北海道遠征2023(8日目/最終日・小樽編)

車中泊込みで7泊8日で実施した北海道遠征の8日目(最終日)です。
なお、1・2日目3日目4日目5日目6日目7日目をご覧になっていない方はそちらから先にご覧になることをおすすめします。

本日の行程

最終日となる今日は、昨晩宿泊した札幌からスタートして快速「エアポート」で小樽へ向かい、小樽市内にある「小樽市総合博物館」に向かいそこを見学したら快速「エアポート」で新千歳空港まで移動して空路で東京への帰路に就くというもので、実質的には小樽市総合博物館の見学だけが活動内容と言えます。
本当はついでにとある鉄ネタを回収する予定だったのですが、諸事情あって取りやめになりましたw
この日程は前日の活動終了が遅くその日のうちに東京へ戻る手段がなく宿泊不可避だったことと、どうせ北海道フリーパスの有効期間がもう1日残っていたのでついでに活動したという感じでしたが、小樽市総合博物館にも前々から行きたいと思っていたのでいい機会でした。

朝からやってしまった・・・

早速衝撃的な見出しから始まった最終日ですが、予定では札幌を6時09分に発車する列車を利用するはずでした。
この列車は札幌駅から小樽方面へ向かう始発列車であると同時に、行先が然別となっており、札幌駅に乗り入れる普通列車としてはレアな気動車による列車となっています。
札幌→小樽で気動車による普通列車を体験したいということでこの列車を行程に入れていたのですが、私のやらかしによって乗れなくなりました。
もう察しがついていると思いますが、そのやらかしというのはズバリ”寝坊”ですw
6時09分に発車する列車に乗らないといけなかったのに、目が覚めたのは6時半頃という有様でしたw
今回の遠征では行程にこそ影響なかったものの既に2回の寝坊未遂ともいうべきハプニングがあって、3回目でついに行程に影響が出る形でやらかしてしまったことになります。
「二度あることは三度ある」とはいいますが、見事にフラグ回収してしまいましたw
ただ、この列車はH100形が充当されており、キハ40系充当列車だったら次回の遠征時には置き換えられている可能性が高いのが、H100形ならばまたチャンスはありますし、今回の遠征では寝坊で乗れないなんてことになったら取り返しがつかない列車もあった中で、まだこの日にやらかしてよかったと思うことにしました。

なので、然別行きに乗ることはなく、普通に快速「エアポート」で小樽へ向かい、小樽市総合博物館を見学するだけでこの日は終わりになりましたw

まずは小樽へ向かう

というわけで、最終日はホテルでゆっくりと朝食を食べてのんびりと身支度をして始まりました。
せっかくのんびりと出発したのに忘れ物をしたら洒落にならないと出発前の忘れ物の確認はいつも以上に入念にしましたけどねw


最終日の朝も予定よりは遅い出発になったものの、すっかり見慣れた札幌駅前から始まります。
でも、今回の遠征ではこれが最後の札幌駅なんですよね。
まあ、どうせ私のことだから来年にはまた何らかの形で北海道の土を踏んでいることでしょうけどw


10時13分発の「エアポート95号」を利用します。
その時点でバレバレですが、今日はチェックアウト時間ギリギリまでホテルでのんびりしていました。


ホームへ行くとなんとなく733系を撮影しました。


乗車したのは「エアポート」ですが、座るために早めに並んだために先頭は撮れなかったんですよねw

ところで、「エアポート」というと新千歳空港へのアクセス列車というイメージが強いと思いますが、基本は札幌~新千歳空港間での運行であるものの、およそ半数の列車は小樽~新千歳空港間での運行となっていて、小樽~札幌間でも早朝や夜間の列車を除いて快速運転をしているため、小樽と札幌を結ぶ都市間輸送の役割も持っています。
小樽方面へは特急の定期運行がないこともあって、小樽市にとっては重要な列車の1つといえるでしょう。

そんなわけで乗車した「エアポート」ですが、どうせ然別行きに乗れないならあまり早く行っても小樽で時間を持て余すだけだろうとのんびりと出発したために10時過ぎというちょうど観光客が動き始める時間帯にぶつかったこともあって、車内は札幌に宿泊してこれから小樽観光に繰り出すであろう観光客で賑わっていました。
今日の私はその観光客の一人といってもいい行動しかしていませんけどねw

札幌から30分ちょっとの乗車でもう小樽です。
小樽って札幌からだと新千歳空港へ行くよりもむしろ時間感覚的にも近いですね。


小樽に到着しますと、倶知安行きのH100形が待っていました。
ちょうど接続するダイヤだったみたいですね。
現在、倶知安と札幌の間は1日1往復の快速「ニセコライナー」を除いては直通列車はなく、都市間輸送はほぼ高速バス頼みという状況ですが、快速「エアポート」と普通列車を小樽で接続させることで、鉄道での移動もある程度は考慮されているということでしょうか。


↑ちょうど出発するところだったので動画を撮りました。


駅前に出てきました。
この日は平日でしたが、それでも観光客で賑わっていたのは、小樽の観光地としての人気の高さを窺い知れました。


この鐘は「むかい鐘」といい、かつて列車の到着を知らせる目的で鳴らしていて、上り列車だと2回、下り列車だと3回鳴らしていたそうです。
今で言うところの接近メロディですが、昔は鐘を使っていたんですね。


あとは、こんな看板もありました。
あの石川啄木と小樽駅にもゆかりがあったんですね。


この重厚さを感じさせる駅舎は今でも小樽を訪れる多くの観光客を出迎えてくれる小樽のシンボルの1つといっていいでしょう。


ここからは小樽市総合博物館を目指すのですが、その前にちょっと寄り道します。
駅を一旦離れて向かった先は三角市場という場所です。
名前の通り市場なんですが、港町小樽らしく新鮮な海鮮が集まる場所で、美味しい海鮮丼を食べられるスポットでもあります。
お昼には少し早かったですが、小樽市総合博物館に行ってしまってからでは食事をするところがあるか微妙だったのでここで食べることにしました。


というわけで、今回の遠征ではもはや何度目か覚えていませんが、海鮮丼を頂きます!
北海道で過ごす最終日ということもあって、奮発して豪勢な海鮮丼を選んでしまい、その値段は4000円近いものでしたが、ちょうど全国旅行支援のクーポンが残っていて今日中に使い切らないといけなかったので、むしろ好都合でした。
この頃は平日に宿泊すれば2000円分もらえて、札幌では3連泊だったため2000円×3で6000円分あったのに、ここまでの活動ではたまたま入ったお店がクーポンの対象でなかったりしてあまり使えていなかったのです。
最後に豪勢な海鮮に舌鼓をうったらいよいよこの日の活動のメインとなる小樽市総合博物館へ向かうことにしましょう。

小樽市総合博物館へ

それではいよいよメインの小樽市総合博物館への訪問です。
レポートに入る前に、まずは小樽市総合博物館について解説を入れておくと、小樽市総合博物館は小樽市が運営する博物館で、2007年に開館しました。
総合博物館という名前ではありますが、展示の中心は鉄道であり、実質的には鉄道博物館といってしまっていいでしょう。

前身として小樽市博物館・小樽市青少年科学技術館・小樽交通記念館という3つの施設があり、それらを統合の上で現在の小樽市総合博物館となりました。
その中でも直接の前身と言える小樽市博物館は美術・人文・自然を対象にした博物館で、1956年に設立されました。
1962年には国鉄札幌鉄道管理局が設置した北海道鉄道記念館を分館として運営・受託管理するようになって、この頃から鉄道博物館としての顔を持つようになりました。
1986年には国鉄分割民営化を目前にしたタイミングであることもあり、国鉄で不要となる車両25両を譲り受けて1987年から展示を開始すると従来の2倍の展示規模となりました。

