小松の「ボンネット特急」と「巨大ダンプ」

今回は北陸地方の旅だったのですが、前回のレポート「金沢界隈で乗り鉄&乗りバス旅」の中で触れたように観光がメインの旅だったこともあって旅全体をレポートするのは本ブログのスタンスにそぐわないということで、鉄的なネタと言える部分だけレポートする形にしました。
その中身はというと、タイトルにもある通り、小松市にある「ボンネット特急」と「巨大ダンプ」です。
あまりにそのまんま過ぎて解説の余地もなさそうなのでそのまま本編に入っていきます。

朝の富山で軽く撮影

昨晩は富山に宿泊したわけですが、それは富山が集合場所だったからです。
今回の旅行はそもそも知人との合同旅行がメインであり、昨日の活動は一人だけ前日入りして乗り鉄&乗りバスを楽しもうというわけでした。
そして、観光旅行ということで朝はゆっくりした時間に集合だったのですが、すっかり乗り鉄モードになっていた私は、なんだか朝早く起きてしまい、せっかくなので集合前に軽く撮影に出ることにしました。


そのお目当てはというと・・・こちらです!
10030形という車両です。
関西の方、特に京阪ファンなら顔を見てすぐに分かったと思いますが、元々は京阪3000系だった車両であり、京阪では既に引退していますが、富山地方鉄道では譲渡された車両が第二の人生を送っているのです。


立山行きの特急として運行されていました。
それにしても、特急の幕の色が緑って何だか珍しい気がします。特急なら何となく赤って感じ・・・


何より最大の目玉はこのダブルデッカー車です。
元々京阪でも存在した車両ですが、富山地方鉄道に譲渡されたときには平屋建ての車両のみが譲渡されており、ダブルデッカー車はいませんでした。
京阪3000系が富山地方鉄道へやってきたのは1990年のことでしたが、それから23年もの年月が経った2013年になって中間車としてダブルデッカー車がやってきたのです。
これは2015年の北陸新幹線金沢延伸に合わせて富山地方鉄道では新たな観光列車として2階建て車両の導入を検討しており、それに合わせて決定されたようです。


こちらは平屋建ての方ですが、「テレビカー」の文字が入っています。
名前の通り、車内でテレビが見られることを売りにした車両であり、京阪では長らく特急の車内でテレビを放映することを売りにしていました。
古くは1954年から実施されていて、もちろん当時は白黒テレビでしたが、これが「テレビカー」の始まりです。
そして、この3000系(富山地方鉄道では10030形)からはカラーテレビとなりました。
2011年にはテレビ放送がデジタル放送へと切り替わり、アナログ放送が終了(いわゆる地デジ化)したわけですが、この時はちゃんとその数年前より地デジのテレビに更新されて継続されました。これでテレビカーも安泰・・・と思ったのも束の間で、その翌年の2012年には「テレビカー」そのものを終了することが決定しました。8000系の「テレビカー」は同年中にテレビの撤去を終えて終了となりましたが、3000系(末期は8000系30番台に編入)だけは撤去を免れて最後まで「テレビカー」として走り続けて引退を迎えたわけですが、富山地方鉄道に移籍した今でもテレビの放映が続いており、「テレビカー」の歴史は富山に受け継がれていることになりますね。

本家本元の京阪では終了してしまった「テレビカー」ですが、昔なら乗車中の暇つぶしと言えば、同行者と雑談するか(音鉄的には歓迎できませんがw)、本でも読むかぐらいしかなかったのが、テレビを見られるとなれば喜ばれたんでしょうが、今はスマホで暇つぶしには事欠かないですし、ゲームも出来る、ネットも出来る、動画も見られるし、機種によってはテレビだって映りますから車内で放映する意義は薄れているのかもしれませんね。


反対側からももちろん撮ります。


京阪特急の象徴の鳩のマークも健在です。


アルペン特急に充当されるためか、こんなヘッドマークが着いていました。

 


逆からも撮ったらそろそろ発車のようです。


↑発車はもちろん動画で撮ります。

とりあえず「ダブルデッカーエキスプレス」も撮れたし、撤収するかと思っていると・・・


これは・・・
10020形という電車なんですが、撮影時は何気なく撮ったものの、実はこの活動の翌月には引退を控えており、この形式としては最後の1本だったようでレア車だったみたいです。


