東日本パスで山形県内乗りつぶし

今回は東日本パスで山形県内の乗りつぶしです。
なお、時系列としては「「湘南ライナー」を経て新潟へ」の続編となっており、内容が大きく異なるため全く別のタイトルを付けていますが連続した活動となっています。
よろしければ前回のレポートも合わせてご覧下さい。

今回の行程


それでは、まずは恒例の行程の説明から入っていきます。
今回は昨晩宿をとった新潟から快速「べにばな」で米沢へ抜け、すぐに奥羽本線(山形線)に乗り継いで赤湯では山形鉄道フラワー長井線を1往復乗車し、そのまま山形線に乗り継いで山形へ向かったら、今度は左沢線を1往復し、更に山形線に乗り継いで新庄へ抜けたら陸羽西線の快速「最上川」で酒田へ抜けてゴールとなります。
タイトルの通り、山形県内の乗りつぶしが目的であり、今回の活動により、仙山線以外の山形県内の鉄道路線は乗りつぶすことになります。
本当なら仙山線も乗ってしまって名実ともに山形県内完全制覇としたかったのですが、行程の関係上そこまでの余裕はありませんでした。
また、当ブログ常連さんならお気づきかもしれませんが、実は陸羽西線には以前にも乗っており今回改めて乗る意味はないようにも思えますが、これもちゃんと理由があり、翌日の行程につながっていきます。

まずは「べにばな」で山形入り

それでは、いよいよ本題へと入っていきます。
新潟のホテルをチェックアウトした私は新潟駅へ急ぎ「べにばな」に乗車します。今回は北海道&東日本パスの利用であり、青春18きっぷではないわけですが、いつもなら1日の始まりを象徴する行為とも言える「18きっぷに日付を入れてもらう」というのがないのでちょっと拍子抜けな気分ですw


まずは発車標で「べにばな」の乗り場を確認です。
今は新潟駅は高架化工事の途上であり、万代口の改札から高架の在来線ホームまでは意外と距離があり、ちょっとギリギリに来すぎたかなと若干焦り始めていましたw


無事に高架下のコンコースにたどり着きました。ここでも発車標を撮影です。


そして、ホーム上の発車標ももちろん撮影です。


いました!キハ110系の「べにばな」です。
新潟駅って案外気動車の乗り入れは少なく気動車というだけでもレアな感じですが、この「べにばな」はなんと1日1往復だけの列車なので、そういう意味でもレアです。


種別幕


側面も撮りましたが列車名が入っていなかったのが残念・・・
指定席があるわけでもないし、列車名は駅で案内すれば十分という感じなんでしょうか。

と、ここでもう発車時間なので乗り込みます。
それでは、これまた恒例ですが「べにばな」について解説を挟んでから乗車中のレポートへと進んでいきたいと思います。
「べにばな」は新潟駅と米沢駅を白新線・羽越本線・米坂線を経由して結ぶ快速列車であり、1日に1往復運転されています。
停車駅は新潟・豊栄・新発田・中条・坂町と米坂線の各駅となっており、白新線・羽越本線内では特急「いなほ」と同じ停車駅となっている一方、米坂線は各駅停車となっており、新潟駅と米坂線内の各駅を行き来する人向けの列車というのが現在の「べにばな」の姿と言えましょうか。
歴史を紐解くと、元々は急行「あさひ」という新潟~仙台間を白新線・羽越本線・米坂線・奥羽本線・仙山線経由で結ぶ列車が発祥であり、当時は仙台・山形・新潟という3つの県庁所在地を結ぶ都市間列車という役割が強かったようです。
余談ですが、新潟~仙台間にはルート違いでもう1つ「あがの」という急行が存在した時期もあり、こちらは信越本線・磐越西線・東北本線を経由していました。かつて急行全盛期にはこのように同じ区間にルート違いの複数の列車が設定されていたり、循環急行といって1周ぐるりと回って元の駅に戻ってくるような列車が走っていたりとなかなか面白いダイヤが見られた時代もあったようですが、今となっては当時の資料を見て想像するしか無い世界です。

そして、1982年に上越新幹線が開業すると新幹線の愛称に「あさひ」が採用されたため、急行の「あさひ」は現在まで続く「べにばな」に改名されました。これまた余談ですが新幹線の「あさひ」は長野新幹線(現在の北陸新幹線)が開業するとそちらの愛称である「あさま」と紛らわしいことが問題になって使用されなくなるというちょっと不運な列車名だったりもします。

その後1985年には「べにばな」としての運転は新潟~山形間に短縮されて、山形~仙台間は快速「仙山」として分離されることとなりました(「仙山」は今でも変わらず運転されています)
1991年には山形新幹線の開業により走行経路だった奥羽本線の米沢~山形間も標準軌に改軌されてしまったため直通運転ができなくなり運転区間を新潟~米沢間に短縮するとともに快速列車に格下げとなり現在に至ります。
この時点では「べにばな」は2往復あったようなのですが、一部が普通列車へ格下げされる形で減便されて現在の1往復体制となりました。

元々都市間輸送の列車として活躍していた「べにばな」(と前身の「あさひ」)でしたが、並行する道路網の整備で高速バス・特急バスに利用者を奪われる格好となり衰退していたところに山形新幹線開業による山形乗り入れができなくなったことがとどめを刺す形で急行という種別すら捨ててローカル色の強い快速列車として生まれ変わった「べにばな」ですが、こういうローカル快速ってひっそり廃止されたりすることも多いので乗れるうちに乗っておけというわけで今回選びました。
実を言えば、「べにばな」の1本前に坂町始発の普通列車もあったのでこちらに乗ればより早く山形入りで来て、うまくすれば仙山線まで含めて山形県内完全制覇も可能ではありましたが、「べにばな」に乗りたかったために仙山線を捨てる形になってもこちらを選んだわけです。

それでは、本題の旅行記へと進みましょう。
新潟駅の時点では座席はだいたい埋まっている程度の乗車率で新潟駅を発車していきます。
国鉄型のものからすれば軽快なエンジン音で、新潟駅の真新しい高架を駆け下りていきます。これがキハ40系なら最高でしたが、もう10年ほど前に米坂線系統からは運用離脱しており、今や叶わぬ夢です。
なお、新潟駅の高架化が始まる前はキハE130系も充当されていたそうなのですが、キハE130系はATS-Pに対応していないという事情から新潟駅には乗り入れられずキハ110系のみの運用へと変更されたそうです。


さらば新潟!


