1泊2日で実施した新潟方面への遠征の2日目です。なお、1日目をご覧になっていない方はそちらから先にご覧になることをおすすめします。
本日の行程
2日目となる今日は昨晩宿泊した新潟駅から信越本線の普通列車で新津に出てそこから磐越西線に乗り会津若松まで行きます。ここで乗車するのがキハ40系充当の列車となります。続いて一旦喜多方へ引き返しますが、ここでは会津若松~喜多方間の区間列車への乗車が目的であり、これもキハ40系です。会津若松に戻ったら只見線に乗り換えて現在列車で行くことの出来る福島側の終点となる会津川口まで行き折り返して、あとは磐越西線で郡山に出て東北新幹線で帰路につくというものです。
乗車する列車の大半がキハ40系充当であり、まさしく「キハ40系まつり」の行程となっています。
まずは磐越西線
早朝の新潟駅から普通列車で新津駅に出るところから旅が始まります。
昨晩の新津で実質的にゴールだったので新津に泊まったほうが合理的だったのですが、新津のホテルはお値段が張ったので安く泊まれる新潟を選びました。
いつもは駅の写真から始まることも多いですが、今回は回りくどいことなしで磐越西線のキハ40系から始まります。
朝6時ちょうど発の始発便です。
↑そうそう、入線シーンを撮っていたので貼りますね。
期待通り早朝便ということでガラガラで録音環境もバッチリ!
昨日は所々環境が悪かったので今日で挽回できそうです。
何だかんだでもう3度目の磐越西線ですが、キハ40系というだけで旅情が出ますね。
ちなみに、1度目はキハ110系、2度目はキハE120系でした。
並行する旧国道も徐々に廃道感が増して来てる気がします。
こういう変化を実感できるのは何度も乗車している路線ならではですね。
そして、列車は津川駅に差し掛かりました。ここで対向列車と行き違いのため停車時間があるようなのでホームへ出ることにしました。
駅名標に描かれているのは「狐の嫁入り行列」という地元のお祭だそうです。
ホームにいたこのキャラクターは「ばんえつ物語」のキャラで「オコジロウ」というんだそうです。
さて、列車は山都駅に差し掛かりました。ここからは乗ってくる人が多く喜多方・会津若松への買い物や通院で日常的に使う人がいる区間になるようです。
喜多方でも更に乗ってきてそれなりの混雑を見せながら会津盆地を進んでいきます。喜多方~会津若松間については普通列車でありながら、会津豊川・姥堂・笈川・堂島の4駅を通過して途中は塩川のみ停車となっていますから、キハ40系ながら高速走行を楽しめました。(通過駅がある理由については後述します)
719系と並べてみる。
719系も徐々に姿を消しつつありますし、乗れるうちに乗っておきたいものです。
↑ここで乗ってきたキハ40系が引き上げていきます。
駅舎などは前回訪問時に撮影済みですが一応正面だけ撮りました。
駅構内のお店で「喜多方ラーメン」を頂いてちょっと早めの昼食としました。どうせこのあと喜多方に行くんだから本場で「喜多方ラーメン」を食べればいいのに、という声も聞こえてきそうですが、実は朝から何も食べずに旅をしてきており空腹に耐えかねたのと、元々会津若松では滞在時間があり早くから駅構内で営業していたお店に惹かれるように入店していたのでしたw
それでは、このあとは喜多方まで一旦引き返します。
喜多方へ戻る
一旦喜多方へと引き返すのですが、目的は会津若松~喜多方間の区間列車です。この区間列車は会津若松と喜多方の相互利用者の利便を図ったものとも言えるでしょうし、郡山からの列車と乗り継がせることで首都圏と喜多方との連絡の役割も担っていると言えますが、注目したいのはほとんどの列車が通過する会津豊川・姥堂・笈川・堂島の4駅にも停車するということです。(会津若松~喜多方間のみ運転の列車でも通過する場合もあります)この区間列車以外にもこれら4駅に停車する列車がありますが、それを含めても1日あたり上下5本ずつしか停車しないという冷遇っぷりですw
こういう運行本数自体は少なくないのにほとんど通過列車というパターンは逆にどういうところなのか気になって降りてみたくなるものですが、今回は喜多方まで乗り通したいと思います。だって・・・
これもキハ40系充当なんだもん!
