2泊3日で実施した新潟遠征の中で訪問した「新津鉄道資料館」の訪問記です。
旅の趣旨と大きく異なるため別記事としました。なお、本来2月中に実施した活動だったのですが、執筆が大幅に遅れまして4月までずれ込みました。
お待たせして申し訳ありません。
新津鉄道資料館とは
新津鉄道資料館は正式には新潟市新津鉄道資料館といいまして、新潟市が運営する鉄道資料館です。移設やリニューアルを経て、現在は新津地域学園という施設の一部分の敷地に設置されています。
元々は国鉄が鉄道マンを養成するために設置した新津鉄道学園の跡地を活用しており、まさに鉄道資料館を設置するにはうってつけの物件だったわけですね。
ただ、欠点としてアクセスの悪さがありまして、新津駅から2km以上離れていて、徒歩だと30分程度かかってしまいます。路線バスもあるにはあるんですが、日中は数時間運行がない時間帯もあるなど、利便性が高いとはいえず、30分徒歩か、時間を調べて路線バス利用か、奮発してタクシー利用かのどれかとなりますね。
さて、前置きはこれくらいにして早速レポートを開始したいと思います。
まずは外観から
新潟遠征の旅のレポートでも触れましたが、私は路線バスをタッチの差で逃してしまいタクシーで新津鉄道資料館を訪れたわけですが、入口の目の前まで乗り付けてくれたので遠くからの視点の写真をこの時点では撮れていませんでした。なのでいきなり寄った写真からですw
学校だった建物を転用しているだけあって、やっぱり学校の雰囲気がありますね。
外観はこれくらいにして、早速中に入ると入場券の券売機がありまして、そこで入場券を買います。入場料は大人300円、高校・大学生200円、小・中学生100円と大変リーズナブルになっているのもありがたいですね。
チケットを見せて入ろうとすると係の方が順路などを細かく説明してくれました。この日は土曜日でしたがそれほど来場者は多くないようでその分一人ひとりに丁寧に対応して頂けたようですね。
早速見学開始!
サボやら駅名標やら時刻表やら、いかにも鉄道資料館という展示内容ですね。
その中で気になったのが「帰還専用」というサボです。終戦直後に外地から引き揚げてきた人たちを郷里へ返すための列車が運行されたことがあるという話は聞いたことがありましたが、こんなサボをつけていたんですね。
上野~新潟だけでなく、東京~新潟なんて運行系統もあったんですね。
現在の上野東京ラインに相当する線路は東北新幹線の東京駅乗り入れまでは普通に繋がっていたのでそれを使用して東京駅に乗り入れていたんでしょうね。
時刻表ですが、流石に長距離列車のオンパレードですね。
逆に普通列車は現在よりも少ないですが、中長距離輸送に主眼をおいていた国鉄時代を象徴するとも言えましょうか。
磐越西線の駅の縦型駅名標が並んでいますね。それにしても、津川と五泉だけ色が違うのは何故なんでしょうw
新潟の路線図ですが、廃線になった路線も載っており、新潟にもいくつもの私鉄があった鉄道黄金時代の姿が見られます。
それにしても、北陸新幹線が「開業予定」のままで、上越妙高駅も脇野田駅の名前が併記されているなど、微妙に情報が古いんですねw
まずは我が故郷の九州から
特に福岡県内は炭鉱関連の路線が多数残っていて今以上に混み合った路線網になっていますね。
続いて中国・四国・関西地方です。
山陽新幹線が岡山までしか開業していない他、廃止が決まった三江線がまだ全通しておらず予定線を示す点線表記なのも注目ですね。
また、現在の錦川鉄道錦川清流線となっている岩日線も日原駅までの計画線として載っていたり、井原鉄道井原線に相当する路線も載っていたりとまだまだ鉄道網を広げようとしていた時代を感じます。
四国では徳島県内で廃止になった路線があるくらいで、あとは現在の路線網とそう変わらないように思えますが、内子線経由の短絡ルートが未開業だったり、四国のキングオブローカル線の予土線も全通していませんね。
