4泊5日に及ぶ北日本遠征の6日目・・・じゃなくてその北日本遠征で使った東日本パスの残りの有効期間を活用しての鶴見線乗りつぶしです。
5日目のレポートの終わりでフラグを立てておきましたが(ちょっと露骨過ぎたかな?w)ここで回収というわけです。
出来れば、北日本遠征の1日目~5日目の各記事をご覧になってからの方が時系列としての繋がりはよろしいかと思いますが、一応独立した活動なのでお忙しい方はこのレポート単独での閲覧ももちろんOKです。
この活動をすることになった経緯
遡ること北日本遠征の出発前夜・・・東日本パスが7月1日からしか使えないことを知らずに6月30日の晩に東日本パスで鶴見線完乗を計画し、行程まできっちり作成してきたにも関わらず駅で切符を購入できなかったことから切符の発売・使用期間の間違いという致命的な現実にぶち当たった私は急遽計画を変更し、大回り乗車で乗れる鶴見~浜川崎間と南武支線に絞った行程に変更してから高速バスに乗り込んだわけですが、私の中では鶴見線完乗に向けて心が動き出していた感もあり、北日本遠征という大規模な旅を終えた翌日だと言うのにその消化不良感がくすぶっていたわけです。
そして、友人より秋葉原でのおつかいを頼まれたことが決定打となり、どうせ出掛けるならやり残した鶴見線支線部も含めた完乗を達成してしまおうと急いで行程を作成し、気がついたら電車に飛び乗っていましたw
このまま行程の説明をしますと、まずはおつかいを果たすべく秋葉原へ出掛け、用事が済み次第京浜東北線で鶴見へ移動、以後は鶴見→海芝浦→弁天町→浅野→大川→安善→扇町と支線区も含めた乗りつぶしをしていきます。
鶴見線の駅数から言えば頑張れば1日で全駅制覇を達成することも可能ではありましたが、実質6日間活動しっぱなしだった上の7日目ですし、今回は乗りつぶしに特化して駅取材は終端駅や分岐駅などに限定することとしました。
秋葉原にて
レポートの本筋に入る前に秋葉原でネタがあったので取り上げておきます。
ネタと言っても鉄道関係ではないので興味のない方はスルーしてもらって構いません。
そう、アトレ秋葉原が東方Projectとコラボしていたのです。
※7月20日までだったようで、記事執筆時点ではもう終了しています。当時の雰囲気をレポートするということでご了承下さい。
「博麗神社~夏祭り」と銘打っているようですね。
このような展示物だけでなく、原作ゲームやボーカルアレンジCDなどの販売もしていたようです。
さらっと流してしまいましたが、東方ってそもそも何かという説明をしておきますと、一言で言えば弾幕シューティングゲームです。二次創作がとても盛んに行われており、動画やイラストの共有サイトでは多くの東方二次創作作品を見かけることもあり、詳しい内容は知らないけど、名前くらいは聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか?
ここで説明するより、インターネット上にいくらでも情報がありますから興味のある方は検索してみてはいかがでしょう?
私も二次創作で存在を知って楽しんでいる一人だったりしますが、過去の記事でもその関係のネタを使ったことがありましたね。
あまり深追いすると鉄道旅行記では無くなってしまうのでこれくらいにしておきますが、最近は「けもフレ」だったり「らき☆すた」だったり、アニメ系の記事も増えてきた気がしますね。
ようやく本題 鶴見駅
初っ端から幻想郷に迷い込みそうになりましたが、いい加減に本題に入りたいと思いますw
気になったのが乗り場案内が白地に黒文字というシンプルなものだったこと。
首都圏においては珍しい存在ですよね。
当駅は東海道本線に所属する駅ですが、小田原、熱海方面の中電(上野東京ライン)や品鶴線を走る湘南新宿ライン、横須賀線といった運行系統は全てホームが設けられておらず通過するため、利用できるのは京浜東北線のみとなります。
しかし、停車こそしないものの真横を通過していくわけで東海道線、品鶴線に加えて東海道貨物線も並行するため構内は線路だらけですねw
跨線橋で見かけたこれ・・・なんでこんな所に駅名標が!?
