3泊4日で実施した関西遠征の2日目です。
なお、1日目をご覧になっていない方はそちらから先にご覧になることをおすすめします。
本日の行程
2日目となる今日は、昨晩宿を取った難波からスタートし、特急「こうや」で極楽橋まで乗車し、高野山ケーブルで高野山まで行ったら、再び極楽橋まで戻り、高野線の急行で難波へ戻ります。
そこからは泉北高速鉄道直通の区間急行で和泉中央まで1往復という予定でしたが、実際にはこの行程はカットとなりました。
その後は汐見橋線として知られる南海高野線の汐見橋~岸里玉出間を往復乗車し、地下鉄で大阪梅田駅へ向かい、阪急と能勢電鉄を直通する特急「日生エクスプレス」で日生中央へ、山下まで戻ったら妙見口まで1往復して能勢電鉄を完乗したら大阪梅田へ戻りゴールとなります。
大まかには昨日に引き続き、南海電鉄を乗りつぶし、運休中のため乗車できない高師浜線以外の南海の路線を完乗してしまいます。
夕方からは「日生エクスプレス」に乗りつつ能勢電鉄を完乗するという内容になっており、宝塚本線の川西能勢口までの区間も初乗車なので乗りつぶしと言えますが、明日も改めて乗るので今日は「日生エクスプレス」がメインですね。
特急「こうや1号」で高野山へ
まずはホテルをチェックアウトして難波駅へ向かいます。
出発は8時42分発と比較的のんびりとした出発が出来たので、ホテルでゆっくりと朝食をとってから出発することが出来ました。
これでも「こうや」の1番列車なので、「こうや」に乗るという行程を組むならこうせざるを得なかったというのもあります。
というわけでまずは発車標です。
上から2番目の「こうや1号」に乗ります。
行先は高野山と書いてありますが、これは極楽橋で接続する高野山ケーブルの行先であり、実際に「こうや」が走るのは極楽橋までです。
「こうや」は既に入線していました。
30000系と31000系の2種類がいますが、これは31000系というやつです。
個人的には30000系の方がいかにも「こうや」という感じがして乗りたかったですが、31000系も初めましてなのでこれはこれでよかったと思います。
側面の方向幕もやっぱり「高野山」がメインで、極楽橋は小さく案内されているのみでした。
31000系も昨日乗った10000系「サザン」と同じく折戸式ドアでした。
車内です。
落ち着いた雰囲気が高野山への旅路の前に気分を落ち着かせてくれますね。
さて、それでは自分の席に座ろうと思ったら、そこにはおばちゃん2人組が陣取っていました。
あれ?席を間違えたか?それとも予約ミス?と思い自分の予約情報を改めて確認するも間違いなくおばちゃん2人組が陣取っている席が私の席だったのです。
どうやら相手の方が席を間違えているようで、お声がけするとやはり間違えだったようで移動してもらい事なきを得ました。
たまにあるトラブルですが、自分が間違える側になることもありえますし気をつけたいですね。
↑「こうや1号」の全区間車窓です。
なお、全部で1時間ちょっとありますので、モバイル回線などの方はデータ量にご注意下さい。
そして、発車時刻となりました。
南海本線の「サザン」と1分違いでの発車となるダイヤだったため、複々線で南海本線と高野線が並行する天下茶屋までは「サザン」とのデッドヒートが繰り広げられました。
ここで「こうや」について解説です。
「こうや」は南海高野線を走る特急列車であり、難波~極楽橋間を結んでいます。
列車名の通り、極楽橋から接続する高野山ケーブルで高野山へアクセスすることを目的とした列車で、南海の列車の中では観光列車の色が濃い列車となっています。
停車駅は難波を出ると新今宮、天下茶屋、堺東、金剛、河内長野、林間田園都市、橋本、極楽橋となっており、橋本までの区間列車として「りんかん」も存在しています。
観光利用が多い列車なだけあり、運行本数は土休日の方が多くなっており、土休日は6.5往復、平日は4往復となっています。
それ以外に橋本までの「りんかん」が走り、これと橋本~極楽橋間の普通列車を乗り継ぐルートも利用できるため、「こうや」が走っていない時間帯は橋本乗り継ぎルートも有用です。
これも関東で例えれば「こうや」がロマンスカー「はこね」で、「りんかん」がロマンスカー「さがみ」といったところでしょうか。
使用車種は30000系ないし31000系となっており、橋本以南の急勾配、急カーブに対応するため「ズームカー」と呼ばれるこの区間対応の車両しか乗り入れることが出来ず、「こうや」には30000系か31000系のどちらかしか充当されません。
橋本までしか行かない「りんかん」では11000系が使われることもある他、観光客が少なくなる冬季の土休日には30000系・31000系の運用数がギリギリであり、車両検査で運用を外れる車両が出ると全ての「こうや」を運行できないことから、11000系などで代走し、橋本止まりの「りんかん」に振り替えて運行されたり、運休になる列車が出たりするようです。
また、2022年には車庫内で発生した脱線事故により「こうや」に使われる30000系のうちの1編成が使用できなくなり、「こうや」「りんかん」が運休となる事態となりましたが、最終的に「泉北ライナー」の運用に50000系を投入し、11000系を「りんかん」に代用することで「りんかん」は全列車が運行再開し、今年に入って4月から脱線した30000系の修理が完了したことから「こうや」も通常の本数に戻ったのですが、何故か一時的な運用のはずだった11000系の「りんかん」と50000系の「泉北ライナー」はその後も継続されることとなったのです。
そう、実は昨晩乗った50000系の「泉北ライナー」はこうした経緯で誕生したものだったんですね。
元々「こうや」は運用がギリギリで回っていたので、これを機にゆとりある運用にしようということで、50000系「泉北ライナー」などがこのまま定期運用となる可能性もありそうですが、今のところは暫定的な措置という感じなので、やっぱり昨晩乗れてよかったです。
乗車レポートとしては、平日ということで車内は空いていましたが、郊外に行くにつれて空いていく傾向がありました。
車窓風景も橋本までは大阪近郊の路線という雰囲気で、時折田園風景になる場所もありましたが、それでも散発的に街が出てきて、ローカル線という感じではありませんでした。
途中にある金剛駅ですが、提督なら反応してしまう駅名ですかねw
ある意味、金剛提督の聖地かもしれません?w
そんな金剛駅を過ぎ河内長野駅がある河内長野市を過ぎると天見駅を通過するとトンネルに入り、これを抜けるともう和歌山県です。
この間に紀見峠を越えており、トンネルを抜けてすぐにある駅はそのまま紀見峠駅です。
和歌山側に出て再び町並みが見えてくると林間田園都市です。
あとは、橋本市内を走り橋本駅に到着です。
意外だったのが橋本でほとんどの人が降りたことで、やっぱり平日だと高野山まで行く人は少ないみたいですね。
逆に極楽橋から下ってきた列車が混み合っていたのが気になったのですが、時刻はまだ9時半頃であり、これから観光に繰り出す時間帯で、観光を終えて帰るには早すぎるよなぁなんて思っていました。
でも、よく考えてみると高野山には多くの寺院が連なり、「宿坊」と呼ばれるお寺に宿泊して修行を体験するというものがあることから、彼らは高野山の「宿坊」を体験して帰路につくところだと気付きました。
なるほど、泊まってきたならこの時間に帰るのも納得ですね。
ちなみに、私はいろんな場所に泊まってきましたが宿坊は経験がないんですよね。
調べてみると高野山の宿坊は数の多さから質を競うような傾向が見られ、本来はお坊さんや参拝者などに向けた宿泊施設だった宿坊も、今や旅館と大差がない施設を持つものもあり、仏教的な体験を盛り込んだ旅館といっていいような場所も多いようです。
橋本を出ると紀ノ川を渡ります。
ここから先はこれまでの都市近郊の路線という雰囲気から、一気に山岳路線の姿へと変わっていきます。
