4泊5日で実施した北海道遠征の4日目です。
なお、1日目・2日目・3日目をご覧になっていない方はそちらからご覧になることをおすすめします。
本日の行程
4日目となる今日は昨晩宿泊した旭川から石北本線の普通列車で上川、更に遠軽へと向かい、そのまま折り返して旭川まで戻ったら、特急「ライラック」で札幌へ向かい宿泊してゴールです。
メインは石北本線の上川~遠軽間を普通列車で通過することで、あとはほとんど単なる移動という感じですね。
まずは上川へ
最初は上川まで移動することから4日目の朝が始まります。
乗り鉄旅行だと7時台とか下手したら6時台の出発もザラですが、今回は9時台の出発で、昨日も割と早めにホテルに入れたので体力的にはかなり楽でした。
旭川電気軌道のバスがいました。
回送車のようですが、ペコリと頭を下げているキャラクターが愛らしいですねw
それでは改札を入ります。
この9時28分発の上川行きが乗車する列車です。
ホームに行くと最新型のH100形がいました。
まだ乗ったことがなかったのでこれが乗車する上川行きだったら嬉しいな~
幕はまだ旭川行きのままでした。
ドアは開放されているようなので回送ではなさそうです。
向かいのホームからも撮るべく移動すると幕が変わりました。
どうやら宗谷本線の永山行きとなるようですね。
隣に停まっているキハ40系が私の乗る上川行きのようです。
乗車するキハ40系です。
この区間では以前にもキハ40系に乗っていますが、あとどれくらい乗車する機会に恵まれるかもわからない貴重な車種ですし、その幸運に感謝しつつ乗車を楽しむとしましょう。
車窓からは特急列車の愛称名にも採用されている大雪山を見つつ行きます。
上川までは比較的利用者のいる区間であり、旭川~上川間の普通列車は1~2時間に1本程度は確保されており、日常の足としても使える程度の本数は設定されています。
そのため特に旭川近辺は混み合うことも多いですが、午前中に旭川から上川方面は利用者が少ないようで私が乗った列車は空いていました。
上川に到着しました。
ここから更に遠軽行きの普通列車に乗り継ぐのですが、30分ほど待ち時間があるので、以前にも訪れている駅ですが、前回は日没間際の時間帯だったので、今回は軽い写真を撮るべく改めて取材します。
乗ってきた列車です。
やっぱりこの色のキハ40系に乗ると北海道を旅しているなと実感しますね。
層雲峡の最寄り駅ということで、団体利用に備えてかラッチもありました。
臨時改札という位置付けなのか普段は利用できないみたいですけどね。
改札中の案内札も昔ながらのスタイルですが、札自体は綺麗なので最近新調したんですかね。
ケージのようなものに囲まれているこれはストーブでした。
やけど防止のために囲っているんですね。
このキャラクターは何かと思ったら最近良く見る温泉むすめのようです。
ウマ娘といい擬人化は常に人気のジャンルですよね。
駅前ロータリーも広いですね。
観光シーズンだとここで観光バスが待っていたりするんですかね。
駅に隣接してバスターミナルも整備されています。
ただ、「森のテラス」の”テ”の上部分がどっか行っちゃってますがw
昨日乗るつもりだったものの「大雪」の運転日だったことに気づいて急遽断念した「石北号」もここに立ち寄ります。
その他、旭川と層雲峡を結ぶ路線も立ち寄ります。
ちなみに、「石北号」は石北本線とは異なり、上川から層雲峡を経て留辺蘂へ抜ける国道39号を走るので、石北本線が通る白滝や遠軽は通りません。
それではそろそろ駅に戻りますが、まだ遠軽行きまでは少し時間があります。
改札へ行くと案の定、北海道あるあるの列車別改札でまだ改札を開始していませんでした。
しかし、他の利用者(恐らく鉄道ファン)が駅員さんに遠軽行きの入線を撮影したいので先にホームに入れてほしいとお願いするとすんなりOKされていたのを見て私も便乗して先にホームに入れてもらいました。
