こんにちは。副管理人の西鉄8000系です。
今回は前回の記事に引き続き、神奈川長野富山の旅の「2日目午後」の模様をお伝えしたいと思います。
えー、そろそろ旅行後1年を迎えようとしているという超スローペース更新ですが(滝汗)、気長にお付き合いいただけると幸いです…m(_ _)m
前回までのあらすじ
羽田空港に降り立った自分わたくし副管理人、まずは未達成であった京急の路線完乗を目指すべく三浦半島1DAYきっぷを携え、駅取材をこなしながら三浦半島方面の京急路線を乗りつぶしていきました。
途中で横浜シーサイドライン金沢シーサイドラインを完乗し、逗子市第一運動公園に静態保存されている京急600形(2代)と対面するため寄り道もしましたが、最終的に無事、京急の路線完乗を達成しました。
そしてその翌日、今度は同じく未乗路線のままであるしなの鉄道の完乗と、次なる保存車両との出会いのため、長野県を旅します!
「丸窓電車」とのご対面
先程まで上田電鉄別所線の別所温泉駅を取材していましたが、実はそのすぐそばで、かつて別所線で活躍していた「丸窓電車」が保存されています。
それが
これ、モハ5250形5252号車です。「丸窓電車」の愛称は、この形式の戸袋窓が楕円形であったことが由来となっており、そのユニークな外観から沿線で長らく親しまれてきた車両です。
1986(昭和61)年9月末を最後に現役を引退した後は、この別所温泉で静態保存がなされています。
現在もこの「丸窓電車」をモデルにした「まるまどりーむ号」というラッピング車両(上田電鉄7200系)が運転されていますが、これはれっきとした本物の「丸窓電車」、実物を見れて喜びもひとしおです!
反対側から見るとこんな感じです。いや~リベット打ちの古めかしい風貌は現在活躍している電車ではほぼ見られないデザインなので見ごたえがあります。
ひととおり「丸窓電車」の見学が済んだ後、
この上田電鉄1000系を使用した「真田丸」ラッピング電車に乗って上田駅まで戻ります。
午前の部でも紹介しましたが、この時期は2016年の大河ドラマ「真田丸」の放送時期と重なっており、真田家ゆかりの上田を発着する上田電鉄でもドラマのタイアップでこのラッピング電車を走らせていたというわけです。
車内にも「真田丸」に関係した装飾が施されており、乗客の関心を集めていました。
なお、2017年6月現在ではラッピングが剥がされた通常の赤帯スタイルで運行されているようです。
さて、この編成に揺られ揺られて上田駅に戻ったわけですが、ここで再びしなの鉄道線の完乗に戻ります。
上田駅からは、今日の午前中からお世話になっているしなの鉄道色の115系に再び乗車します。
次に向かったのは…
高原の駅 信濃追分駅
115系の2両編成を見送ります。昔は3両編成ばかりだったような気がするんですが、いつの間にか2両編成がだいぶ増殖してますね。
ホームに降り立つと、なんだか上田市内より若干涼しく感じられました。最初は気のせいかなと思っていたのですが、調べてみるとこの駅はしなの鉄道で最も標高の高い場所にある駅であり、かつJRグループを除いた鉄道で最も標高の高い駅らしいです。
この時期の旅行は電車の中以外は非常に暑苦しいのが常ですので、少し涼しくなるだけでもありがたいですね~
降り立ったホームの位置が駅舎にすごく近かったので、先に駅舎を見に行くことにしました。
駅舎は年季を感じさせる木造駅舎でした。昔は駅員さんがいらっしゃったようですが、現在は無人駅となっています。
駅舎の観察はすぐ終わりましたので、再びホームに戻ります。
駅名票をおさえます。枠は国鉄時代からのものの再利用でしょうか。
駅構内はこんな感じです。ホームにはそれぞれ木造の待合室が設置されています。
下り線ホームを引き続きぶらぶらしていると、
こちら側にスロープ付きの出入口が造られていました。住民の方の利便性向上のためでしょうか。
とかなんとか思っていたら
こちら側にバスロータリーが整備されていたんですね。2台のバスはコミュニティバスでしょうか。ちなみに昇降客は0でした。
この辺で一通り見学が終わりましたので、次の駅に向かいます。
本州ではレアな○○○改造駅舎 平原駅
お次は平原駅にやってきました。ホーローの駅名票が残っていましたので早速撮影です!
この駅は2面3線の典型的な国鉄型配線をしていますが、真ん中の線路は保守車両の留置か何かにしか使われていないのか、低規格かつホーム側に柵がしてある状態です。
向こう側に見える高架道路、最初見た時は高速道路か何かだと思ったのですが、これも調べてみたら一般国道のバイパスだそうで、ほんと道路は高規格で立派なものがあちこちで量産されていますよね…
本題に入る前の前置きはこれくらいにして、実はこの駅、本州ではなかなかレアな形の駅舎を持つ駅なんです。
それが
これ、車掌車を改造した駅舎です!
