3泊4日で実施した北海道遠征の2日目後編です。時系列としては2日目前編の続きとなります。
また、1日目からの続き物となりますので、なるべく1日目→2日目前編→この記事の順にご覧いただくことをおすすめします。
前編は絵笛駅までレポートして終わりましたので、その続きとして、後編は荻伏駅から始めていきます。
荻伏駅
後編の最初の駅となる荻伏駅です。
この駅舎もカラフルですが、やっぱり地元の学生さんの手によってアートが描かれているようです。
内部です。
何だか窓口みたいなものが見えるんですが、貨車駅舎なのにかつては窓口があったらしいです。
かつての荻伏駅は普通の駅舎をもつ有人駅でしたが、無人化に伴い今の貨車駅舎に建て替えられ、その際に簡易委託扱いとなったのですが、業務を受託していたのはこの駅でかつて勤務していた国鉄職員の夫婦だそうで、この貨車駅舎に窓口を設けて乗車券を売っていたらしいのです。
国鉄を退職してもなお、個人として駅に関わり続けた美談とも言えますが、2011年に完全無人化によりそれも終了して、今はこうして窓口の跡だけが残っています。
昨日、幾寅駅を訪問して鉄道員(ぽっぽや)の世界観に触れたせいもあるでしょうが、すべてを鉄道に捧げたと言っても過言ではないだろうその国鉄職員の生き様は、まさしく鉄道員ですね。
このスペースが気になりましたが、単に車掌車時代の構造をそのまま残しているだけとかですかね。
前編でご紹介した駅にもありましたが、ランプが残っていました。
やっぱり車掌車に付いていた照明っぽいですね。
駅の施設を大切にしましょうという趣旨の掲示物が傷だらけなのがなんとも・・・
ホームの配置が若干不自然ですが、当駅もかつては1面2線の交換駅であり、撤去された1線分のスペースが空いているためですね。
ホームです。砂利を盛った構造で点字ブロックも白線もありません。
奥に目をやるとレールは交換駅の名残を感じさせる線形になっています。
ホームから見た駅舎です。
貨車なので形はどっちから見ても同じですが、違うイラストが書かれているので変化があって楽しいですね。
木製の電柱(?)が立っています。
なんだか昭和っぽい雰囲気が醸し出されますねw
ホームの端の部分ですが、これはひょっとすると交換駅だった時代に構内踏切があった痕跡でしょうか。
最後は駅名標でシメです。
これも由来をご紹介すると、やはりアイヌ語由来の地名で「オ・ニ・ウシ」から来ているそうです。意味は「そこに木の多い所」・・・ようするに森ということらしいです。
それでは後編も元気に次の駅へ行きましょう!
本桐駅
後編2駅目は本桐駅です。
本桐駅への道中での1枚
国道も日高本線と並行しているので当然ですが海沿いに走り、車の車窓からも海が見えます。
普通のドライブコースとしても魅力的ですが、やっぱり次は列車の車窓からこの景色を見たいなぁ
駅の周辺はちょっとした集落になっていて、お店も何軒かあるようです。
何だか集落の集会場か何かにも思える見た目ですが、これが本桐駅の駅舎です。
貨車駅舎に建て替えられている駅が多い日高本線にあって、ちゃんと有人駅時代の木造駅舎が残っているんです。
二重扉こそありませんが、出入口の上にも軒があって落雪対策はしているようですね。
遠目からだと分かりづらかったですが、その軒下に駅名が書かれています。
駅舎とは独立してトイレがありましたが、使用禁止の張り紙が・・・
ところで、このベンチですが、実はただのベンチではなくて、かつて手荷物扱いがあった時代に荷物の受け渡し口として使われていたんだとか。
続いてホームのご紹介です。
実は日高本線の駅巡りを始めてから”初”のことがあります。
それは・・・現役の交換駅ということです。
今までの駅は”元”交換駅でも現在は棒線駅化されているものばかりでしたが、ここは(長期運休中ですが)現役で設備が維持されている交換駅なんです。
様似駅からここまでは1つも交換駅はなく、様似~当駅間の33.5kmの間が1閉塞ということになります。
交換駅で島式ホームなので、ホームへの移動は構内踏切になります。
最後に駅名標です。
ここの駅名もやっぱりアイヌ語から来ているようですが、実はこれが定説といえる由来はなく、諸説ありという状態のようです。
アイヌ語って口承でのみ伝えられてきたため文字による記録は外国人や倭人によるものに限られるとかで古い記録が残りにくいのかもしれませんね。
