れを告げて、いよいよ正真正銘の予土線に入っていきます。
開業時期が古い路線だと川の蛇行に律儀に付き合うようにくねくねした線形が多いですが、この区間は比較的近年の開業のため四万十川を串刺しにするように一直線に進む線形です。
↑動画も撮ってみました。
あと、沿線には変わった駅名がいくつかあります。
土佐大正駅があって・・・
土佐昭和駅もあります。
大正も昭和も四万十町内の地名のようですが、こうして年号の駅名が連続しているのは面白いですね。
ちなみに、”土佐”と旧国名を冠していることから分かるように他にも大正駅と昭和駅が存在しており、大正駅は大阪環状線と大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線にある他、長崎県の島原鉄道線にもあります。また、廃駅ですが北海道帯広市の旧広尾線にもあったようですね。
昭和駅は神奈川県のJR鶴見線、あと、ついでなので取り上げると平成駅は熊本県のJR豊肥本線にあります。
ところで、残念ながら明治駅は存在しないようですw
結構有名なのでご存知だった方もいらっしゃるかもしれませんが、半家駅です。漢字で書くと何がネタなんだと思われそうですが、読み方が「はげ」でして、予土線を題材にしたジョークとして、「若い(若井駅)と言われて喜び、ハゲ(半家駅)と言われて怒り出す」なんてものもあるそうです。
なお、北海道には増毛駅(ましけ)という駅もありますが、残念ながら今年中の廃止が決まっています・・・
そちらにも訪問したことがありレポートしていますのでよろしければご覧下さい。
駅名のネタもそこそこに車窓を楽しみたいと思います。
橋がかかっていると川の景色に対してのアクセントになりますね。
似たような写真を既に撮っていると分かっていてもついついシャッターを切ってしまうw
江川崎駅
列車は江川崎駅までやってきました。ここで20分ほど停車時間があるようなので列車の撮影も兼ねて駅取材をしました。
こんな長閑な風景の中にいる0系っぽい車両というのも面白い写真になりますねw
改札口です。かつては予土線唯一の直営駅だったようですが、今は簡易委託駅になっています。
右脇に写っているベンチですが、2013年にこの地で日本の観測史上最高気温となる41.0℃を観測したことから「日本一暑い町」として売り出しているようで、中央部に向けて傾斜がついたベンチにカップルで座れば自然と密着する形になりアツアツになれるというものらしいですw
個人的には松岡修造さんとタイアップしてほしかったですかねw
駅舎です。「鉄道ホビートレイン」から途中下車している人たちで賑わっていますが、普段はもっと静かな雰囲気なんでしょうね。
なお、ここからは中村駅への路線のほか、フィーダー路線として四万十市営バスが出ていますが、いずれの休日運休だそうで、休日には一切バスがやって来ないということになります。
ホームに戻ると対向列車の窪川行きがやってきていました。
そして、この窪川行きに充当されているのが「海洋堂ホビートレイン かっぱうようよ号」というものです。
そもそもホビートレインというのは予土線の打井川駅が最寄りとなる「海洋堂ホビー館四万十」という施設が2011年に開業したことにちなんで、海洋堂のフィギュアを展示した車両を「ホビートレイン」として走らせたのが最初で、2013年には2代目となるSF風のホビートレインがデビューし、今年には「2016奥四万十博」「えひめいやしの南予博2016」の開催に合わせて3代目がデビューし現在に至ります。「鉄道ホビートレイン」同様予土線の普通列車として運行されるので予土線に乗車できる乗車券を持ってさえいれば誰でも乗車できます。
↑発車シーンを撮影です。警笛が面白いですw
この後は再び鉄道ホビートレインに乗って予土線を進んで行きます。
ここからは四万十川とは別れて広見川という川に沿っていきます。
吉野生駅
続いては吉野生駅で10分程度の停車です。ここでは「しまんトロッコ」と交換します。
この駅名なんですが、宇和島鉄道として開業した当時は吉野駅だったようです。それが国鉄が買収したときに吉野生駅と改称されたようで、その理由を調べてみると宇和島鉄道時代は吉野村に所在していましたが、吉野村が蕨生村、奥野川村と合併して、合成地名として吉野生村となり、更にその後松丸町と合併して松野町となり現在に至るようです。ここは合併の度に合成地名になって変化していったようですね。
一線スルー化もされておらず、ホームと列車の方向が必ず一致するのでこのような案内ができるんですね。
こちらが駅舎です。今はこんな小さな駅舎ですが、宇和島鉄道時代はここが終着駅だったわけでもっと大きな駅だったのかもしれませんね。
