今回は「北海道&東日本パス」を利用して北日本のローカル線を乗りつぶす旅に出ましたのでそのレポートです。4泊5日に及ぶ長期遠征となりまして、長編レポートとなります。
まえがき
今回の旅は西鉄8000系さんが企画されたものに私が乗っかった形なのですが、西鉄8000系さんは九州、私は関東に住んでおり途中合流という形になり、また解散後もそれぞれ別行動となる部分が生じるため、西鉄8000系さんが企画され、西鉄8000系さんと同行する行程と、前後の私自身が企画し、単独で行動する部分が混在する形になります。
また、旅の概要ですが、タイトル通り「北海道&東日本パス」を利用して新潟県~北海道にかけてローカル線を乗りつぶしながら鈍行列車を中心に移動していくものになります。今回も1日を1記事として分割していき、各日程の詳細はそれぞれのレポート内でお知らせしますが、大まかに説明すると1日目は昨夜から夜行バスで直江津入りした後、新潟駅で西鉄8000系さんと合流後、羽越本線を北上して鶴岡駅まで向かい1泊、2日目は引き続き羽越本線を北上しつつ由利高原鉄道、男鹿線にも立ち寄って大鰐温泉に1泊、3日目は弘南鉄道、津軽鉄道を乗りつぶしつつ新青森から北海道新幹線で函館へ渡って1泊、4日目の朝に西鉄8000系さんとお別れして以後は私単独行動で再び青森へ渡って、大湊線・五能線を乗りつぶしつつ秋田まで行って1泊、最終日となる5日目は北上線・陸羽東線を巡って6の字状のルートで秋田駅に戻ってきて秋田新幹線「こまち」で帰路に就きます。
1日目の内容
それでは、1日目の内容をご説明しておきましょう。
前回のレポートは夜行バスを直江津駅前で降りたところまで終わっていましたので、実質的にそれの続編となりますね。
直江津駅からは一旦えちごトキめき鉄道妙高はねうまラインで新井駅まで行って特急「しらゆき」で新潟を目指します。そもそも西鉄8000系さんと合流する新潟を目指すなら東京から直接新潟へ向かう夜行バスもあったわけですが、それだと到着が早すぎて新潟で時間を持て余してしまう問題があり、直江津から新潟入りして「しらゆき」の乗り鉄をするという選択となりました。せっかくだからなかなか乗る機会のない「しらゆき」に乗っておこうというわけですね。
新潟に到着しても西鉄8000系さんが到着するまでには1時間ほど待ち時間が生じることからその空き時間を利用して新潟交通が運行するBRT「萬代橋ライン」に青山まで1往復乗車し、新潟駅で福岡から空路で新潟入りした西鉄8000系さんと合流します。
新潟駅からは上越新幹線の「現美新幹線」に長岡まで乗車してから信越本線の鈍行で新潟へ戻り、あとは白新線、羽越本線を順次北上していきますが、豊栄、坂町では滞在時間を確保して西鉄8000系さんお得意の「駅取材」をしつつ巡ります。
それでは、長い前置きになりましたが本編スタートです!