ここから先は最急勾配50‰で、最小半径100mの急カーブも連続する区間となっており、特に高野下~極楽橋間は33km/h制限という厳しい制限が掛かります。
これも関東で言うところの箱根登山鉄道に近い路線となっています。
箱根登山鉄道の方は箱根湯本から先へはロマンスカーは直通していませんが、関東に置き換えて考えれば小田急ロマンスカーが強羅まで直通しているようなイメージでしょうか。
このように橋本~極楽橋間は低速運転を強いられるため、難波~橋本間が43.8kmを48分で走り評定速度でいうと、54.7km/hほどになるのに対して、橋本~極楽橋間は19.8kmを33分かけて走るため、評定速度は36km/hとなり、どれだけこの区間がのんびりと走るかが分かりますね。
ぐんぐん高度を上げていき、車窓も一変してきました。
昨日の南海本線から見た大阪湾も綺麗でしたが、この時点で私の中での南海で一番キレイな車窓は高野線と決定しましたw
山の中にある駅という感じがよく伝わる1枚です。
ちなみに、「こうや」は橋本~極楽橋間ノンストップで運行しますが、単線ということもあり、列車によっては途中駅で列車行き違いのための運転停車をする場合があります。
前述の通り橋本~極楽橋間は30分以上走りっぱなしになるのですが、その間車内では高野山に関する案内が流れています。
これは観光気分を高めてくれますね。
まあ、私は高野山駅まで行ったらとんぼ返りするんですがw
鮮やかな赤い橋が見えたら終点の極楽橋です。
ちなみに、あの橋の名前も極楽橋だそうで、駅名の由来でもあるようです。
不動坂という高野山への参道に通じる橋だそうで、鉄道やケーブルカーが高野山へ達するまでは多くの参拝者がこの橋を渡っていたんでしょうね。
というわけで極楽橋に到着です。
8分でケーブルカーに乗り換えなのでのんびりは出来ませんが、サクサクっと取材をしていこうと思います。
駅名標です。
ケーブルカーと一体化した案内になっており、隣の駅は高野山となっていますが、実際には乗り換えが必要で直通はありません。
まあ、「こうや」がケーブルカー区間まで乗り入れていたら傾斜で車内が恐ろしいことになっていそうですがw
こちらは少しデザインが違いますね。
上部に「こうや花鉄道」と書いてありますが、これは高野線の橋本~極楽橋間の愛称だそうです。
あと、ここまでの駅の標高を図示したイラストもありますが、当駅の標高は535mとなっており、橋本駅からだと443mも上がってきているようです。
駅構内です。
ホームは櫛形3面4線となっており、典型的な終着駅という感じです。
ほとんどの利用者はそのままケーブルカーに乗り継ぐわけで、ケーブルカーと高野線は改札内乗り換えが可能なのですが、極楽橋駅も1つの駅であることから外へ出ることが可能です。
まあ、改札口は1つしかなく、かなり地味ですけどねw
あと、「途中下車できます」とありますが、実は高野線と高野山ケーブルは運賃が別立てとなっていて、当駅で降りようが降りまいが運賃は変わらないわけですw
駅前の光景がこちら。
実は極楽橋駅周辺は秘境駅と言ってもいいくらい何もなく、高野線とケーブルカーの乗り換えに特化したような駅なのです。
このため、乗り換え客を含めた利用者数は2019年のデータで2066人だそうですが、改札口を出入りした人数を意味する乗降客数ではわずか56人と、これは南海全体で見ても2019年時点で96位となり、これは路線の終端駅、あるいは特急停車駅としては最も少ないんだとか。
駅舎がこちらです。
木々に遮られて、ますます秘境駅感が出ています。
ちなみに、車窓から見えた「極楽橋」を見に行くならば改札を出て右に折れて林道を進むとたどり着けるようですが、ケーブルカーと乗り換えるとなると時間的に厳しいでしょうね。
改札口の向こう側は賑わっているんですが、こちら側は私の貸切状態ですw
でも、駅前に滝があるのは珍しいですし、ケーブルカーに乗り換える前に一瞬だけ途中下車して見学するのもいいと思います。
駅のアナウンスでも乗り換えの前に改札を出て滝を見て行ってはいかがですか?といった案内もしていました。
こちらがケーブルカー乗り場です。
スロープもあってバリアフリーにも配慮しているようですが、車椅子とかケーブルカーに乗せることはできるんでしょうか?
調べてみると昇降機が設置されていて、それで乗車口まで移動させて、特製の鉄板を敷いて階段部分に車椅子が移動できるだけの水平部分を作るという力技で乗車は可能みたいです。
ホーム側には高野線の発車標が設置されており、乗り換え客への案内も徹底しています。
ちなみに、10時47分発の急行難波行きで折り返すので、高野山に着いたら本当にとんぼ返りですw
ところで、いわゆる乗り鉄と呼ばれる人たちの中にはロープウェイやケーブルカーなどを趣味の対象外とする人も一定数おり、私も積極的に乗りつぶす対象としてケーブルカーやロープウェイは除外することが多いんですが、今回はここまで来たんだから乗っていこうという感じで乗っていくことにしました。
片道500円と、ケーブルカーにしては良心的な値段も理由ですねw
ケーブルカー側の駅名標です。
ホーム自体が階段状になっていることから左右の柱の長さが違っており、ケーブルカーの傾斜のきつさがよく分かりますね。
そして、ケーブルカーがやってきました。
現在のケーブルカーは4代目で2019年から活躍しているやつみたいで、まだまだ新しいですね。
かぶりつきポジションが空いていたので前の景色を撮りました。
ケーブルカーなので当然といえば当然ですが、見ているだけで後ろへの重力を感じるような急勾配ですね。
↑せっかくのかぶりつきポジションなので前面展望の動画を撮りました。
山頂まで5分程度の乗車ですが、普通の鉄道ではありえない急勾配を登るのは特別な感じがしました。
ここで高野山ケーブルについて解説です。
高野山ケーブルは極楽橋駅と高野山駅を結ぶ全長0.8kmのケーブルカーで、高野線の橋本~極楽橋間と合わせて「こうや花鉄道」の愛称がついています。
なお、「高野山ケーブル」は通称であり、正式名称は「南海鋼索線」となります。
「鋼索」というのはケーブルカーのことで、南海では唯一のケーブルカーなので、単に「鋼索線」と呼ぶだけで区別がつくんでしょうね。
運賃は500円となっており、高野線と連続利用する場合でも別立てとなり、乗り継ぎ割引などはありません。
極楽橋駅と高野山駅の間は高低差328mとなり、最急勾配は568.2‰となっています。
ダイヤですが、基本的に高野線の列車と接続するダイヤとなっており、そのため運行間隔は一定しませんが、ケーブルカーは2台の車両を1つのケーブルで結び、2両が連動して動くという仕組み上、片道のみを運行することは出来ず、上下のケーブルカーが同時に発車する必要がありますが、高野線と接続がない方向は回送扱いとする場合があるようです。
意外なのは運行時間帯で、観光利用がメインとなることが多いケーブルカーは早くても8時とか9時頃から運行が始まり、日没前には運行終了となることが多い中、高野山ケーブルは朝は5時台から、夜も22時台まで動いており、これは早朝から訪れたり、夜遅くまで滞在する人がいるのか、高野山周辺もお寺ばっかりというわけではなくて、そこで生活している人もいるでしょうから地元住民向けの運行なのかもしれません。
また、高野線からの乗り換え客がケーブルカーの定員以上に押し寄せて積み残しが発生した場合は、7分後に臨時便を走らせる運用をしているようです。
いよいよ高野山にやってきたという気にさせてくれる看板がありました。
まあ、私は駅まででとんぼ返りなんですがw
改札口です。
意外にも普通の改札機ですが、おかげで難波駅とかからICカードで乗ってきてもそのまま出場できます。
このようにICカード乗車券を使えるケーブルカーって実は意外と珍しいらしく、国内には他に5例しかないようで、かつケーブルカーでICカード乗車券を導入したのはこの高野山ケーブルが最初だそうです。
高野山内の案内図がありました。
ものすごい数のお寺が掲載されていますね。
