2泊3日で実施した北海道駅巡りの2日目前半です。
時系列としては1日目後半の続きとなりますが、続きものですので最初の1日目前半から順番にご覧になることをお勧めします。
2日目は昨晩宿泊した帯広からスタートして、まずは深川へ向かうところから始まります。
つまりは、午前中いっぱいは移動時間ということですね。
ちなみに、最短経路である狩勝峠・富良野経由ではなく、三国峠・上川経由としていますが、これにはある理由があります。
深川からは留萌本線の1駅を1駅ずつ取材していき、北一已駅から大和田駅まで取材したら、宿のある岩見沢に移動して終わりです。
今日は取材する駅数はそれほどではないものの移動距離が長く体力的には結構きつかったですw
三国峠経由の理由
まずは宿をとった帯広から留萌本線の起点となる深川までの大移動が始まりますが、ただでさえ長丁場なのにわざわざ遠回りな三国峠経由を選んでいます。
その理由というのは、途中で通る糠平地区に、かつての国鉄士幌線の遺構となる橋梁が残されており、場所柄鉄道旅行では訪問しにくい場所になるため車がある今回の機会を生かして訪問することにしたのでした。
「三の沢橋梁」とやらがあるようなので行ってみましょう。
駐車場もしっかり用意されていて、ちょっとした観光スポット的な位置づけになっているんですかね。
橋がありました。どうやらこれも旧士幌線の廃橋梁のようですが、上からだとそれだと分かりづらいですね・・・
ここから湖を見てみました。
これがかつて士幌線の乗客が見た車窓だと思うと込み上げてくるものがありますね。
橋全体を見られる場所がないかともう少し遊歩道を進んでみましたが、斜面は思ったより急で、かつ積雪ゆえに滑落のリスクもありましたので下降や登坂も断念して引き返すことに・・・
国道の路肩からなら何とか橋の外観を見ることが出来ました。
アーチを描いたかなり古風な見た目の橋で、これは保存されるのも分かりますね。
ここはこれくらいにして先に進みます。
実は今回最大の目玉は「タウシュベツ川橋梁」というもので、もっと先の方にあるのです。
国道をさらに進むと道路脇に駐車場があって、そこからこんな道が分岐していきます。
ここがタウシュベツ川橋梁を見る展望台への通路です。
こちらが展望台です。
足元が土ですが、柵は用意されておりある程度整備されています。
こちらが糠平湖
先程から道路沿いに見えていた湖ですが、結構大きな湖です。
糠平ダムというダムによって出来た人造湖であり、タウシュベツ川橋梁もその湖に沈んでいます。
水位によって現れたり見えなかったりするため、幻の橋とも言われるようですが、例年はとっくに水没している11月に例外的にまだ見えているということで見に来ました。
見えました。
あれがタウシュベツ川橋梁です。
実は国道からは湖の対岸という立地であり、デジカメの望遠を駆使しなければはっきり見ることは難しいのです。
向こう側へ通じる林道もあるようですが、それは一般開放はされていないようであり、橋に近づくには地元のNPOが主催するツアーに参加するか、自己責任で山へ分け入って徒歩でアクセスするしかないようです。
そのツアーの参加も考えたのですが、今日は駅巡りがメインですからあまり長居はできないということで、展望台から遠目に見るだけにしました。
このあたりも崩壊が酷いですね。
老朽化に加えて、定期的に水没と水面上への出現を繰り返していることが劣化に拍車をかけているとされ、遠からず橋全体が崩壊してしまうのではないかとみられているそうです。
残念ではありますが、別の場所に移動させたり変に手を入れてオリジナルの姿を失うのも考えものですし、あるがままに任せるのがよいのでしょうね。
と、ここまで士幌線の名前を何度か出してきましたが、その簡単な解説もしておきましょう。
士幌線は帯広と十勝三股を結んでた鉄道で、1987年に特定地方交通線として廃止されました。
1978年には末端部に当たる白糠~十勝三股間が利用者が著しく少ないことを理由に列車の運行を取りやめバス代行となりましたが、路線自体は将来的に上川まで延伸する構想が残っていたため廃止扱いはされず、あくまでも休止によるバス代行という扱いだったため、この区間の線路や土木施設などは撤去もされずに放置されていたのですが、9年後に士幌線そのものが廃止された際には、糠平~帯広間では線路は撤去されてしまい、廃線跡を偲ぶものはあまり残されていないようですが、逆に先に列車の運行が取りやめられていた末端部は、9年間の放置で撤去作業も難しいほど荒廃が進んだためそのまま放置されることになり、廃線跡が明瞭に残されるという数奇な経緯を辿りました。
士幌線の代替は十勝バス・拓殖バスによる路線バスがある他、かつて士幌線が結ぼうとした上川まで三国峠を越える「ノースライナーみくに」があります。
これにて士幌線関係は終わりで、あとはとにかく深川へ向けてひたすら走ります。
その先休憩で立ち寄った「幌加除雪ステーション」ですが、かつて士幌線にも幌加という駅が設けられており、その跡が保存されていたようなのですが、それを知ったのは帰宅後であり宿題が残ってしまいましたw
あとは三国峠に向けてひたすら原野を進みます。(安全な場所で停車中に撮影)
士幌線も白糠以北は先行してバス代行になるくらい人口希薄な地域でしたが、現在では白糠地区を過ぎると無人地帯が続くようになっているようです。
ここまで何もないところを走ると、ここで車が故障したら・・・とか嫌なことを考えてしまいますが、借りたレンタカーは快調に走ってくれました。
三国峠に差し掛かります。
