4泊5日に及ぶ北日本への長期遠征2日目です。なお、1日目をまだご覧になっていない方はそちらを先にご覧頂くことをおすすめします。
本日の行程
大まかな行程は1日目の記事内でも触れましたが、詳細を改めて説明しますと、昨晩宿泊した鶴岡から昨日に引き続いて羽越本線を北上していきます。余目、酒田にも途中下車しつつ秋田県入りして羽後本荘駅からは由利高原鉄道に立ち寄り矢島まで1往復、再び羽越本線を北上して秋田からは男鹿線を男鹿まで1往復、その後は奥羽本線を北上して大鰐温泉で1泊となります。
鶴岡の朝
昨晩も軽く撮影した鶴岡ですが昨晩見逃したところを再度拾いながら簡単にレポートしてから羽越本線に乗り込みたいと思います。
時刻は朝の7時前ですが、日曜日の朝ということで閑散としていますw
そうそう、駅前の施設の名前は「MARICA」っていうんですね。
亀の甲羅が出て来るレースゲームかな?w
忠犬ハチ公といえば東京の渋谷に像があることで有名ですが、ハチ公像再建時の像の試作品が鶴岡にて発見されたそうで、ハチ公の名を広めた斎藤弘吉氏の出身地でもあったことから鶴岡ではハチ公をプッシュしているようです。
なお、この試作品は長らく正体不明とされていたそうで、ハチ公像の試作であることが判明したのはなんと2006年と結構最近の出来事なんだとか。
構内に入ると特急「いなほ」がいました。
これが始発便かと思いきや実は5時47分発の新潟行きの「いなほ」も運転されていて2本目になるようですね。
そして、こちらがこれからお世話になるキハ40系です。
そうそう、西鉄8000系さんは趣味においてはストイックなことで定評がありまして、5時、6時台の出発も珍しくないんですが、そんな彼が作った行程にしては7時過ぎと出発が遅いなと思えば、これが当駅から酒田方面へ向かう始発列車なんですね。
「いなほ」も秋田方面の始発は新潟からやってくる1番列車が10時頃まで無いので特急を含めてもこれが始発列車となります。
あと、この列車は鼠ヶ関始発となっています。鼠ヶ関はちょうど山形と新潟の県境の駅ですからね。
単なる行先表示器だと行先しかわからず始発駅は分かりませんが、サボは始発駅がどこかも分かるのが面白いですね。
それでは、まずは余目まで乗車して最初の駅取材を開始します。
余目駅
実は私は2度目の訪問だったりする余目駅です。
前回は山形新幹線→陸羽西線→「いなほ」→上越新幹線というルートで乗り鉄旅行をした際に乗り換えで利用しました。
ホームです。島式2面4線となっていますが、2番線~5番線までであり、1番線がないという変わった構成になっています。
理由はかつて存在した1番線が有効長が短いなどの理由から閉鎖され、その後改番されていないからのようです。
2番・3番線はいずれも羽越本線が使用しますが、方向別に案内が色分けされていました。
先ほどの案内では使われていませんでしたが、陸羽西線には「奥の細道最上川ライン」という愛称がついています。
JR東日本では「湘南新宿ライン」だとか「上野東京ライン」だとか、「○○ライン」という路線愛称が目立ちますが、陸羽西線は1999年から「奥の細道最上川ライン」の愛称を使っているようで、その先駆けですね。
あと、余目駅における主力路線は現在では羽越本線ですが、一番最初に当駅に到達した鉄道は実は陸羽西線であり、余目まで到達した後は、北は羽後岩谷、南は鼠ヶ関まで延伸されますが、南北から工事が進められていた羽越本線と繋がると余目~新庄間のみが陸羽西線となり、残った区間は羽越本線に組み込まれたという経緯があるようです。
先ほども触れた旧1番線というのがこちらで、現在は線路に接する側に柵が設置されていて、ホームとしての用をなさない状態ですが、ホームの面影は残っていますね。
「きらきらうえつ」運行区間ですから、やっぱりこのタイプの駅名標もありました。
ベンチのようになっているのは記念撮影する時にここに腰掛けろということなんでしょうか?
