今回は新宿~南木曽間で特別運行された特急「木曽あずさ」に乗車しましたのでそのレポートとなります。
なお、「木曽あずさ」は計3回運行されましたが、8月26日運行分に乗車しました。
「木曽あずさ」とは
まず、今回のレポートの主題となる「木曽あずさ」ですが、2017年夏の「信州ディスティネーションキャンペーン」(以下信州DCと表記)に合わせて運行された臨時列車であり、新宿~南木曽間を走りました。運行は7月1日・2日、8月26日・27日、9月9日・10日の6日間となっており、各土曜日には新宿→南木曽の往路、日曜日には南木曽→新宿の復路が片道ずつ運転され、実質3回に渡って運転されました。
本来は乗ってすぐにレポートしたかったんですが、他のレポートも溜まってしまっていたことや、私が乗ったのは2回目の運行であり、既に初回運行時のレポートが多数出回っていたこともあって他のレポートを後回しにしてまで書くこともないという判断で遅れてしまいました。申し訳ありません。
この「木曽あずさ」ですが、3つの点でレアな列車となっており、1つ目は使用車両でして、通称「グレードアップあずさ色」とも言われる塗装になった189系M52編成が充当されます。「グレードアップあずさ色」というのは、189系がまだ「あずさ」にも定期運用されていた時代に高速バスへ対向すべく内装のグレードアップを図った際に用いられた塗装で、復刻塗装としてM52編成に施されています。臨時列車でしか乗車機会のない車両でありその点でもレアです。
2つ目は行先が南木曽であることから分かるように、中央西線に直通するということです。中央本線は東京~名古屋間の路線ですが、塩尻駅を境に運行系統が完全に分断されており、貨物列車などを除いては塩尻駅を跨ぐ列車は設定されておらず、塩尻以西を中央西線、以東を中央東線と通称することもあり、実質的には別路線として扱われることもあります。それが、今回は中央西線、中央東線を直通運転するということでレアでした。
そして、3つ目は岡谷~塩尻間では塩嶺トンネルを通るみどり湖経由ではなく、辰野経由の旧線を通るということです。このルートは塩嶺トンネル開業以前は「あずさ」の経路でしたが、現在は普通列車を含め中央本線のメインルートからは外れていて、岡谷~辰野間は飯田線と一体的な運行で、辰野~塩尻間はピストン輸送の普通列車が走るのみという閑散区間になっていますが、そこを特急列車が走るという点でレアだったわけですね。
信州DCに合わせての運行ということで、首都圏から木曽地域への観光客の足という意味合いでの設定だったんでしょうけど、これはもはや乗り鉄を呼ぶための列車になってしまっていますねw
早速新宿駅へ
今回は「木曽あずさ」が新宿発9時24分ということで、家を8時過ぎに出れば間に合う余裕のある出発でしたが、逆に言えばプレッシャーがありました。何せ、「木曽あずさ」に乗り遅れるようなことがあれば、この旅行自体が成立しないことになり、後から追いかけて追いつける手段もないとなれば、寝坊は絶対に避けなければならないという状況だったわけですが、前日も私にしては珍しく早寝をしたおかげで無事に起きられましたw
まず立ち寄ったのは発車標ですが、ちゃんと列車名も行先も表示されていたのには驚きました。
ただ、時刻の数字が全角になっているので、手動設定で強引に表示させているのかもしれませんね。
ホームへ行きますが、「木曽あずさ」が発車する9番線ではなくて8番線に降り立ちました。反対側から「木曽あずさ」を撮るためですね。
そして、通りがかったのは「スーパービュー踊り子」でした。
6月の伊豆遠征で使いましたねぇ・・・
私のいる8番線にも同業者は多数集結していましたが、9番線もすごかったですw
撮影者に向けての注意書きでしたが、何故かE235系w
E235系の試運転が盛んに行われていた頃に作成されたんですかね。
ここからは中央快速線も撮れます。8番線は中央快速線のホームですから当たり前ですけど、逆に言えば4~5分おきにオレンジ色の快速電車が滑り込んでくるということでもあり、撮影者が集まる状況では緊張感があります。
幸いにして、「木曽あずさ」は豊田車両センターから回送されてくるのでしょうが、東京方面の中央快速線と同じ線路を走行してくるわけで、物理的に同時入線は出来ませんからいわゆるカブられる心配はないということで、その点では安心して撮影できました。
↑やってきました!
