北海道乗り鉄旅2019(5日目/天北宗谷岬線)

6泊7日で実施した北海道遠征の5日目です。
なお、1日目2日目3日目4日目をご覧になっていない方はそちらからご覧になることをおすすめします。

本日の行程

それでは本日の行程についての説明ですが、タイトルにある通り「天北宗谷岬線」が活動のメインとなります。
この天北宗谷岬線はかつて存在した国鉄天北線の廃止代替バスとして運行されている宗谷バスのバス路線であり、稚内と音威子府を結んでいます。
行程としては、昨晩宿泊した札幌から一気に特急「宗谷」で稚内へ移動して、天北宗谷岬線に乗車して音威子府まで移動後、再びJRで札幌へ移動して宿泊というシンプルな内容です。

特急「宗谷」で札幌→稚内 392kmの旅

まずは稚内へ移動ですが、これが北海道の恐ろしいところというか、同じ北海道内の移動なのに約400kmもの道のりになります。いくら特急でもこれだけの距離となると5時間10分を要します。
距離を本州で例えるならば、東京から西へ向かえば、東海道新幹線で岐阜羽島か米原あたりまで、北へ向かうならば東北新幹線でくりこま高原か一ノ関あたりまで行けてしまう距離であり、時間だったら東京~新函館北斗間や東京~博多間を新幹線で移動するより長いというw
これぞ北海道スケールですねw
北海道を走る列車としては最も走行距離が長い列車ですし、気動車を使用する列車に限定するならば日本一の走行距離を誇ります。(電車による運行も含めるなら博多~宮崎空港間の「にちりんシーガイア」が最長)


というわけで、早速乗り場へ向かいます。
かつては「スーパー宗谷」と名乗っていたこの列車も、今は「スーパー」が外れてただの「宗谷」になりました。

2017年のダイヤ改正までは「スーパー宗谷」だったわけですが、この他に「サロベツ」もあって、どちらも札幌~稚内間を結ぶ特急列車でしたが、違いはというと、「スーパー宗谷」がキハ261系を使用するのに対して、「サロベツ」はキハ183系という、使用車種の違いで愛称を分けていました。
しかし、同改正より宗谷本線の特急をキハ261系に統一してキハ183系を引退させるにあたり、「宗谷」と「サロベツ」に再編されました。
これは、単に「スーパー」が着かなくなったという違いのみならず、「宗谷」が札幌~稚内間を直通するのに対して、「サロベツ」は旭川~稚内間のみの運転で札幌へは直通せず、その代わりに札幌~旭川間を結ぶ「ライラック」に接続するダイヤを組み、旭川駅では対面乗り換えが出来るように配慮されています。ようするに、かつては使用車種の違いを明確にするための愛称の使い分けだったのが、今は札幌へ直通するか否かで愛称を分けているわけですね。
運行本数は「宗谷」が1往復、「サロベツ」が2往復となっており、1往復しかない「宗谷」は「~号」といった番号は着かないのも特徴です。
現代まで存続するほど需要がある特急ならば1日1往復ということはまずありませんから、号数が付かない特急というのも珍しいですよね。


車両は前述の通りキハ261系です。
今や「スーパー北斗」や「スーパーとかち」でも使われるようになって、北海道の特急型気動車のスタンダードとなりつつあるキハ261系ですが、元々は宗谷本線に特急列車を導入するにあたり、従来の急行列車よりもスピードアップを図りつつも、輸送量が他の特急列車よりも少ないと見込まれる宗谷本線に合わせてコストパフォーマンスを重視した設計としたのがキハ261系であり、キハ261系は宗谷本線のために開発された形式と言っても過言ではありません。
キハ281系やキハ283系は振り子式車両となっており、曲線通過速度の向上というメリットをもたらしましたが、一方で車体は特殊な構造とせざるを得ずコストが嵩むデメリットもありました。
そこで、宗谷本線向けのキハ261系では、キハ201系をベースに空気バネを利用した車体傾斜装置を搭載することとし、振り子式車両よりは曲線通過速度が劣りますが、車体構造は通常の車両と同等で済むためコストカットが実現しました。それでいて札幌~稚内間の所要時間は急行時代に比べて最大で52分も短縮されたそうですから、キハ261系が宗谷本線沿線にもたらした恩恵は大きいですよね。


方向幕を撮ったら乗車!・・・ってえ~!?

何が起きたかといいますと、それは自由席のあまりにも激しい混雑・・・
今日は普通の平日であり、連休どころか土日ですらないのですが、自由席車両にはデッキまで溢れるように乗客が乗っていたのです。
どうやら「宗谷」は4両中の1両のみを自由席としており、一方で札幌~旭川間の主力列車と言える「ライラック」「カムイ」は自由席が主体の運行形態であり、旭川までしか乗らない利用者はそもそも指定席を取る習慣がないのに、1両しか自由席が供給されないために殺到してしまっているようでした。
そもそもが「カムイ」で5両編成、「ライラック」で6両編成が走る区間なのに、旭川以遠まで直通する人たちと旭川までの区間利用者が混在して乗車するにも関わらず4両編成ではこうなるのは火を見るより明らかなんですよねぇ・・・

本来ならば「宗谷」の直前に「ライラック」か「カムイ」を設定して区間利用者を分離するとか、旭川までは増結するといった対応があってもよさそうですが、今のJR北海道の財政状況を鑑みるととても言えないw

というわけで、札幌からデッキに立っての旅立ちですw
まあ、稚内まで行くのに自由席なんて言うのは私くらいで、自由席を選ぶ利用者のほとんどは岩見沢だとか滝川あたりまでの短距離利用者でしょうから、30分か1時間辛抱していれば車内も空いてくるでしょう。

予想通り岩見沢で結構降りていって空席が出始めたのですかさず移動です。


ここで札幌駅で買い込んで置いた駅弁を広げます。
そういえば、北海道へ来てからまだ1度も海の幸を頂いていないなと思って「石狩鮨」なる駅弁をチョイスしました。
え?新千歳空港名物って書いてあるし、これは駅弁じゃなくて空じゃないかって?
駅で売っていたんだから駅弁ですw


蓋を取るとこんな感じ
朝から贅沢してしまった気分ですが、とっても美味しかったです。

岩見沢を出ると美唄・砂川・滝川・深川・旭川と停車していきますが、この間にもどんどん降りていき、窓際の席も空いたので目ざとく見つけてすかさず移動です。
それにしても、砂川・滝川・深川・旭川と”川”で終わる駅が4つも連続しているのも面白いですね。