1996年には旧手宮線の敷地をJR北海道と国鉄清算事業団から買収しリニューアルオープンし、そのときに名称を小樽交通記念館と改めました。

そして、2007年には小樽市青少年科学技術館と小樽交通記念館を統合する形で、旧小樽交通記念館の敷地に小樽市総合博物館としてオープンし現在に至ります。
北海道では12件の準鉄道記念物が指定されていますが、そのうち8件が小樽市総合博物館の所蔵となっており、北海道随一の鉄道博物館といっていいでしょう。

また、小樽市総合博物館には本館と運河館の2つがありますが、今回訪れるのは本館の方です。
本館と運河館は少し離れているのと、運河館については小樽市の歴史や自然環境と言ったテーマの展示となっていることもあって今回は見送りました。

ここからは基本情報ですが、本館の方は入館料は大人400円、高校生と市内在住の70歳以上は200円、中学生以下は無料となっています。
なお、11月上旬から4月下旬までの冬期は屋外展示の一部が見学できなくなるため入館料が少し安くなり、その場合は大人300円、高校生と市内在住の70歳以上は150円となります。

なお、運河館とは入館料が別々に設定されており、運河館については大人300円、高校生と市内在住の70歳以上が150円、中学生以下無料となっており、両方とも訪れたい場合は共通入館料も設定されていて、こちらは大人500円、高校生と市内在住の70歳以上は250円となっていて、これを買うと手宮洞窟保存館にも入館できるそうです。

続いて交通アクセスですが、前述の通り本館と運河館は離れた場所にあるため別々に紹介すると、まず今回訪問する本館の方は駅からは路線バスの利用となり、駅から10分ほどで到着します。
入口が2つありますが、正面入口へは「総合博物館前」バス停で下車、手宮口へは「手宮」バス停で下車となりますが、冬期は手宮口を利用できないため、冬季に訪問する場合は「総合博物館前」バス停のみ利用可能です。
運河館の方は小樽駅からも徒歩10分程度と徒歩でもアクセス可能ですが、運河館と本館を行き来する場合はやはり路線バス利用となり、その場合の運河館最寄りバス停は「中央通り」となります。
それか運河館と本館の間には遊歩道があり、それに沿って20分ほど歩くことでも移動できるので、体力に余裕がある方は散策がてら歩いて移動するのもありでしょう。

基本情報を押さえたところでレポートに戻っていきましょう。


駅前のバスターミナルにやってきました。
バスが頭から乗り場に突っ込むという昔ながらのスイッチバック式が現役でした。


高速バスもこのように停車しています。


乗車するのは北海道中央バスの11系統赤岩経由おたる水族館行きです。
基本的にはおたる水族館行きに乗れば小樽市総合博物館の方へ行けますが、注意点としてはおたる水族館行きは経由地が2つあって、今回乗車する赤岩経由の他に高島3丁目経由というのもあり、「総合博物館」バス停に立ち寄るのは高島3丁目経由のみとなります。

とすると、赤岩経由に乗ってしまっていいのか?と疑問に思うでしょうが、実は赤岩経由も「総合博物館」の1つ手前の「手宮」までは同じ経路を走行する上、その手宮からも手宮口という入口を利用可能なので、手宮口を利用できない冬期は別ですが、ちょうど高島3丁目経由が走っていない時間帯だった場合は赤岩経由に乗ってしまって「手宮」で降りるのも手です。


↑スイッチバック式バスターミナルということで、バスはバックしてから出発していきます。
路線バスが乗客を乗せたままバックするのって意外とレアな光景ですよね。


そして、いよいよ手宮バス停に到着です。
それにしても、廃止された駅と同じ名前のバス停があるとテンションが上がるのは私だけでしょうか?w


バス停とバスを絡めて


駅名標感覚でつい撮ってしまいますw


周辺は普通の市街地という感じでしたね。
かつては手宮駅の敷地が広がっていたんでしょうけど、今では見る影もありません。


そして、こちらが「手宮口」のゲートです。


こちらは本当にゲートのみで、チケット売り場くらいしかありませんからコンパクトな建物になっています。
これは記事を執筆するときに色々と調べていて気付いたんですが、かつての手宮駅の駅舎の形とこの手宮口の建物の形っていくらか共通点があるんですよね。
やっぱりかつての駅舎を意識したデザインになっているんでしょうか。


入場するとまず出迎えてくれたのはSLの動輪ですが、巨大な手のオブジェのインパクトがすごいですw


ちなみに、入場券は硬券のきっぷのような見た目になっていて、鉄道をメインにした博物館らしい嬉しい演出でした。


立派な転車台もありました。
実はこちら、敷地内を走る動態保存のSL「アイアンホース号」の運行のために実際に使われていて、現役で稼働するものなんです。
つまりは転車台としても動態保存されていると言えますね。


駅名標もありました。
こちらも「アイアンホース号」の乗り場として使われているため、今でも駅としての機能を果たしていることになります。


それでは車両展示を見ていきましょう。
既に凄まじいボリュームで、たったの400円で見させてもらうのが申し訳なくなってしまうほどです。


トップバッターとなるのはこちら


小型蒸気機関車の代表格の1つといえるC12形ですね。
軽量故に軌道の弱い地方線にも入線できるフットワークの軽さを買われて、全国各地を駆け巡った機関車でしたが、日本国内では66号機が唯一の動態保存機として現存していて、真岡鐵道で「SLもおか」の牽引機として活躍中です。


後ろからも
SLといえば、石炭や水を搭載する炭水車と呼ばれる付随車両がくっついているイメージが強いですが、C12のような小型機ではタンク式といって、機関車自体に水や石炭を搭載するスペースを設けていて、炭水車は必要ありません。


中間車だけだと分かりづらいかも知れませんが・・・


このように形式名が一覧表で表示されているので特定可能でした。
ガチ勢なら中間車の妻面だけでも特定できたりするんでしょうけど、私はまだその境地には達していませんw
それで、先程の車両ですが、「キシ80-12」とあり、キハ80系の食堂車ということになりますね。


キハ40系以前のローカル線の代名詞的存在だったキハ20系列の1つキハ22系ですね。
国鉄からJRグループに引き継がれた他、私鉄や第三セクターへの譲渡もあるなど全国各地で見られた形式ですが、流石に今ではほとんどが引退しておりかなりのレア車種となっています。
JRグループでは既に全廃されており、現在でも走っているのは、いすみ鉄道の観光急行ひたちなか海浜鉄道があり、いすみ鉄道ではキハ20系列のエンジン強化版となるキハ52系が、ひたちなか海浜鉄道では原型を保つキハ20形が運用されています。
しかし、ひたちなか海浜鉄道では既にイベント時に特別運行される程度と運行機会は少なくなっていて、いすみ鉄道は土休日はほぼ必ず運行されるので、一番乗りに行きやすいのはいすみ鉄道でしょうね。

また、ほぼ同形式といえるキハ200形は現在でも小湊鐵道の主力車種として運行されており、こちらは平日でも乗車機会がある分、いすみ鉄道よりも乗車のハードルは低そうです。

更に余談ですが、実はかつては水島臨海鉄道でも運用されており、そちらは乗りに行ったことがあります。


続いてはこちら
ED75形という電気機関車なんですが、こちらは交流専用機となっていて、北海道内の国鉄(JR)の電化区間は全て交流となっていることもあり北海道と縁深い機関車と言えます。
ただし、北海道での運用は国鉄時代に終了したため、JR北海道へは引き継がれず、JR東日本やJR貨物に引き継がれましたが全て引退済みで、現役車両はありません。

