4泊5日で実施した北海道遠征の3日目です。
なお、1日目・2日目をご覧になっていない方はそちらからご覧になることをおすすめします。
本日の行程
3日目となる今日は、昨晩宿泊した釧路から釧網本線を走る快速「しれとこ摩周」に乗って網走へ、石北本線に乗り継いで北見・旭川へと移動して宿泊です。
このように3日目は移動の割合が高く、あまり立ち寄る場所がないという乗り鉄要素の強い1日となっています。
快速「しれとこ摩周」
まずは昨晩宿泊した釧路から3日目の朝が始まります。
発車標に私の乗る「しれとこ摩周」の表示を確かめたら改札を抜けて乗り場へ向かいます。
待っていたのはキハ54系の単行列車です。
北海道のローカル線と言うとキハ40系のイメージが強いですが、釧網本線には険しい峠越えの区間があるためパワーのあるキハ54系が専用に運用されていて、キハ40系の運用は比較的平坦な区間のみを走る短距離列車に限られています。
何故か花咲線のラッピングがされていましたw
まあ、花咲線もキハ54系がメインで使われているので運用が共通なんでしょうね。
座席のモケットはフクロウや丹頂鶴などが描かれていました。
こういうあたりは観光列車っぽさもありますね。
さて、それではここで、釧網本線と「しれとこ摩周」について解説をしておきましょう。
まず釧網本線についてですが、釧路駅の1つお隣の東釧路駅から網走駅までの166.2kmを結ぶ全線単線非電化の路線で、運行系統としては東釧路駅から釧路駅までの1区間のみ根室本線に直通する形で釧路~網走間を結んでいます。
釧路と網走という都市同士を結ぶ路線ではありますが、特急列車などは走っておらず、全線を走破する列車は1日5往復という閑散路線である一方、沿線には流氷で有名なオホーツク海に原生花園、知床、釧路湿原などの観光地が多いことから国鉄からJR北海道に移管された後は観光路線としての振興が図られて、新駅設置や駅名改称などが実施されました。
釧路側では「くしろ湿原ノロッコ号」や「SL冬の湿原号」といった観光列車も走りますが、2015年に網走側で運行されていた「流氷ノロッコ」が運行終了し、2016年にはJR北海道が「自社単独での維持が困難」な路線の1つとして釧網本線を挙げており、現在のところは具体的に廃止が決定しているわけではありませんが存廃問題に揺れる路線の1つということが出来ます。
そしてこれから乗車する「しれとこ摩周」についてですが、網走~釧路間を1往復する快速列車で、愛称付きの列車ながら指定席はありません。
停車駅ですが、原生花園・細岡・釧路湿原の3駅を除く全ての駅であり、しかも原生花園と釧路湿原は5月1日~10月31日は停車する上、逆にこの期間外は普通列車でもこの2駅は通過する列車もあるため、通年に渡って通過駅で、かつ普通列車は全て停車する駅というのは細岡だけになっています。
北海道では普通列車でも通過駅がある列車も珍しくないのでいっそのこと普通列車扱いでもいいのではないかという気もしますが、観光客へのPRとして愛称付きの列車があった方がいいという感じで残しているんですかね。
ちなみに、以前はこの他に南弟子屈・南斜里という駅も通過していましたが、この2駅は駅そのものが廃止になってしまったため通過駅ではなくなりました。
列車名についてですが、歴史を遡ると国鉄時代に走っていた急行「しれとこ」にルーツを持つ列車で、国鉄分割民営化直前に一度廃止になりますが、JR北海道に移管してしばらくすると快速「しれとこ」として復活しました。
2018年まで「しれとこ」の愛称で運行が続いていましたが、2017年に沿線にある「阿寒国立公園」が「阿寒摩周国立公園」に改称されたことを受けて沿線自治体から「しれとこ」の列車名に摩周を加えた「しれとこ摩周」に変更してほしいという要望が出て、2018年からは「しれとこ摩周」として再スタートを切ることになりました。
とはいっても名前が変わっただけで停車駅や使用車種に変更はないんですけどねw
このように実質1駅しか通過しない残念な快速ではありますが、過去に2回釧網本線に乗っている私としては少しでも変化を付けたいと思って快速「しれとこ摩周」を選んだのです。