と思ったらまさかの広告でしたw
まあ、こうして私が興味を持ってブログで紹介した時点で広告としては成功なんでしょうねw
前回の記事でもご説明したので説明は省きますが、鶴見線の中間改札です。
さて、このまま鶴見線に乗車・・・はせずに一旦外に出ます。
今回はせっかく乗り降りが自由な東日本パスでの活動ですからね。降りられる駅は降りておくに越したことはありません。
というわけで外に出まして駅舎ですが、大きすぎて入らないという都市部の駅あるあるw
駅前広場です。北日本の旅では地方の駅を多く回ってきたせいもあるでしょうが、都市部の駅だけに活気を感じます。
駅前広場を挟んだ向かい側には京急鶴見駅がありまして、駅名こそ違えど、普通に乗り換え駅として機能します。
尤も、完全に並行して走る路線同士なのであまり乗り継ぐ人は多くないのかもしれません。
せっかくですし撮りバスもしていきます。
こちらは横浜市営バスです。安善町行きとなっていますが、鶴見線にも安善駅がありますし鶴見線との並走路線ということになりますかね。
こちらは川崎鶴見臨港バスというバスですが、実は鶴見線とは縁深しのバス会社でして、鶴見線を建設した私鉄の鶴見臨港鉄道が創設したバス会社だったりします。
大元の鶴見臨港鉄道は国有化されて現在は鉄道事業者としては消滅していますが、バス会社に名残を残しているわけですね。
余談ですが、鶴見臨港鉄道って実は現在でも会社自体は社名もそのままに存続していたりします。
これは国有化は国家総動員法による戦時体制下のことであり、終戦後には買収した路線を元の私鉄に戻すという条件だっため会社は残したが、実際には終戦後もこれは履行されることなく、やむなく新線建設に向けて取得していた用地を活用しての不動産事業に特化して存続することになったんだとか。
この不動産の中にはJR鶴見駅の駅ビル「ミナール」も含まれているそうですよ。
臨港バスの定期券発売所がありましたが、なんとなくレトロですね。
鶴見線の乗り場に戻ってきましたが、4番線の案内が消えているあたり、今は使われていないんですかね。
海芝浦支線で海芝浦駅へ
鶴見線は鶴見~扇町間の本線に加えて、浅野~海芝浦間の海芝浦支線、武蔵白石~大川間の大川支線の2つの支線を持っており、このことが全長の短い路線ながら乗りつぶしの難易度を上げていますね。
鶴見線自体が全体的に埋立地にある工業地帯を走る路線であるため、利用者の大半が沿線にある工場などに務める労働者であり、通勤以外の日常的な利用が鶴見駅に近い数駅を除いては僅少であるため、本線でも浜川崎~扇町間や支線区はラッシュ時中心の運転となっており、日中や土休日は非常に本数が少なくなるのも特徴で、このことがなおさら乗りつぶし難易度を高めています。
そのため、東京からすぐ行ける立地にある路線でありながら今まで手を出していなかったというのもあります。実際、今回は東日本パスの余りを活用できるから乗りに来ましたが、そうでなければ18きっぷを使えば近すぎて勿体無いし、かといって全て普通運賃で乗ると割高感があるという微妙なラインだったため、ずるずる先延ばしにしていたでしょうw
ちなみに、期間限定で鶴見線と南武支線が乗り放題の企画乗車券が出たことがあるようですが、それがまた発売されたら鶴見線全駅制覇をやってみるのも楽しそうです。
さて、レポート本筋に戻りまして、海芝浦行きの列車は浅野駅から分岐して海芝浦支線に入っていきます。
海芝浦支線は新芝浦駅と終点海芝浦駅の2駅のみの路線であり、全ての列車が本線に乗り入れて鶴見駅を起点として運転されています。
全長は1.7kmしかなく乗っていてもあっという間に終わってしまう感じですが、”海”と付くだけに海沿いを走るので車窓からも海が見えます。
海と言っても工業地帯ですから、海なのか川なのかさえ判然としませんねw
夕方は職場から自宅へ帰宅する人たちがほとんどであり、逆に職場へ向かう人は皆無であるため車内はガラガラw
乗っているのはほぼ乗り鉄風の人たちばかりですね。
ホームは1面1線しかなく簡素なものですが、すぐ横に海(正確には京浜運河)が迫っていて、海芝浦の名前は伊達ではありませんね。
ホームからは海を隔てて首都高湾岸線の鶴見つばさ橋が見えます。
関東の駅百選だそうですが、海辺の立地ゆえか禿げてしまっていますねw
当駅には・・・というか鶴見線のほとんどの駅には明確な改札口はなく簡易改札機があるのみです。
さて、それでは駅前に・・・出られません!