函館本線としては終点になる旭川に到着です。ここまでの利用者が多くぞろぞろと降りていき、また若干乗ってきましたが、やはり宗谷本線に入ってから乗車率はあからさまに下がりました。
ほとんどの人は2人がけを独占して座れている程度ですね。

宗谷本線に入るとスピードダウンするかと思えばそんなことはなく、函館本線を走っていた時と変わらぬ爆走で和寒・士別・名寄と進みます。
実は宗谷本線も名寄までは高速化改良がされており、従来は95km/hだった最高速度が130km/hまで引き上げられています。ただし、2014年からは一連の運行トラブルもあって最高速度を120km/hに引き下げたため、現在は最高速度120km/hとなっています。

安全はもちろん最優先されるべきですが、北海道という広大な大地では、たった10km/hの原則でも長距離の列車であればあるほど所要時間への影響も大きくなるわけで、安全の確保は大前提としてもいつかは130km/h運転を再開してほしいなという気持ちはあります。
宗谷本線沿いの高速道路も今や美深まで達しており、自家用車や高速バスへ対抗するにはスピードも大きな武器ですしね。

ちなみに、以前にも「スーパー宗谷」に乗ったことがあるんですが、その時は「ノースレインボーエクスプレス」による代走となりキハ261系には乗れませんでした。もちろん代走が貴重なことであり、それに乗れたのは大変貴重な経験だったのは言うまでもありませんが、やっぱりキハ261系による爆走を楽しみにしていた部分もあったので今回、愛称が「スーパー宗谷」から「宗谷」に変わったとは言え、キハ261系で札幌から稚内まで行くことが出来てよかったです。
特にロングレール化されていない区間での高速運転は120km/hに下がってしまったとはいえ、乗っているだけでワクワクしてきます。

なんてことを考えているともう名寄を過ぎていました。
名寄へは札幌や旭川からの都市間バスも出ているようですが、所要時間では鉄道優位にあるらしく、名寄までの利用者も多かったです。
ここから先の区間は未改良区間となり、最高速度95km/hの区間になります。
引き続き軽快なエンジンサウンドは聞こえますが、力を持て余しているように聞こえてきます。
まあ根室本線の「スーパーおおぞら」や函館本線の「スーパー北斗」ではこういう区間はないのでそれはそれで面白いですがw


キハ261系の熱い走りに見惚れていると音威子府までやってきていました。
一昨日訪れたばかりの音威子府ですが、ひっそりと静まり返っていました。
ここから浜頓別・枝幸方面はバスに乗り換えられるとはいえ、音威子府村自体は北海道で最も人口が少ない自治体だそうですし、これが普段の姿なんでしょうね。
なお、今日乗る天北宗谷岬線の前身と言える国鉄天北線はここから分岐していました。


列車は音威子府をすぎると天塩川に沿うように走ります。
音威子府から先は今回の遠征では初めて乗車する区間になりますし、過去の遠征を含めても3年ぶりになりますから、ここから先の景色はまだ目新しさを感じることが出来ました。


川の景色は色んな路線で見られますがついつい撮ってしまいますw

それにしても、音威子府を過ぎてからは天塩中川、幌延と停車していきますが、1区間走るのに30分くらいかかり、スピードダウンもあって長く感じます。初めて乗ったときでさえもこのあたりまで来るとちょっと飽きを感じていた記憶がありますが、2度目となると尚更ですね。


ようやく幌延に到着です。

読者さんもだんだん退屈になってきたでしょうからここで小ネタを1つ・・・
実は「宗谷」と「サロベツ」には乗車券にたったの10円追加するだけで乗ることが出来る裏技があったりします。
ただし、誰でも使えるわけではありませんが・・・
どういうことかというと、まず前提として触れておくべきこととして2016年のダイヤ改正では全道的に普通列車を中心とした減便が実施され、宗谷本線でも特に音威子府以北では従来5往復あった普通列車が、3往復(区間便を入れて4往復)にまで減便されてしまい、特に日中時間帯は最大で8時間も普通列車が走らないダイヤになってしまったのです。こんなダイヤでは沿線の街に住む、特に通院や買い出しなどで列車を利用する高齢者は大変な不便を強いられます。特急列車ならば日中にも利用可能ですが、日々の生活の足として使うのに特急料金を追加しなければならないとなればこれは大きな負担です。
そこで、「町民乗車票」という制度が出来まして、特に普通列車減便の影響を受ける中川町・幌延町・豊富町の3町がそれぞれJR北海道と大口契約を結んで特定の区間の自由席特急券を一括購入して、各町の住民向けに乗車券+10円で発売しているものです。
JR北海道が直接発売する切符ではないため、列車内やみどりの窓口などでは購入できず、各町が指定した場所に出向いて購入する必要がある他、購入できるのは各町の町民に限られるなど制約はありますが、たった10円追加するだけで特急に乗れるなんて制度は珍しいですよね。まあ、この制度ができた背景を考えると、JR北海道を取り巻く厳しい現実を突き付けられるようで全く喜ばしくはないのですが・・・


なんてことを考えつつ退屈を紛らわせていると車窓に変化が出てきました。
遠くに見えるあのシルエット・・・利尻富士の別名もある利尻山ですね!
前回乗った時は生憎の曇り空で見えませんでしたが、今日は天気にも恵まれてバッチリ見えます!


それにしても、車窓から普通に牛が見えるのもすごいw
そろそろ豊富町に差し掛かりますが、豊富町は酪農が盛んな土地で人口の4倍もの牛が町内にいるらしいですw
また、「豊富牛乳」としてブランド化もしており、セイコーマートでも豊富町の牛乳をプッシュして販売していますから、道民にとっては豊富町=牛乳というのは常識かもしれませんね。


海だぁ!


