3泊4日で実施した関西乗りつぶし旅の2日目です。
なお、1日目をご覧になっていない方はそちらから先にご覧になることをおすすめします。
本日の行程
2日目となる今日は、宿泊した近鉄奈良からスタートし、まずは近鉄奈良線で大阪難波へ、そこから特急「しまかぜ」で賢島へ向かったら五十鈴川まで普通列車で1往復する行程を挟みつつ特急で京都で、また特急で近鉄奈良へ戻って宿泊です。
ホテルは同じところに連泊でしたので、活動中に使わないものはホテルの部屋に置いていけたので身軽に動けました。
活動の趣旨としては山田線・鳥羽線・志摩線の乗りつぶしがメインですが、近鉄特急を乗り回そうという意味合いも強く、1日で3本も特急に乗るという贅沢な1日となっています。
近鉄特急「しまかぜ」
それでは早速本編です。
2日目の朝は曇り空の中で始まりました。
雨が降っていないのがせめてもの救いですが、予報では昼ごろから降るとかいう話だったので「しまかぜ」の車窓は無理かな・・・?
まずは近鉄奈良から大阪難波へ移動することから始まります。
「しまかぜ」は観光利用に特化した列車ということで、大阪難波を出るのが10時40分と遅く、大阪までの移動を考えても9時過ぎに出発しても余裕過ぎるくらいです。
そこで・・・
あえて普通列車で移動しますw
ちょうど大阪へ買い出しやレジャーで出かける人が多い時間帯でしょうし、少しでも空いているであろうことも期待していました。
待っていたのは阪神の車両でした。
「SDGsトレイン」のようです。
新大宮を過ぎると平城宮跡が見えます。
歴史的に貴重な場所を鉄道が横切っているということで、ちょっとした名所にもなっているようですが、国営公園化に向けて線路の移設を検討するという話も出ていて、もしかしたらいつか見られなくなる光景なのかもしれません。
しかし、去年になり、近鉄奈良線の移設を推進してきた前知事が退任し、代わって当選した山下知事が移設事業の費用対効果を疑問視しており、移設が撤回になる可能性もあるみたいで、今後の流れに注目したいですね。
ちなみに、どうして平城宮跡という貴重な遺跡がある場所に線路を通すことになったのかという話ですが、平城宮自体は近鉄奈良線を建設する時点では既に知られていたものの、当時は大極殿跡付近のみが平城宮跡の範囲とされていて、現在近鉄奈良線の線路が通るあたりは当時水田となっていたらしいのです。
つまり、当時目に見える遺構が残っていた範囲で平城宮跡を避けて現在の近鉄奈良線を建設したものの、後年の発掘調査で平城宮の範囲が正確に分かり、それをもとに特別史跡に指定され、結果として平城宮跡を近鉄の線路が横切るという光景が生まれたわけです。
あとは普通に大阪難波まで移動ですが、やはり各駅停車ということで空いていましたね。
ただ、それも生駒あたりまでで、大阪府内に入ると各駅停車でもそれなりに混んでいました。
↑乗ってきた列車の発車シーンです。
それではあとは「しまかぜ」を待ちますが・・・
↑暇つぶしも兼ねてやってくる列車を撮ったりしました。
「しまかぜ」の先発で発車する「アーバンライナー」です。
以前の活動で乗車し、私にとっては初めて乗車した近鉄特急でもあります。
↑発車シーンです。
それではいよいよお目当ての「しまかぜ」の入線です。
↑入線シーンですが、入線する方向を間違えるというw
実は大阪難波駅での折り返しは阪神線側にある引き上げ線を使うことが多く、基本的には桜川駅方から入線することになるのですが、車両基地から回送で大阪難波駅へやってくる列車の場合は大阪上本町駅方から入線する場合もあるという情報をキャッチしており、「しまかぜ」も間合い運用などもないはずなので、車庫から直接出庫であると考えられ、ならば大阪上本町方から入線してくるであろうと考えていたのですが、実際には桜川方からの入線でした。
出庫運用であっても、一度引き上げ線にいれる運用もあるんですね。
動画はちょっとミスりましたが、気を取り直して写真でも撮っていきます。
「ひのとり」と並んで近鉄のフラッグシップといってもいい車両であり、乗るのは楽しみですね。
行先表示を押さえておきましょう。
この列車で賢島まで行き、一気に山田線・鳥羽線・志摩線を乗りつぶしてしまいます。
車内です。
1+2列配置という時点で豪華ですが、これは「しまかぜ」では標準的なクラスとなります。
というのは、「しまかぜ」はレギュラーシート(普通車)の設定がなく、全車両がプレミアムシートと称するJRでいうグリーン車相当の座席になっています。