なぜなら駅の外は全て東芝の私有地だからです。当駅は専ら東芝の社員の通勤のためにあるような駅で、駅を出るとすぐにゲートが待ち構えていて、関係者以外はその先へはいけないため、駅から出られない駅として有名ですね。
なお、あくまでゲートの向こうへ入ってはいけないだけで、当駅を訪れるだけならもちろん一般人でもOKです。
そのような立地からして通勤客を除いては鉄道マニアか余程の好事家しか訪れない駅なのかというとそんなことはなく、ホームからの景色を目当てに訪れる利用者も少なくないようで、東芝が敷地の一部を「海芝公園」として開放していて、開園時間内ならば自由に立ち入って景色を楽しんだり休憩したり出来ます。
ただし、注意が必要なのが特に日中は非常に本数が少なく、2時間に1本しか列車が来ない時間帯もあるので気まぐれでぷらっと訪問したら2時間待ちぼうけということもありますから、是非時刻表を確認の上で訪問してください。
ここからもホーム同様に景色が楽しめます。夜景が美しいと評判らしくカップルで見に来る人もいるんだとか。
ただし、夢中になりすぎて終電を逃すようなことがあると、鶴見線以外に当駅を脱出する手段がないため、タクシーを呼んでエスケープというわけにも行かず始発まで待つ羽目になりますから要注意ですw
自販機まで用意してくれていて、暑い時期の訪問でも安心ですね。
こんな公園を無料開放してくれる東芝にも感謝です。
さて、それでは一旦折り返して次は弁天橋駅に立ち寄ります。
本線との接続駅の浅野駅ではなく弁天橋駅に行くのは次に乗る大川支線の列車までしばらく時間が開いてしまうため空き時間を活用しての駅巡りというわけですw
弁天橋駅
それでは乗り換え待ちの空き時間を活用しての駅取材です。
乗り場案内ですが、分岐が多い鶴見線らしく多くの駅名が列挙されていますw
入信(いれしん)とは入換信号機の略称ですが、これは通常側線を持つような駅に設置される設備・・・それがなぜ単なる中間駅でしか無い当駅にあるのかというと鶴見線の車庫が隣接しているからです。
配置の関係でホームから直接車庫を見ることは出来ませんが、この関係で鶴見から当駅までの入出庫を兼ねた区間列車が朝夕に設定されています。
まるで地方のローカル駅のように構内踏切で駅舎と接続していますが、続々と押し寄せるサラリーマンたちの存在がここが首都圏の工業地帯の中にあることを思い出させますね。
鶴見線の中では比較的通勤以外の利用も多そうな当駅ですが、駅員無配置の簡易改札機のみというスタイルは同じです。
これは鶴見線の利用者の大半が鶴見駅を発着、ないし経由することを利用して、改札機能を鶴見駅に集約して合理化を図っているからだそうです。
となると鶴見駅以外の駅を相互発着する場合は信用乗車方式に近いやり方になりますが、該当する利用者数が少ないので良しということなんでしょうかw
なお、当駅は駅員こそ配置されていませんが、駅の事務所が隣接する鶴見線営業所の乗務員詰所として使われているらしく、JR職員の出入りは時折見かけましたね。
券売機もありますが、発売範囲に制限があり、発売できない駅まで行きたい人は一旦近距離の切符を買って鶴見駅で精算という流れになるようです。
駅舎内にある案内では下り方面は浅野駅の名前しか載せていませんでした。
こちらが駅舎です。都会のローカル線なんて呼ばれたりもする鶴見線の雰囲気によく合う駅舎ですね。
こういう駅名の表記も凝ったものが増えた現代では懐かしさを感じさせますね。
駅舎より遥かに立派なこの建物はJFEエンジニアリング鶴見事業所だそうです。
この他にも旭硝子、ダスキンといった有名企業が事業所を構えており、訪問時はちょうど職員の帰宅ラッシュだったこともありあちらこちらから続々とサラリーマンたちが駅に押し寄せていました。