ちなみに、塗装が新潟色でも新新潟色でもなく、「東北地域本社色」という塗装で、只見線を走っているキハ40系が使われています。
只見線も本数が少なく会津若松でお昼寝させるならば区間列車として活用しようということなのかもしれませんね。
反対側からも撮ったら乗り込みます。
区間列車ということもあってか、車内は空いていて会津盆地の車窓をのんびりと楽しめました。
あと、今回は初めて上述の4駅に停車する列車に乗ったわけですが、おかげで駅周辺を車窓からちらっとですが観察する機会を得たわけで、実際見てみると1日5往復しか停まらない扱いにしては住宅が広がって商業施設があるような駅すらあるのに驚きました。実際のところこれら4駅の利用者数は多いところでも100人を少し超す程度でしかなく、喜多方と会津若松の都市間輸送に特化したほうがいいという戦略なのかもしれませんが、停車本数を増やすなどすれば需要を喚起できる条件なのではないかとも思いました。
人が乗らないから本数が少ないのか・・・それとも、本数が少ないから人が乗らないのか・・・
実際のところは地元住民の方でないと分からない部分もあると思いますが、地方あるあるで住民のほとんどがクルマ生活で列車を利用する人が僅少で不便を感じている人が少なく、そういった交通弱者も路線バスが代替として機能しているとかで案外なんとかなっているのかもしれません。
ちなみに、例の4駅で乗り降りする人は数えるほどしかいませんでした。
そんなことを書いていると30分も経たずに喜多方に到着していました。
過去に訪れているので詳しいレポートはしませんがいくつかネタをご紹介していきたいと思います。
早速気になったのがこの階段です。
「なんだ、どこも変わったところはないじゃないか」と思った方もよく見て下さい。
階段の存在を詫びるメッセージがw
喜多方駅って2面3線の国鉄型配線なんですが、駅舎に面した1番線以外は階段を使った移動になってしまうんです。予算の都合か何かでエレベーターなどは設置できないけれど、せめてものお詫びを・・・という駅員さんの心遣いかな?
段数まで教えてくれました。まあ、これを「楽勝!」と思ったとしても、「え~!」と思ったとしてもこの階段を登らなければ改札へは行けないんですけどねw
最後には励ましのメッセージもありました。登りきってゴール!と言いたいところですが、結局同じ段数を降りないと改札へたどり着かない罠があるのは黙っておきましょう・・・w
さて、このまま改札を出てしまうかと思ったのですが、快速「あがの」がやって来る時間だったので先ほどメッセージに励まされつつ登った階段をまた下りてホームへ戻りました。
JR発足後の生まれながら徐々に古参のカテゴリーに入りつつあるキハ110系でした。
以前に乗ったときもキハ110系でしたから運用は変わっていないようです。
↑そうそう、入線シーンも撮りました。
それではそろそろ改札を出ます。このあと会津若松へもキハ40系の区間列車で折り返すのですが、2時間ほど折返し待ちがあるので街をぶらつくなどして時間を潰したいと思います。(1本後の新潟発会津若松行き普通列車に乗ればもっと早く会津若松へ戻れますがどうせそこで待ちぼうけになるだけですし、それならキハ40系を待ったほうがいい!という判断になりました)
駅の方は去年訪れたときと変化はないようだったのでそのまま後にして街へ繰り出しました。
そして、私が向かった先は・・・
こんな場所でした。一見すると地元の方の散歩道にでもなっていそうな遊歩道ですが、ちゃんとここにも鉄分があるんです。
種明かしは後ほどとして、この遊歩道を辿っていきます。
沿道にしだれ桜が植えられていて、満開の頃に訪れれば今風に言う「インスタ映え」しそうな道ではありますが、垂れた枝が道を塞ぐようになっていて道としての機能からすると邪魔w
ここはサイクリングロードでもあるようですが、自転車で通る場合、さながら弾幕ゲームをやっている気分になるかも?w
尤も、並行して普通の道路もあるので移動が主目的ならこの道を使う必然性はないですし、その”邪魔”も含めて楽しめる人向けってことなんでしょうか。
数百メートル進んだかというところで唐突に進路を阻まれてしまいました・・・
え?まさか遊歩道はこれだけ?w
と思ったら立派な舗装道路の先に続きが見えて一安心
この遊歩道が作られた後に横切る形で道路が開通して分断されたとかでしょうか。
それにしても、駅の方の入口はこの有様で、車で通りがかった人は遊歩道の存在に気づかないかもしれません。
キロポストのごとく距離を表示しているとともに、この遊歩道が「しだれ桜散歩道」という名前であることも教えてくれていました。
もったいぶった書き方をしておきながらここまで鉄分が皆無だったので、読者の皆さんも騙されているのではないかと思い始めた頃合いでしょうが、ここに来てようやく鉄分が出てきました。
この案内標識はどうみても鉄道の腕木式信号機をモチーフにしていますよね。
え?デザインだけじゃもったいぶったにしてはインパクトが弱いって?
