1泊2日で実施した長野遠征の2日目です。
なお、1日目をご覧になっていない方は1日目を先にご覧になることをおすすめします。
本日の行程
2日目となる今日は塩尻から「おはようライナー」に乗車して長野駅へ向かい、そこから長電バスを乗り継いで須坂駅・屋代駅と進んで、そのまま折り返して須坂駅経由で長野駅へ戻ったら普通列車で松本駅へ戻り、E353系の「スーパーあずさ」で帰路に就きます。
ようするに「おはようライナー」と「スーパーあずさ」に乗るついでに長野地区で乗りバスしようというわけですね。
「おはようライナー」で長野へ
今日最初の乗り鉄は「おはようライナー」です。昨晩は一旦長野へ行ってからわざわざ引き返して塩尻に宿泊するという謎行動をしていたわけですが、その理由がこれです。勘のいい方なら察しがついていたかもしれませんね。
というわけで早朝の塩尻駅からレポート開始です。
早朝と言っても6時半くらいですから、5時台出発とか普通にあった今までの旅と比べたらごく普通のようにも思えてきますがw
ホームに行くと既に入線していました。
はい、実は「おはようライナー」には189系が充当されるんです。189系引退の噂もある中、早いうちに乗っておきたかったという理由から行程に組み込んだ次第です。
ちなみに、早めに来て入線シーンを動画撮影しようという案もあったんですが、調べると相当早く入線するようでそれをやるとただでさえ昨晩は夜遅くのチェックインだったのに相当早起きしなければならず断念しましたw
まあ、189系の動画は他の場所で撮ったことありますし・・・w
なお、189系が検査や他の臨時列車(ムーンライト信州など)に充当される場合はE257系で代走になりますので注意が必要です。
「あさま」の名称は新幹線に譲った今も誇らしく掲げる「ASAMA」の文字
方向幕ですが・・・「おはようライナー」のところ詰め過ぎw
2行に分けるとか考えなかったんでしょうかw
座席にはチケットホルダーが備え付けられ、購入した乗車整理券を入れておくと検札が省略されます。
ちなみに、最後の途中停車駅である明科を過ぎたあたりで車掌さんが回収を行います。
ここで「おはようライナー」について解説すると塩尻→長野を走るライナー列車であり、元々は松本地区から長野市内へ通勤・通学する人に対して速達サービスを提供する目的で2004年に運行開始されました。この区間の優等列車としては特急「しなの」も利用できますが、長野行きの「しなの」は名古屋駅を起点に運転されるため、1番列車となる「しなの1号」でさえ松本発が9時09分、長野着が10時01分(いずれも2018年7月現在)であり、通勤時間帯を過ぎた時間帯であり、かといって普通列車では松本~長野は1時間以上を要するためこの「おはようライナー」のニーズが発生するわけですね。
運行開始から1年足らずの2005年より塩尻始発になり現在に至ります。
停車駅ですが、塩尻を出ると村井・松本・田沢・明科・長野と停車していきます。村井と田沢は特急「しなの」は一切停車しませんが、逆に一部の「しなの」が停まる聖高原、全ての「しなの」が停まる篠ノ井は通過して明科~長野間ノンストップで走るという特色もあり、189系が使われるという点を除いてもネタ要素があります。
いわゆるライナー列車ですから、乗車には310円の乗車整理券(ライナー券)が必要になるわけですが、快速列車扱いのため青春18きっぷはもちろん、普通乗車券・回数券・定期券に乗車整理券を追加するだけで乗れるため乗り得列車と言えますね。
ラフな格好の私とは対象的に、スーツ姿のサラリーマンたちが続々と乗り込んできて何だか浮いてしまいそうでしたが、ライナー列車への乗り鉄の宿命と思って割り切りましょうw
塩尻・村井での乗車は少数で空席が目立ちましたが、松本からは一気に混雑してきました。とはいってもまだ若干の空席はあるので満席とまでは行かないようです。