ホームが混み合っていたので鶴見行きの列車が出るまで待ってから取材再開です。
降り立った時は気づきませんでしたが、支線ごとに色分けして案内しているんですね。
恐らく使われていないであろう側線は猫の散歩道になっていましたw
それでは、1駅お隣の浅野駅へと進みます。
浅野駅
海芝浦支線との接続駅の浅野駅です。当駅は駅構造が若干複雑であることもあり滞在時間を長めに設定していたのでじっくり取材できました。
ちなみに、乗車してきたのは扇町行きでした。
本線の終点となる扇町ですが、これも日中の運転本数は非常に少なく2時間おきにしか走りません。
10時~15時台のダイヤは1時間あたり3本が運転され、うち2本は鶴見~浜川崎間の列車で、残る1本の枠を海芝浦行きと扇町行きを交互に走らせてそれぞれ2時間おきの運転になっています。
当駅の特徴はこの独特のホーム配置ですね。
本線は島式1面2線であり、海芝浦支線は鶴見方面からやってくると駅直前で分岐して本線とは独立したホームへ入線します。こちらは相対式2面2線となっていて、特に海芝浦方面の列車が使うホームは三角形のような形状で非常に広いホームになっています。
本線側のホームは非常にシンプルなので特筆することはありませんw
駅名標です。本線と支線でホームが完全に分かれているので支線の表記は省略されていました。
余談ですが、当駅の所在する場所は元々海だった場所を埋め立てた場所であり、従来からの地名が存在しなかったため、鶴見臨港鉄道の創立者である浅野総一郎氏に因んで浅野駅となったんだそうです。
他にも地名が存在しないためにゆかりのある人名や近隣にある施設名からとった駅名が多数あるのも鶴見線の特徴です。
構内踏切を渡った先に駅舎がありますが、この駅舎自体も海芝浦方面のホームと直結・・・というより一体化しています。
ちょうどバスが通り掛かりました。
この路線は川29系統という路線で、川崎駅と東芝京浜を結ぶ系統ですが、1日2往復、しかも平日のみ運行というまさに通勤に特化した系統になっていて、乗りバスしにいくハードルの高い路線といえますね。
ちなみに、当駅から5分ほど歩いた所に別のバス停があり、そこからは鶴見駅や川崎駅へのバスが普通に出ているのでこれ以外の時間帯はそちらを利用する手もあります。
改札口ですが、例によって簡易改札機のみで実質出入り自由という状態です。
当駅も無人駅ですが、駅舎内のスペースはJR東日本労組横浜地方本部として使われているそうです。
海に近い立地だけに津波警報時の避難場所が掲示されていました。
それにしても、夕暮れの逆光でシルエットが支柱と同化して駅名が見づらいですw
駅前の踏切で待機していたらちょうど列車が通り掛かりました。
ちょうどといってもラッシュ時間帯の鶴見線は高頻度運転なので珍しいことではないんでしょうけどw
↑こちらは動画も撮りました。
駅前にはやたらと広い道路が通っていますが、これは東芝の私有道路なんだとか。
ちなみに、先ほど見かけた川29系統の走行経路でもあります。
浅野駅前とそのままズバリな停留所名ですが、東芝京浜へのバス以外は経由しないマイナーバス停となっています。
↑こちらも動画撮影
それでは構内に戻って今度は海芝浦支線のホームを取材です。
海芝浦支線は大きくカーブをして進路を変えるのでホームも大きく曲がっています。
ホーム上にて発見した土地境界標にも見えるこの物体は何なんでしょうね。
4つの棒に囲まれて躓かないように配慮されているあたり、撤去は出来ないけれど、必要なものなんでしょうけどね。
こちらの駅名標は隣の駅が海芝浦支線の新芝浦駅になっていますね。
鶴見方面は構内踏切で連絡です。