まずは新潟を目指す
夜行バスで直江津にやってきた私はいきなり雨の洗礼を受けましたw
何度か来たことのあった直江津駅ということもあってさっさと構内に入場してしまいました。
ここでは、まず新井→新潟の乗車券&特急券を買わなければなりません。東日本パスは普通列車限定なので特急には乗れませんからねぇ。
発車標ですが、ほくほく線の快速はレアだったので撮りました。
元々は特急「はくたか」の運転がない早朝や夜間の保管列車的に運転されていたのですが、「はくたか」廃止後も運行が続いているようです。
ちなみに、以前の旅でも乗った超快速「スノーラビット」とはまた別であり、六日町~十日町間のノンストップ運転は超快速と同じですが、十日町~直江津間では通過するのが大池いこいの森と黒井のみであり、この両駅は普通列車でも通過する列車もあるので実質的な快速運転は十日町~越後湯沢間のみということになりますね。
「しらゆき」と同じE653系が停車していましたが、これは夜間滞泊のようですね。
と思ったら「おはよう信越」だったようです。この列車は全車指定席ながら直江津~新潟間を乗り換え無しで移動できる便利な列車で、しかも快速列車なので私が今持っている東日本パスで乗れてしまいます。
元々は急行「きたぐに」の廃止時に直江津~新潟間の区間利用者を救済する意味で代替として設定された経緯があるようです。
正直予定を変更してそのままこの列車で新潟に行けば指定席の520円だけで済むわけで、大幅なコストカットになりますが、もう切符も買ってしまったし、「おはよう信越」はまた今度の楽しみですね。
乗務員交代か何かなのか貨物列車が止まっていますが、隣りにいるE127系、もといET127系がこれから乗る列車です。
以前はHK100形充当列車だったのでこの車種での妙高はねうまライン乗車は初めてになりますね。
妙高高原行きですが、今回も新井までしか行きません。
JR時代には信越本線として完乗を果たしているものの第三セクター転換後には乗っていなかったので、せめて妙高高原までは行っておきたかったですが、そうすると新井から「しらゆき」に乗れなくなるため断腸の思いで断念しました。
新井までの車中はまあ普通に過ごしまして、特に書くことはありませんw
新井駅についても過去に2度ほど訪れていて、雨の降る中外に出る気にもならずほとんど撮影もしてませんので、「アライさ~ん、またやってきてしまったねぇ~」とネタでも書いてお茶を濁しておきますw
↑「しらゆき」に充当されるE653系の入線シーン
流石に雨の中とは言え、「しらゆき」はちゃんと撮っておきたかったので先頭部が屋根のない所になりましたが、多少濡れつつ頑張って撮りましたw
ここで「しらゆき」について簡単に解説ですが、2015年春の北陸新幹線金沢延伸時に登場した特急列車で、新潟~上越妙高・新井間に5往復が設定され、うち2往復が新井発着となっています。
元々は新潟県と北陸地方を結んでいた特急「北越」が北陸新幹線の開業で廃止されたことに伴い、上越妙高で北陸新幹線と接続することで代替することを目的とした特急列車となっています。
メインは北陸新幹線との連絡であり、新井まで行かない列車のほうが多いわけですが、早朝に直江津入りする今回のルートでは新井始発の便に乗れるため行程に組み込んだわけですね。
車両についてですが、元々常磐線で活躍していたE653系を転用しており、走行地域の気候に合わせて耐寒・耐雪化の改造を受けて1100番台を名乗っています。
新井発車時点ではガラガラで、上越妙高からも思ったほどは乗ってきませんでした。高田、春日山、直江津と停車していき直江津からはJR線に入りますが、新井・上越妙高~直江津間の妙高はねうまライン内でも特急扱いとなっており特急料金が必要です。このため、北新井、南高田の2駅だけですが通過駅が設定されています。ちなみに、春日山停車は1日1往復だけなのでこれもレアですね。
直江津や柏崎からは利用が多かったですが、それでもだいぶ座席には余裕がありました。早朝の列車だというのもあって、柏崎あたりからは長岡で上越新幹線に乗り継いで東京を目指すであろう旅行者や出張のサラリーマンの姿も見られました。
一方で上越地域から新潟など都市間移動での利用はそれほど多くないのかなとも思いました。新潟~新井間の快速列車や先ほど直江津駅で見た「おはよう信越」「らくらくトレイン信越」など特急料金不要で乗れる列車もあるので特急料金をケチる層からは利用を避けられているのかもしれませんね。
沿線には青海川付近など日本海が望めるポイントもありますが、夜行バスでよく眠れなかったことや雨で窓ガラスが濡れて景色もよく見えなかったこともあって半分くらいは寝ていた気がしますw
5000円近い出費で乗ったのにもったいなかったなとも思いましたが、今回は長丁場の旅ですから、初日から疲れをためてしまうのは好ましくないですし、この先を考えればよかったかもしれません。
というわけで、記事はあっさりと新潟駅に飛びますw
新潟駅にて
大枚を叩いた「しらゆき」はあっさりと終わってしまった感がありましたが、新潟駅では慌ただしいながらも少し撮影をしました。
乗ってきた「しらゆき」
と、何やら周りの人たちが騒がしいのに気づきました。そして、SLの汽笛が聞こえるぞ!