さて、このあとは「しまんトロッコ」の通過を待ちますがせっかくなので跨線橋から「鉄道ホビートレイン」と絡める形で撮影したいと思います。
↑動画です。
宇和島へラストスパート
ここから先は宇和島鉄道として開業した区間を前身としていますが、乗っていても分かるほど線形は悪くノロノロ運転でしたね。
しかし、ここからは一般の利用者もチラホラと乗ってくるようになり、沿線の集落に住む人達が宇和島へ出る貴重な足となっているようです。
問題は車内が大勢の観光客(鉄道ファン含む)で既に混雑していたことです。お年寄りも多く乗ってきていましたが座れず立つことを強いられていました。
今回は団体客もあって特別なのかもしれませんが、山口県の山陰本線を走る「みすゞ潮彩」のように2両編成にして1両は観光客向け、もう1両は地元の利用者向けと住み分ければいいと思いましたね。
私の足もそろそろ限界が近づいてきていましたが、なんとかその前に宇和島についてくれましたw
宇和島駅
予讃線の終着駅でもある宇和島駅では「鉄道ホビートレイン」の車内撮影というミッションが残っています。
色々な鉄道模型が展示されています。
他にも新幹線の模型なんかもあったんですがそちらはうまく撮れていません。
車外に出て改めて撮影です。他の乗客たちも同じような行動を撮っていましたw
ところで、恐らく窪川から乗り合わせていたであろう鉄子が一人いたんですが、撮影の仕方が結構ガチで相当なファンなんだろうななんて思いながら撮影していました。
↑フィルター撤去作業の様子です。
↑折り返し窪川行きの発車を見送ったら駅取材開始です。
ところで、先ほどから乗り合わせていた鉄道ファンのグループが何やら「松山まで行って観光しよう」などと会話しているのを小耳に挟んでしまいました。ということは必然的に「宇和海」に乗るということであり、宇和海の録音もパーになってしまう可能性が大・・・ヤキモキしながらの駅取材となりましたw
そして、駅名標です。正式には予讃線のみが乗り入れることになっていますが、予土線も北宇和島駅から直通してくるので駅名ナンバリングは2路線分あります。
発車標ですが、ちゃんと「鉄道ホビートレイン」って表示してくれるんですね。
何かと思いましたが、「うわじま牛鬼まつり」というお祭りで使われる「牛鬼(うしおに)」のようです。
駅前のバスロータリーです。宇和島の路線バスは駅から離れた場所にある宇和島バスセンターに集まっているようで、駅に乗り入れる路線は一部に限られるようです。そのためかそれほど活気を感じられませんでした。
このバスが宇和島自動車です。宿毛へも路線を持っている他、松山方面への都市間バス、大阪への高速バスなんかも手がけているようです。
あと、SLが展示されていますが、これは宇和島鉄道が使用していた機関車のレプリカだそうです。また、写真では分からないと思いますが、鉄道唱歌が流れる装置が設置されていて、これは鉄道唱歌の作詞をした大和田建樹氏が当地の出身であることにちなんだもののようです。
ホームには2000系の「アンパンマン列車」が既に入線していました。これが私の乗る「宇和海」のようです。
ところで、先ほど乗り合わせることを懸念していた鉄道ファンのグループですが、どこかに消えており、どうやら宇和島市内散策でもすることにしたんでしょうね。
特急「宇和海」
ここから松山まで乗車する特急「宇和海」ですが、松山~宇和島間を結ぶ特急列車で、「あしずり」同様に同じ都道府県内で完結する数少ない特急列車の1つです。また、気動車が充当される特急列車としては「うずしお」と並んで日本最多の運行本数を誇ります。
以前は一部の「しおかぜ」が岡山~宇和島間で直通運転をしていた時期もありましたが、全て系統分断され、宇和島~岡山間の移動では松山駅での乗り換えが必須となっています。
原則として松山駅では同一ホーム発着となるように考慮されているようで、「しおかぜ」「いしづち」の末端区間を担う特急列車といえますね。
車内は静かで録音もばっちりだったのですが、雨が降っていて車窓があまり撮れていないこともありますので、記事の方は一気に松山まで飛びたいと思いますw
松山駅で折り返し
松山駅に到着したら伊予長浜駅経由の旧線に乗車するべく一旦宇和島方面に引き返す形で普通列車に乗り換えます。
この記事のタイトルが「”ほぼ”乗りつぶしの旅」としていることからお分かりだと思いますが、今回の旅では乗らない区間がありまして、松山~多度津間の予讃線もその乗らない区間の1つです。
これは最新鋭の8600系ですね。ついに実物を見られる日が来るとは!
