北陸新幹線で行く西日本遠征2024(1日目)

今回は福岡の実家への帰省を兼ねて遠征に出かけました。
タイトルにある通り、2024年春に延伸開業した北陸新幹線に乗るのが最大の目的ですが、それ以外にもいくつか目的がありました。

遠征の概要

今回の遠征では、北陸新幹線延伸区間(金沢~敦賀)への乗車を主目的とし、乗車したことがなかったJR小浜線、山陰本線の一部、京都丹後鉄道などに乗車し、今や貴重な113系乗車や、さらに2025年春での廃止が決まっている丹後海陸交通のバス路線「福知山線」も絡め、さらに奇跡的に指定席券が確保できた「WEST EXPRESS銀河」にも乗車することとし、車中泊込みで4泊5日の行程にまとめました。
さらに、これは私の個人的な話ではあるのですが、ある重大な意味合いも持っていたのです。(答え合わせはレポートの何処かでw

本日の行程

それでは初日となる本日の行程の説明です。
まず、東京駅から北陸新幹線「かがやき」に乗車して敦賀まで行き、2024年春に延伸開業した北陸新幹線の乗りつぶしをします。
敦賀に到着したあとは小浜線、舞鶴線、山陰本線と乗り継いで福知山まで向かいますが、113系充当列車を絡めるため、舞鶴線区間は都合1.5往復することになります。

北陸新幹線を完乗す!

それではレポート本編スタートです。
最初に乗車するのは北陸新幹線「かがやき505号」敦賀行きであり、これによって2024年春に延伸開業したばかりの北陸新幹線金沢~敦賀間を一気に完乗してしまいます。

北陸新幹線については既に多くの記事や動画などで紹介されているとは思いますが、この記事でもざっくり紹介していきますと、北陸新幹線は高崎~敦賀間を結ぶ新幹線で、群馬県・長野県・新潟県・富山県・石川県・福井県を通っています。
運行形態としては上越新幹線・東北新幹線に直通し、東京~敦賀間の路線として運行されており、運行される列車は「あさま」「はくたか」「かがやき」「つるぎ」の4種類があります。
「あさま」は北陸新幹線が長野までの暫定開業だった時期から存在する最古参の種別で、東京~長野間の区間列車的な立ち位置であり、基本的には各駅停車タイプとして運行されます。
「はくたか」は早朝・深夜帯を除いて東京~金沢・敦賀を走破する列車ですが、東京~長野間は通過駅を持つ通過型の列車、長野~敦賀間は各駅停車タイプという性格の列車ですが、長野以北でも通過駅を持つ列車も存在します。
朝夕は上位種別の「かがやき」があるため、長野以南も停車駅が多くなりますが、日中は「かがやき」が設定されない代替として停車駅が削減され、上野・大宮・高崎・長野と停車するパターンになります。
「つるぎ」は敦賀~富山間の区間列車で、北陸地方完結の列車ですが、敦賀駅では基本的に大阪・名古屋方面の特急「サンダーバード」「しらさぎ」と接続するダイヤが組まれ、中京・関西圏から北陸地方を結ぶ役割を持つ列車であり、各駅停車タイプと通過タイプが存在します。
そして、今回乗車する「かがやき」は北陸新幹線の最速達種別であり、東海道・山陽新幹線での「のぞみ」、東北新幹線での「はやぶさ」、山陽・九州新幹線での「みずほ」に相当する列車といえます。
北陸新幹線では唯一全車指定席として運行され、停車駅は東京・上野・大宮・長野・富山・金沢・福井・敦賀となっていますが、金沢~敦賀間各駅停車となる列車や上野駅を通過する列車もあったりします。
また、運行は朝夕が中心で、日中には走らない点も特筆されます。
今回乗車する「かがやき505号」は東京・上野・大宮・長野・富山・金沢・福井・敦賀と停車していく、「かがやき」としては最もオーソドックスな停車パターンを持つ列車と言えますね。

国鉄分割民営化後に開業した「整備新幹線」の第一号にあたる路線で、その歴史は1997年の高崎~長野間の開業に始まり、これはその翌年に開催された長野オリンピックに合わせたものでもありました。
ただし、当時首都圏から北陸地方へ鉄道で移動する場合、長野経由ではなく、上越新幹線で越後湯沢駅へ出て、そこからほくほく線・北陸本線経由の特急「はくたか」に乗車するルートが最速であり一般的だったことから、北陸地方へ向かう利用者が誤乗することを懸念し、正式名称である「北陸新幹線」というのは案内では使用されず、「長野新幹線」と通称されていました。
しかし、当時はまだ建設が確定していたわけではなかった富山・石川などの地域からは、それでは新幹線が長野までで、北陸への延伸はされないみたいじゃないかという声も出て、一悶着あった結果、首都圏の駅の看板や時刻表では「長野行新幹線」と案内し、駅構内や車内のアナウンスでは「長野新幹線」、そして北陸新幹線単独の安中榛名~長野間の各駅では単に「新幹線」と呼ぶなど、なんともややこしいことになっていました。

しかし、マスコミを中心に「長野新幹線」という呼び方が定着したことを受けて、結局は「長野新幹線」が主に使われるようになり、「長野行新幹線」の呼称は立ち消えとなりました。

そして2015年には金沢まで延伸開業され、名実ともに首都圏から北陸地方へのメインルートとなったことで、晴れて正式名称である「北陸新幹線」が案内でも使われるようになり、「長野新幹線」の名称もお役御免になったわけですが、今度は長野県サイドからなんとか長野の名前を残してほしいと要望が出て、これに答える形でJR東日本管内では「北陸新幹線(長野経由)」と案内されることで落ち着きました。

それから更に時が経って2024年、今度は敦賀駅まで延伸開業され、北陸三県で唯一新幹線が乗り入れていなかった福井県にも乗り入れるようになりました。
この延伸区間に乗車するのが、この活動の最初の目的というわけですね。

