3泊4日で実施した北海道遠征の3日目(後編)です。続きものとなりますのでなるべく1日目→2日目前編→2日目後編→3日目前編→当記事の順にご覧になることをおすすめします。
前回は知来乙駅までで記事をシメましたので、後編はその次の訪問駅となる月ヶ岡駅からレポート再開です。
月ヶ岡駅
後編最初の駅となる月ヶ岡駅です。
駅のすぐ脇を国道が通っており、車の往来が激しいこともあってあまり落ち着ける雰囲気ではありません。
裏庭のようなスペースがあって東屋まであります。
ただのローカル駅にしては随分と豪華ですねぇ・・・
駐車場までありますがそれもこの広さ!
大型車でも大丈夫な大きさですね。
観光案内の看板まで!
2日目前編で紹介した幸福駅みたいに観光地化されているわけでもないでしょうに、このただのローカル駅にしては過剰とも言える施設の正体は?
と思ったらドアの脇の掲示物に答えが出ていましたw
この駅舎は「月形町農村公園休憩施設」という月形町の施設を兼ねているらしく、庭園のようなスペースややたらと広い駐車場は国道を走るドライバーが休憩施設として利用できるようにという意味合いだったようですね。
ようするに、簡易の道の駅と言ったところでしょうか。
歩道に描かれていたキャラクターは地元のご当地キャラとかでしょうか?
内部です。訪れる人はほとんどがトイレかせいぜい飲み物を買うために立ち寄っているみたいでここで列車を待っている人は皆無でした。
ほとんど道の駅のコンパクト版という雰囲気ですが、ちゃんと駅舎なので時刻表も貼ってあります。
表紙には何も書かれていませんが、(多分)駅ノートもありました。
内部はこれくらいにしておきましょう。
ところで、このように町の施設と一体化した駅舎が生まれた経緯ですが、1993年に以前からの駅舎が焼失してしまったために建て替えられてこのようになったようです。
JR北海道としても自力で駅舎を復旧するよりは街の施設を兼ねたほうが建設費用の負担を軽くできる(もしかしたら全額町持ち?)というメリットもあったのかもしれませんね。
もちろん無人駅ですからホームへは自由に出入り可能であり、駅舎とも特に接続されてもいません。
駅舎やその周辺は立派なのにホームは1面1線だけという寂しい構成w
まあ、札沼線の廃止予定区間の中で交換設備が存置されているのは今回は訪問しないことにした石狩月形駅が唯一なんですけどねw
中小屋駅
後編2駅目は中小屋駅です。
中小屋駅は国道脇ですが広場を挟んで少し奥まった場所にあります。
駅近くにある「中古屋交差点」です。建物が何軒か建ち並びます。
巨大なボビンケースとも形容できる見た目ですが、電線とかを巻き取るためのリールかな?
貨車駅舎はどこも似たような雰囲気ですが、ここから出入りするようです。
右側のスペースが気になりますが、特に何かに使われているわけではなさそうです。
貨車時代の設備の跡ですかね。
駅舎の脇にこんなスペースがありました。
シャッターで閉ざされているようですが、除雪器具の保管にでも使っているんですかね。
ホームへ向かいましょう。
砂利が盛られており、斜面をよじ登ることもできそうですが、階段もちゃんと据え付けられています。
何気に手すりもありますが、どうみても道路によくある柵というw
ホームが割としっかりした作りですが、それでも1面1線の棒線駅です。
奥の線形が交換設備の痕跡を感じさせるものでしたが、当駅がかつて交換駅だったという話は調べても出てこなかった一方、かつて貨物扱いがあったという記述を見つけましたので恐らくはこの写真で左手前へ分岐する貨物用の側線があったのではないでしょうか。
ホームから見た駅舎
手前に倉庫(?)があるために他の貨車駅とはちょっと違った見た目になりますね。
ここで駅名標です。
これまたアイヌ語要素を感じさせない駅名ですが、当別町と月形町の中間にあたり、かつてこの地に民家茶屋があったためこれが「中茶屋」と呼ばれるようになり、後に「中小屋」に変化したという説と、樺戸集治監(今で言う刑務所)の囚人たちの手によって月形と当別を結ぶ道路が建設された際にこの地区に囚人を収容するための小屋が設置されたためという説の2つがあるようです。