また、実はこの機関車こそ今回小樽市総合博物館への訪問を決めた決め手といっていいものだったりします。
というのは、ED75形を含めて古い時代の電気機関車などの電気製品にはPCBと呼ばれる物質が使われていて、これは人体に有害な物質であることから1973年には法的に使用が禁止されたのですが、既に製造され稼働しているPCBを使用した機器については引き続き使用することが認められたことや、既に使用されなくなった機器に含まれるPCBについても適切な処分方法が確立されるのに時間がかかり、不適切な形で処分されるケースが相次いだそうです。
その後、2001年には処理方法の確立が進んだこともあって「PCB処理特別措置法」が制定されて、2027年3月31日までにPCBを処理することが義務付けられました。

こうした状況下で2022年にこれら機関車の元の所有者だったJR北海道より機関車にPCBが含まれている可能性について連絡が入り、その後の調査でその処分方法を検討した結果、大型変圧器以外にも細かい部品にもPCBが使用されている可能性が浮上し、更にPCBと同じく健康被害をもたらすアスベストの存在も確認されたため、確実にこれらを処理するためには老朽化による劣化もあって機関車の解体やむなしという結論となり、ED75形ともう1両展示されているED76形の解体という方針が発表されたのです
私もこの報せを受けて、今回の遠征の中で小樽市総合博物館を訪問することを決めたというのがあったのですが、結果としてはこれは誤算となりました。
それも嬉しい方の・・・といいますのは、いざPCBやアスベストの処理作業を進めてみると、想定よりもPCBを含む部分が少なく、想定よりも多くの部分を残すことが出来ることが判明し、写真にもあるED75-501については車体全体を、もう1両保存されているED76-509については運転台を含む車両前部のみを保存することとなったようです。

写真ではカラーコーンによるバリケードが設けられていますが、これはPCB除去作業を見据えて設置されていたというのもあるでしょうが、仮にも有害物質なので見学者が近寄れないようにしていたということなんでしょうね。
もっとも、PCBについては長期的に暴露した場合に体内に蓄積されて害があるということらしいので、PCBを含む機関車に近づいた程度ではまず影響はないと思われますので、過去に小樽市総合博物館でED76やED75を見学したことがあるという方についてもPCBの影響については過度に心配する必要はないでしょう。
このED75は準鉄道記念物でもありますし、解体を免れたことは本当にいいことですね。


続いてはこちらです。
キハ20系によく似た見た目ですが、キハユニ25-1という形式で、郵便車となります。
側面のドアや窓の配置が一般のキハ20系とは異なっているのが外観上の特徴ですが、郵便車ということで運ぶのは郵便物となります。
今でこそ郵便物の輸送は飛行機や自動車がメインであり、鉄道での輸送は旅客列車の一部分に混載するような小規模なものが残るのみですが、かつては道路事情が今よりも良くなかったこともあって、郵便輸送にも鉄道がよく使われていて、このような郵便物専用の車両である郵便車というのもあったわけです。


ここから先は3両まとめてご紹介です。
手前側からキハ27-11、キロ26-107、キハ56-23となり、まとめてキハ56系と呼ばれたりもします。
北海道での気動車による準急列車に使うために開発されたもので、既に本州で活躍していたキハ55系に北海道の気候に耐えうるような仕様変更を加えたのがキハ56系と言えます。


列車名の札部分には「ちとせ」と表示されていました。
「ちとせ」は札幌~室蘭間を結んでいた準急列車の愛称で、現在の特急「すずらん」の前身といえる列車ですね。


行先は室蘭となっていました。


反対側からも


編成写真っぽく撮ってみました。


この建物も展示室か何かかと思ったらトイレでしたw


そして、敷地内を見渡してみます。
他にも展示車両がたくさんがありますね。
もちろん全部ご紹介するので最後までお付き合い下さい。


踏切が出てきました。
鉄道をメインにした博物館ということで、踏切があってもおかしくはないのですが・・・


実はこの線路、先程も名前が出た「アイアンホース号」が走る線路となっており、つまりはこの踏切も本来の用途で活躍中ということになります。


その「アイアンホース号」ですが、いました。


乗車場所はプラットホームのように盛り上がった場所になっていて、駅っぽくなっていました。


駅名標もありましたが、こちらは「中央駅」というざっくりした駅名でしたw
ちなみに、私は手宮口から入場したため手宮駅が先で中央駅が後という順番になりましたが、メインの入口があるのはこちら、中央駅側になりますので、中央駅が小樽市総合博物館の中央にあるというのは間違いありません。


ホーム上の花壇もSLの形でした。


近くには「アイアンホース号」のための転車台もあります。


この棒みたいなのは車両が転車台に乗り降りする時に動かないようにするためのストッパーですね。


周りには扇形車庫も残っていて、この場所も展示スペースとして活用されているようです。


周囲には別の展示車両も・・・
こちらはDD16形ディーゼル機関車ですね。


諸元などの表示


雪国の北海道らしく除雪車もいました。
現代の除雪車はオレンジのイメージですが、昔は黒かったんですね。


キ1567という形式名なんですね。


それでは扇形車庫の中の車両も見ていきましょう。
こちらはキハ03-1という車両で、キハ01系という形式の仲間です。
レールバスと呼ばれる地方線区向けの小型気動車の国内での元祖とも言える車両であり、西ドイツ(当時)のシーネンオムニブスに範を取った車両でしたが、車体が小さすぎて地方線区といえどもラッシュ時には輸送力不足となってしまう上、総括制御に対応しない設計だったために増結すると1両ごとに運転士が必要となり、コストカットのためのレールバスなのにかえって運転士の分の人件費がかさむ結果となり、結局は従来の大型の気動車を併用する必要があったことや、バスをベースにした設計だったゆえに耐久性は一般的な鉄道車両に劣り、10年程度で引退してしまうという短命に終わった形式でした。
写真では前面部しか見えないので分かりづらいですが、全長は10mと一般的な鉄道車両の半分程度の長さであり、路線バスに使われる大型バスと変わらないサイズ感となっていて、まさにレールを走るバスといえる車両でした。

国鉄ではこのような経緯があったため直接の後継車両が登場することはありませんでしたが、後に富士重工業(現在のSUBARU)が製造した軽快気動車シリーズの「LE-Car」シリーズが同様のコンセプトで製造され、全長12.5mとキハ01系に近い車両として登場しました。
こちらは国鉄末期に相次いで登場した第三セクター鉄道や閑散線区を抱える私鉄を中心に広まりましたが、やはりラッシュ時などに輸送力不足となる問題がついて回り、結局はより車体を大きくしたバージョンが登場し、最終的には16m~18m程度の車体長を持つLE-DCシリーズに結実しました。
しかし、2002年に富士重工業が鉄道車両の製造から撤退したことでLE-DCシリーズも過去のものとなりました。

現在では新潟トランシスが製造するNDCシリーズがレールバスのコンセプトに近いですが、全長16m~20m程度とやはり一般的な鉄道車両に近いサイズとなっていて、逆に言えばこれくらいのサイズの車両がないと輸送力不足になるくらいの路線でないと鉄道として存続できないという指標とも見なせるかもしれません。


