北海道遠征2023(7日目/網走編)

車中泊込みで7泊8日で実施した北海道遠征の7日目です。
なお、1・2日目3日目4日目5日目6日目をご覧になっていない方はそちらから先にご覧になることをおすすめします。

本日の行程

それでは早速7日目の行程の説明から入っていきます。
実を言うと、趣味的な活動といえるのは札幌から網走まで往復乗車する特急「オホーツク」のみということになり、網走での滞在時間は私の旅にしては珍しいものの観光をして過ごします。
これは「オホーツク」で網走に到着してすぐに折り返すと、折返し列車は旭川止まりの「大雪」となってしまい、旭川~札幌間でキハ283系に乗ることが出来なくなるというのもありましたし、すぐに折り返して来ると札幌に早く着きすぎてもったいな気がしたというのがありました。
観光の内容は記事を読み勧めながら把握して頂くとして、説明は以上とします。

まずは「オホーツク1号」で網走へ

というわけで7日目のレポートの本編が始まっていきます。


朝の札幌駅前から始まった7日目ですが、ここで1つの懸案事項がありました。
それは、ホテルの無料朝食でして、6時半から始まるのですが、列車の発車は6時50分でした。
ホテルは本当に駅前にあるので、ギリギリを攻めるならば5分前にホテルを出ても間に合いそうですが、流石にそれで乗り遅れたら今日の行程が崩壊することになるので、余裕を見て10分前にはホテルを出たい・・・となると開始10分後にはホテルを出ないといけないということでギリギリ食べられそうではあるけれど、かなり慌ただしいことが予想されました。
ただ、仮にホテルで食べていかないとすると、早めに出発して駅周辺の飲食店を利用するか、駅弁でも買い込んで車内で食べるの2択になりますし、なによりせっかくの無料朝食を食べないのはもったいないというケチ根性を発揮してホテルで無料朝食を食べることにしたのですが、連泊ということでチェックアウト手続きはいらないものの食事が終わったらすぐに出られるように荷物を持ったまま食事会場へ向かい、開始と同時に会場入りして急いで食べて即出発という慌ただしいものとなりましたw


というわけで無事に朝食は食べられたものの、慌ただしい気持ちで駅にやってきました。
この日の旅の始まりということで発車標を貼っておきましょう。
見出しにもある通り「オホーツク1号」に乗るのですが、ここで「オホーツク」について解説を入れてから本編に入っていきましょう。

「オホーツク」は札幌と網走を結ぶ特急列車であり、札幌や旭川とオホーツク振興局管内にある北見や網走とを結ぶ役割を持ち、石北本線を代表する列車と言えます。
愛称自体は1959年から使われていますが、現在の運行形態となったのは1972年のことでした。
JR北海道移管後の1992年には昼行4往復・夜行1往復の5往復体制となりましたが、2006年に夜行便が廃止され4往復に削減され、更に2017年には4往復のうち日中に走る2往復を旭川~網走間の「大雪」に置き換える形で「オホーツク」は2往復となりました。
ちなみに「オホーツク」という列車名はオホーツク海に由来していますが、オホーツク海自体はロシア語を由来としているので、間接的ではありますが、日本の列車で唯一ロシア語を由来とする愛称を持つ列車でもあります。

使用車種の面ではJR北海道の気動車特急列車では最後までキハ183系が定期運用されていた列車としても知られており、2023年3月のダイヤ改正までキハ183系が運用されていて、キハ183系最後の活躍の舞台でもありました。
しかし、キハ183系もいよいよ老朽化が進み引退を迎えることとなり、その後釜を担ったのは、2022年3月のダイヤ改正まで「おおぞら」で活躍していたキハ283系だったのです。
キハ283系に続くように2022年9月末をもって定期運用を終了した「北斗」に使われていたキハ281系は第二の活躍の舞台を与えられることなく引退したのとは対照的な結末となりました。
この2車種はデビューが2~3年の差しかなく、ほぼ同期といえる車両だったんですけどね・・・
とはいえ、キハ281系・キハ183系が相次いで引退したことで、JR北海道の特急型気動車はキハ261系かキハ283系の2種類になってしまいましたから、キハ283系は少数派ながら末永く頑張ってほしいと思います。


それではレポート本編に戻りまして、ホームへ向かうと既に列車は入線していました。
そりゃあ、朝食のためにギリギリにホームへ向かったんですから当然ですけどねw

それにしても、この車両が札幌にいると釧路へ連れて行かれる気がしてしまいます。
先頭部に出ている「オホーツク」の表示がとても新鮮です。
あと、「おおぞら」時代にはなかった点として、先頭部側面に沿線自治体の名前とそれをモチーフにしたイラストが描かれているのがありますね。
写真に写っているのは美幌町ですね。


トレインマークをアップで
オホーツク海の流氷を表現したであろうイラストも作り込んでいていいですね。


それにしても、この行先表示器で「網走」という文字を見る日が来ようとは・・・

発車ギリギリにやってきたこともあって時間もないため乗り込みますが、ここで想定外のことが・・・
それは窓際の席が全滅だったことです。
当ブログ常連さんはおなじみでしょうが、私は自由席が好きなので今回も自由席だったんですが、それが災いしましたねぇ・・・
実はキハ183系のさよなら乗車ということで、昨年の遠征でも同じ「オホーツク1号」に乗っているのですが、その時はキハ183系引退まで残り半年程度というタイミングでさよなら乗車組が多い時期であったにも関わらず余裕で窓際を確保できており、それならばさよなら乗車組がおらず、逆にデビューからも半年ほど経っていて新しもの好きな人たちもそんなに殺到していないであろうという読みは外れた形になりました・・・

あと、もう1つ原因があったんですが、それはキハ283系に置き換えられたことで、従来は4両編成だった「オホーツク」が、3両編成に短縮されてしまい、自由席に限って考えても従来は1号車まるごとと2号車の半分が自由席であり、1.5両分の座席が供給されていたのが、キハ283系になって以降は自由席は1両のみとなり、単純計算ではありますが、自由席として供給される座席数が3分の2になったことになります。
特に札幌~旭川間は主力列車の「カムイ」「ライラック」が自由席主体の列車であることもあって利用者が自由席を選ぶ傾向が高く、そこに自由席が少ない気動車特急が来ると数少ない自由席に殺到してしまい混み合うというわけです。
同じく札幌~旭川間に乗り入れる気動車特急として「宗谷」がありますが、あちらも4両編成ではあるものの自由席は1両だけなのでやっぱり札幌から岩見沢とか美唄あたりまでは自由席が混み合う傾向があります。

ちなみに、キハ283系に置き換えられたのを機に「オホーツク」「大雪」ではグリーン車の連結を取りやめ、モノクラスの列車となりました。

というわけで、札幌からしばらくは通路側を強いられることになりました。
本当はせっかく全区間乗り通すならば車窓動画を撮ろうと思っていたのですが、諦めることになりましたね。
まあ、キハ183系の頃には撮っていますし、それで良しということにしましょうw