車掌車を改造した駅舎は元々数が少ない上、そのほとんどは北海道に集中しているため、本州ではかなり珍しい存在なんです。
最近では老朽化のために車掌車改造駅舎が撤去されたり、駅舎の存在理由である駅そのものが廃駅になってしまったりと、車掌車改造駅舎をとりまく環境は厳しさを増していますが、今後もできる限り残って欲しいものです。
駅舎の表側はこんな感じです。手前には、車掌車改造駅舎になる前の旧駅舎が掲げていたらしい、木造の駅名看板が鳥居状に設置してあります。
昔の駅舎の写真が見れないかグー○ル先生に聞いてみたんですが、引っかからないんですよね~、どんな駅舎だったんでしょうか…
駅舎の中はこんな感じです。さすがに少しずつ老朽化が進んでいるようですが、きちんと手入れがされている様子でした。
ただ、これはどうしようもないんですが、すごく暑かったですね(笑)
さて、線路3本を挟んで反対側には
もう1つの入り口が存在しています。こんな感じで水路を渡るための通路が整備されています。
通路を渡った先の道路には自転車が置いてありました。これって駅公式の自転車置き場なんでしょうか?(笑)
ひととおり駅の見学が終わったところで次の駅に行くための普通列車を待ちますが、なかなか来ないので少し不安になりました。
仕方がないとはいえ、無人駅は列車遅延の際の案内がどうしても不足してしまう環境ですので、特に急がない時は別にいいんですが、こういう旅行のときは困りますね…
そんなこんなでやきもきしていましたが
数分遅れで115系がやってきたので乗車します。
かつてはスイッチバック駅 御代田駅
ここもここで標高は高めです。また、周辺にはいくつも観光名所があるようですね。
ただ、今から訪ねるある1つの(鉄オタ的な)名所は載っていませんね…
駅構内は相対式ホーム2面2線のよくある配線になっていますが、実は元々この御代田駅はスイッチバック駅として開業しており、かつてはそのスイッチバック線上に駅舎やホームがありました。
しかし、御代田駅の前後区間が複線化・電化される過程でスイッチバックは廃止され、現在のような何の変哲もない配線になったんだそうです。
このように、駅ホーム付近にはスイッチバックの痕跡が全く残っていないのですが、実は駅から少し離れた所に行けばその痕跡がまだ残っているんです。
先程も書いた今から訪ねる(鉄オタ的な)名所はまさにその痕跡といえる場所で、しかもそこには1両の車両が静態保存されているんです。
というわけで、駅舎の取材は一旦後回しにして早速その痕跡へと足を運びます。
駅から歩いて数分、草ぼうぼうな場所にやってきました。右側に写っているのはしなの鉄道線の複線線路で、手前側が先程までいた御代田駅がある方向になります。
実はこの場所、先程もご紹介した、かつてのスイッチバック線の跡地かつ旧御代田駅の跡地なんです。
見る限り、奥の方の複線線路に向かってスイッチバック線が敷設されていたようですね。
そういえば、左側にチラッと大きな上屋が見えますが、実はここは
御代田町交通記念館という町の施設で、この看板で紹介されている
D51形蒸気機関車787号機が保存されているんです!またまた貴重な保存車両に出会えました(^^)
後部はこんな感じです。向こう側に信号機も見えますが、あれも展示物のようです。
他にも、御代田駅の木製駅名票なんかも置いてありましたが、物陰に隠れていて一部しか見えませんでしたので写真は省略させていただきます。
なお、この記念館は定期的に公開されているようで、その日程表がはり出されていました。
ちなみに、この記念館は御代田町観光協会のホームページ上でも紹介されていますので、気になる方はこちらをご覧ください。
D51の見学を楽しんだ後は、駅舎の見学がまだ終わっていないため、さっさと御代田駅まで戻ります。
駅舎はこんな感じです。駅前からは首都圏方面行の長距離バスが発着しているようで、新幹線の駅から微妙に離れていることもあって首都圏との行き来にバスを利用する人も多いのでしょうか。
駅舎の見学を終え、駅構内に戻ると、ちょうどいいタイミングで
午前中に坂城駅で撮影した、しなの鉄道が2014年から運行している115系の観光列車「ろくもん」がやってきました!