更に進んで抜海駅のあたりでは線路は完全に海沿いになり、車窓からは海越しの利尻富士がバッチリ見えます。
このことは車内アナウンスでも案内されますし、列車は少しの間スピードを落として走ってくれます。
観光列車でもない都市間輸送が目的の特急列車でこういうサービスは珍しい気がしますが、最北端へ向かう列車とあって観光客の割合が高いのかもしれませんね。


南稚内に到着です。稚内市の中心部に近い駅であり、稚内市自体が目的地という人はここで降りる人も多いです。
また、かつての国鉄天北線はここで再度宗谷本線と合流していました。
バスの天北宗谷岬線も南稚内駅にも立ち寄るためここで降りて乗り換えることも出来ますが、どうせならば、「宗谷」も天北宗谷岬線も全区間乗りたいため一度稚内まで行くことにします。


日本最北端の駅、稚内に到着です!


縦型も


乗ってきた列車ももちろん撮ります。


折返しは「サロベツ」として旭川まで走ります。
それにしても、札幌で見た時の幕は紙だったはずですが、同じ編成でも紙とLEDの方向幕が混在しているんですね。


最北端到達の気分を高めてくれるこんな看板もあります。
この他、札幌や函館・東京や鹿児島といった色んな駅からの距離が書いてあったりと見どころもあるんですが、前回の記事で大体レポートしてしまっているので、今回は取り上げませんw
興味のある方は前回稚内を訪問した時の記事をご覧ください。


定番の記念撮影スポットです。
同じ写真がPCに保存されているであろうこともお構いなくつい撮ってしまいますが、やりたいことがあったのでぼちぼち出場します。


はい、やりたかったことですw
駅のすぐ裏手に食事処がありまして、今回の北海道遠征ではまだ頂いていなかった海の幸を食べるべく海鮮丼を注文しました。
え?「宗谷」の車内で海鮮の駅弁食べてたって?w
駅弁とお店で食べるのは別ですw
しかし、駅弁は駅弁で美味しいですが、やっぱり生のネタを新鮮なうちに頂ける海鮮丼は格別ですね。


そういえば、稚内駅もこの向きから見るのは初めてです。


腹ごなしを兼ねてやってきたのは「展望デッキ」なる場所
確かに列車を見下ろせるので展望デッキではありますが、写真を撮るにはアングルが微妙w


編成全体を入れようとするとこうなりますw
アングルにこだわらない記録写真程度の撮影か、とにかく行った記念になればいいという観光客向けかな?w


東急バスっぽい見た目の宗谷バスがいましたがこれが天北宗谷岬線かな?

というところでそろそろバスの時間ですが、バス乗り場へ向かう前にやることがあります。
それは乗車券の入手です。天北宗谷岬線は宗谷バスという民間のバス会社が運営しているため北海道フリーパスは使えませんが、稚内駅の中に窓口を構えているため乗車券を買うことが出来るんです。
普通の路線バス同様に車内で支払うことも出来るんですが、事前に買っておけば車内であたふたしなくていいので発売しているならば買っておきましょう。

天北宗谷岬線 稚内駅→音威子府駅

続いてはタイトルにも使ったように本日の目玉となる天北宗谷岬線です。
例によって解説から入りますと、まず前身となる国鉄天北線ですが、かつて音威子府駅と南稚内駅の間を浜頓別駅・鬼志別駅などを経由して結んでいた鉄道で、JR北海道に継承された直後の1989年に廃止されました。
歴史から行くと実は初代宗谷本線と言ってもいい路線であり、当時日本統治下にあった南樺太への連絡ルートとして旭川から「宗谷線」として建設が進み、音威子府からは天北線のルートで1922年までに稚内まで延伸されました。こうして旭川~音威子府~浜頓別~稚内のルートが宗谷線となりますが、後に音威子府から分岐する天塩線(現在の宗谷本線の一部)という路線が開業し、1926年までに稚内まで繋がるとこちらの方が稚内までの距離が短かったこともあり急行列車の一部が天塩線経由に切り替えられるようになりました。1930年には実態に合わせて天塩線を宗谷本線に組み入れる代わり、音威子府~浜頓別~南稚内は北見線として分離されることになります。1961年には天北線と名前を変えますが、この頃に天北線経由で稚内と札幌を結ぶ急行「天北」が登場します。
宗谷本線に稚内連絡の使命を奪われた格好ではありますが、浜頓別などの沿線の地域と旭川・札幌を結ぶという役割を担って活躍していたものの、国鉄末期のローカル線整理でいわゆる特定地方交通線に指定されてしまい、廃止が確定したものの長大路線ゆえに冬季の代替輸送に懸念があるとして実際の廃止は見送られた状態でJR北海道へ継承されました。しかし、JR北海道が継承した2年後の1989年にはとうとう廃止されてしまいました。これだけなら北海道では数多くある国鉄末期に廃止になったローカル線というだけですが、天北線についてはいくつか特筆すべき点もあり、まずその長さであり、天北線の全長は148.9kmあるのですが、これは特定地方交通線に指定された路線としては最長だそうです。また、もう1つ特筆すべきことは、廃止時まで優等列車が走っていたことであり、前述の急行「天北」は天北線廃止まで存続しており、天北線廃止後は音威子府~南稚内間を宗谷本線経由に振り返る形で「宗谷」に統合されています。このように廃止時まで優等列車が走っていた国鉄・JRの廃止路線というのも珍しいです。
特定地方交通線に選ばれるような路線っていわゆる盲腸線と言われるような本線から分岐する短い支線だったり、そもそも優等列車が走るほど需要がないから廃止になるわけだからってことですかね。

そして、この廃止代替バスとして設定されたのが宗谷バスの天北線であり、当初はおおむね天北線のルートを踏襲して設定されました。当初は全区間直通の便が5.5往復設定され、快速便も設定されたり、音威子府から名寄まで延伸されるなどしていましたが、バス転換以後も乗客減の傾向は続き収益の改善も難しいということになり、2001年には全区間直通の便が3往復に減便され、2010年には全区間直通の便を鬼志別で分断するなどして合理化が進められます。
しかし、それでも収益は改善できず赤字補填に使っていた転換交付金もこのままでは使い切ってしまうという状況から2011年に大きな変化がありました。
それは、声問~鬼志別間の経路を従来の天北線沿いの内陸ルートから、宗谷岬を通る海沿いルートに変更することです。
同時に路線名も「天北宗谷岬線」と改められました。元々稚内駅と宗谷岬の間には大岬線という路線が存在しており、これと天北線を統合したという意味合いが強いようです。また、この改正で天北宗谷岬線のルートから外れてしまった従来の天北線沿線の地区は稚内市内は曲渕線という路線を別に設定してカバーしており、猿払村の管内となる小石~鬼志別間には猿払村によるデマンドバスが設定され、代替交通機関となっています。
ところで、上記文章をよく読んで頂くと、曲渕~小石間については代替手段が用意されなかったと読み取れるかと思いますが、この間は公共交通機関としては代替手段が無くなっており、完全な交通空白地帯となりました。小石地区の住民で65歳以上の人が曲渕地区へ墓参りをするという場合に限って利用できる福祉タクシーはありますが、ここまで利用対象や条件が限定されるともはや公共交通機関とは言えませんしね。

