青森・岩手・宮城乗りつぶし旅(2日目)

1泊2日で実施した青森・岩手・宮城の太平洋岸乗りつぶしの2日目です。
なお、1日目をご覧になっていない方はそちらからご覧になることをおすすめします。
あと、注意事項ですが、訪問する地域の性質上、東日本大震災の被災地や被害にあった施設等を写真、また東日本大震災そのものへの言及が多数含まれます。震災のトラウマが蘇るといった方は閲覧をお控え下さい。

行程の説明

2日目となる今日は、昨晩宿を取った一ノ関からスタートして、まずは大船渡線で気仙沼まで行き、そこから気仙沼線BRTで柳津駅まで行き、列車で前谷地に出たら、石巻線で一旦小牛田へ向かい、引き返して女川へと向かったら、仙石東北ラインで仙台へ行って、仙石線を高城町まで戻って再び仙台駅へ折り返したら東北新幹線で帰路に就いてゴールです。
内容を要約すると気仙沼線、石巻線、仙石線、仙石東北ラインの乗りつぶしですね。

朝からどったんばったん大騒ぎ・・・

ホテルのベッドでぐっすり眠りについていた私がふと目を覚ますとすぐに異変に気づきました。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいたんですね。
予定では6時前の列車を利用することになっていましたから、予定通り起きていれば外はまだ薄暗いはずなんですが、おかしいと思って時計を見たら時刻は8時過ぎ・・・w
「ああ、やってしまった」と何故か冷静に状況を理解したら、まず最初にした行動は石巻線の次の列車の時間を調べることでした。今から駅へ走ればギリギリ乗れるような時間帯に列車があれば、急いで支度して出発しなければなりませんが、調べてみると次は9時過ぎなので30分程度は部屋でゆっくりできることが判明し、そこで大急ぎで行程を練り直しました。
幸いにして18きっぷなので行程を変更しても切符を買い直したりする必要はないし、出発が3時間近く遅れたのにも関わらず、仙石線の高城町往復を省略すれば、それ以外は予定通りの乗りつぶしをして予定の新幹線で帰京できることが判明して、不幸中の幸いでした。
原因としては「えんぶり号」ではあまり熟睡とは行かなかった上で、昨晩は夕飯の買い出しなどで結局ホテルに入れたのが22時近くで、そこから充電やら入浴やらで23時過ぎまでかかってしまい、前日も十分に寝ているならばともかく、前日から寝不足で6時間程度しか寝られない行程だったということで無理が出た形ですね。

気を取り直して旅立ち

とりあえず、仙石線完乗を断念する以外は、影響は最小限に抑えられたということで、気を取り直して一ノ関駅へ向かいました。


まずは駅前で撮りバスから始まります。予定通り出ていたら、バスの運行が始まる前だった可能性が高く撮れなかったことを考えれば怪我の功名ですかね。


岩手県交通の特急バスで、一ノ関駅と大船渡を結ぶ路線のようです。
前日分の記事でも触れましたが、大船渡線はくねくねした線形の悪い路線であるために都市間輸送ではバスに押され気味のようです。


こちらは東日本急行というバスでして、仙台を起点に高速バスを展開する一方、一般の路線バスには参入していない高速バス専業のバス会社です。
高速バス専業というと高速ツアーバス事業者からの鞍替えのバス事業者という印象も受けますが、東日本急行の場合はそうではなく、1968年に宮城バス、宮城中央バス、岩手中央バス、花巻バス、岩手県南バス(いずれも社名は当時のもの)の5社が共同出資して設立された会社であり、仙台~盛岡間の急行バスを運行するのが目的で設立されました。
1つの路線のためにわざわざ会社を設立するというのも現代の間隔では大げさに思えますが、現在のように長距離高速バスが当たり前に運行され、共同運行というスタイルが確立する以前は、複数のバス事業者のエリアに跨る路線を運行する場合はその路線の運行を専門とする会社を設立することが多く行われていました。かつては全国的にこのようなバス会社が多く見られましたが、多くは共同運行の方が効率的であることから解散されたりして姿を消し、東日本急行や東北急行バス、九州急行バスなどいくつかの事業者がその位置付けを変えながらも存続しています。


せっかく明るい時間帯に駅前をぶらつけるので駅舎も撮っておきましょう。
残念ながら木が邪魔で駅名が入りませんでしたけどw


それでは、もう少し近づいて駅名部分だけw
それにしても、なんでひらがなw


あと、駅前で見かけたこれ
台風の名前が書いてありますが、洪水時の水位を示しているようですね。
いずれも私の世代からすると歴史の教科書の中の出来事ではありますが、こんな高さまで水が来たとは驚きです。


駅構内に入って発車標を見ると昨日八戸駅で見たのと同じ表示を発見!?