ここを走る特急が「いなほ」なのも納得の美しい水田の景色が続きます。

時間帯的には新潟駅へ向かう人のほうが多いようで逆方向となる私の乗る「べにばな」は目立った混雑はありません。そのまま坂町に到着です。
坂町からは米坂線となりますが、同時に電化区間もここまでで、快速運転もここまでとなります。
車内放送では「べにばな」の”べ”の字も言ってくれないので、もはやただの米坂線の普通列車にしか思えなくなりますが、私にとってはここからが未乗区間の始まりとなりますので、車窓風景など楽しんでいきましょう。


坂町からは一気に内陸へ進路を変えて米坂線へ入りまして車窓風景も一変してきます。
東京と埼玉を隔てる川と同名の荒川に沿って走っていきます。


川の景色は好きなのでついつい撮ってしまいますw


並行する国道113号との絡みもいいですね。


そして、到着した越後金丸駅です。
別にここで降りたわけではないのですが、この駅は米坂線では最後の新潟県内の駅であり、この次の小国駅からは山形県に入ります。
また、坂町~小国間にはこの越後金丸駅を入れて4つの駅がありますが、坂町側から順に越後大島・越後下関・越後片貝・越後金丸となっており、4駅連続で「越後」から始まる駅名になっているのがネタですね。


山形県に入っても引き続き川沿いのルートを進みますが、ここからは今までずっと寄り添ってきた荒川から明沢川という支流に乗り換えていくようです。
本流から支流になったということで川幅は狭まった気もしますが、変わらず美しい景色です。


水量の変化で上流へ向かっていることを感じます。


橋がかかる光景もアクセントになっていいですね。


美しい景色に見とれていると羽前沼沢駅という駅に停まりました。
小国から既に山形県に入っていたわけですが、「羽前~」と付く駅が来るとより実感できます。


山形鉄道との接続駅となる今泉に到着です。
この先の行程を考えればここで山形鉄道に乗り換えたほうが効率がいいですが、そうすると今泉~米沢間の米坂線を乗り残して帰ることになってしまいますからこのまま乗っていきます。


その今泉駅では山形鉄道の車両も停車中でした。
ところで、余談になりますが、今泉を出た米坂線は米沢を目指すため一旦南へ大きく迂回する形となりますが、山形鉄道フラワー長井線はほぼ一直線に東へ向かい赤湯駅に繋がるため、米坂線の今泉以西から山形方面を目指す場合には、米坂線で米沢まで行かずに一旦フラワー長井線に乗り換えて赤湯から再びJR山形線を利用したほうが、山形鉄道を挟むことで運賃が別立てで計算されることを加味しても割安である上、米沢経由より所要時間も短いケースが多いんだそうです。
なお、今泉~赤湯間は山形鉄道を使えば12.2kmの道のりですが、米坂線と山形線を使うと39.0kmと3倍以上の遠回りとなっています。

まあ、私は米坂線完乗という目的もありますからこのまま遠回りして米沢へ行きますけどねw


あとは長閑な田園風景ばかりで気づけば終点の米沢に到着です。
米沢といえば山形新幹線では在来線区間に入って最初に停車する駅であり、米沢牛などの名物でも知られています。
そんな米沢駅は訪れたことがない駅でしたので、出来れば時間をとってじっくり駅取材と行きたいところでしたが、ここは数分の連絡になってしまうので初訪問の駅に後ろ髪を引かれつつ乗り換えます。


新潟からここまで運んでくれた気動車とはお別れ


続いては赤湯を目指して山形線に乗車です。

なお、山形線というのは、ここまでも何度か使っておいて今更ではありますが愛称であり正式には奥羽本線となります。
奥羽本線は福島駅から山形駅・秋田駅などを経由して青森駅まで至る長大路線ですが、そのうち福島~新庄間は山形新幹線の開業に伴って標準軌に改軌されており、他路線との直通が出来ない孤立路線となっていることもあって、同区間には「山形線」という愛称が付けられました。
このように在来線でありながら標準軌となってしまったため、普通列車は719系、もしくは701系が充当されますが標準軌バージョンの専用車両を使用しています。

写真の701系も見た目こそただの701系と違いは見出だせませんが、実は標準軌バージョンなので、逆に山形線以外の区間へは乗り入れることができません。
その標準軌の701系に揺られて数駅で赤湯駅です。ここでは山形鉄道に乗り換えるわけですが、ちょっと時間が開くので駅の方もご紹介していきます。

赤湯駅

というわけで、この記事で最初の駅レポートは赤湯駅となりました。


まずは定番の駅名標から

なお、赤湯駅の所在地は南陽市となっており、合併前に存在した赤湯町の範囲内にも所在していなかったのに赤湯駅なのは、隣接する赤湯温泉のPRという意味合いが強いみたいです。


こちらの駅名標はひらがなの方が大きくなっていました。


このあたりはラーメンが有名らしくホーム上でもめっちゃアピールしていましたw


ちなみに、その奥はかつて中線があったことを感じさせる空間がありました。


構内のホーム間の移動は跨線橋なので階段を登ります。


階段を上がるとこんな案内が出てきました。
左へ行けば山形鉄道赤湯駅、そしてJRの赤湯駅は右へ行くそうですが、とりあえずJRの方へ行くとしましょう。


ちょっとだけ覗いてみた山形鉄道の方への跨線橋


「終列車後の通り抜けはご遠慮下さい。」とのことです。
ようするに、西口側は山形鉄道が、東口側はJRが管理していて、共同使用駅ではあるけれどもそれぞれ独立の駅舎を持っているパターンで、山形鉄道の最終が出た後は駅舎に誰もいなくなるから通り抜けないでくれってことなんですかね。
それにしても、こういうJRの駅に第三セクターが乗り入れるケースでは駅は完全にJR持ちで、第三セクター側が間借りするような形で乗り場だけ使わせてもらっているみたいなケースが多い中、自前でちゃんと駅舎まで持っているのはすごいですね。