そんなわけでルートを変えて観光路線として再スタートを切った天北宗谷岬線でしたが、それでも利用者離れは解消しないらしく、2016年には特に利用者の少ない音威子府~中頓別間を廃止してこの区間を乗合タクシーに転換するという決定が一時はなされましたが、ジャンボタクシーでは輸送力不足になる便が出てくる可能性が指摘され、当該便を小型バスに切り替えるなどすると天北宗谷岬線を現状通り運行し続ける以上の経費がかかることが分かって乗合タクシー転換は白紙になりました。
音威子府乗り入れがなくなるという危機は脱しましたが、私が乗車した後の2019年10月1日にも国庫補助金の対象路線から外れたためにダイヤ改正が実施され、それは全体的に減便となる内容となり、特に一時乗合タクシー転換が検討された中頓別~音威子府間は朝の稚内方面と夕方の音威子府行きが削減されて1日2往復になりました。地元の方からしても当然不便な話でしょうが、乗りバスするにおいてもこれは困ったことで、今回の私がやった行程にも関係しており、私が記事中で乗車した便は音威子府まで行くことが出来ましたが、改正以後は中頓別止まりとなってしまうため、音威子府へ抜けることができなくなりました。
そのため、改正以後に稚内→音威子府で天北宗谷岬線を全線乗車したければ、稚内発9時39分の便に乗車する以外の選択肢がなくなることになり、稚内か近隣の宗谷本線沿線の地域へ前泊することが必須になりました。
逆に音威子府から稚内への乗車でもいいならば、私が乗った「宗谷」を音威子府で降りるとこれまた唯一全区間乗り通せる11時20分発に間に合うため、こちらは改正後も実行可能なルートになります。

廃止になった鉄道の話とその代替バスの話を1つの項目にまとめたせいで解説文だけでかなりのボリュームになってしまいましたが、いい加減に本題に入ります。


というわけで乗り場へ向かうとすごい行列!
いや、でもここには天北宗谷岬線以外も発着するので他の路線に乗る人かもしれない・・・


天北宗谷岬線の他には、かつての天北線の沿線をカバーする曲渕線、稚内空港への連絡バス、それに札幌への都市間バスや定期観光バスといったラインナップです。
もちろんこれ以外にも路線がありますが、別の乗り場から発着します。


そして、宗谷バスがやってきました!・・・ってあれ?
宗谷バスというと東急バスっぽい塗装だと思っていたんですが、全然違う塗装のやつがやってきました。
調べてみると、宗谷バスのうち稚内市内と利尻・礼文の路線は東急バスカラーですが、それ以外はこの赤い塗装のバスを使っているようです。


とりあえず行先を撮ります。
時刻表上では鬼志別行きとなっており、乗り換えが発生するような書き方でしたが、稚内の時点で音威子府行きとして案内されているので、結局直通するみたいですね。


ものすごくアバウトな気がしますが、経由地表示も撮ったら乗り込みます。
結局、あの列に並んでいた人のほとんどは天北宗谷岬線に乗車するようであり、意外にも車内は混み合っていました。ほぼ満席状態ですね。


ところで、気になったのはなんと携帯充電用のUSB端子があったことです。
長時間乗るケースも想定される路線だからなんでしょうけど、都会でもまだまだ普及しているとは言えない設備ですよね。

最初は稚内市街を進みます。稚内というのは比較的開けた街であり、お店や病院なども揃っているようで、途中のバス停から乗ってくる地元の方も結構いました。
稚内市の郊外や猿払村から稚内市内へ買い出し・通院をしている人も多いんでしょうね。
南稚内駅を出る頃には立ち客まで出る混雑になりました。


宗谷本線の高架をくぐります。


いつしか稚内市街は終わって郊外に出てきました。このあたりでちょくちょくバス停に停まって降りる人が見受けられますが、それでも車内の混雑を一掃するには至らず・・・
もう私も察していましたが、ほとんどは宗谷岬を目指す観光客みたいですね。


いつしかバスは海沿いに進むようになりました。
かつての天北線も声問というあたりまではバスと同じ経路だったはずですが、車窓からはそれらしき遺構は見当たらず・・・


休憩用、そして景色を眺めるためか駐車場がありました。

バスはいつしか天北線のルートを外れていきますが、国道238号はずっと海沿いに進むルートなので道路的には道なりということになります。


遠くに見えるあれが日本最北端の地となる宗谷岬ですね。
ただ、見えはすれどもまだまだ遠いですw
私も調べるまで知らなかったんですが、稚内駅から宗谷岬をバスで移動しようとすると50分ほどはかかりまして、稚内駅が海辺にあるにも関わらず結構遠いです。
これは稚内駅があるあたりはノシャップ岬という岬ですが、宗谷岬はそれよりも東へ30km以上も進んだ場所にあるからです。


それにしても本当に海が近いですね。乗り合わせていた老婦人は、どうやら漁師の奥さんらしく、「うちの旦那は今朝出漁しててさぁ」なんて会話を当たり前のようにしていたのが印象的でした。


なんで海の中に看板が!?と思ったら、密猟者への警告でした。
確かに密猟は海に入ってするんでしょうから、この設置方法は効果的でしょうね。


そうこうするうちにだんだんと宗谷岬が近づいてきました。
他の観光客たちは「まだ着かないの?」なんて言葉を漏らし始めていましたが、稚内駅から宗谷岬が案外遠いのは知られざる事実なんでしょうね。


ついに青看にも宗谷岬が出てきました。


それにしても海が近いw
今日は快晴で波も穏やかだからいいですが、悪天候で海況が荒れている時だったらここを通行するのはかなりスリリングな体験になりそうですね。
まあ、あんまりひどければそもそも通行止めになりそうですが・・・


ついにやってきました。宗谷岬!
停留所名もそのまま「宗谷岬」ですが、日本最北端のバス停になります。
時間が許せば降りてみたいですが、今日は車窓から眺めるだけにします。