ちなみに、構造上同じ鶴見行きでも海芝浦からやってくる列車はこちらのホームですが、それ以外の扇町・浜川崎・大川方面からやってくる列車は先ほどの島式の方のホームになるので時刻表では時刻だけでなく乗り場も確認しておく必要がありますね。
構内案内図です。
そういえば、海芝浦方面から浜川崎方面へ乗り継ぐ場合、同じ駅で2度構内踏切を渡ることになりますね。これはなかなか珍しい構造だと思います。
そして、嬉しいサプライズがこの乗り場だけ国鉄型の駅名標が残っていたことです。
大川支線で大川駅へ
まず大川支線についての説明から始めますが、この路線は武蔵白石駅と大川駅の間を結ぶ支線です。
1996年まで旧型国電(あるいは戦前型国電)と呼ばれるクモハ12形が武蔵白石駅~大川駅間のピストン運用(当時の大川支線は基本的に本線への直通はしていなかったようです)に充当されており、首都圏最後の旧型国電が走る路線として知られていました。
なぜ平成のご時世まで骨董品のような旧型国電が存続できたかというと、武蔵白石駅の大川支線ホームは急カーブの途中に設置されており、現在主流の20m級車両では車体とホームが接触してしまうため使用できず、やむなく17m級車体だったクモハ12形を運用し続けていたという事情があるようです。
しかし、そんなクモハ12形も老朽化という現実には打ち勝てずに1996年に引退を迎えますが、この後継を担ったのは103系でした。103系は20m級車体ですが、ホームが接触する問題をどうしたかというと武蔵白石駅の大川支線のホームを撤去して大川支線の列車は武蔵白石駅を通過する扱いとして、隣の安善駅を大川支線と本線の営業上の分岐点とすることで解決しました。このような経緯により、現在でも大川支線の正式な起点は武蔵白石駅であり、運賃計算上も武蔵白石駅を接続駅として計算をしますが、大川駅から安善駅経由で本線の浜川崎・扇町方面へ乗り換える場合は武蔵白石~安善間を2度乗車することになっても、この区間は運賃計算に含めなくてよいという特例が設けられていたりします。また、大川~安善間を含む定期券を使って武蔵白石駅で出場することも可能です。
歴史は以上として現状についてですが、大川支線は鶴見線で一番乗車が難しい区間であると言えます。理由は簡単で本数が最も少ないからです。
海芝浦支線や末端部である浜川崎~扇町間にしても日中は本数が減るとは言え2時間おきには走っているので日中の訪問も可能ですが、大川支線に至っては日中の運行は一切なく、朝夕ラッシュ時にしか列車が走りません。特に土休日ダイヤでは1日3往復しかありませんw
平日の朝夕ラッシュ時でさえ30分~40分間隔での運転ですから鶴見線全線制覇を狙うならば大川支線が鬼門になりますね。
余談ですが、「電車でGO!プロフェッショナル2」において当路線が収録されており、隠しダイヤでクモハ12形も運転できるんですが、ゲーム内のデータでは武蔵白石駅の大川支線ホームは撤去されていて、そのままではクモハ12形現役時代の運用を再現できないために、一旦本線の武蔵白石駅ホームに進入し、客扱い後にスイッチバックして渡り線で上り本線に進入後停止、更にスイッチバックして大川支線に入っていくというオリジナルの運用方法が取られていました。所詮ゲームにツッコミを入れるのも野暮と言うものかもしれませんが、クモハ12形のリバイバル運転とかいう設定にして103系ダイヤ同様に武蔵白石駅は通過扱いの方が自然だったのではないかと思いますねw
説明はこれくらいで乗車レポートに戻ります。
安善駅を過ぎれば前述の通り武蔵白石駅には停まらないため次が大川駅となりますが、海芝浦支線同様に車内はスッカスカであり、同業者率も高くなっています。そりゃ夕方の帰宅時間帯に工業地帯に向かう人なんて皆無ですよねw