ざっくりと北陸新幹線の歴史を学んだところで、いよいよレポートに入っていくとしましょう。


旅の始まりは東京駅からです。
3段目に出ている8時11分発の「かがやき505号」が乗車する列車です。
それにしても、関東の駅で「敦賀」なんて行先が見られるようになるとは、本当に北陸新幹線が敦賀まで伸びたんだなぁと実感しました。
昨年は北陸新幹線延伸と入れ替わりで敦賀以北への乗り入れがなくなってしまう北陸特急に撮ったり、乗ったりと活動したわけですが、北陸新幹線の延伸開業はニュースとして見るだけでいまいち実感がないというのが正直なところでした。

それが初めて自分ごととして実感できた最初のシーンがこの写真を撮った場面というわけですね。


一応英語表記も・・・


乗り場へ向かうと待っていたのはE7系
北陸新幹線の唯一にして主力車種ですが、最大斜度30パーミルという新幹線にしては異例の急勾配を抱える路線であり、なおかつ50Hzと60Hzという2つの周波数を跨ぐ路線でもあり、それらの特殊条件に対応した専用車種と言ってもいい形式ですね。


行先表示も忘れずに!
あ、幕はグランクラスのものですが、乗車したのは普通車ですよ?w


一応英語表記も撮ったら乗車です。

E7系への乗車はこれで何度目か覚えていないほど、何度も乗ってきていたので、車内の撮影はしていないのですが、今思えば敦賀行きの車内案内表示くらいは撮っておけばよかったなと思ったり。

車内はだいぶ混み合っているようで、この列車は北陸地方へ観光旅行や出張に使うのにちょうどいい時間帯だからというのもあるでしょうが、需要はかなり旺盛なようです。


↑もちろん車窓を撮りましたのでどうぞ

ちなみに、金沢までの運行だった時期にも乗車したことはあったわけですが、長時間録画可能な機材を入手してからは初の全区間乗り通し乗車だったので、金沢までの区間も含めて車窓撮影は初となります。

そして、定刻通り「かがやき505号」は東京駅を出発です。
5分ほどで上野駅に滑り込んだら、あとは大宮駅となります。


ここで頂くのは「シンカンセンスゴイカタイアイス」ことスジャータのアイスクリームです。
新幹線に乗ったらやっぱりこれですよねw


しばらく放置して適度な硬さになったところで頂きました。
これを食べると新幹線で旅してるって実感するものです。


国道17号と並走しつつ荒川を渡って埼玉県に入ります。


車窓から見えたのはあの有名なお菓子メーカー「ロッテ」の工場でした。
このあたりは埼京線と並走する区間でもあり、埼京線の駅でいうと武蔵浦和駅の手前にあたる場所です。


遠目にビル群が見えてきたらもうすぐ大宮駅です。


大宮駅に到着!
新幹線ホームからもガラス越しに駅前の光景が見えますね。

ここで車内は一気に混み合い、ほぼ満席というほどの混雑になりました。
この日はごく普通の平日だったのですが、北陸新幹線の需要もなかなかのものですね。

大宮駅を出るとニューシャトルと並走しつつ加速し、ここまでの控えめな走行の鬱憤を晴らすようにグングン加速していき、新幹線らしいスピード感になっていきます。
この間にさいたま市から上尾市・伊奈町・・・とどんどん通過していきますが、「かがやき」はこのあと長野駅まで停まらないというのだからすごいですよね。


圏央道と交差したそこはもう桶川市です。
このあたりの上越新幹線は高崎線より数キロ東を走っているんですが、高崎線が市街地を貫通するように走っているのに対し、新幹線は用地買収の都合からか市街地を避けて走っており、長閑な景色が続きます。

熊谷駅・本庄早稲田駅を通過していつの間にか埼玉県が終わり群馬県に入ると、群馬県最大のターミナル駅といえる高崎駅を通過します。
ここから先で上越新幹線から分岐するように北陸新幹線が始まるのですが、その分岐点にある「38番分岐器」と呼ばれるポイントは、最も緩やかなカーブで分岐することが出来る・・・言い換えれば日本一大きなポイントといえます。
一般にきつい速度制限がかかる分岐側でさえ160km/hでの通過が可能で、新幹線としてはこれでもきつい速度制限かもしれませんが、高崎駅を通過する「かがやき」ではそのスペックを活かす走行が出来ますね。

ちなみに、この分岐は下り方面のみであり、上り方面は上越新幹線と北陸新幹線が別線で並走しながら高崎駅構内に入る構造であり、このような特殊なポイントは採用されていません。


北陸新幹線に入ると田園風景を中心とした車窓風景になりました。


だんだんと山へ分け入るような車窓に変化していきます。
いよいよ関東平野の端まで来たんだなと実感する場面でした。


烏川を渡る場面ですが、引き続き高崎市です。
都会的な印象のある高崎市も、外れの方まで来るとこんな景色なんですね。

トンネルで安中市へ抜けるとすぐに安中榛名駅があります。
開業時は秘境駅とさえ言われるほど周りに何も無いと言われていましたが、今でも宅地開発が進んではいるものの、利用者は伸びず、最新データでも1日あたり250人という新幹線駅とは思えない数字を叩き出しています。
かつては新幹線駅としては日本一利用者が少なかった時期もあるようですが、その後、当駅より利用者が少ない駅(奥津軽いまべつ駅・木古内駅・いわて沼宮内駅など)が開業したこともあり、今では日本一ではないようです。
ですが、北陸新幹線の駅という見方では今でも最も利用が少ないようですけどね。