昔はこういうお願いをすると怪訝な顔をされたり、はっきりとダメだと言われたりということもあって、私個人は列車別改札そのものに軽くトラウマのようなものがあるんですが、今は鉄道の現場にも鉄道ファンへの理解が広まりつつあるんですかね。
というわけでホームに入りました。
ホームは2面3線の国鉄型配線で、折返しや待避も可能な構造ですが、実際普通列車のほとんどは当駅で折り返しになりますし、ちゃんと活用されていると言えますね。
まだ列車が来るまで時間があるようなのでその間に駅名標を・・・
この中継信号機は普通のと形が違うように思えますが、北海道という土地柄を考えると雪対策なんですかね。
↑そして、お目当ての遠軽行き普通列車がやってきました。
気になったのがこの列車がどこからやってきたかですが、私はてっきり、旭川からの普通列車の一部を切り離して遠軽行きに充当するとかだと思ったんですが、旭川方から回送で入線してきたので、旭川運転所から回送で上川に持ってきているみたいですね。
どうせならば上川行きとして営業運転すればいいのにと思いました。
駅舎はモダンでしたが階段は随分レトロですねw
でも、趣があって好きです。
レトロな見た目ですが点字ブロックが付いていて現代と過去が同居しているみたいw
よくある「ご乗車ありがとうございます」という看板も渋いですね。
私が次に乗る遠軽行きです。
またしてもキハ40系ですが、険しい区間を古い車両で乗るのは頑張って越えている感があっていいですよね。
ここからも構内を撮ります。
木がいいアクセントになっています。
遠軽方を先頭にもう1枚
しかし、閑散区間ながら2両編成なんですね。
勾配のきつい区間ですから空転対策とかなんでしょうか。
ただでさえ利用の少ない区間で2両編成なのでご覧の通りの貸切状態でしたw
他の車両には何名かいたようですが、列車全体でも乗客は10名も居なかったのでは?
それではこのキハ40系で石北本線最閑散区間の旅を始めるとしましょう。
キハ40で行く石北本線の最閑散区間
というわけで石北本線の最閑散区間の旅が始まります。
この最閑散区間というのは上川~遠軽間のことを指しているわけですが、なぜ最閑散かといえば列車本数が少ないという一言に尽きます。
昨日の記事でも軽く触れましたが、石北本線でも旭川~上川間と遠軽~北見・網走間は日常的な利用者がそれなりにいる区間で、普通列車も最低でも2~3時間に1本程度は走っているのですが、上川~遠軽間に関しては沿線人口が極端に少ない区間となり、かつてはたくさんあった途中駅もその多くが廃止されて、上川駅の次の駅となる白滝駅まではは37.3kmもの間に1つの駅もなく、これは在来線としては国内最長の駅間になるようです。(新幹線を含めると北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅~木古内間の74.8kmが最長)
白滝駅の先も廃駅だらけとなっていて、丸瀬布、瀬戸瀬と停まったらもう遠軽となり、遠軽まではわずか4駅しかありません。
しかし、その4駅で75.9kmもあり、新幹線の駅間だと言われても違和感がないほど駅の少ない区間となっていて、そうなるとこの区間内だけの利用者はほぼ皆無といっていいほどの状況であり、利用者の大半は網走や北見・遠軽と旭川・札幌を往来する都市間移動の利用者ということになり、この区間を運行する列車も都市間輸送を目的とした特急「オホーツク」「大雪」と特別快速「きたみ」がメインとなっており、それ以外には普通列車がわずかに1往復のみとなっています。
白滝と丸瀬布には特急も一部停車するため、普通列車しか停車しない駅というのは瀬戸瀬だけとなっていることもあって、普通列車の必要性も低いのでしょう。
ただし、特急に乗れない青春18きっぷなどで石北本線を旅する場合は、この1日1往復の普通列車か、特別快速「きたみ」の2つしか列車の選択肢がなく、18キッパーに許されているのはわずかに1日2往復のみということになり、まさに18キッパー泣かせの区間とも言えます。