あと、逆に松本で降りる人も若干名見受けられました。距離的には普通列車でもさほど不便でなく、速達効果はほとんどないと思われる区間ですが、確実に座っていける点に310円分の価値を見出している人もいるんでしょうね。
ライナーという都会的な響きとは裏腹に長閑な田園風景の中を進みます。
途中駅でE257系とすれ違いましたが、これは昨晩乗った快速列車の折返しの快速列車です。ネタ列車同士がすれ違うわけですが、駅に降りて撮影したら面白い光景でしょうねw
なお、特急「しなの」では日本三大車窓である旨の案内放送が流れたりしますが、通勤で毎日のように乗っている常連さんがほとんどであろうこの「おはようライナー」ではそのような放送はありませんし、車内の乗客たちも毎日のように見ているといくら日本三大車窓といっても有り難みがないのか、スマホやタブレットをいじったり読書したり居眠りしたりと車窓には全く感心がない様子でしたw
篠ノ井を通過して信越本線に入るとあっという間に終点の長野です。
この区間はかつて特急「あさま」も通ったルートだけに、そこを189系で乗車すると「あさま」の雰囲気を楽しむことが出来ますね。
というわけで終点長野に到着です。
かつてはこのまま「妙高」となって直江津まで行く運用も存在したようですが、現在は「妙高」自体が廃止されていますから、このまま車庫に入って特に臨時列車などでの運用がなければそのまま翌日まで昼寝となるようです。
211系との並び
引き上げシーンを動画で撮ろうかとか考えましたが、次のバスまで時間がないので泣く泣く撤収します・・・
長電バス須坂・屋島線 長野駅→須坂駅
「おはようライナー」という本日最大のネタが早くも終わったら続いてはひたすら乗りバスです。
元々は長野電鉄屋代線の廃止代替バスとして運行されている「屋代須坂線」が目当てであり、それに乗るために須坂へ行かなければならず、当初は長野電鉄の電車で行くつもりでしたが、既に乗ったこと乗る長野電鉄ではなく並行して走る長電バスの路線バスに乗ってみようということでこの路線に乗ることにしました。
ただ、1つ問題がありまして、それは須坂駅での乗り継ぎ時間が5分しかないことです。路線バスですから当然遅延を考慮に入れた上で計画する必要があり、いくら地方都市といえども平日の朝ともなれば渋滞の発生が有り得ないこととは言い切れず、渋滞まで行かなくても乗客の乗り降りが激しければ5分~10分程度の遅延もまた有り得ないことではないということで安全策として往路は電車を使う案が当初は有力でした。
しかし、長電バスは思っていたより運賃が高く、長野~須坂~屋代をバスだけで1往復するだけで運賃の合計は3220円となることが分かり、それなら3200円で電車・バスが2日間乗り放題のフリーきっぷがあるのでそれを使ったほうが安い上、バス車内で小銭を用意して運賃を生産する手間も省けるということで、フリーきっぷ利用に気持ちが傾いたものの、往路で長野~須坂を電車で移動するとバスよりも電車のほうが運賃が安い関係でフリーきっぷでは赤字になってしまうという結果に・・・
安くあがるのは嬉しいことなんですが、SuicaやPASMOで路線バスに乗るのに慣れてしまった私にとって現金でバスの運賃を支払うという行動には若干の抵抗が生じ、かといってわざわざ赤字にしてまでフリーきっぷを使うのも・・・じゃあ5分接続のリスクを覚悟の上で全部バスにしてたった20円でも黒字にしてフリーきっぷで回ろうということになりましたw
時刻表で調べたところ、最悪所定の屋代須坂線に乗り遅れても屋代での滞在時間がほとんどなくなってしまう代償を払えば所定行程に復帰できることも分かりこの案を後押ししました。