あ、いましたw


四季島専用の停止位置目標まであるんですね。


ただ、停まっている位置が悪くて全体を収めての撮影はできませんでした。
まあ、八戸駅でしっかり撮れているので別にいいですけどw


それでは、キハ110系で気仙沼へ向かうとしましょう。

大船渡線

昨日の記事では軽く流してしまいましたが、ここではちゃんと解説をしたいと思います。
大船渡線は元々一ノ関から気仙沼までの路線として計画され、後に大船渡まで伸ばされることとなり、1934年までに全通に漕ぎ着けました。そして、ドラゴンレール大船渡線という愛称の由来でもあるクネクネした線形が生まれたのもこの時期の出来事が原因だったりします。
現在は陸中門崎~千厩間の大船渡線は摺沢を経由して大きく迂回するようなルートとなっています。陸中門崎~千厩間を直線距離で結ぶと8.3kmほどですが、大船渡線はこの区間を26kmもの距離を要しており、単純計算で18kmもの遠回りをしていることになります。このようになった経緯ですが、当初は陸中門崎~千厩間はほぼ一直線に進む計画になっており、直線距離よりはいくらかキロ数は伸びていたにせよ10km程度で結べていたと思われます。しかし、摺沢地区から選出された議員が当選すると千厩や気仙沼を通らずに摺沢から直接大船渡へ向かう経路に変更され、陸中門崎から一旦北へ向かうルートに変えられました。その後、ルートから外れてしまった千厩地区の住民が陳情を行い、摺沢から再び南下して千厩を通って気仙沼・大船渡へ至るという現在のルートが決定されました。道路事情の悪い時代はこれでも大船渡や気仙沼と東北本線の一ノ関駅を結ぶという役割を担い急行列車が走ることもあったようですが、道路事情が改善されると都市間バスにシェアを奪われてしまいローカル輸送に徹することとなりました。この遠回りな線形やそこに至る経緯を揶揄して「鍋弦線」なんて呼ばれたりもするようで、政治に翻弄されて本来の役割を果たせなくなってしまったという「我田引鉄」の典型例として度々持ち出されることの多い大船渡線ですが、それだけわが町に鉄道が通るかどうかで地域の明暗を分けるという時代だったという逸話ですかね。現代では新幹線や高速道路のルート決定で同じようなことが起きていますが、いつの時代も政治は変わらないということでしょうかw


大船渡線は一ノ関を出てしばらくは川沿いの平地を進んでいきます。


東北の耶馬渓とも称される猊鼻渓の玄関口となる猊鼻渓駅は例の鍋弦線の中にあります。著名観光地をルートに含めることが出来たのは、摺沢を通ることにしたからであり、それはよかったことかもしれませんね。
ただ、猊鼻渓を訪れる観光客がどれくらい大船渡線を利用しているかは疑問ではありますがw


鍋弦線の原因を作ったとも言える摺沢駅w
駅前には摺沢へ大船渡線を誘致した議員の銅像が飾られているという、政治駅あるあるな光景が見られるそうですが、今日は素通りですw


