今回は青春18きっぷを使って東北地方へ遠征しました。
なお、青春18きっぷということでお察しがついていると思いますが、これは2023年冬シーズンの活動であり、もっというと2023年の末に実施したものなので、越年レポートとなっていますw
本日の行程
というわけで早速活動内容の説明ですが、目的地は翌日の行程の都合で一ノ関駅となるものの、只見線を通ってから向かうため、移動距離の割には活動時間は長くなっています。
そのため、一ノ関が目的地ながら、まずは高崎線・上越線を乗り継いで小出へ向かい、只見線に乗って会津若松へ、あとは磐越西線・東北本線と乗り継いでひたすら一ノ関へ向かいます。
只見線に乗る部分以外はひたすら普通列車で移動するという内容なので、記事の内容としてはそれほど膨らまないかもしれません。
まずは小出を目指す
それでは早速本編スタートです。
まずは只見線が出る小出を目指すのですが、ここは単なる移動という感が強いので、テンポよくダイジェストで紹介していきましょう。
記事は高崎駅からスタートします。
地元の駅からの乗車はいつもの光景すぎて撮影すらしませんでしたw
写真は211系ですが、今やすっかり希少車種ですね。
群馬県内はいまのところは211系王国ですが、それもいつまで続くでしょうか。
いかにも映えスポットという感じですが、よく見ると東京のPRでしたw
クリスマスに近い時期だったためクリスマスツリーもありました。
スタンプ台はSLの形でした。
群馬といえばSLというイメージありますよね。
続いて乗車するのは10時25分発の水上行きです。
ところで、7分後に特急「草津・四万」があって、渋川まで同じ経路ですからどこかで追い抜かれるかと思いきや、意外と追いつかれません。
実はこの「草津・四万71号」は多客期のみ設定される臨時列車であり、上越線内では普通列車の後ろを追従するダイヤになっているようです。
それでは乗り込みます。
貴重な211系乗車ですが、ここから先の長旅もあるので大人しく過ごします。
車内は18キッパーなのか案外混み合っていました。
そして、水上に到着しました。
上越線では定期旅客列車の全てが当駅で系統分断となっており、今回もここで乗り換えです。
上越線はもう少し群馬県内を走りますが、感覚的にはここから先がもう新潟という感じがします。
乗り換えるのはE129系です。
この車両も新潟地区の車両ですし、やっぱりもう新潟という感じがします。
線路敷には雪が積もっていますが、一応はまだ関東なんですけどねw
ホームを移動してもう1枚
車体にも雪がこびりついていますが、新潟へ入ったらもっとすごい雪なんでしょうね。
あまりに大雪になると列車の運行に影響が出るので困りますが、車窓から眺める分には風情があっていいですよね。
ここからは通称「上越国境」と呼ばれる峠越え区間であり、上越線は清水トンネル・新清水トンネルを駆使してこの峠を越えていきますが、この峠越えは川端康成の小説「雪国」に登場することでも有名ですね。
そんな上越国境に思いを馳せつつも、ここで駅弁タイム!
今回はほとんどの駅で5分とか10分程度の乗り換えが連続しており、乗り換え待ちを利用して食事をするのが不可能な行程だったこともあり、高崎での乗り換え待ちの間に駅弁を調達しておいたのでした。
横川駅を発祥とし、今や群馬県全体のご当地駅弁の地位を確立している「おぎのや」の峠の釜めしですが・・・
蓋を開けるとこんな感じです。
有名駅弁ですし、食べたことがある方も多いと思いますが、注目してほしいのは容器です。
峠の釜めしといえば陶器製の器が特徴でしたが、昨今のSDGsの流れや、陶器製の器は重くて持ち運びが大変という声を受けてパルプモールドという素材の容器にリニューアルされたのです。
確かに旅の途中で買うことが多い駅弁ということを考えると、陶器製の器だと持ち歩くのも大変ですし、なんとなく捨てるのが惜しくて持って帰ることも多いですが、それも負担といえば負担ですしね。
なお、やっぱり釜飯は陶器の器じゃないと!・・・という方のために陶器の器の釜飯も継続して販売されていますのでご安心下さい。
ただ、私が購入した駅構内の売店ではパルプモールドの釜飯しか売っていなかったので、駅売りはパルプモールドだけで、おぎのや直営のお店や駅弁大会でのみ陶器の器のものを販売しているのかもしれません。
器が変わって釜飯感は薄れましたが、味は変わらず美味しく頂きました。
歴史ある駅弁も時代に合わせて変化しているというのもいいですね。
食事を終えると列車は上越国境を越えていて、もう新潟県でしたが、想像通りの雪景色でした。
「雪国」の通り「国境のトンネルを抜けるとそこは雪国」でしたね。
“上国”の通称で知られる上越国際スキー場前駅です。
その歴史は意外と浅く、1997年に臨時駅として設置され、2003年からは常設駅となりました。