おお、ちょうど「SLばんえつ物語」の発車時間だったようです。
時間もないので機関車しか撮れませんでしたが、思わぬ遭遇にテンション上がりました。
↑発車シーンです。
「SLばんえつ物語」との遭遇ですっかり影が薄くなった「しらゆき」ですが、一応もう1枚くらいとっておきましょう。
前回の遠征でも何度も乗ったE129系
115系もすっかり見かけなくなってしまいましたねぇ・・・
何気なく発車標を見ると「きらきらうえつ」も来るようです。
まだ実車を見ていないので撮りたい欲求に駆られましたが、流石にこれを待っていると次の行程に支障がありますから泣く泣く断念・・・
種車が485系ですからそのうち置き換えられてしまいかねませんし、早いうちに乗っておきたいですねぇ。
というわけで、構内でのミニ撮影会を終えると駅前に出て次の行程に移ります。
新潟交通BRT「萬代橋ライン」
お次に乗るのは新潟交通が運行するBRTの「萬代橋ライン」です。
はい、こいつです。
名前は知らなくてもこの車両を見せれば、「ああ、あれか」ってなる人が結構いそうですね。
今までの記事でも新潟を訪れたときには遭遇して写真だけご紹介したことがありますが、今回はいよいよ乗車を果たします。
後ろから
「全長18m 追い越し注意」という表記が特殊な車両であることを物語りますね。
横転事故に備えてなのか何故か天井に脱出用ハッチが用意されていました。この連接バスはスカニア製ですが、外国ではバスの脱出口を天井に設けるのが主流なんですかね。
乗ったのは2両目ですがノンステップバスとなっていました。
古いタイプの連節バスでは床下にエンジンを搭載する構造のものもあり、低床化が難しいという問題があり普及の妨げになっていたようですが、最近の連接バスは2両目の車体後部にエンジンルームを設けることで1両目と2両目の前半分はノンステップとすることが出来るようになったようです。
つまりは、トレーラーのことを牽引自動車と呼んだりしますが、このタイプの連節バスに関しては2両目側に動力と駆動輪がありますから鉄道で言う推進運転状態であり、”推進”自動車とでも言うべきでしょうかねw
さて、「萬代橋ライン」での旅に入る前に、「萬代橋ライン」、そしてそもそもBRTとは何かという説明をしておきますと、BRTは「バス・ラピッド・トランジット」の略で日本語で言えば「バス高速輸送システム」となります。東日本大震災後に東北地方の気仙沼線・大船渡線の一部をBRT化したものが有名ですが、このように鉄道の廃線跡や不通区間の線路敷を転用してバス専用道路としているもの以外にも、一般の公道を利用するものの連接バスの導入で輸送力向上を図ったり、専用レーンを設定して定時性向上を図る例もあり、厳密な定義はないようですね。
「萬代橋ライン」の場合は、従来は郊外からの直通が多く都心部では団子運転になったり、逆に運転間隔が開く時間帯が生じるなど不便で運行効率の悪い状態があったのを、青山で系統分断して運行効率を上げるとともに、連節バス導入で輸送力を増やすのが目玉となったようです。この連節バスの定員ですが、一般のバスの75名に対して116名も乗せることができ、約1.5倍になっています。
また、連節バスについては原則として快速便で運行され、停車バス停が限定されているのが特徴です。といっても、実は各駅停車のバスと比べても3分程度しか所要時間に差がなかったりしますがw
これは、快速運転は速達性のために実施しているというよりは、乗降に時間がかかる連節バスはバス停での客扱いが原因での遅延が目立ち問題となったために停車バス停を絞ることにしたという事情があるようです。
あと、「萬代橋ライン」のルートの大部分はかつて存在した新潟交通電車線のルートを踏襲しており、電車線の方は廃止時まで新潟駅への乗り入れは果たせなかったようですが何だか因縁を感じますね。
車内案内表示器ですが、電車のように分かりやすい案内になっていました。
バスは路線が複雑で使いづらいという意見もよく聞かれますが、これは分かりやすくていいですね。
更に凄いのが乗り継ぎが可能な停留所では別路線の乗り場の場所の案内までしていたのです。
更に乗り継ぎ先のバスの発車時刻まで案内する親切ぶりです。
ちなみに、新潟交通のICカード乗車券「りゅーと」を使って指定バス停でバスを乗り継ぐ場合は、乗り継ぎポイントと呼ばれるポイントが付与され直通利用時と同等の運賃になるようなサービスがあります。