E233系とも並べたら9番線へ移動して細部の撮影をして乗車です。
方向幕が「特急」だけなのが残念ですが、実質3回の運行のためだけに専用の幕を用意するわけにも行かなかったんでしょうね。
駅の方は乗車位置案内は用意されていました。これについては初回運行の直前に設置して、最終運行後に撤去すればいいので、手間は少なかったんでしょうね。
それでは、乗車しましょう。
「木曽あずさ」で木曽路へ
新宿駅9時24分、「木曽あずさ」は定刻通り新宿駅を発車していきました。車内はかなりの混雑を見せており、ほぼ満席状態のようです。客層は言わずもがなで乗り鉄がほとんどw
純粋な観光客は数組しか見かけず、ほぼ乗り鉄専用列車と化していましたが、わざわざ辰野経由の旧線を通したり、189系のM52編成を使うとか、JR側も鉄道ファンを意識している部分もありそうですよね。
鉄道旅行のお供といえば、駅弁ということで、珍しく駅弁を買って車内で食べることにしました。前回の八戸遠征でうに弁当を食べ損ねた鬱憤を晴らすが如く、駅弁売り場に入るなり、手が勝手にこの弁当をかごに入れていましたw
これから木曽路へ向かうのに東北地方のお弁当を食べるというのも変な感じですが、美味しかったのでよしw
駅弁を広げていると車内アナウンスが始まり、停車駅などの案内が流れますが、当然車掌さんによる肉声放送です。音鉄的には自動放送のほうが面白みがありますが、肉声放送も味があって嫌いではないですね。
新宿を発車した「木曽あずさ」は立川、八王子、甲府、茅野、上諏訪、岡谷、辰野、塩尻、奈良井、木曽福島、終点の南木曽と停車していきます。中央東線では、「スーパーあずさ」並に停車駅が絞られていて、中央西線では「しなの」に比べて奈良井が追加される程度と全体的に停車駅を絞った設定ですが、走行距離が長いので速達性を重視した側面と、全車指定席ですから、大月など短距離利用者が席を押さえてしまい木曽への利用者が乗れない事態を避ける遠近分離の意味合いもあるのかもしれません。
横浜線の電車が見えると八王子です。東京都内最後の停車駅であり、この次は山梨県庁所在地の甲府までノンストップです。
高尾からは車窓も一変し、中央快速線という都市鉄道の雰囲気から、中央本線という都市間鉄道の雰囲気に変貌しましたね。
甲府盆地に出てしばらく走れば甲府に到着です。
ここで降りる人もそれなりにおり、単に甲府への移動の足として使っていたか、乗り鉄で南木曽まで行くのは予算的・日程的にきついのでせめて甲府まででも・・・ということなのかもしれませんね。
ちなみに、「木曽あずさ」とは反対に名古屋から茅野までの「諏訪しなの」という臨時列車もありましたが、そちらは車種が383系であり、塩尻~茅野間で383系が走るという意味ではレアだったものの「木曽あずさ」とは別日程であり断念しましたw
さて、ここからは中央本線でも「大八廻り」の通称でも知られる旧線に入っていきます。
塩嶺トンネルが開通するまでは「あずさ」など優等列車も通ったルートですが、現在は完全なローカル線になっています。それが今日だけは特急列車が走るということで、沿線にも多くの撮り鉄が繰り出していました。
辰野駅では多くの人々が「木曽あずさ」に向かって手を振ってくれていましたが・・・?