また、JRグループでは3番目に長い駅名であり、かつ仮名表記では最も長い駅名となるようですよ。
こちらが只見線の列車です。
キハ110系ですが、キハ40系時代の塗装を再現したものですね。
行先表示ですが、フルカラーLEDになっていました。
オリジナルのキハ110系は単色だったと思うのでリニューアルされたんですかね。
ここでは上越線から乗り換える人が多くて、いい席が取られてしまいそうだったので、とりあえず乗り込んで座席を確保しました。
無事にボックス席を確保しましたが、発車まで15分くらいあるので、その間に駅を見ていくことにします。
それではまずは駅名標です。
魚沼市の中心駅であり、上越新幹線開通前は急行も停車する駅だったようですが、現在は優等列車もなくなり、只見線との乗換駅という以上の存在感はないですよね。
ちなみに、2004年までは所在地は小出町でして、周辺町村と合併し魚沼市となりました。
余談ですが、市内にある関越自動車道の小出ICは、市名である魚沼市にちなんで魚沼ICに改称されることが決まっているものの、小出駅については特に改称する予定はないみたいです。
このあたりの地域はやっぱりモータリゼーションが進んでいて、鉄道駅よりも高速道路のインターチェンジの方が重視されているということでしょうか・・・
只見線には島式1面2線が割り当てられていますが、ホームが狭いのは只見線がローカル線であるがゆえですかねw
跨線橋内部です。
かつて新潟地区でよく見られた「キムワイプ」の塗装が再現されているのがいいですね。
115系引退で実車では見られなくなった塗装ですが、E129系でもリバイバル塗装としてやってくれませんかね?
ホームは島式2面4線と単式1面1線の複合で、上越線部分は2面3線の国鉄型配線で、1面2線が只見線用となっています。
新幹線ができるまでは優等列車がひしめていた上越線ですが、駅構造にもその痕跡が見て取れますね。
なお、現在は上越線のこの区間には定期の優等列車はありませんし、当駅折返しも設定されていないので持て余している感じですね。
それでは改札を出ます。
自動改札機はなく、かつラッチもないため改札というよりは通路という感じですが、今でも駅員が配置されており、みどりの窓口が維持されているのは地方の駅としては優遇されている方でしょうか。
駅舎です。
2011年に建て替えられており、まだまだ新しいですね。
駅名の看板は渋い見た目ですが、魚沼市出身の俳優の渡辺謙さんが書いたものだそうですよ。
駅前広場ですがひときわ目立つ大きな建物がありますね。
これは「川善旅館」という旅館でして、なんと今でも駅前旅館が健在なんですね。
電車で少し行って長岡あたりへ出れば大手チェーンのビジネスホテルがたくさんあるでしょうし、特別に観光地というわけでないこの地で駅前旅館が健在なのは意外に思いましたが、調べてみると只見線の始発列車は5時36分なんですが、上越線では長岡方面からも浦佐方面からも始発電車に乗ってきても間に合わないため、只見線の始発に乗るために宿泊するという需要があるのかもしれませんね。
確かにこの時間なら空いている可能性が高く、のんびりと乗車できるでしょうし、昼前に会津若松へ着けるので、そのまま別の地域へ足を伸ばしたり、会津若松をじっくり観光するなんてこともできるわけですから、小出への宿泊も選択肢としてはありでしょうね。
ただ、軽く調べてみたところ、公式サイトもなく予約も電話でのみ受け付けるなど、ネット予約が当たり前の現代ではちょっと利用のハードルが高いかもしれません。
ただ、逆に考えると上越線から乗り換えが不可能な時間帯にただでさえ本数の少ない只見線の貴重な1本を走らせる意味が謎ですが、福島県側に入って只見駅に差し掛かる頃には7時すぎなので、平日だったら高校生の通学需要があるでしょうし、そこがメインであり、小出から只見までの区間は回送ついでという感じなんでしょうね。
駅前にはバス停がありますが、こちらは乗合タクシーのものです。
小出の市街地と駅を結ぶようです。
この他に一般の路線バスも存在しており、南越後観光バスによって周辺の地区を結ぶフィーダー路線がいくつかあるようです。
中には六日町や小千谷へ向かう上越線と並走する路線もあるため、ローカルバス乗り継ぎ旅をするときに使えそうな路線もありますね。
といったところでそろそろ撤収してあとは車内で過ごします。
雪景色も見ているだけなら綺麗ですが、その中を歩くとなると寒くてたまりませんw
只見線に乗る
小出駅の紹介も済んだところで、いよいよこの日の行程の目玉とも言える只見線に乗車していきます。
まずは只見線についての解説から始めますが、只見線は新潟県の小出駅と福島県の会津若松駅を結ぶ135.2kmの鉄道で、沿線人口の少ない地域を走り、自然豊かな車窓が楽しめることもあって鉄道ファンのみならず人気がある路線となっています。