窓際こそ残念でしたが、私にとっては2年ぶりの再会となるキハ283系ですし、乗車を楽しんでいきましょう。
札幌を出発するとキハ283系は軽快なエンジン音を唸らせて加速していき、北海道ではおなじみの大橋俊夫さんの自動放送が流れ、旅への気分を高揚させてくれます。
札幌を出ると岩見沢・美唄・砂川・滝川・深川・旭川と停車していきますが、これは「カムイ」「ライラック」とも同じ停車パターンとなっています。
かつてはこの区間の気動車特急は美唄と砂川には停車しないという法則がありましたが、現在では「オホーツク2号」と上りの「宗谷」の2本のみがこの2駅を通過し、他の気動車列車は美唄と砂川に停車するようになっていて、通過する列車の方が少数派となりました。
ここまで来たらいっそ停車駅を統一した方が分かりやすいと思いますが、この2本だけでも長距離列車の威厳を残している気もするので、このままにしておいてもらったほうが鉄道ファン的には嬉しいかな?w

ちなみに、キハ283系が投入されたことで所要時間も僅かではありますが短縮されており、札幌~網走間では最大5分程度の短縮となっているようです。
キハ183系よりも大幅に性能がいいキハ283系を投入したにしては所要時間の短縮が少ない気もしますが、それは石北本線が高速化改良をされていない線区だからであり、「おおぞら」時代に爆走できたのは元々高規格で建設された石勝線や高速化改良された根室本線という軌道側の強化を併せて実施していたからだといえます。
どんな高性能な車両を投入しても線路の規格が低ければ早くは走れないというわけですね。

ただし、今乗っている「オホーツク1号」についてはどうも所要時間は短縮されていないようです。
具体的に時刻の変遷を紹介すると、まず札幌発がキハ183系時代は6時56分だったのが、キハ283系になってからは6時50分と札幌発が6分早くなりました。
そして、気になる到着時間ですが、旭川到着はキハ183系時代が8時32分だったのが8時28分着となり、キハ183系時代が1時間36分で走っていたのが、キハ283系になってからは1時間38分となり、短縮どころか2分ですが遅くなっているんですよねw

なお、石北本線内となる旭川~網走間については、キハ183系時代が旭川8時35分発の網走12時17分着、キハ283系投入後は8時31分発の12時12分着と、キハ183系時代が3時間42分で、キハ283系投入後が3時間41分と1分だけですが早くなっています。

また、札幌~網走間で考えるとキハ183系時代が5時間21分だったのが、キハ283系投入後は5時間22分と石北本線内でのマイナス1分を函館本線内でのプラス2分が相殺する形でやはり1分遅くなっています。
まあ、最大でも7分の短縮であり、これは単線の石北本線内での交換待ち1回で帳消しになる程度ですし、函館本線内でも早くなっていないのは性能向上の分を所要時間短縮ではなくて、遅延時の回復余地に振り向けたという感じですかね。
特に下りの網走行きは遅延すると単線の石北本線では対向列車の遅延に繋がってダイヤを大きく乱してしまいますからね。

そろそろ乗車レポートに戻りますと、岩見沢・美唄と進むうちに空席も増えてきて、窓際に移ろうと思えば移れる状況になってきましたので移動しましたが、今から車窓を撮っても中途半端だしなぁというわけで撮影はせずに旭川まで行きました。
が、旭川では大勢が降りていった反面、それほど乗ってこなかったので・・・


↑途中からになりましたがここから車窓を撮ることにしました!
途中からと行ってもそれでも3時間44分もあるんだから北海道のスケールの大きさを実感しますねw

そんな旭川を出ると列車は函館本線から宗谷本線に入っていきます。
そう、実は旭川から新旭川までは宗谷本線なんです。
石北本線って旭川周辺を走る全ての列車が宗谷本線に直通して旭川発着で運行されているため勘違いされやすいですが、正式には新旭川が起点なんですよね。
なので、新旭川まではちょっとだけ宗谷本線を走ります。
宗谷本線は名寄までは高速化改良されていて110km/h出せるのですが、たったの2駅分の3.7kmなので恩恵を感じる間もなく新旭川を通過して石北本線に入っていきます。
石北本線に入ると最高速度95km/hの未改良区間となりますが、そんな線区をかつては道東を130km/hで爆走していた車両が走っているというギャップも面白いです。
姉妹列車「大雪」の由来となった大雪山系を見ながら進み石北本線内最初の停車駅は上川です。
上川は景勝地として有名な層雲峡の最寄り駅であるとともに、石北本線においては運行上の境界点とも言える駅です。
というのは、旭川からの普通列車の多くが当駅で折り返しとなり、上川から網走方面は特別快速「きたみ」を除く普通列車が1日1往復しか走らない閑散区間となっています。

以前の活動で普通列車で乗車したこともありますが、1駅進むのに1時間近くかかったりと、日本国内とは思えない秘境っぷりを体験できる区間でした。
特急で乗るとそこまで秘境感はないですが、昔ながらの峠越えの鉄道が今でも都市間輸送の役割を果たしていると思うと感慨深いものがあります。
北見峠越え区間では白滝・丸瀬布と停車して遠軽です。
上川から遠軽までの区間では途中の駅の多くが廃止されてしまったため、特急といえども瀬戸瀬の1駅を通過するのみとなっていて、全然特急らしくない気もしますが、1駅1駅の間隔が平気で20分くらいかかったりするので途中に駅がないことを知らなければ特急らしくないとは感じないかもしれません。


ここまで文字ばっかりだったのでそろそろ写真を・・・というわけで貼ったこちらですが、遠軽駅手前に保存されているキ282となります。

そんな遠軽では進行方向が変わりますが、そのために3分ほど停車します。
普段ならホームへ出て撮影タイムとするところですが、座席の転換というミッションがあったのでそれは見送りました。
しかも、車窓撮影中なので録画停止→カメラを一旦取り外す→座席回転→カメラをセット→録画開始という一連の作業が発生するため、3分の停車では車外に出るほどの余裕はありませんでした。
意外とここまで乗り通してくるお客さんも多くて、私の前後の席に座っている人もいたのでもたもたしたらご迷惑になってしまいますしね。

続いて生田原にも停まったら次は留辺蘂ですがここでもう1つの峠越えがあります。
それは常紋峠といい、そこを常紋トンネルで貫いています。
このトンネルは「タコ部屋労働」という過酷な労働によって建設されたことでも知られ、作業中に倒れ亡くなった作業員は丁寧に葬られることもなくトンネル周辺に埋められたという逸話も残っています。
こうした経緯があるためか心霊スポットとしても知られる常紋トンネルですが、一方で急勾配区間であることから蒸気機関車の時代には重連運転を見ることが出来る場所でもあり、鉄道ファンが集まる名所でもあったそうです。


こちらは金華信号場という場所ですが、元々は金華駅という駅だったこともあり、今でも駅舎が残っているようです。
看板も着いたままになっていますが、「常紋トンネル工事殉職者追悼碑」と書いてあります。
常紋トンネルの建設では過酷な労働があったのは前述の通りですが、それで亡くなった方々のための慰霊碑というわけですが、実は金華信号場の近くにあります。
今は駅ではないので列車を利用していくことは出来ませんが・・・

そして、留辺蘂に到着です。
このあたりまで来ると北見の都市圏に入ってくるのかちらほらと乗ってくる人も出てきますし、車窓風景も開けたものになってきます。
そして、オホーツク振興局管内では最大の人口を誇る北見に到着です。
ここで半数以上が降りていき、北見の需要の大きさを目の当たりにしました。

かつては池北線という路線がここから池田駅まで出ていて、多くの列車が帯広まで直通していたので、オホーツクと十勝を結ぶルートでしたが、ちほく高原鉄道という第三セクターへの転換を経て廃止されたため、今はバスでしかこのルートを往来することは出来ません。

そんな北見を出ると美幌・女満別と停車し、いよいよ終点の網走です。


網走駅に着く間際には、車窓に網走湖が広がります。
石北本線の旅においては最後のハイライトといえる景色ですね。


網走駅に着く際にはキハ40系も姿も見られました。
しかも、キハ400系リバイバル塗装がくっついていますね!