分かりました。もっと濃い鉄分が待っていますからもう少しお付き合いを。
その先もこんな感じで遊歩道が続いていきます。
それにしても、遊歩道って普通は景色がいい場所だったり自然豊かな場所に作られるものだと思いますが、ここは普通の市街地というのも変な感じですよね。
その違和感の正体ももうすぐ明らかになります。
その答えをもたらしてくれたのがこの地図です。
本路線の部分に「しだれ桜散歩道」と書かれた上に「日中線記念自転車歩行者道」と書かれているのにお気づきでしょうか?
もうピンと来た人も多いことでしょう。いい加減にここで種明かしをしますと、今歩いてきた遊歩道はかつての国鉄日中線の廃線跡を転用したものだったのです。
それなら景色がいいわけでも自然豊かなわけでもないこんな町中に遊歩道がある理由も納得ですね。
ここで、国鉄日中線についても軽く解説しておくと、かつて喜多方駅から熱塩駅というところまでを結んでいた全長11.6kmのローカル線であり、1984年に廃止されてしまったのですが、末期には本州最後の蒸気機関車牽引列車の活躍の舞台として全国から鉄道ファンが詰め掛ける路線だったようです。路線名の由来は終点の熱塩駅の先にある日中温泉だそうですが、末期は朝と夕方・夜間にしか運行がなく「日中は走りま線」の略で日中線だと揶揄されることもあったとかw
まあ、今では日中に運行がないローカル線も珍しくなくなってきていますし、まさかの1日1本なんていうところもありますしね(札沼線の末端部とか)
結局ミニローカル線で生涯を終えてしまった日中線ですが、計画では山形県の米沢を目指しており、全通していれば会津線・野岩線・日光線と共に南東北のど真ん中を縦貫する「野岩羽線」の構想の一部となるはずでした。首都圏から米沢・山形・新庄、更には秋田方面への短絡ルートともなり得るルートでしたが、東北新幹線が開通すれば結局衰退していたかもなんて思ったりも・・・
ちなみに、野岩羽線の計画ルートに近い路線として、東武鬼怒川線・野岩鉄道・会津鉄道が通っており、これによって首都圏~会津地方の連絡ルートを構成していますが、一方、喜多方~米沢間は日中線廃止後は代替バスとして会津バスの路線バスがありましたがこれは廃止されてしまい現在は「みんべえ号」という喜多方市によるデマンドタクシーを利用する以外に公共交通機関はありません。また、かつて広田タクシーという会社が会津若松~米沢間に季節運行で「マスコットくん」というバスを走らせていましたがこれも廃止され、会津~米沢間の往来は自動車に限られており、公共交通機関での往来はできなくなっています。
遊歩道の一部を塞ぐようにあったのは公衆トイレ
3kmほどあるのでゆっくり歩けば1時間ほどはかかるとすれば、途中でトイレに行けるのはありがたいですが、そもそもこの遊歩道で他の通行人と遭遇することが皆無であり、何名か出会った人も地元民が散歩やジョギングなどで利用している程度のようで、ここが日中線の廃線跡だと意識して歩いている人は地元の人でも少数派でしょうね。
さて、そろそろ30分は歩いてきてこれ以上ただの遊歩道が続くなら切り上げようかなとも思い始めた頃にこの散策の目玉と言っていいものが現れました。
その先には車両がいました!
おお、やっとまともな鉄分が来ました!
踏切もありました。ここだけ見れば日中線現役当時の姿を留めているのかもしれません。
とこれくらいで撤収します。まだ遊歩道は続きますが、撮影しながら歩いてきたため意外と時間を食ってしまったのともう1つお目当てがあったからです。
そのお目当てとは、会津地方のご当地グルメ「ソースカツ丼」であり、喜多方市内でも食べられるお店があることをリサーチ済みでした。
会津若松駅で「喜多方ラーメン」を頂いてからそんなに開いていなかったのがネックですが、先ほどの散策で腹ごなしも済んだということでw
が、お店にたどり着いて衝撃の事実が!?
