今回は群馬県安中市にある「碓氷峠鉄道文化むら」に訪問しましたのでそのレポートです。
なお、時系列としては「峠の横川ナイトパーク号」で横川駅に訪問した時のものとなります。
「碓氷峠鉄道文化むら」とは
まずはこの記事の主題である「碓氷峠鉄道文化むら」について解説するところから始めていきましょう。
「碓氷峠鉄道文化むら」は1997年に北陸新幹線(当時は長野行き新幹線)開通で廃線になった信越本線の横川~軽井沢間(通称「横軽」)で活躍していた車両を中心とした鉄道車両の展示や、信越本線の廃線跡を活用したトロッコ列車、EF63形電気機関車の運転体験といった内容の鉄道テーマパークとなっており、横軽廃止で役目を終えた旧横川運転区の跡地にあります。
施設は安中市が保有しており、指定管理者として「一般財団法人碓氷峠交流記念財団」が運営しています。
入園料は中学生以上700円、小学生400円となっていて、小学生未満は保護者同伴を条件に無料となります。
その他、トロッコ列車や「あぷとくん」、ミニSLなどの乗車は別料金となっています。
これらの乗り物にも乗りたい場合は入園料と乗り物の料金がセットの1日パスポート券もあります。
開園時間は冬季(11月~2月)とそれ以外で異なっており、通常は9時00分~17時00分で、冬季は9時00分~16時30分となっていますが、今回の訪問時もそうでしたが「ナイトパーク」と称して夜20時00分まで開園する場合もあります。
毎週火曜日と12月29日~1月4日が定休日となりますが、火曜日でも8月と祝日に当たる場合は開園日となり、祝日で火曜日に開園した場合は翌日が休園になります。
基本情報はこれくらいで、それではレポートに入っていくとしましょう。
訪問レポート
それではここからは本編となる訪問レポートです。
それでは横川駅から歩いて「碓氷峠鉄道文化むら」へ行きます。
駐車場を横切るように線路が通っていますが、これは単に雰囲気作りで設置しているというのではなくて、ちゃんと使われている線路なのです。
どういうことかというと、「碓氷峠鉄道文化むら」ではEF63形の運転体験を行っているのは前述の通りですが、運転体験とはいえ走行する以上はメンテナンスも必要であり、これはJRの車両工場に運んで行うため、その時に使用する線路というわけです。
その光景はぜひ見てみたいですね。
看板がありました。
国道に面して設置されていますが、今は自動車でアクセスする人も多いんでしょうね。
ちなみに、横川駅からも近いので電車でも普通にアクセスできます。
まあ、元々横川運転区の敷地ですから当然といえば当然ですがw
こちらが入口です。
チケット売り場とゲートが併設されていますが、案外小さな建物でした。
営業時間ですが、この日はナイトパーク開催日だったので20時までとなってました。
今回も明るい時間帯と暗くなってからの時間帯で2度楽しむ予定です。
外観はこれくらいでそろそろ入園するとします。
入っていきなり出迎えてくれたのは「GA-100」という新幹線用軌道確認車です。
新幹線の始発が走り始める前に新幹線の線路を走行して、線路に異常がないか確認するための車両ですが、碓氷峠とは特に関係ないようなw
実はここにある車両は必ずしも碓氷峠と関係があるものばかりではなくて、この背景には高崎に電気機関車をメインにした鉄道展示施設を作ろうという構想があったのが頓挫し、そこで展示される予定だった車両がここにやってきたという経緯があるようです。
トンネル内にはこんな車両が留置されていましたが、ファミリー向けの園内アトラクションの類でしょうか?