それでは、ここはこのくらいで次へ進みましょう。
蓬栄駅
というわけで、後編での3駅目、蓬栄駅です。
ともすれば、道路敷きを仕切る塀にも思えてくるようなホームの配置ですw
流石に駐車場はありませんが、道路脇には自転車用のラックが並び駐輪場は備えているようです。
何やらびっしりと書かれていますが、日高本線全体の時刻表になっているようです。
バス停の時刻表って大抵はそのバス停の時間しか書いていないことが多いので、これは列車代行バスならではでしょうか。
ホームへ入りました。開業時から交換設備はなかったようであり生粋の棒線駅です。
ここで駅名標です。
なんだか変わった駅名でどうせアイヌ語由来だろうと思ったらここに関しては違うらしく、近くにある奇岩「蓬莱岩」の”蓬”と、土地が栄えるようにという願いを込めて”栄”を合成した地名から来ているんだとか。
待合室の内部です。小さいながらもコンクリート造りでしっかりしています。
ゴミ箱もありますが、今でも定期的にゴミを回収しているんですかね。
まあ、ここの場合、バス専用の待合室がないので代行バスの利用者もここで待つ可能性はありますしね。
ただ、北海道にしては珍しく扉がついておらず、冬場は寒そうですが、何もない吹きさらしの場所で待つよりは数倍はマシでしょうか。
ここは小さな駅ということですぐに見終えてしまいましたが、今日は巡る駅数も多く、更には明日の行程の都合で岩見沢にホテルを取っているためじゃんじゃん進んでいきましょう。
日高東別駅
日高三石駅は飛ばして日高東別駅です。
浦河から蓬栄までは1駅ずつ進んでいたのですが、ここからは飛び飛びの訪問になっていきます。
日高東別駅へは立派な2車線の舗装道路を逸れて狭い砂利道へと入っていきます。
というか、道路側から見ると看板もなく駅だと分かりづらいですw
砂利道からそのまま駅構内に繋がっている感じですが、このあたりから駅構内になるようです。
ここも駅舎というよりは待合室と呼ぶべきサイズの建物がありますが、コンクリートブロック造りです。
トイレは別棟です。このパターンもさっきから何度か見てきていますが、無人駅だとどうしてもこまめな清掃も難しいでしょうし、トイレの臭いが待合室に流れ込まないようにという配慮で別棟なんですかね。
待合室内部です。
流石に窓ガラスは嵌め込まれていますが、出入口部分に扉はありません。
というか、コンクリートブロック造りのせいもあって秘密基地感ありますねw
これは一体・・・?
さきほどこの待合室を秘密基地っぽいと評しましたが、本当にここを秘密基地にして遊んでいる子供でもいるんでしょうかw
一応敷地外との境界は必要と考えたのか出入口部分に杭が打たれていますが、もしや枕木を転用しているのでしょうか。
最後に駅名標でシメましょう。
ここの駅名ですが、”東別”の部分は「トイペッ」というアイヌ語に由来し、「土・川」という意味になるようです。
その前に「日高」という旧国名を冠しているわけですが、これは道内には「とうべつ」という地名は多数存在し、駅名に採用されている例もいくつかあることから区別の意味だそうです。
ぱっと思いつく限りでも石狩当別とか渡島当別とかありますね。
気になったのは、他は「当別」と書くのに対して、ここは「東別」なんですよね。
元々アイヌ語に漢字の概念はないでしょうから、入植者たちが地名を決める際に適当な字を当てたケースも多いのでしょうし、同じアイヌ語を由来としていたとしても違う漢字を当てられることもあるのでしょう。
それでは、次へ進みましょう。
大狩部駅
ここではなんと5駅もすっ飛ばして大狩部駅です。
やってきました。大狩部駅です。
ここも代行バスの停留所付近なんですが、実はここからだと駅は見えません。
直線距離ではそんなに離れてはいないんですが・・・
実際にその場所から駅があるはずの方向を向くとこんな景色が広がります。
見えるのはただの盛り土というw
しかし、その盛り土にはトンネルが穿たれており、駅はここを通っていくようです。
この盛り土の正体は国道であり、代行バスが通る道は旧道にあたる道なのではないかと思います。
勾配緩和のため新しい国道は盛り土で高度を上げるルートを取り、その際に元々の国道と駅の間を横切るためトンネルを通して駅への連絡を確保したという感じでしょうか。