何やら工事中の陸橋が見えました。

車窓的には特筆すべき点もあまりなかったのでこれくらいで気仙沼駅のレポートに入ります。

気仙沼駅

昨日は駅前には出なかったので改めてレポートしたいと思います。


まずは構内です。やっぱりBRT駅の風景は独特ですね。


BRTの信号機です。
感知式とのことなので、バスを検知したら対向のバスに対する信号を赤にして簡易的な閉塞を実現しているのかもしれませんね。


キハ110系も撮っていきましょう。


やって来たBRTは今までと違うものですが、これは観光BRTの「旅」というバスです。


通常のBRTと並びました。


駅名標


なんとなく駅名標とも絡めてみるw


気仙沼線BRTの乗り場案内


昨日も思いましたが、やっぱりピカチュウだらけw


BRTに乗る人は改札の出入り自由であり、改札で切符を出さなければいけないのは大船渡線(一ノ関方面)に乗ってきた人だけのようです。


発車標ですが、BRTという種別みたいになっていますねw


駅前にも駅名標のようなものがありましたが、以前は当駅周辺のBRT道が整備されておらず、駅前に乗り入れていたそうなので、その関係ですかね。


保守車両の出入りにでも使うのか駅前からBRT道に入れる道が用意されていましたが、当然一般車は進入禁止です。


こちらが駅舎です。


それにしても、この駅名の書体ですが、よく見ると錨や魚、カモメなどがデザインされていて芸が細かいですね。


駅前広場には灯台のモニュメントも鎮座


魚のモニュメントまでありました。
気仙沼といえば漁業が盛んな街として有名ですしね。


それでは、観光BRT「旅」で気仙沼線の旅を始めましょう。


こちらも所有はJR東日本となっていますが、運行業務は宮城交通に委託されています。


鉄道では珍しくないボックスシートも路線バスとしては異例ですよね。


天窓までついていました。


降車ボタンもオシャレでした。

気仙沼線

ここから乗車する気仙沼線ですが、気仙沼駅と前谷地駅を結ぶ72.8kmの路線です。しかし、現在は東日本大震災の影響から柳津~前谷地間を除いてはBRTによる仮復旧となっており、列車で気仙沼~前谷地を通り抜けることは出来ません。
ただ、面白いのが柳津~前谷地間は列車での運行も再開しているにも関わらずBRTとしての運行も並行して行われていて、この区間の途中駅には立ち寄らず前谷地駅へ直行する運行形態となっていますが、列車とBRTが共存する珍しい区間といえますね。
思うに列車の運行区間が短いので乗り換え回数が多くなることでの利用者への負担を軽減する目的での前谷地駅への乗り入れなのかなとも思います。

震災以前は快速「南三陸」という列車が仙台~気仙沼間で運行されていて、同区間を2時間少々で結んでいましたが、気仙沼線の運転見合わせ以降は運転されておらず、同区間を直行で移動できる手段は高速バスに限られています。元々高速バスにシェアを奪われていた中での鉄道の長期運休で仮に鉄道での復旧が実現してもバスからシェアを取り戻せるか心配ですね。


気仙沼を出てしばらくすると防潮堤工事(恐らく)の現場が見えました。


ここはBRT専用道の延伸工事中ですかね?


このバス停にしか見えないものが駅なんですが、大谷海岸駅は震災以前から鉄道駅として存在しており、震災後のBRT仮復旧以降は国道上の停留所という形で移設されました。


復興道路として「三陸沿岸道路」が整備中ですが、これは仙台から八戸までの太平洋岸を結ぶ高速道路であり、震災以降は復興事業の1つという位置付けで整備が急ピッチで進んでいるようです。


気仙沼線は全体的に海沿いに走りますから海の景色が多く見られます。


こちらは小金沢駅です。ここも大谷海岸駅同様に元々鉄道駅として存在していましたが、宮城交通の停留所と同じ位置に移設されています。
ちなみに、宮城交通の停留所は赤牛海岸という名前でして、同一地点にありながら名称が異なっています。
BRTとしては従来の駅名を引き継いだほうが分かりやすいですし、かといってあくまで仮復旧ですから正式に鉄道での復旧が決まればこの地点にあるBRT駅は撤去されるでしょうから、そのために宮城交通側が名称変更するのも難しいのでしょうね。


専用道区間を除く走行経路の大半は国道45号です。


本吉駅です。鉄道時代から気仙沼から当駅までの区間列車が設定されており、BRT化以後も区間便が設定されるなど、気仙沼線の中でも重要な駅の1つのようですが、ホームはそのまま残されていて、6年前のあの日から時が止まっているようです・・・


流出した橋梁もほぼそのまま放置されている箇所もあるようで、これは完全復旧までの道程は遠いと感じさせます。


一方で、例の三陸沿岸道路のものなのか立派な道路橋が整備されている箇所も見られました。


再び海を見つつ行きます。


こちらはベイサイドアリーナ駅です。南三陸町の総合体育館「ベイサイドアリーナ」に因んだ駅名であり、BRT化後に既存の駅から遠いものの役場や図書館、病院などが集まるこの地区への利便性向上のために設置された駅です。
大船渡線で言うまちなか陸前高田駅のような感じですね。