なんと、まさかのお休みw
この日はまだお盆期間であり、企業などは営業しているところも多かったのでしょうが、お目当てのお店は恐らくは個人経営であり、きっちりとお盆休みを取っていたのでしょうね。
働き方改革が叫ばれる昨今、きっちり休みを取れるのはいいことですが、当てにしていたお店がダメとなるとテンションダダ下がり・・・
かといって、会津若松駅で喜多方ラーメンを食べてしまったため、そのへんに点在するラーメン屋さんの暖簾をくぐる気にもなれず、結局駅の売店で買ったおにぎりで済ませてしまいました。「ソースカツ丼」を食べる気満々で朝にラーメンをチョイスしてしまったのが仇となり、逆に喜多方で”ラーメン以外の”食事ができるお店が見つけられないというオチでしたw
というわけで、食事の面ではがっかりのオチでしたが、キハ40系で再び会津若松駅へ戻って、お次は只見線です。
只見線
会津若松から乗車する只見線ですが、これは当ブログで触れるのは初めてだと思いますので解説から入ります。
只見線は会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶ全長135.2kmのローカル線で、磐越西線と上越線を短絡するルートとなっていますが、沿線人口は少なく線形も悪いため全線通しの利用は少ないようで、特に路線の中央部となる会津川口~只見間は秘境区間とも言われるほどで、国鉄時代より赤字ローカル線であり続けたものの、並行道路が冬季には閉鎖されてしまい、福島の只見地区と新潟の魚沼地区を結ぶ唯一の交通機関となることもあって今日まで存続し続けています。このように実用的な交通手段としてはメジャーな存在とは言いかねる只見線ですが、只見川に沿って走る渓谷の風景が人気で、秋は紅葉、冬は雪景色と車窓に恵まれた路線であり、人気を集めるローカル線であり、紅葉シーズンなどは行楽客で混雑することもあるんだとか。
コアな鉄道ファンのみならず一般人をも魅了する只見線とあっては、私も乗りたいと願い続けてきたのですが、地形の険しい場所を走る路線の宿命として頻繁に土砂災害などで長期間不通となることも多く、また、運行本数が少なく行程を組むのが難しいということもあってなかなか乗車する機会に恵まれませんでした。2011年の春に乗車を計画したのですが、東日本大震災の影響から断念せざるを得なくなり、その年の夏には豪雨災害により長期不通となってしまい、現在まで会津川口~只見間は不通のままとなっており、バス代行輸送となっています。そのため、今回は会津川口までの折返し乗車としました。只見線自体の廃線も懸念された中、紆余曲折の末、鉄道での復旧が決定し、2021年度の運転再開を目指して復旧が進められているため、全線復旧してから乗りに来ても良かったのですが、それまでにキハ40系が置き換えられてしまいそうなので今のうちに・・・というわけです。
会津川口の幕を撮ったら乗車です。
今は小出まで乗り通せないとはいえ、それでも乗り鉄と思われる人を結構見かけたあたりは、只見線というネームバリューの大きさを実感しましたが、全線復旧したらもっと混むんでしょうかね。
それではいよいよ発車となりますが、実はこの2駅先の西若松までは過去にも乗ったことがあります。それは、会津若松~西若松間は会津鉄道の列車が乗り入れているためであり、過去に「AIZUマウントエクスプレス」として乗車したことがありました。ちなみに、この区間では純然たる只見線の列車より会津鉄道の列車のほうが多くなりますw
会津若松を出てしばらくは会津盆地を走るため長閑な田園風景が続きます。
そして、暫く走ると会津坂下駅となりますが、実はずっと「あいづさかした」と読むものだとばかり思っていましたw
実際には「あいづばんげ」と読むのですが、漢字の読み方としてはありうる読み方とはいえ、普通は初見では「さかした」だと思いますよね。
一般的な利用者はここまででほとんどが下りてしまい、ここからは一気に乗り鉄率が高くなってまいりました。
そして、いよいよ只見川と並行し始めます。
やっぱり川の景色は車窓的なハイライトになりますねぇ。
今回はとりあえず乗っておこうという感じなので単純な往復であり、本数の少なさ故に対向列車との交換待ちなどもなかったので記事にするとあまりボリュームはありませんでしたが、個人的には気に入りました。全線復旧したらまた乗りに来ます。
最後に1つ思ったことを書くならば、沿線には「会津~」と旧国名の「会津」を冠する駅が多いことですね。今回乗車した区間に限っても、会津若松、会津本郷、会津高田、会津坂下、会津坂本、会津柳津、会津桧原、会津西方、会津宮下、会津水沼、会津中川、会津川口と起終点入れて12駅もありますが、この区間は遅くとも1956年までには開通しているのでそれだけ重複する駅が多かったと考えるとすごいことですね。