歴史としては会津若松~会津柳津間に軽便鉄道法に基づいて計画された会津線として1928年に開業したのが始まりで、これを延伸する形で田子倉ダム建設のために会津川口まで延伸され、更に会津川口から只見まではダム建設のための専用鉄道として整備された後、ダムの工事が終わると国鉄線に転用され、只見線の一部となりました。
一方、新潟県側は1942年から只見線として建設され、1971年に只見~大白川間の開業をもって全線開業となり、全線を只見線と称するようになりました。
国鉄時代には急行が走ることもあったようですが、1988年以降は普通列車のみが走るローカル線となっており、沿線人口の少なさもあって建設中から既に赤字83線に指定されるなどしましたが、福島県と新潟県の県境付近にある六十里越えの道路が冬季閉鎖となってしまうこともあり代替手段がないという理由で特定地方交通線としての廃止対象からは除外された経緯がありました。
この道路事情は令和の現在でも変わっておらず、県境前後の区間はおよそ半年間に渡って利用できず、只見線の役割は重要であり続けています。
そんな只見線ですが、2011年に発生した「新潟・福島豪雨」の影響で橋梁流失などの被害を受け、会津川口~只見間はなかなか復旧されず、ただでさえ赤字路線だった只見線に発生した甚大な被害ということから、他のローカル線の例に漏れず、このまま復旧されずに廃線になるのではないかという危機感が広がっていました。
福島県と沿線自治体が復旧工事費の4分の1を負担するという条件が提示され、更には運転再開後の赤字分を補填することや、当時は黒字の鉄道事業者には適応されなかった災害復旧事業費の補助を受けられるようになったこと、更に線路施設を福島県と沿線自治体で保有し、JR東日本は列車の運行のみを担う「上下分離方式」の導入が決め手となり、被災から6年目となる2017年にようやく鉄道での復旧という方針が決まり、2022年10月、ついに只見線は全線復旧を果たしたのです。
ローカル線で大きな被害が出た場合、そのまま廃線というケースが多い中で、奇跡と言っていい復活を果たした只見線ですが、被災前から人気だった路線ということもあって、全線復旧後は多くの鉄道ファンが全国各地から乗りに来ており、ローカル線でありながら週末を中心に混雑が問題になるほどだそうです。
私個人としても被災直前となる2011年の春に只見線に乗る旅行を計画していたのですが、諸事情あってこれは中止となり、リベンジの機会を伺っている間に例の豪雨で不通となってしまい、福島県側の会津若松~会津川口間については2018年に乗っていたものの、不通だった会津川口~只見間と、新潟県側の小出~只見間は乗らないままになっていました。
このまま復旧されずに廃線となれば只見線の只見~会津川口間は乗らずじまいになりそうだという懸念を抱きつつ、復旧を巡るニュースを見ていましたが、鉄道での復旧が決まり、今回こうして乗りに来ることが出来たわけです。
また、実を言うとJR東日本の路線としては只見線が最後の未乗区間だったこともあり、今回の遠征で全線乗車を果たせば、同時にJR東日本の路線についても完乗ということになります。
ところで、結局中止した2011年の只見線に乗る活動についてなんですが、これを予定していた日というのが実は3月11日でした。
2011年の3月11日・・・日本人であれば忘れもしない「東日本大震災」が発生した日だったわけです。
記憶があいまいではありますが、発災時刻頃は福島県内にいたはずで、予定通り実施していたらもろに巻き込まれていた可能性が高く、仮に直接的な被災は免れても、交通機関の麻痺で帰る手段がなくなり、旅先で路頭に迷っていた可能性が高いですから、こればかりは結果的には中止でよかった旅ということになりますね。
それではレポートに戻りますが、上越線の上り列車が遅延しているとのことで、これの接続を待ってから発車するとのことで、発車が遅れるようです
会津若松では5分程度の乗り換えなので、あまり遅延すると接続できなくなる可能性もありますが、途中駅での停車時間で遅れが相殺されることを期待しましょう。
上越線からの乗り継ぎ客も若干いて、只見線の人気の高さを伺えましたが、噂に聞くような通勤ラッシュ並みの混雑とか、座れないというほどではありませんでした。
これは全線復旧から1年以上を経て一種のブームが過ぎていたことや、比較的空いている平日の活動だったというのもあるでしょうね。
ですが、逆に考えると平日でも座席のほとんどが埋まるほどの混雑であることを考えると、今でも土日とかに乗りに行くとすごい混雑になることも考えられるでしょう。
特に紅葉がきれいな秋とかは今でも混むでしょうね。
↑ここで車窓をどうぞ
雪景色の中の車窓というのも風情があっていいですよ!