こちらも準鉄道記念物のようです。


こちらも除雪車ですが、木目がむき出しなのが面白い外観ですね。


「第1号除雪車」という形式名と言っていいのかも微妙な名前ですが、北海道で最初の鉄道となった幌内鉄道が製造した除雪車を復元したものなんだそうです。


続いてはこちらです。
SLですが、国鉄時代のものと比べると雰囲気が違いますね。


こちらは鉄道記念館と準鉄道記念物より格上の指定がされています。
「大勝号」という名前がついていますが、実はかつて北海道の鉄道では機関車1両1両に個別の愛称をつける慣わしがあって、この「大勝」という名前は完成時に日清戦争に日本が勝ったことを記念して付けられた名前だそうです。
現在だとEF210形が「桃太郎」だったり、EH500形が「金太郎」だったりと、形式単位で愛称をつけるケースはありますが、1両1両につける習慣はないですよね。

鉄道院では7150形という形式名があったようですが、この形式は日本で2番目の国産機関車であったとともに、現存するものとしては最古の国産機関車でもあるそうです。


側面には「大勝號」の銘板が輝いていました。


運転室にも入れました。
SLということで大きなボイラーが特徴的ですが、D51とかC12みたいな国鉄時代の機関車に比べると配管類などが簡素な感じもします。
SLと一括りにしても、大勝号の時代からSLの運用末期ではかなり技術的な違いがあるんでしょうね。


ボイラー部分を横から


煙突も大型機関車に比べると細いですね。
上にあるコーン状のものは機関庫内に煙が充満しないようにするためのダクトで、焼肉屋さんの焼き網の上にあるダクトみたいなものですね。
しかし、わざわざこれを付けているということはボイラーに火を入れることもあるんでしょうかね?


こちらはキ700形という雪かき車であり、車体の両サイドにある板が展開して線路の周囲ごと除雪してしまうという車両です。


こちらもキ700形で2両でセットということのようですね。


後ろから見たところです。


こちらも雪かき車ですが、ロータリー車というタイプで、前面にある大型の回転翼で雪を遠くに跳ね飛ばしてしまうというものです。
現在でも主流のタイプですが、除雪車というとラッセル車と並んでこれを連想する方も多いのでは?


反対側からも


そして、またSLですが、実はこちら、例の「アイアンホース号」なんです。
普段はこうして車庫で休んでいるんですね。
こちらも後で乗りますが運行時刻まではまだ時間があるので、先に他の展示を見ていきましょう。


こちらが「アイアンホース号」の客車ですが、1両だけトロッコ車両なんですね。
時間になったらSLが出てきて連結するんでしょうね。


こちらはキハ82という車両で、キハ80系の仲間ですね。
先程食堂車だけ展示されていましたが、ちゃんと先頭車もいました。
見た目はキハ181系にも似ていますが、キハ80系は日本初の特急型気動車であり、日本各地の特急として使われていたこともあって各地に保存車両がいるようです。

初期グループとなるキハ81形はエンジントラブルなどで故障することが多く、当時運用されていた特急「はつかり」をもじって「がっかりはつかり、事故ばつかり(ばっかり)」と揶揄されたりもしましたが、その改良型となるキハ82形ではそれも対策され、ディーゼル特急の代表格となった時代もありました。


反対側から


トレインマークは「北海」でした。
「北海」は函館~札幌間を結ぶ特急列車で、現在の「北斗」と同じ運行区間であるものの、経路が違っていて、「北斗」は長万部~札幌間では室蘭本線・千歳線を経由するのに対して、「北海」は倶知安や小樽を経由する函館本線(山線)を経由する列車でした。
1986年に廃止されると、山線から特急は消えてローカル線に転落しますが、現在は臨時列車ながら特急「ニセコ」が同じルートを走っていて、ルートだけは今でも残っていると言えますね。
まあ、その山線も北海道新幹線の並行在来線ということで廃止が決まってしまっているんですが・・・


側面の札


JNRのロゴがかっこいいですね。


窓ガラス越しですが車内です。
現代の水準からすると簡素な座席ですが、当時の特急列車は今以上に特別な列車だったでしょうし、これでも当時はかなり豪華な座席だったんでしょうね。


反対側から
階段がついているので中に入れそうだったんですが、入口は施錠されていました。
恐らくは過去には内部も公開していたのが、心無い利用者がイタズラするとかいう被害があって内部公開を取りやめたパターンかも知れません・・・


その隣りにいたのはC55-50でした。
デゴイチやシロクニほどの知名度はないかもしれませんが、一般にイメージするSLの姿をしていますよね。


後ろには客車がくっついていました。
スハ43形という客車で、急行列車に使用する目的で製造されたグループなんだそうです。
私も客車のことはあまり詳しくないのですが、こういう見た目の客車が長編成を組んで急行列車として走っているのはイメージしやすいですね。
あと、エアコンの室外機がついていますが、車内に冷房出来るようにしていたんですかね。
ただし、やっぱりこちらもドアが施錠されており中には入れませんでした。


こういうところに目が行くのがやっぱりマニアという人種の習性ですw


列車名の札は「利尻」でした。
「利尻」は宗谷本線を走っていた列車の名前で、札幌~稚内間の夜行準急列車が始まりだそうです。
2006年まで宗谷本線の夜行列車として種別を特急に変えつつも運行が続いていましたが、利用者の減少から2007年9月30日の運行を最後に消滅しました。
でも、平成の中頃までは運行されていた列車ということで、「北海」とかに比べるとまだ身近に感じる列車です。
まあ、廃止時点ではまだまだ子供で、北海道まで乗り鉄に来られる財力もなかったので乗れずに終わった列車であることに変わりはないんですがw


サボは稚内行きでした。


その隣にいたのはED76-509でした。
ED75のくだりでも説明しましたが、こちらもPCBが含まれていることが判明し、解体される予定だったのですが、想定よりもPCBを含む箇所が少なかったことで一転して今後も保存されることが決まった車両です。
ただし、全体の保存が実現したED75とは違って、こちらは先頭部のみの保存となるようで、全体像が見られるのはもう終わりなんですけどね。

私個人としてはED76は九州でブルートレインや貨物列車を牽引する姿で見慣れていて、ここに展示されている車両の中では現役時代を知る数少ない車両の1つです。
なお、北海道向けの500番台は九州向けに作られた他の番台とは色々と違っていて、特徴的なのは前面部に貫通扉のような部分があるという点ですね。
実際には別形式といえるくらい違いがあるようなのですが、あえて同形式としたのは当時の労使問題があったようで、新型車両としてしまうと導入に当たって労働組合との折衝が必要になり、この労力を嫌って同形式扱いにしたという話もあるようです。


C55とED76の並び


この角度だと編成写真っぽくなっていいですね。


後ろにくっついていたのは郵便車のスユニ50形でした。


最後尾の方へ移動して


反対側から


郵便車の中にも入ることが出来ました。
迅速に積み下ろしが出来るように側面が大きく開く構造になっていました。


こんなスペースもあったんですが、職員が休憩したりするスペースだったんでしょうかね?


