3泊4日で実施した北海道遠征の2日目(前編)です。わざわざ前編を太字で強調したわけですが、私の記事は泊りがけのものでは基本的に1日を1記事として分割しているものの、今回は訪問する駅が多く、試しに写真をピックアップしたところなんと400枚を越えてしまい、過去には200枚超え程度は例があるものの、流石に1記事で400枚は多すぎですし、記事を書く私自身としてもそれだけのボリュームになると負担が大きいということで、私の記事では初の試みですが、前編・後編に分けることにしました。
なお、時系列としては1日目の続きとなりますので、なるべく1日目を先にご覧になることをおすすめします。
本日の活動内容
というわけで、本題へ入っていきますが、昨晩宿泊した帯広からスタートして、日高本線の様似駅を目指すわけですが、道中にある旧広尾線の愛国駅・大正駅・幸福駅へも立ち寄ります。
日高本線については長大路線とあって駅数も多く、流石に全ての駅を訪問するのは難しいということで、西鉄8000系さんに作成して頂いたリストに基づいて、様似・西様似・鵜苫・浦河・絵笛・荻伏・本桐・蓬栄・日高東別・大狩部・厚賀・日高門別・浜厚真の13駅を選択して訪問することとしました。なお、リストには鵡川駅も含まれていましたが、以前に私単独の活動で訪れたことがあったので今回は省略です。
書きながら適当なタイミングで後編に分割したいと思います。
愛国駅からスタート
帯広の宿を出発してナビに愛国駅をセットして車を出します。思ったよりゆっくりした出発になったわけですが、車移動なので好きな時間に出発できるのは朝が苦手な私としては嬉しい限りですw
そして、朝の通勤ラッシュで交通量の多い帯広市内を抜けると最初の目的地の愛国駅です。なお、この間にセイコーマートに入って弁当で朝食としましたが、写真はありませんw
こちらが駅舎のようです。
随分綺麗ですが、しっかり整備が行き届いているのか、廃止後に建て替えられているのかどっちなんでしょうね。
ボロボロで元の姿とはかけ離れてしまっていますが、車掌車が保存されていました。
ここも恋人の聖地らしいです。
愛の字が入っているからってことでしょうけど、愛国だとあんまり恋愛とかそういうのを連想できないような・・・
その奥にはもっと大きなハート型の池がありました。
恋人の聖地要素ということなんでしょうが、雰囲気的にカップルより親子連れで来たほうがしっくり来るなぁw
先程の感想の理由はこれですね。SLの形の遊具で駅要素を取り入れているっぽいですが、子供たちが楽しそうに遊ぶ姿しか想像できないw
愛国駅といえば「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズで愛国発幸福行きの乗車券が人気を集めた話が有名ですが、そのモニュメントがありました。
駅周辺です。大きな木がシンボルみたいになっていますが、SLが保存されているのもいいですね。
駅名標も残されています。国鉄時代に廃止されているため、国鉄のデザインでした。
ところで「愛国」という駅名の由来ですが、実はそのまま所在地が「帯広市愛国町」ということから来ています。その「愛国町」の由来はといえば、この土地が開拓されたときに「愛国青年団」という開拓団によって開拓されたことらしいです。
明治時代らしいといえばらしいネーミングですが、同じ由来で釧路市内にも愛国という地名があるそうですよ。
現役の路線じゃないので仕方ないですが、階段が線路にかかっているのはちょっと残念
駅舎内は資料館になっています。入場無料で自由に立ち入れるようです。
スタンプ台もありましたが、貼られているのは「なつぞら」のポスターでした。
時刻表です。
今ならもっと本数の少ない線区も多いですが、6往復あったようです。
カーキャッチャーです。
これは、暴走した列車の進路上に設置することで車外から強制的に列車を止めることができる装置です。
なんだか、ちょっとした鉄道博物館並の展示内容でしたが、これくらいにして外へ出ましょう。
十勝バスと拓殖バスが乗り入れており、バス停としては健在です。
なお、十勝バスは「愛国」ですが、拓殖バスは「愛国8号A」という別の名前になっているようです。
・・・なんだか、SimuTransとかでデフォルトで付けられる停留所名みたいだなw
最後に道路ネタ
駅前に乗り入れる道路は「一般道道595号愛国停車場線」であり、駅が廃止になって30年以上経っても堂々の路線名にその名を残しているようです。
こういう例は全国的に多くあるでしょうね。