更に一般的な座席車両だけでなく、グループ向けの個室席の設定もあり、更にカフェも設定されるなど、伊勢への旅を盛り上げてくれる特別感ある車両となっています。
そのため、利用するには通常の特急料金とは別に「しまかぜ」特別車両料金と称する追加料金が必要であるなど、近鉄特急の中でも格上の存在として扱われています。
そのような特殊性から間合い運用はなく、「しまかぜ」でのみ運用され、他の短距離の特急などで走ることはありません。
「しまかぜ」としての運行は全部で3系統あり、今回乗車する大阪難波~賢島間の系統のほか、京都~賢島間、近鉄名古屋~賢島間の設定があり、すべての系統で1編成ずつ必要ながら、「しまかぜ」の近鉄50000系は3編成しかなく、つまりは予備がないため、車両検査時などは運用できないこととなり、各系統ともに週に1回程度は運休日が設定されているため、利用の際は注意が必要です。
大阪難波~賢島系統は火曜日、京都~賢島系統は水曜日、名古屋~賢島系統は木曜日が原則的に運休となりますが、夏休みなど長期休暇の時期は運休する曜日であっても運行する場合もあります。
こちらが座席です。
本皮を使ったシートはやっぱり高級感がすごいですね。
機能も素晴らしく、電動レッグレストのみならず、背もたれにエアクッションが仕込まれていて、ボタンで硬さを調整するランバーサポート機能やリラクゼーション機能まで付いています。
シートピッチは1250mmあり、JRの一般的なグリーン車を上回り、グランクラスにも迫るものになっているんだとか。
そのため、「しまかぜ」の定員は先頭車で27人、中間車で28~30人となっており、一般的な特急型車両の半分ほどの定員となっていることからも、どれだけゆったりと乗車できる列車なのかが分かりますね。
このような特徴から、JRグループでいえばE261系「サフィール踊り子」に通ずるものもありますが、近鉄はプレミアムシートであってもJRほどは追加料金が高くないため、コスパという意味では「しまかぜ」の方がいいかもしれません。
登場からなんだかんだでそろそろ10年を迎えようという「しまかぜ」ですが、今でも人気は衰えないようで、私が予約したときも最後の1席をギリギリで確保できたという始末で、当日は言うまでもなく満席御礼でした。
あと、通常のテーブルに加えて、肘掛けに格納されたミニテーブルもあるんですが、これはシートピッチが広すぎて前席や壁面に搭載するテーブルでは座席から遠くなりすぎて不便だからなんですかね。
↑あと、びっくりしたのが、ブラインドまで電動なんです!
電動で開閉する窓ガラスは相鉄などで見たことがありますが、ブラインドが電動というのは初めて見ましたね。
こちらはサロン席です。
車内を移動中に、まだ利用者がお見えになっていない席があったのでそのスキに撮らせてもらいました。
「しまかぜ」ではグループ用の座席としてサロンと個室を用意しており、サロンは定員6名で最低4名から発売、個室は和風と洋風があり、それぞれ定員4名で最低3名より発売となっています。
なので、私のようなお一人様には無縁な設備ですが、グループでの旅行では個室ならば周囲に気兼ねなくワイワイ楽しく移動できますし、子供を連れての旅行でも気楽ですよね。
また、利用区間にも制限があり、大和八木~伊勢市間、もしくは近鉄四日市~伊勢市間を跨ぐ区間でないと利用できないことになっており、大阪難波~大和八木とか名古屋~四日市といった利用は出来ないことになっています。
これは短距離利用者で個室が埋まってしまって、メインターゲットである伊勢への観光客が利用できなくなることを避けるためなんでしょうね。
ところで、これはちょっと裏技的な話なのですが、近鉄ではこのようにグループ用席を設けており、最低人数未満の人数では予約できないのが、不足する人数分の特急券・乗車券(小児料金で可)を買えば、最低人数未満の人数でも利用することが事実上黙認されているようなのです。
例えば2名で個室を使いたい場合、実際に乗車する2名分の乗車券+特急券+個室券に加えて、最低人数に対して1名不足しているので、1名分の乗車券+特急券の小児用を追加で購入すれば個室を使ってもいいみたいです。
実際には乗らない人の分のきっぷまで買わなければならないので割高感は否めませんが、裏技として知っておくといいかもしれませんね。
近鉄としても実際に乗ろうが乗るまいが最低人数分の切符を買ってくれるなら黙認という感じなのでしょうか。
といったところでそろそろ発車です。
懸念していた天候ですが、幸い雨は降っていないので・・・
↑車窓をどうぞ!