関西では結局未成線となった五新線が阪本までながら点線で表記されているのが意外でした。
続いて中部・関東から南東北にかけて
東北・上越新幹線も点線表記で、北陸新幹線はこの時点では計画さえなかったのか点線ですら表記されていませんね。
現在の野岩鉄道となっている区間が日光線今市駅に繋がる形で表記されていたり、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線も国鉄の予定線として載っていたりするのが面白いです。
北東北から北海道にかけてです。
東北の方はぱっと見た限り現在の路線図との差はあまりなさそうですが、北海道の方は本当に同じ地方の路線図なのかと疑いたくなるレベルで路線の密度が違いますね。
かろうじて残った現在の路線網も風前の灯火の線区が多々あり、これ以上スカスカな路線図にならないことを祈ります。
ちなみに、展示室の真ん中には鉄道模型のレイアウトがあります。
走っているのは115系と・・・
どういう意味合いなのか分かりませんが、無事故表彰か勤続年数によってもらえるメダルとかだったりするんですかね。
まさかの入場券専用の券売機w
技術的に複数の券種に対応できなかったのか、当時は専用の券売機を設けるほど入場券がよく売れていたのか・・・
もうちょっとバージョンアップして近距離乗車券にも対応したタイプのようです。
「万能型」だそうですが、紙幣には対応していなかったり、買えるのは近距離乗車券のみだったりと、長距離の乗車券や特急券、指定席券まで買える現代の券売機からしたら「万能」ってなんだっけ?と言いたくなりますが、それだけ時代が違うということなんでしょうね。
優等列車の乗車位置案内が展示されています。
「あさひ」というと上越新幹線で以前使われていた愛称というイメージが強いですが、かつて新潟~仙台間を米坂線、仙山線経由で結んでいた急行列車のことのようです。
「あがの」は現在でも新潟~会津若松間の快速列車として運行されていますが、かつては磐越西線経由で新潟~仙台間を結ぶ列車だったようです。
「とき」は現在でも上越新幹線の愛称として現役ですね。
ちなみに、開業時から北陸新幹線長野開業直後までは各駅停車タイプが「とき」で速達タイプが「あさひ」という東海道・山陽新幹線での「こだま」と「ひかり」のような使い分けがされていましたが、北陸新幹線(長野新幹線)開業時に列車の行き先別に愛称を統一することとなり、北陸新幹線が「あさま」、上越新幹線のうち新潟まで行く列車は「あさひ」となりましたが、「あさま」と「あさひ」が1字違いでよく似ていることから誤乗が相次ぎ、「あさひ」の使用を取りやめて「とき」に一本化した経緯があるようです。
次の展示コーナーへ
最初は動輪に動力を伝えるロッドかと思いましたが、機関車本体と炭水車を連結する連結器の役割を果たす部品のようです。
キハ35系ですね。
内部構造までよく分かって、素晴らしい展示ですね。
鉄道好きでなくてもメカ好きにも堪らないですよね。
このエンジンは有名な「DMH17」だったんですね。
戦時中の設計がベースで非力で効率も悪いと言われながらも、多くの国鉄型気動車に採用され、独特のエンジンサウンドも人気を集めるエンジンですね。
エンジンにも銘板が付いていました。通常は床下に取り付けられているだけになかなかお目にかかれないものですよね。
「DSS35」という機関車だそうですが、まったく見たことがありませんでした。
オレンジ色でない時点で国鉄の機関車ではなさそうですが、どうなんですかね。
ED512というのは聞き覚えのない型式名だと思って調べてみたら長野電鉄が保有していた電気機関車のようです。
末期は越後交通で使われていたとのことで、そういう意味で新潟に縁のある車両ということなんですかね。
こちらはモーターのカットモデルが展示されていました。
西鉄好きさんが反応しそうな展示ですねw
200系の通称”鼻”の部分ですね。
E1系の”鼻”かな?