車内ですが1両編成ということで元々のキャパシティが小さいというのはありますが、座席の半数以上は埋まる程度とローカル線としてはそれなりの混雑を見せていました。今は流氷を見るには早いし、釧路湿原を楽しむにはちょっと遅いという微妙な時期でしたが、それでも観光客がそれなりにいるんですかね。
↑車窓は動画でどうぞ
なお、2時間半ほどありますので、モバイル回線などの方はデータ量に十分ご注意下さい。
釧路を出ると1駅だけ根室本線を走り東釧路に至ります。地元の方と思われる人たちが数名降りていきました。
その東釧路を出るといよいよ釧網本線が始まります。
本線とは名ばかりのローカル線チックな車窓風景ですが、こういう景色のほうが乗り鉄をより楽しめますね。
遠矢あたりまでは人里が時折ありますが、その先は釧路湿原を横切る区間に入ります。このあたりが釧路側のハイライトですね。
そのまんまな駅名の釧路湿原駅は私が乗車した時期は通過となり、その次の細岡も通過と、2駅連続通過する区間だったのですが、3駅しかない通過駅のうち既に2駅が終わってしまったということでもありますw
その先の塘路を過ぎると塘路湖、シラルトロ沼と水辺が続き、自然の豊かな所を走っているのがよく分かります。
しばらく走り車窓に街並みが見えてくると標茶です。
標茶はかつて国鉄標津線が分岐していて中標津方面への乗り換え駅となっています。
標津線廃止後は阿寒バスにより中標津方面への路線バスが代替交通機関として運行していて、今でも中標津方面への乗り換え地点という役割は残っています。
ここでいくらか降りていきだいぶ車内は空いてきましたが、それでもガラガラというほどではありません。
どうやら乗り鉄の割合が高いそうで、全区間乗り通す人がそこそこいるようですね。
その先列車名にもなっている摩周駅や川湯温泉駅がありますが、釧路管内はここまでで、その次の緑駅からはオホーツク管内に入ります。
つまりは峠越え区間ですね。
ただ、長大トンネルなどがないため、イマイチ実感のないままの峠越えとなりましたが・・・w
峠を越えると緑駅です。
緑という駅名も変わっていますが、開業時は上札鶴という駅名だったものが、1955年に所在する上斜里村が町制施行し清里町となった際に駅の所在地が「緑町」になったことから緑駅に改名された経緯があるようです。
ちなみに、隣の駅は札弦駅ですが、こちらも元々は札鶴と表記していて、緑駅の以前の駅名である上札鶴とは対になる駅名だったようです。
続いて出てくる知床斜里駅は駅名の通り知床半島への玄関口となる駅で、知床観光の拠点でもあります。
車窓もここから一変し、オホーツク海を右手に見ながら進みます。冬ならば流氷も見えるかもしれませんが、私が乗った頃は時期的に流氷は見えませんでした。
冬季は営業しない原生花園駅を通過したらもう通過駅はなく網走まで各駅に停車していきます。
網走で更に乗り継ぐ
釧路からの3時間弱の乗車で網走に到着です。
ここからは更に石北本線に乗り継いで旅を続けます。
続いては石北本線の列車に乗り継いで北見を目指します。
乗り換え時間は5分しかないので駅前を見る時間はありませんが、過去にも訪れている駅なのでまあいいでしょう。
キハ40系もくっついていました。
石北本線では割とありがちなキハ40系とキハ54系の混合編成ですね。
キハ40系にはこの区間で過去に乗ったことがあるので、今回はキハ54系に乗ります。
乗ってきたキハ54系はそそくさと側線に引き上げていきました。
↑車窓は動画で撮りました。
北見までなので1時間ほどです。
石北本線は特急「オホーツク」「大雪」も走るだけあり、釧網本線よりは利用者が多いようですが、時間帯なのかそれほどの混雑ではありません。
これも過去に何度か乗っているのと、北見までという半端な区間なので詳しい解説はせずに先へ進みます。
途中にある緋牛内駅ですが、駅名が変わっているので撮ってみました。
言わずもがなでアイヌ語由来の地名で、「ススウシナイ」という柳が群生する川という意味のアイヌ語から来ているらしいです。
オホーツク管内の最大都市の北見に到着しました。
カーリングやハッカの街としても有名ですね。
乗車してきた列車です。
列車自体は遠軽行きですが、当駅で長時間停車するようで、乗客の大半は北見で降りていきました。
オホーツク管内最大都市というだけあってなかなか都会ですよね。
駅前にはショッピングセンターもあります。