そんな安中榛名駅を通過するとまたしてもトンネルの連続となり、その間に列車は群馬県から長野県に入っていきます。
かつての信越本線ではこの県境区間に碓氷峠という難所がありましたが、北陸新幹線では碓氷峠を北寄りに迂回するルートを選んでおり、在来線にあった66.7パーミルから見るとおよそ半分となる30パーミルの勾配に押さえているものの、この勾配のせいで北陸新幹線に入線できる車種を限定している関門となっています。

トンネルの闇が続く中で、いつの間にか長野県に入り、軽井沢駅を通過します。
軽井沢は言わずと知れた著名観光地であり、古くから避暑地としても知られた土地というわけで、北陸新幹線のルートを決めるにあたり、軽井沢を通すことは重要視されていたようです。
昔の窓が開く列車だったら、このあたりで窓を開けて風の冷たさを感じつつ、高原の空気を味わっているところなんでしょうが、新幹線は窓も開きませんしそんな余裕もなくどんどん通り過ぎていきます。

続いて市街地に入るとそこは佐久市内で、佐久平駅を通過します。
JR小海線と交差する地点にあるその駅の詳細を見る余裕もなく、ここもあっさり通過です。
トンネルを連続させて上田市内に入ると千曲川を渡り、上田駅を通過します。
ここでは上田電鉄別所線が分岐しますが、それを認める暇もなく通過です。

再びトンネルを連続させて、久しぶりの平地を見たと思ったらそこは千曲市であり、一度渡った千曲川を再び渡って篠ノ井駅の付近を通過しますが、ここに新幹線の駅はありません。
ここから篠ノ井線が松本方面に分岐していますから、ここにも新幹線の駅があっても良さそうですが、長野駅に近すぎるのと松本から東京へは中央本線経由の方が早いというのもあるんでしょうね。


もうすぐ長野駅というタイミングで犀川を渡ります。
これも大きな川ですが、千曲川の支流の1つということになるようです。

そうして、北陸新幹線に入って最初の停車駅の長野駅に到着です。
長野県の県庁所在地にして2015年まで終点だった場所ですが、ここでの乗り降りも多く見られました。


長野駅を出てしばらくすると車両基地が見えてきます。
ここは「長野新幹線車両センター」であり、2019年の台風19号の被害で冠水し、車両120両が水没し廃車になるという出来事もありました。

ここからはまた山越えとなり、飯山駅を通過するとすぐに新潟県に入りまして上越妙高駅となります。
ここでJR東日本からJR西日本の管内となりますが、乗務員交代は全列車が停車する長野駅で行われており、長野~上越妙高間はJR東日本の管内でありながら、JR西日本の乗務員によって運行される区間となっています。
それならば、長野駅を境にすればよかったのでは?という気もしますが、在来線の境界が直江津駅だったので、それに最も近い新幹線駅である上越妙高駅を境界にしたんでしょうね。

また、地図で見ると長野から富山にかけてはかなり遠回りしているように見えますが、直線的なルートを選んだ場合、北アルプスの山々を越えていく必要があり、このためには70km程度の長大トンネルを必要とし、長さだけでなく最大で2000mもの土被りによる莫大な地圧、火山地帯のため高温となる岩盤など、技術的な問題が多いとされ、断念されました。
この北アルプス越えのルートは、唯一長野県と富山県を直接結ぶルートともなりますが、ここには車道すら通じておらず、唯一のルートはロープウェイやケーブルカーなどを駆使して越えていく観光ルートの「立山黒部アルペンルート」のみとなっています。

そのため、実用的な移動手段で長野県と富山県を往来するためには必ず新潟県か岐阜県を経由しなければならないのです。

上越妙高駅を過ぎて進路を西へ向けて、ここからは日本海沿いに走る区間となりますが、相変わらず長大トンネルの連続という車窓風景であり、在来線の旧北陸本線(現在の日本海ひすいライン)もこのあたりは長大トンネルを駆使して山中を貫くルートをとっていることを考えると、このあたりの地形の険しさが分かりますね。


そんな険しい地形の合間に、姫川が作ったささやかな平野があり、そこに発展したのが糸魚川市です。
新幹線は糸魚川駅にも駅がありますが、「かがやき」はやはり通過しており、上越妙高駅・糸魚川駅という北陸新幹線のうち、新潟県にある駅は全て通過ということになります。
「かがやき」のうち、経由しながら一切停車しないのはこの新潟県の他に群馬県の2県が該当します。


姫川を渡ります。

新潟と富山の県境に位置する難所「親不知」はトンネルであっさり通過し、いよいよ富山県に入っていきます。
新潟県も区分によっては北陸地方として扱う場合もあるみたいですが、一般的には富山・石川・福井の3県で北陸地方でしょうから、感覚的にはやっと北陸地方に入りましたね。

続いて渡るのは黒部川です。
この上流には宇奈月温泉や黒部峡谷鉄道(トロッコ電車)黒部ダムなんかもあるわけですが、下流に来るとさすがの大河川になっていますね。

北陸新幹線には黒部宇奈月温泉駅がありますが、ここも容赦なく通過です。
並行在来線である”あいの風とやま鉄道”は乗り入れませんが、逆に私鉄の富山地方鉄道が乗り入れており、駅名に宇奈月温泉が入っているように、ここで降りれば宇奈月温泉へ行くことが出来ます。


ここまでの険しい地形が嘘のように富山平野に入っていき、背景には立山連峰の山々が見えてきました。
北陸新幹線の車窓風景の中でもハイライトといえる景色であり、アナウンスでも紹介されていました。

そして、富山平野を疾走するとそろそろ富山駅です。
北陸地方に入ってから最初の停車駅となりますが、在来線時代は越後湯沢駅で乗り換えがあった上に時間ももっとかかったのが、今や2時間ちょっとで着いちゃうんだから新幹線はすごいですね。
ここでもだいぶ降りていきましたが、入れ替わりで乗ってくる人もいくらかいるようです。
なお、大阪・名古屋方面は「つるぎ」が接続を取るようなダイヤになっているため、「かがやき」で敦賀へ行っても接続が悪いのですが、富山・金沢・福井を移動する北陸地方完結の需要も少なくないんでしょう。