バスは柳津駅に到着しました。ここからは列車も出ていて乗り換えることも出来ますが、ここで私はある決断を迫られました。
それは、ここでバスを降りてしまうかどうかです。実は乗っていたバスは前述の前谷地まで直通の便であり、このままバスに乗って前谷地まで行くことも出来ました。しかし、その先の接続が悪く結局ここで降りて列車で前谷地へ向かってもその後の行程は同じになることが分かっており、僅かな区間とは言え乗り鉄を優先してここで降りてしまうか、乗り換えの手間を省くのと、BRTの前谷地直通はあくまでの仮復旧中の過渡期の運行だと考えるならば、今日乗らない場合、次に乗る機会がいつになるかもわからず、そうなると今日中にBRTの柳津~前谷地間に乗っておいたほうがいいのではないかという判断もありました。

そうして、出した結論は前谷地までBRTで行くというものになりました。普段はバスと鉄道ならば趣味的には鉄道を優先している私ですが、既に復旧している区間はこのまま廃止になる可能性は低いという判断もあってこのようにしました。
ちなみに、大半の乗客は列車に乗り換えているようで柳津駅で降りていきましたけどねw


そのまま乗り越すことにしたバスは大きな川を渡っていきました。


旧北上川だそうです。このあたりで北上川と旧北上川が分岐するようです。
それにしても、この看板は薄汚れて見づらいですw

そんなわけで、気仙沼線の前谷地~柳津間の乗りつぶしは次回に持ち越しとなったものの前谷地駅に到着となりました。
まあ、列車を選んでいた場合は前谷地からそのまま小牛田へ直通する列車だったので前谷地駅の取材はできないことになっていて、そういう意味ではよかったのかもしれません。

それにしても、結局前谷地駅から先の乗り継ぎがないのであれば、前谷地駅直通の恩恵をうけるのは前谷地駅周辺が最終目的地の人に限られますし、女川方面も調べてみるも、柳津駅からの列車とちょうど接続するダイヤなので、柳津で列車に乗り換えても女川方面でも時間的メリットはなく、乗り換えが1回減るというだけのようでした。
どうせやるなら、女川方面からの小牛田行きに接続させて列車よりも早く小牛田方面へ向かえるとかいう設定にすればいいのにと思いますし、謎な設定ですよねw

前谷地駅

予定を変更してBRTでやってきた前谷地駅ですが、柳津駅で接続していた小牛田行きを当駅で待つ形になり、待ち時間を使って駅取材を敢行です。


乗ってきたBRT


普通のBRTも待機していました。


駅周辺の案内図かと思ったら駅前住宅の宣伝でしたw
ローカル線の利用者を増やすには沿線の住民を増やすことが一番手っ取り早いですから、こういう看板は明るい話題になりますね。


駅前にはBRTが発着・待機するためのスペースが用意されていました。


一般車が間違って入らないようにということなのか、ゲートが付いていました。
こうしておかないと、駐車場だと思って駐めていってしまう人もいたりするんですかねw


駅前通りはちょっと昭和の風情が残っていました。


そして、こちらが駅舎です。


ホームです。島式と単式の複合型2面3線となっています。


駅名標


ちょっと色褪せていますが、周辺案内でした。


停止位置目標ですが、貨物の”貨”の字から分かるように、これは貨物列車の停止位置目標です。
石巻線はローカル線にしては珍しく現在でも貨物列車が走っていて、石巻港駅近辺にある日本製紙石巻工場から出荷される紙を運んでいるそうです。

と言ったところで小牛田駅へ向かいます。
普通にキハ110系だったので写真も無しでレポートは小牛田駅へと飛びます。

小牛田駅

石巻線の起点にして東北本線との接続駅の小牛田駅です。前回はすぐに乗り換えてしまって駅をあまり見れていないので、ここはじっくり見ていきます。


乗ってきたキハ110系の隣には貨物列車が停車中でした。
例の日本製紙向けの列車ですかね。


これは作業員向けの注意ですかね。


駅名標


東北本線のE721系


写真付きの駅名標もありました。


キハ110系がいなくなって貨物列車だけになったので改めて撮影


↑ここで貨物列車が発車していきました。
DE10が牽引する貨物列車なんてレアですしね。


↑入換作業もついでに撮影

このくらいでホームを離れることにします。


跨線橋を通って改札口へと向かいます。


こちらが改札口です。仙台都市圏の北限にあたる駅ということで自動改札機が並ぶ光景が見られます。


地方駅だと生花の展示ってあるあるですよね。
私にはさっぱり分からない世界ですが、有名な人の作品だったりするんでしょうか?