ちなみに、以前私が石北本線に乗った頃のダイヤでは、上川発遠軽行きの1本しかない普通列車は朝の6時台に発車するダイヤであり、上川に宿泊しないと乗車不可能な時間帯に設定されていたのですが、いつの間にやら発車が11時10分発に変わっていたおかげで旭川に宿泊してのんびり出発しても間に合うようになって、札幌からでも乗りに来られるようになるなどとても便利(?)になりました。
18キッパーや鉄道ファンに配慮したのか分かりませんが、純粋にありがたいですね。
↑車窓はもちろん動画でどうぞ
わずか4駅ですが1時間36分もありますw
さて、上川を出発するとまずは白滝を目指すわけですが、ここが国内の在来線で最長の駅間となり、この遠軽行き普通列車は1駅で50分もかけて走ります。
普通列車の1駅が50分なんて、都会の電車しか知らない人からしたら信じられない話ですよねw
上川から先は旭川から並行してきた国道39号を離れて、国道333号を相方に峠越えに挑むことになります。
国道に並行して「旭川紋別自動車道」という高速道路が整備されており、時折車窓からも見えるのですが、鉄道が苦境に立たされていることを考えると複雑な気持ちになります。
そして、最初に差し掛かる廃駅は天幕駅です。
天幕駅は元々は鉱山の関係で設置された駅だったようですが、2001年に廃止されています。
また、変わった駅名でもありますが、これについてはアイヌ語ではないようです。
元々当地を含めた地域はアイヌ語で「ルベシベ」(越える道)と呼ばれており、これが留辺蘂町や留辺蘂駅の由来なんですが、天幕という駅名には関係なく、明治時代に中央道路と呼ばれる道路を建設するに当たり、当駅近くに天幕(テント)が張られたことが由来とする説の他、同じく明治時代に当駅付近に小屋を構えて狩猟生活をしていた清水三次郎という人が居て、その人の渾名が「天幕三次郎」だったことに由来するという説もあるようです。
ちなみに、その渾名の由来は前述の中央道路のテントを張った場所に住み着いていたと自称していたことに由来する説や、単にテント生活をしていたからという説もあるようですがはっきりしないようです。
北海道の僻地は古くからの地名が存在しないことが多いため、このようなエピソードが地名になったりすることも多いのが面白いですよね。
更に山を分け入ると続いて現れる廃駅は中越駅です。
中越というと新潟県を連想してしまいますが、読み方は「なかこし」であり、この駅については前述のようにアイヌ語では「ルベシベ」と呼ばれていた地域の一部でしたが、明治の開拓時代の頃にこの「ルベシベ」が意味する「越える道」を意訳して「越路」と呼ばれるようになり、明治29年に越路地区と北見峠の中間に位置する当地に中越駅逓所という宿場のようなものが設けられることとなり、その後中越が地区名となり、駅名もそれを採用した経緯があるようです。
こちらも天幕駅と同様に2001年に廃止されていますが、現在でも列車の行き違いのための信号場としては使われており、中越信号場として現存しています。
ちなみに、並行する旭川紋別自動車道には「なかこしトンネル」というトンネルがあったりします。
このあたりまで来るといよいよ峠越えが本格化して来るのか列車の速度も落ちてきてキハ40系のエンジンもだいぶ苦しそうです。
続いて現れる廃駅は上越駅です。
これも「じょうえつ」と読みたくなりますが「かみこし」と読み、由来ははっきりとしたソースは見つけられませんでしたが、中越駅と同じく越路と北見峠の中間地点で、中越より上にあるからといったところではないでしょうか。
上越駅については国鉄時代の1975年に廃止されていますが中越信号場と同じく列車行き違いのための信号場としては現役であり、分岐器の凍結を防ぐためのシェルターを備えていることもあって列車の車窓からも分かりやすいです。
その廃止の理由は駅周辺の住民が全員去ってしまったためというあまりにも悲しい理由でしたが、どうやら廃止後もしばらくの間は仮乗降場扱いで旅客扱いを行っていたらしく、国鉄時代のおおらかさを表すエピソードですよね。