大阪難波を出ると大阪上本町・鶴橋と停車していき、その間に空いていた席も埋まっていきまして、鶴橋の時点で満席となったようです。
鶴橋はJR大阪環状線とも接続していますから、一番乗り換え客が多いんでしょうね。
鶴橋を出ると大和八木・伊勢市・宇治山田・鳥羽・鵜方・賢島と停車しており、「ひのとり」が停まらない大和八木に停車する一方で、「アーバンライナー」が停車する名張は通過するなど速達型と停車型の中間といった停車駅であり、、山田線・鳥羽線・志摩線内でも他の特急が停車する伊勢中川・松阪・五十鈴川・志摩磯部といった駅を通過しており、「しまかぜ」は停車駅が少ない列車という位置づけになっています。
他の速達型特急とは異なる停車駅なのは、利用目的が観光に特化しているためでしょうか。
大和八木に停まるのは奈良方面や橿原神宮前・吉野方面からの乗り継ぎを考慮して、周遊観光に使えるようにということですかね。
面白いのが名古屋発着の「しまかぜ」でして、大阪~名古屋間の甲特急である「ひのとり」が停車する津を通過する一方で、逆に「ひのとり」が停まらない近鉄四日市には停まるという千鳥停車の関係になっていたりします。
大阪線内は以前に「アーバンライナー」で乗車していることもあり、快適な座席に身を預けていると、気付けば伊勢中川を通過して山田線に入っていました。
伊勢中川は大阪線・名古屋線・山田線の3路線が集まるジャンクションと言える駅ですが、大阪難波~近鉄名古屋間を結ぶ名阪特急は伊勢中川駅の手前にある中川短絡線と呼ばれる短絡線を通って名古屋線と大阪線を伊勢中川駅を経由せずに直通しているため、そもそも経由しておらず、停車するのは山田線に乗り入れる伊勢方面の特急のみとなります。
伊勢方面でも「しまかぜ」と「伊勢志摩ライナー」は通過しており、それ以外の特急は伊勢中川に停車しています。
そして、ここからは山田線ですが、関東住みの私としては岩手県を走る山田線の方を連想してしまいますw
山田線は伊勢中川~宇治山田間を結ぶ路線で、松阪市・伊勢市といった都市を沿線に抱える他、終点の宇治山田駅は伊勢神宮外宮の最寄り駅であり、宇治山田駅から更に伸びる鳥羽線・志摩線を介して伊勢・志摩地域へもアクセスできるなど、観光路線という側面もあります。
「しまかぜ」は山田線内では伊勢市と宇治山田にのみ停車しており、伊勢神宮外宮への需要を狙ったものと思われます。
実際この2駅で降りる人が多かったですね。
そんな宇治山田駅を出ると路線名は山田線から鳥羽線へと代わっていきます。
実態としては山田線と一体的に運行されており、直通列車も多く設定されているのですが、それでも別路線扱いとなっているのは鳥羽線の歴史が関わっていて、最初に鳥羽に到達した鉄道は現在のJR参宮線であり、これに接続する私鉄線として志摩電気鉄道が現在の志摩線となる路線を建設しました。
そんな志摩電気鉄道は現在の伊勢市までの延伸を計画していたものの結局実現できず、戦時下の統制で三重交通の路線となりました。
一方、現在の近鉄の前身の1つである参宮急行電鉄は大阪線を延伸する形で宇治山田までの路線(現在の山田線)を開業させ、伊勢神宮外宮への観光ルートを開発しました。