小出を出て上越線とはお別れしていきます。
一面の銀世界というのは関東民からすると非日常感があって旅を盛り上げてくれますね。
上越線と別れるとすぐに魚野川を渡っていきます。
この魚野川はおおむね上越線に並行するように流れる川で、この付近で支流の破間川が合流してきており、只見線はこの破間川に沿って進んでいきます。
ところで、この破間川は「あぶるまがわ」と読みますが、難読ですよね。
由来はアイヌ語だそうで、「川に沿って開けた土地」という意味があるようですが、新潟県でもアイヌ語由来の地名があるんですね。
しばらく進むと魚沼田中駅に差し掛かります。
地域名である魚沼を冠した駅名であり、これは長野県に田中駅があるために区別のためですが、普通はこのような場合には旧国名を冠するのがセオリーです。
となると新潟県の旧国名である越後を冠して越後田中駅とするべきところですが、なぜそうしないのかというと既に越後田中駅が存在しているからです。
それは飯山線にある駅で中魚沼郡津南町に所在しています。
つまり、旧国名では重複を回避できないためにより小さい範囲の地域名を冠しているという割と珍しい例なんですよね。
大白川駅を出ると県境区間の「六十里越」となります。
実際には六里相当の道のりだそうですが、あまりの険しさに六十里に感じられるということからついた名前のようですが、国道の方は今でもヘアピンカーブが連続する険しい峠道であり、冬季閉鎖される道でもあるため、現在でも難所といえますね。
ここを只見線は「六十里越トンネル」という全長6359メートルのトンネルで通過しており、冬季は唯一魚沼市と只見町を直接結ぶ交通手段となっています。
車窓から国道も見えましたが、落石よけのロックシェッドが連続する光景はこのあたりの地形の険しさを物語っていますね。
ちなみに、反対側は田子倉湖が見えるのですが、そちらは既に席が埋まっていたこともあって座れませんでしたので断念です。
これは次回訪問時の宿題ですね。
ちなみに、この付近にはかつて田子倉駅というのがあり、いわゆる秘境駅ということで有名でしたが、2013年に廃止されました。
2012年に田子倉駅前後の区間が復旧された際も全列車通過扱いとなり、更には2001年より冬季営業休止の臨時駅となっていたため、実質的には2010年11月頃が最後の営業だったようです。
行ってみたい駅の1つでしたが、これは叶いませんでした。
この田子倉駅が廃止されたこともあって、大白川~只見間は20.8kmもあり、只見線では最も長い駅間ともなっています。
そして、県境を超えて福島県只見町に入りまして只見駅です。
ここから先が最後に復旧した区間ですが、ここで停車時間があるようなのでホームへ出て軽く駅を見ていくことにします。
ちなみに、当駅は東北地方で最も西にある駅なんだそうですよ。
せっかくなら駅前にも出たかったですが、遅延の影響で停車時間が短くなっていたのでこれにて撤収です。
駅前や駅舎は次回の宿題ですね。
ちなみに、当駅から会津田島駅まで「自然首都・只見号」というバスが出ていて、会津鉄道会津線に抜けることが出来ます。
東武鉄道直通の「リバティ会津」の登場を受けて設定されたようで、只見町と首都圏との往来の新たなルートとなっています。
これも乗ってみたいなと思いつつ、列車に戻ります。
そして、ここからがいよいよ2022年に復活したばかりの区間であり、福島県が設備を保有する上下分離方式の区間が始まります。
除雪車とすれ違うシーンもありました。
流石は豪雪地帯を走る路線ですよね。
列車が大雪の中でも無事に走ることができるのは、こういう縁の下の力持ちのおかげですし、除雪作業に当たってくださる作業員の方々にも感謝です。
只見川にある本名ダムが見えたら同名の本名駅に到着します。
只見線はダムと縁が深い鉄道ですし、只見線らしい車窓風景と言えるでしょうね。
そして、列車は上下分離方式の区間の終わりとなる会津川口駅に到着しました。
ここから会津若松方面へは以前に乗車したことがあったため、これにて只見線完乗となるとともに、JR東日本完乗を達成しました!
