今回は青森県、岩手県、宮城県の太平洋岸地域を中心とした乗りつぶし旅行をしましたのでそのレポートとなります。
時系列としては「えんぶり号」の直後となります。
今回は八戸線の乗りつぶしをしたいというのがこの活動の実施を決めた決定打でした。
理由としては、キハ40系が後継のキハE130系によって置き換えられることが急遽発表され、キハE130系と運用が混在してしまう前にキハ40系の取材をしておこうということでした。しかし、流石に八戸というのは最近は遠方へも気軽に遠征するようになった私といえども近場とはいえず、八戸線のためだけにここまで遠征するのはもったいなく感じ、八戸線の延長線上にある三陸鉄道北リアス線・南リアス線、更にその先大船渡線と乗り継いで行き、太平洋沿岸の路線を乗りつぶしていく構想が生まれ具体化したわけです。
本日の行程
というわけで、行程の説明に入っていきますが、今回は1泊2日の行程で東北地方太平洋沿岸の路線を乗りつぶしていきます。1日目は八戸駅からは一旦青い森鉄道で三戸駅まで向かい、八戸駅に折り返しますが、これはキハ40系が充当される運用が狙いです。2度目の八戸駅からは鮫駅にも立ち寄りつつ、久慈駅まで行き八戸線完乗&キハ40系の撮影と録音を果たします。その後は三陸鉄道北リアス線で宮古へ向かいますが、宮古~釜石間のJR山田線は未だ東日本大震災の影響で運休が続いており、この区間は岩手県北バスと岩手県交通の路線バスを乗り継いでの移動となります。釜石駅からは再び三陸鉄道となり、南リアス線で盛駅まで乗車、そこからは大船渡線ですが、気仙沼駅まではBRTによる仮復旧区間なのでBRTに乗車し、気仙沼からは列車で一ノ関に行って1泊です。
例によって2日目は別記事としますが、2日目の内容も軽く説明しておくと、気仙沼線BRT、石巻線、仙石線と巡っていき、仙台から東北新幹線で帰路に就くという内容です。
朝の八戸駅
「えんぶり号」を降りた私は朝の八戸駅にいました。ここから旅が始まるわけですが、つい1ヶ月ほど前に訪れたばかりですし、駅のレポートは基本的にしませんw
改札口にやって来て青い森鉄道の発車標ですが、18きっぷでは乗れないことを発車標にまで表示しているんですね。
青い森鉄道の場合、当駅から青森方面は野辺地以外の駅で途中下車しないことを条件に18きっぷでの乗車が認められていますが、目時・盛岡方面は一切18きっぷを使えない事になっていますから、分かりにくいのは確かですよね。
それよりもびっくりしたのがこれです。
なんと、四季島がやってくるというではないですか!?
四季島との遭遇自体がインパクト大ですが、こうやって発車標に表示されるというのも驚きですね。
しかも、運がいいことにこれから乗る列車の発車時間より前なので、バッチリ撮影ができるという・・・これは嬉しい誤算でした。
というわけで、急遽、四季島撮影会が決定しましたw
以前に浦和駅で試運転を撮影したことはありましたが、暗がりの中で通過を撮っただけでしたから、まともな撮影ができていないに等しかったですしね。
↑早速入線した来たキハ40系
というわけで、まずは八戸線のキハ40系ですね。四季島のインパクトで影が薄くなった気もしますが仮にも今回の目玉ですw
こちらは青い森鉄道の青い森703系という車両ですが、JR東日本のE721系をベースとしており、塗装こそ違いますが面影はありますね。
キハ40系の引退時期と青い森703系のデビュー時期を考えると3~4年程度しか見られなかったことになる並びですね。
↑ここで青い森701系が入線してきました。
それではそろそろ四季島の撮影に向けてスタンバイを始めます。
テレビの取材も来ていました。
それにしても、いくら四季島といえども、デビュー初日とかでもないのにこんなに盛り上がっているのは不思議だと思って調べてみたら、実は八戸駅への停車は今日限定の特別なものだったそうです。この日は四季島のコースに「TOHOKU EMOTION」が組み込まれていたとかで、そのための停車だったようです。
それならテレビまで取材に来るのは納得です。
また、狙ったわけではなく偶然そんな日に当たるなんて幸運でした。
↑やってきました!