入口部分が二重扉になっているのは寒冷地ならではですね。


駅前のモニュメント


この門のようなものは何なんでしょうかw


少し離れて駅舎を撮ったら引き返します。


これを見て気付いたんですが、小牛田の牛って、じゃなくてだったんですね。
牛の字を「ご」と読むのはかなり特殊ですよね。


小牛田駅があるのは小牛田町・・・ではなくてこの看板は古くて、現在は合併に伴い美里町となっているため、小牛田町は現在存在しない自治体名です。


もう少し時間があるので自由通路を抜けて反対側に来ました。
こちらは通路への入口があるだけで駅舎はないようです。


駅前ロータリー


駅前からは美里町住民バスが出ているようです。
それでは、これくらいで、石巻線を折り返して石巻へ向かいます。

石巻線

石巻へ向かう道中で石巻線の解説を入れたいと思います。
石巻線は小牛田駅と女川駅を結ぶ44.7kmの路線です。小牛田~石巻間に軌間762mmの仙北軽便鉄道として開業したのが発祥であり、国有化の上国鉄仙北軽便線となり、1067mmへの改軌され、石巻軽便線への改称を経て、1922年に石巻線と改められました。1939年には女川まで延伸開業して全線開業を果たしました。
現在の運行形態としては、小牛田~女川間や小牛田~石巻間といった運行形態がメインで、これに前谷地始発・終着の区間便や前谷地から気仙沼線に直通する列車などが設定されています。石巻と仙台を結ぶ都市間輸送では仙石線(仙石東北ライン)がメインルートとなっていることもあって、本数も多く快速もある仙石線に比べると地味な運行形態と言えますが、東日本大震災で仙石線が長期運休した際には、仙台~石巻間を小牛田駅経由で結ぶ臨時快速が走るなど、仙石線の代替路線として機能しました。仙石線が復旧した現在は再び地域輸送に徹していますが、仙石東北ラインの列車を石巻線に直通させて女川駅まで延伸すると言った構想もあり、現在は早朝の仙台行き始発便と女川行き最終便に限られているものが、運行本数が拡大される可能性もあり、そうなると石巻線は仙台と女川を結ぶ役割も担うことになりますね。

また、石巻線自体も東日本大震災で大きな被害を受けて、特に被害の大きかった女川~浦宿間は2年ほどの長期運休を余儀なくされましたが、現在は全線で復旧されています。

と言ったところで解説は終わりですが、道中は特に書くこともなく、列車は石巻行きだったため、一旦石巻で途中下車して駅取材をします。
もちろん、終点の女川まで行って全線制覇をするつもりですが、接続が悪いため、石巻駅で微妙に待ち時間が発生するんですよねw

石巻駅

乗り換え待ちを利用して石巻駅をレポートしていきます。


キハ110系ですが、女川までは行ってくれないのでここで途中下車になりますw
まあ、石巻駅も初訪問ですからいいですけどね。


というわけで、まずは駅名標


石巻は漫画家の石ノ森章太郎氏の出身地であり、石巻駅には石ノ森章太郎氏の作品のキャラクターがたくさん出迎えてくれます。


こちらは仙石線乗り場です。女川から戻ってきて仙台への移動は仙石線を使いますが、今は見るだけですw


首都圏ではかなり活躍の場が減ってしまった205系ですが、仙石線ではバリバリの現役です。
東北地方の電化路線のほとんどは交流電化となっていますが、仙石線は例外的に直流電化となっており、他路線と車両の融通が出来ないため、首都圏で引退した車両を転属させて使用しているため、205系が抜擢されているわけですね。
これがまた時代が進めば、209系E231系がここを走る日も来るんですかねぇ・・・


こちらは仙石東北ライン専用の車両として投入された、HB-E210系です。型式名のHBはハイブリッドを意味しており、ハイブリッド気動車になっていますが、詳細は仙台への移動で乗車する時に解説したいと思います。


車内にもちょっとだけ入ってみましたが、E233系なんかとあまり変わらないですね。


駅名標でも漫画の街であることをPRしていました。


何気なく車止めを見ると何やら赤い線が引かれていましたが、東日本大震災での津波が押し寄せた高さを示しているようです。ほぼホームと同じ高さの津波がこんな普通の市街地を襲ったんですね・・・


階段にもちゃっかりキャラクターがw


石巻駅を訪れた多くの観光客が撮影するであろうこのモニュメントですが、私は世代ではないこともあって、いまいちピンときませんw
でも、ファンの方には堪らないんでしょうね。
ちなみに、市内には石ノ森萬画館という施設もあるそうですから、興味のある方は行ってみては如何でしょう?


