今回は2024年3月30日に運行された185系による臨時列車「峠の横川ナイトパーク号」に乗車してきましたのでそのレポートです。
「峠の横川ナイトパーク号」の概要
まずはこの記事の主題となる「峠の横川ナイトパーク号」についての解説です。
「峠の横川ナイトパーク号」は2024年3月30日の1日限りで運行された臨時列車で、185系を使用し大宮~横川間に1往復設定されました。
列車名の通り、横川駅近くにある「碓氷峠鉄道文化むら」で開催される夜桜ナイトパークに合わせて運行された列車でして、全車指定席の特急列車として運行されました。
185系が使用されるという点でもネタですし、大宮駅から信越本線横川駅方面へ直通の列車が走るのは珍しいことです。
従来から「碓氷峠鉄道文化むら」でのナイトパーク開催に合わせての臨時列車というのはありましたが、大宮駅から直通というのは恐らくは今回が初めてとのことです。
また、横軽区間廃止後は大宮駅から横川駅まで直通の列車が走るというのもレアなことです。
今回は運良く往復とも指定席券が入手できましたので、往復乗車するとともに、せっかく横川まで行くので列車の目的である「碓氷峠鉄道文化むら」にも訪問しようと思います。
乗車レポート
ここからは本編となる乗車レポートのスタートです。
大宮駅からスタートとなります。
というわけで大宮駅の発車標からレポートを始めていきます。
7番線から出発ですが、大宮を始発・終着とする臨時列車では定番ですね。
特急全車指定席とも表示されていました。
そうしないと指定席券がないのに間違って乗ってくる人が出て来かねないですからね。
まだ入線していないようなので、入線の動画を撮ろうと思いますが、向かいの8番線からは入線してくるであろう時間に高崎線の列車があるみたいで被る可能性が高いということでこのホームで待ちました。
もういい場所は埋まってしまっていてまともなアングルでの撮影は無理そうですが、185系なら過去にもかなり撮影していますし、「谷川岳もぐら号」では大宮駅での入線も撮っているのでまあいいでしょう。
↑というわけで入線シーンですが、お世辞にもいい構図とは言えません・・・
が、問題はそれではなくて、やってきたのは185系は185系でも、「新幹線リレー号」の塗装のC1編成だったことです。
最初は「新幹線リレー号」のやつが来るとは思っていなくて、撮影は最低限でさっさと乗り込んでゆっくりしていようと思っていたのですが、「新幹線リレー号」となれば話は別ですw
高崎線の列車がいなくなったところで急いで反対側のホームへ向かいました。
嬉しい誤算がありつつ、いよいよ乗車します。
といっても、車内は他の185系と同じですがw
↑それでは車窓をどうぞ
ここでちょっとした裏話ですが、実は当初は通路側の席しか取れず、車窓は諦めるしかないかと思っていたのですが、直前で窓側の席が空く可能性に賭けてあえて”えきねっと”で申し込んだ予約をギリギリまで発券しないでおき、暇があれば”えきねっと”を覗いては窓際の席の空席が出ていないか確認していて、乗車の数日前についに窓際の空席を見つけてすかさずそこへ変更して窓際をゲットした経緯がありました。
この幸運のお陰で車窓を撮ることができました。
高崎までは他の列車でも車窓を撮ったことがありますが、高崎~横川間の信越本線では車窓を撮ったことがありませんでしたしね。
大宮を出ると高崎線に入りますが、185系は以前「草津」や「あかぎ」など高崎線特急で活躍していたこともある車両ですし、それを彷彿とする光景でした。
停車駅は鴻巣・熊谷・本庄・高崎・横川となっており、高崎線内では「草津・四万」よりは停車駅が多いですが、「あかぎ」よりは少ないという感じで、独特なものになっていました。
所要時間では大宮~高崎間は「草津・四万」の定期列車だと56分、「峠の横川ナイトパーク号」は1時間4分となっており、臨時列車ということで若干所要時間は長くかかっていますね。