というわけで札幌から5時間22分かかってようやく網走に到着です。


釧網本線のキハ54系が発車するところだったので並べて撮ってみました。


2年ぶりくらいの訪問ということで駅名標は撮っておきましょう。
まあ、前に来たときと特に変化はなさそうですがw


「オホーツク」から降りてきた人たちは一列になって改札口へ吸い込まれていきました。
私もこの列に加わって改札を出ました。


改札を出るといろんな列車のトレインマークがずらり!
これは前にはなかった気がしますが、鉄道ファンには嬉しいお出迎えですね。


あと、こんなショーケースがありました。
最初はよくある地域の名産品を紹介するブースかなと思ったんですが・・・


全部刑務作業製品だったんですね。
網走といえば刑務所のイメージもありますし、ある意味名産品?w
でも、刑務作業製品ってたまにショッピングモールとかで矯正展とかいって売っていたりしますが、品質の割に安いとかで評判は聞きますよね。


わざわざ地図まで出して場所を案内していました。
販売もしているみたいなので、少しでも売上を伸ばしたいのかな?w


あとは記念撮影スポットもありました。
網走は観光地としても名高いですからね。


この顔出しパネルは顔を出して撮ると収監された囚人みたいになっちゃいますねw
まあ、網走らしくて面白いとは思います。


こちらは「北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ」というゲームとコラボしたもののようです。
てっきり推理小説かサスペンスドラマのタイトルだと思ったらゲームなんですね。
私が生まれる前の作品ということもあって存じ上げませんでした。


それでは駅前に出ましょう。


この駅名の看板ってやっぱり刑務所を意識しているんでしょうか?


観光客向けの看板ですが、雪のせいか特に下の方がだいぶ傷んでいますw


駅前は東横インとルートインというチェーンホテルが2つもあり、都市の規模の割にはホテル事情がいいですが、これも観光客が多いことの傍証ですかね。

といったところで、鉄ネタは以上となり、ここからは観光となります。
でも、網走って趣味の活動以外では訪れたことがなく、ちゃんと観光したこともなかったのでいい機会でしょう。

「博物館網走監獄」を見学する

というわけで、ここからは鉄分は無しで純粋な観光となります。
目指すは網走観光ではど定番と言えるであろう「博物館網走監獄」です。
ただ、駅からは4kmもあり、とても歩ける距離ではないので路線バスを利用します。
恐ろしいのは公式のアクセス案内に「駅から徒歩約40分」と書いてあることで、もちろんバスでのアクセスと併記という形ではありますが、流石に4kmの距離を徒歩で案内するのは他では見たことありませんw
確かにバスの本数がそれほど多くないのでちょうどバスがなければ歩いたほうが早い可能性はありますが、それでも普通だったらタクシーを使うと思います。
それかレンタサイクルを借りて自転車でいくならまだ現実的かもしれません。


というわけでバス乗り場へ来ました。
駅前にあって、しかも屋根付きなんて流石は観光地だなと思ったらバス停は何箇所かに分散していて、しかも・・・!?


私がこれから行く博物館網走監獄への路線となる天都山行きは2番乗り場とのことで、ここではないようです。


ちなみに、3番乗り場は地元民向けのローカル路線が集まっているようです。
その中で「東京農大」という文字が気になりますが、もちろんバスが東京まで行くわけではなくて、東京農業大学のオホーツクキャンパスが市内にあるそうです。


2番乗り場というのはここでした。
遠目からだと分かりにくいですが、すき家の目の前なのですき家の看板を目指していけばいいでしょう。
また、距離も100メートルちょっとなので場所さえ分かればすぐに行けると思います。


バス停の看板


時刻表です。
本数は1日4本と決して多いとは言えませんが、地方で観光地までちゃんとバスが出ているだけでも恵まれているとしておきましょうw


駅前を通っているのは国道39号で、石北本線と同じく旭川と網走を結ぶ国道です。


あと、バス停の向かいにあったこちらの建物ですが・・・


JRの寮みたいです。
ということはもしかしたらさっき乗ってきた「オホーツク1号」に乗務していた方もここに住んでいる可能性も?

あとはバスを待つのですがちょっと早く来すぎたのかまだまだ時間があります。
その間は通りがかるバスを撮ったりして待ちました。


北海道中央バスが来ましたが、よく見ると観光バスのようですね。
ちなみに、路線バスとしては北海道中央バスが網走に来るのは札幌~網走間の都市間バス「ドリーミントオホーツク号」のみのようです。
都市間バスのみとはいえ網走まで乗り入れているのは、流石は北海道最大のバス事業者と言ったところでしょうか。


網走バスが来ましたが、これは女満別空港行きのようです。
バス停に待っていた人の多くはこちらを待っていたようで、一気にバス停で待つ人の数は減りました。


対向車線を走ってきた網走バスのローカル路線


そして、ようやく私が乗るバスがやってきたようです。
この手の観光路線は特徴的なデザインの車両が充当されたりすることも多いですが、ここはごく普通の路線バスでしたw

乗り込んだのは10名ほどで、全員が観光客のようです。
発車するとしばらくは網走の市街地を進みますが、「観光施設めぐり」と言いながら市内のバス停にもこまめに停車していくようです。
そもそものバスの本数が少ないので、観光施設めぐりのバスも地元の足としても使えるようにしているんでしょうね。

ちなみに、これが私にとって初めての網走バス乗車となりました。
北海道では鉄道は長期不通になっている路線を除いて全て乗ったことがあるんですが、バスの方はまだまだ乗っていない路線だらけですw


「ハローワーク前」なんて、せっかく旅行に来ているのに現実に引き戻されるようなバス停名もありましたw


ちなみに、その次は「刑務所前」です。
なんか、ハローワークで仕事を探すもうまく行かず、そのまま道を外れて最後は刑務所へ・・・なんて悲しいストーリーが浮かんでしまいますね・・・
なお、この「刑務所前」は現役の刑事施設として使われている「網走刑務所」の前であって、観光地となっている「博物館網走監獄」とは全く別物なので、「博物館網走監獄」へ行こうと思ってこのバスに乗った場合は間違えて降りないように要注意です!


あれが網走刑務所でしょうか?