以上に経緯により乗車が決まった「須坂・屋島線」ですが、名前の通り長野駅から屋島を経て須坂駅に至る系統ですが、屋島までは須坂ではなく綿内へ至る「綿内・屋島線」という系統も重複しており、また、屋島止まりの区間便もあることから、「須坂・屋島線」も「綿内・屋島線」も同じ8番の系統番号が付いています。
長い前振りとなりましたがレポートに戻るとまずは今回電車には1区間も乗らないものの長野電鉄の長野駅へ向かい例のフリーきっぷを買い求めます。今日の日付で削り取ってもらった上で改札へは行かずに外へ出ていった私を駅員さんは怪訝に思ったかもしれませんが、そんなことはさておき地上に出てバスへ乗ります。
昨日は散々乗り回したアルピコ交通ですが、長野駅周辺にも普通に乗り入れています。
私の中では長野市内は長電バスのテリトリーというイメージでしたが、アルピコ交通も結構普通に走っているんですね。
長野駅を出たバスは一旦須坂とは逆方向となる南千歳町を経てアンダーパスでしなの鉄道北しなの線・北陸新幹線をくぐったら長野駅東口に立ち寄ります。
どうやら長野駅(善光寺口)から長野駅東口の間はこの区間内にある南千歳町やメルパルクといったバス停へ用事がある人に向けた区間のようで、長野駅からの利用者は長野駅東口からの乗車を想定したダイヤになっているようで、長野駅東口では余裕時間も取られてしばらく停車していました。
ただ、それでも数名しか乗ってきませんでしたがw
長野電鉄の市役所前駅付近ですが、このあたりは長野電鉄も地下を走っているため駅の入口以外に鉄道要素は見られません。
長野駅を出ると県道58号を走行していきますが、これは長野市街と上信越道の須坂長野東ICとを結ぶ道路であり、長野オリンピックの際に4車線化された幹線道路となっています。沿線にありバス停名にもなっているエムウェーブは長野オリンピック開催時のスピードスケート競技の会場だった場所であるなど、オリンピックと縁深しな道路ですが、朝の郊外向けということで渋滞は皆無・・・乗客もポツポツと降りていく一方乗ってくる人は皆無で途中幾度も時間調整をするほど順調な走りでした。須坂駅での5分連絡のことがあるので遅延には敏感だったわけですが、ほぼ定刻通り行ってくれて安心して乗っていられました。
県道58号は長野市街とICを結ぶ路線で、沿道にはロードサイド店が林立しており典型的な地方の郊外の光景が続いていましたが、須坂市との境界が近くなると徐々に田園風景も現れ、全長約770mの屋島橋で千曲川を渡ると須坂市へと入っていきます。
新潟県に入ると信濃川と名前を変える千曲川ですが、千曲川と呼ばれる部分を含めた信濃川は日本一長い川ですね。(社会科の授業を思い出しましたか?w)
しばらくすると須坂長野東ICが現れ、県道58号から国道403号へと進み須坂を目指します。ちなみに、このICの近くにかつての屋代線井上駅がありました。
幸高というバス停でこの次に乗る「屋代・須坂線」と交差しますが、須坂駅周辺での経路が違っていることもあって、また別々の経路を取ります。
須坂駅周辺は狭い箇所も出てきましたが、定刻通り終点須坂駅に到着です。
ところで、今までの経路を地図で見ていただくと分かりますが、長野電鉄長野線とは2~3kmほど隔てて南側を走るルートになるため、距離の割には鉄道とはうまく住み分けが出来ているんですかね。
まあ、屋島で折り返す便や綿内発着の便があることを考えると須坂駅発着は近くまで来ているから須坂駅周辺の需要も取り込むことにしよう的な意味での長野駅~須坂駅直通であり、運賃が鉄道より割高なことを考えても通しでの乗車は長電バス側も想定していないんでしょうけどねw
須坂駅での8系統の案内ですが、ここでは「長野・屋島線」と呼ばれるんですね。
公式サイトでは「須坂屋島線」となっているので、便宜上の呼び方なんでしょうか。
続いては5分乗り換えで「須坂・屋代線」です。
長電バス「屋代・須坂線」