やっぱりカーリングの街としても推しているんですね。
よく見るとポストの上にカーリングのストーンまでw
さて、この後ですが、予定では都市間バスの「石北号」で旭川へ向かうことにしていました。
手元には「ひがし北海道フリーパス」があるわけですからそのまま列車で旭川へ向かったほうがお得なのですが、実はコロナ禍での需要減少で特急「大雪」は運休となっていて、「オホーツク」のみが走っていたのです。
そして、私が利用したい時間帯は「大雪」であり、「オホーツク」を待つと北見で3~4時間は待ちぼうけになってしまうのです。
そのため、別料金を承知で都市間バスを利用するつもりでいたのですが、「大雪」の運休は特定曜日のみだったようで、実は私がこの活動をした日は運転日だということに現地で気付きまして、都市間バスに乗る予定を急遽変更して「大雪」で旭川へ向かうことにします。
ただ、バスだと乗り換え時間は1時間弱あったのが、「大雪」だと15分程度になってしまったので昼食を食べるチャンスを逃しましたw
最初から「大雪」が動いていることを分かっていれば、始発の網走から乗っていましたし、それなら網走で昼食を食べられたんですが、リサーチ不足でしたね・・・
「大雪」で旭川へ
というわけで、運転日なのに勝手に運休だと思い込んでいた「大雪」に乗って旭川まで向かいます。
↑入線シーンです。
最後のキハ183系を使用する定期列車の1つとなった「大雪」ですが、長らく活躍していた基本番台は既に引退し、今はN183系などと呼ばれるグループが使われています。
面白いのが一部の座席だけが指定席なのでモケットに指定席であることが表示されていることですね。
1両まるごと指定席にするだけの需要はないんでしょうかね。
ちなみに、私もどうせ空いていて座れるだろうと思って自由席を選びましたし、実際余裕で座れました。
↑車窓です。
全区間乗らないとは言え3時間弱あります。
ここで「大雪」について簡単に解説しておきましょう。
「大雪」は石北本線の旭川~網走間を結ぶ特急列車でして、2017年から運行を開始しました。
元々は札幌~網走間の「オホーツク」として運行されていたのですが、2017年に一部列車を旭川~網走間に短縮し、「大雪」という愛称が付けられました。
歴史的には「オホーツク」よりも「大雪」の方が歴史がある列車名であり、1951年から走っている列車名ですが、1992年に一度「大雪」の名称は消滅したものが、2017年に「オホーツク」の一部が運行区間を短縮したことがきっかけで復活した形になります。
石北本線も西留辺蘂あたりまでは普通列車の本数もそれなりにあり、北見近郊の区間となりますが、そこから先は常紋トンネルを挟む峠越え区間となり、列車の本数も減っていきます。
この常紋トンネルは、建設に際して「タコ部屋労働」と呼ばれる過酷な労働によって建設されたことで知られていて、あまりの過酷な作業に死者も出て、トンネルの壁面には無くなった労働者の遺体が埋まっているという人柱伝説も語られていました。
長らく真偽不明の伝説でしたが、1968年に発生した十勝沖地震で常紋トンネルの壁面にも損傷が生じ、その修復工事を行った際に頭蓋骨に損傷のある白骨遺体が発見され、この人柱伝説が事実であったことが確かめられました。
国鉄時代には付近にあった常紋信号場に勤務する職員が怪奇現象に遭遇すると行った話もあったりと、悲劇の歴史を伝える場所として、心霊スポットとしても知られた場所であると同時に、SLが現役の時代には重連運転を行う場所であることから撮影スポットとして人気の場所でもあったようです。
そのため、付近に人家がないにも関わらず撮影に訪れるファンの便宜を図る意味で信号場に停車する列車で特例的に旅客扱いをしていたこともあったそうです。
そんな曰く付きの場所も列車に乗っていると瞬く間に通過していってしまいます。
そして、列車は遠軽に到着します。
遠軽では進行方向が変わりますが、これは歴史的経緯によるもので、元々遠軽を通った鉄道は湧別線という鉄道で、北見~湧別間を結んでいました。
その後、遠軽から丸瀬布に向けて石北本線の工事が始まり、旭川まで繋がるわけですが、湧別線の北見~遠軽間は石北本線に編入され、遠軽~湧別間は名寄本線に編入されて、湧別線の路線名は消滅します。