あと、現金や「りゅーと」以外のICカード乗車券の利用を希望する人には「のりかえ現金カード」なる専用カードが用意されていて、これを利用すると「りゅーと」での乗り継ぎポイントと同様に直通利用時と同等の運賃で利用できる制度があるようですが、この「のりかえ現金カード」は事前に新潟市に申し込んでカードを入手しなければならず、旅行者は基本的に恩恵に預かれずあくまで地元住民向けのサービスのようです。
まあ、地元住民でそれなりの頻度でバスに乗るなら「りゅーと」を使うでしょうから、このカードの意味あるのかなと言うのが正直な感想ですけどねw
さて、バスは駅前通という停留所は通過扱いで万代シティに停車し、本町、古町、市役所前と停車していきますがここまではかなり混み合っていて、連節バスの導入の意義もありそうだと思いましたね。
すごいのがJR越後線と接続する白山駅前はロータリーにすら入らず素通りしてしまうことですが、逆に他のバス路線との接続があるわけでもない第一高校前というバス停には停車しており、通学する高校生への配慮だとしても通学時間帯以外は停まる意義があるのかなとちょっと疑問ですw
市役所前までは大通りをいきますが、白山駅前あたりからは普通の2車線道路であり、そこを連接バスが走る光景は是非とも外から見てみたいものだと思いました。
そして、大きな橋を渡ると青山に到着します。
↑最後に連節バス特有のカーブ通過時の連結部の様子を撮りました。
立派な発車標まで備えており、バス停というよりは駅みたいでした。
この青山バス停はBRT「萬代橋ライン」と郊外へ伸びるローカル系統との乗り継ぎ拠点となっており、乗り場全体に屋根がついていて雨でも濡れずにバスを乗り換えることが出来ます。
また、イオン新潟青山SCがバス停と直結されており買い物にも便利ですね。
ちなみに、JR越後線にも青山駅がありますが、徒歩圏内ではあるものの徒歩で7~8分はかかるようで、バスと鉄道の乗り継ぎは微妙ですねw
さて、あとは新潟駅に引き返すだけですが、帰りは郊外から直通してくる便で通常の車両で運転される各駅停車便です。
4~5分程度遅延したのですが、これ自体は許容範囲としても実は5分後には連節バスによる快速便があり、そっちが先に来るのではないかという状況でしたw
結局、タッチの差で各駅停車が先にやってきたのですが、白山駅に立ち寄っている間に後から追いかけていた快速便が先に行ってしまいましたw
バス同士で追い越しというのもなかなかない気がしますが、快速便がある路線ならではですね。
更に面白いのは、快速停車の停留所で快速便が客扱いに手間取っていると私の乗る各停便がまさかの追い越しw
時刻表の上では私が乗る各停便が先に新潟駅に到着する設定なので本来の順序に戻っただけでありこれもアリなんですかね。
ところが、中心街に入ると各停便のみ停車のバス停で再び快速便が追い越していきましたw
各停便と快速便でデッドヒートのバトルを繰り広げましたが、勝負は僅差で快速便の勝ちという結果に終わり、新潟駅に到着しました。
「いいバトルだったよ」と言ったかどうかは知りませんが、心なしか誇らしげに見える連節バス
ここで西鉄8000系さんから連絡が入り、新潟空港からの連絡バスを下車して私のいるところまで向かっているとのことでした。
よって、ここからは西鉄8000系さんと一緒に行動します。
世界最速の芸術鑑賞「現美新幹線」
西鉄8000系さんと無事合流したら、最初に乗るのは「現美新幹線」です。
この「現美新幹線」はE6系投入で余剰となった秋田新幹線向けのE3系を大幅に改装して車内にアート作品を展示して”世界最速の芸術鑑賞”が出来る列車として売り出しているもので、新潟~越後湯沢間に1日3往復が土休日を中心に運転されています。
現在は自由席も設定されていることから自由席特急券でも利用可能ですが、全区間乗っても50分程度ですし、車内で芸術鑑賞をするというコンセプト上、指定席の意義は小さいかもしれませんねw
我々としては単純にどんな列車かという興味から乗ってみたかったというのもありますし、新潟~越後湯沢間の区間運転って早朝に越後湯沢→新潟間に1本と新潟発の最終便として新潟→越後湯沢の1本があるのみであり、どちらも沿線に宿泊しないと利用が困難な列車ですから、それが日中の普通に乗りに行ける時間帯に走るという意味でもレアでしたね。また、それ以前に上越新幹線をE3系が走るというのもレアなことです。