停まっていたのは「飯田線リレー」という臨時快速列車です。
「飯田線リレー」は名前の通り、「木曽あずさ」に接続して駒ヶ根まで行く列車で、伊那地方への観光の足という位置付けなんでしょうね。
313系は313系でも、元々「セントラルライナー」として活躍していた8000番台を持ってくるあたりは面白いですね。
ただ、いくら8000番台を充当するとは言え、あれで全車指定席はどうなんでしょうか?w
旧線はロングレール化されておらず、ガタンゴトンというレールの響きを楽しみつつ列車は塩尻へ向かいます。
塩尻駅です。当駅ではスイッチバックが必要であり、列車の進行方向が変わります。
かつての塩尻駅は中央西線~中央東線がまっすぐつながっていて、中央東線~篠ノ井線が分岐する形になり、中央西線~篠ノ井線はスイッチバックしていたようですが、「しなの」など、中央西線と篠ノ井線を直通する列車が増える一方、中央西線と中央東線を直通する列車はほとんど存在しなくなったため、実態に合わせて1982年に現在の形に改められたそうです。
塩尻を出てしばらくすると、観光協会の人なのか、法被姿の人がパンフレット入りのクリアファイルを配り始めました。
中身は信州DCや沿線の観光地をPRするものでしたが、オリジナルクリアファイルは嬉しいですね。
中央西線で最初の停車駅となる奈良井駅です。
定期の「しなの」は一切停まらない奈良井駅ですが、中山道の宿場である奈良井宿への玄関口となる駅ですから、中山道宿場巡りをする人向けの停車なのでしょうかね。
この奈良井以外にも通過する駅の沿線情報なんかもアナウンスされていて、塩尻までのJR東日本管内とは打って変わり観光ムードが強くなってきました。
甲府で降りてしまった人はこのムードを楽しめなかったわけで、ちょっとだけ勝ち組の気分ですw
車内販売で売られていてつい手を伸ばしてしまった「木曽路プリン」
南木曽にあるリゾートホテルの「ホテル木曽路」という所で製造販売されているものらしく、ネット通販もあるらしいですよ。
車掌さんが何やら巡回していましたが、特製パネルを使っての記念撮影のサービスをしていました。
観光列車あるあるのサービスですが、JR東海もかなり「木曽あずさ」に力を入れているようですね。
木曽福島駅はすごいことになっていましたw
地元の方にゆるキャラまで総動員での大歓迎ムードでした。
そんな木曽福島ですが、ここで降りる人も多かったです。
木曽福島駅は木曽地域の観光拠点となる駅ですから、純粋に観光目的の人は当駅を拠点にすることも多いでしょうし、実は「木曽あずさ」の後追いで「しなの」が走っており、当駅で降りれば乗り換えて名古屋方面へ向かえますが、南木曽まで行ってしまうと「しなの」は通過してしまうため乗り換えができないという事情があり、全区間乗車を断念してでも早く帰路に就きたい人は当駅で下車するという手もあったようです。
そして、南木曽に到着しました。
ちなみに、「中山道トレイン」というのは名古屋~奈良井間で秋を中心に運行される臨時急行列車ですが、ちょうど残っていたので使い回しちゃったんですかねw
南木曽駅
そして、ここ南木曽で4時間24分の旅は終わりです。
が・・・折り返しの普通列車まで1時間近く待たなければならないので、駅をじっくり見て、あとは周辺散策としたいと思います。
↑急いで先頭部に行ったら方向幕が回りはじめたので撮影
結局、「甲州エクスプレス」しか撮れなかったw
それでは、既に回送幕に変わってしまっていましたが正面の撮影です。
車内での記念撮影で使っていたパネルを正面に置いてくれていました。
これはいい記念になりますね。
それにしても、隣のホームはすごい混雑w
今日は南木曽駅が最も賑わった日かもしれませんねw
↑それではいよいよ発車です。
ちなみに、この後は神領車両区まで回送されて翌日の運行に備えるそうですが、神領といえば愛知県ですし、そこまで長距離回送をするならば中津川か、いっそ名古屋まで営業したらいいのになんて思いましたw
尤も、そんなことをしたら乗り鉄の多くは木曽を素通りしてしまうでしょうから、信州DCの趣旨には反してしまいますよね・・・w
あと、土曜日と日曜日で片道ずつじゃなくて、往復走ってくれていれば復路も「木曽あずさ」に乗って、南木曽でプチ観光を楽しむという手もありましたが、現地に宿泊させたいがために片道ずつなんでしょうねw
ホームは2面3線のいわゆる国鉄型です。
中線は普通列車の待避にも使われることがあるそうですが、早朝に1~2本当駅始発の名古屋行きの快速列車が設定されている他、中津川~南木曽間の区間列車もあるようなので、その折り返しにも有用ですね。
「しなの」の乗車位置案内です。
前述の通り「しなの」は基本的に南木曽には停まりませんが、1日4往復だけは停車することとなっています。
↑と、噂をしていると「しなの」が通過していきました。
駅前には貯木場が広がります。
かつては木材を鉄道輸送していた時代もあったのでしょうか・・・
跨線橋を渡るとこんなものを発見
窓枠を利用したアートになっていたんですね。
これは381系がモチーフかな?