ちなみに、これらの各寺院へは路線バスに乗り換えないといけないので、ここからは更に乗り換えが必要です。
駅前にはバスがずらりと待機していました。
ここから高野山内への移動を担うだけあって、かなりの台数が待機しています。
運行を担うのは南海グループの南海りんかんバスです。
右から左へ読む形で駅名が書かれていますが、実は駅舎自体が国の登録有形文化財に指定されているようです。
多くの観光客はバスに乗り込み、奥の院などの高野山の核心部へ向かいますが、私は駅舎だけ撮って引き返しますw
折り返す前に2階に展示室と展望台があるみたいなので寄ってみました。
高野山ケーブルと姉妹鉄道となっている「モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道」の模型もありました。
展示室はこれくらいでそろそろ乗り場へ向かいましょう。
高野山の宿坊に泊まっていた人たちが続々とバスから降りてきていたので、早くしないとケーブルカーが混んでしまいますからね。
上下ホームで乗車と降車を分けており、乗車口はこちらです。
こちらも普通の改札機がありますね。
先頭部にあったこの空間、運転席かと思えば実は違うんですね。
というのは、ケーブルカーはケーブルをモーターで巻き取って動かす仕組みなので、運転操作をするのは山上側にある駅の中にある運転盤で行っており、ケーブルカーにも乗務員が乗り込みますが、実は運転士ではなくて車掌なんです。
役割は一般の鉄道同様にアナウンスやドアの開閉、更にケーブルカー独特のものとして、進路上の安全確認があり、進路上に障害物があった場合は緊急停止させる役割もあります。
銘板がありました。
なんだかスマートでかっこいい銘板ですね。
勾配標がありました。
536‰とこれでも凄まじい勾配ですが、最急勾配は568.2‰なので、まだきつい箇所があるということですね。
この‰(パーミル)で言われてもピンとこないという方もいるかもしれませんが、よく使う%(パーセント)が100分の1を表すのに対して、パーミルは1000分の1を表す単位でして、鉄道で使う場合は1000m進んで何メートル上がるかという勾配の指標として使われます。
ちなみに、道路では勾配を表すのにパーセントを使いますが、これは一般に鉄道より道路の方が勾配への許容度が高く、道路でパーミルを使うと数字が大きくなりすぎるためだと思われます。
実例を上げると国道や高速道路で上限とされている勾配は8%であり、日本国内の普通鉄道(アプト式やケーブルカー、ゴムタイヤ式のモノレールや新交通システムを除いた普通の鉄道)で最大の勾配とされる箱根登山鉄道で80‰などがありますから、ケーブルカーの傾斜がいかに鉄道の常識から外れた急勾配を踏破できるのかが分かると思います。
↑下りも前面展望をどうぞ
今度も宿坊帰りと思われる観光客が多く、なかなか混み合った中で5分間かけて極楽橋まで下っていきました。
急行難波行きです。
実は極楽橋から難波まで直通の列車は「こうや」を除くと意外とレアで、上りでは今回利用する10時47分発の急行1本だけであり、しかも土日は「こうや」の本数が増える代わりなのか設定されないなど、特急を使わずに難波~極楽橋間を直通できるのはレアなのです。
逆に難波から極楽橋への直通は平日3本、土休日1本となっており、「こうや」の補完を担っているようです。
隣には乗ってきた「こうや」が留置されていたので並べてみました。
ちなみに、車内は普通にロングシートなので、特急料金はいりませんが快適性では負けますw
かつての東武日光線の快速・区間快速や西武池袋線の秩父鉄道直通快速急行・急行などがセミクロスシートの車両で運行されていて、乗り得列車でしたが、南海では流石にそこまでのサービスはしていないようですね。
まあ、特急料金無しで直通サービスを提供してくれているだけでもありがたいと思いましょう。
この急行難波行きに乗って、一気に難波に戻ります。
急行とは言っても河内長野までは各駅に停車していきますし、急行運転区間でも当然「こうや」より停車駅が増えていますから、「こうや」なら1時間20分のところ、急行だと1時間38分ほどかかります。
観光列車「天空」とすれ違いました。
てっきり土日だけかと思ったら、冬季以外は平日でも運行する日があるみたいです。
今回は乗りませんが、今度高野山を訪れる時は乗りたいですね。
ちょっとピンボケですが、30000系「こうや」とすれ違いました。
往路では31000系に当たりましたが、今度はこっちに乗ってみたいです。
途中にある学文路駅ですが、難読駅名としても有名ですね。
答えは写真を見れば明らかですが「かむろ」と読みます。
「学文の路」と書くことから合格祈願の縁起物として当駅の入場券が人気で、更には列車の空転を防止するための砂も「受験に滑らない」という験担ぎで提供されているようです。
余談ですが、紀州鉄道の学門駅とか、JR四国徳島線の学駅も同じように合格祈願の縁起物として人気ですね。
他に大井川鉄道の五和(ごか)駅を改称した合格駅もありますが、こちらはちょっと狙いすぎてどうなんだという気はしますw
橋本に到着しました。
ここまでは4両編成で来ましたが、ここで4両を増結して8両で難波を目指します。
流石に幹線クラスの路線のしかも優等種別が4両という訳にはいかないですよねw
あとは乗っていくだけですが、気になったのが途中にある大阪狭山市駅ですね。
急行は停まらない駅なのですが、駅名と同じく大阪狭山市という市にあるのですが、なんで頭に大阪が付いているのかというと、元々は狭山町という町だったのが市制施行することになったものの、その頃既に埼玉県に狭山市が存在しており、そのまま狭山市とするわけには行かず、区別のために大阪を着けて大阪狭山市となったのです。
これは泉佐野市や泉大津市と似たような経緯ですが、前者2つは旧国名を冠したのに対して、大阪狭山市は都道府県名を冠する例となりました。
ちなみに、大阪狭山市が誕生したのは1987年ですが、大阪狭山市駅は2000年まで狭山遊園前という駅名を名乗っており、駅名の由来となった遊園地の閉園を受けて市名を採用して大阪狭山市駅となりました。
また、近くにある河内長野市も元々は長野町でしたが、市制施行に際して長野県長野市との重複を避けるために旧国名を冠して河内長野市となりました。
なんだか大阪府内はこのパターンの市名が多いですよねw
そんなこんなで難波に戻ってきました。
ここからは泉北高速鉄道直通の区間急行で和泉中央へ1往復する予定ですが、その前に・・・
お昼ごはん!
肉まんで有名な「551蓬莱」にお邪魔しました。
前回の遠征でも食べて気に入ったので今回も食べたいと思っていたのでした。
ただ、ここで予想外の出来事が・・・なんと予定の和泉中央行きの列車に間に合わないというw
なぜこうなったかというと、お店が混んでいたとかではなくて、私のリサーチ不足です。
当初南海の難波駅構内にあるという551蓬莱を利用する予定でしたが、どうやらそこはテイクアウト専門だったようで、店内で飲食できる551蓬莱は駅から少し歩いた場所にあるようでした。
距離的には大したこと無かったので行くことにしたのはよかったのですが、複雑な地下街で迷ってしまい、お店に入った時点でもう和泉中央行きの時間に間に合わないことは明白でした。
別に10分か20分待てば次の列車が来るので遅れても予定通り乗車してもよかったんですが、夕方に大阪梅田から「日生エクスプレス」に乗るのは外したくなく、そうなるとここで行程を遅延させるのは避けたく、結果として和泉中央への1往復はカットすることにしました。
昨晩「泉北ライナー」とはいえ乗車しましたし、今回は1日乗車券を使っているわけではなくて乗るたびに運賃を払わなければならないわけで、まいっかとなったわけですw
というわけで、本来は和泉中央へ1往復してから汐見橋線に乗る予定でしたが、食後に汐見橋駅まで徒歩移動して汐見橋線に乗ってしまうことにしたのでした。
汐見橋線で南海”ほぼ”完乗!