↑そして、キハ40系が発車していきます。
それでは向こう側に移動して四季島の撮影続行というわけでエンブレムです。
号車表記と車椅子マークがあるあたりはやっぱり鉄道車両ですねw
そして、なんとドアが開いていました。流石に車内には入れてもらえないでしょうが、見える範囲だけでも中を見ておきましょう。
暖炉(っぽいもの)もありました。今は真夏ですし実用的な暖房設備ではなくインテリアなんでしょうけど、凝っていますね。
四季島をまだ撮っていたい気分ですが、そろそろ次の列車の時間ですので乗り込みます。
ちょうど隣に停まっていた三戸行きです。
キハE130系にはサボは採用されないでしょうから、この区間のサボも見納めですね。
四季島を見てしまった後に見ると余計にボロく見えてしまうキハ40系の車内w
まあ、わざわざこれに乗りに来たわけですしね。
それでは、このまま三戸まで向かいます。
この区間はもともと東北本線だったこともあり線形もいいですし、今でも貨物列車が多く走るのでロングレールでもあり、エンジンこそかなり唸っていますが、ジョイント音があまりしないのでスピード感は感じられませんでしたね。
三戸駅
三戸駅ではすぐに折り返し乗車ですが、若干時間がありますのでレポートしていきます。
駅名標です。
八戸と来て三戸と、○戸シリーズになっていますが、元々地名としては一戸から九戸まで揃っていたそうです。四戸のみは四が死を連想させて縁起が悪いとされたためか現存しない地名だそうですが、それ以外は岩手県に一戸町、二戸市、九戸村、青森県に三戸町、五戸町、六戸町、七戸町、そして、八戸市として現存しています。鉄道駅としても二戸駅と八戸駅、そして七戸十和田駅の3つは新幹線の停車駅でもありますから有名ですね。
ホームです。2面3線の国鉄型配線であり、元々優等列車が多数走っていた東北本線の名残を感じられますね。
この区間は青い森鉄道ですが、IGRいわて銀河鉄道のIGR7000系がやってきました。
ようするに701系なんですが、別形式が与えられています。
幹線の駅だけに構内踏切なんてことはなく跨線橋を備えていました。
ローカル駅の跨線橋って蜘蛛の巣が張っていたりして薄汚いイメージがある私ですが、ここは清掃がよく行き届いているのか綺麗でした。
駅舎のホーム側に駅名を表記しているのは珍しいですよね。
しかも、ひらがなというのも面白いです。
駅舎内は待合室を兼ねてベンチが並んでいますがなんかカラフルw
駅前にはバスが乗り入れますが、南部バスが当駅周辺のフィーダー路線を運行しています。
また、八戸市中心部や諏訪ノ平への路線もあるようですが、駅前には乗り入れず少し離れたバス停から発着するようです。
駅前にいた南部バスは南部町多目的バスというコミュニティバスでした。
もう1台やってきましたが、これも南部町多目的バスでした。
それにしても、マイクロバスが路線バスとして走っているのって結構珍しいですよね。
閑散路線ではポンチョやリエッセ、ハイエースコミューターあたりが使われるイメージで、それ以外は通常の大型バスになるでしょうからね。
乗ったことがある中では、彼杵町の町営バスか、西鉄の高宮-長丘循環バスくらいですかね。
駅前にあるこの骨組みがむき出しのようにも見える奇抜なデザインの建物は「南部町ふれあい交流プラザ」という施設なんだそうで、ホールや研修室、調理実習室なんかを備えた施設らしいです。
ちなみに、三戸駅って南部町の施設があることからも分かるように、実は三戸町ではなく南部町に所在していたりします。
構内に戻って残り時間でちょっとだけ撮影ということで駅名標と絡めてみました。
キハ40系も全国各地に投入されていますが、寒冷地仕様ということでデッキをご紹介しておきます。
八戸線も海沿いに走る路線ということで、津波警報時の避難の案内が出ていました。
東日本大震災以降、全国の海辺の町で見かけるようになった津波避難場所の案内ですが、八戸線も津波被害を受けた路線の1つですからね。
それでは、八戸に引き返す形で乗車していき、鮫駅まで向かいます。
いよいよ八戸線へ
冒頭からキハ40系に乗って、もう八戸線の旅を始めたような気分ですが、今までは青い森鉄道線であり、本当の八戸線はここからですね。
というわけで八戸駅まで戻ってきましたが、ここで30分ほど停車するとのことなのでとりあえず降りて駅名標を撮ってみました。
しかし、それにしてもなんで30分も停まるんですかねw
列車を撮ったら一旦コンコースに行って駅そばで朝ご飯としました。
ようやく発車してしばらくすると見えてくるのが八戸貨物駅です。
ここはJR貨物の貨物駅ですが、八戸臨海鉄道という貨物専業の私鉄が分岐しています。
非電化路線には似合わない高架橋を走ると本八戸駅に到着です。
名前の通り、八戸市中心部へは本八戸駅の方が近いです。
そう考えると三戸駅への直通は八戸市街へ向かう人へ便宜を図っているとも考えられますが、だとするとなおさら30分停車が謎ですw
その先も「うみねこレール八戸市内線」の愛称の通り八戸市内を走行して鮫駅まで向かいます。列車は鮫行きなのでここで一旦途中下車となります。
鮫駅
駅名が既にネタな駅ですが、ここもレポートします。
やっぱり面白い駅名ですね。
ちなみに、由来は所在する場所が”八戸市大字鮫町”だからという、意外と普通なものでしたが、じゃあその地名の由来は何かというとよく分かりませんでした。
ホームです。当駅折り返しも多く設定されているためか、2面3線となっています。
駅舎内から見た改札口です。
自動改札どころかラッチすらなくただの通路という雰囲気ですねw
駅前広場にはSLの動輪が展示されていますが、これは1974年に鮫駅開業50周年を記念して設置されたもので、実際に八戸線を走ったことのある8620形のものなんだとか。
駅名は魚のサメとは無関係らしいですが、観光客受けするものを置こうと思ったのかサメのオブジェが鎮座しますw
ちなみに、中は空洞になっており、この中に入って口の部分から顔を出せば、さも「サメに食べられてるなう」な写真が撮れるようです。
た、食べないでくださ~い!