ここでも停車時間があるようなので、以前に訪れている駅ではありますが、気分転換も兼ねて一度降りてみることにしました。
対向のキハE120系が停車中でした。
奥の方は首都圏色になっていますね。
↑発車は動画でどうぞ
「只見線駅文庫」なるものがありました。
無人の図書館といった感じで、列車に持ち込んでもいいそうですが、旅行者だと返しに来るのが大変ですから地元民向けといえますね。
外へ出てきました。
駅舎は1987年に作られたもので、JA会津よつば金山支店と川口郵便局が一体化したものになっています。
ちなみに、只見線の只見方面が不通だった頃はここから代行バスが出ていましたが、復旧した今は当然運行終了となっており、路線バスについては会津バスによる路線が1つある他は、町営のデマンドタクシーが乗り入れているのみのようです。
もちろんあった只見線全線復旧を祝う横断幕
こういうのがあると、地元にも歓迎されているのが分かって嬉しくなりますね。
それでは車内に戻って旅を続けていきます。
その途中には早戸駅というのがあるんですが、九州にある隼人駅と読み方が同じなんですよね。
普通ならこういう場合は旧国名を冠して区別するものですが、表記が違うからいいやということなのか、ここについては旧国名をつけていません。
ちなみに、只見線には根岸駅というのもあり、こちらは神奈川県の根岸線にも同名駅がありますが、こちらも旧国名での区別はされていません。
そもそも実は只見線の方が先に開業しており、根岸線の方があとから開業しているので、本来は根岸線の方が「相模根岸」とでもつけるべきだったんですが、遠隔地だからいいやということだったのかあえて区別されませんでした。
車窓から見えたトラックですが、雪道を行くトラックもかっこいいですよね。
日本の物流を支える最前線という感じの1枚になりました。
まだまだ只見川沿いの景色は続きますが、それも塔寺駅の手前あたりまでです。
このあたりで会津盆地に入っていき、只見川とはお別れになります。
そして、会津坂下駅に到着します。
ちなみに、「あいづさかした」と読みたくなりますが、「あいづばんげ」と読みます。
ここから会津若松方面へは1往復の区間便があったりするため、只見線の中では比較的利用が多い区間と言えそうです。
実際、ここまではほとんどが乗り鉄だったのが、このあたりからは一般の利用者の姿もちらほらと見受けられました。
そろそろ車窓も薄暗くなってきたため写真はこのあたりまでとなりましたが、動画については一応終点の会津若松まで撮影しました。
キハ110系にはカーテンがあるので、カーテンを使えば暗くても動画ならなんとか撮れたわけですね。
あと、地図でこのあたりの只見線を見ると会津坂下から一度南へ迂回し会津高田・会津本郷と行ってから阿賀川を渡って会津若松駅へ至るわけですが、結構遠回りな経路なんですよね。
普通に考えれば阿賀川を渡るに当たって橋梁が建設しやすい地点を選んだ結果とも言えそうですが、地図で見る限りは最短ルートを進んでも川幅はそんなに変わらなそうなんですよね。
まあ、只見線を建設した当時は今とは川の流路が違った可能性はありますが・・・
そんなことを考えつつ阿賀川を渡ると列車は西若松駅に滑り込みます。
ここでは停車時間があるようですが、車内が一気に混み合ってきたので車内で大人しく過ごしました。
西若松駅はもう会津若松市の市街地に位置するので、普通に一般の利用者がいるわけですね。
また、西若松駅からは会津鉄道の列車が会津若松駅まで乗り入れており、只見線の列車よりも会津鉄道の列車の方が本数が多いくらいなので、西若松~会津若松間は只見線の中で最も本数の多い区間となっています。
この区間は正式には只見線の一部ですが、会津鉄道の一部だと思っている人も多そうですw
そして、終点の会津若松に到着です。
すっかり暗くなりましたね。