で、普通列車しか使えない東日本パスでの旅になんでこの列車を組み込んだかという話ですが、西鉄8000系さんは上越新幹線の長岡~新潟間のみ乗ったことがなく、乗りつぶしも兼ねてちょうどいい時間にあった「現美新幹線」を選んだようです。私はこの区間も乗ったことがありましたから「現美新幹線」でなければこの部分は同行しない選択をしていた可能性が高いですね。
「現美新幹線」も列車名としてはあくまで「とき」なので、発車標には「とき」としか書いてありません。
わた~しはト~キ♪
ホームに行くと既に入線していました。
黒塗りの高級新幹線かな・・・?w
側面は写真家で映画監督の蜷川実花氏による長岡花火の写真がデザインされているようです。なお、1両ずつ写真を撮るときりがないので他の車両のデザインは長岡で撮影した動画でチェックして下さいw
東京側は「たにがわ」を中心によく見られますが、新潟駅ではレアな越後湯沢行き
このステップは元々は在来線直通用の車両規格になっていることを象徴しますが、もう在来線を走ることはないんでしょうね。
まずは11号車です。こちらは指定席として発売されており、座席配置こそ元のE3系と同じですが、この車両もちゃんとアート作品になっており、この車内のデザインは松本尚氏という方が手掛けているそうですよ。
ちなみに、「現美新幹線」車内の写真は西鉄8000系さんに撮影して頂いたものです。実は私は11号車にこもって走行音収録をするというミッションがあったため、撮影と録音で役割分担したわけですね。
E3系の上越新幹線での走行音を収録したかったわけですが、列車の性質上あまり静かな環境とは言えませんでしたw
まあ仕方ないですけど。
12号車です。
小牟田祐介氏によるデザインだそうです。
なお、11号車以外は自由席扱いとなっており、自由に車内を回ってアートを楽しむことが出来ます。
13号車の半分はアートユニット「パラモデル」によるデザインで、キッズスペースにもなっておりプラレールで遊ぶことが出来るようです。
13号車のもう半分はカフェスペースになっていて、壁面にもアートが展示されています。
ここでは軽食や飲み物を楽しむこともできます。
こういうところは美術館らしさがありますね。
なお、13号車の作品は古武家賢太郎氏によるものだとか。
16号車はブライアン・アルフレッド氏による映像作品を上映しています。
乗車時間も短いですし、芸術鑑賞で歩き回る人がほとんどでしょうけどちゃんと荷物置き場も用意されていました。
とこれくらいでご紹介は終わりです。何せ長岡までだと20分程度しか乗車時間がなく本当に「世界最速の芸術鑑賞」でしたね(私はずっと11号車にいたのでそもそも芸術鑑賞出来ていませんがw
西鉄8000系さんの撮った写真で気分だけ味わいましたが、写真から絵画、映像作品まで様々で現代美術に造詣のない人でも楽しめるのではないでしょうか。
↑最後に車体の外観というアート作品を鑑賞したら外に出ましょう。
長岡駅から早速駅取材
今回は西鉄8000系さんが作成された行程ということでお得意の駅取材が多めの設定となっており、長岡駅でも1時間ほどかけてじっくりと取材をします。
新幹線のコンコースではこんなパネルが出迎えてくれました。
新潟のご当地キャラ大集合ですね。
こちらが駅舎です。ちょっと古めかしいですが、1980年から使われているものだそうですよ。
ちなみに、こちら側は「大手口」と呼ばれており、長岡城の本丸に通じる「大手門」に因んだネーミングだとか。
長岡駅に乗り入れるバスはほぼ越後交通に限られており、高速バスを除いた市内バスという枠では越後交通の独占状態にあります。
この越後交通ですが、何かと有名な田中角栄氏が社長を務めたこともあって、現在でも田中家が主要株主に名を連ねるなど、田中角栄と縁のある会社だったりします。
あと、越後交通はかつて鉄道も経営しており、長岡線と栃尾線という2つの路線を有していましたが、いずれも廃線になり、現在の越後交通はバス事業が主力事業になっています。
首都圏ではほぼ見かけなくなったキュービックもまだまだ現役です。
駅前の商業施設も「越後交通ビル E・PLAZA」となっています。
長岡といえば花火が有名ですよね。遠方から訪れる人もいるほどだとか。
え?駅の紹介が雑だって?w