それでは、お次は1駅となりにあった大正駅を見に行きましょう。
大正駅
ここ以外には大阪と長崎にもある大正駅です。
駅(だった場所)の前で唐突に終わる時点で察しが付きますが、路線名は「道道419号大正停車場線」であり、〇〇停車場線シリーズの1つです。
この公園が大正駅の跡です。
1997年までは0系新幹線の先頭車が展示され、駅も木造駅舎やホームがそのまま残っていたようですが、駅舎とホームは解体されて跡地を「大正ふれあい広場」として整備されて現在に至るようです。
なお、0系新幹線はWikipeida情報によれば池田町の民宿に引き取られたそうです。
現在はホームっぽい盛り土がされて、駅の面影を残しています。明らかにレプリカとわかる作りですが、本当にごく普通の公園にされてしまうよりはずっといいでしょう。
駅名標ですが、手作り感たっぷりのレプリカですw
どうせなら、駅名標だけでも本物を残せなかったんですかね・・・
大正駅はあくまで駅跡の公園であり、駅そのものとは言い兼ねる状態だったのであっさりしたご紹介になってしまいましたが、これにて終了ですw
お次は、広尾線で1駅お隣だったあの有名な「幸福駅」です。
幸福駅
「愛の国から幸福へ」の記念きっぷで有名な幸福駅です。
こちらは「交通公園」として整備され、完全に観光地化されており、駅はもちろん、保存車両も見どころです。
やってきました!
Googleマップあたりに掲載されていそうなアングルになりましたw
レールは廃止当時のものだそうで、僅かな距離とはいえ広尾線のレールが残っていることになりますね。
キハ22形が保存されており、屋外展示にしては綺麗な状態です。
こまめにメンテナンスが施されているんでしょうか。
公園と名乗るだけあり、広い芝生が広がっていますが、座って休むとか子どもたちが駆け回るという光景は見られません。
完全に「幸福駅」として観光地になっていますね。
駅名標ももちろん残っています。
ところで「幸福」なんて縁起のいい名前だと観光客受けを狙ってあえてそう命名したんじゃないかとか穿った見方をしたくなりますが、ここに関してはちゃんと地名が「幸福」なんです。近くにあるバス停は「幸福停留所」ですし、帯広広尾自動車道のインターチェンジも「幸福IC」となっています。
では、その地名の由来は何かと言うと、近くを流れる札内川の水量が少ないことから、アイヌ語で「乾いた川」を意味する「サツナイ」と呼ばれるようになり、札内川や幸福駅の隣の中札内駅なんかに名残を残していますが、当地には福井県より集団移住があり、開拓された際に「幸震」の字が当てられました。
“幸”はともかく、”震”を「ない」と読ませるのは流石に無理がある気もしますが、日本の古語で地震のことを「なゐ」というんだそうで、開拓された時代なら自然な読み方だったのかもしれません。
しかし、やはり難読ではあったらしく次第に字はそのままに読み方が「こうしん」と変化していき、更にその後、福井からの移住者が多かったことにちなみ「幸震」+「福井」で「幸福」となりました。
当時の住民たちからすれば、どうせ改名するならばなるべく縁起の良い名前がいいという思いは当然あったでしょうし、自分たちが苦労して開拓した土地であればなおのことそうでしょう。
そのことが後年のブームに繋がったのは、世の中どう転ぶか分からないなという感がありますが、あれだけのブームだったのにも関わらず、広尾線の収支を黒字化するほどの効果はなく、結局廃線を免れなかったのは残念です。
なお、二匹目のドジョウという言葉もあるように、幸福駅の人気は鉄道業界にも大きな影響を与え、第三セクター鉄道を中心に、既存の駅を改名したり、新駅を設置する際に縁起の良い名前にして入場券などを売るというビジネスモデルが広がりましたw
しかし、個人的には、元々の地名がそうだった幸福駅と違い、観光客などを意識してあえてそう命名したとなると、あんまり有り難みがない気もしますがw
駅についての解説もありましたが、字が小さいw
これ・・・相当近づかないと読めないですよね。
ホームへももちろん入れます。
しかし、点字ブロックどころか、白線すらないのに驚きましたが、広尾線が現役だった時代はこういう駅も珍しくなかったんですかね。
それにしても、何このやたらと高いステップw
バリアフリー?なにそれおいしいの?って時代を感じますw
車内です。
床が木で出来ていることを除いては、キハ40系あたりとそう違いは感じませんね。
車内の車番ですが、上に書き足されている手書きのものは落書きでしょうか?