貨物駅も併設されており、高松貨物ターミナルまで1往復の高速貨物列車が設定されているようです。
そして、岡山行き「しおかぜ」が待っていましたが、こちらもアンパンマン列車でした。
向かい側には2000系でも量産先行車の「TSE」がいました!
「TSE」というのは「Trans Shikoku Experimental(四国横断実験の意)」の略だそうです。
量産車とは見た目が若干違う他、車内設備でも若干の差異があるようです。
「宇和海」と「しおかぜ」「いしづち」はこのように同じホームに並べて停車させることで平面乗り換えを実現しています。ただし、閉塞を分割しているわけではないので、誘導信号機で徐行して入線してくるようです。
↑7000系が3両編成でやってきました。どうやら市坪駅付近でイベントがあっている関係での臨時列車のようです。
↑さっきの臨時列車の発車シーンです。
↑「TSE」も発車していきました。
さて、このあとは駅前に出て・・・と行きたい所ですが、そろそろ発車時間なので駅前はおあずけでまた列車の旅を再開します。
どうせまたここに戻ってきますしねw
続いて乗るのはこの列車です。独特の塗装になっていますが、これはキハ54系です。
JR北海道でも同形式が活躍していますが、寒冷地仕様と温暖地仕様で番台が違うようです。
向井原~伊予大洲間は伊予長浜駅経由の旧線と内子線経由の新線があるので方向幕にもどっち経由なのか明記されています。
予讃線(愛ある伊予灘線)
松山を出発した私の列車は立ち客も出るほどの混雑で発車していきます。といっても1両編成なので乗車人数自体は大したことないんでしょうね。
伊予市までは電化区間ですが、伊予市止まりの列車はラッシュ時に運転される程度でほとんどはその先の非電化区間に直通する列車なので電化されていながら気動車がほとんどという状態になっているようです。
伊予市駅に隣接する郡中港駅までは伊予鉄道郡中線が走っていて、ほぼ並行する形になるのでそれへの対向の意味で電化したのかもしれません。
予想通り伊予市で多くの乗客が降りてそこからはローカル線の雰囲気に変貌しました。
伊予市の1つ先の向井原駅からはいよいよ旧線と新線の分岐点となります。
旧線の方は特急列車など優等列車が全て新線に切り替えられたため普通列車のみが走るローカル線となっていますが、伊予灘の車窓が見える区間が多く、「愛ある伊予灘線」という愛称がつけられ、「伊予灘ものがたり」という観光列車も運行されるようになりました。
↑車窓動画です。
ホームから海までの距離が近いことで有名な下灘駅もこの区間にあります。
伊予長浜でさらに多くの乗客が降りていきました。ここからは進路を内陸方向に変えて伊予大洲を目指していきます。ここからは川に沿って進んで行きます。しかし、ちょうどカメラのバッテリーが切れておりこの区間では撮影できませんでしたw
伊予大洲駅
再び新線と合流し伊予大洲駅に到着です。
これは鵜飼ですかね。大洲も鵜飼が有名だったとは知りませんでした。
最初は地域の偉人を紹介する碑なのかと思いましたが、当地を舞台にしたNHK連続テレビ小説「おはなはん」の碑だったようです。
1966年の放送ということで当然私は知らなかったんですが、当時は企業がわざわざ従業員がこの放送を見られるようにと始業時間を繰り下げたりするほどのフィーバーだったようです。
ちょうどやってきたのは伊予鉄バスです。長浜駅というのは滋賀県の北陸本線の駅であるはずがなく、先程通ってきた伊予長浜駅のことでしょうが、長浜から大洲へはバスでも移動できるんですね。
ちなみに、この地域の伊予鉄バスは伊予鉄本体ではなく、伊予鉄南予バスという子会社になります。その他、宇和島方面から宇和島自動車が当駅を経由して松山方面に路線を伸ばしている他、肱南観光バスという会社が市内の循環バスと松山空港行きのリムジンバスを手がけています。
続いて乗るのはこちらです。今度は”内子経由”の松山行きです。
先ほどと同じくキハ54系ですが、JR四国の基本カラーですね。
内子線・予讃線新線
今度は新線の方を通って松山に戻ります。「宇和海」でも通りましたが普通列車で通るのはまた違った印象がありますね。
こちらもしっかり解説したいと思いますが、その前にこの区間のややこしい現状をご紹介しましょう。
まず、伊予大洲~新谷間は予讃線です。そして、新谷~内子間は内子線です。更に内子~向井原間はまた予讃線に戻ります。