列車からも見えた網走湖の畔に出たと思ったらバスは国道を逸れていきます。


石北本線の踏切を渡って山へ登っていきます。
この山は天都山といって、標高こそ207メートルとそれほど高くありませんが、頂上の展望台からは網走湖が一望できる他、オホーツク流氷館、北方民族博物館、”はな・てんと”といった観光施設が集まっています。
また、これから向かう博物館網走監獄も天都山の中腹にあります。

ちなみに、かつて興部と網走を結んでいた準急列車に「天都」という愛称があったそうで、これは天都山が由来です。


元々そんなに高くない山というのもあるでしょうが、山道が始まったと思ったらあっという間に博物館網走監獄に到着です。

意外だったのが支払いにモバイル決済が使えることで、PayPayやau payが使えるようです。
支払い方法ですが、お店で使用するときにお店のバーコードを読み取って自分で金額を入力する方式であり、バスでは乗車時に整理券をとり、まず車内に掲示されたQRコードを読み取り、続いて運賃表で自分が利用した区間の運賃を確認の上でスマホに入力し、最後は下車時に運転士さんに見せながら決済の操作をするという流れであり、ICカード乗車券のように自動で運賃を計算してくれる機能はありませんが、小銭を用意したり両替したりという手間がないだけでもいいですね。
最近はキャッシュレスが普及したせいで現金を使う機会が減って、いざというときに小銭の持ち合わせがないなんてこともありますしね。

ちなみに、このように路線バスの運賃の支払いにモバイル決済を導入する例は、同じ北海道では道南バスで経験がありますし、和歌山県の熊野御坊南海バスでもやっていました。


バスを降りたところで1枚
バスは天都山の頂上まで行きますが、ほとんどの人のお目当ては博物館網走監獄であるようで、なんと全員が降りていき、バスは乗客ゼロとなりましたw

それにしても、面白いのは駐車場のど真ん中にバス停があることでして、近くの道路上とかじゃなくて、ちゃんと敷地内まで行ってくれるため、利便性は高いですね。


入口は刑務所の高い塀をモチーフにしたのか、こんなゲートになっていますが・・・


バスと絡めて撮ってみましたw


早く博物館網走監獄へ行きたい逸る気持ちを抑えて、まずはバス停を撮っておきましょう。
おそらくは停留所名が書いてあったであろうスペースにまで行先を貼ってしまっているため、どこのバス停なのか分かりづらいですが、思いっきり博物館網走監獄の敷地内にあるので見れば分かるでしょ?ってことなのかな?w


駐車場とバス停があるところからみると、博物館網走監獄は小高い丘の上にある形なので少しですが階段を登ります。
なお、スロープも整備されているみたいなので、車椅子やベビーカーでも訪問可能なようです。


開館時間は9時~17時となっていて、最終入館は閉館1時間前だそうです。


ここで橋が出てきました。
名前を「鏡橋」というらしいですが、これを渡るといよいよ博物館網走監獄があります。


橋の真ん中に何かあるなと思ったらこんな看板がありました。
上は開館時間の案内ですが、下が気になりますね。
まさかの撮影禁止パターンかと思ったら、撮影自体はOKだけど、ライブ配信や撮った動画をネットに上げるのはダメってことっぽいですね。
もしかしてブログに写真を上げるのもダメなのかとヒヤリとしましたが、よく読むと動画投稿サイトとあるので、写真を撮ってブログやSNSに上げるのはセーフっぽいので、その解釈で館内も撮影しました。
なので、ちゃんと敷地内も写真つきでレポートしますのでご安心を!


橋の上からの景色はなかなかのものでした。


その先にあったのは「監獄食堂」というレストランでした。
ちょうど昼時でしたし、見学の前に腹ごしらえと洒落込みましょう。


メニューも書いてありますね。
ロコモコやザンギ丼といった観光地っぽいメニューから、ラーメン・そば・うどん・カレーといった定番メニューまである中、気になったのは「監獄食」ってやつですね。
網走刑務所の献立を忠実に再現とありますが、これはちょっと気になります。


というわけで注文してみました。
サンマかホッケが選べるのですが、私はホッケをチョイスしました。
内容は麦飯・味噌汁・焼きホッケに小鉢2品と、定食として見れば普通にありそうな献立ですが、特徴的なのは盛り付けられている器ですね。
全てプラスチック製で、特に絵柄もないシンプルな見た目です。
どこかで聞いた話だと、刑務所では陶器の食器は割って破片を凶器にされる恐れがあるため全てプラスチック製になっているらしいので、それを再現したんですかね。
味の方ですが、刑務所で出されているくらいだから大して美味しくないんだろうなと思って食べてみたら、これが普通に美味しい!
刑務所の食事を「臭い飯」なんて表現したりもしますが、少なくとも現代の刑務所には当てはまらないのかなと思いました。
まあ、本物の刑務所の食事を食べたことはないので、どこまで再現されているのかは分かりかねますし、分かる時は一生来ないで欲しいものですw

やはりせっかく網走監獄を見学するならば食事も刑務所にちなんだものがいいと考える人が多いのか、店内のお客さんのほとんどがこの監獄食を注文していました。

ちなみに、博物館網走監獄を見学する時間はないけれど、監獄食は食べてみたいという方もいるかもしれませんが、監獄食堂自体はチケット売り場の手前にありますので、入館しなくても食べられますからご安心を!


腹ごしらえが済んだらいよいよ入館です。
その前にこちらでチケットを買うのですが、大人1500円と思ったよりは高い入場料でした。
流石にタダではないと思っていましたが、1000円を超えることはないだろうと漠然と予想していたんですけどねw
ただ、見学を終えた今考えてみれば、展示の内容やボリュームを鑑みれば妥当な金額だと思います。

参考までに高校生は1000円、小中学生は750円で、20名以上の団体と網走市民は2割引になる外、インターネット割引といって公式サイトにあるクーポンをスマホの画面に提示するか印刷して持っていくと1割引きになる特典があるので、訪れる際はインターネット割引のクーポンを忘れずに提示しましょう。
私はこのことを知らずに普通に支払ってしまいましたw

入館料を払うとチケットとパンフレットを貰うという観光施設の定番の流れをこなすのですが、施設内の簡単な説明と併せて撮影についての注意事項も説明されました。
更には撮影についての冊子まで用意されていて、そこでもライブ配信と動画投稿サイトへの投稿を目的とした撮影は出来ないと書いてありました。
なお、その時の説明で「撮影はして頂けますが一部禁止の場所もありますので、注意事項をよく読んでおいて下さい」といった感じで説明していたので、やっぱり撮影自体はOKだけど、ライブ配信や撮った動画をYouTubeとかに上げるのはダメという解釈でよさそうです。

立て看板だけなら何かトラブルがあったときのために予防線的に禁止と言っているだけかなと思ったんですが、チケット購入者一人ひとりに声掛けし、冊子まで配っているというのを見ると割りとガチっぽいです。
しかし、このいかにもYouTuberを狙い撃ちしたような規制内容を見るに、過去にYouTuberが撮影して何かトラブルでもあったんですかね?
それも、数年前に撮られたであろうYouTuberの動画では普通に敷地内も撮影しているみたいだったので、このような規制がかかったのはここ最近の話っぽいんですよね。

ここまでは現地で見たことをもとに私の感想を書いてきたわけですが、入場する前に「博物館網走監獄」について簡単に解説しておきましょう。
「博物館網走監獄」はかつて網走刑務所の施設として使われていた建物を移設の上で保存・公開する野外歴史博物館となっており、重要文化財に指定されているものも数多く残っています。
なお、現在でも実際に刑務所として使われているのはバスの車窓からちらっと見えた「網走刑務所」であって、観光地となっている「博物館網走監獄」とは別物です。
なので、「博物館網走監獄」に行っても本物の囚人はいませんし、逆に網走刑務所へ行っても刑務作業製品の展示以外は見学できませんので要注意です!