富山駅を出るとすぐに神通川を渡ります。
さっきから川を渡ってばかりですが、海沿いに移動していることがよく分かりますね。


庄川を渡るとすぐに新高岡駅ですが、ここも通過です。
城端線が乗り入れるため、新幹線単独の駅ではなく、高岡市だけでなく、城端線経由で砺波市・南砺市方面や、氷見線経由で氷見市方面へも行ける立地であることから、「かがやき」のうち臨時列車として運行される列車では停車する場合があるようです。

小矢部市へ入ると富山平野も終わりとなり、またトンネルで倶利伽羅峠を越えていきます。
在来線も長大トンネルを駆使して越える区間ですが、ここで富山県と石川県の境を越えていきます。


山岳地帯を過ぎるとすぐに金沢の市街地となりました。
北陸地方で最大の都市だけに遠目にビル群も見えますね。

金沢駅では多くが降りていき、だいぶ車内は空いてきました。
ここからがいよいよ初乗車となる延伸区間ですね。


石川県内の車窓は開けた田園風景というのが多かったですね。

途中に小松・加賀温泉と駅がありますが、今回乗車した「かがやき」は通過していきます。
ちなみに、この区間では愛称と停車パターンが必ずしも一致しておらず、「かがやき」でも各駅停車となるパターンもあれば、「つるぎ」でも途中福井のみ停車というパターンもあるなど、この区間では停車型・速達型といった区別ではなくて、東京方面へ直通するのが「はくたか」「かがやき」、富山以東へ乗り入れず、敦賀駅で大阪・名古屋方面の特急と接続するのが「つるぎ」という感じで使い分けており、言ってみれば首都圏~北陸を結ぶ系統と、関西・中京~北陸を結ぶ系統に分けているとも言えます。
どうせならその両方の役割を1つの列車で実現すれば効率が良さそうですが、そうしないのは接続する在来線の遅れが首都圏まで波及するのを避ける意味合いがあり、更に北陸新幹線は上越新幹線・東北新幹線とも線路を共用する区間があることから、北陸新幹線のダイヤが乱れるということは、最悪東北や北海道まで混乱が波及する恐れがあるということで、このような運行形態にしているようです。

あと、石川県内の駅で新たに新幹線停車駅となったのは小松駅と加賀温泉駅の2駅ですが、どちらも在来線と併設する駅であり、従来から北陸本線の特急が停車していた駅なので、新幹線開業後の問題としてよく槍玉に上がる元々の特急停車駅と離れたところに駅が設置されて、結果的に不便になってしまうという問題が発生していません。
もっとも、利用者の大半を占めるであろう関西・中京方面へは敦賀での乗り換えが必須になってしまったので、その分を含めたら不便になったという声の方が多いでしょうけどね。

また、松任駅と大聖寺駅は一部の特急が停車していましたが、そちらについては新幹線は経由していません。


車窓からは何やら湖(沼?)が見えました。
調べてみると木場沼というらしいです。

牛ノ谷峠をトンネルで越え、福井県内に入ると芦原温泉駅があります。
ここも「かがやき505号」は通過ですが、こちらもかつて特急が停まっていた駅に新幹線駅が設置されており、金沢~福井間では全て在来線と併設する駅なんですよね。


市街地が出てきたと思ったらもうすぐ福井駅です。
えちぜん鉄道の高架線も見えますが、実はえちぜん鉄道の高架化に際しては暫定的に北陸新幹線の高架を仮線として使用していた逸話がありますね。

ここで福井駅に到着することを告げるアナウンスが流れますが、あのJR東日本の特急や新幹線でお馴染みの声で「福井」なんて駅名を聞けるようになるとは・・・

ここで大勢が降りていき、車内は閑散としてきました。
そういえば、首都圏から福井へ直通で行ける交通手段って、長らく夜行バスくらいしかなかったんですよね。
鉄道ではかつては福井まで直通する列車もあったみたいですが、北陸新幹線延伸開業まで長らく乗り換えが必要でしたし、空路についても福井空港というのがあるにはあるんですが、滑走路の長さが短いために定期路線が就航しておらず、現在はチャーター機や自家用機・グライダーなどが使用するのみだそうです。
なので、空路でも小松空港を使うよりないため、福井県には直通ではいけないんですよね。

それが何十年ぶりかに東京直通が実現するわけですから、福井県としては観光振興の面で期待するところが大いにあるようで、最近は福井県の観光PRのCMなんかもよく見ますね。

そんな福井駅を出るとあとは終点の敦賀駅ですが、その前に1駅あって、「越前たけふ駅」といいます。
今回の延伸区間では唯一新幹線単独駅となる越前たけふ駅ですが、旧武生市街や鯖江市街へは距離があり、公共交通機関でのアクセスもよくないため、パーク・アンド・ライド的な利用が主流になりそうな駅ですね。

そのためか、並行在来線である「ハピラインふくい」では福井~敦賀間に限り快速列車を設定しており、越前市、鯖江市と福井市・敦賀市方面の速達輸送に応えています。

越前市を過ぎて南越前町に入るとすぐに新北陸トンネルで一気に敦賀へワープです。
並行する”ハピラインふくい”も北陸トンネルという長大トンネルを用いている区間であり、この峠を境に北部を「嶺北」、南部を「嶺南」と呼ぶ習わしもあるそうで、列車は嶺北地方から嶺南地方へ移ったことになります。

確かに感覚としても福井市周辺は完全に北陸地方という感じですが、敦賀市や若狭の方は福井県の一部ではあるけれど、むしろ関西の一部という感じがします。


そして、3時間20分ほどの乗車で敦賀駅に到着しました。
ついに北陸新幹線完乗となり、併せて日本の新幹線全線乗車を達成しました。
この記録が次に途切れるのはどの新幹線が延伸したときでしょうか?