更に奥にある伊勢志摩への観光開発にも当然乗り出し、宇治山田駅から賢島への特急バスを走らせ、これと近鉄の列車を対面乗換できるように宇治山田駅を改造するなどの対応をしましたが、やはり列車で直接伊勢志摩へアクセスできる方がよいという判断から、三重交通の路線だった志摩線を合併により近鉄の路線とした上で、山田線と志摩線を結ぶルートとして建設したのが鳥羽線だったわけです。
このため、従来は観光需要も大きかった参宮線は、近鉄に利用者を奪われる形でローカル線に転落することになりますが、これにより名古屋や大阪といった大都市から賢島まで直通の特急を走らせることが出来るようになったのでした。
そんな鳥羽線内では「しまかぜ」は途中駅は一切無視して、起点の宇治山田駅と終点の鳥羽駅のみ停車していきます。
鳥羽駅は周辺にリゾートホテルが集まっていることもあり、ここで降りる利用者が非常に多く、一気に車内は閑散としていきました。
賢島が不人気というわけではないでしょうが、まず鳥羽へ行き、あとから賢島へ周遊するなんてプランの人も多いんですかね。
鳥羽から先は志摩線となりますが、JR参宮線は鳥羽までなので、ここから賢島までは鉄道では近鉄でのみ移動できる区間ということになります。
前述の通り、志摩電気鉄道を前身とする区間であり、近鉄線となった当初はほとんどが単線だったそうです。
それも順次改良されていき、複線化と併せて線形改良もされた結果、今では大半の区間が複線となり、最高速度130km/hで走行できる路線になっています。
沿線には志摩スペイン村といった観光スポットもあり、観光路線という性格が強いですが、意外にも車窓から海が見える区間はほとんどないんですよね。
志摩半島の急峻な地形を縫うように走るためなんですが、鳥羽線を合わせても海が見えたのは鳥羽駅付近と賢島駅到着間際くらいでした。
なので、海の景色は列車を降りてからのお楽しみということになりますね。
そんな志摩線では途中に鵜方駅のみ停車しますが、この鵜方駅は志摩スペイン村の最寄り駅だそうです。
やっぱり自社系列の観光スポットは優遇しているんですねw
ちなみに、鵜方駅到着時の車内チャイムも「志摩スペイン村」のCMソングを使っているそうです。
最後に海を見つつ、いよいよ終点の賢島に到着です。
直前で短い橋を渡るのですが、これって何気に海を渡っているんですよね。
そう、実は賢島って本当に「島」なんです。
最も短いところでは本州本土と10メートル程度しか離れていないほど近く、鉄道・道路とも橋で結ばれているため、いまいち島という感じがしませんよねw
ちなみに、賢島はかつて「かちこえ島」と呼ばれており、これは干潮時には本州本土から徒歩で渡れたことから、徒歩を意味する古語である「かち」で「越えられる」ということでこの名前となったようです。
これが訛り、「かしこ山」を経て「かしこ島」となったそうで、志摩電気鉄道が賢島に乗り入れた際に漢字が当てられ、現在の「賢島」という表記になったそうですよ。
「しまかぜ」を降りる名残惜しさも感じつつ降り立った賢島駅です。
初訪問なんですが、行程の関係上10分程度しか滞在できないので、駆け足での見学となります。
乗ってきた「しまかぜ」を撮ります。
大阪難波は地下駅だったので、地上の明るいホームで撮れるのはここが初ということになりますからね。
大阪からの乗車の間に、すっかり天気は回復し、日差しすら出てきて暑いくらいでした。
なんと、「しまかぜ」3編成が一同に会していました!