それでは、山形鉄道はどうせ後で立ち寄ることになりますし、一旦JR側へ向かいます。
その途中にあった発車標ですが、ローカル列車と新幹線が同じ発車標に案内されているのが面白いですw


どこか国鉄チックな案内に従って下へおります。


駅舎に面した1番線にやってきました。
やっぱり奥のスペースは中線の跡っぽいですね。


この支柱のデザインが独特です。


というか、駅舎全体が凝ったデザインになっているようです。


駅舎にも駅名標が付いていましたが、なんだか色が薄いw


改札を出ました。
自動改札があるように見えますが、実はこの自動改札は「つばさ」の利用者専用であり、しかも「モバイルSuica特急券」で乗車する人が乗車したという処理をするためだけに設置されているようで、それ以外の紙の乗車券で「つばさ」に乗る人なども有人改札での対応となるなどかなり限られた目的で設置された自動改札機ということになりますw


駅舎内です。
全体的にモダンかつ、ガラス張りで開放的な印象です。


何かと思えば「平和の鐘」だそうです。


一瞬、和服を着たお空(霊烏路空)かと思いましたが、和服の子の後ろに描かれた鶴の羽根とかぶってそう見えたようですw


駅構内にNEWDAYSがあるので買い物には便利です。


山形鉄道の券売機もあったので先に乗車券を買っておきます。山形鉄道は当然ながらJR線ではないので東日本パスでそのまま乗るわけには行きませんからねw
流石に磁気券ではありませんが、券面自体はごく普通の切符でした。

なお、山形鉄道では1日券も発売しており、3種類ほどあるのですが、今回の条件で利用できる唯一の1日券だった「コロプラ記念乗車カード」は2000円であり、単純な往復利用では元を取れない設定だったためおとなしく普通乗車券を買うことにしたのでした。
なお、今回の条件に当てはまらなかった方の切符も一応ご紹介しますと、「土・休日フリー切符」と「もっちぃ親子・孫乗り放題きっぷ」という2種類があり、前者は1000円で発売されており単純に往復するだけでも元が取れますが、名前の通り土日や祝日しか発売されないため、平日の乗車だった今回は利用できず、後者は逆に平日にのみ発売され、同じく1000円で発売されていますが、小学生以下の子供(2名まで)と大人の組み合わせで乗車することが条件であり、私みたいに大人だけで乗る場合は利用できません。逆に「土・休日フリー切符」も小学生2名まで同伴しても追加料金不要というおまけがついていますから、平日は子供と一緒の場合だけ1000円でフリーきっぷを発売し、土休日は子供と一緒という制限を緩和して大人だけでも1000円でフリーきっぷを発売しますよってことですかね。


駅前に出ました。そんなに都会という感じではありませんが、かといって殺風景でもないですね。


そして、こちらが駅舎です。やっぱりモダンなデザインですよね。


入口部分はこんな感じ


と、ここで駅弁タイム!
買ったのは名物の「牛肉どまん中」です。
駅弁大会常連の大人気駅弁の1つで、知名度もかなりのものだと思いますが、実はこれが初めての購入でした。
山形方面への遠征が今まであまりなかったことに加え、わざわざ駅弁大会に出向いて買うということもなかったためですね。
これを列車を待つ間に駅で食べてしまうわけですが、車内に持ち込んで食べないのは、第三セクターの山形鉄道ではロングシートの可能性が高く、ボックス席があっても先客に取られてありつけない可能性があることや、乗車中はたいてい録音タイムという私からするとノイズの塊でしかない食事という行為をその最中にしたくないというのもありました。


そして、お待ちかねの中身です。
これでもかと牛肉が文字通り「ど真ん中」に置かれ、味も抜群で大満足でした。
駅弁でお昼というのも久々ですが、たまにはいいものですね。


構内に戻るとちょうど「つばさ」がいました。
昔は「つばさ」といえば銀色でしたが、今はこんなカラフルな見た目になったんですよね。


そして、こちらが私の乗る山形鉄道の車両です。
安定の新潟トランシス製のNDCですが、1988年の開業時から使われているみたいで、同世代の車両は既に引退している第三セクター鉄道も多い中で長く頑張っていますよね。
ちなみに、形式名はYR-880形です。


方向幕は運行区間のみを表示するタイプです。


同一構内とはいえ山形鉄道単独の乗り場となっているため、駅名標は独自のものが用意されていました。


別バージョン


こちらはJRのデザインでしょうが、縦型もありました。


ホーム上にも待合室を用意しているのは雪国ならではでしょうか。


ホームの端っこも撮ったら乗り込みます。

山形鉄道フラワー長井線

毎回恒例ですが、まずは山形鉄道とフラワー長井線について解説してからレポートを進めていきます。
元々フラワー長井線は国鉄の路線であり当時は長井線という名前でした。元々置賜地方の交通改善を目的として「長井軽便線」として1913年に開業したのが始まりで、1922年に現在の終点である荒砥まで開業し、このときに「長井線」と改称されました。
当時の鉄道敷設法においては荒砥から更に左沢線の左沢まで延伸する計画となっていましたが、これは実現せず国鉄のローカル線の一つとして走り続けますが、1986年には第3次特定地方交通線の一つとして廃止が決定するものの、翌年1987年には一旦JR東日本へと継承されました。さらにその翌年の1988年に第三セクター鉄道「山形鉄道」が発足するとともに同社に移管され現在の形となりました。ごく僅かな期間ながらJR線だった時期もあるフラワー長井線ですが、国鉄が特定地方交通線として切り捨てるくらいですから元々利用状況は芳しく無く、山形鉄道へ転換されてから新駅の設置や快速列車の運行(現在は廃止)と言った取り込みを行うも赤字は解消できず、2017年からはいわゆる上下分離方式を採用し、線路や駅などの設備やその用地を沿線自治体で保有して山形鉄道へ提供する形へ移行して2016年度決算ではようやく黒字を計上できるようになったようです。
鉄道でもバスでも、地方の公共交通の経営の厳しさは場所を問わない全国的な問題ではありますが、ここは自治体が一定の費用負担を受け入れた上で、鉄道存続に向けた活動をしてくれているみたいですから、まだ恵まれた方なのかもしれません。