運転体験についてですが、最近は他の鉄道会社でも実施されることが多くなってきたものの、本物の電気機関車を運転できるのは定期的に開催されているものではここが唯一だと思います。
ただし、参加のハードルはやや高く、初めて参加する人はまる1日かかる学科実技講習を受ける必要があり、これに30,000円がかかります。
講習後に試験を受けて合格すると晴れて運転体験の資格を得ることが出来ますが、当日中の参加はできず、翌日以降ということになります。
運転体験そのものについては1回7000円(参加回数30回以上の人は6000円)となっており、参加回数が増えるごとに体験できる内容が増えていくというシステムになっているそうです。
なので、1回目の運転体験に辿り着くまでは37000円+2回分の現地への交通費+2回分の入園料が必要になり、2日間のスケジュールを確保する必要もあります。
憧れの機関士を体験できることを考えればこれでも安いという方もいるでしょうが、講習の存在が特にハードルを上げている気もしますね。
でも、貴重な電気機関車ですから、乱暴な操作をして壊されたりしても困りますし、これくらいのハードルがあった方が不適切な参加者を排除できるという意味ではいいのかもしれません。
そしてトロッコですが、信越本線の廃線跡を転用しており、とうげのゆ駅までの2.6kmを走行します。
乗車には入園料の他に片道乗車は700円(子供400円)、往復乗車は1200円(子供600円)が必要ですが、乗車距離もそれなりに長いですし、かつて信越本線だった線路を走れるという点でもポイントが高いですよね。
終点の「とうげのゆ駅」では天然温泉♨️峠の湯という温泉施設が隣接しており、温泉に入るもよし、食事をするもよしです。
ただ、今回はナイトパークに合わせて遅い時間の入園だったため既に運行が終わっており乗れませんでした。
このように2.6kmに渡ってトロッコ列車が走っており、信越本線の廃線跡が走行可能な状態で維持されていることになりますが、その先の区間も大部分が撤去されずに残っているそうで、2022年には県境区間の廃線跡を利用して電動レールカートを使った乗車体験をする構想が浮上していたりもしています。
究極的には横川~軽井沢間の全線を観光鉄道として復活させる構想も何度か浮上しては立ち消えている経緯もあるんですが、軽井沢駅付近の旧信越本線の敷地が再開発されて新たな商業施設になってしまうそうで、今後実現したとしても軽井沢駅乗り入れは厳しくなってしまっています。
でも、軽井沢は今や多くの観光客を集める著名観光地ですから観光鉄道としての需要はあると思いますし、軽井沢から横川まで観光鉄道に乗って横川も観光するというコースがやりやすくなって群馬県にとっては新たな集客のチャンスですし、横川~軽井沢間も鉄路で繋がっていれば北陸新幹線にトラブルがあって不通になったときに代替輸送で使用できたり、貨物列車の広域的な迂回ルートとして活用できたりする可能性もありますから、普段は観光鉄道として、有事には北陸新幹線や他の在来線の代替路としての役割も持たせることが出来ていいと思います。
ココイチのキッチンカーが来ていました。
園内で遅い時間までやっている飲食店があるか心配だったんですが、これなら食事の心配もなさそうです。
なお、他にも軽食を販売する店があるので、キッチンカーがなくても食事自体は可能です。
ここでアプト式鉄道の展示がありました。
「アプト式」というのはラック式鉄道の一種で、簡単に言えば線路の間に設置した歯車と車両側の歯車を噛み合わせながら進むことで、車輪とレールの摩擦だけでは登れない急勾配も克服できるというものになっています。
厳密に言うとラック式鉄道とアプト式は別個の概念ではありますが、国内ではラック式鉄道としてアプト式のみが採用されていることもあって、アプト式とラック式を混合している例も多いようで、アプト式以外にもラック式鉄道は存在しますがそれについては割愛します。
このアプト式は急勾配を抱える区間に採用されており、国内ではこの碓氷峠と大井川鐵道井川線の2箇所でのみ採用されていました。