2つの列車の間のスペースはまるでプラットホームのようです。


オハ36についていた小樽行きのサボを撮ったら次の車両のところへ向かいましょう。


その前にちょっと寄り道です。
こちらの小さな建物ですが・・・


内部にはガレージのような空間が広がっていました。


中にいたのはこちら、なんと自動車です。
実は小樽市総合博物館では鉄道だけでなくて自動車も僅かですが展示されていて、スペースが1台分しかないためか展示は入れ替え制となっていて16台ほどある収蔵品の中で1台のみ入れ替えで展示されています。
今回展示されていたのはロールス・ロイスのシルヴァーシャドウという車だそうで、小樽で幼少期を過ごした石原裕次郎氏の愛車だった車だそうです。
車についてはあまり詳しくないので、この車種についての解説とかは出来ないのですが、石原裕次郎氏の愛車だったと聞くとここに展示されるにふさわしい車両だと思えてきますね。


元オーナーが石原裕次郎氏ということもあって同氏主演の映画のポスターも展示されていました。


続いては貨車の展示です。
こちらはヨ6000形という車掌車ですね。
車掌車というのは貨物列車の最後尾によく連結されていた車両で、名前の通り車掌さんが乗務するための車両です。
現在では貨物列車には車掌さんはおらず、運転士さんのみのワンマン運行が主流ですが、昔は貨物列車にも車掌さんがいて、そのための車掌車というのがありました。
貨物列車なのでアナウンスを流すとかドアを開閉すると言った仕事はないわけですが、昔は連結器の信頼性が低く、走行中に列車が分離してしまう事故が多かったので、そういった時に車掌車からブレーキを掛けて停車させるためという理由もあったみたいですね。


続いてはホキ2200形というホッパ車です。
ホッパ車というのは砕石・セメント・小麦といった粒状のものを袋詰などせずにそのまま積み込むことに特化した貨車です。
貨車の大半がコンテナ車となった現代においても鉄道の軌道に敷く砕石(バラスト)の運搬やフライアッシュや炭酸カルシウム・石灰石といった積み荷においてはホッパ車の需要もまだ残っているため、現代でも活躍する貨車のジャンルとなっています。


こちらはトラ55000形という無蓋車です。
名前の通り蓋がない貨車ということで、屋根がないのが特徴です。
砂利や鉱石・木材など雨にぬれても構わない積荷を運ぶための貨車です。


こちらはワム80000形という有蓋車です。
先程の無蓋車の反対に蓋があるということで、屋根付きの貨車です。
最も古典的な貨車の一つで、コンテナ車が普及する以前の時代を知る人は、貨物列車といえば有蓋車が連なる姿をイメージする人も多いのではないでしょうか?
ただし、コンテナが普及するとそちらに取って代わられる形で、現在では既に使われていません。


こちらはセキ6000形という石炭車です。
名前の通り石炭を運ぶための貨車であり、かつて多くの炭鉱があった北海道とも縁が深い貨車ですね。
構造的にはホッパ車と同じなんですが、石炭輸送は鉄道の最初期から行われていたことからホッパ車という概念ができる前から石炭車として区分されていたことや、砕石と石炭では比重が異なるため耐荷重や積載容量が異なってるなどの差はあったようです。

しかし、2020年に秩父鉄道で行われていた最後の鉄道による石炭輸送が廃止されると役目を終えて、現在では既に活躍していないジャンルの貨車となってます。


その先頭に立っていたのはDE10形ディーゼル機関車でした。
「デーテン」の愛称でも知られる機関車ですが、DD51形よりは小柄なボディーを活かして地方線区だったり入換機関車として活躍しています。
現在でも入換用や工事列車などの牽引、客車による臨時列車の牽引などで活躍していて、運行頻度が高いものでは、「釧路湿原ノロッコ号」や「奥出雲おろち号」がありますが、「奥出雲おろち号」は既に運行終了が決まっていますし、入換機関車としての用途も後継機関車への置き換えが進んでいますから遠からず引退してしまうことでしょう。


後ろから見たところです。


地方線区の無煙化に貢献したDD51形ディーゼル機関車です。
「デデゴイチ」という愛称でも知られますが、DE10形よりもパワフルなエンジンを搭載していて、貨物列車や長大編成の旅客列車の牽引でも活躍していました。
北海道では「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」「はまなす」などの客車による夜行列車の牽引機として活躍していましたが、いずれも列車自体が廃止されてしまい旅客列車の牽引機としては活躍の場がなくなり、その後貨物列車の牽引機としても2021年を持って引退しており、既に定期運用はなくなっています。
JR東日本とJR西日本にまだ残っているようですが、運行は不定期ですし、JR東日本については代替となるGV-E197系を投入中で、置き換えは時間の問題でしょう。


こちらはオエ61-309という救援車です。
救援車というのは事故などのトラブルがあった際に現場に駆けつけて対処するための車両です。


こちらは中にも入れるみたいですね。


内部はこんな感じです。
意外と殺風景ですが、ここは作業員が待機するための場所とかなんでしょうか?


簡易的なものですが台所があったり・・・


流し台もありました。
現場での作業が長期化した場合に備えて簡単な煮炊きが出来るようにしているんですかね。
ここで生活できそうw


奥の方も長椅子が並んでいるので、簡易ベッドとしても使えそうです。


決して快適とは言えないでしょうが、横になって寝られるだけいいんでしょうね。


その先はこんな風に工具や資材が並ぶ空間になっていました。
実際の復旧作業に使う工具なんかを格納する場所なんでしょうね。


全体像はこんな感じ
ここを見ると走る工場みたいです。


本当にすごい数の工具です。
これだけの量を運べるのは鉄道のキャパシティの大きさゆえですね。


ドラム缶やワイヤーなんかも積んでいるようです。


枕木などの大型の資材も並んでいました。


寒冷地の北海道ではストーブも大事ですね。


こちらはソ30形という操重車です。
操重車というのはいわば鉄道版のクレーン車ともいえる車両で、大規模な鉄道工事や脱線事故の現場などに駆けつける車両です。
ただし、現在では道路事情が良くなって自動車のクレーン車が現場に駆けつけることが出来るようになったために操重車は徐々に活躍の幅を減らしました。
このソ30形は操重車の中でも大型の部類で、脱線事故の復旧にも使えるものだそうです。
最大65トンを持ち上げることが出来るんだとか。
ただし、やはり自動車のクレーン車の方が使い勝手がいいこともあって国鉄時代には消滅し、JRグループに引き継がれることはありませんでした。

写真手前はクレーンの腕に相当するブームを収めるための控車となっていて、奥のほうが本体となります。


その本体の方ですが、クレーンの基部を回転させるために大きな歯車がついています。
側面には岩見沢とありますから、岩見沢に常駐していたようですね。


これはアウトリガーというやつですね。
アウトリガーというのはクレーンを装備した車両についている装備で、左右に張り出すことで横方向に荷重がかかっても転倒しないように支えるための足です。
これは自動車のクレーン車にも搭載されていますよね。


この最後尾にもやっぱり車掌車がついていました。
ところで、この手の事業用車が走行するときもやっぱり車掌さんも乗務していたんでしょうかね?


こちらはDD14形というディーゼル機関車ですが、除雪用の機関車となってリ、写真のように除雪用のヘッドを取り付けて使用します。
ヘッドを外すと普通の機関車としても使えるようですが、後退時の視界が悪く実際にはあまり使われなかったようです。

現在は除雪用にはモーターカーを使うことが多くなり、DD14形はJR東日本が1両を保有するのみとなっていてもはや風前の灯火ですね。

といったところで、そろそろ「アイアンホース号」の走る時間が近づいてきたので、そちらを見に行くとしましょう。

「アイアンホース号」に乗る

それではここからは「アイアンホース号」に乗車します。
そのレポートに入る前に「アイアンホース号」について解説しておくと、「アイアンホース号」は小樽市総合博物館の敷地内の200mほどを走るSLの動態保存列車で、敷地内にある中央駅と手宮駅の間を往復します。
他の鉄道博物館でもこのように実際に乗車できる列車を走らせている例はあり、例えば京都鉄道博物館では「SLスチーム号」として敷地内だけですが実物のSLに乗れたりしますが、京都ではSLに乗るのは別料金が必要なのに対して、小樽市総合博物館では入館料だけで乗れてしまうので小樽市総合博物館を訪れたらぜひとも乗ってみて下さい。
ただし、運行は夏季のみとなるので、冬季に訪れる場合は走っていないため注意が必要です。
運行回数は1日あたり3~4往復とそれほど多くはないので、入場したらまずは「アイアンホース号」の時間を確認して、それに合わせて見学の時間配分をするといいでしょう。


↑車庫から出てきて転車台で向きを変えるシーンは動画でどうぞ
この転車台も見どころの1つですよね。
時間の都合とかで乗車はできないという方も転車台だけでも見学するといいと思います。


↑続けて機回し線を進んで客車と連結します。


連結完了!