ここからは汐見橋線と通称される路線を乗りに行きます。
前述の通り、高師浜線は運休中のため乗車できませんから、この汐見橋線に乗ることで今回の南海乗りつぶしは完了となります。
まず最初に「汐見橋線」について解説してからレポートを進めていきたいと思います。
汐見橋線は汐見橋駅と岸里玉出駅間を結ぶ路線でして、実は正式には南海高野線の一部ということになっています。
そのため、今朝極楽橋まで乗車した時点ではまだ高野線を完乗したことにはならなかったわけです。
このように正式には高野線の一部となっている汐見橋線ですが、現在は汐見橋駅~岸里玉出駅間を往復する普通列車が走るのみとなっており、全区間が大阪市内であるにも関わらず30分に1本という都会を走る路線とは思えない本数の少なさになっていて、今ではすっかりローカル線となっています。
なぜ都会を走りながらローカル線になってしまったのか、そして、なぜ高野線の一部なのかという理由を説明するには、まず高野線の成り立ちについて説明する必要があるでしょう。
現在の南海高野線となる路線は高野鉄道という鉄道会社が建設したもので、現在の南海本線であり、南海電鉄の直接の前身となる南海鉄道とは別会社の路線でした。
当初は南海鉄道の堺駅から分岐し河内長野や橋本へ路線を伸ばす計画でしたが、住吉大社や我孫子観音への参拝客の需要が見込めることから堺での南海鉄道との接続という当初案を変更し、紆余曲折ありつつも最終的に自前で大阪市内まで乗り入れることとなりました。
しかし、既に南海鉄道が走っていた難波方面へ伸ばすのは過当競争を防ぐ観点から認可が降りない可能性が高く、また当時は杉材の運搬という需要もあり、木津川の水運と連絡できる汐見橋に乗り入れることとなったのです。
現在でも地図を見ると岸里玉出駅~堺・堺東間は南海本線と高野線が数km隔てて並行しているのに対して、堺東から急に向きを変えて分かれていくので、元々堺での接続を予定していた名残が感じられますね。
こうして南海鉄道は難波、高野鉄道は汐見橋をターミナルとすることになったわけですが、高野鉄道の経営難や戦時下の鉄道会社統合の流れの中で、何度かの鉄道会社の変遷がありつつ、最終的に南海本線と高野線は同じ南海電鉄の路線となったのです。
汐見橋駅をターミナルとしたのは旅客輸送の面では南海との競合を避けるためでしたが、同じ会社になったのならばもはや競合を気にする必要もなくなり、高野線の列車も岸里玉出から南海本線に直通して難波をターミナルとするようになったわけです。
最初は難波発着と汐見橋発着が混在していたようですが、次第に高野線(橋本方面)の列車は全て難波発着となり、汐見橋線の区間は高野線とは完全に分離される格好となりました。
郊外への直通もなくなり、汐見橋駅も繁華街から離れていることから利用者は少なく、このままでは廃線もあり得るという状況でしたが、思わぬ理由で存続することとなったのです。
それは「なにわ筋線」の建設でして、「なにわ筋線」は新なにわ筋の地下を主に利用して建設することが予定されている鉄道で、南海電鉄とJR西日本の列車を直通させ、大阪市中心部を縦貫しつつ大阪駅がある梅田地区を結ぶ路線とされています。
これにより大阪市中心部と関西空港が直結出来るようになる他、JRにとっては列車密度が高く低速運転を強いられる大阪環状線を迂回して大阪駅と天王寺駅を結ぶことが出来るようになり、「はるか」や「くろしお」などの特急列車のスピードアップも期待でき、南海にとっても従来は大阪のミナミにしか直結できず、梅田などがあるキタへのアクセスはJRに後塵を拝していたのが、ついに梅田地区乗り入れが達成できるとなり、両社にとっても大きなメリットがある新線となっています。
現在ではJR難波駅と南海本線新今宮駅から接続し、現在大阪駅うめきたホームと呼ばれる地下線に繋がる計画となっていますが、当初は南海側は汐見橋駅からこのなにわ筋線と接続する構想となっており、将来的になにわ筋線との連絡線として機能することを期待して利用者が少ないながらも廃止を免れてきた経緯がありました。
しかし、最終的にはなにわ筋線は南海本線の新今宮から地下線に入るルートに決定となったため、汐見橋線はなにわ筋線とは関係がなくなることとなり、これで汐見橋線もお役御免でとうとう廃止かと思われたものの、当の南海電鉄からは「廃止の計画はない」とのコメントが出ており、今後も都会のローカル線として走り続けるものと思われます。
昔の本線だったけど、今はローカル線という意味では、関東で言えば東武亀戸線に似ている気もしますね。
というわけでそろそろレポートに戻りたいと思いますが、問題は難波から汐見橋までの移動です。
汐見橋駅の近くには大阪メトロと阪神の桜川駅があるため、電車で移動することも出来るのですが、551蓬莱を探す間にかなり歩いてしまい、地下鉄や阪神の駅を探すより、このまま汐見橋駅まで歩いてしまったほうが早い気がして歩いていくことにしました。
距離的には1kmあるかないかくらいなので普通に歩ける距離です。
途中でJR難波駅を通りました。
それにしても、難波って梅田ほどではないにせよ鉄道会社ごとに駅の場所がバラバラで初見殺しですよねw
このJR難波駅は関西本線の起点となっていますが、大和路快速などの主要列車は大阪環状線に直通して大阪駅方面へ行ってしまうため、JR難波駅にやってくる列車はラッシュこそ奈良方面の快速があるものの、日中は王寺までの普通列車ばかりというちょっと寂しいターミナルとなっています。
でも、なにわ筋線が開業すれば「はるか」「くろしお」や関空・紀州路快速なんかも停まることになりそうですし、なにわ筋線で化ける駅の1つとなりそうです。
難波方面から歩く場合、阪神高速に沿って行き、阪神高速の高架が左へ曲がっていくあたりが汐見橋駅です。
何やら立派な入口が出てきましたが、こちらは阪神なんば線の桜川駅です。
ついに南海電車が見えてきました!
あそこが、汐見橋駅ですが・・・
今停車しているということはそろそろ発車ということ・・・汐見橋線は30分に1本しかないので、できればあれに乗ってしまいたいですが・・・無情にも目の前で発車していきましたw
仕方ないので30分かけてじっくり駅を見学するとしましょう。
レトロな雰囲気が残る駅舎が現れました。
ちょっとアートも施されていて、少しでも汐見橋線を活性化しようという心意気は感じられますね。
ちなみに、真隣に阪神桜川駅の入口があって、こっちは2009年開業と新しいので、新旧の対比のような光景になっていますw
ところで、阪神と大阪メトロは桜川駅で、南海だけが汐見橋となっているわけですが、阪神の方は地下鉄に合わせる形で桜川となり、地下鉄の方は汐見橋駅とは少し距離があるということで同じ駅名を避けたと思われます。
改札口です。
昔ながらのスタイルですが、腐っても大阪市内ということで、自動券売機や自動改札機は完備しており、当然ICカード乗車券も使えます。
上には南海の路線図が掲げられていますが、レトロな見た目に反して空港線も載っていることから内容自体は現行のもののようですね。
ただ、高野線は汐見橋方面に繋がるような書き方をしているので、汐見橋線が高野線の一部であると主張しているかのようです。
こんなレトロな駅ですが、Amazonの受取ロッカーが設置されており、現代生活にもしっかり対応しているのがいいですねw
さて、さっき電車が出たばかりなので30分近く待たなければならないのが、早くもやることが無くなってきました。
このまま構内に入ってもホームで退屈するだけなのが目に見えていたので、一旦桜川駅の方へお邪魔することにしました。
駅自体は地下にありますが、改札口はこんな感じです。
列車発着時以外は人通りも少なく、阪神なんば線の中ではローカル駅という位置付けなんですかね。
きっぷ売り場ですが、微妙にスペースが余っているのも当駅の利用状況を物語っているようなw
まあ、ICカード乗車券の普及で券売機の必要性が薄れたのもあるでしょうけどね。
これから汐見橋線に乗るため、改札内へは入らずに再び地上に戻って汐見橋駅に向かいます。
ホームに入りました。
レール転用支柱といい木製の上屋といい、昔ながらの雰囲気を色濃く残しています。
時刻表です。
ほとんどの時間帯で30分に1本で、すごいのがラッシュ時間帯ですら本数が変わらないんですよね。
これは通勤・通学で利用する人がほとんどいないということなんでしょうか・・・
ホーム端です。
ワンマン運転を実施しているためにホーム監視用のミラーが設置されています。
あとは列車を待つことにします。