碓氷峠は既に廃止になっているため、現存するものとしては大井川鐵道井川線が唯一になりますが、そちらについても過去に乗りに行っていますのでよろしければそのレポート記事も併せてご覧下さい。
なお、碓氷峠でアプト式が使われていたのは1900年の開業から1963年までの63年間で、1963年から1997年の廃線までは2代目のルートが使用されており、こちらはアプト式ではなくて普通の鉄道(粘着式鉄道)でした。
2代目ルートは多くが当時のまま残っているそうですが、初代ルートは「アプトの道」という遊歩道になっています。
こちらがアプト式のラックレールです。
このギザギザに車両の歯車を噛み合わせながら進みます。
歯車を使うことで急勾配にも強いという特徴がありますが、車両側・軌道側とも構造が複雑になるのと、エネルギー効率という点では粘着式鉄道に劣るという面もあり、導入される路線でも全区間をアプト式にするのではなくて、急勾配の区間のみということがほとんどです。
引いて全体像を
かつて碓氷峠にあった国鉄・JR最急勾配の66.7パーミルの勾配標もありますね。
奥にいたのは信越本線の特急「あさま」で使われていた189系です。
横軽廃止後は中央本線などの特急で余生を送っていましたが、やっぱり横軽といえば189系ですよね。
この車両は183系に横軽通過用の協調運転用装備を追加したもので、協調運転を行うことで機関車のモーターと電車のモーターが協力して走ることができて、協調運転ができない車両では8両以下という制限があった中、189系など協調運転ができる車両では12両までの運行が可能で、輸送力増強に貢献しました。
ところで、もしも北陸新幹線が建設されなかったとして今でも信越本線の特急「あさま」が現役だったら横軽対応の新型車両とかあったんでしょうね。
E353系の横軽版でE359系とかあったかもしれません。
技術が進んだ現在ならば補機なしで横軽を通過できるようになっていたかもしれませんね。
方向幕は「あさま」の直江津行きでした。
「あさま」といえば長野行きのイメージですが、長野駅を越えて直江津方面まで行く列車もあったみたいですね。
それどころか、かつてはそのまま北陸本線に入って金沢や福井までいくような列車すらあったようです。
昔の列車は今では考えられないようなルートで走っていたんですね。
それから車内です。
実は普段車内は非公開なんですが、以前に訪問したときは車内も公開されていて撮影していたのでそのときの写真をここで紹介しようと思います。
このようにさり気なく2度目の訪問だったりするんですが、前回訪問時はブログ開設後だったにも関わらず何故か記事化してまいせんでした。
当時はよほど多忙だったのかもしれません。
車内公開についてはコロナ禍を期に中止となったようで、以後は散発的に特別公開という形になっているようです。
以前訪問した時はコロナ禍前であり普通に車内にも入れたんですけどね。
しかし、もうコロナも5類感染症に移行して以前ほど特別な感染症という扱いではなくなっていますし、そろそろ解禁してもいいのではと思ったり・・・
国鉄型らしいややレトロ感もある車内ですが、これでも2019年3月まで運用されていて、ギリギリ令和を迎えることは出来ませんでしたが、平成時代は全う出来た車両でした。
私も「木曽あずさ」や「おはようライナー」などで乗ったことがあります。
少しぶれてしまいましたが座席です。
流石にヘッドカバーはありませんが、かつての189系での旅を思い出させるのには十分でした。
運転台です。
メーターもたくさんで、今の味気ないグラスコックピットとは違いますね。
この奥にも展示は続きます。
奥の建物は機関庫のあとでしょうか。
ここにEF63形の運転シミュレーターがあります。
1回1000円とこれも別料金ですが、廃線となっている信越本線の横川駅から熊ノ平信号場までの区間を運転できます。
もちろん本物のEF63形も展示されています。
