北海道ローカル駅巡り(3日目前編/札沼線)

3泊4日で実施した北海道遠征の3日目(前編)です。
前日分となる2日目と同様、訪問する駅数が多くなるので前編・後編に分けてお届けしていきます。
また、時系列としては1日目2日目前編2日目後編→本記事という順になりますので、なるべくその順番通りにご覧いただくことをおすすめします。

本日の活動内容

昨晩宿をとった岩見沢からスタートとなる3日目ですが、活動内容としては札沼線の駅めぐりです。
今まで巡った根室本線(富良野~新得間)や日高本線と同様に存廃問題に揺れる路線の1つとなる札沼線(北海道医療大学~新十津川間)ですが、他2路線と決定的に違うのは、既に具体的なスケジュールまで示されて廃止が確定していることです。
2020年5月7日というタイムリミットとしては残り1年を切っていることになり、札沼線の駅めぐりは特に重視していた中身でした。
そのこともあり、3日目は宿を札沼線になるべく近い岩見沢として、4日目も岩見沢に宿泊することで現地での活動時間を最大化した上、4日目はあえて活動内容を入れないことで訪問しきれない駅があっても対応できるようにするなど、札沼線については1駅でも多く巡れるようにという配慮がなされていました。
西鉄8000系さんが作ってくださったリストにおいても、札沼線のうち、訪問予定駅とされなかったのは4駅だけ(しかも、うち2駅は既に訪問済みという理由)というくらい、密度の高い取材を計画していたわけです。
まえがきはこれくらいにして、そろそろ本題へ入っていきましょう。

まずは札沼線の端っこへ

昨晩は遅いチェックインではありましたが、札沼線は既に一部区間の廃止が決定している以上他の日程以上に気合を入れて動きます。
ビジネスマンなどと混じってチェックアウトして昨日同様にセイコーマートでお弁当を買って朝食を済ませたら車をひたすら走らせます。
終点の新十津川駅には乗りつぶしをした際に訪れているので、その1駅手前の下徳富駅から活動開始となります。
車での経路は滝川市内まで国道12号で函館本線と並行するように走りますが、その区間内に「日本一長い道路の直線区間」があります。それを示すモニュメントもあったのですが、このあたりは札幌と旭川を結ぶルートでもあることから交通量は案外多く車を止めて撮影する余裕はなかったので写真はありませんw
余談ですが、鉄道での日本一長い直線区間は残念ながらここではなく室蘭本線の白老~沼ノ端間だそうですが、この美唄から滝川にかけての函館本線も直線区間ばかりで特急だとかなり飛ばします。

滝川市内で国道12号を逸れて行ったら最初の訪問駅、下徳富駅です。

下徳富駅

3日目の最初は読み方がネタにされがちな下徳富駅です。


下徳富駅は農作物の倉庫に囲まれるように存在します。
穀倉地帯らしい風景ですね。


駅周辺です。


こちらが駅舎です。


ちょっとかすれつつある駅名看板


極端に古ぼけてもなく、かといって今風でもないちょうどいい雰囲気でしょうか。
北海道の緩やかな時間の流れに体が慣れつつあった3日目とあってしばらくここで座ってのんびり過ごしてみたくもなりましたが、今日は札沼線の駅をとにかく巡らないといけないですから先を急ぎましょう。


駅ノートはファイルに入れられて吊るされていました。


JRが置いたものかどうかは分かりませんが人形が飾られていました。
あと、札沼線のスタンプラリーのポスターもありますね。札沼線沿線には温泉が点在しているそうで、温泉巡りも兼ねて最後の札沼線を楽しむのもいいかもしれません。


日本各地を走る列車とトレインマークのポスター
こういうのを見せられると乗りたくなるから困るw


雰囲気はすごくいいポスターですね。
駅ごとのポスターまで作ってもらって大盤振る舞いですが、もう廃止が決まってしまっているのが残念でなりません。


そういえば、初日の根室本線の駅でも見かけましたが、やっぱりこれは暖炉なんでしょうか?