桜川駅への寄り道とかも含めてもまだ10分くらい暇ですw
ホーム上には他にもカメラを携えた同業者と思われる人もいて、汐見橋線がマニアに人気な様子も伺えました。
↑やってきました。
車両は元22000系を転用した2200系・2230系というやつで、高野線で使われていた「ズームカー」でした。
なので、車両運用的には高野線系統ということになりそうですが、実はこの車両は南海本線の車両基地である住之江検車区所属だったりしますw
それでは乗り込みます。
車内はマニア風の方が数名の他は、地元民と思われる方も数名と、地方ローカル線かと思うほどの閑散具合でした。
これで大阪市内ですからねw
最初の駅の芦原町駅では、大阪環状線芦原橋駅と接続しており、ここからはそこそこ乗ってきました。
大阪環状線のフィーダー路線的な需要があるんですかね。
その次の木津川駅は、かつて貨物駅だった場所で、駅名通り木津川の畔にあって、水運と連絡する駅となっています。
その先、津守駅、西天下茶屋駅と進み10分ほどで終点の岸里玉出駅に到着ですが、なんと最後は単線になってしまいますw
というわけで岸里玉出駅に到着です。
なんとも長い駅名ですが、「岸里」と「玉出」という2つの地名を合成した駅名でして、「玉出」と聞いて関西の激安スーパーとして知られる「スーパー玉出」が思い浮かぶ方もいるでしょうが、この玉出という地名が「スーパー玉出」の由来だそうです。
また、詳しくは後述しますが、元々は岸里駅と玉出駅という別々の駅だったのが、あまりに近すぎたことから高架化に合わせて統合された経緯があるようです。
ホームです。
汐見橋線は専用のホームが用意されており、線路の向こうに見えるのが南海本線のホームです。
一方、高野線橋本方面のホームは当駅北方で南海本線と分岐している関係上、南海本線・汐見橋線とは離れた場所にホームがあり、改札内乗り換えが可能ではあるものの乗り換えには不便となっています。
それに加えて南海本線・高野線ともに当駅には普通列車(各駅停車)しか停車しないこともあり、南海本線と高野線の乗り換えは全列車が停車し乗り換えも便利な隣の天下茶屋駅を利用することが推奨されており、このために当駅~天下茶屋駅間を往復乗車しても構わないという特例があるようです。
汐見橋線のホームはそのまま行き止まりとなっていて、高野線の一部のはずなのに完全に高野線橋本方面とは切り離されてしまっています。
車両の行き来の都合上、南海本線とは渡り線が設置されているようですが、高野線とは物理的に直通が不可能になっています。
ここでちょっと岸里玉出駅の歴史に触れてみたいと思います。
南海本線と高野線が元々は別々の鉄道会社の手によって建設されたことは既に述べたとおりですが、当初は先に開業していた南海本線の上を、高野線が陸橋で跨ぎ越す形になっており、なんと当時は南海本線と高野線の交差地点には駅がなかったようなのです。
南海は玉出駅、高野線は阿部野駅を交差地点周辺に設けており、両線を乗り継ぐにはこの2駅の間を徒歩連絡するしか無かったようです。
その後、南海本線と高野線が同じ会社となると南海本線に岸ノ里駅を新設し、高野線側は阿部野駅を改称の上、岸ノ里駅に統合することで乗り継ぎ駅として機能するようになりました。
時期をほぼ同じくして高野線から南海本線難波方面への直通が始まりますが、このために整備された高野線と南海本線を結ぶ連絡線は岸ノ里駅の手前で分岐する構造だったため、難波直通の電車は岸ノ里駅には停車せず、この代替として汐見橋駅から東住吉駅まで直通運転が実施されていたようですが、1970年に難波方面の列車用のホームが岸ノ里駅に設置されると汐見橋線区間から高野線へ直通する意義はなくなり、入出庫のためのわずかな本数を除いて汐見橋駅~岸ノ里駅間のみの運行となりました。
そして、平成に入り駅が高架化されることとなると、南海本線を跨ぎ越す陸橋がこの妨げとなることから撤去されることとなり、汐見橋線は南海本線のホームの脇に新たに設けられたホームを発着するようになると同時に、高野線橋本方面とは線路が分断されることとなりました。
また、この高架化に合わせてあまりにも駅間が短かった玉出駅と岸ノ里駅を統合することとなり、駅名は両者を合成した「岸里玉出駅」となったのでした。
これは九州で言うところの折尾駅に近い経緯ですが、その折尾駅も高架化に合わせてかなり姿を変えて、ありきたりな高架駅になってしまいました。
とりあえず運賃精算の都合もあるので、一旦外へ出ます。
次の電車で折り返そうと思っているので慌ただしいですw
本当は高野線ホームとかもじっくり見学したかったんですが、それはまた別の機会としましょう。
南海の2大幹線が乗り入れるとあって、コンコースは広々としていますが、乗り換え機能は天下茶屋駅の方が担っていることもあって、人はそんなにいませんでした。
当駅利用者は汐見橋線に乗り換える人か、当駅周辺に用事があるローカルな需要だけでしょうしね。
ちょうど岸里側と玉出側それぞれに出口があるようで、こんな案内がされていました。
ちなみに、南海本線におおむね並行する地下鉄四つ橋線には岸里駅と玉出駅という2つの駅があり、当駅の存在を知っているとちょっとややこしくなってきますw
改札口ですが、自動改札機はわずか2台とローカル感あふれる光景でした。
運賃表ですが、汐見橋線が南側へ伸びているような描かれ方をしているのが気になりました。
本来は難波方面の北側へ伸びているんですが、運賃表は運賃さえ把握できればいいものなので、実際の路線の位置関係は省略されてしまうんでしょうねw
出口は高架下にあるようです。
独特な構造の駅なのでもっとじっくり見学したいですが、今回は乗りつぶしがメインでどんどん行程を進めていかないといけないので、これだけで折り返します。
さて、このあと、予定では地下鉄で梅田へ移動して、「日生エクスプレス」に乗るのですが、和泉中央への1往復をカットしたことで微妙に時間が余ってしまいました。
かといって大阪観光に繰り出すほどの時間ではないしどうしたものか・・・
ここでふと閃きました。
明日は阪急の乗りつぶしを行う予定でしたが、余った時間で乗れるだけ阪急を乗りつぶしておけば、明日の行程を簡略化することが出来るということに!
実は明日の行程はホテルへのチェックインが22時を過ぎる予定となっており、更に困ったのが全国旅行支援の地域クーポンです。
ご存知の方も多いでしょうが、全国旅行支援制度では宿泊料金の割引だけでなく、休日は1000円、平日は2000円のクーポンがもらえ、これで食事や買い物ができるというありがたい制度なのですが、問題はクーポンをもらえるのは対象のホテルに「チェックインしたとき」なのです。
つまりは、予定通りの翌日の行程では22時すぎにチェックインしてクーポン券をもらっても既にお店が閉まっていて使えない可能性もありますし、仮にその時間まで営業している飲食店があったとして22時すぎまで夕飯を我慢するのもつらい・・・
クーポンは翌日まで使えるので翌朝にでも使えばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、翌朝は7時台の列車で旅立ち、そのまま大阪府とはお別れになるので、乗車前に駅弁やお菓子を買うくらいしか使い道がないんですよね。
これで駅の売店でクーポンが使えなかったら詰みなのでやっぱりチェックイン当日に食事で使うのが一番です。
これが行程を簡略化して早くホテルに入れれば、クーポンで夕飯を食べられますし、少しでも早く眠れて翌朝にも備えやすくなるというわけです。
というわけで・・・
阪急を出来るだけ乗りつぶそう!
本来は明日の予定だった阪急の乗りつぶしを出来るだけ今日中に実施することにしました。
ただ、汐見橋駅からは阪急に乗れないので・・・
まずは汐見橋駅に隣接する阪神なんば線の桜川駅に行きます。
阪神で今津へ向かい、阪急今津線から阪急に入ろうという算段です。
桜川駅は各駅停車と快速急行が停まるので便利ですが、先にやってくるのは各駅停車のようなので各駅停車に乗ってしまいます。
どのみちなんば線内は追い越しはなく、尼崎までは先行してくれるはずですし、そこで阪神本線の別の電車に乗り継げれば快速急行を待つより早く今津へ行ける可能性がありますからね。
とりあえずホームへ出たんですが、すぐに電車が来てしまったのでこれだけ撮って乗車してしまいました。
直通特急が来たのですが、これは今津に停まらないので見送りです。
結局、後続の快速急行を待つかと思っていたら、なんと5001形が来たので普通列車ですが乗車決定!