そして、現在のフラワー長井線についてですが、まず名称に「フラワー~」と付いていることについては沿線に花の名所が多いからだそうで、車体にもこれでもかと花をデザインしていましたね。
ダイヤは全列車が赤湯~荒砥間の運転で区間運転などはありません。また、現在は全列車が各駅停車となっていて、一時期快速が走っていたこともありますが、今となっては全列車が全線走破する各駅停車のみという非常にシンプルなダイヤ構成になっており、1日に12往復が走っています。
赤湯駅では山形新幹線・山形線、今泉駅では米坂線とそれぞれ接続していますが、山形新幹線・山形線は標準軌であり、狭軌のフラワー長井線とは線路はつながっていないため、山形鉄道とJRの線路がつながっているのは今泉駅のみとなります。


そんな解説をしている間に列車は田園風景の中へと走り出していました。
乗客は数えるほどですが、山形鉄道的には困っても乗り鉄としてはありがたい乗車率です。


米坂線のインパクトが強すぎたのもありますが、思ったほど感動する車窓も見当たらなかったためいつの間にやら米坂線との接続駅の今泉駅に到着していました。
先程米坂線に乗っているときにも通ったために2度目の今泉駅ですが、ここから先の線路も実は2度目となります。
どういうことかというと、今泉駅を出て白河橋梁という橋を渡るまでは米坂線とフラワー長井線は線路を共有しており、橋を渡りきったところで再びフラワー長井線は荒砥へ、米坂線は米沢へと分岐していきます。
分岐地点はかつて「白川信号場」という別個の施設として扱われていたそうですが、今は今泉駅の構内という扱いになっているらしく、共有区間は約2kmにも及ぶため小規模な駅な割に(書類上は)広大な構内となっています。
え?その分岐点の写真は?って・・・?
撮りそこねましたw


ちょっとだけ米坂線の線路を間借りして川を越えたら再び単独区間となってフラワー長井線の由来でもある長井駅に到着です。
長井市の中心に位置する駅であり、山形鉄道の本社もここにあります。
また、荒砥方面へ進む場合、最後の交換可能駅となり、当駅より荒砥方面は一切交換の出来ない1閉塞の区間となります。


最後に最上川を渡ったら終点の荒砥はすぐそこです。

荒砥駅では数分で折り返さないといけないのですが、初訪問の駅ということで猛ダッシュで撮影をこなしましたので簡単にレポートしていきます。

荒砥駅

それでは、山形鉄道の終点荒砥駅を駆け足でレポートしていきます。


数分後にまた乗ることになる列車ですが、一旦お別れです。


こちらが駅構内です。
乗り場こそ1面1線のみですが、車両基地を併設しているため構内自体は広いです。


こちらが車両基地です。
山形鉄道はすべての車両を集めても6両しかないみたいでからす大手私鉄やJRの車両基地に比べればバスの車庫かと思うくらい小さいですが、それでもここが山形鉄道の運行の中枢であることに変わりはありません。


そして、ホームです。
前述のように1面1線しかなく、駅舎に直結しているとてもコンパクトな造りです。


忘れないうちに駅名標を・・・


縦型


こちらが出口です。


駅舎内です。
ステンドグラスまで嵌め込まれて観光施設のような趣きです。


ホーム側を振り返ります。
自動改札はなくても不思議でないとしてもラッチすらありませんが、改札機能は車内に集約しているようで駅員配置駅ではありますが、きっぷの販売のみで改札はしていないようです。


駅前へ出ました。
ただの道路のようですが、事実上の駅前広場と言えそうです。


こちらが駅前通りになるようです。
右折レーンまで整備されている割にさっぱり車を見かけませんでしたが、朝夕は送迎マイカーで混み合うのでしょうね。


観光客向けでしょうか?こんな看板もありました。


そして、こちらが駅舎です。
え?見切れてるじゃないかって?
時間がなかったので全体が入る位置まで下がる余裕がありませんでしたw


どことなく大正っぽいフォントで書かれていますが「荒砥駅前交流施設」だそうです。


レトロさの演出のためなのか丸ポストを発見


わざわざ列車でここを訪れるのは地元民を除いてはほぼ鉄道マニアになりそうな気もしますが、顔出しパネルが観光客を出迎えていました。
ちなみに、当駅の所在地はパネルにある通り白鷹町となっており、当駅がその中心になります。


駅舎にも駅名標みたいなものがあるんですね。

 


バス停もありました。
山交バスが長井市と山形市を結ぶ路線を運行しており、それが当駅にも立ち寄る他、学生以外の住民の利用可能なスクールバスが朝夕に発着するようです。


内部は資料館のようになっていましたが時間がないのでこれだけw

ちょうど駅員さんもいない時間帯だったようで仕方なく切符も買わずにそのまま車内に戻ります。
あとは、このまま赤湯へ折り返します。道中は端折って赤湯駅では再度時間があるため、往路では見落とした部分をフォローしつつ再度レポートしたいと思います。