運賃表


そして、当駅・・・いや札沼線最大のネタといえるのがこれです。
時刻表なんですが、その中身に注目です。
浦臼方面は10時7分発の1本だけ、新十津川方面は9時21分発の1本だけ・・・
つまりはこの区間の札沼線は1日に1往復しか走っていないのです。始発列車が最終列車でもあるということになりますね。
私が以前乗りつぶした時はまだ3往復運転されていて乗りつぶしの行程のバリエーションは今よりはあったものですが、今や札沼線完乗を目指すならば行程は1パターンしか選べません。
また、前回のダイヤ改正でその1日1本しか無い新十津川発着の列車について、新十津川駅での折り返し待ちの時間を増やして乗りつぶしのファンが新十津川駅をゆっくり見学できるようにしたなんて話もありましたが、もはやこの区間は地元の方の実用的な利用は皆無で、専ら乗りつぶし目的の鉄道ファンしか乗らない区間となってしまっています。


ホームに出ました。


こうして見ると無作為に砂利を盛っただけにしか見えないんですが、これがホームなんですね。


流石にこんな不安定な斜面を上り下りさせる訳にはいかないと思ったのか、ちゃんと階段があります。


ホームです。
現在は1面1線の棒線駅ですが、かつては2面2線の交換駅だったようです。


線路はまっすぐに伸びており交換駅だった面影は見出だせませんが、片開き分岐器を使っていて直進側の線路を残したか、交換設備撤去時に線路を引き直したかのどっちかでしょうか。
札沼線の場合優等列車も走ったことはないようですし、長距離輸送なら函館本線があるわけで、わざわざ線路を切り替えるほどの改良をするかという点については疑問符が付きますけどねw


ホームからも水田の景色が見渡せます。


何の標識かと思ったら鉄道林だそうです。
鉄道林とは、線路や列車を吹雪や強風から守るために植えられる林のことですが、こうやって標識がついているのは知りませんでした。


ここに来てようやくですが、駅名標です。
読み方は「しもとっぷ」なんですが、地名としては「徳富」であり、石狩川の下流側に当駅があることから”下”を付けて「下徳富」となりました。
「徳富」の由来ですが、やはりアイヌ語であり「トク」という「隆起」を意味する言葉から来ているようです。
なお、かつては当駅の新十津川方に「中徳富駅」が存在し、1972年に廃止された新十津川~石狩沼田間には「上徳富駅」も存在しており、上・中・下が揃っていました。
駅名で上・中・下全てが揃っているのって、私が知る限りだと、他には名鉄犬山線の上小田井・中小田井・下小田井ぐらいでしょうか。


ホーム側から見た駅舎


もしかしてこの支柱って廃レールの流用でしょうか?

と、そこへ現れたのは・・・


↑1日1本しかない始発列車兼最終列車!


見た目だけなら北海道のローカル線なら大抵は見られるキハ40系でしかありませんが、1日1本だと思うとものすごく貴重に思えてきますw


石狩当別~新十津川の行先表示


最後の最後までご安全に!

それでは、始発列車兼最終列車を見送ったところで次の駅へ進みましょう。

南下徳富駅

接頭語が重複していてなんじゃこりゃと言いたくなる南下徳富駅ですw


そんな南下徳富駅はやっぱり田園のど真ん中にあります。


この踏切の脇に駅があります。
ところで、この踏切ですが、よく見ると警報器はあれど遮断機がありませんね。
普通は遮断機と警報器の両方を備える1種踏切か、どちらも備えない4種踏切のどちらかということになりますが警報器だけあって遮断機がないものは3種踏切といいます。警報器の動作にも軌道回路との連動が必要であり、かつ電源も必要と考えるとついでに遮断機も設置してしまうケースが多いのか少数派の3種踏切ですが、はっきり認識する形で見たのは初めてかもしれません。


そして、こちらが駅です。
あまりに簡素な構造なので元々仮乗降場だったのが駅に格上げされたパターンかと思いましたが、当駅の場合最初から駅だったようです。


かつては駅舎があったという当駅も今や待合室すらもないので、時刻表はこんな掲示板に張り出されています。


と、まさかの駅ノートw


ホームが全部木製なのもすごいですよね。


端の方は木製ではないようですね(塗装かコーティングでそう見えるだけ?)