前回の遠征でも乗車し取り上げたので詳しくは割愛しますが、「ジェットカー」の中で古参の車両であり、置き換えが進行中の車両でもあるので乗れるうちに乗るに越したことはありません。
今津までやってきました。
ここで阪急今津線に乗り換えますが、せっかく訪れたので軽く駅も見学していきましょう。
乗り場案内ですが、フォントがちょっとレトロですね。
2001年までに高架化されているので、古いものが残っているというわけではなさそうですが、あえてなんですかね。
阪急電車は改札外乗り換えなのでどのみち外へ出る必要があります。
そして、こちらが阪急の今津駅です。
駅舎は完全に独立しており、連絡通路で結ばれてはいますが、別々の駅という印象を受ける配置です。
ところで、余談ですが、昔の当駅では戦時下の軍事物資輸送を目的に阪急と阪神の線路が接続されており、これがとあるトラブルを引き起こしたことがありました。
時は終戦から間もない1949年、阪神国道駅でブレーキが解除できなくなった列車があり、その際に行った修理に問題があり、ブレーキのエアを抜いてしまったためブレーキがかからなくなってしまい、奇しくも下り勾配だったことが災いして列車は暴走状態で今津駅へ向けて走り出してしまいました。
そして、今津駅を通過して繋がっていた阪神本線に進入してしまい、1駅先の久寿川駅でようやく停車したという騒動になりました。
不幸中の幸いで阪神本線を走行中の他の列車と衝突することはなく、途中で飛び降りた2名が怪我をしただけで済みましたが、少しでもタイミングがずれていたら阪神の電車と衝突する惨事になっていたところでした。
この事件は「阪急、阪神に殴り込み」との見出しで報じられ、「殴り込み事件」の通称で呼ばれることもあるようです。
この事故を受けてか、阪神と阪急の線路は分断され、高架化で完全に別々の駅となった現在では仮に今津線の列車が暴走したとしても阪神の線路に入ってしまうことは起こり得ませんが、二度と起きてほしくない事故であることは間違いないですね。
阪神の駅との乗り換え通路です。
この通路があるので、阪急と阪神を乗り換えるだけなら地上へ出る必要はありません。
駅名標です。
ちなみに、隣の駅は「阪神国道駅」ですが、これは駅前を通る国道2号の通称「阪神国道」に由来しており、阪神電鉄は全く関係ありません。
そもそも、鉄道会社名以外でも、「阪神」という言葉は大阪と神戸をひっくるめた言い方で、阪神工業地帯とか、阪神高速とか、阪神電鉄が関係ない用例は普通にありますしね。
乗る電車はこちらです。
やっぱり阪急といえばこの色ですよね。
「阪急マルーン」と呼ばれるこの色は阪急電鉄を象徴する色となっており、一種のブランドカラーとも言えますね。
方向幕はやっぱり運行区間のみを表示するタイプでした。
関西私鉄ではこの方式が流行っているんでしょうかw
それではこの電車で西宮北口駅へ向かいます。
ここで簡単に今津線について解説しておきます。
今津線は今津駅と宝塚駅を結ぶ路線ですが、西宮北口駅を境に線路が分断されており、運行形態は今津~西宮北口間と、西宮北口~宝塚間に分かれています。
このため宝塚側を今津北線、今津側を今津南線と呼び習わすこともあるようです。このように分断された経緯ですが、実は1984年までは西宮北口駅で神戸本線と平面交差する形で今津線の南北が繋がっていたのです。
開業当初は電車の編成も短く、運行本数も少なかったので平面交差でも問題なかったものの、次第に通勤路線として輸送力増強が求められるようになるとこの平面交差がダイヤ作成上のネックとなってしまったのです。
このため今津線を西宮北口駅で分断して平面交差を解消することとなったわけですが、平面交差が無くなったことで今津線も増発が可能となり、今津線利用者にもメリットがあったようです。
ちなみに、このような鉄道同士の平面交差はレール同士が交差する部分がダイヤモンド形となるため「ダイヤモンドクロッシング」と呼ばれます。
かつては全国各地で見られる光景でしたが、やはりダイヤ作成上のネックとなることから立体交差化されたり、交差する路線のどちらか、あるいは両方が廃止されるなどして消滅する例が多く、特にかつての西宮北口駅のように直交方向で交差するものは国内に3例しか残っておらず、名電築港駅付近(名古屋鉄道築港線と名古屋臨海鉄道東築線)、伊予鉄道大手町駅付近(伊予鉄道大手町線と高浜線)、とさでん交通はりまや橋電停付近(桟橋線と後免線・伊野線)のみとなっています。
乗車時間にしてわずか3分、2駅だけの乗車で西宮北口駅に到着です。
ちなみに、阪神国道駅付近でJR神戸線と交差していますが、交差地点に駅はありません。
まあ、阪神でも阪急でも大阪や神戸へ行けるので、あえてJRに乗り換える人はそんなにいないのかもしれませんけどねw
というわけで西宮北口駅に到着です。
このまま今津線を完乗!と行きたいところですが、明日の行程で宝塚本線を乗りつぶすと、流れで今津北線も乗ることになるので、今津北線は翌日に残して、伊丹線と箕面線を乗ってから「日生エクスプレス」に乗るとしましょう。
縦型ですが、長い駅名ですねw
そもそも「~北口」なんて言い方だと、まるでバス停か電停みたいな名付け方ですが、開業時からこの駅名を名乗っており、当時の西宮の市街地からは離れていた当駅を、市街地方面への支線への接続点とするべく着けられた駅名でしたが、その支線は未成線となり、代わりに阪神線と接続すべく今津へ繋がり、現在の今津線となりました。
今津南線としては終点となっていて車止めがあります。
なお、車両の出入りのための線路はちゃんと繋がっており神戸本線の神戸三宮方面に繋がっているため、今津南線の車両はここから車両基地などへ出入りしています。
コンコースです。
神戸本線と今津線の乗り換え駅であるのみならず、「阪急西宮ガーデンズ」というショッピングセンターが併設されていることもあって活気にあふれていました。
続いて神戸本線の乗り場にやってきました。
こちらは4面4線となっており、一般的な2面4線の待避可能駅に降車専用のホームを両側に足した形となっており、待避線側は両側をホームに挟まれた構造になっています。
大阪梅田という行先も、分かりやすいようで、ちょっと違和感もありますw
これは元々の梅田駅が大阪のターミナル駅であることを観光客などにも分かりやすくする意味で改称された経緯があります。
阪神も合わせて解消した他、三宮駅も「神戸三宮駅」となるなど、都市名を冠するようになりました。
↑特急の発車を見送ります。
このあとは伊丹線に乗るべく塚口駅へ向かいますが、特急は停まらないので仕方がありません。
↑塚口では乗ってきた電車の発車を撮りました。
駅名標です。
ちなみに、JRにも塚口駅がありますが、それぞれ1km程度離れており、乗り換え駅としては機能していません。
続いては伊丹線です。
これも運行区間のみを表示するスタイルですね。
塚口駅ではあまり時間がなかったのでこれだけ撮ったら乗り込みました。
ここで伊丹線についての解説です。
伊丹線は塚口駅と伊丹駅を結ぶ全長3.1kmの路線で、神戸本線に対する支線という位置付けで、全列車が普通列車であり、神戸本線への直通はありません。
このような支線が建設された経緯ですが、元々神戸本線は伊丹を経由する計画だったのが、変更されて通らなくなったため、その代替で建設された経緯があります。
伊丹市にはJR宝塚線(福知山線)も乗り入れており、競合関係にありますが、伊丹線が大阪都心部の大阪梅田駅などへ直通していないのに対して、JR宝塚線は大阪駅や北新地駅などへ直通電車があることもあって、JR優勢の状況があるようです。
というわけで伊丹駅にやってきました。
ところで、JRにも伊丹駅がありますが、場所はそれぞれ650m程度離れていて、別々の駅と言えます。
また、大阪国際空港は通称「伊丹空港」と呼ばれますが、伊丹駅とは離れており、当駅からはリムジンバスに乗り換える必要があります。
駅は島式1面2線となっています。