ミニ支線ですが1枚くらいは車窓を撮っておきましょう。
海芝浦支線同様に工業地帯の海が見えます。
ここは海芝浦支線と違って途中駅もないのであっという間に終点大川駅に到着しまして、このまま大川駅の駅レポートに入っていきます。
ただ、1つ問題がありまして、乗ってきた列車を見送って後続に乗ると40分待たされることとなり、かといってすぐに折り返すと3分しか滞在できない・・・悩んだ結果3分滞在を選んだのですが、おかげで取材が大忙しですw
ここも国鉄型の駅名標が残っていました。
ちなみに、当駅の由来も浅野駅同様に人名由来であり、いくつもの製紙会社を設立した大川平三郎氏に因んだものなんだとか。
ホームです。元々は1両分のホームしかなかったのか、延伸された痕跡が見られました。
現在は雑草に埋め尽くされて遊休地と化している構内ですが、かつては当駅で貨物扱いがありました。この貨物扱いが変わっていて入換作業を人力で文字通り「手押し」して行うという一風変わった光景が見られることで知られていました。
2008年に最後の貨物列車の設定が廃止されたため現在では見ることは出来ず、それが行われていた側線もご覧の有様ですが、生で見てみたかったなぁ・・・
そして、改札です。簡易改札機と券売機、乗車駅証明書発見したという組み合わせは他駅と同様です。
恐らく首都圏で最もスカスカであろう時刻表w
ちなみに、どうしても運行時間外に大川駅周辺に行きたいという場合ですが、当駅は海芝浦駅と違って公道でのアクセスも可能なので本線の武蔵白石駅から徒歩でも10分ほどで到達できますし、駅前のバス停から川崎駅へのバスも出ています。
駅前は細めの道路となっていますが、帰宅ラッシュのさなかなので歩行者のみですが交通量は多いです。
駅から見える巨大な工場は日清製粉鶴見工場で、かつてはあの工場で作られた小麦粉を貨物列車で高崎、宇都宮、館林などへ輸送していたこともあるようですが、現在はトラック輸送へと切り替えられているようです。
獣道のような通路からも続々人が押し寄せていて、向こう側へ渡るのは困難そうでした。
柵の隙間より構内を撮影です。かつての貨物側線だけでなく旅客列車が発着するホームまで雑草だらけで、列車がいない時に見たら廃線跡だと思いそうです。
さて、取材もこれくらいにしてそろそろホームへ戻らないと列車に乗り遅れてしまいますw
次は大川支線と本線の実質的な分岐点の安善駅に立ち寄ります。
安善駅
安善駅も乗り換えのための下車ということでそんなに長居はしませんが、一応一通り見て回ることはできましたのでレポートしていきます。
ここにも国鉄型を発見
鶴見線では珍しいことではないんですかね。
あと、ちゃんと大川支線も掲載されていますね。
通常のタイプも
そうそう、当駅の駅名の由来ですが、鶴見臨港鉄道を創設した浅野氏を支援していた安田善次郎氏に由来します。浅野駅や大川駅の場合は名字をそのまま駅名にしていましたが、当駅だけは素直に安田駅としないでひねりを入れてきましたねw
推測になりますが、安善駅が開業した時点で現在の信越本線の一部となる北越鉄道に安田駅が存在したため、重複する駅名を避けたかったか、鉄道において重要な”安全”とかけたのかなという気もしますが、真相は当時の鶴見臨港鉄道の関係者のみぞ知るといったところでしょうか。
側線群の向こうに建物がありますが、あれはJR貨物としての駅舎(?)にあたるようです。
そう、実は当駅は現役の貨物駅でもあるんです。
これまた国鉄チックな看板が出ていて、貨物取扱所であると主張していますが、現在当駅を発着する貨物列車は拝島駅へ米軍向けジェット燃料を輸送する通称「米タン」のみのようですから、事務所としては使われていないのかもしれません。