東京にも3軒の茶屋があったからという理由で「三軒茶屋」という地名がついた場所がありますし、まああり得る話かなと思います。
なお、中小屋地区内にはこの中小屋駅と、もう1つ隣の本中小屋駅の2つの駅がありますが、当駅は中古屋地区の北端にあたり、本中小屋駅の方が中心に近いようです。
それでは次へ進みましょう。
本中小屋駅
中小屋駅から1駅進んで今度は本中小屋駅です。
近くに中小屋温泉というのがあり、国道からの目印によさそうですが、実はこの看板に従って曲がると駅へ通じる道とは1本ずれた道へ入ってしまいますw
私もこの看板に騙されてそっちへ入ってしまい、結局その中小屋温泉まで行ってしまいましたw
車だから大したロスではありませんでしたけどね
。
私が借りた車に付いていたカーナビでは駅周辺には道らしい道がないような書き方でしたが実際にはちゃんと道が通じていました。
それでは駅舎を拝むとしましょう。隣の中小屋駅と同様に貨車駅舎となっています。
と、その前に銘板を発見したので撮っておきます。
辛うじて判読すると「新潟鉄工所」と書いてあるようですね。
内部です。まあ今まで見てきた貨車駅舎とそう変わらないですね。
駅名標です。
由来なんかは先程の中小屋駅と同じなので省略しますが、接頭語として付いている”本”の読み方って「ほん」と読む場合と「もと」と読む場合があって初見だとどっちか迷いますが、当駅の場合「もと」と読みます。
首都圏近郊でも「ほん」と読む例として本川越・本厚木などがあり、「もと」と読む例としては本蓮沼・本銚子などがありますからね。
名所案内もありました。
「中小屋温泉」と「町営スキー場」はまあ分かりますが、「林道からの展望」と「無線中継所と展望」はもうちょっとちゃんとした固有名詞とかないの?ってツッコみたくなりますw
それでは、次へ進みましょう。
石狩金沢駅
加賀百万石の県庁所在地と同じ名前ですが、その駅の規模には絶望的なまでの格差がある石狩金沢駅です。
そんな石狩金沢駅もやっぱり貨車駅舎でした。
なんだかんだで3駅連続ですよね。
このトイレみたいなスペースの存在も貨車駅の標準と思えてきましたw
気になったのがこれ
落書きにしては内容が意味不明ですし、工事関係者がメモ書きして消すのを忘れているとかでしょうか?
ホームです。
かつては2面3線と結構大きな駅だったようですが、今は1面1線しか残っていない棒線駅です。
最後に駅名標です。
冒頭の文章で石川県の金沢と比べるような表現をしましたが、駅名の由来としては当地に入植した人の出身地が金沢市だったという説が有力だそうで無関係ではないようです。
北海道では入植者の出身地の地名を開拓した土地にも付けるというパターンがちょいちょいありまして、札沼線の終点の新十津川駅がある新十津川町も奈良県の十津川村からの入植者が開拓したという由来だそうですし、北広島市、伊達市など例は枚挙に暇がありません。
それでは、次の駅へ・・・ってあれ?w
そう、駅名標の隣が北海道医療大学駅という時点で気づいたかもしれませんがこれにて札沼線の訪問予定駅は全て制覇してしまいました。
しかし、時刻はまだ昼過ぎ・・・とりあえずはお昼ご飯を食べに行くとしてそのままホテルへ戻るのは流石にもったいない。
というわけで、一旦は飛ばした鶴沼駅と於札内駅の2駅にも(めっちゃ引き返す形にはなりますがw)訪問して札沼線廃止予定区間の全駅制覇としたいと思います。
なお、昼食はご当地でも何でも無い丸亀製麺でしたので特に記事では触れませんw
ただ、石狩金沢駅から一番近い店舗を探すと江別市内までいく羽目になったのはネタですけどねw
石狩当別駅も近いのでもっとお店があるだろうと思ったら案外そうでもなかったですw
番外編 於札内駅
というわけで、朝に走った道を再びなぞって南下徳富駅のお隣の於札内駅へ向かいます。
道中特に書くこともないのでそのまま駅レポートと行きます。
非電化路線の踏切なのにパンタグラフが付いている!?