中でも「五翼放射状平屋舎房」というのは、刑務所の施設としては国内最古、木造の行刑施設としては世界最古のものなんだそうです。
歴史としては1973年に網走刑務所の改築計画が発表されると、貴重な建築物が失われるとして、かつて存在した網走新聞社の社主だった佐藤久氏が建築物を移築の上で保存することを提唱し、これに網走市や北海道、刑務所を所管する法務省なども協力し、財団法人を設立の上、1983年より現在の形で開館しました。
刑務所というと普通はあまりいいイメージでは見られない施設であり、それを保存しようという動きが地元から起きたというのは少し不思議な気もしますが、映画「網走番外地」シリーズの人気もあって、元々網走刑務所が観光名所のような扱いを受けていたことや、網走という街の発展と網走刑務所が大いに関わってきたという歴史的経緯があってのことなんでしょうね。


脇ががら空きなので実用的な目的よりは雰囲気作りなんでしょうけど、重厚な門が出迎えてくれました。


ここからがいよいよ内部のようです。
レンガ造りの重厚な門を抜けていきます。


警備員まで守衛の格好をして凝っているなと思ったら人形でしたw
遠目に見たら本物の人間と見間違えるほどのリアルさです。


かつての名前そのままに「網走刑務所」と書いてありました。


隣は現在の名前の「博物館網走監獄」でした。


中はちょっとした公園みたいな感じですが、パンフレットを見る限りかなり広そうです。

なお、先に断っておきますが、手当り次第に目に付いたものを撮っていったので実際の各施設の位置関係と紹介順が一致しないことも多々あると思いますが、予めご了承下さい。
パンフレットには順路も書いてあったんですが、思いっきり無視してしまいましたw


こちらは「教誨堂」というそうで、僧侶や牧師さんなどの宗教者が受刑者に対して精神的・倫理的・宗教的な教科指導をするための場所なんだとか。
建築は明治45年で、重要文化財に指定されているそうです。


別アングルからもう1枚


中にも入れました。
建物全体をワンフロアとして使っているみたいで、かなり広いです。


お堂も再現されていました。


続いては「煉瓦造り独居房」です。
こちらは読んで字の如くで分かりやすいと思いますが、煉瓦で作られた独居房です。
ただし、ただの独居房というわけではなくて、窓がない上に壁の厚さは40cm以上もあるんだとか。
用途としては規則を破ったりした受刑者に対する懲罰として、この中に閉じ込めた上で食事も減らすという厳しい罰があったそうです。
現代の刑務所にも懲罰というものはあるらしいですが、流石に窓がない真っ暗な場所に閉じ込めたり、食事を減らすなんてことはしていないでしょうし、明治時代の囚人に対する扱いが垣間見えます。


こちらは登録有形文化財に指定されているそうです。


中にも入れました。
鉄格子がそのまま残っているみたいですが、本当に窓がないんですね。
今は扉を開けているから外からの光が入りますが、閉めたら本当の真っ暗闇になるんでしょう。
そんな状態で長時間閉じ込められたら気が狂いそうですが、瞑想したりするには案外いい環境だったり?


続いては「独立型独居房」です。
なんだか重言な気もする名前ですが、こちらは先程の「煉瓦造り独居房」とは違って懲罰のためではなくて、受刑者1人に大して1つの房とするのが理想とされた当時の監獄法に基づいて作られた施設で、用途としては普通の収容室と変わらないようです。
ただし、次第に社会復帰こそが刑の目的という風潮になると社会性を養える雑居が重視されるようになったことと、やはり全員を独居房に入れるのは管理の手間がかかるということで次第に使われなくなったんだとか。
現代の刑務所でも基本は雑居房で、素行に問題があったりする受刑者が独居房という感じのようなので、全員を独居房というのはやはり難しいんでしょうね。


こちらも中が覗けるようになっていました。
ドアには窓ガラスがあるため、昼間ならある程度の光が入るみたいです。
手前に砂利が敷いてあるのは万が一脱走した場合に足音が響いて気付きやすいようにでしょうか?


内部には囚人の人形がいました。
いかにも反省していますという感じのポーズなのがいいですね。


こちらは「庁舎」です。
その名の通り、刑務所の運営を担う場所で、様々な部署が入っていたみたいです。


内部は展示室みたいになっていました。

ここで網走刑務所の歴史についてざっくりと説明しておくと、そもそも北海道に刑務所が出来た経緯ですが、明治維新後の日本では政情不安から国事犯や政治犯が続出し、刑務所のキャパシティが足りていない状況があり、同時に富国強兵政策との兼ね合いやロシアの脅威から守る意味で北海道の開拓が重要課題でもありました。

そんな状況の中で比較的刑の重い受刑者を拘禁する集治監(刑務所)を北海道に作り、囚人を労働力として活用して北海道の防衛と開拓を進めようということをしていました。
それを受けて北海道の各地に集治監が作られましたが、網走は「釧路集治監網走分監」として1891年に作られました。
網走に送られた囚人たちは北見峠越えの中央道路の建設などに従事させられたそうで、現代の感覚からすればいくら囚人といえども人権侵害といえるのではないかという面もありつつ、網走の発展に寄与したのもまた事実です。


レンガの積み方の見本ですね。
あと、網走監獄では煉瓦も自家生産していたんだとか。
今よりもかなり交通事情の悪い時代ですし、遠くから持ってくるよりは現地で作った方が手っ取り早かったのかもしれませんね。


構造の模型もありました。


この胸像は博物館網走監獄についての説明のくだりで名前が出てきた佐藤久氏ですね。
網走刑務所の旧施設の保存を提唱した人物であるだけでなく、費用を借り入れる際には佐藤氏が個人保証するなどの努力もあって博物館網走監獄の設立に繋がったそうです。
社主ということで元々お金持ちではあったんでしょうけど、そこまでの情熱を持って施設の保存に取り組んだ姿勢は素晴らしいですね。


続いてはこちら「職員官舎」です。
これもそのまんまの意味ですが、職員の生活の場というわけですね。
今なら職員は外部に生活して刑務所に通勤するという形になるでしょうが、自動車が普及していないような時代で、回りも原野が広がっていたような状況なら敷地内に住んでしまった方がよかったのかもしれませんが、これだと休日も気が休まらなそうw
なお、これは再現建築とのことで、当時の建物というわけではなさそうです。


内部はこんな感じです。
あくまで生活の場ということで、昔の民家という雰囲気です。


神棚もありますね。
昔は多くの家に神棚があったことでしょうし、当時からすれば当たり前の存在でしょうか?