このEF63形は碓氷峠の補助機関車に特化した機関車で、その用途から「峠のシェルパ」とも呼ばれていました。
EF62形とペアを組んで碓氷峠を越える列車を補助していたので、現役時代の横軽を知る方にとってはお馴染みの機関車だったと思います。
空転を防止するためきめの細かく出力を変えられる自動進段式抵抗制御器やバーニア制御、発電ブレーキ使用時の発熱を冷却するための強力なブロワー、片峠となる碓氷峠に対応した軽井沢方のみにデッドウェイトを設置する、協調運転に対応するなどなど碓氷峠専用仕様といってもいい機関車だったのですが、横軽廃止後は高崎運転所(現在のぐんま車両センター)へ転出するも1年後の1998年に全車廃車となって廃形式となりました。
碓氷峠特化の特殊仕様が災いして他への転用も難しかったんでしょうね。
面白いのがこの連結器でして、「双頭式連結器」といって、自動連結器と密着連結器の両方に対応できる特殊なものになっています。
これについてはもう少し踏み込んで解説しますと、鉄道の連結器には大きく分けて密着連結器と自動連結器の2種類がありまして、電車や気動車では密着連結器、機関車や客車・貨車では自動連結器が一般的に使われています
機関車では通常は客車か貨車との連結のみなので自動連結器が付いているのが普通ですが、EF63形は補助機関車という特性上電車や気動車と連結する機会も多いためその両方に対応できる特殊な連結器を装備しているわけです。
奥にいるのはEF63形の相方だったEF62形です。
EF63形同様に横軽廃止後は数年で全廃されました。
なお、これだけ最初のときに撮影し忘れていて、日が暮れてから撮り直したので明るさが違っていますがご了承下さい。
その奥にいたのはED42形という電気機関車で、アプト式だった初代ルートの時代に使われていた電気機関車です。
車輪をアップにしてみましたが、SLのようなロッドが付いているんですね。
今ではまず見ませんが、初期の電気機関車ではロッドを使って動力伝達をする方式もあったらしいです。
アプト式はやはり珍しいということで、準鉄道記念物だったりもするようですね。
標識類や工作機械などが雑多に置かれていました。
特に解説もなく置いてあったので、展示というより保管という感じですかね。
その奥にはパタパタ(反転フラップ式案内表示機)がありました。
関西の方でまだわずかに残っているという話もありますが、もはや風前の灯火状態ですよね。
こちらはその制御装置のようです。
パタパタはアナログ感満載な装置ですが、コンピュータ制御なんですよね。
意外に数が多いです。
「シュプール」はかつて冬季にスキー客向けの季節列車として運行されていた列車ですが、スキーブームが去ったこともあってか今では見なくなりました。
「はくたか」は今では北陸新幹線の愛称の1つですが、歴史を遡れば上野~金沢間を信越本線経由で運行していた特急列車から始まっており、当然横軽を越えていました。
「富士」はブルートレインの愛称ですが東京から九州方面への運行でしたから横軽を通っていたことはありません。
隣にあるのは「碓氷恋」というED42形を擬人化したキャラクターのヘッドマークなんだとか。
鉄道車両の擬人化は結構昔からありますが、ヘッドマークにまでなってしまうとはw
回転変流機という装置です。
これはいわば「電気モーターで動かす発電機」であり、電気を使って電気を生み出すなんて何の意味があるのかと思われるでしょうが、ちゃんと意味がありまして、それは「電気の変換」です。
電気には直流と交流の2種類がありまして、使用する機器によって適合した電気を供給する必要があります。
より広い概念として「電動発電機」がありますが、その中でも「回転変流機」は交流と直流を変換する装置となっていて、鉄道においても重要な装置です。
ここまで大型のものだと用途としては交流の商用電源を直流に変換して架線に供給する変電所に設置されるといったものになります。
信越本線の横軽区間は急勾配があったためか早期に電化されており、その際に回転変流機が使われていたということで展示されていたんでしょうね。