今どきの鉄道車両ではまず見ないアイテムとなった灰皿も昭和を象徴するアイテムですよね。
車外へ出ました。
ここだけ見ると普通に人がいて広尾線が今でも普通に運行されているようにも見えてきますね。
ただし、ホーム上の人達は列車の乗客ではなくて観光客ですが・・・w
撮影のことを考えると観光客が闊歩している状況は写り込みなどを考えると有り難くはない状況ですが、少しでも往時の幸福駅の姿を体験できると思えばありかもしれませんね。
駅の入口にあたる部分には「幸福の鐘」が設置されています。
これは駅としては廃止になった後、公園として整備されるにあたって設置されたものだそうです。
その先で通路は線路を横切っており、踏切っぽい雰囲気ですが、フランジウェイが刻まれていないのがちょっと気になりましたw
まあ、重箱の隅をつつくような話ですし、気にしない方向で行きましょうw
その先にももう1両保存車両がありました。
先ほどと同じキハ22形のようですが・・・
車内はギャラリーになっているようで、ここが列車の車内であることを忘れそうになるくらい面影は残っていませんw
この椅子・・・一応、配置などは鉄道車両の座席を意識したんでしょうけど、材質といい全然それっぽく見えないw
照明器具もこんな形をしていました。これだとローカル線のディーゼルカーというより、観光列車や昔の特急の1等車って感じがしますw
こちらが駅舎です。元々幸福駅はごく小規模な駅だったようで、駅舎も小ぢんまりとしていますが、多くの旅人たちが残していった名刺や定期券が貼り付けられています。
なお、この駅舎は2013年に建て替えられたそうで、現役当時からのものではないようですが、あまりに質感などが年季を感じさせるものだったので、帰宅後調べるまで普通に現役当時の駅舎が残っているんだと思っていましたw
駅名の看板ですが、ローマ字表記すらしない潔さが国鉄らしさを感じます。
もしもJR北海道へ移管後に幸福駅がブームになっていたら、駅舎も観光客を意識した派手なデザインに改築されたり・・・なんて可能性もあったかと思うと、国鉄時代にブームになりそのまま廃止という運命もこの駅舎が残されたという意味ではよかったのかもしれません。
駅舎の反対側です。
本当に待合室しかない簡素なものですね。
それもそのはずで、現役時代は開業から廃止までずっと無人駅のままだったようです。
駅舎に隣接するこちらの商店ではあの「愛の国から幸福へ」の切符が買えるようです。
今や北海道内の観光地や空港では大抵の場所で買える気もしますが、やっぱり本家本元は現地で買ってこそですよね。
なお、ここで売られているものは厳密には「切符のレプリカ」であり、乗車券としての効力は持たないものとなりますが、十勝バスでは広尾線の廃止代替バスを運行しており、その代替バスの愛国~幸福間の記念きっぷが発売されており、有効期間内であれば実際に乗車券として使用することが可能だそうです。
それでは、再び駐車場に置いてある車に戻って旅を続けましょう。
それにしても、この日は平日だったというのに、一般マイカーから団体の観光バスまで次々と乗り付けてきて、幸福駅の観光地としての人気の高さが伺えましたが、これだけの人気ならやはり広尾線を存続させるくらいの影響にならなかったのが残念でなりませんね。
現役当時も列車に乗って訪れる観光客は少数派であり、ほとんどはマイカーや観光バスでの訪問だったそうで、これは広尾線の本数が少なく利用しづらかったという事情もあるようですが、観光客向けに増便するなどの柔軟な対応を国鉄が出来ていたら、広尾線の廃止も免れて、もしかしたら帯広空港へのアクセス路線という役割も担っていたかも・・・なんて妄想したりもしちゃいました。