ここがキッチンということになるんでしょうが、竈門なんですね。
まあ、明治時代ならこんなもんでしょうか。


これは刑務所は関係ないのかもしれませんが、絵になるなと思ったのでw


この特徴的な三角形の建物は「休泊所」といい、刑務所の外で作業をしその日のうちに帰れない場合の宿泊所だったそうです。
丸太を組み合わせた上で割り板を縦に打ち込むという簡素な構造ながら脱走防止のためにデリ口は1箇所のみとされており、特に札幌~網走間を結ぶべく作られた中央道路の建設工事では工事の進捗に合わせて次々に休泊所が作られていったんだとか。
そのために「動く監獄」の別名もあったそうです。


内部です。
左右にはベッドがあり、そこで囚人は雑魚寝となるようです。


真ん中にはテーブルがありました。
作業の打ち合わせや、もしかしたら食事もここでしたのかもしれません。


ここにいるのは全員囚人ということで、看守がしっかりと見張っていました。
でも、この人数に対して看守1人では囚人が団結して脱走を図ったら防ぎきれない気もするんですが、実際にはもっと多くの看守がいたんでしょうかね。


ベッドとは言いましたが、板に薄い筵を敷いただけのクッション性など皆無なものですし、枕に至っては半分に切った丸太ですからね。
とても寝付けないでしょうし、寝れたら寝れたで朝には体中が痛くなってそうです。

ちなみに、枕にしている丸太を棒で叩くことで音と振動で囚人を起こすということをしていたそうで、これが「叩き起こす」という言葉の語源という説もあるそうですよ。
そんなことをされたら、朝に弱い私でも飛び起きそうですw


暑い中歩き回ったこともあって疲れてきたので、休憩がてらこちらの「監獄歴史館」を見学していきましょう。
こちらは網走刑務所の歴史などを分かりやすく解説する展示などもあるそうです。


中は普通の博物館という感じです。
なお、この中は一部撮影禁止の場所もあるみたいですが、撮影できないのは映像展示関係などだけのようで、ほとんどは撮影OKでした。


網走監獄での暮らしについての展示です。
刑務所なので手錠とか足枷といったものもありますし、刑務作業に使う道具も展示されていました。
ちなみに、足枷を着けてみる体験コーナーもあったんですが、足枷を着けられたら長くは歩けませんし、走るなんてもってのほかですから、逃亡防止という意味では理にかなっているなと思いました。


農作業などに使う道具を展示しているようです。


脱穀機ですかね。
奥に掲げられている「工場訓」というのも気になりましたが、これは刑務所に限らず一般の工場でも見かけるやつですね。
私自身は工場に勤めているわけではないですが、鉄道イベントとかで整備工場を見学するとよく貼ってあるのを見かけたことがありました。


あの大八車で農作物を運んだりしたんでしょうね。

あとは中央道路開削についてとか、刑務所と網走の街の関係といった展示もあり、どれも興味深かったのですが、映像を使った展示が多かったためか撮影できない場所が多く、記事では割愛します。
私の文章力では画像無しで正しくお伝えできる自信もありませんしねw


その代わりと言ってはあれですが、撮影できる中で興味深かったのがこちらです。
一見するとただドアが並んでいるだけの光景ですが・・・


こちらは現在の網走刑務所の収容室を再現したものなんだとか。
窓に鉄格子がはまっているあたりはやっぱり刑務所だなと感じさせますが、テレビもありますし、ちゃんと布団も用意されているところを見ると、明治時代の囚人からしたら天国のような環境でしょうね。
まあ、だとしても入りたくはないですけどw


こちらは独居房なんですかね。
テレビはありますが、部屋の狭さのせいか先程の部屋よりは圧迫感があります。
でも、1泊2000~3000円くらいで泊まれるって聞いたら、1晩くらいならいいかって思っちゃいそうw

それでは再び外に出て貴重な保存建築物の見学を再開しましょう。


こちらは「耕運庫」といいまして、農具や肥料を収める倉庫だったようです。


内部も色々と展示されていました。


今ならトラクターを使うところでしょうが、明治時代とかならこういう原始的な農具がまだまだ現役だったんでしょうね。


豆播機とありますが、字面から察するに種を播くための道具なんですかね。


肥料播き機だそうです。
これは見ての通りという感じですかね。


運搬用なのかソリもありました。


作業中の囚人の人形がありました。
蹄鉄のようですが手入れをしているところでしょうか。
なんか、刑務所というよりは昔の農業の様子を見学した気になりました。
鉄腕DASHとかに出てきそうな感じですw


なんと敷地内に神社がありました。
その名を「二見湖畔神社」というそうで、元々は網走刑務所の二見ケ岡農場で働く受刑者が社を建てたのが始まりだそうで、網走刑務所内にあったものを博物館網走監獄に移設したんだとか。


小さいですがお社もありますね。


何かと思ったら映画の撮影で使った場所を示しているようですね。
ここで写真を撮れば映画と同じ構図で撮れるということなんでしょうが、生憎元の映画を見たことがないのでこれはスルーですねw


こちらは「二見ケ岡刑務支所」というそうで、農場を主体とした刑務所だったようです。


各施設が渡り廊下で繋がっているようですが、とりあえず外観です。
全体はかなり大きいので1枚の写真に収めるのは難しいですね。


これは百葉箱ってやつでしょうか?
農場だと気温とかも重要だから設置されていたんですかね。


作業中の囚人の人形


こちらも中にも入れるようなので早速入ってみましょう。


ここは刑務作業をする場のようです。
木工細工みたいなのが置いてあるので、それを作る作業なんですかね。


やっぱり刑務所だけあって厳しいですね・・・


ここも作業場のようです。


小豆の選別でしょうか?


更に奥があるようです。


これってもしかしてトイレ?


ワラジを洗っているところでしょうか?


続いては炊事場です。


味噌汁の大鍋も再現されていました。


当然看守が見張っていますね。


野菜を洗っているところのようです。

ところで、気になったのは料理をするならば包丁は必須だと思いますが、果たして囚人に包丁を持たせていたのかどうかです。
包丁だってその気になれば凶器に出来るわけで、囚人に持たせるのは危険な気もしますが、自分たちで食事の用意もしていたなら持たせないと料理できないしなぁ・・・
包丁を使う仕事は模範囚に限定していたとかでしょうか。


その奥はお風呂場でした。
娯楽がない塀の中にあって貴重な癒やしの時間でしょうが、それさえも監視されているんだから心休まらないですよね。
まあ、刑罰なんだから仕方ないといえばそれまでですが・・・


当然のようにお喋りもできないようです。


それにしてもよく出来た人形ですね。
特に右の浴槽から上がろうとしている人なんて、写真で見ても動き出しそうな躍動感です。


続いて教誨室です。
既に紹介した教誨堂と同じ目的の部屋ですね。
ただ、聞きに来ている囚人はわずか1人ですが、実際に聞きに来る囚人はあまりいなかったんですかね。


こちらは牧師さんの人形もありました。


この演台は実際に使われていたものだそうです。
年季の入り方が違いますね。


外へ出ると農場の様子が再現されていました。


やっぱりあのソリでものを運ぶんですね。
かなりの重労働だと思いますが、当時の農家さんも同じように苦労していたんでしょうね。


昔の農業は基本的に人力だったというのがよく分かります。


あと、登り窯もありました。
なんだかDASH村を見ている気分になりますw


そして、こちらが博物館網走監獄の目玉とも言える「舎房及び中央見張所」です。
ようするに囚人を収容する場所なんですが上から見ると中央の見張所を起点に5方向に長屋風の建物が伸びているという独特の構造をしています。