そうでなければ、わざわざこんな場所に駅を作ったのが謎過ぎますしねw
代行バスのバス停もそのトンネルのすぐ脇にあります。
駅からは少し離れてしまっていますが、駅周辺は海岸となっており、集落は国道より内陸側にあるので、単純な移動距離という意味ではこのバス停の位置のほうが住民には利用しやすいんでしょうけどね。
トンネルを抜けないとたどり着けない駅というのもなかなか面白いですね。
ずしりと響くエンジン音に振り返るとちょうど代行バスが来ていました。
「電チラ」ならぬ「バスチラ」写真ですねw
トンネルを抜けると砂利敷きの広場になっています。
ここだけ見ると工事現場か何かに迷い込んだ気分になりますw
置かれているトイレもよく工事現場で見るタイプの仮設トイレですしね。
この駅にいると国道の存在感が大きいですね。
逆に国道を走るドライバーからも駅がよく見えるはずですが、私はその手前で旧道にそれてここへ来ているので体験していません。
どうやら国道へ通じるスロープのようなものがあるようです。
雰囲気からして工事車両などのために設けられているんだと思いますが、一応国道からも出入り可能なんですね。
そのスロープの続きになる道(?)を辿っていくと線路へ降りていくようでした。
保線作業用とかでしょうか?
こんな看板がありました。
線路に入るなという当たり前の警告ですが、日高本線の場合列車がずっと来ていないわけで、JR北海道はここをまだ鉄道用地とみなしている傍証ともいえ、まだ廃止ではないと主張しているようでした。。
場所が場所だけに漁師小屋にも見えてきますが、駅の待合室のようです。
小鳥の巣箱かと思ったらスピーカーが入っていましたw
こんな駅でもアナウンスはちゃんと流れるんですかね。
駅名標です。
ここも駅名の由来を紹介すると、やはりアイヌ語で「オ・カル・ペツ」から来ていて、意味は「川尻が曲がっている川」だそうです。
アイヌ語由来の駅名や地名って、元となったアイヌ語を聞いても、「そうはならんやろ!」と突っ込みたくなるようなものもあるんですが、ここは割と素直に漢字を当てていますよね。
あまりに海に近いため強風が吹き付けるようで、線路に沿って柵が設置されています。
まあ、例の高波の前では為す術もなかったようですが・・・
海はこんなにきれいなのに、日高本線の長期運休の原因も海だと思うと複雑です・・・
何気なく遠くの線路をズームして撮ってみたら気づいてしまいました・・・
めっちゃ線路が歪んでる!?
高波被害で日高本線が運休しているのは重々承知していますが、まさか駅から見える場所に被害箇所があるとは思いませんでした。
苫小牧方もズームしてみたらもっとひどい被害になっていました。
レールの足元の地面ごと流されてしまったようですね。
しかし、被災からもう4年近く立ってもほとんど手を付けられていない感じもして、JR北海道的にはもう復旧するつもりはないのかなとも感じてしまいました。
ただ、思ったのは先程紹介した国道からのスロープってもしかしてこの被災箇所の復旧のために工事車両を入れる目的で新しく作られた可能性はないでしょうか。だとすれば全く何も手を打っていないわけではないことになるので少しは救いがありますね。
駅自体は小さかったですが、衝撃の光景もありインパクトは大きい駅でしたね。
それでは次へ進みましょう。
厚賀駅
続いては1駅進んで厚賀駅です。
こちらが駅舎です。木造ではありますが近年建て替えられたものらしく古さを感じさせるものではありません。
すごいのが、この看板でして、なんと駅名が彫刻されているのです。
駅前はロータリーとなっており、周辺には建物が点在し集落内に駅があります。
駅舎の前に大きな木が聳えており、引きで撮るとこんな感じになります。
トイレだと思いますが、これまで見てきたものに比べると随分と立派です。
それでは中へ入るとしましょう。
何気にドアの縁まで木製なんですね。
内部は案外広々としていましたが、当然人影はなく掲示物ラックなどの物品もないためガランとしています。
シャッターが降りた一角が気になりますが、かつて駅舎内に売店があったそうです。
隅っこの方に遠慮がちにベンチがあります。
これだけスペースがありながらベンチが少なすぎて違和感がありますが、列車が動いていた頃でも1日平均の乗車人員は40人だったそうなので、これでも十分事足りるのかな?