なお、解説にある通り、こちらは熊本市交通局で使われていたものだそうで、碓氷峠で使われていたものではないようです。
ついでなので「電動発電機」についても解説ですが、こちらは任意の種類のモーターと発電機を組み合わせたもので、交流・直流の変換だけでなくて、電圧や周波数も自在に変換することができる特性があります。
このように自由度が高い反面、交流・直流の変換(特に高電圧)では効率が悪いためそのような用途では回転変流機が使われています。
「電動発電機」の用途としては電車に搭載されていることが多く、架線から取り入れた高電圧の電気を冷房や照明などのサービス電源として使用するために低電圧に変換する目的で設置されています。
いずれも半導体技術が進歩した現在では半導体を使った方が効率もよく小型化・メンテナンスフリー化ができるため、「回転変流機」も「電動発電機」も過去の技術となっていますが、1980年代あたりまでに製造された車両では電動発電機が使われており、まだ現役で走っているものもあります。
古い電車に乗ると停車中でもモーターが唸るような音を聞くことが出来ますが、これが電動発電機の音です。
こんなパネルもありました。
非電化時代・電化時代・粘着運転時代でそれぞれ輸送力と所要時間や運行本数が書かれていますが、SL時代はわずか50トンしか通行できず75分もかかっていたのが、粘着運転時代は520トンと10倍の輸送力になり、所要時間も17分にまで短縮されました。
廃止された区間の代替で走っているJRバス関東碓氷線は横川駅~軽井沢駅間を34分で結んでいますが、鉄道時代の2倍の所要時間なんですよね。
これは通行する碓氷バイパスが軽井沢の市街地を避けるルートであり、軽井沢駅へ向かうには遠回りを強いられるという理由もありますが、鉄道時代よりサービスダウンしているのは確かですよね。
しかし、テラス部分の展示はこの写真パネルくらいで、休憩スペースとしての意味合いが強そうです。
外部にもレールがありました。
軌道自転車の乗車体験があっていたようです。
その先は屋外車両展示場になっています。
まずはDD53形という除雪用ディーゼル機関車です。
なお、ここから先も適宜前回訪問時の写真も併用して紹介していくのでご了承下さい。
特に車内の写真は基本的に前回訪問時のものです。
EF53形電気機関車
戦前生まれで、デッキが付いているのが外観上の特徴です。
客車も展示されていました。
オシ17という特急用食堂車です。
国鉄のディーゼル機関車の代表格といっていいDD51形ですが、見慣れたオレンジではなくて茶色でした。
このまん丸の窓は「旋回窓」といって、この丸い部分の窓ガラスが高速回転して遠心力で雨粒や雪を吹き飛ばすという仕組みになっています。
船舶や鉄道車両に採用されることがある装備で、鉄道車両では除雪車に使われることが多いようです。
ワイパーだと間欠的にしか雪を除去できないのに対して、旋回窓ならば連続的に除去できてより視界を確保できるというわけですね。
↑動いていたので動画でも撮りました。
※前回訪問時の撮影で、当時は記事化はしなかったものの動画だけはアップしていたようです。
それが2014年とのことで、9年越しでの記事への貼り付けになりましたw
キハ40系にも似た見た目のこちらはキニ58形という荷物気動車です。
かつては鉄道による荷物輸送も盛んで、こうした荷物輸送専門の車両も存在していたのです。
この記事の訪問時には運行時間帯を過ぎていたトロッコ列車ですが、前回訪問時には撮影していましたので貼っておきます。
前回も乗っておらず、結局今回も乗れなかったのでこれはまた宿題になってしまいました。
こちらはキハ35形気動車です。
国鉄が大都市近郊の非電化路線で通勤輸送に対応するために開発した気動車で、気動車としては初めてのオールロングシート・両開き戸を採用するなど、現在でも珍しい通勤型気動車といえる存在でした。
方向幕は川越になっていますが、末期は八高線・川越線で使用されていたとのことです。