観光客向けの駐車場が出てきました。


ツーリングのバイカーたちですね。
私はバイクの趣味はないのですが、北海道の道路は車で走っても気持ちいいですよね。


ガイドブックなどでお馴染みのモニュメント
みんなあれをバックに記念撮影するんですよね。

バス停に停まると予想通り乗客のほとんどが降りていき、残ったのは私を入れて数名だけになりました。
ところで、余談になりますが、今回私が乗った便は10月1日の改正以降では、バスで稚内へ戻ることが出来る最終となりますw
それも、わずか45分しか宗谷岬に滞在出来ませんw
それを知らずに長居してしまったり、これより後の便で宗谷岬へ行ってしまうと帰るバスがなくて途方に暮れることになるので注意しましょう。
思うのは、宗谷岬はこれだけ観光客の需要があるんだから天北宗谷岬線だけでなく、夕方に宗谷岬から稚内への区間便でも設定すれば観光の自由度も上がっていいと思いますけどね。
岬で夕日を見たいなんて人もいるでしょうし・・・


宗谷岬を過ぎてもなお海沿いに走ります。
目立つところに巨岩がありましたが、名前とかあるんでしょうか。


海岸線も美しいです。


いつしか海とは分かれてしまいました。
そうなると青看とか撮ったりしながら過ごしますが、浜頓別まででもあと50kmもあるんですねぇ・・・w

あと、網走の名前も出ていますが、今走っている国道238号は稚内から浜頓別・枝幸・興部・紋別・佐呂間・北見を経て網走まで続く国道であり、ほぼ全線でオホーツク海に沿って走る道路です。
景色の良さや快走路ということもあってドライブコースとしても人気のようですが、かつて鉄道でもこのルートを結ぼうという構想がありました。
「オホーツク海縦貫線」と呼ばれるこの構想は、稚内-(天北線)-浜頓別-(興浜北線)-北見枝幸と、雄武-(興浜南線)-興部-(名寄本線)-中湧別-(湧網線)-網走という鉄道が特定地方交通線として廃止が検討され始めた頃に廃止を回避したい沿線自治体が構想したもので、歯抜けになっていた北見枝幸~雄武間は未成線のままになっていたのでこれを開通させて稚内~網走間をオホーツク海沿いに結ぶ鉄道ルートを完成させて、単なるローカル線にとどまらない地域を縦貫するルートに発展させて、観光ルートとしても活用しようというものでしたが、未成に終わった北見枝幸~雄武間が建設されることはないまま、オホーツク海縦貫線を構成するはずだった路線たちも廃止になってしまった今となっては幻の存在です。


海から離れたと思えばまた出てきたりして付かず離れずの状態が続きます。


対向の天北宗谷岬線とすれ違いました。
これが新ダイヤでの稚内まで行ける最終便ですw
この区間は猿払村や稚内市郊外から稚内市中心部への通院・買い出しがメインの需要であり、午前中の稚内行き、午後に鬼志別行きが需要のピークになるんでしょうけど、これは極端すぎるのでは?w


右に分岐する道道1077号はかつての天北線のルートに近い道路で、ルート変更前の天北線のバスもこっちを通っていました。


海なのか池なのかどっちなんでしょうかw


猿払村に入りました。
ここはホタテの水揚げ地として有名だそうで、崎陽軒のシュウマイにもここのホタテの干貝柱が使われているそうですよ。
また、今走っている道路の愛称は「オホーツクホタテロード」ですw


知来別シネシンコというバス停が出てきました。
どうみてもアイヌ語由来ですが、漢字とカタカナの混合は新しいですねw


JFってなんぞや?と思ったら漁協のことなんですね。
農協のことをJAというのは知っていましたが、漁協をJFというのは初めて知りました。


ホタテ貝がモチーフと思われるキャラクターが居るこの建物はもしかしなくてもホタテの加工場ですかね。
猿のキャラクターは村名の払に因んででしょうか?


集落に入りました。ここが鬼志別かと思ったら鬼志別という別の場所だったみたいで、鬼志別は一旦内陸に入ったところにあるためバスは右折していきます。


北海道では一般的な郊外道路の景色になりました。
しばらく走ると鬼志別の集落に入ります。


「Aコープ前」なんて、これまた面白いバス停名が出てきました。
それにしても、逆に言えばお店があるってことですから、鬼志別もそれなりに開けているってことでしょうか。


時刻表上では鬼志別行きのはずですが、アナウンスでも「終点」とは言われず当然のごとくそのまま音威子府行きになるようです。
昨日の深名線でも見た光景ですが、10分程度停まるようなので気分転換も兼ねて一旦下車しました。


それにしても、もう通り過ぎた宗谷岬がそのまま出ちゃっているのは短い市内路線ならともかく、これだけの長大路線ではどうなの?w


鬼志別バスターミナルという施設になっているようです。
どうやらかつての鬼志別駅のあとを転用しているみたいですが、建物は新しそうですから建て替えてそうですね。


駅名標の代わり・・・?w


内部はトイレやら休憩スペースがあって、窓口なんかも揃った基本的なバスターミナルとして機能がありますが、ちょっと気になるこの一角・・・


これってもしかして天北線の資料室みたいなもの!?


駅名標も展示されていました。


天北線一のネタ駅名であろうこの駅ですが、あとで詳述します。


もちろん鬼志別駅のものもあります。


浅茅野駅


とある姉妹の妹の方を連想してしまう小石駅


村名そのままの猿払駅


小物もかなり収蔵されています。


硬券


補充券


タブレットキャリア


縦型駅名標に急行「天北」の乗車位置案内


職員の制帽でしょうか?


制服に路線図にタブレット閉塞機に・・・


こちらは保線作業員の作業服?


あと、タブレット閉塞機をちゃんと2台並べて展示しているのもポイント高いです。
中間駅ならば必ず2つあるはずですからね。


時刻表もありました。
昭和63年とありますから廃止直前の時期でしょうけれど、今とは随分時刻表のレイアウトも違いますね。


こちらは運賃表


光の加減で読みづらくなってしまいましたが、運行情報を知らせる看板のようです。


展示室はこんな感じ
開放的な造りで気軽に立ち寄れますね。


これは駅舎に付いていた看板でしょうか?