また、上越信号場はJR北海道の現存する停車場(駅と信号場などをひっくるめた言い方)の中では最も高い634mの標高に位置しております、奇しくも東京スカイツリーと同じ高さですね。
あと、近くに旭川紋別自動車道のインターチェンジがあるんですが、上越という名称が採用されることはなく、浮島インターチェンジという名前になっているようです。
上越駅を過ぎるといよいよ石北本線最大の難所の北見峠に差し掛かります。
鉄道は全長4329mの石北トンネルで通過するのでむしろトンネルへのアプローチ区間のほうが列車にとっては難所のような感じもしますが、SL時代はトンネル内も煤煙に晒される機関士や機関助士にとっては難所だったことでしょう。
一方、道路は国道333号が通っていますが、ヘアピンカーブを駆使して律儀に峠を越える道筋になっているため、ドライバーにとっては今でも難所といえ、その建設には1000人を超える囚人が動員され、このために作られたのがあの有名な網走監獄です。
工事は4月に開始して同じ年の12月までに160kmもの道路を完成させる突貫工事で、200人以上の犠牲者を出しての完成だったことからこの峠道には「囚人道路」という別名もあるそうです。
完成後は国道39号に指定されますが、現在の層雲峡経由の石北峠のルートが完成すると国道39号はそちらにルート変更され、一旦は道道に格下げされるものの、線形改良の上で再度国道指定され、現在は国道333号となってます。
更に並行する形で通行料無料の旭川紋別自動車道が長大トンネルで快適な峠越えを提供するようになった今では、多くのドライバーにとって北見峠は難所とは感じられなくなっているのかもしれません。
峠のトンネルを越えると住所は上川町から遠軽町へと移りますが、まだ廃駅があります。
その名も奥白滝駅といい、白滝地区のまさしく奥に位置しており、JR北海道に移管されてしばらくは通学需要もあったのか遠軽方面への列車が当駅まで運転されるということもあったようですが、過疎化で通学利用者も居なくなったのか1992年には停車する列車が1日1往復のみとなり、2001年には駅としては廃止になりましたが、中越駅、上越駅と同じく信号場としては現役で使われています。
周囲には旭川紋別自動車道の奥白滝インターチェンジがあり、旭川紋別自動車道のパーキングエリアを兼ねている道の駅しらたきもあるなど、道路交通としてはそれなりに開けた土地のようです。
もうそろそろいい加減に現役の駅が出てくるだろうと思ったらまだ廃駅があり、今度は上白滝駅です。
ここも末期は1日1本しか停車しない駅であり、交換設備も撤去されていたことから2016年に駅として廃止された後は信号場としての機能も失っていたことから完全に廃止されました。
そして、上川を出てから50分弱、ようやく最初の停車駅の白滝に到着です。
白滝駅は旧白滝村の中心駅で、特急「オホーツク」「大雪」の一部も停車する駅ですが、ここ最近の利用者数は10名以下という状況になっています。
また、先程通過してきた奥白滝、上白滝に加え、この先には旧白滝、下白滝という廃駅もあり、かつては5駅連続で白滝と着く駅名が続いていたことから「白滝シリーズ」と呼ばれてもいましたが、白滝駅以外の白滝シリーズが廃止されてしまったため「白滝シリーズ」という言葉も過去のものとなってしまいました。
この白滝から遠軽の間は区間運転の普通列車も加わるため1日1本ではなくなりますが、それでも1日3往復しか普通列車がありません。
そんな白滝の先にもまだ廃駅はあり、先程も紹介した白滝シリーズの1つだった旧白滝駅がそれです。
駅名に”新”と付く例は新大阪駅とか新横浜駅など枚挙に暇がないほどありますが、”旧”と付く例は非常に珍しく、この旧白滝駅の他には、神戸市営地下鉄の旧居留地・大丸前駅しかなく、旧白滝駅が廃止になった今となっては旧居留地・大丸前駅が唯一”旧”と付く駅名になっています。