大阪からの列車に加えて、京都、名古屋からの列車も折り返しを賢島駅で待つので、このような並びが実現するわけですね。
火・水・木はいずれかの系統が運休となるため、この並びが見られるのは金・土・日・月のいずれかである必要があります。
それでは改札を出ます。
ラッチが似合いそうな雰囲気ですが、自動改札機がありました。
改札外から見た構内です。
上には発車標もありますが、特急と普通列車で分かれており、停車駅の案内が必要な特急の方が面積が大きいこともあり、特急がメインの駅なんだなと実感しますw
実際、本数としても普通列車は日中では1時間あたり1本なのに対し、特急は大阪行きと名古屋行きが1本ずつの2本走る上、観光客の帰宅時間帯にあたる14時~15時台なんかは特急が1時間あたり3~4本走る時間もあるなど、完全に特急中心のダイヤとなっています。
それでも、普通列車が1時間に1本はあるならば、北海道とかのローカル線に比べたら全然恵まれていますけどねw
改札外には「しまかぜ」の空席状況が案内されていました。
この日は京都行きのみ残席があり、大阪行き・名古屋行きは満席となっていました。
といっても、突発的なキャンセルが出たりして空席が突然出る可能性もあるので、満席でも諦めずにネット予約などで申し込んでみる価値はあると思います。
顔出しパネルなんでしょうが、フラッグシップである「しまかぜ」ではなくて普通列車なんですねw
コンコースにはこんなキャラクターがいました。
最初はよくあるご当地キャラかと思ったのですが、調べてみると「ミシュマル」というポケモンなんだとか。
ポケモンといえば、私も子供の頃はハマったものですが、なにしろ知識が1990年代で止まっているので、それ以後に登場したポケモンはさっぱり分かりませんw
更に調べると、たまたま三重県のイメージに近いデザインであることもあって、三重県とコラボしているみたいでした。
そういえば、鹿児島県の指宿に行ったときにも、「イーブイ」とコラボしたりしていましたね
時間がないですがとりあえず駅前に出ました。
周辺は土産物屋が立ち並ぶ典型的な観光地という感じでしたが、遊覧船へと客引きするおじさんがいたのが印象的でした。
このあたりの海は英虞湾と呼ばれますが、その遊覧船が観光の目玉ですかね。
ちなみに、ここに鉄道が通った当初は観光地どころか定住者もいない無人島だったそうで、ここに駅が出来たのは旅客輸送よりも貨物輸送が重視されており、真珠養殖の資材を運ぶ目的があったそうで、賢島駅の先にも線路が続いていて、真珠港駅という駅があったそうです。
志摩電気鉄道時代は国鉄と同じ狭軌だったため、貨車の直通が可能だったのが、近鉄に譲渡され標準軌へと改軌されると、国鉄との直通が不可能になり、貨物輸送も出来なくなり、真珠港駅も廃止になりました。
といったところで引き返しです。
五十鈴川駅へ1往復
このあとは普通列車で五十鈴川駅へ1往復ですが、この行程の目的というのは、できる限り特急だけでなく普通列車でも乗っておきたいというのがありまして、それを実現するための行程です。
なお、五十鈴川駅より先は明日の行程で乗る予定であり、五十鈴川駅で折り返しにしたのは五十鈴川駅の1つ先の宇治山田駅で対向の賢島行きと離合するダイヤになっており、五十鈴川駅で降りればギリギリ駅前に出るくらいの滞在時間を確保しつつ、折り返してこられるという理由がありました。
ホームへ戻ると普通列車がやってきていました。
「しまかぜ」が3本もいるところに、ポツンと普通列車がいて肩身が狭そうですw
待っていたのはこちらです。
1220系というグループの中でも1259系というワンマン対応の車両だそうです。
近鉄って本当に車両形式が分かりづらいですw
行先は伊勢中川となっており、志摩線・鳥羽線・山田線を直通する列車となっています。
名古屋線や大阪線からの直通もありますが、多くは急行として運行され、松阪や五十鈴川・宇治山田までとなっていて、鳥羽や賢島までの直通は特急が中心になっています。
それではこの電車で五十鈴川へ向かっていきます。
意外と混んでいて、ローカル輸送も決して少なくない様子が伺えました。
五十鈴川駅に到着!