ちなみに、会津水沼~会津蒲生間は本名駅を除いては「会津」が付いており、もし本名駅も例えば「会津本名」とかだったら9駅連続で「会津~」となる会津シリーズとなっていたわけで、同じ旧国名を冠する駅が連続する記録の日本一となっていたかもしれません。(ちなみに、現在同じ旧国名を冠する駅が連続する最長記録は長崎本線の肥前山口駅から肥前飯田駅の7駅連続となっています。)
そんな雑学も書いたところで現在の福島側の終点となっている会津川口駅に到着です。
会津川口駅
ここでは30分程度滞在時間が出来たので駅取材を進めたいと思います。
縦型も国鉄時代のものがそのまま使われているのではないかと疑いたくなるほど古びていました。
ホームは1面2線とシンプルな構造ですが、川沿いにあるので景色がいいですね。
ホームの花壇はキハ40系っぽいデザインになっていました。これは面白いですね。
ホーム端はスロープで地上に降りていき構内踏切で駅舎に連絡します。
今は不通の只見方面の線路です。
長らく列車が通っていないにしてはレールの錆が少ない気がしますし、雑草も少ないですが、復旧を諦めない意思表示としてまめに手入れをされているんでしょうか。
駅舎内です。有人駅となっていますがみどりの窓口はありません。
それでも簡易委託とかではなく直営駅となっているのはローカル線にしては格別の扱いですよね。
駅舎です。農協と郵便局との合築になっており、1987年に造られたそうです。
駅前はロータリーなどはなく広場のみですが、昔ながらの駅前の光景を残しているとも言えますかね。
バス停もあります。乗り入れるのは会津バスのみですが、現在は1路線を除き廃止になり、デマンドタクシーや町営バスに転換されているようです。
そろそろホームへ戻ろうかと思ったらやってきたのは只見線の代行バスのようでした。
これって・・・バスと言うよりジャンボタクシーなんですがw
最初は流石にマイクロバスとかだろうと思っていたのですが、18キッパー風の旅人がぞろぞろと数名降りてきたので代行バスで間違いなさそうです。
それではこのまま会津若松へ引き返します。復路は特筆すべきこともないので省略してお次は磐越西線で郡山を目指します。
あとは帰るのみ
只見線を引き返して会津若松に戻ったら郡山経由で東北新幹線に乗り込み帰路に就くわけですが、1つネタがありました。
一見ただのE721系ですが、行先に注目
実は郡山とは反対方向にある喜多方行きなんです。
磐越西線は会津若松を境に運行形態が分かれており、郡山方面が電車、新津方面が気動車による運転になっていることもあり、会津若松以西は非電化というイメージを持たれがちですが、実際には喜多方までが電化区間となっていて、本数は少ないものの喜多方まで電車が乗り入れることがあります。
現在のダイヤでは会津若松~喜多方間の列車で電車が走るのは2往復しかないようで、電化設備の無駄遣いもいいところですが、旅客列車はすべて気動車で貨物列車のためだけに電化設備を維持している肥薩おれんじ鉄道やえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの例もありますしねw
どのみちこれの折返し列車まで郡山方面の列車無いのでレアな喜多方方面への電車での移動を体験しつつ喜多方まで折り返し乗車することにしました。
ちょうど部活か何かの高校生のグループと乗り合わせてしまい録音環境は残念でしたが、当分引退はないであろうE721系ですしまあいっかw
そして郡山に到着です。
18きっぷはここまでであとは東北新幹線です。流石に19時過ぎに郡山を出るとなると流石に在来線だけで東京までたどり着くのは厳しいですしね。
あとは単なる移動ということで記事はここで締めようかと思いましたが・・・
なんとやってきたのはE2系でした。どうせE5系だろうと思っていただけに思わぬ誤算(もちろんいい意味で)
↑大宮駅で発車シーンを撮影しました。
どうせE5系だろうと思っていたため少しでも新幹線代を浮かすために大宮駅までしか切符を買いませんでしたが、E2系ならば東京駅まで乗り通せばよかったなぁw
でも、東京駅まで乗っていたら発車シーンは撮れなかったわけでこれはこれでありかw
というわけで、このレポートは以上です。次回は近場のミニレポ的な記事になると思いますのでしばらくお待ち下さい。
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