ただし、阪神淡路大震災以前は2面4線となっており、これはかつて宝塚方面へ伊丹線を延伸する構想があり、それが実現した場合には急行運転を実施し当駅を待避駅として利用することが考えられていたからのようです。
結局、この構想は実現せず、かつての駅も阪神淡路大震災で倒壊してしまい現在の形になりました。
ホームドアはありませんが、赤外線センサーでホーム上からの転落やはみ出しを監視するシステムとなっています。
震災を機に建て替えられた際に終端駅となったこともあり、かつての延伸構想も幻となりました。
改札口です。
JR伊丹駅と並んで伊丹市の玄関口ということで、改札機の台数は多いですね。
駅前に出てきました。
駅前はバスターミナルが整備されており、これは震災後に整備されたもので、JR伊丹駅よりも大規模なバスターミナルとなったおかげでバス路線は阪急の伊丹駅の方が充実しており、駅から更に路線バスに乗り継ぐ利用者は阪急を選ぶ傾向があるそうです。
せっかくなのでバスも撮ります。
こちらは伊丹市営バスとなっていて、近年は公営バスの民営化の流れがある中で公営を維持しているのはすごいですよね。
駅舎です。
「Reita(リータ)」という駅ビルと一体化しており、震災後に再建された駅舎となっています。
外観は商業ビルっぽいですが、駅名もちゃんと表示されています。
それでは構内に戻るとしましょう。
そうして、関西を代表する難読地名としても知られる十三駅にやってきました。
今度は箕面線に乗るのですが、箕面線が出る石橋阪大前駅へは宝塚本線に乗っていく必要がありますからね。
そういえば、ホームドアが設置されていましたね。
阪急の中でも主要駅ですし当然といえば当然ですかね。
十三駅といえば、大阪梅田駅から続く神戸本線・宝塚本線・京都本線の3路線並行ですね。
というわけで阪急宝塚本線に乗って石橋阪大前駅にやってきました。
ここから箕面線に乗り換えです。
ちなみに、当駅は2019年まで石橋駅でしたが、大阪梅田駅などと合わせて大阪大学豊中キャンパスへのアクセス駅であることを分かりやすくする意味で改名されました。
ただし、鉄道での最寄りは大阪モノレールの柴原阪大前駅であり、石橋阪大前駅からだと徒歩20分ほどかかるみたいです。
まあ、大阪都心部や宝塚方面から通うならば石橋阪大前駅も有用でしょうし、若い大学生ならば徒歩20分なんてへっちゃらですよねw
こちらが箕面線のホームです。
観光地の側面もある箕面へ向かう路線であるからか観光客向けと思われる看板もありますね。
ちなみに、乗り場の脇にこんな場所があります。
どうみてもホームなんですが、実は現在この場所は乗降には使われておらず、ホームの本来の用途としては機能していません。
ではなぜこんな場所が作られたかというと、写真左手は石橋阪大前駅で行き止まりとなる線路で、右手の2本は宝塚本線に繋がる短絡線となっているわけです。
意外と最近で驚きますがなんと記事執筆時点で去年となる2022年までは箕面線と宝塚本線を直通する列車が設定されており、その列車が当駅で客扱いが出来るように連絡線上にホームが設置されましたが、直通運転がなくなると回送列車を通すためだけの線路となり、ホームとしての役目は終えることとなったのです。
ここで箕面線について解説です。
箕面線は石橋阪大前駅と箕面駅を結ぶ全長4.0kmの路線で、宝塚本線を建設した箕面有馬電気軌道の手によって宝塚本線と同時に開業しました。
箕面には箕面の滝や箕面温泉などの観光スポットがあるため、観光路線という顔もありますが、大阪都心部に近いこともあってベッドタウンとしても発展しており、通勤・通学路線の顔も持ちます。
駅名標です。
これも難読地名の1つだと思いますが、「みのお」と読みます。
ホームは櫛形2面2線となっています。
ちなみに、かつては駅構内に「もみじの足湯」という足湯が営業していたそうですが、2021年に営業終了したようです。
隣にはこんな石碑がありました。
「日本最初大聖歓喜天出現霊場」とありますが、仏教守護の神様だそうで、当駅周辺にある西江寺がゆかりがあるんだとか。
最後に阪急バスを撮ったら撤収です。
あとは大阪梅田に戻って「日生エクスプレス」に乗ります。
「日生エクスプレス」で能勢電鉄乗りつぶし
というわけで寄り道の阪急乗りつぶしも一段落し、いよいよ後半の目玉となる「日生エクスプレス」に乗車します。
まずはこの「日生エクスプレス」について解説ですが、「日生エクスプレス」は阪急宝塚本線と能勢電鉄妙見線・日生線を直通して運行される特急列車であり、大阪梅田駅と日生中央駅を結んでいます。
位置付けとしては日生中央駅付近の阪急日生ニュータウンと大阪都心部を結ぶ通勤・通学客向けの列車であり、運行は平日のみ1日7往復設定されており、上りの大阪梅田行きは朝ラッシュ時間帯のみ、下りの日生中央行きは夕方ラッシュ時間帯のみと、完全に通勤輸送に特化した列車となっています。
昨日乗車した「泉北ライナー」は土日も運行していたり、朝夕のみとはいえ、同時に上下両方の列車が走るなど「日生エクスプレス」とは違った特徴がありましたね。
ちなみに、阪急電鉄では特急料金の制度自体がないため、「日生エクスプレス」は神戸本線や京都本線の特急と同じく運賃のみで乗車可能です。
そんな「日生エクスプレス」ですが、停車駅は大阪梅田を出ると十三、石橋阪大前、池田、川西能勢口、平野、畦野、山下、日生中央となっており、宝塚本線では急行が停車する豊中、蛍池を通過する他、宝塚本線完結の列車では最上位種別である通勤特急が停車する豊中も通過するため、宝塚本線内に限ってみても最上位種別となっています。
また、2023年現在宝塚本線では「日生エクスプレス」以外の特急は存在せず、宝塚本線唯一の特急という見方もできます。
能勢電鉄線内においても通過運転を行っており、「日生エクスプレス」以外は能勢電鉄で通過駅を持つ列車はないため必然的に「日生エクスプレス」が最上位種別となります。
列車名の由来である日生中央駅、及び阪急日生ニュータウンですが、ニュータウンの開発者である「日本生命保険」が由来となっており、間接的とはいえ鉄道会社以外の民間企業名がついた列車名という意味でも珍しいと思います。
南海の難波駅も立派なターミナルでしたが、阪急大阪梅田駅も負けていませんね。
何度か訪れていますが、来る度に感心させられますw
「日生エクスプレス」の発車標を貼ると見せかけて京都線ですが、「準特急」という種別名が気になって紹介します。
「準特急」は長らく京王電鉄でのみ使用される種別名となっていましたが、2022年3月のダイヤ改正で特急と統合される形で消滅し、同年12月のダイヤ改正で阪急において採用されたことで9ヶ月のブランクで復活した形になりました。
これは阪急電鉄が2024年より着席保証サービスを開始する予定であり、このサービスの対象となる列車を明確化する意味で、従来快速急行として運行していたものを準特急と改名し、”特急”が着く種別で着席保証サービスが行われるということで分かりやすくする意味があるようです。
そういえば、「大阪梅田」に改名されてからは駅名標を撮っていませんでした。
そして、こちらが「日生エクスプレス」の発車標です。
上から3番目に出ているやつです。
こちらが「日生エクスプレス」です。
何やらカラフルな電車ですが、「SDGsトレイン」だそうです。
最初は「日生エクスプレス」の専用ヘッドマークとかあるのかなと思いましたが関係なかったですねw
行先表示です。
「日生エクスプレス」以外は能勢電鉄と阪急電鉄の直通はないので、この行先も「日生エクスプレス」でしか見ることが出来ません。
車内案内表示です。
十三から石橋阪大前までノンストップもすごいですが、能勢電鉄内でも平野まで5駅連続通過とか、なかなかの俊足っぷりです。
LCDを活かしてスクロールする形式だったので終点の日生中央まで含めて撮り直しました。
あとは乗車していくだけです。
流石にラッシュ時だけあって大阪梅田駅の時点で混み合っていますが、早めに乗り込んだおかげか座ることが出来ました。
そして発車です。
まずは中津の1駅を通過して十三ですが、ここから乗る人も多く、車内は更に混み合いました。