だって、バスに気を取られているうちにすごいペースで西鉄8000系さんが取材を進めてしまったものだから追いつくのがやっとだったんだもんw
跨線橋から線路を見ると只見縁結びと書かれたキハ40系がいました。
只見線で使われる車両なんですかね。
反対側に出てきました。こちらは素直に東口とシンプルな名前で呼ばれているようです。
なお、ちょっと色合いが違う部分はJR東日本系列の「ホテルメッツ長岡」というホテルで駅の自由通路に直結した利便性の高いホテルだそうです(でもお高いんでしょ?w
このくらいで長岡駅を後にして普通列車で新潟に戻ります。
前回の旅では長岡~新潟での移動に上越新幹線を利用した関係で長岡→新潟でのE129系の録音は持っていなかったので私にとってもちょうどよい機会となりました。
信越本線・白新線を乗り継いで移動
この後は新潟駅から白新線に乗り換えて豊栄駅の取材となります。新潟駅はすぐの乗り換えで特筆すべきこともなかったのですが、白新線の途中に気になる駅名があったのでご紹介w
ジャンプ力ぅ・・・ですかねぇ・・・
まあ、読み方は「しんざき」じゃなくて「にいざき」だったりしますがw
あと、ついでなので白新線についての小ネタを1つ・・・
白新線は新潟駅と新発田駅を結ぶ路線ですが、新新線ではなく白新線となっているのは当初計画では新潟市内の起点が白山駅となっていて、白山の白と新発田の新を取って白新線となっているようです。
豊栄駅
白新線に入ってからは最初の下車駅となる豊栄駅です。
豊栄駅は白新線にとっては単なる途中駅に過ぎず特に分岐する路線などもありませんが、運行系統上では当駅折り返しの列車が多く設定されていて、当駅と新潟駅の間は日中でも20分ヘッドの運行が確保される上、特急「いなほ」を含む全ての旅客列車が停車するなど白新線内では重要な駅の1つです。
ホームは島式と単式の組み合わせによる2面3線となっています。
「いなほ」の乗車位置案内
写真は酒田・秋田方面のものですが、当駅で乗り降りは新潟駅との行き来に使う人が多いんでしょうね。
記念植樹の木札のようですが、放置されていて朽ちてしまっていますね・・・
撤去するなら完全に処分した方がいいと思いますけどね。
ホームの端部分ですが、貨物列車の停止位置目標があるように、白新線は単に「いなほ」などの優等列車の短絡ルートというだけでなく、貨物列車の運行経路としても重要ですね。
ホームから階段を上がってコンコースにやってきました。日中はそれほど人の姿もなく撮影はやりやすいですね。
広々とした待合室を備えていました。冬場ともなると寒いホームではなくここで待つ人で賑わうのでしょうか。
改札口です。
自動改札があるというだけで都会の駅という感じがしますw
まずやってきた南口の駅前にはもちろんバス停がありますが、完全に白新線と並行するようなルートで新潟駅へ向かう路線があるのが面白いですね。
あと、新潟県内では有名な温泉地の月岡温泉へと向かうバスも出ています。鉄道での最寄り駅は羽越本線の月岡駅ですが、新潟駅からの直通列車が設定されていない上に本数も少なく不便なことからアクセスのよい当駅からもバスを運行しているでしょうね。
何のモニュメントかと思ったら天然記念物のオオヒシクイのものでした。
当駅の近くにある福島潟に越冬のため飛来するんだか。
こっちはオニバス
オニバスも福島潟に生息することにちなんでのことのようですね。
こちらが北口です。バスについては新潟医療福祉大学への連絡バスと北区バスというコミュニティバスのみで南口よりは寂しい印象でした。
と、これくらいで再び白新線の旅を続けていきまして、次は新発田へ向かいます。
新発田駅
白新線と羽越線の接続点の新発田駅にやってきました。
ここはすぐに乗り換えてそれほど長くは滞在しなかったので簡単なレポートになります。
キハ110系がいました。米坂線と共通運用なのかこのあたりの普通列車に充当されることもあるのですが、これは私の乗る列車ではありませんでした。
変な位置に駅名標があるなと思ったら、駅名標風のデザインの歯医者さんの看板でしたw
オーナーが鉄道好きだったりするんでしょうか?w
そして、やってきたのはまさかのキハ40系でした。
この列車は新津発酒田行きなんですが、村上で長時間停車があってその間に後続の村上行き普通列車が追いついてくるというよくわからないダイヤが組まれていたりします。
今回は坂町で一旦降りて後続の普通列車でこの列車に追いついて鶴岡まで乗車します。