かつて須坂駅と屋代駅を結んで走っていた長野電鉄屋代線の廃止代替バスとして運行されている「屋代・須坂線」に乗車です。これに乗りたいのがメインで長野地区での乗りバスが決まりましたw
基本的にはかつての鉄道のルートを踏襲しているものの、JRバスの白棚線のように廃線跡をバスルートに転用しているわけではなく、ルートの大半は国道403号となります。現在は運賃制度上も長野電鉄の電車とは別扱いであり、完全な一般路線バスという扱いではありますが、電車との乗り継ぎ定期券が発売されていたり、公式サイト上でも他の路線を差し置いてこの路線単独の専用ページが用意されているなど、鉄道廃止代替バスという意味では特別扱いされているようですね。
また、最も多く運行される各駅停車の他、朝の通学時間帯に快速・高速という2種別が追加されており、種別数という意味では鉄道時代よりも充実したとも言えます。
快速はその名の通り一部停留所を通過する系統で始発から8時~9時頃までは快速のみとなるため、快速通過バス停は始発バスが8時~9時頃となるようですが、早朝の利用者は高校生がほとんどでしょうし、鉄道時代になるべく近い速達性を重視した結果なんでしょうかね。
一方、高速は平日朝の松代駅→須坂駅のみで片道1本だけ設定されていて、松代駅を出ると、長野インター、市役所西、末広町のみ停車し、長野IC~須坂長野東IC間は上信越自動車道を経由します。各停便で1時間以上かかる松代駅→須坂駅をおよそ半分の35分で走破する俊足ぶりであり、「屋代・須坂線」の中でも最大のネタといえる系統ですが、基本的に松代地区の高校生が須坂市内へ通学する目的であり、実態はスクールバスに近いため、学生の利用者が優先されており、利用は原則予約制であり、通学定期券を持参している利用者(=学生)は予約済みとみなしてそのまま乗車できますが、それ以外の利用者は事前予約が必要であり、1便あたり5席分しか解放されていないという若干乗車のハードルが高い系統になっていますが、そもそも松代地区に宿泊でもしないと乗ることが困難ですから満席になる可能性は低い気はしますねw
今回乗車する各停便についてもう少し書くと、須坂駅~屋代駅を走破する系統と、松代駅で系統分断されて乗り換えが必要になる系統が存在するようですが、松代駅乗り換えの場合でも松代駅下車時に運転士に乗り継ぐ旨を申し出るとその場で最終目的地のバス停までの運賃を精算し乗継券を受け取ると次のバスは追加の支払いなく乗れるという特例が設けられているようです。
それなら全便直通便でいいじゃないかと思いますが、運転士や車両のやりくりとか色々都合があるんでしょう。
各停便ですと須坂駅~屋代駅は1時間20分ほど要しており、鉄道時代の40分から比べると倍の所要時間を要していますが、須坂と屋代を相互に往来する需要はかなり限られるでしょうし、井上、綿内、信濃川田といった駅からは長電バスによって長野駅へバスがあり、松代についてもアルピコ交通が長野駅へバスを出しているため、最も流動が多いであろう長野市街方面へは「屋代・須坂線」に頼る部分が少ないこともありますから、所要時間が伸びたことよりも従来は駅でしか乗り降りができなかったのがよりきめ細かく設置されたバス停から乗り降りできたり、病院・商業施設といった住民のニーズが高い地点へもこまめに立ち寄るようになった(鉄道時代は中間にある駅は11駅でしたが、現在のバス停は系統によって経由する・しないや通過の場合もありますが50以上あります)ことを思えば、バス転換でむしろ便利になったと感じている利用者も多いかもしれませんね。もちろん一鉄道ファンとしてはやはり鉄道の廃止は残念なことではありますが・・・
と解説やら私の個人的な想いやら書いたらそろそろ乗車レポートへと戻ります。
側面の経由地案内
それにしても、綿内駅・川田駅・松代駅と既に駅ではなくなっているにも関わらず引き続き”駅”を付けているんですねぇ
須坂駅発車時点における乗客はなんと私だけw