どう見ても妻面なのに、貫通扉が無いなんて面白い構造ですね。
どうやら増結用に作られた車両らしいですが、それにしたって貫通扉くらいあってもいいのでは?w


元々編成を組んでいた車両が引退し、その後代替として新造されたというこちらは顔が違っていました。
一応は同じ形式らしいですが、前後で顔が違うというのも面白いですね。

実は撮影時はそんなにレアな車両だとは思っていなかったので動画も撮らずに見送ってしまったのですが、こんなことなら動画を撮ればよかったと後悔・・・


最後にホーム上に展示(?)されているヘッドマークの数々をご紹介して電鉄富山駅を後にします。

このあとは知人と合流して観光旅行となりますが、何箇所か観光をした後、予定が思ったよりも早く進み、時間が余りそうということで、我々一行は小松市へ向かうこととなりました。

小松でボンネット特急と邂逅

というわけで、ようやくのタイトル回収ですw

まず、最初に概要だけ説明しておくと、正確にこのスポットの名前を書くと「土居原ボンネット広場」という公園のような場所になっていて、489系(クハ489-501)がまるまる保存・展示されています。
この手の施設だと自治体などが運営していそうですが、ここに関しては「ボンネット特急電車保存会」(公式サイト)という団体によって維持・管理されており、運営資金は有志による募金に頼っているみたいです。車両そのものは小松市の所有ということにはなっているようですが、有志による資金や活動で古い車両が保存されているという点は注目に値しますよね。


というわけで、レポートに戻ります。
この「土居原ボンネット広場」は小松駅からも徒歩圏内であり、乗り鉄旅行の途中で立ち寄るのもいいですし、小松空港を利用する場合は、小松駅までJRでやってきて、連絡バスに乗り換えるついでにここを見学していくのもいいでしょう。


なぜか輪軸がありますが、これは看板代わり?


それにしても、あまりにも綺麗すぎるので、実際に使われたものではなくて、モニュメントとして作られたんでしょうかね。


それでは、そろそろ主役のボンネット特急にフォーカスしていきましょう。


トレインマークは「雷鳥」です。
小松駅近くに展示するならばこれほどぴったりな列車名はないでしょう。


別アングルから

ちなみに、これも広い意味での485系の仲間なんですが、485系というとボンネットのない183系と似た顔が主流であり、現に私が実際に見たことがある485系は全てボンネットのないタイプでした。
調べると485系のうち初期に製造されたグループがボンネットを持つデザインで作られ、151系や181系のデザインを踏襲していたようです。
1972年以降に作られたグループは私もよく知るボンネットのない姿だったため、JRになっても生き残った車両はボンネットのないものばかりだったのも頷けますね。
確か、急行「能登」に使われていた489系がボンネットだったと記憶しますが、乗車どころか実物を見ることもなく終わってしまいました・・・


国鉄を意味する”JNR”のロゴが輝きます。


横から見たところ
今の鉄道車両ではなかなかないデザインですよね。


気になったのが排障器が二重になっていたことです。
高速運転を考慮してなのか、それとも雪対策なのか分かりませんが、普通に運用されているときではじっくり見ることの出来ない場所ですし、こういう保存施設ならではの発見です。


窓には北陸新幹線E7系のプラレールがw
スタッフさんの遊び心かな?w


もはや当然のように撮影した車番ですが、その脇に赤い点が着いているのにお気づきでしょうか?
これだけで意味が分かる方は結構マニア度の高い方だと思いますが、この正体はというと、「横軽対策」がされている車両という意味です。
横軽というのは信越本線の横川~軽井沢間にあった碓氷峠区間を指す通称であり、この区間には66.7パーミルの急勾配があり、この急勾配はEF63という電気機関車を連結して通過することとなりましたが、急勾配走行中に何らかのトラブルで非常ブレーキをかけた場合、連結器には勾配の影響で大きな負荷がかかり、連結器が破損したり、最悪列車が脱線する可能性があったため、そうならないような対策が必要であり、それをしていない車両が誤って横軽を通過することがないように区別のために対策済みの車両には車番の脇に点を付けて区別していたのです。


普通は「指定席」とか「自由席」とか入っている部分にはこんなプレートが差してありました。
どうやら休日限定で車内開放がされているようですが、運転台見学は有料ですよっていう案内でした。
300円ならそんなに高くないですし、貴重な活動資金になるんでしょうし、実施されていれば払ってでも運転台を見たかったですが、この日は実施されていないようでした。