というわけで、新発田は以上で次は坂町で途中下車します。
一応以前の旅で訪問していて駅の方は大体撮影できていますしね。
坂町駅
本日最後の途中下車となる坂町駅です。
このあとは村上で酒田行きに乗り換えたら鶴岡まではひたすら乗っているだけとなりますからね。
というわけでまずは駅名標
当駅は米坂線と分岐しますから駅名標もそのように描かれていますね。
ホームは島式2面4線であり、羽越本線と米坂線で2線ずつを使用する運用になっているようです。
日本海縦貫線の一部を構成する羽越本線の駅だけにやっぱり貨物列車の停止位置目標がありました。
羽越本線も村上まではE129系が普通に使われる区間ですから、当駅での主力車種もE129系ですね。
快速「べにばな」というのは新潟~米沢間を運行する快速列車で、かつて新潟~山形・仙台を結んでいた急行「あさひ」を前身とする列車ですが、山形新幹線開業時より走行経路の奥羽本線が標準軌に改軌されたため直通運転が不可能になったため、新潟~米沢間に運行区間を短縮の上で快速に格下げされた経緯があります。
現在は山形や仙台との都市間輸送の役割は高速バスや特急バスに譲り、米坂線内のローカル輸送と米坂線沿線と新潟市を結ぶ役割に変化していますが、1日1往復の運行が続けられています。
なお、現在快速運転は白新線・羽越本線内のみであり、米坂線内は各駅に停車しています。
外に出て駅舎を撮影です。1963年からの年季の入った駅舎でした。
ここにもSLの動輪が展示されていました。
かつて当駅構内に坂町機関区があったそうなので、その関係での展示でしょうか。
鉄道に関連したものかと思ったら保内村道路元標だそうです。
保内村というのは現在は村上市に合併されて存在しない地方公共団体ですが、当駅周辺が保内村だったようです。
あと、道路元標というのは道路の起終点を示す標識であり、かつては全市町村に1つずつ設置することになっていましたが、昭和に入ってからは道路元標の設置は義務ではなくなり、工事や開発で失われたものも多いようですが、こうして保存されているのは道路マニアにとってはたまらない存在でしょうね。
外からキハ110系を撮ったら構内戻り村上へ進んでいきます。
村上駅にて
村上駅は乗り換えだけで数分の滞在だったため駅のご紹介は出来ませんが、いくつか気になったものをご紹介していきます。
駅名標ですが、「きらきらうえつ」の停車駅しか載っていないのが面白いですね。
ていうか、新潟方面は新発田までノンストップなんですね。何気に「いなほ」が停まる中条と坂町を通過しているというw
「笹川流れ」を見つつ北へ
村上から乗車したのは新発田→坂町でも乗車したキハ40系です。
村上~酒田間の普通列車は電化区間にも関わらず基本的に気動車が充当されるんですが、その理由というのは村上~間島間にデッドセクションがあり、村上以南が直流電化、以北が交流電化と電化方式が異なっていて、直通運転をするには交直流電車が必要であり、特急列車に比べて利用の少ない普通列車に高価な交直流電車を投入するコストを節約する目的で、車両価格や維持費が安価な気動車を使用しているわけですね。えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインも同じ理由で電化区間ながら気動車が使用されていますね。
さて、村上から先は羽越本線も日本海沿いに進む区間が多くなり、特に「笹川流れ」と呼ばれる景勝地付近は絶景ポイントとして知られています。
「きらきらうえつ」もこの景色を楽しんでもらう列車という側面もありますね。
まだ「笹川流れ」の核心部ではありませんが海がこんなに近いです。
これで雲がなかったら綺麗な夕日が見られたんでしょうねw
並行する道路は国道345号でして、村上から勝木というところまで羽越本線と並走する形になります。
余談ですが、水曜どうでしょう内の企画「原付東日本縦断ラリー」の中で「だるま屋ウィリー事件」と呼ばれる事件がありましたが、その現場はこの国道345号ですw
列車からの車窓ももちろん素晴らしいですが、道路から見る景色もまた素晴らしいでしょうね。
村上から3駅目になる桑川駅ですが、ここが「笹川流れ」の最寄り駅となります。
流石に特急「いなほ」は通過ですが、「きらきらうえつ」の停車駅になっています。
特急も停まらない小駅にしては立派な駅舎だなと思ったら・・・?