車で走ってもかなり大きな峠だなと思いましたが、仮に士幌線が上川まで達していたらスイッチバックやループ線を駆使する難所だったんですかね。
峠の頂上付近には休憩所があったのでそこに駐車してトイレを借りるついでに1枚
あとはひたすらドライブです。峠を超えると層雲峡と呼ばれる景勝地を抜けて上川に至ります。
上川は石北本線の駅があるところであり、ここからは旭川紋別自動車道という自動車専用道路を活用して、そのまま道央自動車道に課金して深川まで一気に移動します。
午前中いっぱい運転していて疲れましたが、無事にお昼頃には深川に到着しました。
昨日は最後の駅が時間が遅くて真っ暗になってしまったという失態を犯していたので、その二の舞は避けるべく今日は取材のペースを上げたいところでしたが、運転の疲れを癒やすことも兼ねて道の駅に入ってお昼ごはんにしました。
お昼はカレーライスです。
カレー自体が名物というわけではないと思いますが、深川は米どころとして知られており、美味しい深川のお米を食べたいと思い、米が食べられるメニューを注文した結果です。
カレー自体もお米も美味しく頂いて英気を養ったら今日のメインである駅取材を開始します。
まずは北一已駅
ここまで既に3000字も使っていますがようやくメインの駅取材を開始します。1駅目は北一已駅です。
空はあいにくの曇り空ですが、雨が降り出す前にテキパキと撮影を進めていきましょう。
風除室の内部にはもっと年季の入った扉がありました。
あとから風除室を追加したため、外側のほうが新しい扉になったんでしょうね。
時刻表です。
おおむね2~3時間に1本と、ローカル線らしいスカスカっぷりですw
こちら側にも駅名が描かれていますが、縦型駅名標を支柱に取り付けるのは北海道らしいですね。
駅名標です。
駅名は旧一已村の北部に位置することから命名され、一已村はアイヌ語の「イチャン(鮭・鱒の産卵場)」から来ており、その村の開拓当時に屯田兵を中心としていて威勢がよかったことから「一にして已(や)む」としてこの字を当てたようです。
また、現在は「きたいちやん」と読みますが、1997年までは「きたいちゃん」だったそうで、どうして変わったのかはよく分かりませんw
駅前の道路です。
周囲の景色も相まって農道という雰囲気ですね。
それでは次の駅へ向かいます。
秩父別駅
2駅目は秩父別駅です。
駅前にバスは乗り入れませんが、ハイヤー(=タクシー)の乗り場はありました。
駅前の様子です。
道路が駅前で途切れるという北海道あるあるな光景ですね。
ここは現役でストーブが設置されているんですね。
秩父別町の中心駅だけあって留萌本線の駅としては利用者が多い方だったりするんでしょうか。
昔よくあった忘れ物や待ち合わせなどの連絡事項を書き込む掲示板でしょうか。
携帯の普及ですっかり見かけなくなったアイテムですよね。
ベンチはすっかりハロウィン仕様でした。
記事執筆時はもうクリスマスも終わってしまったタイミングでしたが、この活動をした当時はまだハロウィンの余韻が残る時期だったんですねw
自分の筆の遅さを痛感しましたw
スタンプラリーをやっているようで、スタンプが用意されていました。
また、周辺真布も置かれていて活性化に向けて努力しているようですね。
実は留萌本線もJR北海道が単独での維持が困難な線区として上げており、かつ留萌市などは既に廃止を受け入れる姿勢を表明しているなど、廃止に向けたカウントダウンが進みつつある状況なのですが、そんな中でも何とか存続させようと活性化の試みは諦めることなく続いているんですね。
何とかその努力が実ってほしいものですが・・・
駅ノートもありましたが注意書きがすごいですね。
英語でも書かれていますが、よほど盗難やいたずらが多かったんでしょうか。
ホームへ出るとちょうど列車がやってきました。
昨日は列車の来ない駅ばかりの取材だったのでやっぱり列車との遭遇は嬉しいものですね。
↑発車シーンです。
今回の遠征では動画は貴重なので是非ご覧くださいw
ホームは1面1線棒線駅ですが、かつては相対式2面2線の交換可能駅だったようです。
駅名標です。
ここにもかぼちゃがw
本当にハロウィン推しがすごいですねw
で、駅名の由来ですが、「チクシペッ」という「通路のある川」を意味するアイヌ語から来ており、当初は「筑紫」という駅名だったようです。
しかし、町名の方は同じアイヌ語を語源として「秩父別」になったことから後に町名に合わせる形で駅名も「秩父別」に改称された経緯があるようです。
線路内立入禁止の看板は深川駅が管理しているため深川駅長の名前になっていますね。
と言ったところで秩父別駅はこれくらいで次の駅へ向かいます。
北秩父別駅
お次は北秩父別駅です。
北秩父別駅では深川留萌自動車道の盛土の脇の、田園風景の中にあります。
元々仮乗降場だった経緯から駅舎はなく、ホームもこんなに簡素なものになっています。
いわゆる朝礼台と言われるような超コンパクトなホーム
駅舎はありませんが待合室が用意されています。
天井もそのまま屋根になっており、かなり年季が入っています。
雨漏りしてないだけまし?w
あと、微妙にホームと段差があるのが気になりましたが、設計ミスなのかわざとなのか・・・
もちろん、普通の駅名標もあります。
由来は単に「秩父別の北」にあるというだけで特筆するべきことはありませんw
それにしても、端っこに柵一つないので、夜に来ると落ちないか心配ですw
それでは次の駅へ
石狩沼田駅
お次は留萌本線の途中駅では唯一の簡易委託駅の石狩沼田駅です。
入口はちょっと高くなっており、階段があります。
これも積雪対策だったりするんでしょうか?