こも八戸市内ということで八戸市営バスが乗り入れています。
基本的には住民向けのフィーダー路線が中心のようですが、観光シーズンには「うみねこ号」という観光客向けの種差海岸遊覧バスが運行されるようです。
↑鮫駅でのキハ40系入線シーンを撮ったら次は久慈を目指します。
鮫から先の八戸線は海沿いに走る景色のよい区間なんですが、生憎の雨でこんな感じなのでご紹介できませんでしたw
久慈駅
三陸鉄道との接続点の久慈駅ですが、ここではある楽しみがありました。(後述)
ちなみに、乗り換え時間が長い場合は封鎖されるとかで、こんなバリケードも用意されています。
なんだ、この停止位置目標w
”Rう”の方は「リゾートうみねこ」のことだとしても、”東E”は謎ですw
この昭和チックな駅前デパートですが、NHKの朝ドラ「あまちゃん」の聖地の1つとされ、ファンからは人気のスポットの一つなんだとか。
北三陸鉄道というのは、「あまちゃん」劇中での三陸鉄道の呼称であり、その他にも劇中に登場した看板を再現したタイアップ企画としてこうして残しているようですね。
JRの駅舎です。
三陸鉄道とは線路は繋がっていますが、駅舎は別々になっています。
駅前にいたのは「のるねっとKUJI」というコミュニティバスです。
元々JRバス東北により運行されていた久慈市内の路線バスが都市間バスを除いて廃止されることとなり、廃止代替バスとして久慈市が事業主体となり運行されているとのことです。
隣りにいたのは黄色いバスでした。これで赤もいたら信号機みたいでしたねw
岩手県北バスですが、直営路線ではなくこれも「のるねっとKUJI」です。
さてさて、この「リアス亭」というのが実は”楽しみ”の正体でして、ここで販売されているうに弁当を食べるのをこの旅の楽しみにしていました。
ただ、幻の駅弁と呼ばれることもあるくらい入手が困難だそうで、朝早くから並ばないと買えないとする情報もあったのですが、平日ならば昼過ぎでも買えたという情報もあるなど、買えるのか買えないのか微妙なところでしたが、まあ買えたらラッキー程度に考えていました。
そして、写真にある通り、この時点では売り切れの張り紙はなかったのでこれはラッキーと「すみません、うに弁当1つ!」と言おうとした瞬間、「うに弁当完売」の張り紙がw
たった今売れたやつが最後の1個だったようですね。
となると、駅前の取材を後回しにしてリアス亭に直行していれば最後の1個にありつけていた可能性もあるわけで悔やまれますが、仕方ないですね。
ちなみに、後でわかったことですが、うに弁当は予約も受け付けていて、事前に予約しておけば確実に入手できたそうで、さらに後悔・・・
さらに困ったことにうに弁当以外の食べ物となると、リアス亭の立ち食いそばしかありませんが、時間的にそれを食べていくのは無理ですし、このまま飲まず食わずで旅を続けていくしかなさそうです・・・・
過ぎたことは仕方ないと気持ちを切り替えつつ駅取材続行です。
食べ物を連想させるオブジェはやめてくれぇ~!w
方向幕が「北三陸」になっているので、これも「あまちゃん」タイアップですね。
「あまちゃん」放送当時は流行語大賞にもなった「じぇじぇじぇ」
待っていたのは36-700形という車両でした。三陸鉄道の車両は全て36形という型式名になっていて、番台で区別を付ける方式のようですが、読み方は「さんじゅうろくがた」でも「さんろくがた」でもなくて、「さんりくがた」と読むそうです。社名にかけたものだそうですが、旧街道としての北陸道は「ほくろくどう」と読むこともあるそうですから、古い日本語の発音としては36=さんりくも正しい読み方なのかもしれません。
車体にはアラビア語が書かれていますが、これは東日本大震災の後にクウェートからの支援を受けて購入された車両だということで、その感謝の意を示すためにアラビア語も併記したメッセージが付いているようです。
それでは、そろそろ乗車しましょう。
三陸鉄道北リアス線
ここから乗車する三陸鉄道北リアス線はここ久慈駅から宮古駅までの71kmを結ぶ路線であり、元々は国鉄久慈線・宮古線として南北から延伸されていた国鉄線でした。しかし、田老~普代間を残して国鉄の財政悪化のために工事が打ち切られ、既に開業していた区間も特定地方交通線に指定され、廃止の方針となりました。これを引き受けるべく1984年に第三セクター鉄道として発足したのが三陸鉄道であり、宮古線、久慈線を引き継ぎ、更に田老~普代間も自力で建設して全線開業し、北リアス線となりました。
国鉄のローカル線を引き継ぐ形で発足した第三セクター鉄道の第一号がこの三陸鉄道であり、この後各地に開業した第三セクター鉄道の元祖とも言える存在であり、開業からしばらくは黒字経営を維持して第三セクター鉄道の優等生と言われることもありましたが、他のローカル鉄道の例に漏れず今では赤字転落してしまいました。