せっかく会津若松へやってきたので、名物のソースカツ丼でも食べていきたい気分ですが、乗り換え時間は5分しかないのでそれはまたの楽しみということで、急いで乗り換えます。
一ノ関へ向けてひたすら移動
ここからは宿がある一ノ関へ向けてひたすら移動です。
3回の乗り換えですが、一ノ関へ到着するときには終電となっているので、ここが18きっぷの旅のつらいところではありますw
小出から長いこと気動車に揺られてきましたが、ここからは電車のE721系に乗り換えます。
乗車するのは快速「あいづ」です。
磐越西線の郡山~会津若松間は東北新幹線と接続して首都圏や仙台などと会津若松市を結ぶ役割もあるため、地方線区にしては珍しく快速も走っているわけですが、磐越西線では愛称のない快速と「あいづ」が併存しているのも特徴です。
その違いは何かというと「指定席の有無」です。
愛称なしの快速では指定席がありませんが、「あいづ」では一部に指定席が設定されています。
都市間輸送の役割がある列車なので、特に利用が多い時間帯に限って指定席を設定しているわけですが、定期の快速列車で指定席があるのは案外珍しく、JR東日本管内ではこの「あいづ」の他は釜石線の「はまゆり」のみとなっています。
郡山に到着です。
普通の旅行だったらここから東北新幹線に乗って一気に移動ですが、18きっぷなので東北本線の普通列車に乗り換えです。
コンコースにあった「フルーティアふくしま」の案内です。
こちらも2023年中で運行終了となっており、実は1度も乗っていなかったので、乗れずに終わってしまいました・・・
まあ、車内でスイーツを楽しむという趣旨の列車なので、一人旅で乗るのはちょっと・・・ということで敬遠していたのもあったんですがw
続いて東北本線の普通列車です。
701系でした。
福島からは仙台行きに乗り換えです。
日中だと白石でも乗り換えが発生するのですが、この時間は直通で行ってくれます。
最初は混んでいた車内も、県境あたりではかなり空いてきたのでここで駅弁タイム!
今日の行程では昼食だけでなく夕食もゆっくり食べる時間がないので、昼も夜も駅弁になりました。
チョイスしたのは山形の名物駅弁の「牛肉どまん中」
何度も食べてきていますがいつ食べても美味しいですね。
まあ、今回の旅では山形県はかすりもしないんですがw
ここからは一ノ関行きへと本日最後の乗り換えをしますが、ここまで来たらもう乗っているだけで目的地まで行ってくれるのでだいぶ気が楽ですね。
仙台駅でもトイレに行くだけの時間しかなくすぐの乗り換えでした。
そして、目的地の一ノ関に到着です。
一ノ関に泊まるのは翌日の行程の都合ですが、本当は盛岡に泊まるのがベストだったんですよね。
ただ、この時間では一ノ関までが18きっぷで行ける限界でした。
こちらは改札口ですが、在来線の発車標は全て消灯しており、東北本線のみならず、大船渡線なども運行終了となっています。
唯一表示されている発車標は東北新幹線のもので、22時53分発の「やまびこ73号」が一ノ関駅を出発する最後の列車となります。
逆に言えばこれに乗ればまだ盛岡へ行けるんですが、一ノ関~盛岡間だけでも新幹線代は馬鹿にならないので一ノ関に泊まることにしました。
それにしても、「やまびこ73号」で一ノ関駅へやってきても、在来線は全て運行終了した後になるので、列車への乗り換えは一切できないというのはちょっとした罠ですよね。
一ノ関駅周辺が目的地であるか、家族や知人の送迎を頼める場合でなければタクシーくらいしか一ノ関駅から更に移動する手段はないということになります。
↑終電の案内は動画で撮りました。
あとはホテルへ向かうのですが、駅前のイルミネーションが綺麗だったのでそれだけ撮ったらこの日の活動は終了です。
丸一日かかる活動ではありましたが、只見線に乗る部分以外は移動ばっかりだったので記事のボリュームはそれほど膨らみませんでしたね。
というわけで1日目は以上となります。
2日目以降は別記事として追ってレポートしますので、公開までしばらくお待ち下さい。