旧白滝駅は国鉄時代には仮乗降場扱いでしたが、JR北海道に移管されると同時に正式な駅に昇格したものの、利用者が少なく2016年に廃止になりました。
末期は3往復ある普通列車のうち、下りは1日1本しか停車していませんでしたが、これは最後の定期利用者だった遠軽の高校へ通う高校生が登校する時間帯の列車であり、この高校生が高校を卒業するのと同時に旧白滝駅が廃止されることとなったため注目を集めたこともありました。
ちなみに、駅名の由来ですが、白滝の土地を開拓する際に最初に入植者が入った土地がこの旧白滝でしたが、土地が悪く入植者らが移転してしまったため旧白滝としたとか、白滝に旧石器時代の遺跡があったからなどと言われているようです。
普通は既存の地名に対して新しい地名や駅名が出来る場合はそちらに「新~」と付けて、元々の名称は残すことが多いので、開拓時代特有の地名の付け方と言えますね。
なお、旧白滝駅には交換設備がなかったので駅廃止後は信号場としても残っていません。
そして、白滝シリーズ最後の駅となる下白滝駅に差し掛かります。
ここも旧白滝駅と同様に2016年に廃止されていますが、交換設備があることから信号場としては現役です。
白滝シリーズが終わると丸瀬布駅に到着します。
丸瀬布にも特急の一部と特別快速が停車し、旧丸瀬布町の中心駅ですが、それでも利用者数は50名程度だそうです。
付近には旭川紋別自動車道の丸瀬布インターチェンジや道の駅まるせっぷもあり、都市間バスの「えんがる号」「北大雪号」の停留所も設けられています。
丸瀬布にはかつて森林鉄道も乗り入れていて、今は廃線になっていますが、その車両が動態保存されていて「丸瀬布森林公園いこいの森」という施設で保存運転が行われているそうです。
丸瀬布の次は瀬戸瀬ですがその間にも1つ廃駅があり、伊奈牛といいます。
由来はアイヌ語で「イナウウシ」(木幣・多い)から来ているそうで、旧白滝駅同様に国鉄時代は仮乗降場だったものがJR北海道に移管された際に正式な駅に昇格したもののJR北海道移管のわずか3年後の1990年に廃止になっています。
現在でも遠軽町営バスの停留所はあるらしいですが、鉄道の駅を維持できるほどの需要はなかったということですかね。
ここまで文字ばかりが続いていましたのでそろそろ写真をw
列車は現役の駅の中では唯一普通列車しか止まらない瀬戸瀬駅に到着しました。
駅名の由来はアイヌ語の「セッウシイ」(巣・多い・もの)が訛った、あるいは「セタニウシウトゥルコツ」(エゾノコリンゴの木・群生する所・の間の・沢)の「セタニウシ」が訛ったものなどという説もあるようですが判然としないようです。
この駅も現在の利用者は1日あたり「3名以下」という状況で今の所廃止の話は出ていないようですが、今後の行く末が心配ですね。
その瀬戸瀬駅の次がこの列車の終点の遠軽駅ですが、その間にも1つだけ廃駅があり、その名を新栄野駅といいます。
国鉄時代は仮乗降場で、JR北海道移管時に駅に昇格しますが、2006年に廃止されました。
あとは遠軽に向けてラストスパートです。
ここまで、現役の駅を3つ通ってきましたが、廃駅は9つにも及び、廃駅だらけの区間となっています。
その多くは秘境駅と言われていた駅で、現役時代に北海道へ遠征できるだけの財力と行動力を持っていなかったことが悔やまれますが、それはタイムマシンでも実用化されない限りはどうにもなりませんね。
隣には網走行きの普通列車が停車中です。
実はここまでたどってきた行程は石北本線を下り方向に普通列車だけで走破できる唯一の乗り継ぎパターンだったということになりますね。
私は網走方面へは乗り継がずにこのまま旭川へ引き返しますが、しばらく時間があるので遠軽でしばらく撮影などしたいと思います。
遠軽にて
しばらく遠軽で時間があるため、上川同様に過去に訪れている駅ですが、しばらく撮影などしてぶらつきたいと思います。
とりあえず駅名標です。
当駅はスイッチバック構造なので、2つの隣の駅は片方にまとめて書かれています。
このようになった経緯は昨日の記事で触れているので、まだ読んでいない方はご覧下さい。