日高へ向けてひたすらドライブ
愛国・大正・幸福と旧広尾線の3つの駅を巡ったわけですが、これらはあくまでも駅の跡であり、今回の活動のメインである現役の駅の取材という意味ではおまけという方が相応しい内容であり、次に訪問する様似駅からがいよいよ本題と言えます。(既に6000字近くを費やしておいて難ですがw)
しかし、様似を目指すだけでも大移動といえる距離であり、途中まで帯広広尾自動車道を利用できることを加味しても、午前中はほぼ移動で潰れましたね。
でも、北海道の美しい景色の中を走るのは気持ちよかったです。
※安全な場所で停車中に撮影
こうして様似駅に到着です。
様似駅
日高本線の本来の終点である様似駅です。
このバス停はJR北海道バスのものであり、日高本線の代行バスだけでなく、日勝線という路線バスも運行されており、これを利用することで広尾や襟裳岬に抜けることが出来ます。
広尾からは十勝バスで帯広へ出られるので、今日私が車で走ってきたルートを(若干遠回りにはなるものの)公共交通機関で辿ることが出来ます。
まあ、襟裳岬はともかくとして、様似→広尾→帯広なんてルートはそうそう使う人もいなさそうで、やるとしたら「ローカルバス乗り継ぎ旅」にでも挑戦する人くらいでしょうかw
こちらが様似駅の駅舎です。
綺麗に塗られているので分かりづらいですが、木造駅舎らしいです。
駅周辺はお店も点在し、これまで見てきた駅に比べると開けた印象です。
洒落た作りですが公衆トイレのようです。
それにしても、一体なにが「さわやか」なんでしょうか?
ハンバーグが食べたくなってきたw
これまたどこかメルヘンチックな作りの建物はバスの待合所のようです。
前述の通り、JR北海道バスの日勝線と接続しており、交通結節点としての役割が強いようですね。
なお、日高本線が不通になる前は、列車とバスは基本的に接続するダイヤが組まれており、苫小牧方面から襟裳岬や広尾を目指す人はスムーズな移動が可能だったようです。
また、そもそも日高本線自体が広尾まで延伸されて広尾線と接続する計画もあったそうで、実現していれば、石勝線を南側でバイパスするルートとして、道東と札幌や道南・本州方面を結ぶルートとして活躍できたかもしれませんね。
運賃表もありました。
バス代行とはいえ、今でも運賃制度上はJR線ですから、札幌方面へも通しで買うことができるようですね。
構内は観光案内所を併設しており、どっちかといえば観光案内所の方がメインな気もしますw
待合室です。
列車が来ない以上、ここで待っている利用者は見かけませんでしたが、それでも開放はされ続けているようです。
バスを待つにしても、バス専用の待合室があるようですし、なおさらここで待つ理由はないですよね。
むしろ、学生さんなどが溜まり場にしてそうw
ところで、窓口もあるんですが、なんと開いているんですね。
もう4年以上列車が来ていないとはいえ、正式には廃止ではなく、現役の駅ということを考えれば窓口営業を続けているのもおかしくはないのですが、予想外の展開でちょっと驚きました。
なお、調べてみるとなんと窓口営業はJR北海道バスへ委託しているらしく、対応している職員もJR北海道本体ではなく、JR北海道バスの職員ということになるようですね。ついでにバスの乗車券も扱っているらしく、もはやバス利用者向けに営業するついでにJRのきっぷも売っているという方が正確でしょうか。