こちらも同じく駅舎に付いていた看板だと思われますが、左の方が気になりますね。
特に後半部分の「停車場」か「停留所」の2文字目です。崩して書いたんでしょうけどどっちだ?w


ついでに取り上げますが、これはバスの時刻表・・・ってまさかの手書きw
そうそう書き換えるものじゃないですし、手書きでもそんなに負担にはならないかもしれませんが、バスの時刻表を手書きで掲示しているのは初めて見ましたw

ところで、1本だけ音威子府行きじゃなくて旭川・札幌行きになっているのが気になった方もいるでしょうが、これは特急バス「天北号」というバスで、厳密には天北宗谷岬線とは別のバスですが、鬼志別~音威子府間は天北宗谷岬線とほとんど同じルートで走っており、途中の停車バス停が少ない程度の差です。また、「天北号」自体は旭川行きであり、札幌までは行きませんが、枝幸からの札幌行き「えさし号」と音威子府で接続を取ることで、天北号の利用者も札幌へ向かうことが出来るようになっています。
下りは稚内までは行かずに鬼志別で終点になってはしまいますが、バスに姿を変えた急行「天北」とも言えそうです。


そして、運賃表ももちろん手書きですw

それではそろそろバスに戻ります。
発車までしばらくあるのでもう1つネタを・・・


稚内駅で買った乗車券ですが、よく見ると国鉄の硬券と同じデザインになっているんですね。
紙自体は薄っぺらいやつなので硬券とは違いますが、さり気なく鉄道要素を盛り込んできましたw


裏はこんな感じです。
それでは発車時刻なので旅を続けていきましょう。


鬼志別川を渡り再度海沿いに進路を取ります。


国道238号との交差点に戻ってきました。


道の駅が出てきました。
その名も「さるふつ公園」


なんかのオブジェがありました。


続いてこんな看板が出てきました。
「猿払村営牧場」だそうです。


と思ったら車窓には当然のように牛!牛!そして、牛!w
牧場なんだから当然といえば当然ですが、場所によってはどの方向を撮っても牛が入るというくらい数が多かったです。流石北海道w


道そのものは地吹雪対策のバリケードと矢羽根に守られた直線路です。


いつしか国道を逸れて入ったのは道道584号ですが、その路線名は「猿払停車場線」でした。
おお、こんなところに鉄道の名残が!


浜頓別まで21kmになりました。
また、下にある浅茅野も天北線の駅があった場所でもあります。


海沿いに進むから当然ですが、いくつも川を越えていきます。


おにぎり~!


浅茅野に入ったようでちょっとした集落に入りました。


ここでちょっとしたネタバス停が出てきます。
同名の駅が天北線にも存在しており、鬼志別バスターミナルの資料室のくだりでも触れたんですが、ここで説明しておきます。
天北線の仮乗降場として設置され、JR北海道継承後は駅に昇格していた飛行場前駅ですが、駅名に反して付近は飛行場どころか建物一つない原野だったそうですw
では何故そんな名前になったかというと、太平洋戦争の最中、ここには陸軍浅茅野第一飛行場という施設が存在していましたが、元々軍用飛行場だったこともあり終戦を迎えると役目を終えて使われなくなり、そのまま関連施設は撤去され原野に戻りました。それが終戦から10年を経た1955年に飛行場前仮乗降場として設置されており、どうして10年前になくなった飛行場をわざわざ名前に使ったのかは謎ですが、当時でも「飛行場なんてないのに飛行場前」として話題になることがあったようです。
バス停名もそれを踏襲したものと思いますが、紛らわしいことに天北宗谷岬線の沿線には(厳密には空港には乗り入れませんが)稚内空港もあったりしますから、案内を考えると紛らわしい気も・・・でも、歴史を物語る名前ですから変えてほしくないなと思ったりw
あと、ここが第一飛行場だったと書きましたが、第一があったならば第二はというとさっき通り過ぎた「道の駅さるふつ公園」のあたりにあったそうで、滑走路だった部分は牛がいっぱいだった村営牧場になっているようです。


ちなみに、飛行場前バス停付近はこんな感じw
飛行場どころか建物一つないのは、今でも当てはまりますねw


ところで、このあたりは天北線にかなり近いルートを走っているはずなんですが、相変わらず線路跡らしきものも見えないなと思っていると気づいたのですが、これってもしかして鉄道防風林だったりしないでしょうか?


そして、牛w


ゴミ収集車に追い抜かれましたw
都会と違って渋滞も信号もなくて楽そうだなと思う反面、走る距離は都会の比じゃなさそうですね。


猿払村はここまでのようで、ここから先は浜頓別町です。めちゃくちゃ小さいですが、辛うじてカントリーサインも写っています。


浜頓別町に入ってからの初おにぎり


防雪林というと鉄道のものがイメージされがちですが、道路にもあるんですね。


これもカントリーサインの一種なんでしょうか?
アザラシのキャラクターが出迎えてくれました。


ふと山側を見るとこんな橋を発見!
え?これってもしかして・・・天北線の鉄橋!?
見た目は鉄道橋っぽいですし、道路橋にしては細すぎるし、スマホの地図アプリで航空写真を確認するとこの橋の前後にいかにも鉄道っぽい直線的な線形が見て取れる上、その場所には道路を示す表示は出ていなかったのでした。
これは現地ではなく帰ってきてからの検索で分かったことですが、天北線の廃線跡の一部はサイクリングロードに転用されているらしく、例の橋もメンテナンスの手が入っていそうな綺麗さを保っていたので、自転車道の橋として供用されているんでしょうね。
ただし、近年は熊の出没を理由として通行止めにされているようで、通行できないようです。自転車の趣味はありませんが、あの橋を渡ってみたかったなぁ・・・


営林署前なんてバス停も都会にいるとまず見られないですよね。
森林の管理とかをするところなんでしょうけど、今は営林署という呼び方はなくなっているようなので、これも古い名前が残っている例の1つですね。
あ、某月人の薬剤師は関係ないですw


バスはクッチャロ湖の近くを通りますが、車窓からは見えないようです。


この川はクッチャロ湖の湖水が流れ出るものでしょうか。


少し開けてきて、浜頓別町の市街に入ったようです
道の駅も出てきましたね。


浜頓別では停車時間があるようなので私も一旦下車させてもらいました。
前に乗った八木新宮線も途中のバス停で休憩時間を取っていましたし、これだけの長大路線ならば途中休憩は必要ですよね。