鉄道を維持できない程度の利用者数しかなかったルートとはいえ、ここまで少ないとは正直想定外でした。
幸高で長野から乗ってきたバスのルートと交差しつつ道なりの県道58号ではなく左折で国道403号を引き続きトレースしていきます。
須坂長野東ICの目の前を横切りますが当然高速道路は通りません。
前述の高速便のみここで高速道路を降りて須坂駅へ至りますが、それもそれでいつか乗ってみたいものですね。
須坂屋代線の他、長野駅からの路線の終点にもなっている綿内駅に差し掛かりました。
鉄道駅時代の駅舎がそのまま残っているようですが、どうやら駅舎内に学習塾が設置されており、駅としては廃止になったあとも学習塾としては使用され続けているようです。
長閑な田園風景になりました。
そういえば、屋代線もこんな車窓ばっかりだったイメージですが、廃止前に乗りに来た日を思い出します。
かつて屋代線の駅名でもあった若穂を冠した若穂病院という病院が出てきました。
ここは国道から少し外れた場所にありますが、バスは病院敷地内まで乗り入れており、お年寄りの通院需要にも応えているようでした。
このあたりは路線バスのルートの柔軟さというメリットが出ていますね。
川田の集落へと入って国道を外れると見覚えのある光景が・・・
屋代線の駅で車両が保存されているといえば信濃川田駅ですね。
以前の旅でバスに乗ってこの駅を訪れたことがあったのですが、その時は今日乗っている須坂屋代線ではなく、大豆島保科温泉線という長野駅から出ている路線を利用しました。
およそ4年ぶりに見た信濃川田駅ですが、駅舎もそのまま残されほとんど変化はないようでした。
何気ない車窓風景のようですが、屋代線の廃線跡が隠れています。
レールや架線柱と言った分かりやすいものは撤去されてしまっていますが、注意して見れば盛土の痕跡が見出だせますね。
ここから先はしばらく国道とかつての屋代線が並走していたようで車窓から屋代線の痕跡を見つけることが出来ました。
なお、その先国道は迂回して回避するちょっとした山を屋代線はトンネルで貫いていたようで、そのトンネルを目視は出来たのですが撮影に失敗してしまったためご紹介できません・・・悪しからず。
そのトンネル付近で国道を外れて狭い旧道へと入っていきます。段々と狭隘路線の様相を呈し始めました。
大室駅に差し掛かりました。
このバス停の地点でかつては屋代線と交差しており踏切もあったようなのですが、現在駅周辺はホームなども一切撤去されてただの空き地にしか見えない状態になっていました。
そして、バスは乗り継ぎ地となる松代駅に到着しました。
結局、お年寄りが数名乗ってきただけで松代駅まで来てしまいましたw
ここも駅舎がそのまま残っていました。
バス待合所として活用しているんでしょうね。
6年ほどタイムスリップして鉄道現役当時の松代駅駅舎です。
比較してみると駅名の看板が撤去されている以外はほぼそのままですね。
駅舎脇のスペースはちょっとした東屋が用意され自販機もある休憩スペースになっていました。
もう”構内”を名乗る意味はないでしょうが構内タクシーの看板を発見
先程貼った現役時の写真にも写っていますから廃止後もそのまま残されているんでしょうね。
屋代線の写真展があっているようでした。
既に廃止から6年が経ち、沿線の高校生も入学当時から屋代線がなかったわけで若い世代ほどここに鉄道が通っていたことを知らないなんてことも出てきそうですし、こうして時々でいいからかつて鉄道が通っていたことを思い出す機会があるのはいいですね。
内部も開放されているようですし、写真展ついでに見ていきましょう。
掲示板の掲示物が鉄道に関するものからバスに関するものに変わってはいますが内部もそのままのようですね。
あ、ちなみに写真展の方は著作権的に撮影してここに貼るのはまずかろうということでご紹介は差し控えます。
ホームでした!