なんてツッコミは野暮ですかねw
さて、それでは駅へ向かいたいと思いますが・・・
これ、於札内駅へ通じる道路なんです。決して農道とかじゃないですよ?w
砂利道なのに意外と立派な橋がかけられていますよね。
実はこれに騙されましたw
普通に車で行けそうな雰囲気だったので一旦は車で乗り入れてしまい、駅まで行けたのはいいものの駅の近くに車を置けそうな場所はなく、転回できるだけのスペースもないので道の入口までバックで戻る羽目になりましたw
こんな表示があるってことはこの砂利道は列記とした市道か何かなんですかね。
駅の脇に踏切がありますが、道がこんななので当然とはいえ警報器も遮断機もない4種踏切です。
まあ、こんな砂利道でガチな1種踏切だったらそれはそれでネタですけどねw
踏切関連の標識が目立っていますが、それに混じって「車両通行止め」も・・・
歩行者専用の踏切なんでしょうか・・・?
と思ったら補助標識で「12月1日から3月31日まで」とあるので、この期間以外は車でも通行可のようですね。
なんでその期間限定で車両通行止めなのかはよく分かりませんが、時期的に降雪期でしょうから雪が積もっている時期は脱輪のリスクが高いから禁止ってことですかね?
どっちみち、訪問した5月はこの期間外なので車でそのまま通過してよかったみたいですね。
もっとも、駅を通過してしまったら私としては意味がなかったので結局バックで引き返したのは正解だったことになりますけどw
もう1つ注意書きがありました。
「鉄製のキャタピラー」で横断しないで!ってことらしいですが、故障するのはキャタピラーの方なのか線路の方なのか・・・
周囲は田畑ばかりですから耕運機とかを想定した注意書きなんでしょうけどね。
・・・個人的にはキャタピラーより「履帯」とか「無限軌道」って呼んでくれたほうがしっくりきますw
踏切部分です。
恐らくは枕木の流用でしょうが踏み板もちゃんとありますね。
かなり錆びていますが駅名標も付いています。
さて、続いては中のご紹介・・・のつもりでしたが、実を言うと内部に入らなかったみたいで写真がありませんw
元々予定になかった駅であり、お昼ご飯を腹いっぱい食べて気が緩んでしまっていたのでしょうか・・・
普通の駅名標もあります。
ここも由来を調べるとアイヌ語で「オサッナイ」という「川尻・乾く・川」を意味する言葉から来ているようです。付近には於札内川というのもあります。
余談ですが千歳線の千歳駅の1つ隣りにある長都(おさつ)という駅も由来は同じみたいです。あっちは「ナイ」の部分を省略して漢字を当てたみたいですね。
その長都駅の方は当駅と同じく無人駅ではありますが、札幌近郊にあるだけあって乗車人員は1000人を超えており、平均で0.8人とまさかの1人未満の当駅とは雲泥の差です・・・
周囲は水田ばかりです。
これが日本の原風景とでも言えそうです。
反対側からも
見るからに小規模な駅でちゃんとした駅舎もない当駅ですが、元々は仮乗降場として設置され、国鉄時代はずっと仮乗降場でしたが、JR北海道へ移管されるのに伴い駅に昇格した経緯があったようです。
そうそう「仮乗降場」についてですが、簡単に言ってしまえば国鉄において駅を設置するほどの需要は見込めないが列車による輸送サービスが必要な集落などに駅よりも簡素な設備で列車に乗り降りできる施設として設置されていたもので、駅となると国鉄本社の決裁がないと設置できないものが、仮乗降場ならば地方の鉄道管理局の判断で設置でき手続きの簡便さや設置コストの低さなどから人口密度の低い北海道ではかつて多く見られたようです。
あんまり細かく書くとそれだけで1つの記事ができそうなのであまり細かい解説はしませんが、それらは国鉄分割民営化によってJRへ引き継がれる際に駅に昇格したケースが多いようです。
さて、それでは車に乗り込んで次の駅へ・・・と思ったらなんと私が一旦車で進入するも断念してバックで引き返した道へ入っていく乗用車を発見!