ホームを振り返って


ホームからの眺めをパノラマ写真でどうぞ


ここで駅名標です。
しかし、冒頭でも書きましたが、接頭語が重複して付いている駅ってそうそうないですよねw
言うまでもなく「下徳富駅」の南にあるから「南下徳富駅」ということになりますが、付近のバス停の名前が「九号線」という名前らしいですし、このあたりの土地を表す適切な地名が存在しなかったのかもしれませんね。


下徳富駅では貼りませんでしたが乗車位置案内を・・・
それにしても、当駅から直通で行ける最遠となる石狩当別でもなく、札沼線のほとんどの列車が起終点とする札幌でもなく、あえて線路名称上の正式な起点である桑園を持ってくるあたりこだわっていますねw
一般利用者のことを考えたら石狩当別か札幌を使ったほうが分かりやすそうですがねw


反対側は素直に新十津川でした。
これで石狩沼田とか残っていたらすごいですが、流石にそんなことはありませんでしたw


ホーム全景・・・というよりもはや駅全景ですねw


反対側からも

ところで、考えてみると今回の活動で訪れた駅としては、待合室程度のものを含めても一切建物が存在しない駅というのは初めてですよね。
北海道という土地柄、どんなに利用の少ない小さな駅でも最低限小屋程度の待合室は用意されるものなんですが、ここはそれすら必要ないほど利用者がいないということなんでしょうか。
一応、2012年までは駅舎が維持されていたそうなのでそれが老朽化して建て替えが必要だけどお金がないから解体して代替の駅舎を作らなかったってところでしょうか。

それでは、次の駅へ!

浦臼駅

於札内駅と鶴沼駅は飛ばして浦臼駅です。


そんな浦臼駅は今まで見てきた中では一番ではないかと思えるくらい立派な駅舎でした。


当駅は浦臼町の中心駅となっており、周辺も街なかの景色です。


駅前の通り


反対側から見た駅舎


駅前のバス停です。
バスのラインナップは北海道中央バスと浦臼町営バスとなっており、北海道中央バスは滝川駅へ、町営バスは奈井江駅へ出ています。
北海道中央バスの路線はかつてJR北海道バスが運行していた「石狩線」というバス路線を一部引き継いで運行しているもので、JRバス時代の最盛期は石狩月形駅~滝川駅とか、滝川駅~石狩沼田駅なんかの長大系統もあったようです。札沼線にもろに並行しているわけですが、そもそも「石狩線」は札沼線の一部が戦時下に不要不急線として休止された際にその代替で生まれたものなので当然といえば当然ですね。
新十津川~石狩沼田間の廃止後はこの区間の廃止代替バスとなったりした時期もありましたが、JR北海道バスが撤退し、滝川駅~浦臼駅間の系統が北海道中央バスに引き継がれた以外は各市町村の公営バスなどに転換されたり、そもそも路線バス自体が消滅した区間もあるようです。

なお、浦臼~新十津川間の札沼線は1日1往復しか運行されない超閑散区間なわけですが、先程の北海道中央バスの路線があって、住民のほとんどはそっちを使っているようでこの区間に関していえば鉄道がなくなっても住民はあまり困らないというのが本音なのかもしれませんね。
実際、鉄道廃止後の代替輸送について、浦臼以北の区間は既存の路線バスを活用し、新たに代替バスを設定する予定はないという発表が出ています。

だいぶ脱線してしまっていますが、もう1つ余談を・・・
実は札沼線について、新十津川~石狩沼田間が廃止された後、新十津川~滝川間に新線を建設して札沼線を滝川駅につなげる構想があったらしいのですが、結局実現しなかったようです。
実現していたら今よりはもっと札沼線が利用されていたかもしれませんし、函館本線のバイパスルートとして有用だったかもしれません。


それでは、中に入るとしましょう。
「ふれあいステーション」となっており、浦臼町の施設と一体化した駅舎のようです。通りでやたらと立派なわけですね。


「ふれあいステーション」って何かなと思ったら、まさかの歯医者さんが入っていましたw
2日目の記事で日高門別駅の駅舎を歯科医院っぽいと書きましたが、本当に駅舎と歯科医院が一緒になっている駅があるとはw