つまりは、伊予大洲~向井原間の新線は予讃線に組み込まれている区間と内子線という独立路線になっている区間が混在しているのです。
どうしてこういうことになったかというと、元々内子線とは伊予大洲駅から(厳密には若宮連絡所から)分岐して内子へ至る愛媛鉄道という軽便鉄道が前身でした。
この軽便鉄道は国有化された後、現在の愛ある伊予灘線の五郎駅から分岐する形に変更され、名前も内子線となりました。この時点では向井原方面にはつながっておらず単なる盲腸線でした。
そして、国鉄分割民営化も迫る1980年代、曲線も多く遠回りな伊予長浜経由のルートに変わる新ルートを内子線の一部を転用しつつ建設することが決定し、一旦五郎駅分岐に変更されたものを再び伊予大洲分岐(厳密には伊予若宮信号場)に戻す段階で五郎~新谷間は内子線としては廃止となり、伊予大洲~新谷間は予讃線の一部として新規建設扱いとなりました。
このため、伊予大洲~新谷間は予讃線となっています。一方、内子から向井原の新ルートもやはり予讃線の一部として建設され、内子線と繋がって短絡新線として開業しました。このまま内子線も予讃線の一部として編入されればよかったのですが、当時の国鉄のお役所仕事というのか、地方交通線である内子線を幹線である予讃線に編入することは出来ないという理由で別路線扱いのまま残ることとなりました。
運行形態的には実質1つの路線として運行されているので利用する上での不便はないんですが、時刻表の索引地図でこの路線を見たときはびっくりしましたw
内子線の区間も含めて高速化改良されており、普通列車でもかなり飛ばすのが印象的でしたね。
内子から先の区間はトンネルを多用する区間で景色は望めませんw
そして、列車は伊予中山駅に到着しここで10分間の停車となります。
伊予中山駅
せっかくの停車時間なので撮影がてら降りることにしました。
ホームは2面2線相対式で山あいにある駅となっています。
現在は1日4往復ながら特急列車も停車するので有効長は8両分確保されているようです。
そして、駅舎です。新線開業時に建設された駅でしょうから、特別古いわけでもなく、ごく普通の駅舎ですね。
↑10分停車の理由だった特急列車の待避ですが、ちょうどやってきました。
先ほど松山で見たTSEのようですね。もう宇和島まで行って戻ってきたようですが、流石に特急は早いですねw
ここから先はごく普通の乗車時間を過ごし松山まで行きます。
2度目の松山駅
実はこの駅を降りると今回の旅ではもうJR四国を利用することはありません。というわけでJR四国とのお別れとなる松山駅です。”ほぼ”に含まれない宿題となる線区は予讃線の松山~多度津間と徳島の鳴門線、あと私鉄では琴電が残りましたね。これは次回訪問時にはぜひ制覇したいです。
構内は先程撮ったので改札外から記事をスタートしたいと思います。
いきなり出迎えたのはアンパンマンw
高知県が本場と言えると思いますが、もはや四国内ならどこでも見られますねw
台湾にある松山駅と姉妹駅となっているようですね。ちなみに、台湾の松山は「ソンシャン」と発音するようです。
あと、福岡県の平成筑豊鉄道にも松山駅がありますw
これは「バリィさん」ではありませんかw
本来は今治市のご当地キャラですが、愛媛県のキャラクターという意味では松山駅にいてもおかしくありませんね。
さて、ここで小腹も空いたし乗り換えに時間も取ってあったので、駅の中にあったお店で早目の夕飯を頂くことにしました。
しらす丼とじゃこ天を頂きました。讃岐うどんに続いてご当地グルメを食べることが出来て満足です。
駅舎です。ロータリーのクルマが邪魔して見づらいですが、都市の規模の割には小さい駅舎ですよね。
JRの松山駅は市中心部から外れた場所にある上、私鉄の伊予鉄道の方が先に松山市駅を構えていたのでそっちの方が発展した結果なんですかね。
こちらは「せとうちバス」というバスでして、正式社名を瀬戸内運輸と言うようです。松山からしまなみ海道を通って大三島へ行く高速バスがあるようなのでそれですかね。
他にも今治と福山や広島への路線も手がけているようです。
伊予鉄バスのリムジンバスですが、これは空港へ行くやつではなく松山観光港へ行くリムジンバスです。
そして、伊予鉄の路面電車ですが、いつの間にかカラーリングが変わっているようです。
こちらラッピング車のようです。
このあとは路面電車に乗って松山市駅に向かいます。