駅名の由来としては当駅付近を流れる五十鈴川であり、川の名前を駅名とした例は他にもあるんですが、ここの場合、この駅名に決まるまで紆余曲折があったようです。
1969年に鳥羽線開業に合わせて当駅の設置が決定しますが、当初は近辺の地名である「古市」にちなんで「古市口」という駅名を予定していました。
しかし、開業直前になり、当駅が伊勢神宮内宮に近いことから「内宮前」に変更することとなったのです。
これは近鉄には既に古市駅が南大阪線に存在しており、これとの混同を避ける意味や伊勢神宮への最寄り駅であることをPRする意味もあったようですが、内宮前駅とすると外宮を無視して直接内宮へ向かう参拝客が増えてしまうという懸念や、近いとは言っても駅から内宮までは2kmほど離れており、降りたらすぐ内宮へ行けるという誤解を与えることが懸念され、伊勢市や伊勢神宮側からの駅名に反対する声が上がりました。
伊勢市議会をも巻き込んだ論争の末、最終的に駅名を「五十鈴川」とし、「内宮前」という副駅名を併記することで決着しました。
ところで、外宮と内宮というのがよく分からないという方もいるかもしれませんので、その点も補足しておくと、一般に伊勢神宮と呼ばれているのは皇大神宮と豊受大神宮の2社をひっくるめた呼び方であり、参拝の作法としてはまず外宮を参拝し、続いて内宮を参拝するのが正式とされているようです。
外宮のみ、あるいは内宮のみを参拝するのは「片参り」と呼ばれ、避けるべきとされているんだとか。
伊勢市や伊勢神宮が外宮を無視して内宮に参拝する人が増えることを懸念したのは外宮への参拝者が減って経済的な損失になるというだけでなく、信仰上の理由もあったわけですね。
その他、五十鈴川はトラックやバスのメーカーとして有名ないすゞ自動車の社名の由来であったり、旧日本海軍の軽巡洋艦「五十鈴」の名前の由来だったりと、色んなものの名前の由来だったりします。
特に軽巡洋艦は「艦これ」にも登場しましたし、提督なら一度は訪れたい場所ですね。
ホームは島式2面4線の高架駅となっており、当駅止まりの急行と賢島方面の普通列車が接続したりと、運行上の拠点としての役割も持っています。
改札口です。
伊勢神宮内宮の最寄りということを考えると少し寂しい規模感ですが、観光客は伊勢市や宇治山田で降りて外宮を参拝後、バスで内宮へ移動するというパターンが多いのかもしれませんね。
実際、伊勢市・宇治山田については全ての列車が停車するのに対して、五十鈴川駅については原則として特急のうち乙特急と呼ばれる停車駅が多いタイプの特急のみ停車していることを考えると当駅の利用者は伊勢市駅や宇治山田駅よりは少ないのかもしれません。
発車標は今風のLCDでした。
それにしても、右側は名古屋・大阪・京都方面と出ていますが、これだけで近鉄の路線網の広大さが分かりますね。
高架駅ですが防音壁などがないので、駅前からも列車の姿がよく見えます。
左に賢島行き普通が、右に急行名古屋行きが停車中です。
当駅止まりの急行が賢島行き普通と接続を取るダイヤだったようですね。
そして、賢島に戻ってきました。
滞在時間わずかで乗ってばっかりだったので、ちょっと慌ただしい行程でしたが、あとは2本の特急を乗り継いで、宿がある奈良へ戻るだけです。
京伊特急で京都へ
ここからは賢島~京都間の特急、通称「京伊特急」で一旦京都へ向かいます。
この系統は伊勢を発着する特急の中ではマイナーな存在で午前中と夕方のみ設定されており、観光利用を中心とした系統となります。
その走行距離は195.2kmにもなり、近鉄特急では最長距離を走る列車となりますが、メインターゲットは九州・中国・四国方面から伊勢への観光客であり、日常的な利用もある他の系統よりは利用者が少なく、京伊特急がない時間帯は京都~橿原神宮前間の特急と大阪線の特急を大和八木駅で乗り継ぐことで代替としているようです。
発車標です。15時20分発の京都行きが乗車する列車ですが、10分毎に特急が出るなんて、近鉄はすごいですね。
JRでもここまで特急が立て続けに発車する駅は限られると思います。
待っていたのはこちら
30000系、通称「ビスタEX」です。
2階建て車両を連結した「ビスタカー」は長らく近鉄の象徴という存在であり、「しまかぜ」や「ひのとり」にフラッグシップを譲った今でも、近鉄特急といえば「ビスタカー」というイメージをお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか?