非公式側からも


随分と小綺麗な建物ですが、こちらは浜頓別バスターミナルとなっています。
ここからは天北宗谷岬線の他に、かつてここから分岐して枝幸へ至っていた興浜北線の代替バスも発着しています。


正面側から


ここ数年以内に整備された道の駅っぽい造りですが、その感想は尤もで実際に道の駅を兼ねているようです。
道の駅としての名前は「北オホーツクはまとんべつ」となります。
ここで、「浜頓別」という地名について小ネタを1つ。
元々このあたりの自治体名は「頓別村」であり、「浜頓別」と名乗ったのは駅だけだったようですが、駅設置後に駅周辺に中心市街地が移ってくると、地区名が「浜頓別」となり、更に頓別村が町制施行した時には駅名に合わせて浜頓別町となって現在に至ります。もし鉄道がここに通っていなかったら浜頓別町じゃなくて頓別町になっていたかもしれませんね。


待合室内です。


時刻表です。流石に印刷されたやつでしたw
それにしても、(この旅行時点での情報として)天北宗谷岬線の音威子府方面より、興浜北線代替の枝幸方面の方が本数が多いんですね。


こいう書き方をされると鉄道時代みたい?w


車内に戻りましたが、まだ運転士さんが戻ってこないのでその間に運行表を撮らせてもらいました。
なるほど、休憩時間は乗客のためだけでなく、運転士さんの休憩でもあったんですね。
あと、もう1箇所、中頓別でも止まるという情報もゲットw


反対方向の天北宗谷岬線が前にいますが、それぞれ別々の道へ進み、あちらは稚内へ、こちらは音威子府へ向けて出発です。


何気なく撮ったこの建物ですが、どうやら旧浜頓別バスターミナルにあたる建物らしく、今の道の駅と併設のバスターミナルが出来るまではこちらがバスターミナルとして使われていたようです。
どうやらあの場所がかつての浜頓別駅の場所だったようですが、建物は流石に鉄道時代のものではなさそうです。


随分大きな待合所があるこのバス停は浜頓別高校前です。
10月のダイヤ改正で全体的に減便された天北宗谷岬線にあってこの高校までの区間便だけは唯一増便されているようで、比較的需要のある区間のようですね。


浜頓別の市街は終わり再び郊外へ


またしても鉄道林っぽい木々が見えてきました。
しかし、これだけ鉄道林が多いとなると天北線の車窓は木ばっかりしか見えなかったんでしょうか。


ちょっとした峠越えになるようでトンネルがあるようです。
あと、矢羽根の色が他と違うのが気になりました。


トンネルも輪郭を強調するようなペイントがされていました。
大型車にとっては狭いサイズゆえでしょうか?


中頓別バスターミナルに到着です。
ここも駅舎こそ建て替えられていますが、駅があった場所がそのままバスターミナルになっています。


駅名標代わりにw


なんか派手な色のキハがいましたw
天北線の気動車はこんな色だったのかというとそんなことはなく、現在は休憩室として余生を送るこの車両にはオリジナルの塗装がされているようです。
解体されてスクラップよりはマシですが、せっかく残すなら往時の塗装のままにしてほしかったなぁw


ここは降りなかったのですが、あとで調べるとバスターミナル内に天北線メモリアルパークなる施設があって、天北線に関連する品々が展示されていたとのことで、降りて駆け足でも見学すればよかったなと後悔・・・


出ました!「~停車場線」シリーズ!


中頓別市街です。青看も枝幸方面と音威子府・美深方面の分岐地点として案内されていますが、バスはもちろん音威子府へ進みます。


だいぶ日も傾いてきて山影が強調されて見えますね。


でも、視界が開けさえすればまだまだ明るいです。


またまた道の駅の看板が出てきました。
「ピンネシリ」なんていかにも北海道らしい名前ですが、今は温泉があり、また、かつては天北線にも同名の駅がありました。


音威子府まであと31km!
普通の路線バスならこれでも長いと感じる距離ですが、天北宗谷岬線の場合、長かった旅路ももう終盤に差し掛かっていますね。


ちなみに、さっき出てきた「ピンネシリ」は漢字で書くとこうなります。
温泉開発にあたって親しみやすさでカタカナ表記にしたんですかね。
例えば、リゾート地として名高い「トマム」も、地名としては「苫鵡」と書くのですが、観光向けということなのかカタカナ表記が一般的です。


鉄道時代は「敏音知駅」だったのが、バス停は「ピンネシリ温泉」となっています。
この温泉ですが、地元有志が掘削して掘り当てた温泉らしく、奇しくも天北線の廃止と入れ替わるように開業したため、鉄道時代には存在しませんでした。
もし鉄道が現役の頃に開業していたら「敏音知温泉駅」とでも改名されていたかも?


道の駅ピンネシリを通過です。
ところで、「敏音知」という地名ですが、由来はそのまま「ピン・ネ・シリ」というアイヌ語であり、これは「男の山」という意味になるんだそうです。
近くに2つの山があって、それぞれ男山・女山と名付けるケースは多いですが、アイヌの文化でもそういう習慣があったんですね。ちなみに、女山の方は「マツ・ネ・シリ」と呼ばれ、天北線で敏音知駅の2つ隣に「松音知駅」もありました。


ブレてしまって申し訳ないですが、標識に注目です。
「敏音知跨線橋」・・そう読めませんか?
跨線橋って、鉄道を跨ぐ橋のことですよね。てことは天北線との交差地点!?


そう思って橋から下を見下ろすアングルで撮ってみましたが、う~ん、木々に遮られて廃線跡かどうかは判然としませんねぇ・・・w


小頓別が近づき、枝幸方面との分岐点になりました。
特急「えさし号」はここから合流してくる形になり、音威子府までは重複区間となります。


登坂車線が出てきてちょっとした峠越えになるようです。


音威子府村に入りました!


音威子府市街まであと6kmとなりましたが、車窓はひたすら原野ばかりw


随分と立派な高架橋が出てきましたが宗谷本線のものではなさそうです。
地図にも今のところ載っていないので、建設中の高速道路とかでしょうか?