改札口です。


駅前にも抜かりなくキャラクターw


・・・とその脇には津波浸水の記録


駅舎です。


よく見るとここにもキャラクターがいたんですね。


こちらはびゅうプラザだったんですね。


ポストにまでキャラクターと駅全体が漫画の世界になっていますね。


これも震災に関連した碑でした。


駅前で見かけた宮城交通のバス


駅舎を引きで撮影


歩道は自転車レーンも整備されたものでした。
ここだけ見れば普通の市街地の光景であり、6年前に津波に襲われたとは思えず、人々の復興へ向けた力強さを感じさせました。


駅前で見かけた大きな建物ですが、これは石巻市役所でした。
役場というより商業施設っぽい外観だなと思って調べたら元々はデパートだったものを廃業に伴い市が譲り受けて市役所として活用しているんだそうです。


市役所前の安全は仮面ライダーが見守りますw


このモニュメントも漫画関連でした。本当に漫画推しですねw


それでは、ホームに戻って女川行きの列車で石巻線完乗を果たします。

女川駅

石巻線の終点女川駅ですが、ここは滞在時間が短く足早にレポートしていきますw


車窓に海が広がるとすぐに女川駅に到着します。
石巻線で最後まで普通だったのが末端の1区間である浦宿~女川間だったわけですが、これだけ海が近ければ津波被害も大きくなるのは想像に難くないですね・・・


それでは、駅名標です。終着駅ですから当然片側のみ隣接駅の名前がかかれています。


縦型


ホームは1面1線のみとなっており、同時に1つの列車しか入線できない構造です。


こんな横断幕が掲げられていました。


終端部は駅舎に突っ込むような感じになっていましたw


入口となっていますが、改札口は設けられておらず、ホームへは出入り自由になっているようです。


こちらが駅舎です。白い三角屋根はウミネコが羽ばたく様子をイメージしたデザインになっているんだそうです。
やたらと新しい駅舎という時点で察しがつくかもしれませんが、女川駅は東日本大震災での津波により文字通り跡形もなく流出し、女川町の復興計画に合わせて従来より内陸よりの嵩上げされた土地に移転し、駅舎も新築されたものです。


あと、駅舎には「女川温泉ゆぽっぽ」という温浴施設が併設されていて、日帰り入浴を楽しむことも出来ます。
震災以前から女川駅に隣接して営業していたようですが、震災後の駅舎の再建に合わせて一体的に整備されたようですね。


駅周辺には再建された新たな市街地が形成されつつありました。
女川駅の営業再開を復興のシンボルとして「まちびらき」ということなんだとか。
どうしても被災地を巡ると暗い気分になってしまいますが、復興に向けて動き始めている姿を見ると勇気づけられますし、応援したくなりますね。


駅前にはロータリーも整備されていて、路線バスとの交通結節点としても機能しています。


女川町民バスのようですが、どこかで見たことのあるロゴがついていると思ったら24時間テレビの寄付金で導入されたバスなんですかね。

と言ったところでそろそろ時間切れ・・・w
再び石巻線を引き返して石巻へ戻りますが、今度は乗り換え時間が数分なのでこのまま仙石東北ラインのレポートに進みますね。

仙石東北ライン

ここから乗車する仙石東北ラインについて解説していきます。
仙石東北ラインは仙石線の石巻~高城町間、仙石線-東北本線連絡線、東北本線の松島~仙台間を直通運転する列車の通称であり、首都圏で言うところの湘南新宿ラインや上野東京ラインみたいなものだと言えます。

仙石線自体も仙台駅へ乗り入れているのに、わざわざ東北本線に乗り入れる理由ですが、仙石線は宮城電気鉄道という私鉄によって開業した路線を起源としており、私鉄線らしく国鉄線よりこまめに駅を設置しており、列車の速度は低いものになっていました。国有化された後は快速や特別快速を運転して仙台~石巻間の都市間輸送を担っていたものの、運行頻度の高い仙台駅近郊では列車間隔が詰まり気味で快速列車といえども速度を出せなかったことや、追い越し設備もほとんどなく快速列車の本数も限られていたという問題がありました。そして、東北本線は松島海岸や高城町などの付近では仙石線と並走と言ってもいいほど隣接して走っており、両線を連絡する線路を整備して、快速列車を駅数も少なく速度が出せる東北本線に乗り入れさせることでこれらの問題を解消しようという構想が古くからありました。