ところで、待合室などを撮影していると、窓口の職員の方の視線が気になり(気にしすぎ?)、なんとなくご当地入場券を購入してみましたw
北海道好きの知人からなにか記念きっぷなどあれば買ってきてほしいと頼まれていたことと、今回の遠征はJR北海道の駅を巡るのに、列車には1区間も乗らず、無人駅ばかりなので入場券すら買わないと来ており、流石にちょっと後ろめたさもあったので、JR北海道にちゃんとお金を落としたという口実が欲しかったのもあります・・・。
それだけでなく、もう1つ現実的な懸念がありまして、それは駅員さん(ここに関してはバス会社の職員ですが)がいるということは、ホームへも出入り自由とは行かず、列車の発着がない以上立ち入りを規制されているのではないかということです。
しかし、入場券を買ったついでにホームへの立ち入りの可否を確認したところ、快諾してくださったので堂々と取材続行です。
その脇にはシャッターが締め切られた一角がありますが、かつてはキヨスクもあったらしいので、それの跡ですかね。
ホームへ入りました。駅周辺の立派さに不釣り合いな1面1線という簡素な構造です。
反対側から
JR北海道バスへの乗り換え案内も出ていますね。
ところで、縁起でもない話かもしれませんが、このまま日高本線が復旧されずに廃線になった場合、日勝線を延伸する形で代替とするのか、様似や浦河あたりで系統分断してしまうのか、どうするんですかね。
鉄道ファンとしては日高本線の復活を熱望しますが、バスファンとしての視点だと、日勝線延伸で日高本線の代替とした場合、八木新宮線に匹敵・・・いやそれをも上回る長大路線が誕生する可能性がありますね。
ホームは1つだけですが、側線もあります。
列車が運行されていた頃は夜間滞泊もあったらしく、側線が使われていたのかもしれません。
苫小牧方の線路ですが、やはり列車が走っていないことでレールの錆が目立ちます。
信号機も稼働していないようですね。
反対側ですが、ホームの先にもしばらく線路が続いています。
かつては日本電工の工場が隣接していて、その貨物扱いもあったようですし、それに接続する専用線まで持っていた栄光の時代もあるようです。
駅周辺の住宅が立ち並ぶ一角もかつて駅の敷地だったとかありそうですね。
実は駅舎を通らなくても外へ出られるようになっていましたw
駅舎はあくまで切符を売るのと待合室の機能だけで、改札は列車の方に集約していたんですかね。
と、これくらいで様似駅の撮影は終わりにします。
願わくば、日高本線の復旧が実現して、列車に乗ってこの駅を再訪できる日が来るといいな・・・などと考えつつ撤収です。
さて、次の駅は・・・の前にお昼ご飯!
帯広市内のセイコーマートで弁当を買って食べて以来飲まず食わずに近い状態で、3つの駅の訪問と運転をこなしてきたため、すっかり腹ペコですw
北海道の道路は流れが良すぎて逆に止まる機会があまりないので走りっぱなしになるんですよね。
しかも、駅に貼ってあった「つぶ貝」の文字に、もうこれは食べていかない手はないと考えてしまっていたのでしたw
列車旅だと滞在時間が短ければ駅前以外のお店は選択肢に入りませんが、今日は車があるので数km圏内は目の前と言って差し支えない条件ですからね。
ちなみに、かつて様似駅でもつぶ貝弁当が名物として売られていたそうです。
というわけで、携帯でグルメ情報を調べて気になったお店にGO!