幕は回送でした。
う~ん、ちょっと残念w


車内開放がされる時はこの階段を登って入るんでしょうね。


485系と583系を思わせるデザインのこのパネルですが・・・


お知らせが貼ってありました。
うっすら方向幕が透けて見えているので、車内開放がされる時には幕を回すサービスなんかもあるのかもしれません。


そうそう、583系の方向幕って横長じゃなくて正方形に近い形なんですよねぇ~
ただ、こっちもお知らせでしたがw


一般人は先頭の”顔”ばっかり見ていましたが、こういう妻面を見られるのって、展示車両ならではですからねぇ。


“大ムコ”とありますが、大阪鉄道管理局の”大”と、向日町の電報略号”ムコ”で、現在の京都総合運転所のことのようです。


銘板も撮ります。
堂々と掲げる「日本国有鉄道」がいいですね。
しかし、気になるのはこのクハ489-501は平成24年まで活躍していたものらしいですが、当然ながらJRへ継承後も使われていたことになり、引退時はJRの銘板に変わっていたはず・・・どこかから国鉄の銘板を入手して付け替えたんですかね。
だとすれば、こだわりが半端ないです!


同行した知人からは、そんなところ撮ってどうするんだと呆れられつつも撮影続行w


と、そこへ神がかり的なタイミングで681系が通過していきました。
図らずも新旧北陸特急の並びが実現しましたね。


貫通側も押さえました。


そういえば、こちら側の方向幕は「はくたか」でした。
681系や683系がメインだった「はくたか」も稀に運用の都合で485系が入る時があったそうですし、この車両ももしかしたら「はくたか」として走ったことがあるのかもしれません。


何故かこんなところに連結器カバーがw
撮影会などで取り付けることもあるんですかね。
それにしても、もうちょっと保管場所考えてもいいんじゃないかとw


最後に正面からも撮ったら撤収します。

この次は「巨大ダンプ」に会いに行きます。

小松製作所の「巨大ダンプ」

続いては「巨大ダンプ」です。もはや鉄道関係ありませんし、バスでもありませんがお付き合い下さいw
こちらも軽く解説してから進むと、正確には「こまつの杜」というあの有名な建機メーカーの小松製作所が運営する施設にて展示されているダンプカーのことであり、誇張でもなんでもなく、本当に”巨大”です。
この施設自体はかつての小松製作所小松工場だった場所で、工場の撤退後に跡地に出来たのがこの施設です。
小松製作所の創業の地はもちろんここ小松市ですから、創業の地を大事にしていると言えますね。


百聞は一見に如かず・・・ということで写真でご覧頂くのが早いでしょう。
え?思ったほどじゃないって?では、もうちょっと近づいてみましょう。


とりあえず、その辺を走っているダンプカーよりは大きいことは分かって頂けましたか?


というわけで、もっと寄ってみましょう。
すごく・・・大きいですね。


少し引くといい位置に撮影用のパネルがありましたので、これを比較対象物とします。
このパネルはだいたい大人の腰くらいの高さです。
数字で言うなら、車高は7.3mもあるらしいです。
公道を走れる上限が原則3.8m以下らしいですから、軽くその倍近くあるわけですね。


タイヤだけでもかなりのサイズ感です。
自重が202トンに加えて、最大積載量が297トンもあるらしく、満載時の車両総重量となると約500トン!
短編成の貨物列車くらいはありますよね。
そんな巨体を6本のタイヤで支えるわけですから、これだけごっついタイヤになるのも納得です。
なお、現地でスタッフさんに教えてもらった話によると、海外で引退したこのトラックをここで保存することになった際、ブリジストンがタイヤの寄贈をしたんだそうで、今はブリジストン製のタイヤを履いているようです。ちなみに、現役時代はミシュランのタイヤだったとか。


後ろ側は一般的なトラックと同じくダブルタイヤとなっています。
しかし、もっとタイヤだらけなのかと思ったら案外少ない本数で済んでいるんですね。


各種諸元が書かれたプレートがありました。
左側はタイヤについてであり、外径が3828mmと、タイヤだけで公道を走れる車高上限をちょっと超えているんですねw
あと、重さが4860kgと、タイヤだけで一般的な乗用車より重いというw

トラック本体についてですが、930Eという形式名らしく、最大積載量とかはさっき書きましたが、こんな巨体で64.5km/hも出るのがすごいですね。
定格出力は2014kWとのことですが、昭和のモンスターと言われたEF66の約半分くらいのパワーがあることになります。