2度目の赤湯駅

山形鉄道を引き返して赤湯に戻ってきました。


先程書いたように荒砥駅ではきっぷを買わずに乗車したため下車時に車内で運賃を精算した所、こんな紙をもらいました。
改札を出るときはこれを渡せばいいみたいですね。


と、そこへ「つばさ」が入線してきました。


何となく並べてみるw


停止位置に止まると標識がかぶってしまうというw


↑せっかくなので動画を撮ってみました。
実は私にとって山形新幹線を撮った初の動画であり、かつこの記事に貼る最初で最後の動画でもありますw


階段を上がるとJRと山形鉄道それぞれの駅舎への案内がありますが・・・


今度は山形鉄道の方へ行ってみます。


その山形鉄道の通路ですが・・・


鉄道むすめたちがお出迎え!w


鉄道むすめを過ぎるとここで通路は終わりです。


駅名標と共通のデザインの看板がありました。


往路でも見た「通り抜けご遠慮下さい」の看板がここにも


独特なフォントで西口であることをお知らせしていました。


階段を降りて駅舎へ向かいます。


いきなり雰囲気が変わりますがここから駅舎に繋がるようです。


こちら側から構内を眺めます。


ここが出口です。


駅舎内です。
窓口の隣に改札というローカル駅っぽい配置ですが、これでも山形新幹線の停車駅なんですよねw


こちらが赤湯駅西口の駅舎です。
東口とは全然違って見えますよね。


駅名の看板も木の板という長閑な雰囲気です。


これは演出なんでしょうが、こんなランプが付いていました。


駅周辺です。駐車場となっており、送迎マイカー向けの広場なんですかね。


よくありがちな駅前のオブジェ


なんか池もありました。

さて、あとは山形線に乗るわけですが、まだ時間もあるので駅周辺の道路を迂回して東口へ行ってみたいと思います。


ちょうど向こうへ行けそうなアンダーパスがあったのですが・・・


レリーフは「つばさ」でした。
塗装がちょっと前のやつなのはご愛嬌ですが、逆に初期のやつとも違うのでそんなに古いものじゃなさそうです。


東口へやってきました。西口を見てきたばかりなので余計に全く違う駅に思えます。
こんなに東西で駅舎が違う駅も珍しいですよねw


ホームへ入ると719系がいました。
あまり乗ったことがない形式であり、置き換えが進行中の形式でもあるのでラッキー!・・・と思ったら逆方向の米沢行きというw


ちょっとがっかりしていたらなんと私が乗る山形行きも719系でした!


思わぬ形で叶った719系乗車に喜びつつ山形線を北上します。


農業王国でもある山形らしくビニールハウスの並ぶ光景も見られました。
そして、目指すは県庁所在地の山形。そこから乗り換えるのは・・・

左沢線を1往復

山形県の県庁所在地山形は私にとって初訪問の土地でしたが、まずは左沢線を1往復するため、一旦はすぐ乗り換えて素通りしてしまいます。


もっと719系に乗っていたい気分ですが、次の乗りつぶしが待っているのでここでお別れです。


時間もないので左沢線乗り場へ急ぎます。


乗り場へ行くと既に左沢線の列車は入線していました。
JR東日本のローカル線の定番とも言えるキハ100系の仲間ですが、より細かい区分から行くと、こちらはキハ101形という形式になります。
実を言うと、このキハ101形は実質左沢線専用とも言える形式であり、左沢線は非電化路線の割には朝夕の混雑が激しいことや比較的短距離の路線で乗車時間も短いことから、全席をロングシートとした他、トイレを省略していると言った相違点があります。
結局の所車内設備だけの違いといえばそれまでなんですが、同一形式内の派生系列まで含めて完全制覇したいという方は、キハ101形は左沢線でないと乗れませんのでご注意をw


ちなみに「フルーツライナー」という愛称(?)があります。
特定の編成とかではなく、左沢線の全列車にこの愛称があるらしく塗装も一般的なキハ100系・110系とは異なったものになっています。


幕を撮ったら乗り込みます。

あとは発車を待つだけですが、ここで左沢線について解説を挟みましょう。
左沢線は山形駅の1駅隣の北山形駅と左沢駅を結ぶ全長24.2kmの路線であり、全列車が各駅停車で起点の北山形駅以外で他路線と接続がないなど典型的なローカル線ですが、キハ101形の紹介でも触れたように非電化路線の割には利用者が多い路線であり、ラッシュ時には6両編成が見られるらしいです。あと、沿線には果物の産地が多いことから「フルーツライン左沢線」の愛称もあります。
また、正式な起点は北山形駅ですが、奥羽本線(山形線)の羽前千歳~北山形~山形間には左沢線と仙山線の列車が山形駅に乗り入れるための単線の線路が山形線・山形新幹線用の標準軌の線路とは別に用意されており、左沢線・仙山線の全列車は山形駅に乗り入れており、運行系統としての左沢線は山形駅~左沢駅間ということになります。
余談ですが、北山形駅は開業時は左沢線のみに駅があり、奥羽本線側には駅が設けられていなかったのが後から奥羽本線の方にも北山形駅が儲けられたという歴史的な事情から山形駅~北山形駅間は長らく奥羽本線と左沢線のどちらにも所属するという重複区間となっていましたが、JR東日本へと継承された1987年には基本計画上の左沢線の区間を北山形駅~左沢駅間に改め、1998年には線路名称上も同区間に改められたため重複区間は解消されました。
道路だと複数の路線の重複区間は珍しくないですが、鉄道で運行系統上ではなく線路名称上で重複しているというのは非常に珍しいケースでした。

それから、左沢線の歴史についてですが、1921年に左沢軽便線として山形~羽前長崎間で開業し、翌1922年に左沢まで全通しました。
後に左沢から長井線の荒砥までや、寒河江から奥羽本線の村山(当時は楯岡)へ至る支線や延長線が計画されたこともありましたがこれらは実現せずに現在に至ります。

現在の運行系統ですが、山形~左沢間の全区間を走破する列車がメインとなっており、一部が途中の寒河江で折り返すというバリエーションとなっています。寒河江までは概ね1時間~1時間半に1本は走っていますが、寒河江折返しがある関係で寒河江~左沢間は最大で3時間ほど運転がない時間帯があるため、乗りつぶし目当ての方はこの時間帯を避けないといけません。


ロングシートとあってあまり車窓を楽しめる列車ではないですが、せっかく乗ったので1枚位は・・・w
フルーツライナーらしく田園風景が続きますが、本格的な山越えもなく長閑な景色が多いです。