ホームへ出ました。
今でこそ1面1線の棒線駅ですが、かつては2面2線の交換駅だったそうです。
既に雑草に飲み込まれつつありますが、ホーム端はスロープ状になっていました。
もしかしたら、交換駅だった頃はこの位置に構内踏切でもあったのかもしれませんね。
ここで駅名標です。
駅名ネタで書きますと、由来は「厚別」と「賀張」という2つの村の境界に当たることから地名が「厚賀」となり、その地名がそのまま駅名になりました。
いわゆる合成地名の1つですね。
日高門別駅
既に訪問した日高東別駅と駅名がそっくり(1字違い)ですが、今度は日高門別駅ですw
ここでは2駅を飛ばしています。
まずは駅舎です。
緑色をした駅舎なんて、洒落てるというか変わっているというかw
どことなく、歯科医院っぽい気がしたのは私だけですかねw
駅周辺です。
旧門別町の中心駅であり、周辺は開けている印象です。
駅前のモニュメントです。
上に乗っているのはお馬さん!
流石は競走馬のふるさと日高ですね。
正面からも駅舎を撮ります。
そういえば、駅舎内に一体化するようにトイレがあるんですね。
ここまで見てきた駅だとトイレはあっても駅舎とは別棟というパターンが多かったので、全国的には普通のことでしょうが、逆に新鮮に思えましたw
最初、歯科医院っぽいという感想を書きましたが、おそらくはこの駅名の表記のせいでしょうね。
駅舎の脇には東屋もあります。
列車を待つなら普通に駅舎内で待てばいいので、駅利用者にはあまり恩恵はなさそうですけどねw
奥にあるのは・・・花壇ですかね?
この一角は公園らしいですが、あまりに小さく子どもたちが遊ぶには窮屈そうです。
掲示板に貼ってあったのはご当地入場券のアフィ
なお、当駅は完全な無人駅であり、駅では入場券を買えません。
何かを展示していたであろう雰囲気ですが、現在展示品は一切ないようです。
かつては特産品展示コーナーがあったとのことなのでそれの遺構なんでしょう。
ところで、このベンチの変わった配置が気になりましたが、以前はキヨスクの営業もあったらしいので、このベンチの内側がキヨスクだったんじゃないかと思います。
それではホームへ向かいます。
改札らしき遺構すら見受けられませんが、この駅に関しては無人化後に駅舎を建て替えているので、駅の事務室とか改札といった設備が最初から設けられなかったようです。
ただし、そのままホームへは上がらせてはくれず、一旦ホーム端まで移動しないといけないようです。
駅舎の広場側にあったのと同等の表記ですが、ここは日本なんだから日本語でも書いてあげようよw
端っこにたどり着きました。構内踏切でホームへ渡ります。
ホームのスロープ部分には滑り止めマットが置かれているのが親切でいいですね。
ホームには植え込みもありましたが、もう手入れはされていないのでしょうかね。
駅名標です。
由来はやはりアイヌ語で「モ・ペツ」(子になる川)から来ており、「もんべつ」という地名は道内を中心にいくつもあるため旧国名を冠しています。
ぱっと思いつく限りなら伊達紋別とかですかね。
ところで、最後に余談になりますが、現在不通となっている日高本線の鵡川~様似間のうち、鵡川~日高門別間は比較的被害の程度が小さいこともあって、部分的に復旧される可能性に言及されており、様似までは無理でも当駅までは復活する可能性がまだそれなりに残っているんじゃないかと期待していたりします。
もしも復旧されれば絶対乗りに行きますからそうなれば当駅にも必然的に再訪することになりますね。
それでは次へ進みましょう。
浜厚真駅
日高門別駅からは4駅もすっ飛ばして浜厚真駅です。
実はこの駅を以って日高本線の駅巡りは終了となります。
そんな浜厚真駅ですが、旧国道(現在は道道)のすぐ脇に砂利敷きの広場で接続している立地です。
そのため、車では非常に訪れやすい駅なんですが、車を運転できるなら目的地までそのまま車で行ってしまう人がほとんどでしょうね・・・
お隣に駅名標があるのも今までの標準スタイルに準拠しています。
ところで、この顔はなにw
「この日高本線では常識に囚われてはいけないのですね!」とか言ってそうw
とある巫女さんの起こした奇跡か、ちょうど列車の時間だったのです。
↑動画も撮りました。