現在の八高線・川越線は(八高北線を除いて)電化されており、209系やE231系が走る都市近郊らしい路線になっていますが、かつての川越線は非電化で気動車が行き来するローカル線という雰囲気が強かったそうです。
特に川越~大宮間は現在は埼京線と一体となってE233系などの通勤電車が10両で乗り入れてくるようになっていることを考えると隔世の感があります。
こちらはキハ20系気動車です。
総計で1000両以上が造られたベストセラーで、全国各地のローカル線で活躍していましたが、JRグループでは既に全廃されており、ひたちなか海浜鉄道・いすみ鉄道でイベント列車として残るのみになっています。
ボックスシートもキハ40系っぽいですが、灰皿があるのが時代を感じさせますね。
今や特急・新幹線ですら喫煙車はなくなり、喫煙ルームすら撤去されるようなご時世ですから、移動中にタバコを吸えるのはマイカーでの移動くらいでしょうか。
EF30形という電気機関車です。
関門トンネル専用として造られた機関車で、海底トンネルを通ることから塩害対策でステンレス車体となっているのが特徴です。
EF81形の一部もステンレス車体になっているものがありましたが、この見た目の機関車を見ると関門トンネルを連想しますね。
その奥には189系・EF63形・EF62形の並びが見られました。
189系だけアップで
入口の方にいた189系は国鉄色でしたが、こちらはあさま色になっていて塗装を変えてくれているのがいいですね。
名前の通り「あさま」に充当される車両に使われていたので、この並びに「あさま色」を持ってくるのはいい選択だと思います。
中に入ると給湯器がありました。
流石に今は稼働しないと思いますが、お座敷列車は団体客が利用するものですし、こういうサービスも大事だったんでしょうね。
その下には小さなテーブルが置いてありました。
これもお座敷列車ならではの設備ですね。
そしてお待ちかねの客室です。
お座敷列車だけに大半が畳敷きになっており、靴を脱いでくつろぐことが出来ます。
JR東日本ではお座敷客車の後継として485系「華」や「宴」などお座敷列車が登場しましすが、いずれも引退してしまいお座敷列車自体が過去のものになってしまっていますね。
この背景としては団体旅行が廃れて個人旅行にシフトしていったことや、高齢化でお座敷という設備自体が人気がなくなってしまったというのがありそうですね。
写真で分かる通り多くの人がくつろいでいましたが、皆さん185系「峠の横川ナイトパーク号」に乗る人達が時間を潰しているんでしょうねw
私もそれに混ざってここで時間を潰していくことにしました。
エアコンはお店とかにありそうなタイプでした。
鉄道車両用ではなさそうですが、12系客車自体は元々冷房が設置されていたようなので、なぜそれを転用しなかったのかは謎ですね。
これは前回訪問時に撮影したものです。
誰もいないタイミングで撮ることが出来ました。
あとは適当にここでくつろいで時間を潰しましたが、19時を回った頃にスタッフの方がやってきてもう閉めるとのことなので外へ出ました。
その頃にはすっかり日も落ちていて「ナイトパーク」を楽しめそうです。
日没後にあらためて撮影です。
前照灯や車内灯も点いていて映えますね。
といった感じで屋外展示は以上です。
私の撮影技術と機材では夜間の撮影はそこまで上手くは行きませんでしたが、それでも普段は見られない夜間の撮影ができたのはよかったと思います。
中にはフラッシュを使って撮影したものもありますが、基本的には鉄道に対してフラッシュはご法度なところ、展示車両だからこそ許される撮影でしたね。
入口の方へ戻って189系ですが、こちらもライトが点いていました。
といったところでそろそろ撤収です。
後から見返すと見落としていたところもあったりしましたので、完璧なレポートではなかったと思いますが、それでも「碓氷峠鉄道文化むら」に興味を持って頂くきっかけになれば幸いです。
このあとは185系「峠の横川ナイトパーク号」で帰路に就いたのですが、それは別記事でどうぞ
それでは!