ここで編成写真っぽく撮ってみました。
ここで機関車についても解説しておくと、「アイアンホース号」に使われている機関車はポーター社製のテンダー式で1909年生まれです。
グアテマラで使われた後、アメリカに渡り、最後はミネソタ州のテーマパークで使われていたものを小樽市総合博物館が譲り受けてこうして「アイアンホース号」として余生を送っています。
外国製で、製造後の大半の時間を外国で過ごしているなど、日本国内で保存されている機関車としては異例ですが、ポーター社は幌内鉄道の7100形蒸気機関車を製造したメーカーでもありますから北海道と縁がないわけでもないですね。

実を言うと日本の鉄道ではイギリスの技術を導入する形で始まったのが、北海道だけはアメリカの技術を導入する形で始まっていて、北海道で活躍したSLのうち、最初期のものはアメリカ製というのが多く、スタイルもアメリカっぽいんですよね。
そのため、アメリカの西部劇とかに出てきそうな見た目をしています。


↑まだ発車まで時間があるので転車台を見に行ったのですが気になるものがありました。
既にSLはいないのに、プシュッという音が聞こえていたのですが、どうやら転車台を動かす動力として空気圧か何かで動く機構が使われているみたいですね。
棒を人力で押していたので人力で動くんだと思っていたんですが、流石に動力でしたかw
それにしても、モーターとかじゃなくて空気圧のシリンダーで動かす方式もあるんですね。
これは初めて見ました。


写真でもどうぞ


腕木式信号機もありました。


このオブジェですが・・・


実は0キロポストのオブジェです。
かつてここにあった手宮駅は幌内鉄道の起点であり、いわば北海道の鉄道発祥の地と言えますからね。


それでは中央駅から乗り込みます。
特に予約や整理券も必要なく、時間が近づいたら駅の近くで並んでいれば乗れます。
ただし、この日は平日で空いていたというのもあるでしょうから、混雑する連休などに訪れる場合は対応が違うかもしれません。


よく見るとちゃんと信号機もあるんですね。


このトロッコ風の客車も楽しそうですが・・・


客車の方に乗ることにしました。
レトロ風の雰囲気ではありますが、綺麗ですね。


網棚という言葉がありますが、現代の網棚は実際には編みではないことも多い中、この客車は本当の意味での網棚ですね。


ちゃんと座席番号まで付けられていますが、別に指定席ではないんですよね。
混雑時には指定席として運行することもあるのか、単なる雰囲気作りなのか・・・


↑車窓を撮りましたのでどうぞ
数々の展示車両も見られるので、営業路線の車窓とはまた違った楽しみが出来ますね。


手宮駅に到着しましたが、もちろん折り返し乗車します。
このまま逆機運転するのかと思えば、ちゃんと転車台で向きを変えて機回しまでするというこだわりぶりでした。
別のところに書いてあったんですが、「アイアンホース号」は単に車両の動態保存というだけでなくて、転車台による方向転換や機回しも含めて一連の運行の流れも保存しようという方針なんだそうです。
今や動力集中方式の列車も少なくなって、転車台や機回しも貴重な光景になっていますしね。


↑というわけで手宮駅での方向転換シーンをどうぞ


機回し線に向かいました。


↑機回しを終えて戻ってきて再び連結です。


連結完了したら乗り込みます。
なお、必ずしも往復乗らなくてはいけないわけではないみたいなので、移動手段も兼ねて利用するのも手ですね。
例えば中央口から入場して手宮口のあたりまで徒歩で見学して、帰りは「アイアンホース号」に乗って戻るなんてパターンもありだと思います。


今度はトロッコ風の客車に乗ってみました。
向きが変わって今度は機関車のすぐ後ろになるのもポイント高いです。


↑やや変わった構図ですが前面展望です!

そして、中央駅に戻ってきました。


↑中央駅付近にある踏切ですが、電鈴式だったのが嬉しかったです。


最後に再び機回しをしてホームに入るところを撮ったら「アイアンホース号」はこれくらいにして、次の展示に行こうと思います。

屋内展示を見る

ここまでは全て屋外にある展示を見てきましたが、ここからは屋内の展示を見ていきます。
大体は屋内展示は資料がメインというパターンも多いんですが、小樽市総合博物館では屋内にも車両展示があるので、お楽しみに!


このレンガ風の建物がそれです。
中央口から入場するとここからスタートとなりますが、今回は逆になってしまいましたね。


内部の展示で目玉となるのはこちらですね。
これまたアメリカンスタイルな機関車ですが、「しづか号」と言います。


反対側からも
この「しづか号」は7100形という機関車の1両で、かつての北海道の鉄道では機関車1両1両に愛称をつける風習があったのは既述の通りです。
なお、もう2両「義経号」と「弁慶号」というのも現存しており、こちらは京都鉄道博物館と鉄道博物館(大宮)にて展示されています。
この「しづか号」と「義経号」「弁慶号」は共に鉄道記念物に指定されています。


ここにも「アイアンホース号」の案内がありました。
下調べなしで訪問した場合は存在に気づかないパターンもあるんですかね。


側面には「しづか」の文字が誇らしく掲げられていました。
ちなみに、「義経号」が源義経から採られた名前であることはすぐに分かると思いますが「しづか」は誰の名前が由来かというと静御前という室町時代の人物で、源義経の妾だったそうです。
つまりは義経号と対になる愛称ということになり、そんな2両が場所は違えど鉄道記念物として博物館で余生を送っているというのは何らかの因果を感じますね。

余談ですが、7100形蒸気機関車の他の車輌に付けられた愛称としては「弁慶」「比羅夫」「光國」「信廣」があり、いずれも歴史上の人物の名前から採られています。
車両の愛称に限らず、列車の愛称としては日本では人名を採用する例は珍しく、「いさぶろう」「しんぺい」(山縣伊三郎と後藤新平が由来)と、「かいおう」(魁皇関が由来)がくらいでしょうか。


普通なら車番が書いてあるであろう部分にも”SHIZUKA”と書いてありました。


運転士にも入れたのでボイラーを撮りました。
屋外に展示されていた機関車と似たような感じですが、時代が同じだからですかね。


炭水車ですが、現役時代には石炭と水で満たされている場所が空っぽなのは展示車両ならではでしょうか。


後ろには客車もいました。
「い1」という現代の形式名の命名規則とは違った名前を持っていますが、北海道炭礦鉄道という私鉄が製造した客車であり、こちらも鉄道記念物だそうです。


右から読む「一等」の文字は歴史を感じさせます。
現代ではいうところのグランクラスに相当する車両ですが、グランクラスは庶民でもちょっと奮発すれば乗れる存在ですが、この時代の一等車は本当の上流階級の人しか乗れなかったんでしょうね。
現代で言うならば「四季島」とか「トワイライトエクスプレス瑞風」とか「ななつ星 in 九州」くらいの感覚でしょうか。


英語でも表記されていましたが、明治時代の車両ですし、この時代に外国人が利用することってどの程度あったんですかね。


一部ですが中にも入れました。
流石に現代の水準からすると特別に快適な車両ではないかもしれませんが、細部の装飾などは一等車にふさわしい車両にすべく施されたんでしょうね。