そして、40分程度の乗車で終点の左沢に到着です。
ここもあまり時間がないので駆け足になりますが、レポートしていきます。

読めるかな?左沢駅

さてさて、ここまでの記事中であえて「左沢」の読み方には触れないで来ましたが、初見で正しい読み方が分かった方はまずいないのではないでしょうか?適当に「ひだりざわ」とか読んでいた人もこの項で答え合わせですね。


まずは乗ってきた列車です。


幕は既に山形行きに変わっていました。


ホームです。1面1線と終着駅にしては寂しいですが、ローカル線ですしこんなもんですかね。
なお、ホームに面する線路とは別に1線留置線がありますが、当駅での夜間滞泊は設定されていないらしく、当駅に到着した最終列車は車両基地のある寒河江駅へ回送され、同様に始発列車は寒河江駅から回送されてくるそうです。


そして、いよいよ答え合わせとなる駅名標です。
はい、「左沢」は「あてらざわ」と読みます。
「左」の字を「あてら」なんて読み方をするのはおそらくここぐらいのもので、どんなに漢字の読み方に詳しい方でも事前知識無しで「左沢」を読める方はいないと思いますが、その気になる由来については諸説あるようです。
いくつか説をご紹介すると、最上川の右岸を「こちらの沢」、左岸を「あちらの沢」と読んでいたのが、次第に「左の沢」の漢字表記はそのままに「あちら沢」→「あてら沢」と変化したとする説の他、似た説で寒河江城から見て「あちら側」にあった渓谷と鎌倉時代の武将「大江親広」が呼んだことからとする説、地名関係でも著名な柳田國男氏による「樹木の日のあたらない側」を意味する「アテ」から転じて、日当たりの悪い土地を「アテ」と呼ぶようになったとする説であり、これが由来であると思われる「アテラ」と読む地名は山形県内にいくつかあるそうです。
そして、最後はアイヌ語由来説で、「楡の木のある所の下流の沢」を意味する「アテラナイ」の”ナイ”の部分だけ日本語に直して「アテラ」はそのまま「あてらざわ」になったとする説など4つの説があるそうです。
古くからの地名は自然発生的に呼ばれるようになったものも多いでしょうし、正確な由来を特定するのは難しいものも多いでしょうが、個人的には最初の「あちらの沢」が「あてらざわ」になったという説が漢字表記が「左沢」となった理由も説明できていて一番しっくり来るなと思いました。

元々は大江町内の一地名に過ぎなかったわけですが、駅ができて駅名に採用され、更には路線名にもなったためその知名度は高く、特に鉄道ファンの間では難読地名の代表例として有名ですよね。

なお、同じ左沢線にあって、左沢駅同様に行き先とする列車も存在する寒河江駅もやはり難読であり、こちらは「さがえ」と読みます。
山形駅から乗る場合、左沢線の列車は左沢行きか寒河江行きのどちらかなので、どっちも読めなくて問い合わせや案内に難儀するケースはありそうですw


だいぶ駅名ネタで字数を割いてしまいましたが、駅名標自体もネタでしたw
流石はフルーツライン左沢線という愛称をつけるだけのことはありますねw


壁面タイプの駅名標も撮ったらそろそろ取材を先へと進めていきましょう。


縦型も撮ったら出場します。


改札口です。みどりの窓口と一体化した有人改札というローカル駅あるあるな構成です。


小ぢんまりとしていますが待合室もありました。


所在する大江町は駅を中心とした観光促進に取り込んでいるらしく顔出しパネルもありました。
地方の観光というとマイカーやレンタカー頼りになりがちですが、鉄道を活用してくれているのはいいですね。


この独特な形をした建物は「大江町交流ステーション」だそうで、内部には売店や地元のお祭に関する展示ホール、商工会や会議室・多目的ホールなど町の施設が集まっているようです。
建物としては駅舎と一体化しており、地方の駅ではよく見られる公共施設と駅の一体化というパターンですね。


そして、純粋に駅舎と呼べるのはこの平屋建ての部分だけです。
こちらは窓口と改札があるだけの簡素な作りです。


駅名の看板は木製でした。


時間がなかったのでこれしか撮れませんでしたが、駅周辺の風景です。
周辺は大江町の中心部になっているみたいです。
もっと細かく周辺を散策したかったですがここでタイムアップなので駅に戻って再び左沢線で山形へ引き返します。

山形駅

山形県の県庁所在地の山形駅です。東北地方の県庁所在地は青森・盛岡・秋田・仙台と訪れたことがありましたが、ここ山形は初訪問であり、乗り換えの関係上時間もあるのでしっかり取材したいと思います。
なお、山形駅訪問を持って、東北地方で最後の未訪問の県庁所在地は福島だけとなりました。福島も乗り換えで数分だけホームに降り立ったことはあるのですが、流石にそれをもって訪問したとは言えませんからねw


まずは駅名標から
当駅から出ている分岐路線として先程乗ってきた左沢線と仙台へ至る仙山線がありますが、いずれも当駅から1つないし2つ進んだ駅から分岐するので駅名標の上では分岐路線はないように見えますね。


縦型も


構内は県庁所在地にふさわしく3面7線となっており、1枚で全体を収めることは出来ないほど広大な構内です。


自由通路の跨線橋が構内をまたぎます。


いやぁ、こんな高層ビルがあるなんて流石は県庁所在地です。
これは霞城セントラルという官民複合型のビルだそうで、言わずもがなで山形市内最高峰の建築物で、各種民間企業やホテル、高校や山形県・山形市の公共サービスを提供する施設も集まっているようです。