わずかな停車時間を挟んで、「ろくもん」の発車を見送ります。しなの鉄道線の列車はいまだに遅れが出ているようでした。
「ろくもん」の発車後しばらくしてやってきた115系の普通列車に乗り込みますが、御代田駅で時間調整のためにしばらく停車するとのこと…
高頻度で電車が運行されている首都圏の路線においては、運転間隔調整のために駅で停車することは珍しくありませんが、まさかしなの鉄道でそんな場面に遭遇するとは思いませんでした。
でも、ここで長時間停車されると次に訪問する駅の取材時間が短くなってしまうのでやっぱりやきもきしてしまいます(汗)
今回は5~6分経った頃にようやく発車しました。次の駅は少しバタバタになるかも…と思いつつ、乗車を楽しみます。
保存車両の宝庫、(旧)軽井沢駅舎記念館へ
本日の最終訪問駅、軽井沢駅にやってきましたが、自分が乗車してきた列車と入れ替わりで早速「ろくもん」が発車するとのことだったので、
まあ当然録画します(笑)
本当だったら少しの間、外観を撮影する時間があったはずなのですが、先程の時間調整停車でその時間がなくなってしまったというわけです(泣)
まあ、録画ができただけ良しとしましょう!
軽井沢駅には何度か来ているので撮影済みのはずなのですが、なんとなく自信がなかったので一応駅名票を撮影します。(笑)
軽井沢駅の北口はこんな感じになっています。ただ、今回の訪問は駅自体が目的なのではなく、
こちら、軽井沢駅に隣接している、明治時代の軽井沢駅舎を再現する形で建設された(旧)軽井沢駅舎記念館が目的なんですね~
しかもこの記念館には多数の車両が静態保存されているんです。
以前にたびたび軽井沢駅を訪問した際、駅のホームから保存車両たちが見えていたこともあって、長らく訪問したく思っていたのですが、今回その機会ができてとてもうれしいです。
※訪問後の2017年3月末をもって、残念ながらこの記念館は閉館してしまいました…
とはいっても、しなの鉄道がこの記念館を現役の鉄道施設として再活用すべく軽井沢町と調整を進めた結果、再活用へ向けての下準備として閉館に至ったようですので、展示資料及び静態保存車両の今後の行方にに注目です。
記念館の中(基本的に撮影禁止でした)を抜けると、静態保存車両が鎮座する展示スペースにたどり着きます。
すぐそばに昔使われていた旧国鉄スタイルの駅名票が、そしてその向こう側には、かつて「峠のシェルパ」と呼ばれていたEF63形電気機関車が解説板付きで保存されています。それにしてもなんだかここ、本物の駅のプラットホームみたいですね。
それもそのはず、元々このスペースは軽井沢駅の1番ホームとして使われておりまして、その名残か、
展示スペースの端っこから駅の建物へ、こんな感じで階段も繋がっているんですね~
ちょっと手を加えれば確かに現役の駅施設として再活用できそうな雰囲気です!
さて、展示スペースの説明はこのくらいにして、いよいよ静態保存車両の簡単な紹介に移りたいと思います!
(旧)軽井沢駅舎記念館 静態保存車両
①軌道モーターカー
通常の鉄道車両をすっ飛ばしていきなり保線用車両の登場です(笑)
鉄道趣味にある程度染まった方々なら1度は見たことはあるであろう、何の変哲もない軌道モーターカーです。
夜間に保線用の貨車を引っ張りつつ、手前に写っているクレーンも使って数々の作業をこなしている…はずです(笑)
正直言うと、これって真夜中にしか動いていないので実際に動いているところを見たことってたぶん皆無なんですよね。完全に想像の解説でした(汗)
ただ、これって自分からしたら見慣れた車両ではありますが、これから先何十年と経った後、ひょっとしたら貴重な存在になっているかもしれませんから、こうやって今のうちから展示しておくのは意義があると思いました。
②EF63形電気機関車
先程の紹介で少し触れた、愛称「峠のシェルパ」、EF63形電気機関車です。
この機関車は北陸新幹線(かつての通称:長野新幹線)開業前の碓氷峠越えの区間であった信越本線の横川駅~軽井沢駅の間に連続していた急勾配を上り下りするのに特化して製作されており、
急勾配を上る大出力を発揮するのはもちろんのこと、急勾配を下るときに確実に減速・停止できるよう配慮して設計されたブレーキ装置が特徴となっています。
また、この機関車は、併結した電車との「協調運転」も可能となっている珍しい機関車です。具体的に説明すると、この機関車の「協調運転」というのは、EF63形の電動機を動かしつつ、併結した電車の電動機も一緒に動かす形態で運転することです。
基本的に、機関車に牽引される車両は電動機やエンジンを動かさない「トレーラー」になることが多いため、あまり見られない特殊な運転方式ということができます。
このような多彩な特徴をフルに発揮しつつ、かつては碓氷峠越えの運用を一手に担っていた同機関車ですが、北陸新幹線の一部区間開業にともなう横川駅~軽井沢駅の廃止に伴って一度で全ての仕事を失ってしまい、一部の車両はこうして保存されている、というわけです。