つぶ貝とウニの二色丼を注文しました。
さすがは北海道の漁港街とあって味は抜群でしたが、懐は一気に寒くなりましたw
なにせ、この丼、4000円近くするんですw
旅に出ると財布の紐が緩くなりがちですが、今日はかなり奮発してしまいましたw
腹は膨れども、財布は薄くなったところで、駅取材の続きと行きましょう。
お次は・・・?
西様似駅
様似駅から1駅隣の西様似駅です。名前からしても様似駅の隣って感じですねw
その様似駅からの距離は2.9kmとなっており、北海道にしては短い駅間となっています。
ていうか、日高本線自体が駅の間隔が短めなんですよね。海沿いに走るから集落が点在しているとかが理由でしょうか。
西様似駅に到着です。
駅に隣接して貯木場がありまして、かつてはここから30kmにも及ぶ「三井軌道」という森林鉄道が走っていたそうなので、木材の積み出し拠点だったんでしょうね。
そして、駅舎はこちらです。
え?
「これは保存車両じゃないの?写真間違えてないか?」って?
いえ、間違いなくこれが駅舎です。
別アングルから見ても鉄道車両にしか見えないわけですが、実は鉄道車両そのものだったりします。
どういうことかといえば、使われなくなった車掌車を転用して駅舎にしてしまっているわけです。
車掌車は貨物列車の車掌が乗るための車両ですが、貨物列車の車掌自体が廃止されるようになって車掌車も役割がなくなると多くが廃車となりましたが、一方でローカル駅で駅舎が老朽化しているなどの事情がある場合、廃車予定の車掌車を転用するケースが地方を中心に散見され、「貨車駅舎」という呼び方をすることもあるようです。
駅舎の脇にあった駅名標
普通、駅名標ってホームにあるものだともいますが、今回の遠征で訪れた駅でも駅舎の隣に駅名標というパターンは何度かみているので、北海道では定番なのかもしれませんね。
待合室内部です。
駅舎に転用するにあたって改装されている部分もあるでしょうが、貨車といえども案外中は普通ですね。
ランプの傘が残っていましたが電球は付いていないようです。
これとは別に蛍光灯が付いているみたいなので、車掌車時代のものがそのまま残っている可能性が高そうです。
ホームに入りました。
かつては交換駅だったようですが、今は1面1線に縮小され棒線駅となっています。
ホームからも貯木場が見えます。
森林鉄道も廃止され、鉄道による木材の輸送も途絶えて久しいわけですが、トラック輸送に移行しながらも木材の輸送自体は続いているんでしょうか。
苫小牧方の線路です。
やはりレールの錆は気になりますが、バラストに雑草が生えまくっているとかはないので、最低限の手入れはされているんでしょうか。
反対の様似方
交換駅だった名残でレールが曲がっているのが分かりますね。
忘れてはいけない、ホーム上の駅名標
よく見ると駅舎脇にあったやつとは若干デザインが違っていますね。
それでは、次の駅へ!・・・の前にちょっと寄り道します。
名所案内にもあった「親子岩」です。
ちょうど通り道でもあったので立ち寄ってみました。
こうしてみると「親子岩」と呼ばれるのも納得ですw
霧がかかって幻想的ですね。
周辺も美しい海の景色でした。
それにしても、駅に掲示されている名所って、代替歩ける距離ではなかったりして、結局訪れないことが多いですが、こうして実際に名所案内に載っている場所に行ったのは初めてな気がします。
日高本線の代行バスの後ろを走る場面もありました。
※停車中に撮影
それでは、次は・・・
鵜苫駅
西様似駅から1駅進んで鵜苫駅です。
この絵はタコかな?