しかし、問題点として前述の通り東北本線は交流電化、仙石線は直流電化となっていて、電化方式が異なるために連絡線には交直デッドセクションを設けなければならず、直通運転に使用する車両も高価な交直流電車とならざるをえないことから採算面の問題からなかなか実現には至りませんでした。それが、東日本大震災による仙石線の長期運休により、仙台~石巻間の都市間輸送は高速バスにシェアを奪われる状態となり、全線復旧に合わせて構想されていた連絡線を建設してスピードアップを図り、仙台~石巻間の都市間輸送における鉄道の復活を強くアピールする狙いもあり、実現にこぎ着けたようです。電化方式の違いという問題は、技術の発達で実用化されたハイブリッド気動車を導入することで解決され、震災以前の仙石線の快速が最速で63分程度を要していた仙台~石巻間を仙石東北ラインは快速列車で58分、特別快速では52分に短縮することが出来ました。

また、石巻線の石巻~女川間についても、従来から直流電化の上で仙石線の列車を直通させるという構想がありましたが、仙石東北ラインではハイブリッド気動車が導入されたことで電化工事をすることなく女川への直通が可能となり、早朝の上りと深夜の下りの1往復のみですが女川への乗り入れも開始され、利用状況によっては増便も検討されているようで、さらなる発展が期待される運行系統ですね。

一方で、震災以前まで運転されていた仙石線の快速列車は仙石東北ラインに置き換えられる形で廃止され、仙石線の高城町~あおば通間は全列車が各駅停車となりました。乗り鉄としては205系による快速列車にも乗っておきたかったですねぇ・・・

余談ですが、この連絡線開業により、石巻~仙台間の営業キロが短縮されることとなり、運賃が安くなる区間が発生したという副次的な効果もあったようです。まあ、18きっぷの私には関係ありませんがw

そして、現在の運行形態ですが、早朝、深夜の女川直通を除いては全便が仙台~石巻間の運行で、快速、ないし特別快速として運行されており、仙石東北ラインとしての各駅停車は存在しません。
最速達種別となる特別快速は仙台を出ると塩釜、高城町、矢本、石巻にしか停まらない俊足ぶりであり、これに次ぐ快速は高城町までは同じで、その先は野蒜、陸前小野、矢本、陸前赤井、蛇田、陸前山下、石巻と停車しており、仙石線内での停車駅が増やされています。また、東北本線内は各駅停車になる快速も設定されています。


解説もこれくらいでそろそろ乗車レポートに入りますw
ハイブリッド気動車自体はキハE200系や「リゾートしらかみ」で体験済みですが、やはりモーターだけで静かに発進して途中からエンジンが唸り始めるという独特の走行音は近未来を感じさせますね。


仙石線も海沿いを走る区間が多く、車窓から海が見えます。


連絡線上から見た仙石線の線路です。現在は保安装置の関係上、連絡線への進入は徐行や一時停止を伴い、これが速度向上のネックになっていますが、来年度までに改良工事が行われて改善されることになっているそうです。
ちなみに、この連絡線にも営業キロが設定されていて、0.3kmの全長となっています。扱い上は東北本線の支線のような扱いになっているようですが、逆に言えば、この連絡線も乗らないと東北本線の完乗にはならないという事でもありますね。
もしもこの連絡線が独立線区を名乗っていたら最も全長が短いJR線の記録を更新していましたねw(ちなみに、現在の最短記録は宮崎空港線です)

東北本線に入るとスピードも上がり、気がつけばもう仙台でした。
意外と混んでいて座れなかったんですが、お陰で景色はじっくり見られてかえってよかったかもしれません。

仙台駅から帰路に就く

当初計画ではここから仙石線高城町まで1往復をやって仙石線も制覇する予定でしたが、一ノ関での寝坊の影響でそれはお預けとなり、仙台駅からそのまま新幹線で帰路に就きます。ただ、仙石線を端折るとかえって時間が余ってしまったので、駅で撮影する時間を得ました。


こうして電車と並ぶと、HB-E210系も電車のように見えてきますねw


首都圏の列車の方向幕だと言われても違和感がなさそうw


701系


駅名標


本当は牛タンを食べるつもりでしたが、思ったより撮影に時間を費やしてしまったため立ち食いそばに変更w
昨日の朝も八戸駅での立ち食いそばでしたし、今回は立ち食いそばのお世話になる機会が多かったですね。まあ、それこそ鉄道趣味の原点に立ち返るようです悪くないですけど。