中に入りました。


建物の大きさに対して待合室が狭いなと思ったのですが、この向こう側は全部歯科医院のようですね。


なんだか間違って迷い込んだ気分ですが、ここは駅舎内で合っているはずですw


壁には掲示物が盛りだくさん
駅の掲示だけでなく、浦臼町の掲示物も混じっているようですね。


この部分だけ見ていると、駅の待合室じゃなくて病院の待合室ですねw


原因がこのベンチにあるのは間違いありませんw
こういう見た目のベンチって病院や歯医者さんのイメージが凄くありますが、衛生上の理由とかで採用されているんですかね。


時刻表です。
石狩当別方面へは当駅で折り返す便が5本設定されており、新十津川まで行く1往復を加えて石狩当別方面へは6本が利用可能です。
これでも少ないのは少ないですが、普通に実用的な交通機関として利用可能な程度の本数は確保されている印象ですね。


それでは、ホームへ向かいましょう。
「ふれあいステーション」なんていうから地域の集会場みたいなものを併設しているのかと思えば、本当に待合室と歯科医院しかないんですね。
確かに歯科医院も生活に密着した施設ですが、コンビニとかが駅の中にある方が便利だと思いますけどね。


ホームです。5本も折り返し列車があるなど運行上は重要な駅でしょうが、それでも1面1線の棒線駅ですw
ホームの向かいに敷地が余っているあたりでお察しでしょうが、昔は2面2線の交換駅だったようです。


この線形を見れば交換駅だったことは明らかですね。


反対側を振り返って


反対の石狩当別方も同様の線形でした。


ここで駅名標です。
あまり北海道っぽさを感じない名前ではありますが、これもアイヌ語由来であり、諸説あるものの「ウライウシペッ」もしくは「ウライウシナイ」というアイヌ語から来ており、意味は「簗・多い・川」だそうです。


ちなみに、裏面には何も書かれておらずのっぺらぼうの駅名標でしたw


ホームの脇には鮮やかな芝桜(?)も植えられていて綺麗です。


よく見ると柵にもデザインされていました。
もしかすると浦臼町に芝桜の名所とかあるんですかね。


ホームから見た駅舎


あくまでも駅舎じゃなくて「ふれあいステーション」らしいですw


ホームを後にします。実はホームへは駅舎・・・もとい「ふれあいステーション」を通らなくても出入り可能であり、列車の時間の直前に訪れるとかして直接ホームへ向かう場合などは「ふれあいステーション」をスルー可能ですw


「ふれあいステーション」の方には駅名が小さくしか書かれていませんでしたが、ホームの入口部分の看板は大きくはっきりと書かれていました。
駅舎の方はおそらく廃止後もそのまま歯科医院として残りそうですが、ホームは撤去されるか、撤去に至らずとも立ち入りが規制される可能性はありますからこの部分は特に貴重な資料になりそうです。

といったところで、ここはこのくらいにして次の駅へ進みましょう。

札的駅

お次は1駅進んで札的駅です。


札的駅はこんなコンパクトな駅であり、これでもう全体像が見えています。


駅前には狭いながらもスペースが確保されていて、短時間なら駐車も出来そうな感じです。


踏切の反対側


この枕木(?)の下が気になりますが、井戸でもあったんでしょうか?


小さいながらも駅舎・・・いや待合室があります。


ホームへの入り口


ホームですが、特筆するべきこともない1面1線の棒線駅ですね。


先に待合室を見ていきましょう。


見るからに古そうな扉だと思ったらめっちゃ隙間が空いているんですが・・・w


内部です。
壁や天井などだいぶ傷みが伺えますね。


この扉の向こうには何があるんでしょうかね?


ベンチも木製でした。


作り付けのベンチもあるようです。


駅ノートだけでなく書籍やパンフレットもありました。


倉庫代わりにもなっているのかスノーダンプも置いてありました。


照明機器として生きているのか分かりませんがランプのようなものもありました。


出ようとしたら窓にこんなものが貼ってありました。
駅に訪問販売なんて来るんでしょうか?w


ホームへ入ってから振り返る駅舎


よく見るとホームとは少し離れていて橋みたいになっているんですね。


ここで駅名標です。
駅名の由来は地名から来ていますが、地名は「札的内」となっているそうで、近くを流れる川も「札的内川」であり、更に遡ってこれの由来はというとやっぱりアイヌ語です。
「サッテクナイ」という「やせる川」という意味だそうで、札的内川は乾季には干上がってしまうことから来ているようです。
元となるアイヌ語が長過ぎたり、日本語を当てるのに不都合な発音だったりするとその部分が省略される例はよくありますが、地名として既に「札的内」というのがあるのに、駅名には”内”を省略して「札的」としたのは不思議ですよね。