そんな北リアス線ですが、久慈駅では八戸線、宮古駅では山田線にそれぞれ接続していて、かつてはJR線と直通する列車も設定され、中でも仙台~八戸間を東北本線・石巻線・気仙沼線・大船渡線・南リアス線・山田線・北リアス線・八戸線経由で結ぶ「リアスシーライナー」は特筆すべき列車でしたが、運行経路の大船渡線と気仙沼線が現在でもBRTによる仮復旧状態であり、山田線に至っては未だに長期運休状態が続いていることもあり、東日本大震災以降は運転されていません。そのため、現在は久慈~宮古間の線内完結運転が基本となっています。
また、三陸海岸に沿って走るルートとなっていますが、実際にはトンネルを多用した線形であることもあり、海を見ることが出来る区間は限られます。
震災を機に設置されたのか、それ以前からあったのかは分かりませんが、巨大な防潮堤が聳える箇所もあります。
もちろんちゃんと海が見える箇所もあります。特に景色のいい場所では徐行運転をしてくれるサービスもありますが、生憎の雨で写真映えもしないのでこれだけにしますw
沿線の案内では「あまちゃん」に関連して劇中に登場した場所やロケ地なんかも取り上げていて「あまちゃん」はすっかり三陸観光の目玉になっているようですね。
あと、もう1つ書かなければならないことが・・・
それは、隣のボックスに座っていた人がタッチの差で買い損ねたうに弁当を広げ始めたことです。しかも、「いやぁ、最後の1個をギリギリで買えまして」なんて話ながら・・・w
次回三陸鉄道に乗りに来る時は必ずうに弁当の予約を入れてから訪れることを誓いつつ、列車は宮古までやってきました。
宮古駅
本州最東端の地を擁する宮古市の玄関口、宮古駅です。
というわけでまずは駅名標です。
当駅では前述の通りJR山田線と接続していますが、山田線は宮古~釜石間は東日本大震災の被害のため長期運休中であり、盛岡方面も川内~上米内間が土砂災害のため運転見合わせ中となっており、盛岡方面への通り抜けは出来ない状態となっているため、乗り鉄目的で宮古駅を訪れた場合、盛岡へ行くにしても、釜石に行くにしてもバスでの移動が必須となっています。
三鉄ファンクラブということでメンバーの名前が掲示されていました。
駅前で建設中だったのは宮古市中心市街地拠点施設という長ったらしい名前の施設だそうです。ちなみに、愛称は選考中とのことです。
終端部です。三陸鉄道として終点ですが、JR線と繋がっている線路もあり、かつて運転されていた直通列車は三陸鉄道のホームへは立ち寄らずにJRのホームに発着していたようです。
ちょっとブレましたが改札口ですが、車内で改札をするため下車時は自由に出ることが出来ます。
こちらが三陸鉄道の駅舎です。
久慈駅同様にJRと三鉄で駅舎が分かれています。
駅前にはバスターミナルが整備されていますが、今回はここからはバス移動になります。前述の通り山田線の釜石方面は運転見合わせ中であり、代行バスの類も設定されていないので路線バスで移動する必要があります。
道の駅やまだという所までは岩手県北バスが出ており、そこから先は岩手県交通に乗り継ぐことができ、そのルートで釜石駅まで行くことが出来ますので、今回はそのルートを使います。
なお、代行バスではなく、かつ振替輸送の対象でもないので18きっぷも使えず、別途運賃を支払う必要があります。
当駅を代表するバスと言えば、やっぱり「106急行」です。
このバスは盛岡駅と宮古を結ぶ急行バスでして、走行する国道106号に因んで106急行の愛称があります。
山田線の一部区間が不通になっている現在では盛岡~宮古を結ぶ唯一の公共交通機関となっています。また、山田線運休以前から同区間では圧倒的シェアを誇っており、運行本数も山田線より多いです。
ちなみに、以前の旅で乗った「ビーム1」もここから発着します。
バス案内所ではバス乗車券の券売機があったので切符を買いました。
普通の路線バスで乗車券を発売しているのって珍しいですし、ましては自動券売機を設置しているのはもっと珍しいですよね。
高速バスと同等のハイデッカー車でやってきたのは噂の106急行です。
この路線の成功で岩手県北バスは黒字転換して優良バス事業者へとのし上がったという逸話もありますし、この路線へは積極的に投資しているんでしょうね。
と、撮りバスもそこそこにそろそろバスの時間です。
ちなみに、うに弁当を食べ損ねた悔しさから駅前にウニ丼を出す飲食店があることを突き止めていましたが、写真を撮っていたら時間もなくなり断念w
ここでバスに乗り遅れれば行程が崩壊しますから、無理はできませんね。
岩手県北バス 宮古駅→道の駅やまだ
特に系統番号などはないようなのでそのまま区間だけを書きました。
船越駅前行きが基本系統になるようですが、今回乗ったのは田の浜行きでした。
ただ、意外と乗車率は高く、窓際の席は全て取られてしまっていて、しばらくは車窓を見る余裕もありませんでした。