車内の客層はやはり乗り鉄っぽい人が多かったですが、目的地の横川は「碓氷峠鉄道文化むら」など鉄道関連の観光スポットがほとんどの場所ですし、使用車種も鉄道ファンに人気のある185系となれば当然といえば当然でしょうね。
高崎線内では乗り降りする人はほとんどいませんでしたが高崎駅では若干降りる人がいました。
大回り乗車で乗れるのはここまでですから、少しでも安く乗りたい人たちは高崎までで我慢ということなんでしょう。
私は往復とも全区間乗りますが、18きっぷが使えない特急である上、大宮~横川間で使える特急もOKなフリーきっぷの類もないため正規運賃で乗るしかなく、1往復乗るだけで1万円近い出費でしたw
趣味の世界にコスパを持ち込むのはどうかと思いますが、1往復乗るだけで1万円近いのは18きっぷでまる1日乗っても2410円とかと比べると割高感はありました。
まあ、それでも乗っちゃうのが乗り鉄のサガなんですがw
高崎駅を出ると上越線と分岐しながら進みますが、信越本線の上り線って高架になっているんですよね。
これは上越線と平面交差にならないようにしているようで、上越・北陸新幹線が出来る前の特急が頻繁に走っていた時代の上越線・信越本線だったからこそ必要な設備だったのでしょうが、信越本線も上越線も今やほとんどが普通列車となっていて、今となってはオーバースペックな設備ですね。
上越線については吾妻線直通の特急「草津・四万」が今でも定期運行されているので特急も一応残っていますが、信越本線については北陸新幹線(当時は長野行き新幹線)が開業して横軽区間が廃止になってからは特急が走ることもなくなっていたでしょうし、今回そこを特急で通過できるのは貴重なことです。
ちなみに、185系についても横軽区間を越える運用に就くことがあったそうで、メインの運用である高崎線・東北本線系統の特急としての合間に軽井沢方面への普通・快速列車として運用されていたそうで、そうなると必然的に高崎~横川間も走行していたことになりますね。
特急列車としては季節運転の特急「そよかぜ」として185系が運用されたことがあるようです。
横軽廃止後は185系が横川方面へ来たことがあるかどうかは分からないのですが、いずれにせよかなり久々に185系が入線したのは間違いないと思います。
ところで、横軽といえば「協調運転」が有名で、これは補機となる電気機関車と電車で連携してモーターを稼働させて走るというもので、189系や169系など横軽を通過する特急・急行として走る車両はこれに対応していました。
となると横軽を通過するには協調運転が必須なのかと思いきやそんなことはなくて、そもそも185系は協調運転には対応していません。
その場合は電気機関車の動力だけを使って走行し、電車側は一切モーターを稼働させない無動力状態で走行していました。
この場合は電車では8両以下の編成に制限され、これより多い両数で運転したい場合は協調運転が必須ということになっていました。
そんな横軽も今や過去帳入りしてしまいまして、ハイライトだった横軽がないと信越本線の旅ももの足りない気もしますが、かつての信越本線特急の旅を想像しながら乗車時間を過ごしていました。
徐々に車窓に山が増えてきました。
碓氷峠に向けて地形が狭まっていきます。
そして、高崎から30分弱の乗車で終点の横川駅に到着です。
アナウンスでも「碓氷峠鉄道文化むら」でのナイトパークについて触れていました。
駅員さんやゆるキャラのお出迎えを受けつつ横川駅に到着しました。
「おぎのや」の建物も見えました。
横川と言えば「おぎのや」の峠の釜めしですよね。
駅構内にも「おぎのや」が出店しています。
というか、そもそも「おぎのや」は横川駅で駅弁を売るというところから創業していて、横川駅こそが創業の地といえます。
横川駅では横軽に備えて補助機関車を連結・開放する必要があって全ての列車が長時間停車していたので、駅弁を売るにはうってつけの場所だったことから始まったようです。