ホームを振り返って


ホーム端から線路を見たら次へ進みましょう。

晩生内駅

難読駅名の1つとしても有名な晩生内駅です。


まずは駅舎から


難読駅名ですが、ローマ字すら振ってくれていないのでここまででは初見の人には読めないままですねw


待合室内部


ここもたくさんの書籍やパンフレットが並んでいますね。


その中に混じって駅ノートも


座布団のようなものが敷かれていますが、ベンチ自体は木製のようです。


ちょっと立派なベンチもありました。


改札への扉


ラッチが残っていました。
当駅は国鉄時代でも1979年という早い時期に無人化されているようですから、それ以前の遺構ということになりますね。


ホーム側から


ホーム側にも木製のベンチがありました。


ホーム側からの駅舎


やっぱり駅舎の支柱にも縦型の駅名標があるんですね。


先程紹介したベンチのすぐ前にはこんな柵のようなものがあるんですが、目立つ色で塗られていることからも柵だとしても、なんでこんな位置に?w


ホームへは若干ですが階段があります。


ホームです。1面1線の棒線駅でした。
ホーム右側の不自然な空きスペースでお分かりでしょうが、かつては島式1面2線の交換駅だったようです。


気になったのがホームと駐車場(?)を仕切る柵が倒れていたことです。
土地柄からして雪の重さで・・・ということもありそうですが、Wikipedia情報では当駅にDMV(デュアル・モード・ビークル)のモード切替実験のための設備が設置されていたことがあるようで、その名残だったり?


駅前にはソーラー発電設備がありました。


最後に駅名標です。
散々難読駅名と煽っておきながら肝心の読み方を説明していませんでしたが、「おそきない」と読みます。
「~ない」で終わることからも察しが付きますがやっぱりアイヌ語由来であり、「オソキナイ」(川尻の高崖出たる所)あるいは「オソシケナイ」(川尻・剥げている・川)のどちらかという説が有力だそうです。
仮に前者が由来だと仮定した場合、アイヌ語での読み方と漢字を当てたときの読み方が全く同じというのも珍しい気がします。
普通は日本語の発音に合わせて一部を改変したりしていますからね。


忘れずに縦型も撮ったら次へ進みましょう。

札比内駅

1駅進んで札比内駅です。


まずは駅舎からご紹介です。傷みを感じる古そうな見た目です。


ローマ字表記すらしないのは今までの駅と同じパターンですね。


駅周辺は小さな集落となっています。


たぶん駐輪場なんでしょうが、屋根が無くなっているというw
雪の重さで崩落してそのまま復旧されていないとかでしょうか。


駅舎内です。見た目からして小さな駅舎でしたが、中もコンパクトです。


掲示物など


本の数がすごいですね。しかし、こういうのって地元の人が不要になった本を寄贈しているとかなんでしょうか。


こちら、窓口と改札口です。
当駅も無人駅なので、今は駅で切符は売っていませんし、また集改札もやっていませんが、設備はそのまま残っているようです。


たまに改札があると勘違いしてしまう人もいるのかこんな注意書きも
ローカル線に慣れていないと分かりづらい部分ではありますよね。


と思ったらきっぷを発売しているという貼り紙がありました。
無人駅なのに?と思ったらどうやら駅付近のお店で乗車券の委託販売をしているんだそうで、完全な無人駅ではなく簡易委託駅ということになるらしいです。
他の駅だと過去に簡易委託をやっていた時期があっても既にそれすら廃止されて完全無人化となっている駅も多い中、ここはそれがまだ残っているのはローカル駅の中でも比較的利用者が多いのかなと思ったら最新のデータでも1日あたり平均3.2人という・・・


ホーム側へ出てきました。


出入口の横にも扉がありましたが、昔事務室として使っていた場所の名残ですかね。
いくらコンパクトな駅舎でも待合室が狭すぎる気はしていたのですが、これだと使われていない空間のほうが多そうですねw


こちらが駅舎です。
不自然にスペースが空いているわけですが、これはかつて当駅が島式1面2線の交換駅だった名残だそうです。
なお、交換駅だったころも駅舎側の線路(現在は撤去されている方)は貨物列車の積み下ろしのための側線に近い扱いだったようで、実質的には今でも残っている方の線路だけを使った1面1線と言ってもいい運用だったとか。


