2018年1月三江線駅取材の旅 6駅目 石見都賀駅

こんばんは。副管理人の西鉄8000系です。
2018年4月1日を以って廃止となった三江線ですが、それが廃止になる約3ヶ月前の様子を、当時撮影した写真を見ながら振り返っていくこのシリーズ、
廃止後1年以上がたち、相変わらずスローペースでの執筆となってしまっております(汗)
今回は前回から約1週間後の公開ということで割と頑張って…みましたが、遅いことには変わりないですね(苦笑)
それでは、今回も自分なりに駅を訪れた時の状況をご紹介できればと思っておりますので、気軽に読んでいただけると幸いです。

本日は、口羽~浜原間の日本鉄道建設公団が建設した区間における立派な盛り土高架駅である石見都賀駅をご紹介します。

先程訪問していた江平駅から、江の川を左に見つつ一般国道375号を通って北上します。
しばらくすると、当時まだ営業していた口羽駅へ向かう広島・島根県道4号「甲田作木線」が西へと分岐していきますが、そこからは江の川を完全に離れて全長約3.2kmの両国トンネルに入っていきます。
トンネルを抜けてさらに走っていくと、

このようにドーン!と三江線の立派な高架橋が姿を現します。左手が宇都井駅、右手が次の目的地である石見都賀駅に繋がっています。
先程訪問していた江平駅あたりの線路状況と比較するとかなり違いますが、
実はこの辺りは口羽~浜原間の日本鉄道建設公団が建設した区間にあたりまして、1975(昭和75)年8月31日に開通した、三江線で最も新しくかつ最も線路規格が良い区間となっています。
なお、三江線はこの区間の開通・開業をもって全線開通となり、正式に陰陽連絡線として営業を始めるわけですが、時代の流れであと3カ月(訪問当時)で廃止になろうとは、開業時には全く予想されていなかったのではないかと思います。
ちなみにこの区間は正式には三江北線の延伸区間となっていまして、口羽駅で三江南線と接続する形で整備されました。
そんなこんなでここからさらに車を走らせ、一般国道375号から脇道に入って

石見都賀駅の入口に到着しました。相変わらず天気は悪いです(笑)
右側の建物が待合室になっていまして、左側にホームへと続く連絡トンネルの坑口が開いています。
さらに左側にある街灯横の建物は、一見自転車置き場に見えなくもないですが実は御手洗いです。
先程の江平駅は御手洗いが閉鎖されていましたので、この駅ではワンランク上のサービスを提供していると言ってよいでしょう(笑)。
まずは待合室に入ってみます。


待合室の中は掃除が行き届いており快適に利用できそうでした。腰掛の座面は畳表が使用されており、駅ノートも置いておりました。
天井近くには、駅の清掃ボランティアを行った地元婦人会への感謝状が3つほど飾られており、この地域で石見都賀駅が大切にされてきたことが分かります。


ホームへと続く連絡トンネルの入口はこんな感じになっています。待合室はあれど駅舎は無いので、駅前の道から階段を上って直接入る形になります。
トンネルに入って少し長めの階段を上ると

1面2線の島式ホームに直結しています。石見都賀駅は三江線で数少ない交換可能駅となっていましたが、当時ここで行き違いする列車は既にありませんでした…
ホーム上の花壇は今でも利用されているようで、訪問者を和ませてくれます。無人駅の花壇って荒れてることが多くて少し悲しい気持ちになるんですよね…


振り返って連絡トンネルの出口を見ます。左側が石見都賀駅が所在していた旧大和村の中心地です。ん?右側にもう一本線路が見えますね…


訪問するまで知りませんでしたが、石見都賀駅には保線用車両の引き込み線(小さなピット付き)が現役で設置されていました。
先程、石見都賀駅が口羽~浜原間の日本鉄道建設公団が建設した高規格区間にあるということをご紹介しましたが、本線の線路(三次方面)は御覧の通りPC枕木となっています。
なお当時、この高規格区間には落石の可能性がある等で制限速度が著しく低く設定(20km/hとか)された箇所がいくつかあったため、悲しいことに列車が高速でこの区間をぶっ飛ばすことはできなくなっていて、加速減速必殺徐行、加速減速必殺徐行を繰り返した走行となっていました(それでも他の区間よりは幾分早く走行していたとは思いますが…)。


ホームを三次方面にしばらく進むと上屋とちょっとした待合設備がありました。左が三次方面ホーム、右が江津方面ホームで特に番線表示はありません。


駅名標を撮影します。三次方面の次の駅は三江線で最も有名な駅とも言えた「日本一高い天空の駅」の宇都井駅でした。


その少し奥には、今まで訪問してきた駅とは違ってステッカー式でなく最近設置された感じでもない縦型の駅名標がありました。
左側には木製でボロボロの箱が…。ノリホ(列車乗車人員報告票)入れでしょうか?


三江線の各駅に設置されている「三江線活性化協議会」という団体による石見神楽の演目名にちなんだ愛称名を表示した看板がこの駅にもあります。
この駅は「髪掛けの松」という愛称が付けられていました。ざっくり説明すると(今日は長いですwww)、ある領主が武勲を立てた重臣に恩賞としてお姫様を嫁がせたところ、その重臣に心を寄せていた別の女性がお姫様を妬んで毒を盛り、お姫様は醜い姿になってしまいました。
そのせいで妻であるお姫様から心が離れた重臣は、今度は毒を盛った犯人の女性に心を寄せるようになり、それに怒ったお姫様はその女性を「蟠龍峡」に呼び出して大喧嘩、最後には刺し違える形で2人とも谷底へと落ちていきました。
その際、2人の髪の毛が松の枝に引っかかっており、駆け付けた重臣はそれを見て自分の行いを悔い、自害してしまった、という内容の演目です。
実は、石見都賀駅がある島根県美郷町にその「蟠龍峡」が実在していまして、この演目も毎年1回、地元の神楽団が蟠龍峡にて上演していることから、この駅に「髪掛けの松」という愛称がついたようです。いや~普通に見ごたえがありそうなお話ですね。


先程の写真を撮った位置から振り返って見ると、停車場中心の小さな表示が取り付けられていました。


この上屋にはこんな感じでサッシが取り付けてありまして、ここを開けてホームの反対側と行き来できるようになっています。上屋にわざわざサッシを取り付けているのを初めて見る副管理人でした。
周りの土地より高い位置にある盛り土高架駅ですし、近くに江の川が流れていてそこから強風も吹いてくるのかもしれませんから、風が当たらない側で列車を待てるようにという配慮でしょうか?


上屋を過ぎてさらに三次方面のホームを見ます。立派な造りになっていますが、この先まで列車が停車することは今まで何度あったのでしょうか…


ホームの三次方面最奥にはコンクリート造りの小屋が建てられていました。鉄道電話ボックスなんかでよく見る配色の箱も中にあるようですので、機器室として使われていたのでしょうか?

以上でこの駅の駅取材を終え、わたくし副管理人と管理人氏は次なる目的地である石見簗瀬駅へと出発しました。
石見簗瀬駅は一時期、三江北線の終着駅になっていた駅でして、昔からの木造駅舎がそのまま現存しています。
今回は記事を読んでいただきありがとうございました。次回も是非ご覧ください!

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西鉄8000系(副管理人) について

AlmightyTrainSiteの副管理人です。以前は関東を中心に活動していましたが、現在は九州に生活の拠点を移して活動しています。写真撮影や走行音の録音はもちろん、色々な駅を巡って詳しく観察する「駅取材」をよく行っています。
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