地方のバスも意外と捨てたもんじゃないなと思うも、やはり山田線の代替として乗っている人が多いんでしょうね。ローカル線といってもバスと鉄道では輸送力に歴然とした差がありますからね。
しかし、その予想は外れて、実際には途中のバス停で降りていく人も多く、宮古の市街地を出てしまえば車内もだいぶ空いてきました。純粋なローカル需要だったんですね。
車窓から見えた山田線の線路です。来年中には復旧して三陸鉄道に譲渡されることが決まっていますが、工事も順調に進んでいるようですね。
どこかの駅ですw
ここも運転再開に向けて整備が進んでいるんでしょうね。
そして、1時間ほど乗車して道の駅やまだに到着しました。
道の駅やまだで小休止
序盤は混み合っていたこともあって1時間の乗車時間の割には疲労感がありましたが、道の駅やまだにて20分程度乗り換え待ちがあります。
ここで小休止をしてから旅を続けていくことにします。
乗ってきた岩手県北バスです。ここが終着ではなくまだ先まで運行がありますからこのまま発車していきます。
ちなみに、岩手県交通のバスはここが始発であり既に待機していました。うまく並んで撮れました。
ちゃんとバス停にポールも設置されていますが、2社のものが別々に設置されていて乗り継ぎ拠点であることがよく分かりますね。
さて、次のバスを待つ間に食料調達をしたいと思います。うに弁当を食べ損ねたためにここまでまともな食事にありつけてはおらず、ここで調達しておかないとこの後はまとまった滞在時間を確保できる駅がほとんどなく、ホテルへ入るまで飲まず食わずを強いられますからね。
うに弁当の気分だけでも味わいたくてつい手を伸ばしてしまったうに入りの缶詰w
実は宮古駅の売店で買ったものだったりしますが、バスの車内で食べるのは気が引けてここまでセーブしていました。
道の駅やまだでもうにを使った弁当などないか探していましたが、見つからず、これとパンで腹ごなしとします。
中身はこんな感じ
写真と若干見た目が違う気もしますが、うには思ったより入っていて値段相応かなと言った所
これがうに弁当だと自分に言い聞かせながら味わうとそろそろバスの時間です。
お次に乗る岩手県交通のバスです。釜石駅を経て上大畑という所まで行く系統になります。
ちなみに、岩手県交通は国際興業グループであることもあり、国際興業バスと同じ塗装になっています。
外観だけだと、正面についている岩手県交通のロゴマークや社名の表記以外は国際興業バスそのものですねw
と思ったらもろに国際興業バスって書いてありましたw
国際興業バスで引退した車両がグループのバス会社に譲渡されて第二の人生を送ることも多いそうですから、このバスも国際興業バスからの譲渡車なんでしょうね。
それにしても、社名も変えないというのは驚きw
今度は空いていて、県北バスでも見たメンバーは数名だけでした。
ただ、今度は雨脚が強くなったせいで窓ガラスが濡れて撮影不可能になったため風景を眺めることもままならず、道中特筆すべきこともなかったため、記事は釜石駅に飛びますw
釜石駅
バスによる迂回ルートもここ釜石駅で終了となり、再び列車での移動が始まります。
バス停からすぐに見えた巨大な産業施設は新日鉄住金の釜石製鉄所です。
釜石は製鉄の街として知られていますからね。
随分立派な駅舎だと思ったらホテルでしたw
製鉄所を擁する街ですし、ビジネスマンの訪問も多いんでしょうね。
こちらが駅舎でした。
鉄の街であることを象徴する駅舎にするということで2012年にリニューアルされたんだそうです。
この建物は「駅前橋上市場サン・フィッシュ釜石」という施設で、三陸の新鮮な魚介が集まる場所になっていて、海鮮料理を味わえるお店もあるそうです。時間があればここで食事もよかったですが、乗り鉄旅の宿命である時間の制約からまたしても断念・・・
ちなみに、「橋上市場」という名前についてですが、かつて釜石市内にあった橋の上に存在していた市場のことであり、長らく釜石名所の1つとして観光客にも人気のスポットでしたが、橋の上ということは川の上ということであり、河川の不法占拠にあたる状態での営業だったことや橋そのものの老朽化もあって撤去が決まり、その代替として駅前に設置されたのがこの「サン・フィッシュ釜石」という経緯があり、前身の橋上市場の名残を残すべく名前に入れたんでしょうね。
JRの改札です。山田線は不通となっているため発車標も隠されていますね。
そのため、利用できるのは釜石線のみとなっていますが、内陸部へのルートが生きているだけ、宮古より状況はいいのかもしれません。
何かと思えばローマ字で「待合」と書いてあるだけでしたw
そういえば、以前に訪れた北上駅でもこのような表記がありましたが、岩手県内のJR駅独特の表記なんですかね。
そして、こちらが三陸鉄道の駅舎です。北リアス線の久慈駅・宮古駅同様に独立した駅舎を持っています。
ちなみに、ネーミングライツにより「イオンタウン釜石駅」という愛称がつけられています。