ちなみに、掲示されているプレートはこの駅舎に色を塗った人達の名前が書かれており、近隣の学校の美術部の子たちのようですが、普通に実名が載っているので拡大したものの掲載は見合わせます。
ちなみに、駅周辺は広場になっていて、車も乗り付けられるスペースがあります。
その隣は廃タイヤで仕切られた敷地が広がりますが、駅の敷地じゃなさそうですね。
そして、内部です。
外は若干塗装が剥げていましたが、内部は綺麗でした。
何気に窓は二重でした。JR北海道の列車は二重窓がデフォルトですが、車掌車といえども例外じゃないんですね。
ホームは1面1線で棒線駅となっていますが、かつては交換駅だったようです。
それにしても、西様似駅といい、こんな頻繁に交換設備があったなんて、日高本線も今では考えられないほど多くの列車が行き交った時代があったんでしょうね。
駅名標です。
なお、駅名の由来は「ウトゥマムペッ」というアイヌ語で「抱き合う川」という意味だそうです。
駅前の斜面にあったこの看板ですが、見た目から観光関係かと思ったら治山工事地であることをお知らせしているだけでした。
駅前を走る道路です。
ちなみに、国道では駅の案内が少なく、来る時は駅の場所がわからず素通りしちゃいましたw
と、ここはこれくらいにして次へ行きましょう。
浦河駅
日高幌別駅・東町駅は割愛して浦河駅です。
様似駅・西様似駅は様似町でしたが、浦河町に入りました。
まさか駐車禁止なのかと思ったら長時間の駐車は禁止らしいので、短時間で撤収するなら駐めていいみたいです。
てっきり、古い民家によくある蜂の巣を飾ってあるのかと思ったら、駅名が書いてあるだけでしたw
バスの案内ですが、実は駅前広場には乗り入れてくれず、裏手にある国道の方にバス停があります。
窓口もありまして有人駅ではあるようですが、「水・土曜と第2・4月曜」の「12時~16時」という非常に限られた営業時間となっているようです。
私が訪問したときも窓口は無人でした。
ご当地入場券もあるようですが、発売箇所は駅ではなくて観光協会のようです。
花壇は馬の形でした。
そういえば、日高地方は競走馬の産地として有名らしいですね。
ホームへ出ました。
ここが改札口ですが、ホーム側からだと分かりづらいですね。
絵が飾られていますが、これも地元の学生さんの作品だそうです。
西様似や鵜苫の駅舎も学生さんの絵で飾られていましたが、日高本線全体の取り組みみたいな感じなんですかね。
ホームは1面2線と簡素な構造ですが、かつては2面3線を誇り側線まで有する大きな駅だったようです。
更に進んで振り返りました。
屋根の支柱がレールの流用っぽいですね。
跨線橋もありますが、もう1つあったホームも撤去された今は国道への連絡のみに使われているようです。
一方、こっちははっきり読める濃さでした。
納税も大事だけど、駅名も大事にしてあげてw
跨線橋を反対側から・・・
何故かこっちも「浦河」のところだけ薄いw
ところで、ホームからは普通に外へ繋がっているんですが、有人駅なのにいいんですかねw
それとも、窓口は出札だけで、改札は列車の方で行う方式だったとかでしょうか。
JR貨物のコンテナがありました。
国鉄コンテナはよく置いてありますが、JRのカラーのコンテナってこうやって放置されているのは珍しいですよね。
手前にはすっかり劣化して文字も読めない看板がありましたが、辛うじて読める部分から察するに回数券の宣伝が書かれていたんでしょうか。
それでは、今度は跨線橋を渡ってみましょう。
なんと、階段が木でした。
国道側の出口です。
何の案内もなく、どこへ通じるのか初見だと分かりづらくて渡るのを躊躇してしまいそうw
駅構内へ降りられそうなスロープがありました。
車も通れそうなサイズですが、見るからに朽ち果てた木製で、車が乗ったらたちまち壊れてしまいそうです。
ところで、この駅敷地の手前にある塀が気になったのですが、どうも防波堤みたいに見えます。
調べてみると、現在の国道が通っているあたりは元々海だったようで埋め立てによって生まれた土地とのことなので、かつての浦河駅は本当に海際すれすれにあったんですね。
ローカル駅の待合室くらいの大きさはあるバスの待合室
雪国はバス停にしろ駅にしろ、待合室はしっかりしていることが多いですよね。
↑ついでに動画も撮りましたw
それでは、ここの撮影はこれくらいにしましょう。
駅を出発して次の駅へ向かう道中での1枚ですが・・・
「ただの踏切じゃないか」とスルーしないでよく見てみて下さい。1つおかしな点がないですか?