「ビスタカー」の象徴ともいえる2階建て車両です。
2階席は通常の座席、1階席はセミコンパートメントとなっています。
どうせなら眺望の良い2階席!・・・と行きたいところですが、2階建て車両ってモーターのないT車なのでモーター音が聞けないんですよね・・・
車内です。
2度のリニューアルがされていますが、それでも少しレトロな印象はありますね。
それでは京都への3時間弱の旅の始まりです。
↑車窓を撮りましたのでどうぞ!
予報はいい方向に外れたようで、最後まで雨は降りませんでした。
それでは特急で京都へ向かいますが、今度は停車駅が多いタイプの特急になるため、こまめに停車していきます。
賢島を出ると鵜方・志摩磯部・鳥羽・五十鈴川・宇治山田・伊勢市・松阪・伊勢中川・大和八木・大和西大寺・近鉄丹波橋・京都と停車していきますが、京都~賢島系統の「しまかぜ」だとこのうち、志摩磯部・五十鈴川・松阪・伊勢中川には停車しません。
昔なつかしい抵抗制御のモーター音を聞きながら旅が始まりました。
鳥羽駅ではJRの快速「みえ」が見えました。
近鉄特急のライバルでもありますが、全線複線電化の近鉄に対して、非電化区間があり、単線も残るJRは所要時間面では劣勢となっていますね。
こちらは鳥羽駅の発車標ですが、私が乗っている列車の8分後を追いかけるように名古屋行きの特急が走っているんですね。
賢島では10分後を走っていたはずですが、2分追いつかれていることになります。
停車駅は変わらないので車両性能の違いでしょうか?
伊勢中川からは大阪線に入っていきます。
大和八木までは往路で「しまかぜ」として乗車した区間でもあるのですが、京伊特急ならではの見どころとして、「新ノ口連絡線」というのがあります。
この連絡線は大和八木駅付近にあり、大阪線と橿原線を結んでいます。
この連絡線があるおかげで、大阪線と橿原線を直通することができており、京伊特急はこの連絡線あってこそ成立する列車でもあるのですが、逆に言うと定期列車でこの連絡線を通過するのは京伊特急だけであり、あとは名古屋方面から天理や大和西大寺へ向かう臨時列車が設定される場合に使用される他は、回送列車が通るのみとなっていて、連絡線も別路線として乗りつぶしの対象とするならば、実質上、京伊特急に乗らないと乗れない路線ということになります。
同じように大阪線と名古屋線を結ぶ中川短絡線というのもありまして、こちらは名阪特急に乗らないと乗れませんが、名阪特急が毎時2本走っているのに対して、京伊特急は前述の通り、本数が少ないので、そういう意味では乗車難度は高いと言えます。
ちなみに、中川短絡線の場合は伊勢中川駅構内を通らないため、ここを通る列車は物理的に伊勢中川駅に停車できませんが、新ノ口連絡線の場合は大阪線の大和八木駅の大阪上本町方で分岐して橿原線新ノ口駅付近に合流するので、大阪線の大和八木駅ホームを経由する形となり、京伊特急も大和八木駅に停車できます。
更に余談ですが、京伊特急が新設されたのは1966年なのですが、新ノ口連絡線が設置されたのは1967年なんですよね。
つまりは最初の1年間は新ノ口連絡線を使わずに京伊特急が運行されていたことになります。
ではどうやって直通していたのかというと、大阪線と橿原線を結ぶもう1つの連絡線が存在していたのです。
それは八木西口駅から分岐して大阪線の大阪上本町駅方面へ合流する線路であり、京伊特急の運行にあたっては2回のスイッチバックを行い、大和八木駅を2回経由するという煩雑な運行となっていました。
これを新ノ口連絡線の整備により解消したわけですが、旧来の連絡線も現在も残っています。
これは奈良線・橿原線・南大阪線・けいはんな線などの車両が大阪線にある五位堂検修車庫へ出入庫する際の回送ルートとして利用されているもので、ここを通過する営業列車は少なくとも定期列車としては存在しません。
この連絡線を活用できるとしたら大阪上本町方面と橿原神宮前方面を直通する列車ということになりますが、大阪市内と橿原神宮前は南大阪線でも結ばれているので、この区間を直通する意義に乏しいということで旅客列車は基本的に設定されないんでしょうね。