敦賀駅にて

というわけで記事では9000字超も使って、ようやく敦賀駅にやってきたわけですが、ここでは乗り換え待ちとして1時間半ほどあるので、その間に新幹線関連を中心に駅を見ていくことにします。
敦賀駅自体は何度か訪れていますが、新幹線開業後は初ということになりますからね。


まずは駅名標から
JR西日本の標準的なデザインではありますが、その大きさと隣駅が「越前たけふ」というのが私にとっては初めましてですね。


新幹線部分は島式2面4線という、新幹線の主要駅としては一般的な配線なのですが、それより特徴的なのはホームの床面が木目調になっていたことです。
これは敦賀が港町であることから、ホームの床面は船の甲板をモチーフにしたデザインになっているんだとか。


待合室の内部も木目調の床です。


ホーム部は壁で覆われていて、まるでシェルターみたいです。


発車標はLCDタイプですね。
それにしても、敦賀駅で東京行きなんて表示を見るなんて、少し前まで考えられないことでした。

ちなみに、敦賀から東京へは北陸新幹線を経由するより、乗り換えが発生するものの特急「しらさぎ」で米原へ出て東海道新幹線に乗る方が早いようです。
新幹線なのに最速ルートではないというのはどうなんだという気もしますが、北陸新幹線は東海道新幹線に比べると大きく北側へ迂回するルートですからね。


↑ここで向かいのホームにいた「つるぎ」が発車です。


後追いで写真も撮りました。
望遠撮影なら悪くないですね。


奥にはトンネルの坑口が見えました。
それにしても、上部のコンクリート擁壁の規模がすごいですね。
新幹線の安全を守るためには、あれだけ大規模な土木工事が必要なんですね。


それではエスカレーターを降りてコンコースへ向かいます。


ホーム自体が高い位置にあるためかエスカレーターも長いですね。


コンコースはなかなかの広さでした。
ちなみに、コンコース天井のデザインは北前船の帆をモチーフにしているんだとか。


こちらは13・14番線への登り口です。


大阪にも近いためか、関西万博のPRブースがありました。


コンコースの俯瞰です。
今は列車到着から時間が経っているためか、そんなに混んでいませんが、当駅は在来線特急と新幹線の乗り継ぎ拠点ですから、列車到着直後は大変な混雑になるんでしょうね。


改札の近くに発車標がありました。
新幹線・特急・その他在来線が並んでいてかなり横長な発車標になっていますね。


こちらは在来線特急の発車標です。
かつては金沢駅や福井駅でも見られた並びですが、今は敦賀駅でのみ見られるものになっています。


こちらは新快速ですね。
ちょうど1時間おきに出ており、大阪方面へは「サンダーバード」に乗らずとも新快速で十分という意見もあるみたいですが、やっぱり特急型車両と近郊型車両では快適度はだいぶ違いますよね。
それに、大阪~敦賀間の特急料金を節約しても、そこまで劇的に安くなるわけでもないというw


中間改札を抜けて在来線側に出てきました。


巨大なサイネージでは各地の気象情報や運行情報などが案内されていました。


こちらは特急以外の在来線が発着する・・・言い換えれば新幹線開業以前から存在する方の敦賀駅に繋がる連絡通路です。
空港みたいに動く歩道がありますが、東京駅の京葉線ホームほど遠いわけではありません。

ちなみに、ここは以前に訪れた「封鎖された壁」の向こう側に当たる場所ですね。


ですが、その前に今度は特急専用ホームとなっている33・34番乗り場へ行ってみます。
新幹線と同じく2面4線あり、他に31・32番乗り場も特急用となっています。


降りてきました。
34番乗り場は「しらさぎ」、33番乗り場は「サンダーバード」専用で使われているようですね。


そこには683系がいました。


ホーム端から見た大阪・名古屋方面の線路です。
新幹線の高架下にすっぽり収まるように設置されています。

ただ、先程からの記事の流れでわかると思いますが、新幹線ホームが3階、コンコースが2階、そしてこのホームが1階にあるわけで、いくらエレベーターやエスカレーターがあるとはいえ、1階~3階の移動をしないと特急と新幹線の乗り換えができません。
これが新幹線から分岐するようなルートを走るローカル特急との乗り換えならば別に問題にはならないでしょうが、元々は1本の特急として直通していたのが、新幹線のために乗り換えが必要になったという事情を考えると不便と言わざるを得ないでしょう。

新幹線が部分開業であるために乗り換えが発生するというのは過去にも例があるものの、九州新幹線鹿児島ルートでは新八代駅で在来線と新幹線が同じホームで乗り換えられる構造としていましたし、西九州新幹線でも武雄温泉駅で同様の構造を採用し、乗り換えの手間を最小限にしています。

敦賀でもそれを導入すればよかったのにという意見は多いでしょうし、私もそう思うのですが、なぜそうしなかったのかというと、当駅のすぐ北側で国道8号と交差しており、その国道8号は旧北陸本線(ハピラインふくい)を跨ぐために高架となっており、新幹線は更にその上を跨ぐため、高い高架橋を必要とし、そのまま敦賀駅に滑り込むため新幹線ホームは高い位置に作らざるを得なくなり、在来線との高低差があまりに大きくなり、対面乗り換えをするためには在来線側にだいぶ手前からスロープを設置する必要があり、暫定的な設備にしてはコストが掛かりすぎるということもあって、対面乗り換えの採用は断念されたようです。