こちらが舎房で、この中に収容室がたくさんあり、これが5方向にそれぞれ伸びています。
全体像は上空からじゃないと分からないのが残念ですが・・・


入っていきなり出てきたこちらが「中央見張」です。
ここに看守が詰めて囚人が脱走しないように見張っていたようですね。


ここから見ると5本ある全ての舎房が1箇所から見通せるんですね。
これこそがこの独特の構造のメリットというわけです。


舎房の方へも行ってみましょう。


この木でできた格子ですが・・・


角度を変えるとこうなります!
実は斜めに木が入っていて、視線を遮るようになっているようです。
こうすることで空気は通しても視線は遮るということのようで、特に他の房にいる囚人の姿を見せない効果があるんだとか。


こちらは”くの字”に加工した木を使っていて、より強力に視線を遮る効果があるようです。
単純ながらよく考えた構造ですね。


内部はこんな感じです。
フィクションに出てくる刑務所のイメージそのままという感じですw


ところで、この電話ボックスみたいな空間が気になったんですが・・・


どう見てもトイレですよね。
この時代じゃ水洗じゃないでしょうし、ぼっとんトイレってやつですかね。
となると電話ボックスみたいに囲われているのはニオイ対策なんでしょうか。


隣の舎房にも行ってみました。


よく見たら脱走してるw


房の中で作業する場合もあるんですね。


別の房では食事中の風景がありました。
楽しそうに歓談しているようにも見えますが、房の中での私語は容認されていたんでしょうかね。


独房の1つには布団が敷いてありました。
本当に布団を敷いたら終わりという広さですね。


となりの舎房ですが、ここにはストーブが設置されていました。
寒さ厳しい北海道ですし、ストーブは重要ですね。
パイプが長く伸びていますが、各房に均等に熱を届けるための工夫なんだとか。
刑務所という抑圧された環境では些細な不平等もいざこざの元でしょうしね。


続いては「浴場」です。
これもそのまんまですが、お風呂ですね。


エントランス部分


ここが脱衣場なんでしょうね。


浴槽もなかなかの広さですね。
ただし、囚人ということで癒やしの時間というわけにはいかず、まず手前の浴槽に3分浸かり、次に真ん中のスペースで3分間で体を洗い、奥の浴槽に3分浸かり、最後に3分かけて髭を剃ると3分で服を着ると、全ての動作を3分刻みで行う必要があり、一連の動作で15分という決まりだったようです。


すごい入墨の人がいました。
刑務所ですからそういう人もいたんでしょうけど、今や入墨では公衆浴場やプールを利用できない時代ですから、もはや任侠映画くらいでしか見ることがないかもしれません。


これは警備の人員が詰める場所でしょうか?


こちらは水門でして、かつての網走刑務所では近くを流れる網走川を利用して物資を運搬していたそうで、それを再現したものなんだそうです。
水運を使っているというのも時代を感じますね。


続いては「味噌醤油蔵」です。
これもそのまんまですが、刑務所内で製造する味噌や醤油を保管する蔵だったようです。
それにしても、刑務所で味噌や醤油まで作っていたなんてすごいですね。


内部です。
様々な道具が並んでいます。


洗瓶機とありますが、醤油を詰める瓶を洗う機械なんですかね。


瓶詰め機だそうです。


大きな樽がありました。
人間もすっぽり入りそうな大きさですね。


完成した味噌を詰める樽でしょうか?


こちらは「釧路地方裁判所網走支部」の復原だそうです。
外観は昭和27年まで使われた建物を再現していますが、内部は平成3年まで使われていたものを移築の上で復原しているようです。
一般人にはなかなか縁のない裁判所を見学できるのは貴重ですね。
まあ、傍聴に参加すれば裁判所の中を見ることは出来ますが、そこまでして見たいかというと・・・w


中に入りました。
平成に入るまで使っていただけあって、現役施設と言われても違和感がないくらい綺麗ですね。


明治時代の裁判官の制服だそうです。
威厳があってかっこいいです。


こちらは大法廷です。
そういえば、日本では法廷での撮影が禁止されていることもあって、法廷スケッチという形でしか法廷を見たことがないので、実物はこんな感じなんだと感心しながら見ていました。
ちなみに、裁判長が木槌を叩くというのは日本の法廷では実際にはないんだそうです。
この展示でも裁判長も木槌を持っていませんね。


こちらは小法廷のようです。


ここは一見すると取調室みたいですが、警察署ではなくて裁判所にあるものなので「勾留質問室」という部屋になるようです。
ここで裁判官が被告人に質問し、勾留すべきかどうかを決めていたんだとか。


この鉄格子がある部屋は「仮監置室」といって、裁判が始まるまで被告人が待機するスペースのようです。
裁判で有罪が確定するまではあくまでも「被告人」であって犯罪者と確定したわけではないですが、逃亡は防ぐ必要があるため鉄格子はあるんですね。


最後にこの詰所を撮ったら、一通り見学を終えました。
記事も既に2万字近くなってしまい、鉄ネタは少ないのにボリューミーな記事になってしまいましたw


ゴルフ場に置いてありそうなカートがありましたが、緊急車両と書いてありました。
敷地内で何かあったらこれで駆けつけるんですかね。


駐車場に戻ると北海道中央バスが来たのでゲートを入るところを撮りました。
路線バスとしては乗り入れていないはずなので、団体ツアーの客を迎えに来た観光バスでしょうね。


最後に入口を撮ったら博物館網走監獄の見学は以上です。

感想としては見るべきものも非常に多く、リアルな人形で往時の雰囲気も感じることができ、非常に満足度の高い見学となりました。
網走と刑務所の関係や、明治時代の囚人の暮らしについても知ることができ、勉強にもなりました。
観光と言いつつ大人の社会科見学といってもいいかもしれません。
冒頭でも書きましたが、これだけ充実した展示内容なら1500円でも安いくらいではないでしょうか?
みなさんも網走を訪れたらぜひ訪問してみてください。

ただし、YouTuberだけは歓迎していないっぽいので、YouTuberをやっていて動画にしようと思っている方は注意が必要ですね。
最近訪れたと思われるYouTuberの動画では監獄食堂で監獄食を食べるだけで引き返していたり、敷地内ではカメラを回さずにあとで口頭で感想を述べるスタイルにしているみたいですね。

さて、このあとは駅に戻るかと思ったら駅へ戻るバスまでは結構時間があるようです。
更に調べてみると、逆に北方民族博物館へ向かうバスが先に来るようなので、それに乗って北方民族博物館へ行ってから折り返せばいい感じで時間も潰れますし、北方民族博物館も見学できることに気付き、もう1箇所観光することになりました。
本当は「はな・てんと」という花園に行こうと思っていたんですが、バスが乗り入れるのは夏季のみで、それが7月の中旬からの運行であり、この日は「はな・てんと」まで行かずに北方民族博物館が終点になるみたいだったので北方民族博物館にしました。

というわけで、バスに乗って北方民族博物館に移動です。
同じ考えの人のようで、一緒にバスに乗った人もいましたが、彼らは終点の北方民族博物館までは行かずに、手前にあるオホーツク流氷館で降りていきました。
私もオホーツク流氷館にも惹かれましたが、乗りバスも兼ねると考えると終点まで行きたいと思って北方民族博物館にしましたw