モータリーゼーションが到来すると国道沿いに工場を兼ねたドライブインを出店して、上信越自動車道が開通するとサービスエリアへも出店したりと鉄道に限らない事業展開をしていたおかげで横軽廃止後も経営に大きな影響はなかったそうです。
峠の釜めしが名物駅弁となっていたおかげで、横川駅へやってくる乗客が減った後も高崎駅などでも販売されるようになっていますし、駅弁大会があれば販売されることも多いですね。
そのため、駅弁としての峠の釜めしも現代まで発売され続けていますし、今でも横川駅で買うことが出来ます。
こちらの店舗は立ち食いそばをメインにしつつ釜飯も売っているという感じのようですが、「おぎのや」ブランドの強さなのか夕飯には少し早い時間帯ながらお客さんが次々入っていました。
駅名標です。
広島県に同じ表記の横川(よこがわ)駅がありますが、読み方が違うためか重複駅名となっていますね。
一昔前のタイプもありました。
横軽現役の頃のものなら軽井沢方面の表記を修正した跡があるはずですから、これは横軽廃止後に設置されたんでしょうね。
とはいえ横軽廃止は1997年のことですから、もう27年も経っているんですよね。
さっきも見たお出迎えに駆け付けたゆるキャラですが、「こうめちゃん」という安中市のマスコットキャラクターだそうです。
横川駅の軽井沢方面はホームがぐるりと回るように繋がっていて頭端式ホームのようになっています。
そのあたりからはよく撮れるようで多くの人が立ち止まってカメラを構えていますね。
211系が入ってきたので並べてみました。
実はこの211系、ただの211系ではなくて「矢絣柄」というやつです。
1本しかないはずなので偶然やって来たのはラッキーでした。
↑発車を動画で撮りました!
このあとは「碓氷峠鉄道文化むら」に行くのですが、問題は185系がこのまま復路の列車としてここで折り返すのか、それとも一旦どこかへ引き上げるのかということです。
引き上げるならば発車シーンを撮りたいですし、そうでないなら早く撤収したいし・・・
周囲の人達も同じ考えなのか写真を数枚撮り終えたらダラダラと構内に乗っている人が結構いました。
そんな中で近くに駅員さんがやってきて、そのタイミングで待っていたファンの一人がこの列車がこのまま折り返し運行するのかどうかを問い合わせたことでその膠着状態が解消され、結果としてこのまま折り返しまで停まっているとのことなので撤収しました。
私も横川駅は1線で定期列車をさばけるダイヤのはずで、わざわざ回送する意味もないのでそうだろうとは思っていたんですが、運転室にいつまでも乗務員がいたことでちょっと疑心暗鬼になっていましたw
かつて横軽区間(初代)に採用されていたアプト式の模型がありました。
出口ですが、バスの案内もありますね。
当駅に乗り入れるバスは廃止された横軽区間を代替するJRバス関東の碓氷線のみとなっています。
D51のペーパークラフト(?)が飾られていましたが、炭水車どこいったw
18きっぷ利用者に向けた案内もありました。
駅員不在時は無人駅から乗る場合に準じて下車駅か乗車した列車の車掌さんに日付を入れて貰う必要がありますが、乗車駅証明書も出してねってことらしいです。
駅舎です。
リニューアルされていますが、木造駅舎なんだとか。
駅舎の隣に「おぎのや」があります。
実は同じお店が改札内からも改札外からも利用できるようになっています。
D51の顔出しパネルがありました。
「SLぐんま よこかわ」として乗り入れがあるからですかね。
かつて横軽を走っていたEF63形の動輪だそうです。
SLの動輪って結構飾られていることが多いですが、電気機関車の動輪って珍しいですよね。
ちなみに、横軽区間は初代と2代目のルートがありますが、2代目ルートは最初から電化されており、初代ルートも1912年に電化されていますからD51形が横軽を通過したことはありません。
駅前の広場では「おぎのや」がテントを出して釜飯を売っていました。