当然公道も走れないこんな巨大ダンプが一体どこで使われているのかといいますと、主に採掘現場です。
一般車や歩行者のいないクローズドスペースで、なおかつ広大な敷地だから許される巨体ですね。
実際に活躍しているところも見てみたいですが、ほとんどが海外のようで、仮に海外を訪れることがあったとしても一般人が見学させてもらえるものでもないでしょうしね。
こうして実物が見られるだけでもありがたいと思いましょう。


ところで、ダンプの脇に階段みたいなベランダみたいなものがくっついているのが気になっていた方もいるでしょう。
実を言うと、これは乗車体験用のもので、なんと誰でも乗ることが出来ます。
時間と日付は決まっているのですが、それに合わせて訪問すれば事前の申込みも不要で、しかもなんと無料で見学することが出来ます。

受付のお姉さんからヘルメットを受け取りかぶったら上へと案内されます。


これだけの巨体ながら、運転席はあの小さな箱みたいなスペースのみのようです。
船のブリッジみたいなのを想像していましたが、運転席だけは普通の車と変わらないそうです。


でも、乗り込むのに階段を登る必要があるのはやっぱり規格外ですねw


それにしても運転室が小さく見えるw


順番に回っていた運転席見学も、いよいよ私の番になったので乗り込みます。
周囲の子供ももちろん大喜びでしたが、私も大人気なくテンションが上っていましたw


運転席自体はハンドルがあって、アクセルとブレーキがあって・・・と普通の車とほとんど変わらないように見えます。

また、このトラックはディーゼル・エレクトリック方式と言って、搭載したエンジンは発電のみに使って、発電した電力でモーターを動かして進む仕組みとなっており、鉄道っぽく言えば電気式気動車に近い仕組みです。
エンジンとモーターを両方積んでいるとなると、ハイブリッドカーだとも思えますが、ハイブリッドカーはエンジンを停止させてもバッテリーに十分な電力があればモーターだけで走行可能なのに対して、ディーゼル・エレクトリック方式は大容量のバッテリーは持っておらず、走行中は常にエンジンが動いている必要があるためまた別物です。

ところで、なんでエンジンで得たパワーを一度電気に変換してからまたモーターを動かすなんて回りくどいことをしているのかと言えば、あまりにもエンジンのパワーがありすぎて、それに耐えられる変速機やクラッチといった駆動パーツが作れないという理由らしいですw
鉄道業界でも、DF200形ディーゼル機関車は、エンジン出力に見合う変速機が存在しないという理由で電気式ディーゼル機関車となりましたが、それと同じですね。


意外にもアナログメーターが目立つパネルですが、これはこれでロマンを感じますw


運転席からの眺めですが・・・視界悪そうw
まあ、繊細な運転が求められる条件ではないんでしょうけどね。
というか、最近は自動運転化が進んでいるようでそもそも人間が運転すること自体珍しいものなのかもしれません。


これだけデカくても車は車ということで、ミラーはついていました。
死角だらけでもはや着いている意味があるのか疑問ですがw

それでは、運転台はこれくらいでもう少し足回りを見学したいと思います。
なんと、床下に潜っての見学もできるみたいです。
普通なら車の床下なんてジャッキアップでもしないと見られないでしょうが、この巨大ダンプは立ったまま普通に入れちゃうからすごいです。


この巨体を動かす原動力のエンジンですかね。
エンジンだけでちょっとしたトラック1台分はありそうw


エンジンから伸びていたプロペラシャフトのようなパーツですが、発電機に続いているんですかね。


荷台を持ち上げるときに使う油圧シリンダー用の油をためておくタンクだそうです。
ちなみに、曜日を限定してですが、荷台を持ち上げる実演もやっているらしいので興味のある人はそのタイミングで訪れるといいでしょう。
なお、実際に稼働している時は結構あっという間に荷台を持ち上げることが出来るようですが、実演時は圧縮空気を使うためゆっくりと上がっていくらしいです。


そして、タイヤです。よく見るとブリジストンの文字が入っていますね。
聞いた話ではタイヤに空気を入れるだけでも数時間かかるらしいです。


こんなプレートも・・・
日本の有名メーカーのコラボみたいでいいですね。

と、これくらいで終わりにします。

近くには「わくわくコマツ館」という施設があって、建機に関する展示や記念グッズの発売をしていたりしますし、もう少し歩けば街中でも見かける機会のあるような建機も展示されているらしいのですが、時間の関係でそろそろ撤収です。
機会があったら再訪したいと思いました。