このように石北本線は遠軽を境に元々別々の路線だったものが継ぎ合わされて成立した路線であり、名寄本線はその後廃線になったため遠軽駅は現在のようなスイッチバック駅となりました。
このため、特急も含めて全ての列車が停車する駅となっていて、進行方向が変わる関係で数分間停車しますが、ホームで飲み物を買うのがせいぜいです。
ここから先、上川駅までの間は石北本線でも屈指の閑散区間となっていて、ここを通過する列車は特急「オホーツク」「大雪」と特別快速「きたみ」を別にすると普通列車は1日2.5往復しか運転されていません。しかも、そのうちの1.5往復は白滝~遠軽間の区間運転であり、上川~遠軽間を通り抜けられる普通列車は1往復ということになります。
これ以外に特別快速「きたみ」も特急料金不要で乗れる列車ですから18きっぷなどで利用する人も2往復は利用できる列車があるとは言え、18キッパーにとっての難所であることに変わりはありませんよね。
この区間は沿線人口が極端に少ないことから廃駅だらけであることでも有名ですが、明日もこの区間を通るので詳細は明日の分の記事で解説したいと思います。
途中は白滝だけ停車して上川まで来たらまた地形は開けてきて旭川まで速やかに走ります。
「オホーツク」だとこのまま函館本線に直通して札幌まで行きますが、乗っているのは「大雪」なので旭川が終点であり、札幌方面へ行きたい人は特急「ライラック」に乗り換えです。
旭川が宿泊地であり、今日の行程のゴール地点なのですが、まだ17時前であり余裕があるので旭川駅で軽く撮影してから駅を出ることにします。
富良野線のキハ150系と並びました。
隣には789系「ライラック」が停車中です。
元々は新青森~函館間を青函トンネル経由で結んでいた「スーパー白鳥」として活躍した車両でしたが、北海道新幹線の開業により「スーパー白鳥」が廃止されると札幌~旭川間に活躍の場を移し「ライラック」として第二の人生を送っています。
↑札幌からの「ライラック」が入線してきました。
「ライラック」同士が並びました。
「ライラック」は「カムイ」と合わせると北海道で最も本数が多い特急列車ですからね。
↑「ライラック」の発車シーン
札幌からの「ライラック」がまたやってきます。
これが折り返し網走行きの「大雪」の接続列車です。
↑「大雪」の発車を見送ったらこのあたりで引き上げるとしましょう。
最後に富良野線のキハ150系単独で撮ったら終わりにします。
こういう大きな駅で駅撮りすると切り上げるタイミングが分からなくなるのはあるあるですよねw
コンコースに降りると駅ピアノがありました。
前に来たときはなかった気がしますが最近設置されたんですかね?
ただ、私にはピアノの才能など欠片もないので公衆の面前で演奏する勇気はありませんw
駅前に出ると札幌行きの「高速あさひかわ号」が停車中でした。
北海道最大のバス事業者である北海道中央バスの担当便ですね。
あと、こちらの時刻表ですが、最近まで運行されていた芦別行きのところです。
残念ながら廃止されてしまったのですが、このように名残は残っていました。
この新城峠行きが芦別行きの代替で運行されている路線らしいのですが、本数が少ないですね・・・
ホテルにチェックインする前に街に繰り出します。
お昼を食べ損ねていたこともあってお腹がペコペコだったので急いで飯屋を探しますw
「自由軒」というお店なのですが、地元以外でも有名な名店です。
というのも・・・
あの「孤独のグルメ」に登場したお店だったんですね。
お店側もガッツリと乗っかって「五郎セット」なるものを作っていましたw
他のメニューにも心惹かれましたが、やっぱりここは「五郎セット」を注文することにします。
まずやってきたのは大わん味噌汁とご飯
作中で「味噌汁ご飯付き」として紹介されていたやつですね。
続いて運ばれてきたのがほっけフライ&カニクリームコロッケです。
作中では五郎さんが「味噌汁ご飯付き」に追加注文していましたが、五郎セットではこれもセットに含まれています。
カニクリームコロッケはともかく、ほっけフライは北海道ならではですよね。
もちろん美味しく頂きました。
お腹も満たされ満足したところでホテルへチェックインして3日目は終了です。
4日目は別記事として追ってレポートしますので公開までしばらくお待ち下さい。