新十津川方です。
貨物側線の方は末期は新十津川方は分断されていたとのことで、交換駅っぽさはあまり感じられません。


ホームへは流石に階段が用意されていました。
ところで、貨物側線が現役だった頃はこの位置に階段は設置できなかったはずですし、構内踏切とかだったんでしょうかね。


ホームは砂利敷きですが、幅が狭いのが特徴的ですね。


駅舎とホーム


ホームからは畑が見渡せますw


最後に駅名標です。
ここも地味に難読と言えそうですが「さっぴない」と読みます。
もちろんアイヌ語由来であり、そのまま「サッピナイ」(乾く・小石の・川)から来ているようです。

ところで、ふと思ったのが、2駅前の札的駅が地名は「札的内」なのに駅名には”内”が省略されて「札的」になっているのが不思議だということを書きましたが、もしかしたらここ「札比内」と漢字表記で1字違いになってしまう上、晩生内駅から見ると両隣の駅となって紛らわしいからあえてそうしたんじゃないかって可能性を考えました。何の根拠もない私の勝手な思い付きですけどねw

あ、縦型の駅名標を撮り忘れた・・・w
と、オチも付いたところで次へ進みましょう。

豊ヶ岡駅

続いては1駅進んで豊ヶ岡駅です。


車を降りてまっさきに広がるのはこんな景色・・・
え?駅どころか建物1つ見当たらないんですがw
ナビがバグって全く見当違いの場所に連れてこられたんじゃないかと心配になりますが、ちゃんとここであっています。
よく見ると左へカーブする舗装道路から分岐する小径があるのにお気づきでしょうか?


この小径が駅への唯一のアクセス手段ですw
線形からして先程の舗装道路の旧道っぽい感じですが、未舗装ながら辛うじて車一台は通れそうな幅があり、かつ轍も刻まれているので軽トラとかなら乗り入れられそう?


周囲は田畑ばかりなので、車で乗り入れるとしたらまず農家さんだけになりそうですね。


茂みの中へ分け入るように進みます。
私自身も本当にこんなところに駅があるのか不安になりつつ進みますw


更に進むとついに駅らしき建物を発見!


踏切(?)もあるし間違いなさそうですね。


駅舎です。
待合室と呼んだほうが良さげなサイズですがw


引き戸も木製です。


駅名部分は彫り込まれているようですが、墨入れでもしてくれれば見やすいのにw


内部です。
雑然とモノが並んでいますが、JR的には倉庫代わりだと思ってそうw


なんだかんだ言っても駅舎は駅舎ですからベンチくらいはあります。


パンフレットなどに混じって駅ノートらしきものを発見
え?なんでもっと見やすい角度で撮らないんだって?
実を言うと、駅の近くで「スズメバチ注意」という張り紙を見つけ、その直後に不気味な重低音の羽音を聞いてしまったことですっかり怖気づいた私は駅舎の撮影は手短に済ませてしまったのでしたw


ところで、なぜか窓だけはアルミサッシになっていました。
後年になって交換されたんですかね。


電力メーターですが、配線が隠されず表面に這わせてあるのはまた昭和チックですよね。


再掲になりますが、駅の脇にある踏切です。
気になったのは「車両通行止め」の標識が立っていることですね。
ていうか、逆に言えばここまでは車で来てもいいってことでもありますよね?w


踏切の向こう側から


こちら側にも同様の標識があります。
そりゃこっち側にだけなかったらそれはそれでおかしいですがw


歩行者専用の踏切にしてはしっかりした踏み板も設置されています。
踏切のバリケードが随分新しく見えるので、地元の農家さんなどを中心に車での横断が長らく黙認されていたのが、踏み板の劣化などで危険になったので禁止になって現在に至る・・・とかでしょうか?