屋根にも板目が見えていて、本当に全て木でできているんだなと分かります。
今では鉄道車両は金属で作られるのが当然で、木は装飾のために部分的に使う程度ですが、明治時代なら客車は木製が当たり前だったんでしょうね。


ここからは細かい物品の展示です。
歴代の制服のようですね。


CTCの制御盤みたいなこれですが・・・


このスイッチでポイントを操作して列車を正しい進路へ誘導するというゲーム要素のある展示のようです。


説明もありました。
出発ホームと到着地を選べるので何パターンかあるみたいですが、せっかくなので遊んでみましょう。


↑その模様は動画でどうぞ
列車は光の点で示されており、ポイントも開通方向のランプが点くことで表されるなど、初期のPCゲームにありそうな感じでしたが、ある程度鉄道の知識がないと何をどうすればいいのか分からない気もしますw
なお、間違った進路に誘導してしまったら即ゲームオーバーという初見バイバイ仕様ですw


こんなものがありました。
「壱萬哩記念」とありますが、1万マイルは約16,000kmですから、日本の鉄道の総延長が16000kmに到達した記念ということで作られたんですかね?
鉄道をモチーフにしたすごろくというと「桃太郎電鉄シリーズ」が思い浮かびますが、それのご先祖様ということもできそうです。


北海道を走る列車の銘板やきっぷなど


写真や図面の展示


鉄道標識の数々


扇形車庫の模型がありました。


小樽市の歴代の空中写真をプロジェクションマッピングのように表示する展示もありました。


鉄道を建設している場面を再現したジオラマもありました。
木製の橋なんて、それこそ西部劇にありそうです。


まさにレールを伸ばしていく最前線ですね。
重機もない時代なんでしょうけど、全て人力でやってしまうなんて今では考えられません。


橋を架ける場面ですね。


こちらはトンネルを掘っている場面のようですが、TBMなんて便利なものもなく、全て素掘りですね。


そして、ついに完成した線路を一番列車が走り、それを出迎える住民というシーンでしょうか。
今でも新しい鉄道ができるとなれば地元はちょっとしたお祭り騒ぎとなるでしょうけど、今ほど交通機関が発展していない時代では鉄道の開通のインパクトは現代の比ではないでしょう。


こちらは港の光景ですが、船の真横まで線路を伸ばして、直接積み下ろしできるようにしているんですね。


ジオラマを交えつつ手宮の鉄道について解説する映像もありましたが、流石に全部動画撮影して紹介するのは著作権的にまずそうなので写真だけ・・・


SLの銘板は定番の展示ですよね。


ここからは模型による車両展示です。
定山渓鉄道の車両らしいですが、現在は”じょうてつバス”というバス会社として存続していますね。


夕張鉄道と森林鉄道とありますが、夕張鉄道はともかく、森林鉄道って一体どこの森林鉄道なんでしょうかw
まあ、森林鉄道って営林局が管轄していたはずで、どこでも似たような車両が走っていたのかもしれませんが・・・


と思ったら別の森林鉄道もありました。
こういう小さな機関車の方が私の中の森林鉄道のイメージに近いですね。

奥には寿都鉄道もいますが、函館本線の黒松内駅から寿都駅までを結んだ鉄道でした。
しかし、末期は利用者離れで経営が悪化し1968年には鉄道事業を廃業し、バス部門のみが残りましたが、それも長くは続かず最終的に会社ごと消滅してしまいました。
なお、運行していた寿都と長万部を結ぶバス路線は現在ニセコバスが引き継いで運行しています。


かつて北海道にはよくあったという殖民軌道もありました。
もはや馬車鉄道そのものですが、殖民軌道というのは泥濘がひどいなど道路交通が困難な場所に建設された軌道で、仕組みとしては鉄道そのものですがその運行形態は鉄道とは異なっていて、内務省(当時)が建設費用を負担するものの、動力となる馬は利用者自身で用意して運行され、更に時刻表などもなく各々が好き勝手に走らせていたようです。
となると単線区間でかち合った場合にどうするかですが、その場合は積み荷が軽い側が一度軌道を外れて進路を譲るという「模型じゃないんだからw」と言いたくなるような方法をとっていたようです。
このため、実態としては道路感覚で利用される鉄道といったところだったようです。
道路整備が進むと役目を終えて姿を消していきましたが、中にはディーゼル機関車や気動車を導入して、ダイヤも設定されるなど一般の鉄道と遜色ない実態を持つものもあったそうです。


2階へ上がると、そこは「科学展示室」でした。
そういえば、小樽市総合博物館は小樽市青少年科学技術館の流れも汲んでいますから、その要素なんでしょうね。


内部はこんな感じで、よくある青少年科学館って感じですね。
まあ、せっかく来たので見ていきますけどねw


なんかレトロな感じのロボットもいましたw


かつての青少年科学技術館の痕跡も残っていました。


AIBOも今や懐かしいアイテムになりましたね。


回転運動を往復運動に変換するクランク機構の模型ですね。
内燃機関や蒸気機関車にも欠かせない機構ですが、あちらは往復運動を回転運動に変換なので逆に使っていることになりますが・・・


アーチ構造の模型です。
アーチ橋やトンネルにも使われる構造ですが、実はこの模型は1つ1つのブロックは接着などされておらず自重で噛み合う力だけで形を保っています。
実際の橋やトンネルでは何らかの接着をしているんでしょうが、それでも丈夫な構造であることは間違いないです。


こちらは電磁石で鉄球を操ってコースを一周させるというもののようです。
スイッチを押している間だけ磁力が発生するので、タイミングよく押す必要があります。


↑これは動画の方が分かりやすいでしょうから動画でどうぞ


このレールのようなやつですが・・・


様々な形の車輪を転がしてゴールまでたどり着けるかってやつです。
鉄道がどうしてレールに沿って進めるのかを視覚的に理解できる展示で、鉄道博物館では定番ですよね。
写真で私が手に持っているやつが正解のやつで、踏面勾配という傾斜があるおかげでカーブの内側は半径が小さい部分でレールに接し、外側は半径が大きい部分でレールと接することとなるため、カーブの内外で進み具合に差が生じて自然にレールに沿って曲がるように出来ています。
これが鉄道にはハンドルがないのに曲がれる理由ですね。


直流と交流の違いを説明する展示です。
鉄道にも関係ある展示ですね。


↑これも動画でどうぞ


電圧と電流という小学校の理科でやるような内容ですが、電気関係の仕事でもない限り忘れてる人が多いですよねw


磁石にくっつくかどうか的な


科学実験の定番のプラズマボールもありました。


ロケットの模型もありました。


このパラボラですが、金具の丸い部分で話すとパラボラによって反響して・・・


遠くにあるもう1つのパラボラの前にいる人と離れているのに会話ができるというものみたいです。
ただ、残念なことにこれって必然的に2人いないと体験できないんですよねw

そういえば、「Dr.STONE」でもパラボラに音爆弾を組み合わせてとある重要なシーンで使われていましたね。
ネタバレになるので詳しくは書きませんが、興味がある方は見てみて下さい。


吹き抜けになっていて、1階に展示されている「しづか号」がよく見えました。


逆アングルから


あと、外へも出られたんですが・・・


ここからも屋外展示がよく見えました。

さてあとは帰るだけかと思ったんですが・・・

蒸気機関車資料館も見る

実はまだ見ていない場所として「蒸気機関車資料館」なる場所があることが分かりまして、最後にそこを見てから帰りたいと思います。


この主張弱めの場所が「蒸気機関車資料館」です。
ところで、隣にはラジコンカーを操る人が何名かいたんですが、敷地をラジコンカーのサーキットとして貸し出すとかやっているんでしょうかね?
調べてみると本当に貸サーキットがあるみたいで、小樽市総合博物館の意外な姿に驚きました。