流石にホームは封鎖されて入れないだろうという予想に反し、普通に鍵もかかっておらず入れた上、1つ前の写真をご覧いただければ分かりますが、ドアにわざわざ開ける方向を示す矢印がついていたことからも開放されているものと判断しました。
これは嬉しい誤算!
流石に駅名標は撤去されていましたが、乗車位置案内は薄れながらも残っていました。
鉄道駅でなくなった今、ホームを開放しておく意味はないように思いますが、それでも開放されている理由はかつての構内が駐車場に転用されているため、駐車場利用者が出入りするための通路としての意味合いとかでしょうか?
ここも6年ほどタイムスリップ!
かつての2面3線の鉄道駅がこうなるとは、諸行無常というか、儚いものです。
そういえば、現役時の写真を持っているということは廃止前に乗りに行ったわけですが、「その記事はどこ?リンク貼り忘れているよ?」なんて声が聞こえてきそうなので先に言っておくと、当ブログの開設以前に行った旅であるため記事化はしていません。しかし、当時は頑張って全駅制覇をしており、屋代線の思い出はそれなりにはあります。
それでは、そろそろ屋代行きのバスが出る時間なので後ろ髪を引かれつつも松代駅を後にしましょう。
この写真は復路の後部ガラスから撮ったものですが、狭いところがちょくちょく出てきます。
須坂から約1時間20分かけて屋代にやってきました。
ここでは1時間ほど滞在しますので駅取材を兼ねつつ駅周辺で屋代線の痕跡を見つけたいと思います。
屋代駅にて
屋代線の名前の由来ともなっている屋代駅ですが、屋代線現役時にも訪れているものの行程の都合でとんぼ返りしたため、ここはあまり駅をじっくり見ていないという理由もあり外観など駅取材をしたいと思います。
駅舎です。元々しなの鉄道と共通の駅舎だったため屋代線廃止後もさほど変化はなさそうです。
バス総合案内ということで案内板が出ていました。
路線図に時刻表に観光案内にと充実した内容ですね。
長電バスの路線としては須坂屋代線だけなので、ここだけ別枠になっていました。
また、松代駅からの接続も案内しているのはすごいですね。
千曲市循環バス
日本三大車窓で知られる姨捨駅行きのようです。
駅周辺はこれくらいであとは屋代線の痕跡を求めて歩き回ります。
線路沿いに歩くとこんな場所に出ました。どうやらしなの鉄道の社有地のようですね。
須坂方面はしなの鉄道線と架線柱を共有していたようで不自然に幅の広い架線柱として痕跡を残していました。
「しなの」と書かれていた対角線上のスペースが妙に余っている気がしますが、屋代線、あるいは長電とでも書いてあったのでしょうか。
当時もこのような踏切を見ていたはずですが、なにしろ6年も前のことであり記憶が定かでありませんw
ここの踏切は意外といい撮影地っぽいのでここでしなの鉄道の列車を撮影したいと思います。
↑というわけで上り列車です
キャプチャもどうぞ
今や貴重な115系ですし撮れるときに撮っておかねば・・・
↑続いて下りも撮ったらもう滞在時間中に列車もないはずなので撤収・・・と思ったら!?