踏切ならばあってしかるべきものが無いのです。
勿体振らずに答えを言うと「遮断桿がない」のです。
4種踏切など最初から遮断桿がない踏切もあるにはありますが、遮断桿の台座部分は見受けられるので、どうやら不通になってから遮断桿を撤去されたようですね。
踏切への電力の供給を停止していて、その間踏切が遮断されっぱなしになると困るから遮断桿を撤去して通行を確保しているとかだと思いますが、これじゃあもう2度とここを列車が通ることはないと宣告されているみたいで何だか寂しいです。
絵笛駅
浦河駅から1駅進んで絵笛駅です。
街なかにあった浦河駅の1つ隣と言う割に、景色は一変してこんな田園風景の中に絵笛駅はあります。
普通の2車線道路から分岐する細い農道のような道へ入っていきます。
舗装はされているので自動車の通行も可能な道路だとは思いますが、道幅的に乗用車以外は無理でしょうし、実質軽トラ専用道路みたいなものでしょうね。
駅はこの先にありますが、当然駐車場はなく、この道路へ進入してしまって駐める場所がなかったらバックで引き返す羽目になるので車は近くの邪魔にならない場所に駐めて徒歩で向かいました。
先程の分岐点周辺の道路が交通量が少なく駐車禁止でもなかったからよかったですが、交通量の多い幹線国道とかだったら訪問を断念するまであり得たかもしれません。
車は自由な移動という恩恵をもたらすと共に、目的地では駐車場所の確保という足かせにもなるので、行き先次第では諸刃の剣なところありますよね。
日高地方が競走馬の産地として有名なのは浦河駅のレポートで触れましたが、まさか牧場に囲まれるように駅があるとは思いませんでしたw
なお、どこか忘れましたが車で走っていて「いすず牧場」なる牧場を見かけてクスッときました(提督なら分かるはずw
馬を眺めながら歩いていると道路の終点へ来たようです。
一応転回できるだけのスペースは確保されていましたが、牧場の関係者の車とかが入ってきてかち合ったら大変ですし、やっぱり車でここまで乗り入れるのはやめたほうが良さそうですね。
今まで巡ってきた日高本線の駅は、元々は交換駅だったけれど、あとから撤去されて1面1線になったというパターンばかりでしたが、ここは開業時から1面1線のローカル駅であり、完全な棒線駅です。
非常にコンパクトな駅であり、もうこれだけでホームの全てを見渡せたと言えますw
ホームに設けられた柵は、よく見れば工事現場とかでよく見るパイプ(?)ですね。
駅名標
ここもちょっと変わった名前ですが、やっぱりアイヌ語由来で「エ・プイ」という「小山」を意味するアイヌ語から来ているようです。
駅舎・・・というか待合室ですが、コンクリートブロック造の建物があります。
内部はこんな感じ
思ったより狭いですが、貨車駅舎に比べるとしっかりしている感はありますね。
ちなみに、待合室はホームからは1段低い場所にあるので階段で行き来する必要があります。
さて、お次は・・・と言いたいところですが、そろそろ13000字を超えつつありますし、前編はここまでとして、残りの駅は後編にてご紹介したいと思います。
後編も追って執筆しますのでしばらくお待ち下さい。
~追記~
後編も公開しました。
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