そのため、直通だったのが乗り換えが必要になった上、その乗り換えは上下移動を伴うという利用者からすれば改悪と言わざるを得ないことになり、特に関西・中京から福井や金沢へ向かう利用者からは不評の声が出ているようです。
そんなことならば、一部でもいいから在来線経由の金沢直通を残してもよかったのではないかとも思いますが、第三セクターに転換されたことでそれも難しくなってしまったのでしょう。

これは北陸新幹線が新大阪へ伸びるまでの辛抱とも言えますが、ようやくルートが決まったとはいえ、今度は環境アセスメントなどでゴタゴタしているようですし、果たして何年かかるやら・・・
こんなことになるならば新大阪駅まで一気に延伸できる目処が立つまでは金沢までということでもよかった気もしますが、福井県からすれば関西からのアクセスが悪くなった代わりに首都圏からのアクセスがよくなったという側面もありますし、何が正解かは難しいところですね。


34番乗り場の乗り場案内です。
乗り場の数字としては異例の大きな数字ですが、実際に34線の乗り場があるわけではなくて、1~7番が特急以外の在来線、11~14番が新幹線、31~34番が特急という感じで飛び飛びの番号になっていて、実際の乗り場の数は7面15線となっています。
これでも十分大きな駅ですがねw


停止位置目標ですが、68系と書いてありますね。
たぶん681系と683系の共用という意味なんでしょうが、知らない人が見たら68系という車両があると思いそうですw


構内に49キロポストがありました。
恐らく米原駅からの距離だと思いますが、調べてみるとこの距離は45.9kmであり、49kmには若干足りないんですよね。
ただ、これについては上り線にのみループ線があるので、ループ線側の距離を採用したら49kmになるという話だと思っています。


「サンダーバード」の乗車案内


駅名標です。
特急専用ホームではありますが、特急が停まらない新疋田駅が隣駅となっていますね。


ホーム上には駅弁の自販機がありました。
特急では車内販売がないので、乗り換えの間に買ってもらおうということなんですかね。


681系を撮ったら撤収します。


それではコンコースに戻ります。


コンコースに戻ってきました。
まずは新幹線開業に合わせて整備された「東口」へ行ってみるとします。


こちらが東口の改札ですが、改札機が2台だけと新幹線駅にしてはあまりに小規模ですね。


外部から見た東口です。


きっぷ売り場ですが、券売機は3台だけでした。


活動時点ではもうすぐデビューする「はなあかり」のポスターがありました。
これも乗ってみたいんですが、全車グリーン車扱いなのでお財布には優しくないという・・・w


東口の駅前に出てきました。


ここは送迎車用のスペースであるらしく、こちら側には路線バスの乗り入れはないようです。
観光バス用の駐車場はあるようなので、新幹線でやってきた団体客をここで出迎えるといった使用方法はありそうですね。

北陸自動車道敦賀ICが近くにあり、そこに高速バスのバス停があるので、若干距離はありますが高速バスとの乗り換えは可能です。


駅舎です。
が、大きすぎて全体が入らないのは新幹線駅あるあるw


というわけで左を向いて


続いて右を向いて
駅舎のデザインは敦賀湾の波のきらめきをモチーフにしているそうで、なるほど青い部分が海を表現しているんですね。

それではもう構内に用事もないし、お昼を食べるにもこちら側には店がなさそうなので、あとは自由通路でも通って西口へ抜けようと思ったのですが、いくら探しても自由通路がない!
あれこれ探し、スマホでも検索するもやはり自由通路はないようです。
これだけ大きな駅で自由通路がないのは珍しいですが、公道を通って西口へ回るとなると相当な迂回を強いられるようなので、入場券を買って構内を通り抜けることにしました。
まあ、どっちみち西口は見たかったですし、入場券なんて大した額でもないし、買えば来た記念にはなるということで券売機で購入後、改札を通過して再入場です。


中に戻るとちょうどいいところに構内図がありました。
確かに自由通路はないようですが、左下の案内をよく読むと「間違えて東口へ出た場合は、改札係員にお申し付け下さい」と書いてあるではないですか!?
え、これって改札で申し出れば入場券を買わずとも通してもらえた?w
まあ、記念に買ったということにしましょうw


新幹線コンコースから見た、旧来の敦賀駅です。
地平駅の奥に町並みがあるという、昔ながらの地方駅という雰囲気ですね。


連絡通路から見た新幹線駅舎


西口へやってきました。
ここは従来からある改札であり、何度か通過したこともあります。


外へ出てきました。
変化といえば、元々はここにあったはずのみどりの窓口が東口に移転という形で消滅しているのと、発車標に新幹線の案内が加わったことくらいでしょうか。


かつてみどりの窓口だったと思われる場所は「ハピラインふくい」の窓口になっていました。
在来線側も小浜線や北陸本線が引き続き乗り入れるので、JRの駅ではあり続けますが、将来的には在来線側は「ハピラインふくい」の管轄とするのかもしれませんね。


こちらは従来からある方の駅舎ですが、新幹線乗り入れに併せてお色直ししたようですね。


看板にはJRだけでなく”ハピラインふくい”の名前もありました。
これも変化の1つですね。


駅舎の脇にはこんなスペースがありました。


これは「交流電化発祥の地」の碑です。
本格的な交流電化としては北陸本線は初期の例の1つで、当駅も当初は交流電化されていましたが、関西方面への直通の利便性を考えて後に直流に変更されています。


隣はより詳細な説明文でした。


これも駅前では割と見かけるSLの動輪


駅舎の隣にあるこちらは「オルパーク」という施設です。
観光案内所やコンビニなどが入っており、駅の機能を補完する存在ですね。


駅前には周遊バスがいました。
地方ではお馴染みのポンチョですが、車体には松本零士氏の作品に出てくるキャラクターたちが描かれています。
敦賀と松本零士氏に何か関係があったかというと、実は特に関係なく、1999年に敦賀開港100周年記念事業として駅前通りに「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像を設置したという経緯があったようです。
敦賀が港と鉄道で栄えた街であり、それぞれ列車と船がモチーフの作品ということもあっての採用だったんでしょうが、市内に28体も設置されたキャラクターのブロンズ像は今では敦賀名所の1つとして知られているようです。