内部はこんな場所でした。
そんなに広くはないですが、SLのパーツがたくさんです。


SLの模型がありました。
よく小さい子供を乗せて走っているようなサイズ感ですね。


レールカートとか


動輪もありました。


細かい道具や部品がたくさんです。
ただ、あまりにマニアックすぎるのかここはあまり見学している人はいませんでしたね。


これだけパーツが揃っていたら1両のSLを組み上げられそうですw


それではそろそろ帰ります。
ゲートは改札口っぽくなっているのが芸が細かいですね。


外から見たところです。
チケット売り場も出札窓口みたいなデザインになっていて、本当に駅みたいです。


この立像は「ジョセフ・ユーリー・クロフォード」という明治時代のお雇い外国人として来日したアメリカ人の鉄道エンジニアです。
そういえば、三笠市には「クロフォード公園」という場所もありますね。


こちらが小樽市総合博物館の外観です。


手前にゲートがありますが、敷地内と敷地外を隔てるだけで、自由に通行できるみたいですね。


看板はだいぶ年季が入っていましたw


外にも車両が保存されてましたが、こちらはカフェとして活用されているみたいです。


駐車場の看板を撮ったら撤収です。

帰路に就く

それではあとは帰るだけです。
8日間にも渡る遠征もついに終わりですが、家に帰り着くまでが遠征ということで、東京へ戻るまでレポートすることとしましょう。


小樽市総合博物館を出ると目の前には「手宮洞窟保存館」なる場所もありました。
名前の通り洞窟みたいですが、そろそろバスの時間が近いので、今回は見送りですね。
再訪時の宿題ということでw


実は国指定史跡なんですね。
更に総合博物館の共通入館券を持っていれば無料で入れるみたいです。
まあ、私の場合は本館だけの入場券なので関係ないですがw


駅前の道路上にバス停があります。


その名も「総合博物館前」とそのまんまです。
冒頭で書いた通り、「総合博物館前」を経由するバスとしないバスがあるのですが、ちょうど経由するバスが来る時間だったのでこのままここで待ちます。
私と同じく博物館帰りの人もいるようで10名弱並んでいました。


バスがやってきました。
あとは普通に乗車して小樽駅まで向かいます。

なお、ここでデジカメのバッテリーが切れてしまったため、しばらくの間スマホがピンチヒッターを務めます。
よって、画像のアスペクト比が変わりますがお気になさらず・・・


あとは「エアポート」で新千歳空港へ向かうのですが、乗り換えにしばらく時間があるので駅前のバスターミナルの様子を見ることにしました。
スイッチバック式バスターミナルはバスのは発着を見るだけでも楽しいですからね。


↑ここはやっぱり動画でこそ楽しめるでしょうからどうぞ


↑更にもう1本


あとは電車を待つのですが、手元にはこんなものがw


こちら「なると屋」さんの若鶏半身揚げという商品で、小樽の名物の1つだそうです。
テレビで見て興味を持っていたのですが、せっかく小樽に来ているのでこの機会に食べることにしたのでした。
ただ、半身揚げというくらいですからボリュームがすごくて食べきるのに苦労しましたw
あと、骨付きなのでこれは駅のホームで食べるものではないなと思いましたw
まあ、美味しかったのでオールOK ですけどw


それでは「エアポート」で新千歳空港へ向かいます。
観光帰りの人が多くて混み合っていました。


道中は大胆にカットして新千歳空港に到着!


最後に「エアポート」を撮って撤収です。
これにて今回の遠征でのJR北海道撮り納めですね。


SNSで話題になっていたやつですね。
北海道と本州の地図を重ねて北海道のスケール感を視覚的に分かりやすくしていますね。
北海道初心者がやりがちですが、函館と札幌と富良野を2泊3日くらいで回ろうとしちゃったりしがちですよね。
本州で言うなら名古屋を見てから長野に寄って東京へ行くみたいな感じでしょうか。


記念撮影用のパネルもありましたが、発車標とかきっぷもあるのは鉄道ファンもニッコリですねw


721系「エアポート」を使った記念撮影用のパネルもありました。


巨大な「HOKKAIDO LOVE!」のオブジェ
そういえば、旅行支援事業の名前も「HOKKAIDO LOVE!割」でしたし、以前に北海道の支援で発売されたJR北海道乗り放題の切符も「HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」でしたね。

まだ飛行機の時間までは少しあるので空港内をウロウロしていたんですが・・・


こんな場所を発見しました!
まさか、こんなところでミクさんに会えるなんて・・・!?
そういえば、初音ミクの販売元の「クリプトン・フューチャー・メディア」は札幌の会社でしたね。
また、以前に札幌市電で運行された「雪ミク電車」に乗ったこともありましたね。


テーブルでは北海道弁講座もw


さらにこんなブースも


ボカロ勢ぞろいですねぇ~


等身大ミクさんフィギュアもいました。
これは本当に会ったみたいで嬉しいですね。


グッズもすごい数です。
これをタダで見られるんだからすごいですね。
他に初音ミクが北海道の名所を案内してくれるVRとかもありましたが、それは写真や動画での紹介が難しいので文章だけでw

ミクさんはこれくらいで他に何かないかと探していると・・・


空港らしく飛行機のオブジェがありました。


あとは最後にラーメン!


丼で北海道の形を表現しているのが面白いですね。


頂いたのは弟子屈ラーメンです。
前々から気に入っていて北海道に行ったら大体食べているんですが、今回は半身揚げのおかげでそんなにお腹が空いておらず食べるかどうか悩みました。
でも、北海道の最後を飾る食事としてやっぱり外せないなと思って食べることにしました。
これで北海道でやり残したこともなくなりましたし、あとは搭乗手続きを済ませてロビーでのんびりしましょう。


あとはターミナルの窓から飛行機を撮ったりして暇をつぶします。
写真は韓国のLCCの「ティーウェイ航空」という会社です。
となると必然的に国際線ということですが、富良野とか外国人だらけでしたし、国際線の運航もだいぶ再開されてきているんでしょう。


続いて「北海道の翼」の通称でおなじみのAIR DOですね。
私も過去の遠征で何度もお世話になりました。


それから国内線LCCの大手のピーチです。
しかも2機並びました。
実は今回利用するのもピーチなんですよね。

それでは時間となり搭乗します。
すっかり乗り慣れたこともあって写真すら撮らずに乗り込み、成田までひとっ飛びです。
行きは18時間もかけて移動したのに、飛行機だと1時間半とかで着いちゃうんだからすごいですよね。
成田空港に到着したら京成線で都内へ戻るのですが・・・


↑「スカイライナー」の通過シーンです。
これから乗車するのは京成本線ですが、「スカイライナー」は成田スカイアクセス経由なので、京成本線の駅を”通過”するわけです。


「スカイライナー」を羨望の眼差しで見つめつつ、私は節約して京成本線の特急で帰りますw

というわけで、7泊8日という史上最長規模の遠征もこれにて終焉を迎えました。
ここまで長いと北海道にプチ移住をした気分になってきましたが、成田空港に降り立つと日常に引き戻されるのだから不思議なものですw

レポートもかなりの長編となり書いていた私も疲れましたが、読んで下さった読者の方々もお疲れ様でした。
そして、最後までお付き合い頂きありがとうございました。

次回ですが、関東近辺での単発活動をしているのでそのレポートでお愛しましょう。

それでは!

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