発車標みたいなものですが発車時刻や行先は案内されず、方面と乗り場だけみたいです。
こういうアナログなギミックはいいですよね。
駅の脇には立派な建物が建設されてました。
前に来たときはまだなかったような・・・
この標識によると「えんがる町民センター」なるものを建設中のようです。
地元住民ではない私には関係ない施設ですがw
しばらく歩くと踏切が出てきました。
この先に跨線橋があるのでそこで網走行きの列車を撮りたいと思います。
踏切の先にあった神社ですが、背景の紅葉も相まっていわゆるエモいと思って撮りました。
ちなみに、神社の名前は遠軽神社だそうです。
跨線橋から駅を見渡せました。
こうしてみるとまるで模型を見ているみたいですねw
石北本線の線路が網走方面と旭川方面に二股に分かれるのがよく分かります。
反対側です。
二股に分かれる線路の間が駐車場になっているんですね。
鉄道ファンにとっては最高のトレインビュースポットですが、駐車場じゃ勝手に立ち入るわけにはいきませんね・・・
↑網走行きの普通列車です。
あとは近くのセイコーマートで食料を調達して駅に戻ります。
滞在時間から言えば遠軽駅周辺の飲食店でお昼ごはんを食べることも出来たのですが、跨線橋まで行っている間に時間がなくなりお昼はコンビニ飯ですw
まあ、セイコーマートも北海道のご当地ですからこれもご当地グルメですかね?w
跨線橋の近くにあった踏切ですが、道幅が広いので単線の線路に対して大きな踏切になっていました。
ここだけ見ると都会っぽいですねw
あとは札幌へ向かう
もう本日の行程のメインは終わったと行っても過言ではありませんが、今宵の宿は札幌に取っているのでまだまだ長い長い移動が待っています。
さっきのリプレイなのでもう動画は撮りませんがせめて写真を1枚
旭川紋別自動車道と国道333号が並ぶ光景です。
再び1時間半かけて列車は上川まで進みました。
列車は旭川行きであり、そのまま乗り通せるのですが、上川では40分以上も停車します。
↑北見行きの特別快速「きたみ」がやってきました。
「きたみ」もしばらく停車します。
実は本来は旭川行きの特急「大雪」も同じ時間帯にやってくるダイヤになっていて、「きたみ」はその交換待ちをするのです。
そして、私が乗っている旭川行き普通列車の視点で見れば、特急の待避をする形にもなります。
このように列車交換と待避を同時に行っているため、上川駅にある3線をフル活用していることになりますね。
ただ、この日は「大雪」の運休日だったたためいわゆる空退避ということになり、無駄に上川駅で待ちぼうけを食らった形になります。
どうせ手元には特急にも乗れる「ひがし北海道フリーパス」があるので、「大雪」があればここで乗り換えたかったですが仕方ないですね。
↑「きたみ」が発車していきます。
そして、私も列車に戻り旭川への旅を続けます。
愛別駅では機関車と交換しました。
回送だったのか工事列車だったのか分かりませんが、レアなものを見られました。
旭川に到着しました。
ここで特急「ライラック」に乗り換えます。
↑乗ってきた列車の引き上げシーンを見送ったら乗り換えます。
「ライラック」です。
何度も乗っている列車ですが、やっぱり特急列車に乗れるのは特別感があってワクワクします。
行先を撮ったら乗り込みましょう。
「ライラック」については今更書くこともないので省略!w
札幌に到着しました。
この翌朝は函館本線の始発列車に乗らなければならず、朝も早く起きなければならないのですが、まだ本格的に北海道グルメを味わっていないなということで北海道内のローカル回転寿司チェーンの「根室花まる」というお店に行っていました。
回転寿司ということで写真は撮りませんでしたが、内地の回転寿司とは一味違うお寿司を堪能しました。
ホッケやさんまなど寿司ネタとしては珍しいものも食べられて大満足です。
これにて4日目は終了となり、5日目は別記事にて追ってレポートしますのでしばらくお待ち下さい。