大きなラグビーボールのようなものがあったと思ったら、釜石シーウェイブスというチームのものだったようです。
スポーツにはてんで疎い私ですから突っ込んだ解説はできませんが、元々は新日鉄釜石製鉄所のラグビー部が前身らしいですよ。
当駅には「SL銀河」がやってくるんでしたね。いつか乗りたいなぁ
駅舎内です。ここも宮古駅同様に出札業務は取り扱いますが、改札は車内で行う方式のため駅では取り扱いません。
乗り場はJR駅構内の反対側に位置するため地下道で連絡になります。
JR線の乗り場と直結した通路も用意されていますが、三陸鉄道からJR線に直通する列車の発着時やJRとの接続時間が短い場合のみ開放されるようで普段はこのように閉鎖されています。
イオンタウン釜石もネーミングライツを取得するくらいだから当然広告を出していますが、徒歩10分って地味に遠いですねw
それでも、車を持たない人は使うんでしょうけど。
そして、車両です。
北リアス線でも乗った36-700形でした。
構内にはキハ110系が留置されていました。そういえば、山田線が復旧して三陸鉄道に譲渡されたらキハ110系も一緒に譲渡するんですかね。
というわけで、ここからは南リアス線で盛まで向かいます。
三陸鉄道南リアス線
ここから乗車する南リアス線は北リアス線と対をなす路線名ですが、宮古~釜石間はJR線のままとなっており、南北で分断されている状態になっています。前述の通り、山田線の宮古~釜石間は復旧後に三陸鉄道に譲渡されることとなっていますから、実現した暁には久慈~盛間の一体的な運行が可能となり運用効率の向上などが期待できますね。
南リアス線の歴史についてですが、歴史的経緯から行けば山田線の延伸として大船渡を目指して建設が進められていたものです。
北側からは山田線として釜石まで、南側からは大船渡線として盛までが建設され、開業に漕ぎ着きますが、残った釜石~盛間は盛線という別路線扱いで建設されることとなり、盛~吉浜間が開業したところで国鉄の財政悪化を受けて残った吉浜~釜石間の工事は凍結され、盛線の開業していた区間も廃止が決定されました。これを引き継ぎ、残る吉浜~釜石間も建設し南リアス線として開業したわけですね。
震災以前は山田線を介した北リアス線との直通運転などもありましたが、現在は山田線が不通になっていることもあって釜石~盛間の線内完結運転のみとなっています。
ちなみに、北リアス線とともに”リアス”を路線名に含めていますが、その由来のリアス式海岸が見られるのは北リアス線ではなくこの南リアス線だったりしますから、リアス式海岸の景色が目当てならば南リアス線に行ったほうがいいです。
当路線のネタとしては恋し浜駅がありますね。
”恋”の字が含まれる駅名は日本に4箇所しかなく、(ちなみに残り3つは恋ヶ窪駅、母恋駅、恋山形駅です)そのうちの1つなわけですが、最初からこの駅名だったわけではなく、当初は小石浜駅(読み方は同じ)を名乗っていて、2009年から今の表記に改められたようです。
観光客を呼ぶためにロマンチックな駅名にしたのかなとも思いますが、由来は小石浜地区のホタテのブランド名である「恋し浜」なんだとか。
とはいえ、やっぱり観光客を喜ばせたいのか、幸せの鐘が設置されています。
まあ、結ばれるべき相手もいない私は車窓から眺めただけで、旅を続けていきますけどねw
この後は特に書くこともないので、盛駅に飛びます。
盛駅
三陸鉄道はここまでとなり、以降はJR線になりますが、JRでも列車じゃなくてバスに乗ります。
その乗り換え待ちで簡単に駅をレポートしていきます。
というわけでまずは駅名標です。
私はつい最近まで「もり」と読むのだと思っていましたが、「さかり」なんですよねw
ちなみに、JRの行先表示では盛岡との混同を避けるために「さかり」とひらがな表記する慣例があったそうです。
当駅の構内にはバスの車庫のような空間が広がっています。
もう言わずもがなですね。大船渡線BRTのための折り返し施設です。
こちらが大船渡線BRTです。BRTといっても車体はごく普通のバスなんですけどねw
元々大船渡線のレールがあったであろう場所も嵩上げの上で舗装道路に置き換えられていました。
ホームは完全に鉄道駅なのにレールの代わりに舗装道路があるというのはBRTの駅らしいですよね。
乗車位置案内にはBRTと表記されていました。
あと、横断禁止とデカデカと書いてありますが、線路と違って段差も小さいので気軽に横断してしまう人が多いんでしょうね。
鉄道時代からのものなんでしょうが、跨線橋で向こう側へつながっています。
構内踏切・・・ならぬ構内横断歩道も用意されていて、階段の昇り降り無しでの移動も可能でした。
元々単線だったため、BRTの道路も単線分の幅しかありません。
これだけ狭い道を走る路線バスというのもなかなかありませんし、これはBRTらしい光景ですね。
そういえば、通行禁止の標識が出ていますが、BRTの道路って公道扱いだったりするんですかね?