土台(?)のような部分ですがよく見ると・・・


奥羽・羽越新幹線早期実現の垂れ幕が掲げられていました。
これは古くは1969年の「新全国総合開発計画」から構想として存在する新幹線構想の1つで、奥羽新幹線は福島から山形を経て秋田へ至るフル規格新幹線であり、同様に羽越新幹線は新潟から山形県の日本海側を通って秋田へ至る新幹線として構想されているものです。
今の所、1973年の「基本計画」には含まれているものの、それよりも具体的な動きはなく、山形県では2016年から「山形県奥羽・羽越新幹線整備実現同盟」だの「米沢市奥羽新幹線整備実現同盟会」、更には関係する6県と共同で「羽越・奥羽新幹線関係6県合同プロジェクトチーム」を発足させたり、「最上地域奥羽新幹線整備実現同盟会」やら「山形圏域奥羽新幹線整備実現同盟会」といった組織を次々立ち上げており、山形県としては結構力を入れて誘致を目指しているみたいです。
山形県は山形新幹線があるとはいえ、これはいわゆるミニ新幹線であり、フル規格新幹線が欲しいという気持ちもわかりますが、奥羽新幹線の事業主体となるであろうJR東日本からすれば、今更フル規格の奥羽新幹線を整備してしまったら奥羽本線を改軌したり専用車両である400系やE3系を開発したりといった山形新幹線への投資が無駄になるとも言えますし、実現はかなり厳しそうではありますね。
なお、より現実的な案を・・・ということなのか、山形県知事がJR東日本の社長と会談し、福島県と山形県の県境にあたる板谷峠区間に新たな長大トンネルを掘削して山形新幹線を高速化するという構想も出ているらしく、JR東日本の試算では1500億円の事業費で山形新幹線の福島~米沢間を10分短縮出来るという結果が出たそうです。
これに対し山形県側は将来的にフル規格新幹線に転用可能な規格でトンネルを掘削してほしいと要望しており、これも含めると更に120億円かかるようです。山形県側は早期の事業化を求めているらしいですが、今の所目立った動きはありません。


またもや脱線してしまいましたがいい加減にコンコースへ上がります。


面白いのが都市部の駅みたいに各路線の乗り場への経路を床面の線で案内しているんですね。


生花や七夕の笹など展示物


新潟から乗ってきた列車名と同じだったのでつい反応してしまいましたw
本物の紅花ってこんなのなんですね。


ブロックで作られた「つばさ」のオブジェがありました。
記念撮影スポットになっているようで、いわゆるインスタ映えスポットですね。


この手作り感が逆にいいですね。


路線名や方面の駅名を見なければ都内の駅だと言われても信じてしまいそうな光景です。


レリーフがありました。
ていうか、買い物カートを放置してるの誰w


内容はというと、奥羽本線にも「茂吉記念館前駅」があるため名前くらいは聞いたことがある人も多いであろう斎藤茂吉氏の詩のようですね。


隣の解説は斎藤茂吉氏についての解説かと思ったら、山形駅についてのものでしたw
まあ、どっちみち記事中で解説する手間が省けて助かりますw


あと、東北の駅百選の一つらしいですよ。
選定理由がよくわかりませんが、他の百選に入っている駅を見ると、主要な駅はだいたい入っているみたいなので単純に県庁所在地の駅で主要駅ということでの選出ですかね。


改札を出て自由通路となります。
流石は県庁所在地だけあって人の往来が途切れることはありませんでした。


山形といえば「花笠祭り」ですね。


東口の駅前へ出ました。
バスが沢山集まっていますが、すべて山交バスだからすごいですよね。


私にとっては馴染みの薄いバス会社となる山交バスですが、初めましてを兼ねてアップで撮影w
「山交バス」というのは、略称とかではなくて正式な社名であり、元々「山形交通」という社名だったのがバス事業分社化の際に「山交バス」となりました。愛称や略称として定着していたものを正式な名前にしてしまったパターンですね。
「山形交通」自体は戦時下に山形県内の鉄道・バス事業者が合併して成立した会社であり、かつては鉄道事業もしていましたが、現在は鉄道からは撤退してバス事業のみ続いています。
あと、車体に「UTORIA」と書いてありますが、これは山交バスを含めた旧山形交通系列のグループのコーポレートアイデンティティであり、理想郷を意味する”UTOPIA”と「ゆとり」を合成したものだそうです。


駅周辺の景色です。まあ、ごく普通の町並みですかね。


ペデストリアンデッキ上から見た駅舎


駅名の部分


ちょっと気になったものがあったのでカメラを向けてみました。


それはこちらです。なんでこんなところに駅名標が?と思ったらよく見ると居酒屋さんの看板だったんですねw
左隣が「しらふ」で右隣が「ほろよい」というのも芸が細かいです。また、北海道には比羅夫(ひらふ)駅やら幌向(ほろむい)駅やら、似た名前の駅名があるのが妙に説得力がありますw
ただし、あんまり飲みすぎて「でいすい」まで乗り過ごしちゃダメですよw


それでは、再び自由通路に戻って今度は西口へ向かいます。


床面にはさくらんぼのイラストがありましたw
山形といえばさくらんぼですが、こんなところにあるとはw


西口へ出ました。
やっぱり目を引くのはホームからも見えた「霞城セントラル」ですね。
東口より「山形らしい」駅前なので、「山形に行ってきました」という写真が撮りたいなら東口より西口ですね。


駅前あるあるのよくわからないオブジェw


こちらが駅舎になりますが、西口側は独立した駅舎はなく連絡通路が通じているのみのようです。


さて、再び入場しようかと思っていたらこんなものを発見
改札前にあったんですが、来るときはスルーしてしまっていたようですね。
E3系同士ですが、通常の「つばさ」と「とれいゆ」がトンネルを挟んで背中合わせみたいになっていますね。


通常の「つばさ」


「とれいゆ」
単体でも見ごたえのあるクオリティですね。


台車はある程度簡素化されてはいますが、それでも走らせるわけでもないのにちゃんと車輪を付けてくれているのはポイント高いです。


ホームへ戻ってきました。


さて、あとはこの701系に揺られて新庄まで北上します。
ここも719系が来てくれたら嬉しかったですが、そうは問屋が卸しませんでしたw
それにしても、719系じゃなかったことは仕方ないにせよ、困ったのはあまりの混雑率です。
この日は平日であり、かつまだ学校のギリギリ夏休みには入っていない時期だったため、夕方となれば高校生の帰宅ラッシュに当たるのは明らかでしたし覚悟はしていたのですが、想像を遥かに上回る満員電車状態でした。
東京でこれを見たら「今日はマシな方だな」と思う程度ですが、地方線区でこれとは・・・