早速999かヤマトの像かと思ったら関係ないようですw


少し行くと999号の機関車のオブジェがありました。


こちらは999の主人公、星野鉄郎ですね。
作中の場面を再現しているようで、ファンならば堪らないスポットなのではないでしょうか?
私も999は結構ハマっていたので、全部見ていきたい気持ちもありましたが、さすがにそこまでの余裕はないのでそれはまた今度・・・


駅から少し歩いたところで駅を振り返ります。
従来の駅舎は小さく、遠くからでは目立ちませんでしたが、新幹線の大きな駅舎になったおかげでよく目立つようになりました。


それではお昼ごはんです。
訪れたのは福井ソースカツ丼の名店「ヨーロッパ軒」です。
前々から行ってみたいと思いつつ、意外と敦賀でお昼ごはんを食べるという機会に恵まれず、これが初の訪問でした。
ソースカツ丼といえば、会津若松でも食べたことがありますが、福井のはむしろ新潟のタレカツ丼に似ている気がしました。
これもこれで美味しく頂いたら、駅へ戻り、今度は小浜線に乗っていきます。

小浜線を乗りつぶす

それではここからは小浜線の乗りつぶしです。
まずは小浜線についてですが、小浜線は敦賀駅と東舞鶴駅を結ぶ全長84.3kmの路線です。
敦賀駅では北陸本線、東舞鶴駅では舞鶴線と接続し、北陸地方と山陰地方を結ぶ役割を持つ路線ともいえ、沿線には海水浴場や三方五湖や蘇洞門、明通寺、若狭彦神社などの観光名所が点在することから古くから行楽路線としての顔を持っていたのですが、レジャーの多様化で海水浴客が減少したことや、道路整備が進みマイカーへのシフトが進んだこともあって現在では高校生の通学輸送など地域のローカル輸送がメインとなっており、一般的なローカル線のイメージに近い実態となっています。

そんな小浜線ですが、となれば非電化かと思えば、これが意外なことに電化されています。
電化は2003年に実施され、これに要した総事業費約101億円は半分弱を福井県と沿線自治体、京都府と舞鶴市で負担し、残りは沿線に原発を持つ関西電力・日本電子力発電・北陸電力といった電力会社が負担しているという経緯があり、このため原発マネーで電化されたと言われることもあるようです。
電化後もローカル輸送が中心であることは変わっていませんが、かつては繁忙期には舞鶴線の特急「まいづる」が小浜駅まで乗り入れたりといったこともあったようです。
現在は125系による普通列車のみというローカル線そのものな運行形態に落ち着いていますが、後述する「はなあかり」の登場で、小浜線が活性化していくと良いですね。

ちなみに、利用者数では1日2000人以下とされており、廃止も視野に入れた協議を進めていく路線の1つとして挙げられており、更に北陸新幹線が大阪方面へ延伸される際には小浜市を経由する予定となっており、敦賀~小浜間については並行在来線として経営分離などの対象となる可能性も指摘されています。
もっとも、同じ北陸新幹線では長野~飯山間は飯山線と並行していますが、飯山線が並行在来線として経営分離という話は出なかったと思いますから、並行在来線であることを理由としての経営分離は可能性が低いようにも思います。
そもそも、並行在来線って、あくまでも従来は特急列車が走っていた路線のうち、ローカル輸送だけでは採算が取れない区間を経営分離するという建前ですから、元々北陸方面への特急が走っていたわけではない小浜線を並行在来線扱いするのは無理があると思いますしね。

また、私個人的な視点としては、小浜線はJRの路線では唯一、1区間たりとも乗ったことがない路線となっており、残り少なくなったJRグループの未乗路線の1つとして残っていました。
そういう意味でも、この日、小浜線を乗りつぶしてしまうことの意義は大きいんですよね。


発車標には既に案内が出ていました。
この13時18分発の東舞鶴行きに乗っていきます。
ところで、何やらテープで隠してあるのは、何を隠しているんでしょう?


ホームへ向かうと待っていたのは125系でした。
小浜線は臨時列車などを除けば全列車がこの125系で運行されます。

そもそもの話、125系は小浜線のために開発されたといってもいい車両であり、現代の電車では珍しい1両単位で走行できる車両となっています。
これについては、1両編成で十分な需要しかない路線では非電化であることが多いため、1両編成で走行できる電車が求められる路線が限られるというのが理由なんでしょうね。

最高速度は120km/hとなっていますが、小浜線では線路規格などの関係で85km/hまでしか出せないようです。
ただ、それでも小浜線全線では10分程度所要時間を短縮する効果があったようです。


ホーム上には「はなあかり」の乗車位置案内がありました。
「はなあかり」は先程もポスターを見ましたが、敦賀~城崎温泉間を小浜線・京都丹後鉄道宮舞線・宮豊線・山陰本線経由で運行する臨時特急列車で、キハ189系気動車を改造した専用編成によって運行されます。
北陸新幹線の敦賀延伸開業に併せたデビューであり、新幹線により首都圏などからのアクセスが良くなった敦賀から若狭・丹後地域にも観光客を呼び込もうという意図があるようです。

なお、「WEST EXPRESS銀河」と同じく、季節ごとに運行区間を変えるようなので、今後は違う区間での運行もありえるようです。


行先表示を撮ったら乗り込みます。

125系は過去に加古川線でも乗っていますが、223系などに準じた転換クロスシートなので、長時間乗車でも快適ですね。

あと、いつもならば車窓を撮影する場面であり、実際撮影はしたのですが、途中から土砂降りの雨になってしまったので没にしましたw
海沿いを走る場面もあって景色も良かっただけに残念ですが、またの機会の楽しみということにしておきましょう。