伊予鉄については以前に家族旅行で松山を訪れた際に路面電車全線と郡中線は乗りつぶしており、高浜線と横河原線に乗れば伊予鉄道完乗という状態でした。
そのため、今回は松山市駅までの足として路面電車を使う形ですね。今回は郊外線も含めた1日券を買ったのですが、どっちにしても路面電車はついてくるのでタダで乗れるようなものですしw
松山市駅
福岡で言う博多駅と西鉄福岡(天神)駅の関係のように、私鉄の松山市駅の方が中心地に近く発展しているのは先程も述べたとおりですが、当初は松山駅として開業し、国鉄が松山へ乗り入れを果たした際に改称を要求されますが、国鉄が「伊予松山駅」とでも名乗ればいいじゃないかと反発しこれを拒否した逸話があるようです。結局、国鉄側の圧力に屈する形で伊予鉄道松山駅は松山市駅と改称されて現在に至りますが、国鉄分割民営化まで現在のJR松山駅前電停が「国鉄駅前」という名称だったのはこの件に対する当て付けだったんですかねw
↑動画を1本撮ったら郊外線乗り場へ移動します。駅舎もじっくり撮ったりしても良かったですが、どのみち今晩の夜行バスまで時間が余ることになっているのでそこで見ればいいやとここではスルーしました。
郡中線の乗り場と高浜方面が同じホームになっていますのでこういう表記になっていますね。
↑とりあえず動画を撮ったりして時間を潰します。
↑郡中線も撮影したらまずは高浜へ向かいたいと思います。
高浜線
最初に乗るのは高浜線です。高浜線は松山市駅から放射状に伸びる3つの郊外線の1つで、終点の高浜にある港へのアクセス路線として開業しました。
しかし、高浜港は小型フェリーにしか対応できない構造で、松山観光港が開設されると主要航路の多くはそちらに移転してしまい、現在は近隣の島々へのローカル航路のみとなっています。松山観光港へは高浜駅からシャトルバスもあるのですが、市内から直行のリムジンバスも出ており、現在は航路連絡の使命よりは松山市近郊のローカル輸送がメインでしょうか。
松山観光港まで路線を延伸する構想もあるようですが、予算の問題などで実現の動きはないようです。
↑そうそう、大手町駅付近での路面電車との平面交差は欠かせませんね。車窓から動画を撮ってみました。
高浜駅
というわけで高浜駅に到着です。
横河原線
松山市駅までは先程の来た道を引き返すだけですが、そこからそのまま横河原線に入ります。
高浜線と横河原線は一体の路線としてほとんどの列車が直通運転しています。とはいえ、乗客の大半は松山市駅で入れ替わるのでターミナル駅で折り返し運転をしないことで運行の効率化を図る目的のほうが大きいんでしょうね。
横河原線ですが、こちらは高浜線と違って最初から沿線の要望に応える形で開業された路線で、最初から採算性で疑問視されていたという経緯があるようです。
そのため高浜線や郡中線が電化された後もしばらく横河原線は非電化の状態が続きディーゼル機関車が客車を牽引する運行形態が1960年代まで続いていたようです。
また、いよ立花駅から分岐する森松線という支線がありましたが、こちらは廃止されました。時期を同じくしてモータリゼーションの波にもまれ利用者離れが進んだ横河原線も廃止される方向になっていましたが、沿線住民の廃止反対運動が功を奏し、電化の上存続させることとなり、沿線に公的機関や団地を誘致するなどの施策もあって現在は高浜線や郡中線と変わらない主力路線として活躍中です。
一方、廃止された森松線についても廃止後に沿線だった地域やその延長線上にある砥部町がベッドタウンとして発展したため、鉄道の復活並びに延伸を求める声もあるようですが、廃止からかなりの時間が経ち既に用地は転用されてしまったものがほとんどのようですから、復活というよりは新規建設に近い事業になりそうですよね。
横河原駅
横河原駅到着をもって伊予鉄道完乗です!
駅舎です。去年まで開業当時からの貴重な木造駅舎が残っていたようですが、タッチの差で間に合わずこのような今風の駅舎に建て替えられてしまいました。
夜でろくな撮影もできませんし、このまま松山市に戻ります。
この後は松山市から高速バスで福岡へ向かいますが、既にこの記事の文字数が2万字を越えていることもあり、それは別記事として、ここで一旦区切りたいと思います。
書いている私も疲れましたが、読んでいる読者さんたちもお疲れ様でした。
これにめげずに次回の記事もよろしくお願いします。
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