あと、気になったのが線路の上に高圧電線が通っていたことです。
確かに、電化路線ならば必然的に架線があるわけで、その上に高圧電線を通すというのは合理的な選択なのかもしれません。
駅前通りは大型車が来ると気を使うようなちょっと狭い道でした。
そんな狭い駅前通りですが、実は鶴見駅からの路線バスが通っています。
バス停のデザインが浅野駅とは異なるのでお気づきかもしれませんが、川崎鶴見臨港バスではなく横浜市営バスが運行する路線です。
つまりは鶴見駅で見かけた安善町行きが当駅を経由するということですね。
日中でも30分ヘッドで走っているようですが、この区間は鶴見線も日中でも20分~30分ヘッドですから、発着地が共に鶴見駅ということを考えるとここは鶴見線に軍配が上がりそうですね。
踏切の脇に放置されていた朽ちた看板
よくある「立ち往生したら非常ボタンを押してね」というアレですかね。
先ほどホームからも見た貨物扱所ですが、そろそろ次の列車の時間が迫っているため近づくことは出来ませんでした。
その代わりズームで頑張るw
旅客駅同様にちゃんと駅名が書かれているんですね。
すっかり薄くなって読みづらいですが、鉄道貨物輸送をアピールする内容のようです。
これくらいで本日最後の訪問となる扇町駅へ向かって鶴見線完乗を果たします。
扇町駅にて鶴見線完乗
鶴見線本線の終着駅となる扇町駅でいよいよ鶴見線完乗です。
浜川崎駅周辺は東海道貨物線と接続することもあって広大な操車場が広がります。
工業地帯の海というだんだん見慣れてきた車窓を過ぎたらすぐに終点の扇町駅です。
当駅も近隣の化学工場への貨物の発着があるため、貨物駅としても現役であり、広々した構内を持っています。
ちなみに、開業当初は旅客営業はなく貨物専用の駅だったようです。
駅名標ですが、やっぱり国鉄型もありました。
これはひょっとすると鶴見線のレトロな雰囲気を演出するためにわざと残しているのかもしれませんね(国鉄時代から使っているにしては駅名標が綺麗すぎる気もしますし・・・
随分と豪勢な車止めの先がそのまま通路となって駅舎に繋がっています。
鉄道駅で見かけることは少ない気がする「猫に餌をやるな」と言う張り紙
さて、駅舎全景を撮りに行こうかなと思ったら猫が陣形を組んで見張って(?)いましたw
電車に乗ろうと早足で通り過ぎるサラリーマンたちなど意に介する様子もなく、まるでここが自分の家だと言わんばかりの堂々とした様子でした。
きっと、利用者の誰かがカワイイからと猫に餌をあげるうちに住み着くようになってしまったんでしょうね。
最後に鶴見線の205系を撮って終わりです。
この後は浜川崎駅で南武支線に乗り継いで家路に就きますが、実は1分連絡で尻手行きがあったものの、浜川崎駅は一旦駅を出て道路を渡るという不便な乗り換えとなっていて無理だろうと思って行程では1本後を待つつもりでした。
しかし、他のサラリーマンが走っているのにつられて走るとなんと1分後の列車に乗る継ぐことに成功してしまいました(しかも、写真まで撮る余裕があるというw
思ったのが多少時間を過ぎても乗り換え客を待っていたので運転士も鶴見線の時間がギリギリになっていることを知っていてあえて少し遅れて発車するようにしていたのかもしれません。
あとは、普通の移動でありネタもないのでレポートは以上とします。
最後までお付き合いありがとうございました。
それにしても、簡単な短編レポートのつもりで書き始めたのに、気付いたら1万字を超えていましたw
次回はとあるゲームとのコラボイベントに関連して山梨・静岡方面への遠征のレポートとなる予定ですのでお楽しみに!
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