車内の雰囲気ですが、地元の方と旅行者が半々という感じですね。
やっぱり新幹線から乗り継いで小浜などへ出かける観光客もいるようで、早速新幹線の効果を感じました。

敦賀駅を出るとすぐに右手に北陸本線のループ線が見えるんですが、反対側に座ってしまったこともあって見えませんでしたw
逆に北陸本線に乗車した場合も、ループ線走行中に小浜線の線路を見ることが出来ます。

関峠を超えて美浜町に入ると早速長閑な景色が始まります。
いかにもローカル線という雰囲気になりました。
このあたりには三方五湖もありますが、車窓からはよくて遠目にちらりと見えるくらいでしたね。


国道と舞鶴若狭自動車道が並走します。

そして、1時間ちょっとで列車は小浜に到着します。
小浜市は若狭地方の中心といっていい街で、北陸新幹線の駅もできる予定です。
ここで降りる人も多く、やっぱり小浜線という路線名にもなるくらいだから、小浜が中心なんだなと思いました。

ちなみに、都市間輸送では小浜駅から湖西線近江今津駅までを結ぶ西日本JRバスの若江線を利用して湖西線の新快速に乗り継ぐルートが最速であるらしく、小浜線経由で大阪方面へ向かうのは一般的ではないようです。

その他、かつてバラク・オバマ氏がアメリカ大統領になった時には、同氏と読み方が同じであるとして話題になったりもしましたね。


そんな小浜を過ぎるといよいよ線路は海岸に沿って走るようになり、車窓からも海がよく見えました。
私にとってはほとんど初見といえる若狭湾の景色が旅に彩りを添えてくれました。


その先もずっと海沿いですが、生憎このあたりで天気が崩れ始めました。
新幹線に乗っている間はずっといい天気だったのでこの急変ぶりには驚きました。

その先はまた内陸へ入ったと思ったらもうすぐ東舞鶴です。
これにていよいよ小浜線完乗となり、JRグループで路線単位で1区間も乗っていない路線というのは無くなったことになります。


東舞鶴からは舞鶴線に乗り換えですが・・・


なんと待っていたのは125系でした。
舞鶴線でも運用があるという話は聞いたことがありましたが、まさか遭遇するとは・・・
というわけで、これに乗って一旦綾部へ向かいます。


レアな綾部行きの表示を撮ったら乗り込みます。

このあと、113系充当列車に乗るためにまた戻ってくるんですけどねw

綾部で撮影&113系乗車

そうして125系に揺られて綾部駅にやってきたのですが、ここではやや長い滞在時間があります。
その間に構内で色々撮影したのでそれをご紹介したいと思います。
なお、綾部駅そのものについては以前に訪問済みなので、ここでは駅関係は割愛します。


まずは乗ってきた125系です。
舞鶴線での運用はごく僅かであるようなので、当駅で見られるのは貴重ですね。


↑そこへやってきた「きのさき」の発車です。
かつては183系なんかが走っていましたが、今は287系か289系ばかりになってしまいましたね。


ここで一旦改札を出ることにしました。
ここからは東舞鶴へ向けて折り返し乗車となるので、一度経路を区切らないといけないですからね。
ちなみに、敦賀からここまではICOCAエリア外のため紙の乗車券を買って乗ってきましたが、舞鶴線はICOCAエリア内なので、ここからは手持ちのSuicaをタッチして乗車していきます。


↑改札外でちょうどよく撮れそうな場所があったのでそこから125系の発車を見送ります。

あとはこのまま113系の入線を待とうかと思ったのですが、せっかく収まったと思った雨脚がここでまた激しくなってきたので、逃げるように構内に戻り、続きは屋根のあるホーム上で撮ることにしました。


↑そこへ「きのさき」がやってきました。
山陰本線の特急というと、あまり本数がないイメージがありましたが、結構次々来るものですね。


↑そして、いよいよ私が乗る113系のお出ましです!
これに乗るために綾部~東舞鶴間を1.5往復するわけですからねw


もちろん写真でも撮ります。


反対側から


そこへやってきた223系
この223系は113系置き換え用に投入されたものですから、この地区では113系の後輩といえる車両ですね。


↑発車シーンです。


↑ここで「はしだて」と「まいづる」の併結にも遭遇しました!
そういえば、ここで分割併合するんでしたね。


連結完了!


先頭部へ移動して発車を待ちます。


↑そして発車シーンです。
やっぱり長編成は迫力がありますね。


それでは113系に乗るとしましょう。
古い車両を大事に使う傾向のあるJR西日本でも、もはや希少車種となりつつありますから、乗れるうちに乗っておかねば・・・

この113系でまずは東舞鶴へ向かいます。


東舞鶴に到着したら改札口へ向かってSuicaタッチ&Uターンで即折り返し乗車です。

今度は福知山行きになるのでそのまま福知山まで乗って行って活動終了となります。
時間的には高校生の帰宅ラッシュではありますが、そこまで騒がしくなることもなく、国鉄型特有の匂いと揺れ、そして爆音モーターを堪能しつつ福知山まで行きました。


福知山に到着!


向かいのホームへ行ってもう1枚


↑先に223系が発車です。


↑続けて113系の引き上げを撮ったら撤収です。

駅構内で適当に夕飯を済ませ、ホテルへ向かうことにします。
ほとんど乗っているだけであり、時刻も19時前にはホテルに入れるという、私の普段の遠征からすればかなり楽な活動内容でしたが、まだまだ先は長いですしゆっくりと休み、翌日に備えました。

2日目以降は別記事として追ってレポートしますので、公開までしばらくお待ち下さい。

つづく

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つばめ501号(管理人) について

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