十三は神戸本線や京都本線との分岐点ですからこれらからの乗り換え客なんでしょうね。
そして、いよいよ「日生エクスプレス」が本気を出す石橋阪大前までの区間です。
宝塚本線自体がそこまで高規格路線というわけではないのと、ラッシュ時ゆえに先行列車との兼ね合いもあるのかそこまで飛ばしている様子ではありませんでしたが、10分ほどで石橋阪大前です。
そう、実はついさっき箕面線から乗り換えるのに利用した石橋阪大前駅です。
つまりは、わざわざ大阪梅田まで行かなくても石橋阪大前で待っていれば「日生エクスプレス」に乗れたわけですが、どうせなら始発から終点まで乗りたいとなるのが乗り鉄という人種の習性なのですw
石橋阪大前では箕面線方面の乗り換え客なのかある程度降りていきました。
池田、川西能勢口と来てここからいよいよ能勢電鉄です。
意外と乗客の入れ替わりはなく、普通に能勢電鉄まで乗り通す人が多いようです。
そりゃあ、だからこそ直通を設定しているわけですからねw
驚いたのはここで進行方向が変わったことでして、能勢電鉄って大阪梅田方向ではなく宝塚方向に向く形で川西能勢口駅に乗り入れているので、大阪梅田から能勢電鉄に直通すると川西能勢口でスイッチバックすることになるんですね。
ここからが能勢電鉄ですが、ここで能勢電鉄について簡単に解説です。
能勢電鉄は川西能勢口駅から妙見口駅までの妙見線と、山下駅から日生中央駅までの日生線の2路線を展開する鉄道事業者で、能勢妙見山への参詣路線として計画されたことから能勢電鉄という社名になりました。
現在は保有車両のすべてが阪急電鉄から譲渡された車両であり、阪急電鉄の駅から出ている路線ということもあり、阪急との関係が深い会社ですが、設立の経緯自体は阪急は関係ありません。
前述の通り能勢妙見山への参詣路線や沿線の特産品輸送を目的に設立され、着工もしたものの当初から経営が安定せず、ようやく開業したと思えば電気代が払えず電気を止められてしまうという珍事まで発生しました。
この頃に現在の阪急電鉄の資本を受け入れる形で現在の関係が成立し、戦後は沿線の住宅開発が進んだこともあって利用者が増え、現在では経営も安定しているようです。
そのため、当初の参詣路線というよりも通勤路線という性質を持つのが現在の能勢電鉄といえます。
路線は川西能勢口と妙見口を結ぶ妙見線と、山下駅から分岐し日生中央駅までを結ぶ日生線の2路線に加えて、ケーブルカーとリフトも運営していますが、鉄道線についてのみ解説すると、妙見線が本線で日生線が支線という形になりますが、運行形態としては逆になっており、「日生エクスプレス」を除くと川西能勢口~日生中央間の系統と、これに接続する形で山下~妙見口間の系統の2種類となっており、川西能勢口~妙見口間を直通する列車は早朝や深夜帯にわずかにあるのみとなっています。
また、妙見線の川西能勢口~山下間と日生線は複線化されている一方、山下~妙見口間は単線のままなど、妙見山への観光よりも日生ニュータウンへのアクセスに重点を置いていることがダイヤ面からもよく分かります。
そんな能勢電鉄に入り平野、畦野と停車して山下ですが、意外とここで降りる人が多かったです。
彼らは妙見口方面のホームへ移動していったのですが、妙見口方面の各駅への利用者も一定数いるみたいですね。
そこから日生線に入っていよいよ終点の日生中央駅です。
駅名標です。
能勢電鉄独自のデザインとなっていて、妙見山のイメージからか森林や草花が描かれたものになっています。
ホームは2面2線となっていて、島式ホームに単式ホームが併設され、単式ホーム側は降車専用となっています。
コンコースです。
ニュータウンの玄関口とあって広々としたコンコースです。
改札口です。
開業時こそローカル色の強かった能勢電鉄も、今や都市鉄道の一角をなし、自動改札はもちろんICカード乗車券にも対応しています。
駅前に出ました。
バスターミナルもあり、阪急バスが乗り入れています。
それでは能勢電鉄で引き返すとしましょう。
今度は普通列車であり、能勢電鉄の車両です。
でも、色は阪急と同じ阪急マルーンなので、素人目には阪急電車と見分けがつかないかもしれませんねw
川西能勢口行きですが、一部の字を大きく書くのは関西でよく見かける気がします。
次に乗るのはこちらです。
阪急電車とは違ってツートンの塗装になっていますが、これはかつての塗装のリバイバルだそうです。
”Noseden Bookmark Train”だそうですが、沿線の風景などの写真をインスタグラムに投稿してもらい、選考された写真を車内に掲示するという趣旨の列車なんだとか。
方向幕です。
山下~妙見口間のシャトル便となっていますが、まるで支線扱いですねw
↑発車を待っていると後続の「日生エクスプレス」がやってきました。
妙見口行きへ乗り継ぐ人も多いみたいで、ぞろぞろと乗り換えてきました。
そして、発車です。
途中には光風台や”ときわ台”などいかにもニュータウンという感じの駅名が続きますが、この先も沿線はニュータウンが広がっています。
ところで、ときわ台というと関東民にとっては東武東上線ですよねw
そして、終点の妙見口に到着です。
これにて能勢電鉄完乗です。
駅舎ですが、ここに来て一気にローカル感が強くなりました。
まあ、妙見山への玄関口としてはこういう雰囲気の方がいいのかもしれません。
花折街道という石碑がありましたが、これは川西の一の鳥居から能勢妙見への参道として整備された街道だそうで、おおむね能勢電鉄の経路と重なりますね。
ちなみに、ここから妙見山へは徒歩か路線バスで黒川駅というところまで行って、妙見ケーブルに乗車、更にリフトに乗り換えですが、ケーブルカーとリフトは能勢電鉄が2024年中を目処に廃止する旨の発表が出たため、それ以降のアクセスがどうなるかは未だ不明です。
流石に路線バスなどの手段を用意するとは思うんですが、妙見口駅の方から妙見山へ登る車道がなく、山の反対側へ迂回するような経路になってしまうので、路線バスが設定されるとしても別の駅を発着する形になる可能性が高く、そうなると妙見口駅は駅名に反して妙見山への玄関口としての役割を失うことになりますね。
実は活動時点ではケーブルカーとリフトの廃止は発表されておらず、帰宅後記事を執筆しているときに知ったのですが、訪問前に知っていれば一緒にケーブルカーとリフトも乗っていたと思います。
ケーブルカーやリフトを乗り鉄の対象に含めるかはケースバイケースですが、無くなると聞くと乗っておかないと!となるのも人間のサガですかねw
というわけで、そのうち何らかの機会に乗りに行くかもしれませんw
駅舎内です。
照明のデザインと言い全体的にレトロ調ですが、自動券売機はちゃんとありますね。
早朝の5時台の2~3本以外は川西能勢口まで行かずに山下乗り換えですというお知らせです。
沿線にときわ台、光風台などのニュータウンがあるとはいえ、日生ニュータウンの方が需要が大きいんでしょうね。
ホームを改めて撮影です。
それにしても、単式ホームの意味ってなんなんでしょうねw
昔は乗降を分ける必要があるほど混み合っていたんでしょうか。
斜めから見ると見え方が変わるというトリックアート的な作品でした。
↑次に乗る電車がやってきました。
↑「日生エクスプレス」の折返しと思われる回送がやってきました。
信号設備の関係なのか一旦停車するんですね。
日生中央行きの電車を撮ったりしつつ、川西能勢口行きを待ちます。
その電車は撮りそこねたので、記事は川西能勢口に飛びますw
能勢電鉄と阪急は構内を共有しており、乗り継ぐ方向によっては対面乗換が出来るのですが、裏側がそのまま阪急の駅名標になっているのが面白かったです。
晩御飯は大阪を中心に展開するローカル回転寿司チェーンの「大起水産」にお邪魔しました。
キャビア乗せのエビなど珍しいネタもありました。
旅行支援のクーポンもあるので奮発しちゃいましたw
お腹も満たされたらホテルへチェックインして翌日に備えます。
というわけで2日目はこれにて終了とし、3日目以降は別記事として追ってレポートしますので公開までしばらくお待ち下さい。