撮影地を離れて駅へ戻る道すがらに突然踏切の警報音が聞こえてきました。回送列車か何かだろうと思って遠目から見ていたらなんと現れたのは貨物列車
そう、実はしなの鉄道では今でも貨物列車の運行が続いていたんですね。走っている事自体は知っていましたがまさかこの時間に来るとは思わず完全にノーマークでした・・・
あの撮影地で撮れたらいい動画だっただろうなあぁ・・・
貨物列車の件は残念でしたがバスで須坂に戻りましょう。
ところで、このバス停の位置面白いですね。想像ですが、須坂屋代線のバス停を新設するに当たり、既存の出入り口を塞がずにスペースを確保するためにこうなったとかでしょうか。
須坂屋代線は先程のリプレイになってしまうので記事は須坂駅に飛びます。
須坂駅にて
今朝は5分乗り換えだった須坂駅ですが今度は20分ほどあるので駅の方も多少ご紹介していきます。
電車に乗るわけではないですが、改札のあたりまで入ってみましょう。
発車標ですが、「きのこデー」っていうのは改札前で売っている商品のことなんですかね。
運賃表と停車駅案内です。
ご覧のように須坂駅には長電の最上位種別のA特急を含め全列車が停車する主要駅の位置づけです。
券売機です。
全体的にレトロな印象の当駅ですが、券売機はタッチパネル式なんですね。
あと、地方にしては3台も設置されているのは多いように思いましたが、長野電鉄は鉄道線には未だICカード乗車券を導入しておらず、定期券・回数券の利用者以外は全員券売機で切符を買う必要があるため、利用者数の割には券売機のニーズが高いのでしょうね。
それから、バス待合所にあったバスの路線図ですが相当古そうですねw
少なくとも須坂屋代線は載っていませんし、果たして最新の路線の改廃を反映しているのか若干の疑問を感じますw
この路線も往路で乗ったものと同じですのでレポートは省略して長野駅へ記事は飛びます。
長野駅で小休止
朝起きて「おはようライナー」へ飛び乗り、そのままバスを合計4路線乗り継いできたわけで、ここまでまともに休憩らしい休憩もなく来ていたので疲労も空腹度も切迫しつつあり、長野駅では松本へ戻る列車に乗る前に食事がてら休憩をすることにしました。
ここまではコンビニで買ったおにぎりくらいしか食べていませんでしたしね。
あと、興味を惹かれたのがこれ
長電の長野駅は地下にあるためその入口というわけですが、実は以前からの入口はJRの駅を出て道路を渡った先にしかなく雨の日などは傘を差しての移動を強いられていたのですが、北陸新幹線金沢延伸に併せて実施された長野駅の改良工事でJRの駅舎に直結した入口が新設され、それがこの入口ということですね。
以前に長電に乗った時はまだこちらは無かったので初めて見ました。
たまに長電のことを長野の地下鉄と呼ぶ人もいるようですが、この雰囲気は地下鉄駅に近いですね。
この地下街は駅東口へ抜ける自由通路も兼ねていて、長電とJRとの乗り換えだけの役割ではありません。
駅自体は少し離れているためエスカレーターを降りても少し地下通路を歩かなければなりませんが雨風を避けて乗り換えできるだけでも大進歩ですね。
長野駅でしなの鉄道と言われるとあれ?と思ってしまいますが、今は長野~妙高高原間もしなの鉄道ですからねぇ。
そういえば、同区間がしなの鉄道に移管されてからは乗っていません。
急にタイムスリップでもしたかのようにボロくレトロな雰囲気になりましたが、ここが長野電鉄の長野駅です。
この先が従来からあった方の入口です。
ここを見てしまうと地下鉄というより長電ですわw
そうそう、この先に以前食べて気に入っていたラーメン屋さんがあったんですが、いつの間にか廃業してしまっていたようでそこでお昼ご飯にするつもりだったのが計画が狂ってしまいました・・・
お目当てだったラーメン屋さんがなくなっていた以上は、せっかく長野に来たのだから本格的な信州そばを頂こうということでそばの専門店を探して入ってみました。
考えてみれば今まで長野で食べたそばといえばいわゆる「駅そば」であり立ち食いスタイルの店がほとんどだったので、それはそれで美味しかったものの本物の信州そばを食べたとは言えないのではないかと思い結構なお値段でしたが奮発しました。
今までに食べた旅先でのグルメの値段を考えれば特別高い部類ではないですが、そば=駅そばのイメージが強い私としてはおそばに4桁のお金を出すのはちょっと躊躇する気持ちもありましたが、食べてみると値段相応の価値はあったなと納得しつつ、信州そばを堪能しました。