続いては保安装置など
こちらは通票授器というものでして、ここにタブレットを取り付けて列車の運転士がキャッチできるようにしたものです。
そして、こちらがタブレットです。厳密に言うと円形の金属でできたものがタブレットであり、輪っかの付いた革製の方はタブレットキャリアというらしいですが、一般的にタブレットというと輪っかの付いたやつを連想しますよね。
こちらは通票受器(通称タブレットキャッチャー)というもので、通過駅でタブレット交換を行う場合に運転士が窓から手を伸ばしてタブレットをこの装置に引っ掛けることでタブレットを駅に戻します。
これはタブレット閉塞機というものでして、1つの区間に対して1つのタブレットしか取り出せないように制限する装置となっていて、タブレット閉塞の根幹をなす装置です。
詳しい解説をしてしまうとそれだけで1つの記事になりそうなのでここでは割愛しますw
あと、側面のカバーが外されていて中も見ることが出来ました。タブレット閉塞機自体は他の鉄道関係の資料館・博物館でも展示されていることが多いですが、中まで見られるのってレアですよね。
こちらは磐越西線の運行表(スタフ)ですね。
駅名の所に四角や三角の図形が描かれているのがわかると思いますが、これはタブレットの種類を表すものです。
駅と列車
まず最初に目についた解説は「チッキ」です。
詳しくは写真の解説文を見ていただくとして、簡単に解説するとチッキというのは国鉄時代に行われていたサービスで、当初は飛行機の受託手荷物のように旅行中身軽に過ごせるように手荷物を預かってもらえるサービスでした。それが、段々と荷物のみの輸送も行われるようになり小荷物と呼ばれ、現在の宅配便のように利用されていましたが、国鉄で頻発したストライキにより利用者離れが進み、宅配便サービスが普及するとほとんど利用されなくなり国鉄末期に廃止されました。
これは切符を入れておく棚ですね。
昔は券ごとに事前に印刷したものをストックして売っていたのでこのような棚があったわけですね。
現代では券売機にロール紙が入っていて売れる都度券面に印刷する方式ですからねぇ。
連動図表というやつですが、これは分岐器や信号がどのような関係になっているかというのを示す図表です。
鉄道関係でも信号扱いや運行指令所などで使うようです。
宅扱貨物というのは今日の宅配便のように戸口から戸口まで荷物を配達してもらえるサービスでして、戦争の影響で休止されますが宅配便の元祖とも言えるサービスだそうです。
新潟名産として知られる米も鉄道で各地に運ばれていたんですね。
あと、日本で原油が採れるのは意外かもしれませんが、新潟や秋田では油田が結構あったようですね。
最近はデジタル時計が増えている気がしますが、駅の時計といえばやっぱりこれのイメージですね。
これは車軸発電機と言って、客車の車軸に取り付けられて照明や放送装置などの電源を供給する装置です。
自転車のダイナモ発電機のようなものと言えますね。
一見、単なるレトロな扇風機のようですが、交流でも直流でも動くものだそうです。よくみると切り替え用のレバーが付いていますね。
列車が走行時には直流電源を使用し、駅などで長時間停車するときは外部から交流100Vの商用電源を使って動かせるようになっているようです。
テーブルや灰皿も大事な旅客用の設備ですね。
まあ、禁煙化の流れで灰皿はあまり見かけなくなってきましたが・・・
現代の間隔からすれば、普通車の座席としても見劣りしてしまいそうな座席ですが、これでも急行列車のグリーン車なんですよね。
新潟に縁のある車両たちの模型
この中では485系3000番台が一番新しいですが、それすらも引退してしまいましたね・・・
JR九州では「SL人吉」として活躍中の8620形の模型ですね。
9600形ですが、こういう展示は実物を想像しやすくていいですね。
EF81形
しかし、ヘッドマークしか無いのはどうなんですかねw
181系
実車はボンネット型のデザインが特徴ですが、平面ではちょっと分かりづらいですね。
車番が並んでいます。151系と思われる車番が混じっていますが、付随車のみ181系に組み込む形で転用されたんですかね?
そして、200系新幹線
リニューアルカラーの方のようですが、かえってこちらの方が200系らしい感もありますね。
鉄道人を育成する
前述の通り、この建物は新津鉄道学園という施設を転用したものですが、鉄道人を育成する学校という側面の展示のようです。
ちなみに、現在では国鉄は存在しませんし、鉄道会社が鉄道マンを育てるための学校を運営しているというケースはないんですが、私立の専門学校や短大として何校か鉄道学校と呼べるような学校が存在します。現在学生の方で将来的に鉄道関係の仕事を考えている方は調べてみるといいでしょう。
空気ブレーキの仕組みを解説するパネルのようですが、今ならFLASHあたりで簡単に再現できそうですよねw
200系の構造を示す図面のようです。いかにも教材って感じですね。
教科書のようです。これは中身がすごく気になりますが、あいにくケースの中なので表紙しか見られません・・・
VVVFインバータの登場まで長らく電車の制御装置の主流だった抵抗制御の装置ですね。物理的な接点で回路を次々組み替えるためこんな複雑な機構になっています。
学校だった頃の建物の模型のようです。