仕方なくすし詰め状態を甘んじて受け入れて乗車していたのですが、高校生なんてそんなに長くは乗らないだろうからすぐに座れるようになるだろうという甘々な想定もあっさり否定され、駅を進むにつれて徐々に空いてはきますが、ようやく私が席にありつけたのはもう村山だったか大石田を過ぎたあたりでした。

長々と立ち席を余儀なくされて足が疲れてしまいましたが、新庄にやってきました。

新庄駅にて小休止

本日最後の途中下車となる新庄駅では列車の接続が悪かったことも当て1時間以上も滞在時間があるのですが、過去に訪れている駅だということもあって取材もそこそこに夕飯を食べたいと思います。このあとは目的地である酒田となるわけですが、酒田市自体は結構大きな街とはいえ、酒田駅はその中心から外れているようであり、夜遅くまで開いている飲食店は市の中心部まで行かないと存在せず、駅周辺には呑み屋ばかりのようだったこともあって、新庄で済ませておくことにしたのです。


流石に新庄駅到着時点ではガラガラだった701系


過去に訪れていますが一応駅名標を・・・


流れで縦型も


ホームも一応撮っておきます。
この写真だけだとありきたりな構造に見えますが・・・


ホーム中央部に線路を分断する形で通路が設けられていて、この通路を境に別の乗り場として扱われているため、実際のホームは2面しかありませんが、1番線・2番線と3番線・4番線は通路を隔てて向き合う形(言うなれば櫛形ホームが2つ向き合っているような形)となっています。
最近はバリアフリー目的で使用しない線路を分断して平面の通路としてしまうケースも散見されますが、ここの場合、山形新幹線の延伸開業により山形方面の奥羽本線(山形線・山形新幹線)が標準軌となり、秋田方面の奥羽本線と陸羽東線・陸羽西線とは直通できなくなったために標準軌と狭軌でホームを分断したためにこうなりました。


そのため、乗り場案内もあちこちを向いた矢印が並んでいますw


方言で歓迎してくれる看板は前回来たときもありましたが、デザインは一新されていました。


奥の細道ゆかりの地ということでか「芭蕉丸」と書かれた和船があります。
これは前回からあったものですね。


そして、笠と法被を貸してくれるというサービス付きですw


天狗のキャラクターの顔出しパネルですが、キャラクターの顔の大きさが実際の人間の顔の大きさとあっていないためなんだか違和感がありますw


何かと思ったら「かかし祭り」の最優秀作品だそうです。
ここまで来ると、もう案山子というより、普通に人形ですよねw


それでは、改札を出ます。


改札を出ると出迎えてくれるのが、「新庄まつり」の山車です。
毎年優れた山車を3台選び、そのうちの1台が駅に展示されているようです。


それでは、外へ出ます。
以前にも来ているわけですが、前回は雪の山がそびえていたのが、今回は真夏ですからそれはなくだいぶ違った印象です。


駅名はライトアップされて薄暗い中で浮かび上がるようでした。


反対口にも来ました。


ロータリーも入れて引きで撮ったら夕飯です。
あ、別に名物でもないので写真はなしですw


そして、腹ごしらえを済ませてホームへ戻ったら撮影して暇つぶしです。
どうやら、次に乗る列車は遅延しているようです。


当駅以北の奥羽本線は秋田色の701系が活躍します。


ようやく私の乗る列車が入線です。
お次は陸羽西線であり、非電化路線なのでキハ110系です。


行先表示を撮ったら乗り込みます。
そう、実はただの陸羽西線ではなく「快速」なのです。

快速「最上川」でゴールの酒田へ

本日最後の乗車は陸羽西線で1往復だけ走る快速の「最上川」です。
この列車は新庄と酒田を走っています。快速ですから当然通過駅があるのですが、私が乗る酒田行きに関してはなんと余目まで(つまり陸羽西線内は)各駅に停車していき、余目~酒田間の羽越本線に乗り入れる区間のみ快速運転をするという残念快速だったりしますw
今朝方乗った「べにばな」も米坂線内は各駅に停車して、快速運転は羽越本線・白新線内のみだったことを考えればそれに準じた形なのかなとも思いますが、「最上川」の場合、羽越本線に乗り入れる区間は非常に短くこの快速運転は果たして意味があるのかと思いたくなりますw
なお、逆に酒田から新庄へ向かう「最上川」はちゃんと快速列車らしい走りをしてくれており、酒田を出ると余目・狩川・古口・新庄にしか停車しません。どうせ乗るならそっちに乗りたかったですが、まあ今回は行程の都合で使っただけですし、新庄行きの方はまたの機会にとっておきましょう。

わざわざ独立した見出しをつけたものの既に夜遅い時間帯で車窓も楽しめませんし、記事の字数も大変なことになってきているのであっさり酒田へ飛んでシメたいと思いますw


特に印象に残ることもなく気づけば酒田に到着w


最後に列車を撮影していきます。


忘れてはいけない快速幕


そういえば、鼠ケ関行きの最終列車が出る時間でもあったようです。
この列車が酒田駅から発車する最後の列車であり、参考までに他方面の最終も列挙すると、羽越本線秋田方面は21時25分発の秋田行き、陸羽西線はなんと18時08分発の新庄行きが最終となっており、羽越本線の村上・新潟方面が一番最終が遅いみたいです。
これであとは駅前に予約しているホテルへ向かって本日の活動は終了となります。

と、これにて今回のレポートは〆ることにします。なにせ、字数が2万字に迫ろうとしていますからねw
明日はどんな内容になるのか、それは次回の記事をお楽しみに!

~追記~
翌日の活動もどうぞ

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つばめ501号(管理人) について

関東を拠点に鉄道旅行を楽しんでいます。また、写真撮影や走行音の録音もしています。 サイトの方ではそれら写真や録音も公開していますのでぜひご覧ください。
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