入り口から入った先は風除室となっており、まっすぐ進むとそのまま外へ出てしまいます。
この明日萌ハイヤーという名前はちょっと気になりました。
実はこの後(恐らく後半に持ち越しになるでしょうが)に出てくる駅に繋がります。
窓口があります。当駅は簡易委託駅となっており、留萌本線の途中駅では唯一の有人駅と言えますが、営業は平日の7時20分から13時40分となっており、訪問時は開いていませんでした。
窓口はありますが改札業務は行っていないようで、ホームへの出入りは自由のようです。
職員のいる時間帯以外はストーブを付けられない決まりのようですが、勝手に付けてしまう人がいるようですね・・・
気持ちは分かりますがルールは守らないといけませんね。
あと、学校にありそうな机がありました。
近隣の学校からの寄贈品だったりするんでしょうか?
それからこんな張り紙も
深川駅管理でトイレットペーパーを設置していたが経費節減のため撤去され、次いで沼田町の予算で再設置したということらしいです。
特に男性はちり紙を持ち歩く習慣がない人も多いので、出先のトイレでトイレットペーパーがないと困ることがおおいですが、これはありがたいですね。
それだけ沼田町は留萌本線を大切にしているということでしょうね。
実はかつて当駅からは札沼線も出ていて、2つの路線が分岐する駅だったのですが、そちらはとうの昔に廃止されており、せめて残った留萌本線だけでも大切にしたいという意向なんですかね。
スタンプと駅ノートも
駅ノートはもしかしてオリジナルデザインだったりするでしょうか?
沼田町の駅への力の入れようを見ると有り得そうです。
それではホームへ出ます。
出入口の真上に駅名標があるんですね。
駅名標だけアップで
駅名の由来は当地の開拓に関わった沼田喜三郎氏が所有する農場内に駅を設置したことから苗字より沼田としましたが、後に上越線に沼田駅が開業したため旧国名を冠して石狩沼田となりました。先に開業していたのに改名を強いられたのはローカル線ゆえの宿命でしょうか。
ちなみに、開業時の自治体名は上北竜村でしたが、後に沼田町になった経緯があり、駅名が自治体名になったケースの1つです。
かつては札沼線の分岐駅だったこともあってか、ホーム全体を覆う立派な屋根が特徴的です。
倉庫代わりにしているのかコンテナが置いてありました。
また、そのまま外へ出られそうな雰囲気ですが、それ故に改札業務は省略する運用にしているんですかね。
かつては交換駅だった名残で向こう側にもホームが残っていますが、使われているのは1面1線だけとなっています。
そこそこの規模の当駅ですら運用上は棒線駅なのは寂しいですね。
名所案内がありました。
何やらSLの保存を示唆する案内もありますが、現地ではさほど気にしなかったようでスルーしてしまいました。
ホームにて洗い場がありました。
これはSL時代の名残ですかね。
といったところで次の駅へ
真布駅
外国人だと混乱必至な真布駅です。
ここも朝礼台スペックのコンパクト駅で、北秩父別駅に似ていますね。
言わずもがなで仮乗降場を起源とする駅です。
駅前の道路は意外と道幅のある舗装道路です。
・・・ちょうど雨が降っていて傘が写り込んでしまいました。失礼しました。
もっと近づいて1枚
ここも駅舎はありませんが木製の待合室があります。
で、問題の駅名です。
見出しのところで「外国人混乱必至」と書きましたが、理由はその読み方であり、「まっぷ」と読みます。
英単語の”Map”を連想する名前ですが、「パンケシルウトルオマプ」という「下の山の間にあるもの」を意味するアイヌ語の最後の部分だけを取って付けられたようです。
やっぱりあった除雪用具
いちいち持ち運ぶのが面倒でしょうし、各駅に常備しているんでしょうね。
と言いたいところですが、そろそろ文量もいい感じになってきたので続きは後半に譲るとしてここで一旦記事を区切りたいと思います。
つづく