さて、それでは改札を出ようときっぷを用意すると「そのままどうぞ」と観光協会のおばちゃんと思われる人に声をかけられました。
当駅は簡易委託駅だそうですが、集札業務はしていないのか、今日は「木曽あずさ」の乗客が多く下車するために捌ききれないので省略しているのか分かりませんがちょっと拍子抜けw
まあ、「きっぷを下さい」と頼む手間を省けたと思えばかえってよかったですけどw
往時の景観を残すことで有名な妻籠宿への玄関口となる駅だけに、蛍光灯もこんな感じに
JR東日本の名前も入っていることですし、これは「木曽あずさ」のために用意されたんでしょうか。
こんな所でヒアリの文字を見るとは・・・
南木曽では今のところ発見例はないようですが、中央本線で繋がる春日井市で発見例があるために念には念を入れ・・・ということなんでしょうね。
これなんて時代劇のセットにでもありそうですが、江戸時代には存在しないはずの鉄道駅の名前が書かれているギャップが面白いですw
駅前では地元の特産品などを販売するテントが出ていました。
これも「木曽あずさ」を当て込んだんでしょうかねw
当駅周辺は普通の集落の光景となっています。
三留野宿という宿場がかつて当駅の近くにあったようですが、多くの建物を火災で焼失してしまったこともあり、妻籠宿と違って観光客はあまり訪れないようです。
駅前にいたのはおんたけ交通のバスでした。
ただし、この路線自体はおんたけ交通のものではなく、南木曽町新交通システムという町営バスとなっていて、その運行をおんたけ交通に委託している扱いのようです。
当駅からは坂下病院への通院路線のほか、先ほどから何度も名前が出た妻籠宿への路線、更にその先県境をまたいで馬籠宿まで足を伸ばす系統もあり、馬籠宿から更にバスを乗り継げば中津川へ出ることができるそうで、公共交通機関でかつての中山道の道筋を辿ることが出来ます。
少し進むとこんな案内が出てきました。
一番上に書かれているのは中山道という文字ですが、ここから妻籠宿・馬籠宿まで抜けられるハイキングコースが用意されていて、そのルートと重なっているためのようです。
が・・・その先は金属製の柵に囲われた舗装路という趣のかけらもない普通の路地でしたw
ちゃんとSLの経歴を示す掲示がありました。
デゴイチの愛称で知られるD51形ですね。
休憩できる東屋もありましたが、ここで休憩することは憚られる微妙な朽ち具合w
SL公園って通称のようなものかと思ったら、正式名称のようですね。
ついでなので、この公園について補足ですが、ホームの遺構があることから察せるように、この公園がある一帯はかつて中央本線の線路敷だった場所で、かつては三留野駅という駅が存在し、その場所にSL公園が整備されているようです。
後に中央本線のルートが変更され、現在の南木曽駅の位置に駅も移転して、旧線上の旧駅跡に整備されたというわけですね。
さて・・・まだ時間があるなということで、もう少し散策するとしましょう。
「木曽あずさ」の車内放送でも言及されていた「桃介橋」を見ていくことにしましょう。
いかにも観光客を意識しているように思える展望所のような場所がありましたが、普通に軽トラックとか停まってるし、入っていいのか微妙だったのでスルーw
そして、更に進むとありました。これが桃介橋のようです。
桃介橋は1922年に作られた木橋で、名前は橋を作った福澤桃介に因んだものだそうです。
橋の先にある読書(よみかき)発電所への資材運搬のために建設され、往時はトロッコのレールも敷かれていたそうですが、1978年には老朽化で使用されなくなり一度は廃橋になるものの、幸か不幸か南木曽町は橋を完全に撤去するだけの費用を拠出できず放置されていた所にふるさと創生事業による橋の復元が決まり、1993年からは一般に開放され通行することが出来るようになり、現在まで維持されています。
復元ということで強固なコンクリートが用いられている箇所もありますw
まあ、安全性は無視できませんし、仕方ないですね。
現代風にアレンジしたとは言え、それでも強度不足であるらしく色々制限が書かれています。
何だか、十津川村の谷瀬の吊り橋を思い出しましたw
駅へ戻る道すがらに桃介橋の全景を撮れないか挑戦してみましたが、どうやっても建物などが写り込んでうまく行きませんw
なお、「木曽あずさ」からの折り返し組と思われる人たちが大勢乗ってきて車内は大混雑w
ワンマン乗車位置には長蛇の列が出来ており、辛うじて私は座ることが出来ましたが、着席を諦めて立っている人も多く見られました。