それではホームへ向かいます。


ホームはなんと全面板張りでした。


ホームの脇は斜面になっており、元々あった柵は老朽化して危険だったのか新しい柵が設置されていました。


端っこまで来ました。
なぜかここだけ板張りではなくてコンクリートになっていますね。


林の中に伸びるレールというのも絵になりますね。


そして、駅名標です。
ここまで北海道節全開の駅名が続いていましたが、ここはちょっと浮いているというか、全然北海道っぽくない駅名ですよね。
そこで由来を調べると、予想通りここはアイヌ語由来の地名ではなく、Wikipediaによれば付近が緩やかな丘陵地となっていて、かつ農耕地ばかりの土地だったので「五穀の豊かなみのりの地」となることを願って命名されたそうです。
つまりは、開拓されたときに開拓者たちによって付けられた地名ということで、元々アイヌ民族による地名は付けられていなかったとかでしょうね。
最近はデベロッパーなどが開発した新興住宅地なんかで「○○ヶ岡(丘)」という名前をよく見ますが、これらは単に字面がいいとか消費者受けがいいという感じで「商品名」という意味合いが強いのに対して、この「豊ヶ岡」は未開の地を開拓し田畑を切り開いた住民たちの思いがこもっているようで、全く重みが違いますよね。

縦型は撮り忘れたのでなければ多分なかったと思うのでこれくらいで撤収・・・ですが


私は舗装道路の方へ戻って跨線橋へ立っていました。
この跨線橋で札沼線の線路をまたいでいるのですが、ここから駅がどう見えるか気になったのでした。
なお、この道路上には駅の案内らしきものは一切ないので、車で訪れる人はこの跨線橋を目印にしたらいいかもしれません。


というわけで柵の隙間から覗き込もうと思ったらネットが破れている!?


こんな注意書きが用意されていたので管理者もこの状況を把握はしているっぽいですが、復旧の手が回っていないのでしょうかね。
場所が場所だけにもしかしなくても、札沼線の列車を撮ろうとした撮影者がカメラを入れる隙間を作るためにやったとしか思えないですが、それが同じ鉄道を好きな人がやっているとしたら残念でなりません。


一応、参考までにここからの眺めです。
確かに林の中にぽつんと駅があって、そこを列車が通れば絵になるのは理解できますが、だからって公共物を壊しちゃダメです!
コンパクトカメラなら元々のネットの隙間からでも十分撮れますし、一眼レフの人でもピントをうまく調整すればネットを消せると思います。

最後はちょっと後味が悪くなってしまいましたが、次の駅へ行きましょう。

知来乙駅

石狩月形駅は以前の活動で交換待ちを利用して撮影済みなので飛ばしまして知来乙駅です。


↑いきなりですが、ちょうど列車の時間だったので動画を撮りました。
風切り音が結構大きいので若干音量注意です。


知来乙駅に停車中のキハ40系


農業用の倉庫(?)をバックに
これはこれで北海道らしいかな?

列車を見送ったら駅取材と行きましょう。


こちらが駅の全体像になります。
見通しのよい田園地帯の中にあるので容易に見通せますね。


駅のすぐ近くにある踏切です。
南下徳富駅と似たロケーションですが、こちらは遮断機も付いている普通の踏切のようです。


もう少し近づいた別アングルでホームを撮影


ほぼ正面からホームの入口部分です。


駅前には砂利敷きながらもちょっとしたスペースがあって何台かなら車を駐められそうな広さがあります。


なお、駅と道路の間には用水路(?)が流れています。


札沼線の線路は暗渠で跨いでいるようです。


このどこか牧歌的な赤い屋根の建物が駅舎のようです。


駅舎とホームを絡めて


入口はホームの方を向いていますので、こちらから撮るのが正面ということになりますかね。


もちろん中にも入りました。


扉も木製です。


天井部分


裸電球ともちょっと違うかもしれませんが、レトロを感じる照明です。


それではホームへ!


入口は階段ではなくスロープになっていました。
時代的にバリアフリー目的というよりは階段よりスロープのほうが施工が楽だったとかそういう理由な気がしますw


ホームです。今更説明するまでもなく1面1線の棒線駅です。
開業当初から旅客のみを扱う駅だったようで、当初から棒線駅だったようですね。


ホームに立つだけで北海道の大地の広さを実感できます。


なんとなくパノラマ撮影してみましたw


ここで駅名標です。
先程の豊ヶ岡駅と違っていかにもな北海道っぽい駅名ですが、もちろんアイヌ語由来であり、「チライオッ」(イトウ・多くいる)から来ているらしいです。

と言ったところで次の駅へ!・・・と行きたいところですが、もう12000字を超えているので次以降の駅は後編に譲りたいと思います。
続きは後編で追ってお届けしますので、前編はここで一旦シメます。
~追記~
後編も公開しました。

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つばめ501号(管理人) について

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