北方民族博物館も見学する

バスに揺られてやってきた北方民族博物館ですが、ここでの滞在時間は50分ほどです。
じっくりと見学するには厳しいですが、駆け足で見ていけば一通り回れるかなといった時間ですね。
まあ、元々予定にはなかったわけですし、駆け足でも見られればいいでしょう。


三角屋根が特徴的なメルヘンチックな建物はよく見るとトイレでしたw
そりゃあ博物館がこんなに小さいわけ無いですよねw


奥にあるこっちが博物館です。
でも、博物館もトイレも三角屋根は共通していますね。


モニュメントも円錐形でした。
これも北方民族と何か関係がある意匠だったりするんでしょうか。


こういうのを撮りたくなるのは駅取材ばかりしている職業病みたいなものでしょうか?w
ブロガーあるあるとでもいいましょうか。


それでは入場します。
ここも入館料が必要ですが、大人550円、大学生・高校生200円とリーズナブルな上、65歳以上と小中学生、障害者は無料とかなりお手頃です。

ここも特に撮影に制限はないみたいなので駆け足になりますが内部もレポートしたいと思います。


チケットを買って中に入るといきなり民族衣装が置いてありました。
これを羽織って記念撮影をするってことなんでしょうか?


寒冷地の動物の毛皮を触る体験コーナーもありました。


それではいよいよ展示スペースに入りますが、民族博物館というイメージからはかけ離れた近未来的な通路から始まりました。


色んな民族の防寒着でした。
ところで、勝手に北方民族=アイヌと脳内変換して、アイヌをメインにした博物館だと思っていたんですが、実際にはアイヌだけでなくイヌイットやエスキモーといった世界各地の北方民族についての展示となっていました。


個性的な柄のものもありました。


衣装だけでも多種多様ですね。


調理器具や食器のようです。
やっぱりアザラシとかトドなんかを食べるんでしょうか。


壺もかなりの種類です。


普通に工芸品として売っていそうなものも展示されていました。


こことか一番インパクトがありました。
ネイティブアメリカンのトーテムポールに似ていますが、やっぱりこれもトーテムポールなんだとか。
北西海岸ネイティブアメリカンのトリンギット族の彫刻家Wayne G. Price氏の作品なんだとか。


衣・食と来たからには次は”住”ですが、北方民族の家の模型もありました。
雪深いところで暮らすには家にも工夫が必要だったんでしょうね。


横から見たアングルで


別の住居模型もありました。
茅葺きで意外と特別な構造ではないようですが、北方民族といっても多種多様なんでしょう。


雪上の運搬手段として有用なソリ

といったところで北方民族博物館の見学は終わりです。
時間がなくて駆け足になってしまいましたが、ここも思ったよりも見応えがあり満足でした。


あとは網走バスで駅へ戻るのですが・・・


↑せめてもの趣味要素ということで前面展望を撮ってみました。
路線としては短いですが、天都山から降りていく路線ですので、山道に始まり網走湖畔からの市街地という変化が楽しい路線でした。


そして、網走駅に戻ってきました。
バスはこの先にある網走バスターミナルまで行きますが、観光客は駅で降りる人が多く、ここから先は乗客ゼロのようですw
なお、市の中心部はバスターミナルの方なので、街歩きをしたいならば駅で降りずにバスターミナルまで行くことをおすすめします。

でも、駅周辺にもホテルや飲食店が充実しているので観光だけなら駅前でも事足りてしまうんですよねw

あとは列車に乗って札幌へ戻るだけなのですが、ここでバスに乗り合わせていた方と少し立ち話をしました。
といっても偶然知り合いと遭遇したとかではなくて、全然知らない人なんですが、実は博物館網走監獄でバスを待っているときに軽く言葉を交わしていて、その後、彼らはオホーツク流氷館へ、私は北方民族博物館へそれぞれ行っていたのですが、帰るバスも同じになり、お互いに駅前で降りたので別れ際に軽く話したというわけですね。
この後の行動を聞かれたんですが、特急で札幌へ戻るというと軽く驚いていました。
まあ、普通はこの時間になったらホテルに入ってのんびりするというのが観光客としては一般的な行動でしょうしねw
もっとも、私は乗り鉄という目的で来ていて、一般的とは言いかねる旅行者ですがw
でも、こういう出会いって公共交通機関の旅だからこそではありますよね。
車での移動だと自分の好きなタイミングで移動できるメリットはありますが、こういう偶然の出会いは発生しにくいと思います。

「オホーツク」で札幌へ戻る

あとは「オホーツク」に乗って札幌へ戻るだけですが、気分はもう活動が終わったようなものです。
復路はすぐに日没となり車窓も楽しめませんし、2箇所も観光を楽しんでもうお腹いっぱいという気分でもありました。
なので、記事も復路はざっくりと紹介する感じになると思います。
字数も既に2万3000字を超えていて書いている私も疲れてきたというのもありますしw


先程の旅行者はそのまま駅前のホテルにチェックインするとのことでここでお別れして私は駅へ向かいます。


発車標です。
この「オホーツク4号」が特急としては最終便となり、更に網走からの最終列車は留辺蘂行きなので、留辺蘂より先まで行くことが出来る最後の列車でもあります。


乗り込む前に撮影タイムです。
まずは駅名標と絡めて


まだ時間があるので跨線橋からももう1枚


向かいのホームからの編成写真


キハ54系も撮ったら乗り込みます。

今度は車窓を撮るでもなく、特にすることもないので座席でのんびりと寛いで移動していきます。
とはいっても、ここからまた5時間強の長旅なんですけどねw


夕暮れの網走湖が私を見送ってくれているようです。

車内で小一時間過ごし、列車は北見を過ぎたあたりで私は・・・


駅弁タイム!
網走で夕飯を済ませてもよかったのですが、乗り換えが15分程度しかなかったのと、17時過ぎと夕飯には少し早い時間だったこともあり、駅前にある「モリヤ商店」で駅弁を買っていたのです。


北海道らしくカニとイクラの海鮮弁当です。
弁当といえども新鮮なネタを使っているのか美味しかったです。

ただ・・・


↑列車の揺れがすごすぎて駅弁が荒ぶってましたw

あまりに揺れるのでテーブルから落ちてしまうのではないかとヒヤヒヤしながら食べ進めました。
まあ、最後まで無事に食べ切ることが出来ましたが・・・

あとは特に書くこともないので記事は札幌までワープ!


というわけで札幌に到着!


最後に向かいのホームからも撮ったらこの日の活動はこれにて終了です。
最後に引き上げを動画で撮ろうかとも思いましたが、次の日も朝早い出発なので一刻も早くホテルへ戻ろうとこれだけ撮ったら撤収しました。


とはいえ、夕飯が駅弁だけでは物足りなかったのでセイコーマートで夜食を買い込みましたけどねw
これが北海道で過ごす最後の晩ですし、最後にふさわしい夜食でしたね。

というわけで、これにて7日目は終了です。
最終日となる8日目は別記事として追ってレポートしますので、公開までしばらくお待ち下さい。

つづく

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つばめ501号(管理人) について

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