これだけ充実した展示を無料だなんて申し訳無ささえ覚えてしまいますが、そう思う人は現地でグッズやお土産を買って帰りましょうw

あとは東京へ帰るのみ

小松市での活動を終えてあとは金沢駅まで移動して解散となりました。
この旅行自体は実質日帰りみたいな感じでしたが、各メンバーの都合とか色々あった結果です。
その帰り道をダイジェストでレポートしたいと思います。


まずは小松駅へ向かいます。


何か工事しているなと思ったら、新幹線の工事だったんですね。
北陸新幹線の敦賀延伸は2022年度末開業とされており、もう3年後の話なんですね。
遠い先のことだと思っていたら気づけば目前になっているものですね。
なお、小松駅にも新幹線の駅ができる予定らしいです。


そして、金沢駅へ移動してきました。
こちらはSLの動輪でコンコースの一角に展示されているのですが、昨日も訪れたのに何故か気づかずにスルーしていましたw


銘板もありました。
どうやら末期は七尾線で活躍した機関車だったようですね。


こんな説明書きも・・・

ここでここまで同行した知人とは分かれてそれぞれ帰路に就きます。
最終ギリギリまで引っ張って金沢を満喫する人や、欲張ってもう1泊という人もいましたが、私は新幹線で大人しく帰ります。


切符も買ったら新幹線乗り場へやってきました。
何だかんだで結構久々に乗る北陸新幹線となりました。


もはやこれしかいないので当たり前ですが、E7系・W7系でした。


このロゴをよく見ると、”JR WEST”の文字が入っていますね。
ということは・・・


W7系だぁ!
まあ、JR西の持ち分に別形式を付けているってだけで、ほとんど差異はないんですけどねw


ちなみに、乗るのは「はくたか」です。
北陸新幹線最速列車といえば「かがやき」であり、私が帰る時間にもちょうどあったのですが、過去に2度乗車した北陸新幹線の東京方面では2回とも「かがやき」であり、今回はせめて「はくたか」に乗ってのんびり帰ろうと思ったのでした。
あと、「かがやき」は全車指定なのに対して、「はくたか」には自由席があるので自由席特急券で乗車できることになり、ちょっとだけお得というのもありますw
まあ、微々たる差ですけどね。

数分前に「かがやき」があることから富山・長野・大宮・東京へ急ぐ人はみんなそっちに乗ってしまっており、「はくたか」は空いていましたが、一方でサラリーマンっぽい(恐らく出張?)人たちがグループで乗っているのが目に付きました。
首都圏からの出張帰りならば「かがやき」を選びそうなものですが・・・

気になっていると彼らは上越妙高駅に着くなりぞろぞろと降りていったので、どうやら「しらゆき」に乗り換えて新潟を目指す人たちだったみたいですね。


そんな上越妙高駅には、彼らに釣られるかのように私も降り立ちました。
なぜかって・・・?


↑「かがやき」の待避があるからですw

北陸新幹線はあまり先行列車を追い越すダイヤにはなっておらず、待避自体がレアなのですが、そんな待避をする列車にあたったので、これは是非ホームに出て撮影しなければと思っていたのでしたw

このあとは、飯山、長野と停まっていきますが、長野からは流石に利用者が増えていき、続いて上田、佐久平、軽井沢とどんどん乗ってきて気づけば車内は満席になっていました。
長野までは3人がけを独占できるほど空いていたのに、急に窮屈になってしまいましたねw


これは東京に着いてから撮ったものではなくて、長野で撮ったやつです。
長野総合車両センターといえば、首都圏で活躍した電車を解体する場所としても有名であり、いわば電車の墓場とも言える場所ですね。
これらが解体されるためにここにいるのかは分かりませんが、寝過ごしてもう東京なのかと一瞬焦りましたw

このあとは普通に乗車して東京に帰りました。
これ以上書くこともないので、ここらでレポートをシメたいと思います。
これにて北陸遠征シリーズは完結となりますが、またもや遠征に出てしまいましたw
次回はどこへ行ったのか、それは次回のレポートでお確かめ下さいw
それでは!

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つばめ501号(管理人) について

関東を拠点に鉄道旅行を楽しんでいます。また、写真撮影や走行音の録音もしています。 サイトの方ではそれら写真や録音も公開していますのでぜひご覧ください。
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