あまりの混雑ゆえに通常は一部のドアしか開かないはずのワンマン列車なのに全てのドアを開けていました。
塩尻駅
313系では座れたこともあって居眠りをしているとあっという間に塩尻でした。以前に普通列車でも通ったことがある区間だけに録音も揃っていますし、することがなかったんですねw
塩尻駅では中央東線の列車に乗り換えますが、微妙に待ち時間があるのでここも取材します。
乗り換えなどで何度か訪れてはいたのですが、ちゃんと取材したことってなかったんですよね。
ちょうどJR東海とJR東日本の境界にあたる駅だけに駅名標はこんな感じ
さて、当駅のネタといえばこれですね。
(恐らく)日本一狭い立ち食いそば屋w
あまりの狭さにこんな案内まで出ていますが、実は改札内と改札外両方から利用可能な構造になっており、狭いのは改札内だけなので、改札内のスペースが満員でも改札外に出れば普通に食べることが出来ます。
ちらっと中を覗いてみますが、本当に狭いw
2人が限度じゃないですかね。
コンコースにもワイン樽の蓋でワインの銘柄(ですよね?)を列挙していました。
まずは東口の駅前広場です。レンタカーの営業所が立ち並び、ワインの看板が出ていたりと、よく整備された観光地の駅前ですね。
お土産屋までぶどうとワイン樽がデザインされているという徹底ぶりw
駅前にいたのはアルピコ交通・・・かと思ったらアルピコタクシーだそうで、塩尻市地域振興バスというコミュニティバスだったようです。
調べてみると、塩尻駅に乗り入れる路線バスは高速バスを除いてはこの塩尻市地域振興バスに限られるようですね。
ちなみに、高速バスについては京王バスとおんたけ交通が共同運行する木曽福島線(新宿~木曽福島)が当駅に立ち寄るのみで、新宿~松本などの中央高速バス全般は当駅には立ち寄りません。
なお、この木曽福島線を使って帰路に就く構想もあり、そうすれば18きっぷより1時間ほど早く帰路に就くことが出来ましたが、せっかく18きっぷが余っていましたし、節約することを選びましたw
信濃ワインという看板もありました。
そういえば、長野県民は県全体を指して長野という呼称を使うことを嫌っており、代替的に旧国名である信濃、ないし信州を使う傾向にあると聞いたことがありますが、長野ワインじゃなくて信濃ワインなのもそういう理由なんですかねw
長野といえばワインという認識はありましたが、塩尻がワインの街を謳うほどワイン生産が盛んだとは知りませんでした。
それなら、あれだけのワイン&ぶどうプッシュも納得ですね。
まだ時間があるので反対側の西口に来てみました。
こちらはごく普通の駅舎ですねw
駅前ロータリーの一部ですが、何だか不自然な切れ方をしているのが気になって覗いてみると・・・
駅直下を地下トンネルで貫く道路があったんですね。
この道路は県道292号というらしく、この地下道で東口に抜けることが出来るようです。
「木曽あずさ」の車中で駅弁を食べて以来食事を摂っていなかったので例の激狭そば屋で頂くことに。
注文したのは鴨そばです。
信州そばの本場らしく立ち食いといえども美味しかったです。
それでは、ここからは211系で一気に東へ進んでいきます。
列車は大月行きであり、大月からは中央快速線の快速電車に接続があるので、南木曽から2回の乗り継ぎで東京都内へ入れるという18きっぷにしては楽な行程でしたw
中央東線を東へ
塩尻を出て塩嶺トンネルを駆け抜けると諏訪地域に入り岡谷、上諏訪、下諏訪、茅野と進んでいきます。115系時代には中央東線の普通列車での走破もやったことがあるんですが、211系になってからは細切れで乗ったことがある程度で通しで乗ったことはありませんでした。
115系の爆音モーターに比べると大人しい音のようにも感じられますが、今や211系も活躍の場が限られる希少車種ですし、堪能しつつ旅を続けたいと思います。
小淵沢では小海線と接続しますが、停まっていたのはなんと「HIGH RAIL 1375」でした。。
これは金曜・土日を中心に運転される観光列車で小淵沢~小諸間を走り、車内でオリジナルブランチ、スイーツ、特製弁当など(便によって異なる)が提供されるそうです。あれもいつか乗りに行かねばw
その後は途中、四季島とすれ違う一コマもありつつ、徐々に日が落ちていったため景色はあまり見えずあまり書くことはありませんw
大月に着く頃にはすっかり暗くなっていましたが、ここからは中央快速線のオレンジの電車で一気に東京都内へ向かうことが出来ます。
ここから先は本当に単なる移動で書くこともないので、レポートは以上とします。
最後までお付き合いありがとうございました。(久々に1万字未満で収まったw)