ありうるとしたら鉄道ファン向けの貸切ツアーなどでここを通過する列車が設定されるとかでしょうか。
それか、阪神なんば線と直通して神戸方面と橿原神宮前を直通する列車が設定されたらこの連絡線が活かされることになりますね。
橿原線に入ると大和西大寺までノンストップとなりますが、大和西大寺では平面交差のためか一時停車してから進入する場面もありました。
高の原駅を過ぎると京都府に入りますが、トンネルとか鉄橋といった特徴的なものがないので、乗車しているといまいち実感できない府県境ですね。
京都府に入るとJR学研都市線と並走しつつ進みます。
JR学研都市線は大阪市へ、近鉄京都線は京都市へ向かう路線なのに、途中で並走するのはなんだか変な感じですね。
これはJR学研都市線が山を避けて北寄りに迂回するルートをとったためです。
その先では京都市内で淀川を渡るのですがここにかかる鉄橋がすごいんです。
というのは淀川という大きな河川を渡るのに対して、途中に1本の橋脚も立てずに渡っており、これはトラス橋としては日本一の長さなんだとか。
しかも、建設されたのは近鉄京都線の前身である奈良電気鉄道が開業した時であり、以後80年以上に渡り大きな改変もなく使用され続けているのです。
このような橋ができたきっかけは架橋地点に陸軍の演習場があったことで、更に当時即位したばかりの昭和天皇の即位の礼が京都御所で行われ、これに関連して伏見桃山陵や橿原神宮への旅行客が増加することが見込まれる時勢もあり、建設を急ぎたい奈良電気鉄道は陸軍との調整を避けるために河に橋脚を立てないで建設できるトラス橋を採用したというわけです。
また、奈良電気鉄道では当初中型電車2両編成での運行を計画していたものの、将来的に輸送量が増加した際にも対応できるようにと、現代主流となっている大型電車6両編成をも想定したかなり余裕のある設計をしたため、現代の6両編成での運行にも耐えることができ、80年以上も経った今でも現役でいられるわけですね。
京都市内に入ると近鉄丹波橋駅に停車します。
ここは京阪本線との接続駅であるためか、特急も含めて全ての列車が停車しているようです。
東寺の塔を見つつ、東寺駅を通過します。
終点の京都駅はもうすぐです。
京都に到着!
3時間弱もの乗車は乗り応えがありましたねぇ~!
関東だと「リバティー会津」が全区間乗ると3時間を超えますが、「リバティー会津」は東武鉄道・野岩鉄道・会津鉄道の3社に跨っているのに対して、京伊特急は近鉄1社単独でこの長さですからね。
折り返しは奈良行きとなるようですが、これには乗りません。
といいますのは・・・
京都といえば・・・京ダイニング八条さんの牛カツ定食を食べねばw
昨晩は奈良で晩御飯だったので、今日は京都で食べることにしました。
そういえば、昼食には記事で触れませんでしたが、滞在時間が短すぎてお店に入って食べることが叶わなかったので、駅の売店で買ったパンで済ませていました。
なので、なおさら夕飯はしっかり食べたかったわけですね。
食後、ホームへ戻ると「伊勢志摩ライナー」がいました。
ただし、これは橿原神宮前行きなので乗車できません。
↑というわけでこれは見送りです。
↑続いてやってきた「Ace」に乗って奈良へ向かいます。
車内です。
先程のビスタカーよりは新しい雰囲気ですが、それもそのはずで、2009年生まれです。
でも、よく見たら座席の構造はビスタカーと同じですね。
リニューアル時に同じ座席に変更されたのでしょうか?
それでは乗っていきます。
この京奈特急は東海道新幹線と奈良を結ぶ役割を持っていることもあり、短距離ながら本数が多く、おおむね1時間あたり2本ほど設定されています。
更に橿原神宮前行きや賢島行きなども加わるので、京都~大和西大寺間では最大で毎時4本の特急が走る時間帯もあることになります。
観光利用だけでなく都市間輸送も担うため、すごい運行密度ですよね。
近鉄奈良に到着!
これにてこの日の活動は終了であり、あとはホテルに入って翌日に備えました。
3日目以降は別記事として追ってレポートしますので、公開までしばらくお待ち下さい。
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