それも結構大きなミニバンでした。最悪バックしてくるようなら誘導してあげようかなとも思っていたらその車は例の踏切を通り越してからどこかでUターンしてきたようで、そのまま2~3人降りてきて駅を撮影していきました。やっぱり同業者だったみたいですね。
なんだ、駅前まで車で行けたんじゃん!というオチでしたが、狭い道ですし運転に自信がない方や最悪地元の農家さんなどの車と変な場所でかち合うなどのリスクを考えるとやっぱりこの道へは車で入らず近くの舗装道路の邪魔にならない場所に駐めてから歩いていくのが無難だと思います。
それではお次は・・・
鶴沼駅
札沼線廃止予定区間では最後の訪問する駅となる鶴沼駅です。
鶴沼駅周辺の道路です。最近整備されたっぽい妙に綺麗な道路がありました。
周辺には新しそうな建物が点在しており新興住宅地の様相でした。
調べると町営住宅らしいのですが、せっかく駅周辺に町営住宅がありながら鶴沼駅の利用者はなんと0.0人!
たまたま調査があった日には利用者がなかったというだけで本当に誰も使っていないわけではないのでしょうが、せっかく駅前に住んでいても列車の本数が1日1本では・・・ねぇ
車を持っていない人でもバスを使っているんでしょうね。
そして、肝心の駅へはいきなり規格ダウンしてこんな狭い道になってしまいますw
駅舎・・・いや、待合室です。
先程の於札内駅のものよりは大きいですが、質素な作りです。
待合室の横にあったこれが気になりました・・・
鉄道関係の遺構にしてもちょっと見当がつかないですね。
今度は忘れずに中にも入りましょう。
コンクリートむき出しの床に木製の壁と質素ながら汚くはなく待合室としての役目は果たせそうな状態が維持されています。
反対側を振り返りましたが、なんとホームが途中から木になっているではないですか!?
長らく続いた駅巡りシリーズを〆る本当の意味での「最後の」駅名標になります。
これまた最後の由来解説を入れると近くの沼にタンチョウが飛来したからだそうです。
単純で素朴だけど地名なんてそんなもんですよねw
少し引いて駅の全景ですが、これだとかえって駅だと分かりづらいというw
と、これにて札沼線の駅巡りは廃止予定区間の全駅を巡れるという予定以上の収穫をもって終了となりました。
まだ日が傾き始めただけで完全に暗くなってはいない時間なので並行する函館本線のローカル駅に行くとかも考えましたが、だいぶ疲れも溜まってきているし、私の駅巡りのルールとしては本来は列車で乗り降りしないと「降りた」ことにはならないのでレンタカーで巡っても記録には付けないことにしていることもあり、函館本線の駅ならいずれ列車で訪れる機会もありそうですし今回は札沼線だけで我慢してホテルへ戻ることにしました。
結局まだ明るいうちのチェックインという私の旅としてはありえない展開になりましたがホテルの部屋でゆっくり休んだ後はホテル併設のお店で「北海道最後の晩餐」を味わいまして地酒でほろ酔い気分のまま眠りに落ちました。
あ、酔っていたせいもあって写真撮っていませんでしたw
これにて北海道遠征は完結・・・しません!
よく思い出して下さい。この遠征は3泊4日ですが、この記事は3日目後編であり4日目の記事が未執筆です。
え?もう駅は全部行っちゃったのに4日目は何をするんだって?
それは公開してのお楽しみですw
最後に札沼線の駅を巡っての感想のようなものですが、根室本線や日高本線と明らかに違うことが1つありました。
それは・・・同業者とカチ合う頻度が高かったことです。やっぱり廃止が決まっているという事実は訪問者をより強く引き寄せるようで、実を言うと駅に到着しても先客がいらっしゃってその方が帰るまで車の中で待機したり、逆に私が訪問中に別の方が来て慌てて撮影を切り上げて撤収なんて場面もありました。
日程的に札沼線は土曜日だったこともあって余計に多かったのでしょうが、廃止が近づけば近づくほどにファンが増えていくでしょうし、落ち着いて札沼線の駅を味わいたならば早めに行動したほうがいいでしょう。
というわけで、駅巡りというメインの部分は事実上完結しましたが、4日目はおまけとしてとある活動をしましたのでそれはまた追ってレポートします。
~追記~
4日目も公開しました。