腹ごしらえを済ませたらホームへ入ります。
しなの鉄道の115系がいました。
383系「しなの」が発車待ちをしていました。
↑「しなの」発車シーン
おや?よく見るとE353系がいるではありませんか。
この旅行の時点ではE353系の定期運用は松本までのはずなのでここにいるのはおかしいことになりますが、試運転でもしていたのでしょうか。
そして、私が乗る普通列車はこちら、E127系です。
朝夕は211系が入ることもあるようですが、利用者の少ない日中はE127系によるワンマン列車となるようです。
道中はサクッと省略して松本駅からいよいよE353系「スーパーあずさ」です。
E353系「スーパーあずさ」で帰京する
普通列車で松本までやってきた私はいよいよE353系とご対面となるわけですが、その前に信州往復きっぷで乗車している関係上一旦外に出なければなりません。
暇つぶしに指定席券売機で乗車予定の「スーパーあずさ」の指定席の空席状況を確認しますが通路側しか空いておらず、かつ指定席にはいい思い出がないので自由席でいきます。どうせ松本から乗るなら座れる可能性大ですしね。
再び構内に入場すると既にE353系が入線していました。
何度か撮ったことはありましたがいよいよ乗れるとあって気分が高揚します。
座席も可動式ヘッドレストなど、今風の設備を備えたものであり、E351系と比べれば快適さは段違いですね。
そして、何より嬉しいのは全席コンセント付き
これなら携帯もバッテリーの心配なく弄り倒せますねw
あと、こんなランプが頭上にありました。
これって・・・スワローサービス用の空席状況表示のランプですよね。
「ときわ」で実際に運用されているところを見たことがありますが、空席は青、次駅で予約済みの人が乗ってくる場合黄色、予約済みの席は赤となっており、座席未指定で乗車する人は基本的に青ランプの席を利用することとなります。
これがE353系にあるということは、中央線特急がE353系に統一された暁には「あずさ」「かいじ」でもスワローサービスを採用するつもりということですね。
個人的にはスワローサービスはあまり好きではないので手放しに歓迎できませんけどw
と車内を撮ったりしているうちにもう発車時間でした。
E351系のものよりも軽快なインバータ音をBGMに新宿への旅が始まりますが、このインバータ音を聞くためにM車の位置で右往左往してしまいました。
といいますのは、E353系のうち付属編成の先頭車は片方のみ電動台車でもう片方が付随車といういわゆる0.5Mとなっており、台車の向きを間違えるとモーター音を聞くことができなくなるのです。このようなタイプの車両は近年増えており音鉄的には厄介な存在ですが、編成数が奇数でもMT比をより理想的な数値に出来ると言ったメリットがあるようですし仕方ないですね。
あと、E351系と同じく車体傾斜装置を備えた車両となっていますが、E351系は制御付き振り子という方式だったのに対し、E353系は空気バネへの給排気によって車体を傾ける方式となっており、そのため傾斜角がE351系よりも小さいようです。乗っていてあまり傾いている感じはしませんでしたが、それでも曲線通過速度はE351系と同等とのことですから傾斜角が小さくてもその他の技術で何とかしているんでしょうw
塩嶺トンネルを抜けて諏訪地域に入り、山梨県へと進みますがやはり甲府からは大勢の乗車があり満席状態になりました。
当然始発駅の松本から乗っている私は余裕でモーター直上の窓際を取れたわけでしたが、座れなくて通路に立っている人もいるなど、「あずさ」「スーパーあずさ」という列車の需要の高さが伺えました。
「スーパーあずさ」にも中央本線にも何度も乗っているためE353系という車両に対してのレポートが殆どとなりましたが、1つだけ今まで気づいていなかった車窓風景があったので取り上げておきます。
長野県と山梨県の境に近い長野県富士見町にあるこの橋ですが、かつての中央本線が通っていた橋であり、立場川橋梁というのだそうです。
こんなにはっきりと残っていながら今まで気づかなかったのが恥ずかしいですが、乗り慣れた路線であっても新発見があることもあるから油断してはいけないという教訓ですねw
このあとはほとんど書くこともなくあとは新宿まで普通に乗って終わりです。
この後ですが、また遠征が続く予定なので旅レポートが続くと思います。