普通に考えれば、元々JRの線路敷なんだから私道だと思われますが、だとすればこの標識を立てる意味は一般車両の誤進入防止ということなんでしょうか。
こうして構内を見渡すと本当にレールがあるべき場所が道路になっているだけで、あとは普通の駅の光景という不思議な光景です。
跨線橋の方を向いて色々展示されていますが、BRT道路に横断歩道が整備された今、わざわざ跨線橋を通る人もいないでしょうし、ちょっと寂しげに見えます。
改札口です。ただし、BRTは通常の路線バス同様にバス車内で運賃収受を行うために改札業務は三陸鉄道の列車から降りた場合だけに限りられ、実質的にはホームへの立ち入りは自由になっているようです。
それにしても、「BRTバス」って、BRT=バス高速輸送システムですから、バス高速輸送システムバスということになり、これは重言じゃ?w
突っ込んだら負け?w
いわゆるバスロケーションシステムですね。
大船渡線のBRTでの仮復旧が提案された際、鉄道より定時性に劣る点が住民から指摘されたこともあって、運行状況をより正確に知らせることの出来るバスロケーションシステムが採用されたんでしょうね。
駅舎内を見守っていたのはE2系をモチーフにしたであろうヒーロー
こっちはE3系がモチーフですかね。
それにしても、車両が古いというツッコミは野暮ですかねw
こちらがJRの駅舎です。
震災翌年の2012年に大船渡線の鉄道としての復旧を待たずにリニューアルされたそうです。
当駅には岩手県交通の路線バスも乗り入れていますが、駅前ロータリーから発着です。
と、ここで1つお詫びが・・・
ここも三陸鉄道は独立した駅舎を構えていたのですが、BRT関連だけでお腹いっぱいになっていたのか撮るのを忘れていたのでご紹介できません。悪しからず・・・
↑ここでBRTの入線シーン
ただし、特徴的なのがこの社名表記ですね。
JR東日本グループのバス事業は、JRバス関東・JRバス東北の2社に分割されており、直営ではバス事業をやっていないのですが、BRTで使用するバスはJR東日本が所有しているためこんな表記になっています。
なお、実際の運行業務は岩手県交通に委託されており、乗務する運転士も岩手県交通に所属していますし、車両のメンテナンスなども岩手県交通の車庫で行われています。
あと、ICカードも「odeca」という独自のものが導入されています。事業主体がJR東日本なのだから普通にSuicaを導入すればよかったのではないかと思いますが、Suicaと相互利用可能となっているので、沿線外の人がSuicaを持ってきて乗るということは出来ます。
大船渡線BRT 盛駅→気仙沼駅
それでは、ここからは大船渡線BRTで乗り鉄・・・いや乗りバスをしながら気仙沼を目指していきます。
大船渡線BRTについてですが、大船渡線のうち、沿岸を走る気仙沼~盛間は東日本大震災で大きな被害を受け復旧には長期間を要することが見込まれたことや、沿線の街も甚大な被害を受けており、既存の市街地をそのまま復興させるのか、高台へ移転の上での復興なのかといった議論もなかなか進まず復興計画が固まらないという状況もあって、一部区間で大船渡線の線路敷を転用した専用道路を走行するBRTとしての仮復旧が決まり、現在に至ります。
BRTといっても大半の区間は通常の路線バス同様に一般道を走りますが、営業上はJR大船渡線として扱われているため、JRの運賃が適用されますし、青春18きっぷなどJR線が対象の企画乗車券でもそのまま乗車することができます。そのため、青春18きっぷの説明書きにもBRTに乗車できることが明記されていますね。
確かに実際に乗ってみると、どこからどう見ても路線バスにしか見えないので18きっぷで乗っていいのか心配になってしまう気持ちはよく分かりますw
盛駅では乗ってきたのは私の他には高校生が数名のみで、その高校生も2~3ヶ所先の駅で降りていき、その後も高校生が乗ってきたり降りて行ったりを繰り返しそれほどの混雑ではなかったのですが、BRT化で本数が増えて利用者も分散するようになったためですかね。
あと、面白かったのが、アナウンスで通常ならば”バス”というワードが入る所に”BRT”を使っていたことですね。(例:BRTが完全に停車してから席をお立ち下さい)
BRTって道路や停留所まで含めたシステム全体の事であり、車両単体を指すならば”バス”という表現で事足りると思うんですが、やっぱりBRTであることを宣言したいんですかねw
↑運良くマニア席に座れたので展望動画を撮ってみました。
百聞は一見に如かずということで、動画で見て頂いたほうがBRTの雰囲気を体感して頂けるでしょう。
特徴的なのは、元々踏切だった場所は信号機付きの交差点に切り替わっており、BRTが接近するとすぐに青に変わるギミックがついていることですね。
通常の路線バスでもPTPS(公共車両優先システム)といって、バスの接近に合わせて赤信号を短くしたり、青信号を長くするなどしてバスがなるべく信号に引っかからずに走行できるようにしたシステムが存在しますが、それの応用ですね。
それから、もう1つ気付いたのが、基本的にハイビームを点灯して走行していたことですね。
一般道を走る場合、ハイビームを使う場面はよほど交通量の少ない田舎道や峠道などに限られると思いますが、BRTでは専用道路ということで、他のバスを除いては対向車も先行車も存在し得ないからこそでしょうね。