せっかく横川まで来たのでと買ったんですが、瀬戸物の器のやつだったので荷物が重くなってちょっと後悔しましたw
でも、持って帰れば記念になりますし買ってよかったです。
ちなみに、結局「碓氷峠鉄道文化むら」の中で夕飯を食べてしまったので釜飯は持って帰って自宅で食べました。
更に進むとJRバスがいました。
これが「碓氷線」のバスですが、JRバス関東の燕のロゴ入りのやつじゃなくて真っ赤な塗装でした。
貸切と書いてあるので貸切車が応援で充当されていたようです。
こちらがバス停です。
運行本数は2時間に1本ほどで、通常便については碓氷バイパスを経由し、途中バス停はなく軽井沢までノンストップとなっています。
↑発車は動画で撮ったらいよいよ「碓氷峠鉄道文化むら」に向かいます。
が、「碓氷峠鉄道文化むら」については単独でのレポートの需要もあるでしょうから、この記事の一部とするのではなくて、別記事としてお届けしようと思います。
なので、この記事では時間が飛んで、「碓氷峠鉄道文化むら」見学後に横川駅に戻ってきたところから再開とします。
~追記~
「碓氷峠鉄道文化むら」の訪問レポートはこちら
駅に戻ると「おぎのや」がまだやっていて、お出汁のいい匂いに誘われて思わずうどんを食べてしまいましたw
「碓氷峠鉄道文化むら」で軽く夕飯は食べていたんですが、ここに来て小腹が空いていました。
でも、「おぎのや」の釜飯は何度も食べてきましたが、うどんはこれが初めてでしたからいい機会だったと思います。
ちなみに、普段はこんな夜まで営業していないらしく、今日はナイトパークで利用者が多いから特別に営業していたらしいです。
あと、私がうどんを受け取って食べ始めるくらいでつゆが無くなってしまったので閉店という声が聞こえてきました。
想定以上の売れ行きだったようですね。
構内に入ったら185系の撮影です。
まずは「おぎのや」と絡めて
駅名標と絡めて撮ったら乗り込むことにしました。
昼間は暖かくてあまり厚着をしないで来たのですが、夜になって急に気温が下がってきまして小寒さを感じるようになっていたんですよね。
まだ峠の手前とは言え標高はそれなりですしね。
あとは乗って大宮へ戻るだけです。
今度は通路側の席ですが、どうせ暗い時間帯なので別にいいでしょう。
停車駅も往路と同じであまり書くことはないのですが、車内で釜飯を食べている人が多かったのが印象的でした。
それから、高崎駅から乗っていた人もいたのが気になりました。
大回りで乗ろうという人なのかなとも思いましたが、見た目的には乗り鉄というよりごく普通の利用者という感じだったんですよね。
今は「あかぎ」や「草津・四万」も全車指定になっているので”えきねっと”などで検索して偶然「峠の横川ナイトパーク号」が出てきてそのまま予約して乗ってきたという感じでしょうか。
この時間帯の高崎線上り方面の特急って無いので意外と便利に使う人もいたのかもしれません。
なお、意外にも満席ではなくてわずかですが空席もあったようです。
大宮についたらもちろん撮影です。
新幹線リレー号の塗装となれば撮らない手はありません。
同じ考えなのか今までの185系のときとは比べ物にならないファンが集まっていました。
今はSNSとかですぐ情報が広まりますから、往路がC1編成だったことが拡散されて集まっていたんでしょうか。
そのためかやや荒れた撮影になってしまったのが残念でした。
↑引き上げシーンを撮って活動終了です。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
去年の秋ぐらいからちょこちょこと185系に乗っていて、もはやあまり物珍しさが無くなってきている感さえある私ですが、これ以降は185系に乗る予定はありません。
でも、いくつか気になっている列車はあるので、指定席券が入手できればまた乗りに行くかもしれませんw
それでは!
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