駅前にも出てみました。こうしてみると大宮駅っぽいなと思いましたが、同時期に新幹線が乗り入れ始めたと考えると同時期にリニューアル、ないし建て替えられた可能性が高く、似ているのも当然といえば当然なのかもしれません。


全景を見た時はペデストリアンデッキの存在が大宮駅っぽさを醸し出していましたが、ここだけアップにすると駅名の部分のデザインや3階の窓から新幹線乗り場が見えるあたりも大宮駅っぽいですね。


なんかよく分からないモニュメントw


駅前は仙台市営バスだらけですw
仙台市は東北地方唯一の政令指定市であり、かつ、東北地方唯一地下鉄が走る街でもありますが、コミュニティバスや廃止代替バスではない、純粋な市営バスが維持されているというのも大都市の象徴ですかね。


それでは、新幹線乗り場に入ってホームも取材していきます。
デザインに在来線との差異は特になさそうですが、一応新幹線の駅名標も撮っておきますw


縦型


注意看板ですが、どうみてもモチーフは200系


だから車両が古いってw
まさか開業時からずっと同じものを使っているんでしょうか。


私の乗る列車を待つ間に撮り鉄しながら待ちます。
E5系もすっかり東北新幹線の主力車種になりましたね。


北日本遠征の帰路でお世話になったE6系も繋がっていました。


そして、やって来た私の列車
そう、実はあえて「はやぶさ」じゃなくて「やまびこ」を選びました。理由としては全車指定席の「はやぶさ」より、自由席のある「やまびこ」のほうが交通費を削減できるというドケチ精神もありましたが、時刻表を眺めていてこの列車にはグランクラスの表記がないことに気づき、これはE2系運用だろうと踏んで選んだわけです。
しかも、列車名を「やまびこ192号」というこの列車は「やまびこ」の割には停車駅が絞られている列車であり、福島、大宮、上野、東京にしか停車せず、「はやぶさ」と比べても福島に停まるかどうかだけの違いという乗り得列車だったわけです。(「はやぶさ」は320km/h、「やまびこ」は275km/hですから、所要時間ではそれなりの格差があるでしょうけどw)
通常はこれに郡山と宇都宮も追加されるわけですが、運行時間帯といい、繁忙期のみの臨時列車という点を考えても、仙台から東京へ移動したい人で、「はやぶさ」が満席だった場合の救済列車という意味合いもあるんでしょうね。

東北新幹線には何度も乗ってきたものの、ほとんどがE5系によるもので、E2系で東北新幹線に乗車したことは実は1回もなく、将来的にE5系・H5系への統一でE2系が東北新幹線から徹底する計画となっていることを考えればこの機会に乗っておかない手はありませんでした。

乗車してみると意外と空席が多く録音環境もよく、座席を広々使って快適に過ごすことが出来ました。
ただ、1つだけ残念だったのが、E5系では窓際には必ずついているコンセントがなく、スマホ使い放題というわけには行かなかったことですが、それは1世代前の車両のご愛嬌ということでw

福島では「つばさ」を連結する都合上8分停車という新幹線としては長時間停車を強いられますが、自由席特急券で乗れる列車であることを考えれば許容範囲内でしょう。(東海道新幹線なら「のぞみ」にも自由席がありますけどねw

白河の関もあっけなく通過して、関東地方に入ると大宮駅となり、見慣れた景色を見ながら上野、東京と進んでいきました。


東京駅では東海道新幹線と並べてみるw


かつては北陸新幹線(長野新幹線)といえばE2系でしたが、今やE7系にすっかり乗っ取られてしまいましたねw


5位の内容に反応せざるを得ないw
最後にネタを貼ったところでレポートは以上となります。

総括としてですが、乗り鉄旅行だった割には被災地の姿を目にすることも多く、災害の恐ろしさと共に復興への力強い歩みも目の当たりにすることとなり、いろいろな意味で考えさせられる旅だったように思います。テレビやネットのニュースはほんの一部を切り取ったものであり、やはり自分の足で見に行くことが現状の理解に繋がるんですね。
最後になりますが、被災地の早期の復興をお祈り申し上げます。

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つばめ501号(管理人) について

関東を拠点に鉄道旅行を楽しんでいます。また、写真撮影や走行音の録音もしています。 サイトの方ではそれら写真や録音も公開していますのでぜひご覧ください。
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