前面下部には多数のジャンパ栓が備わっており、この機関車が多種多様な車両を牽引していたことが見てとれます。
③10000形(EC40形)電気機関車
この機関車は、先程のEF63形電気機関車が登場するずっと前に碓氷峠の上り下りを一手に担っていた「アプト式電気機関車」と呼ばれる機関車です。
この「アプト式」を簡単に説明すると、通常の2本のレールとは別にラックレールと呼ばれるギザギザのレールを地面に敷き、そのギザギザのレールに車両側の歯車をかみ合わせながら走行することで、急勾配を安全に上り下りできるように工夫された運転方式のことです。
2017年6月現在、この「アプト式」を採用している鉄道は大井川鉄道の井川線の一部区間だけですが、かつては碓氷峠越えの区間でもこれが採用されておりまして、その時期に活躍していたのがこのような「アプト式電気機関車」なんです。
しかもこの電気機関車は
第三軌条方式にも対応しており、上の写真に写っているのは集電靴です。というわけで、かつての碓氷峠越えの区間はレールが4本も敷かれている区間だったんですね~
ちなみに、第三軌条は建築限界が小さすぎて通常の上空架線を張れないトンネル部分で使用されていたようです。
しかし、レールが4本も敷かれているなんて想像しただけでもわくわくしますね~、今の日本にそんな区間はありませんので…
その第三軌条にはこういう機器を取り付けて電流を流していたようです。かなり大きい碍子を使っていたんですね~
④165系電車
当サイトの聞ける車両辞典でも紹介しております165系の登場です。車両形式の紹介については、上のリンクから飛んでご覧いただきたいと思います。
見てのとおり、この記念館には湘南色に復元された先頭車が保存されていますが、元々この車両は坂城駅で見学した編成と同じように3両編成を組んでしなの鉄道で使用されていたものなんですね~
⑤マルチプルタイタンパー
最後は再び保線用車両の登場です。このマルチプルタイタンパーは、列車が繰り返し走行することにより歪んでしまったバラスト軌道を補修するために使用される車両で、全自動で線路の下にバラストを敷き、それをつき固めることで軌道のゆがみを補正することができます。
この車両が登場する前は、同じ作業を手作業で行うために、大勢の人員と長時間の作業時間が必要だったそうなので、この保線車両が果たしている役割がとても大きいことが分かります。
展示スペースに静態保存されていた車両は以上になります。
その後、記念館の展示を見ていると「草軽電気鉄道の電気機関車が軽井沢駅付近に保存されている」という記述がありました。
当然のごとく気になったので記念館の係員の方に尋ねてみると「記念館の目の前にあるよー」とのこと。さっき通ってきたはずなのに全然気づきませんでした(笑)
というわけで、案内された場所に向かうと
確かに保存されていました!草軽電気鉄道のデキ12形電気機関車13号機です。
おっと、草軽電気鉄道の説明をしておかなければなりませんね。草軽電気鉄道とは、1962(昭和37)年まで存在していた、この長野県の軽井沢町と群馬県の草津町との間を山を越えて結んでいた軽便鉄道で、ご多分に漏れずモータリゼーションの進展により廃止されてしまったんですね…
現在も残っていれば観光路線として相当活躍していた、のかもしれない路線なのですが、その痕跡がこの記念館前に残っているのはうれしいですね。
それにしても、L型の形をした見た目がおもしろい電気機関車ですね~
運転台の中には運転機器らしきものが現存していました。円形状のハンドルはハンドブレーキでしょうか?
さて、本日の保存車両の見学はこれにて終了です。というわけで、ぼちぼち今日の宿泊先である長野駅付近のホテルへと戻ります。
帰路へ
帰路につくための電車までに少し時間があったので、軽井沢駅南口を見学します。こちら側の出入口は駅すぐそばにあるアウトレットモールへの買い物客で非常に賑わっていました。
見学も早々に済ませ、いよいよ列車に乗り込みます。
帰りの電車も115系です。いや~、近年他の路線では急速にその数を減らしていることもありますし、こんなに115系に乗れるのも今日が最後だったりするんでしょうか…
夕暮れに沈む信濃路の景色を楽しみながらの乗車は格別でした。
夏真っ盛りとはいえ、長野駅に着いた頃にはもうすっかり暗くなっていました。しかし、駅のライトアップになかなか気合が入っていますね~、灯篭までついているのには驚きました。
以前に長野駅を訪れた時はまだまだ工事中だったのでどんな駅舎ができるのか楽しみにしていたのですが、和を取り入れた素敵なデザインですね。
さて、今回もこのあたりで一旦記事を区切り、次の記事で3日目午前の模様を書いていきたいと思います。
いよいよ北陸新幹線の未乗区間に足を踏み入れ、その後は富山県の私鉄乗りつぶしを敢行します!
もしよろしければ次回もお付き合いくださると幸いです。
ご覧くださいましてありがとうございました。
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