ここまで訪れた駅は全部不通区間の駅だったので、列車が来るという発想自体がなかったのですが、早苗さんのおかげ?か気づけてよかったですw
列車を見送ったら駅取材再開です。
ホームは1面1線の棒線駅ですが、かつては2面2線の交換駅だったとのことです。
駅名標です。
由来は所在する厚真町からですが、海岸よりに駅があるため「浜」を付けたようです。
その「厚真」の由来はというと、「オヒョウ」という木を意味する「アトマプ」というアイヌ語から来ているようで、アイヌ民族の織物「アットゥシ」の材料になる木なんだそうです。
ベンチに無造作に置かれていたのは、駅ノートと雑誌類
雑誌類は列車を待つ間の暇つぶしになるようにって誰かが親切で置いてくれているんですかね。
最後に引きで駅舎を撮ったらこれにて2日目の駅巡りは終了です。
岩見沢へ向けてひたすらドライブ
2日目の今日は朝から動いていた上、訪れる駅も多かったので流石に疲労感がたまりつつはありますが、今宵の宿は明日の活動の都合から岩見沢に取っているためそこまでひたすら移動です。
まだ若干空は明るかったのでもう1駅ぐらいは行けるかもとも思ったのですが、苫小牧よりの勇払駅は訪問済みですし、となれば逆方向の浜田浦駅ということになりますが、これから岩見沢まで行かなきゃいけないというタイミングで逆方向へ行くのは抵抗を感じてやめましたw
距離から言えば高速道路の利用も選択肢に入りましたが、室蘭本線にほぼ並行して最短ルートとなる一般道ルートに対して、一旦札幌の方まで迂回を強いられる高速道路ルートは、かかる通行料に対して時短効果があまりなく、一般道で頑張ることにしました。
今までの経験で北海道の一般道はかなり流れがいいのも分かっていましたしね。
と、ちょっと寄り道です。
道の駅であり、当初は単にトイレのために立ち寄っただけでしたが、その名前に反応せざるを得ませんでした。
それは「あびら D51ステーション」というのです。
いくら名前に鉄道要素があっても、道の駅ですから駐車場がメインですけどねw
ただし、自販機がD51のデザインになっている他、柱にはJR北海道のデザインの駅名標がありました。
東追分駅は2016年3月で廃止され、過去帳入りしてしまった駅名ですが、ここにしっかり痕跡を残していました。
早来駅
と、いろんな駅名が並びますが、キリがないのでこれ以上は割愛w
物販コーナーは既に営業を終えているようですし、外観だけ見たら撤収になりそうです。
それにしても、この張り紙1つまでもD51のデザインにしているあたり凝っていますね。
この時点では近くにある追分駅がかつては機関区もかかえる重要な駅だったことなどから、その地に作る道の駅にも鉄道要素を加えたのかなぐらいにしか思わなかったのですが・・・
これって・・・車庫ですよね?
それも、どうみても自動車用っていうサイズじゃない・・・
まさか、本物のD51が見られるの?
と思って締まりかけているゲートの隙間から除きこむもそれらしき姿は見られず。
これだけ立派な車庫を作っておきながら車両がいないとはどういうこと?
種明かししますと、実は私が訪問した時点では道の駅としてはオープンしていたものの展示車両の搬入は済んでおらず、目玉となるはずの車両展示がない見切り発車状態だったようなのです。(なんでも昨年の地震の影響で搬入が遅れたとか・・・)
それがこの旅の翌月頃に搬入が完了してニュースに取り上げられているのを見て知りましたw
しかも、D51だけではなく、キハ183系まで展示されているとのことで、機会があれば再訪したいなと思っている次第です。
引きでも撮ったら撤収します。
まさかの「道の駅取材」となりましたが、あとは本当に岩見沢までひたすら走るだけです。
途中、車に撥ねられたであろう鹿の死体に遭遇するというショッキングな出来事もありましたが、無事に岩見沢に到着しホテルへ向かいました。
予定していたチェックイン時間には間に合わなかったのですが、それでも普段の鉄道旅行のときのハードスケジュールに比べればはるかにましな時間に就寝できましたw
3日目以降は別記事で追って執筆しますのでしばらくお待ち下さい。
~追記~
3日目前編も公開しました。
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