駅舎には「道の駅笹川流れ・夕日会館」という施設が併設されているようでした。
JR九州で言う歓遊舎ひこさん駅のように道の駅と鉄道駅を併設するという例はたまにありますよね。
いよいよ「笹川流れ」の核心部が近づいてきました。
なお、遊覧船も出ており、海上から景色を楽しむことも出来ます。
日本海に沈む夕日が撮りたかったですが、最後まで雲は晴れず・・・残念w
↑動画もどうぞ
先ほども名前が出た勝木は駅名にもなっています。
そういえば、例の原付ラリー内でもこの地名が出ていましたね。
勝木を過ぎると国道345号は国道7号と合流しますが、なおも海沿いに進んでいきます。
鼠ヶ関からはついに山形県に入りますが、引き続き海沿いのルートを進んでいきます。
しかし、小波渡からは一旦内陸に進路を取り海を離れていきます。庄内平野で大きな街といえばやはり今宵の宿泊地でもある鶴岡ですから、鶴岡を通すために内陸へ迂回するルートなんですかね。
鶴岡駅
村上を出てからおよそ1時間40分、ついに1日目のゴールとなる鶴岡駅に到着です。
ホテルへ向かう前に駅を軽く撮影してからチェックインします。
乗ってきたキハ40系です。列車は酒田行きなのですぐに発車していきます。
↑というわけで動画撮影ですw
かつては「日本海」や「トワイライトエクスプレス」「あけぼの」「白鳥」など長距離列車を多数受け入れたホームは今でも長い有効長のまま残っていますが、端の方は雑草が生えてしまっていて無用の長物感がありますね・・・
ちなみに、現在は「いなほ」の7両が最長ですかね。
ところで、ホームにあったこの「TS」って表示の意味は何なんでしょうね?
確かに山形県といえばさくらんぼのイメージもありますが、ホームに本物の木があるのにはびっくりw
そうそう、当駅には「TRAIN SUITE四季島」もやってくるので上野駅にあるのと似た豪華なラウンジが用意されていました。
と思ったら本物の「いなほ」がやってきました。
485系時代には1度だけ乗ったことがあるのですが、E653系に置き換わってからは実は1度も乗っていません。
七夕直前だったこともあって、短冊を吊るした笹が飾られていました。
駅舎です。2014年に山形DCに伴いリニューアルしているとのことです。
もう1つの石碑は「雪の降る町を」発祥の地であることを示すものでした。
「雪の降る町を」というのは1951年に発表され、1952年にヒットした楽曲であり、作曲者がこの鶴岡の街の風景を見てこの曲を作ったという逸話があるそうです。ちなみに、私は流石にこの曲のことは調べるまで知りませんでしたw
さて、そろそろすっかり暗くなり撮影も難しくなってきましたし、早くホテルに入ってリフレッシュしたいので1日目の活動は以上になります。
2日目以降は例により別記事として追ってレポートしますのでしばらくお待ち下さい。
~追記~
2日目も公開しました。