こっちが宗谷本線の線路です。稚内市内で分かれてからかなり久々の再会となりました。


お、段々と見覚えのある景色になりましたね。


終点の音威子府に到着です。ここまで乗り通すと運賃はなんと4000円w
もちろん現金で払うことも出来ますが、私はきっぷを買っているので精算は楽ちんですね。
ところで、乗車券が硬券っぽいデザインだったので持ち帰れないかダメ元で運転士さんに交渉したんですが、やっぱりダメだそうなので諦めて運賃箱に投入しました。


長旅の余韻もなくあっさり回送幕に変わってしまいましたが、稚内からの長い長い旅はついに終わりを迎えました。

記事中では、あえて車内の乗車率のことをほとんど書かないでいたのですが、混雑が見られたのは稚内市内だけで、他はほとんどの区間で私だけの貸切状態となり、浜頓別や中頓別などで何名か乗っては来ますが近くのバス停までの利用者が多く市内交通以上の役割ではあまり利用されていない印象でした。
ちょうど私が乗った直後に大幅減便を含むダイヤ改正もありましたし、この路線の将来について危惧を抱いてしまわざるを得ませんでした。日本最北端を通る路線バスとして、オホーツク海を見ながら走る景色の良さなど、アピールポイントは少なくないはずですし、沿線に残る天北線の遺構や資料館と合わせてバスでそれを巡る旅なんかを提案できたりもしそうです。一度は部分的に廃止することが決定したこともありますが、どうか魅力を活かす形で路線維持をして頂ければと思います。
機会があれば、今度は音威子府から稚内への逆向きで乗ったり、あるいは途中下車して今回は見られなかった中頓別の天北線資料館や最北端の宗谷岬なんかにも行ってみたいと思いました。

ここからも長い・・・

稚内から4時間以上かかって音威子府まで来ましたが、ここからも長いですw
なにせ、これから札幌まで戻らないといけないわけですからね・・・明日の行程は札幌に泊まらざるを得ないもので、名寄や旭川などの近場に止まる選択肢も取れませんでした。
で、ここからの行動ですが、大きく2つの選択肢がありました。1つは、バスからすぐに接続する普通列車で南下するもので、名寄でも普通列車に乗り換えて旭川まで行けば特急に接続して札幌まで行くことが出来ます。これをAプランとしましょうか。
このAプランが最速で帰れますが2回の乗り継ぎが必要になるのと、せっかく特急にも乗れるきっぷなのに大半の区間を普通列車で移動することになるのはもったいないという心理的な問題がw
そして、もう1つですが、それは音威子府で「宗谷」を待つというものです。「宗谷」なら乗ってさえしまえば乗り換え無しで札幌まで連れて行ってくれますし、全区間特急に乗れるので「損した気分」にもならない上、最速プランと比べても札幌着は30分以下の差にしかならないといういい事ずくめに見えますが、問題は音威子府で2時間近くも待ちぼうけを食らうということです。これをBプランとしましょう。
初めて訪問する駅だとしても2時間は潰せませんし、かといって周辺にも時間つぶしになりそうなスポットはないとなると、そこがネックになりました。
結局、どっちにしたのかというのは読み進めながら種明かしということでw


とりあえず駅とバスを撮ります。


まだ「風っこそうや」の横断幕が出たままでした。
ずっとこのままってことはないでしょうが、余韻を残すみたいでいいですね。


誰もいないホームに入場しました。この時間帯は駅員がいないようで無人駅扱いです。


それにしても、つい数日前に「風っこそうや」で賑わう姿を見たばっかりなこともあり余計でしょうが、誰もいなくて寂しい・・・


↑するとそこへキハ40系の単行列車が入ってきました。


やっぱり北海道といえばこの色のキハ40系ですよねぇ。


キハ40系につられてついつい乗車w
実は宗谷本線におけるキハ40系の運用は音威子府が最北となっており、また日本国内でキハ40系が定期運用される区間としてもここが最北端なのですが、名寄~音威子府間の普通列車は稚内方面へ直通する便として設定されることが多く、音威子府以北はキハ54系しか走らないとなると、必然的にこれら稚内方面から直通の名寄発着列車もキハ54系ということになりますから、このキハ40系の運用は音威子府で折り返す普通列車に限定されることになりレアです。

乗り込むと乗客はなんと私だけw
流石に2~3名は乗ってくるだろうと思いましたが、この時間帯だと稚内方面から接続する列車もないし、バスも天北宗谷岬線だけのはずで、その天北宗谷岬線には私しか乗ってこなかったのですから、駅周辺からの利用者がいなければ当然そうなりますねw
というわけで、最北端のキハ40系を貸切にして名寄へ移動します。途中は美深で2人乗ってきましたが、全区間合わせても乗客は3名でしたw


名寄に到着です。
ところで、冒頭に書いた選択肢では結局の所Aルートということになり・・・ません!
実はキハ40系とはここでお別れで旭川行きには乗り換えないのです。


ではどうするかというとなんと駅の外に出てしまいます

ここで種明かしをすると、「宗谷」で札幌に着くのは23時頃であり、流石に大都会の札幌ならこの時間でもやっている飲食店はあるでしょうが、明日も早いのでさっさとホテルに入って寝たいという気持ちもありました。
しかし、音威子府で乗る前に夕飯を済ませようにもやっているお店がない・・・と思って何気なく名寄市内の飲食店を調べていると夜遅くでもやっている中華料理屋さんがあったのです。
これは私にとっても予想をいい意味で裏切られる結果であり、普通列車で名寄へ向かってそのお店で夕飯を頂いてから「宗谷」に乗るというAでもBでもない、さしづめCプランとしたのです。

特に名物というわけでもなさそうなので写真はありませんが、地域に親しまれている中華屋と言う雰囲気ながら味はなかなかでまた名寄で食事をする機会があれば訪れたいと思いました。

あとは「宗谷」で一気に札幌へ移動です。時間にすれば2時間半くらいはかかりますが、それでも乗っているだけで着くというのは気が楽です。


特急は快適でウトウトしていた時間もありますが、心理的にはあっという間に札幌へ連れて行ってくれました。
ターボサウンドを響かせる高性能エンジンもまたいい子守唄になっていましたw


時間が遅すぎて新千歳空港行きは運転を終了しており、発車標は何も表示されていませんでした。


最後に既に閉店していた駅弁屋さんのディスプレイにいたONちゃんでシメとします。

5日目はここまでとして、6日目以降は別記事で追ってレポートしますのでしばらくお待ち下さい。
~追記~
6日目も公開しました。

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