↑対向バスとの交換シーンです。
元々単線ということで、バス同士の行き違いは駅や駅間に設けられた待避所(信号場?)で行われます。
鉄道で言う閉塞のような概念が実装されているのか分かりませんが、ちゃんと信号機に従って運行されているようでした。
普通の乗り鉄だったらいい景色だなぁで終わりですが、この海が牙を剥いて大きな被害を出したと思うと複雑ですね・・・
こちら、高田病院駅という駅なんですが、ご覧のようにバス停のポールが立っているだけの簡素な設備となっていて、実は元々駅として設置されていたわけではなく、BRTとしての仮復旧後に設置された駅だったりします。
営業上は大船渡線の駅ということになっていますが、実態はバス停であり、法律上は駅なのかバス停なのか気になりますね。
この他、高田高校前駅、まちなか陸前高田駅といった駅がBRT区間上に新設されており、既存の駅から離れた施設や場所へのアクセスの向上に寄与しています。有名どころでは、あの大津波で1本だけ流出を免れたことで知られる奇跡の一本松へのアクセス向上のために奇跡の一本松駅が設置されたりと、BRTであることの柔軟性をフルに活かしたルート設定をしています。
住民や観光客の利便に繋がることですから大いに結構な話ですが、気になるのが大船渡線の不通区間を鉄道で復旧させることになった場合、これらBRT区間に新設された駅の扱いはどうなるんですかね。
その奇跡の一本松ですが、差し掛かる頃にはすっかり日没を迎えていて、ライトアップのお陰で遠目に見ることは出来ましたが走行中ではまともな撮影はできず写真はありません。悪しからず。
↑最後の1区間も展望動画を撮ったらBRTは終わりです。
気仙沼からは列車でラストスパート
BRTに90分ほど揺られて気仙沼までやって来ました。列車での90分だと意外と苦ではありませんが、バスだと正直疲労感がありましたw
まあ、そんなバスに6時間半揺られ続けたこともある私が言っていいことではない気もしますけどw
↑発車シーン
↑続けて回送のBRTも通過していきました。
駅名標です。大船渡線の一ノ関~気仙沼間には「POKEMON with YOU トレイン」という列車が走っていることもあって、駅名標もピカチュウだらけw
それでは、久慈駅以来となるJRの列車に乗って一ノ関へ向かいましょう。
ちなみに、時刻は19時過ぎですが、これが一ノ関方面への最終便ですw
ちなみに、大船渡線には「ドラゴンレール大船渡線」という愛称があります。
これは地図で大船渡線の線形を見て頂ければ分かると思いますが、大船渡線の線形がまるで龍が胴体をくねらせている様子に見えることから来ているようです。
これには開業時の「我田引鉄」の結果であり、ネタとしては面白いくねくねした線形も実用交通機関としては不利であり、大船渡や気仙沼と一ノ関を結ぶ役割は都市間バスなどに奪われてしまっていて、優等列車も運転されなくなって久しいローカル線になっています。
今日は真っ暗で景色もご紹介できませんし、何より明日の朝も大船渡線で気仙沼に戻ってくる予定なのでここでは簡単に流して一ノ関駅まで記事は飛びますw
一ノ関駅でゴール!
早朝に八戸駅に降り立ってから15時間ほどかけて一ノ関駅までやってきました。沿岸路線の乗りつぶしであり、バスでの迂回ルートも含まれることを考えても、東北新幹線を使えば1時間20分ほど、青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道、東北本線と乗り継いだとしても3時間半程度で到達できることを考えるとかなり遠回りしてきました。そういう遠回りな旅も好きですけどねw
時刻は21時を少し過ぎたくらいですが、この時間でこの表示を見かけるとはw
大船渡線だけ書き換えられた跡がありますが、BRTのことを書き足したんですかね。
改札を出るとジオラマ展示がありました。盛駅にもありましたが、この地域の駅ではジオラマ展示がブームなんでしょうかw
駅名標を再現したのはいいですが、規格の違う車両が並ぶと違和感がありますねw
あと、583系は脱線してましたw
BRT区間ではない当駅でも大船渡線のバスロケーションシステムっぽいものがありました。
ついでなので鉄道区間にも導入したんですかねw
細かい取材は明日することにしてこれだけ撮ったら駅の撮影は終了です。
あと、国際リニアコライダーとか書いてありますが、これはリニアモーターカーを東北へ誘致したいということではなくて、科学実験に用いる大規模な装置であり、膨大なエネルギーで電子・陽電子を衝突させる実験を行うためのものだそうで、北上山地がこれの設置好適地だとされているんだとか。
科学者でも何でもない私にはよく分からない世界ではありますが、「よく分かんないけど、すっごーい装置なんだよ!」ってことでお茶を濁しつつ、ホテルへ向かいました。
立ち食いそばやパンなどで簡単な食事しかとらずに来ていたわけですが、駅周辺に遅くまでやっている居酒屋以外の飲食店もなく、コンビニで弁当を買って食べましたが、ここまで食事に恵まれない行程だと、コンビニ弁当すら合成に思えてきますねw
ちなみに、牛タンチャーハンとかいうのを食べて少しだけご当地感を楽しみましたw
というくらいで1日目は終了して2日目は別記事で追ってレポートしていきます。しばらくお待ち下さい。
~追記~
2日目も公開しました!