グラウンドがある辺り、学校って感じがしますね。
新潟・新津の人々と鉄道
ここからは「新潟・新津の人々と鉄道」というテーマになるようです。
お召し列車のシンボルとも言える菊花紋章もこんな間近で見られるのは貴重でしたね。
これは何だろうかと思ってみたら、お召し列車用の停止位置目標だそうです。
停止位置目標まで専用のものがあるなんて、やはりお召し列車は特別なんですね。
続いては新潟に縁のある優等列車のブースです。
ヘッドマークを始め、数々の品々が展示されていますね。
ここにも色々なものが並んでいますが、下の水道管の部品のようなものは上越新幹線で採用された消雪装置のスプリンクラーヘッドのようです。
今でもそうですが、新しく新幹線が開業するというのは特に地域にとっては大変な関心事ということで記念グッズもたくさん出たようですね。
保線
ここからは鉄道の維持に欠かせない保線作業についての展示のようです。
砥石だそうですが、かなり大きいですね。
構造を見るに足踏み式だったようですね。
スコップやツルハシはいかにも保線作業で使うというイメージですよね。
近年は機械化が進んでこういう単純な構造の道具を使う機会は減っているのかもしれませんが・・・
いわゆる上越国境付近の上越新幹線と上越線の位置関係を再現した模型ですね。
山が透明になっているので地中の位置関係もよく分かります。
除雪車全般を「ラッセル車」と呼ぶ人をたまに見かけますが、ラッセル車というのはこの模型のように車体そのもので雪を押し退けて除雪するタイプの除雪車のことですね。
こちらは「マックレー式」というタイプの除雪車で線路沿いの雪を線路中央に集めて後続のロータリー車の手助けをするというタイプです。
そして、こちらが「ロータリー式」です。回転する羽根で雪を跳ね飛ばすタイプです。
その先にあったのは「SLばんえつ物語号」のヘッドマーク(クリスマス仕様)でした。
車両展示へ
ここまでは部品や模型といった内容の展示でしたが、やはり鉄道資料館や博物館の花形は車両展示ですよね。
200系新幹線とC57が展示されています。
屋外ですが、屋根もついていて保存状態はいい方ですね。
ドアには階段が付けられていますね。どうやら車内に入れるようになっていたようですが、私が訪問したときは入れないようでした。入れる時期が決まっているんでしょうね。
機関士の目線ってこんな感じなんですね。こんな状態で走行するんだからすごいです。
200系の妻面です。新幹線の妻面はなかなかお目にかかれませんよね。
コレクション展示
再び屋内に戻ってコレクション展示を見てみます。
解説が付けられていないのでこれが何なのか分かりませんが、カンテラと空気圧計ですかね。
下にあるのがATS地上子ということは、上にあるのは車上子ですかね。
これで1階部分は見終えたので2階へ移動したいと思います。
2階へ
2階へ上る途中に見かけたMaxのロゴですが、塗装からしてリニューアル前のE4系ですかね。
渡り廊下がありましたが、向こう側は資料館ではないようで塞がれていました。
鉄道模型のレイアウト
別のレイアウトの前にはバスコレも展示されていました。
新潟とは関係ない800系や500系(TYPE EVA)も走っていますね。
何かと思ったら除雪車のプラレールなんですね。
私も幼少の頃遊んだプラレールですが、今はかなり進化しているんですね。
と言った所でひと通り見終えたようなのでそろそろ撤収しようかと思いましたが、帰り際に職員の方にもう1つ車両展示があるのでそれも見て帰るように言われたので、最後にそれを見て帰ります。
もう1つの車両展示
少し離れたところに200系とC57の展示スペースと同じような屋根がありました。あそこのようですね。
ここにも資料館の名前がかかれていて、資料館の展示の1つであることをアピールしていました。
見学には入場料が必要との看板が出ていましたが、実際ここだけ見るならフリーパス状態ですよねw
まあ、入場料はそんなに高くないですし、素晴らしい展示なのでぜひお金を払って館内も見学してほしいと思います。
それでは入場料も払っているので堂々と見学させて頂きたいと思います。
家庭用エアコンの室外機があるということは、車内を開放する時に冷房できるようにということなんでしょうね。
これで全て見終えたので帰りますが、最後に建物の遠景を撮ってシメにしたいと思います。
記事冒頭でも触れたとおり、建物の半分は新津地域学園という地域のコミュニティセンターのような施設になっていますので看板にはどちらも併記されています。
最後に新津鉄道資料館の感想のようなものを書いて総括としたいと思いますが、入場料の安さの割に充実した展示であり、鉄道好きなら1度は行っておくべきスポットだと思います。この記事でも紹介しきれず割愛した展示も少なからずありますので、この記事で新津鉄道資料館に興味を持って頂いた方は是非実際に訪れて見学してみて下さい。
というわけで、レポートは終了です。大幅に遅れてしまっていますが、実は記事をためている間にも何回か旅に出ましてそのレポートも書かなければなりませんw
そちらも気長にお待ちいただければと思いますw
なお、私の新津鉄道資料館訪問後の行動は新潟遠征2日目の記事でお確かめ下さい。
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