こちらが改札口です。
2路線の接続駅で特急停車駅ながら自動改札はないようです。
こちらが駅舎です。注目してほしいのは駅舎の右上についている白いドーム状の物体なんですが、これはドップラーレーダーです。
空港ならまだしもなんで駅にそんな設備があるかというと、2005年に発生した「いなほ」の脱線事故の原因が局所的な突風(ダウンバーストとも竜巻とも言われています)であるとされ、そのような異常気象を観測し運行規制をすることで事故防止につなげる目的で設置されています。
4年ぶりの訪問ながら前回と変わらぬ姿で出迎えてくれたUFO(っぽいデザインの東屋)
にしても、4年目の訪問でもなぜこんなデザインなのかは謎のままですw
そうそう、当駅を語る上で欠かせないのが、映画「おくりびと」のロケ地となったことですね。
アカデミー賞も受賞した話題作ですし、この記事は旅行記であって映画のレビューをする記事ではないので内容には触れませんが、(見たことがないから書けないとも言うw)この映画は庄内地方を舞台としているそうで、余目駅で撮影されたシーンもあるとか。
↑配信サービスもあるようなので興味のある方はチェックしてみましょう。
ホームにはロケ地の案内が出ていました。
公開から10年近くを経た今はそこまでのフィーバーではないでしょうが、公開当時ならいわゆる聖地巡礼で訪れるファンも多かったのでしょうかね。
その立ち位置に立ってホームを眺めてみました。
劇中の人物の視点を追体験するという意味で、私が見たことのある映画だったら感動したのかもしれませんが、生憎見たことがなく・・・w
それでは、またキハ40系に揺られて酒田駅へ進んでいきましょう。
酒田駅
山形県内では最後の途中下車です。
まずは駅名標です。
当駅へは陸羽西線からの列車の大半が乗り入れてきますが、路線としては羽越本線単独の駅ですね。
ホームにまさに”鎮座”していた土偶は「縄文の女神」というもののレプリカだそうで、山形県内から出土した国宝指定もされている貴重なものだとか。
秋田方に向いたこの行き止まりのホームは何なんでしょうね。
秋田方面から当駅止まりの普通列車電車で運行されるので架線が張られていないのはおかしいですし、考えられるのは当駅から分岐する貨物支線(通称:酒田港線)に関係するものでしょうか。
酒田の名所「山居倉庫」と稲の穂を表現したイラストのようですね。
ここにもやっぱり「きらきらうえつ」仕様の駅名標がありました。
ホームをうろついていると「日本海」の乗車位置案内を発見
2013年の運転が最後ですから、4年間放置されているということになりますね。
それとも、廃止のアナウンスが正式にされていないことから復活の可能性もあるということ!?(希望的観測)
↑ここで貨物列車がやってきたので動画撮影です。
ところで、この尾灯は雪国仕様なんでしょうか?
普通は反射板ですよね・・・
それでは改札を出て駅前に出ましょう。
そうそう、酒田の街でも「おくりびと」のロケがあったようで看板が出ていますね。
駅前には舟をモチーフにしたモニュメントがありました。
酒田は北前船の時代から現代に至るまで港町として栄えていますからね。
ちなみに、調べてみると日本海に浮かぶ離島の飛島へのフェリーをモチーフにしているんだとか。
巨大な獅子舞が鎮座しますが、これは1976年に発生した酒田大火からの復興と防災を願って設置されたものだそうです。
駅前再開発事業自体はよくあるものですが、ここの場合駅前に営業していたジャスコが売上不振で撤退してしまい、その後も民間主導による跡地利用が何度か計画されるもののいずれも行き詰まり、結局市が主導で図書館や飲食施設、観光案内所などが入居する複合施設とすることにして、2021年開業を目指しているとか。
山形新幹線を酒田まで延伸してほしいという看板を発見
ようするに陸羽西線を電化・改軌の上で「つばさ」を直通運転するということでしょうけど、奥羽本線を新庄から更に北上すると秋田県に繋がりますが、そちらは秋田新幹線として別ルートのミニ新幹線が既に存在していますし、秋田までつなげた所で盛岡経由より所要時間を要するのは確実となれば、酒田へ伸ばすほうがまだ現実的といえるのかもしれません。
ちなみに、酒田~首都圏の移動は陸路では庄内交通と国際興業が共同で運行する夜行バス「夕陽号」が唯一の直行ルートであり、鉄道では「いなほ」と上越新幹線を乗り継ぐか、陸羽西線と「つばさ」を乗り継ぐかの2つのルートがありますが、いずれも4時間ほどを要しています。
陸羽西線を活用した「つばさ」の延伸が実現すれば、電化によるスピードアップも考えれば現状より高速化されるのは確かでしょうから、酒田~首都圏の最短ルートとなりえますよね。
あと、山形市との往来は現状高速バスの独壇場のようですが、「つばさ」で直結されるようになればバスを利用している層の一部を取り込める可能性はありますね。
ここからは701系にバトンタッチして旅を続けていきます。
車両の方は旅情をあまり感じさせないものですが、日本海沿いの景色は引き続き楽しめます。
続いてはいよいよ秋田県に入りまして羽後本荘駅から由利高原鉄道に乗ります。
由利高原鉄道鳥海山ろく線
羽後本荘駅からは一旦寄り道する形で由利高原鉄道鳥海山ろく線に乗車します。
由利高原鉄道というのは第三セクターであり、鳥海山ろく線は元々は国鉄矢島線だったものを引き継いだものです。
現在は羽後本荘駅から矢島駅までの23kmを結ぶ盲腸線ですが、計画では奥羽本線の院内駅まで繋がる計画であり、更に言うと横荘鉄道という私鉄が羽後本荘と横手を結ぶ計画で建設していた路線の一部を含みます。
国鉄に買収された後も延伸されていましたが、矢島駅まで達したところで延伸は止まり、1980年の国鉄再建法施行により特定地方交通線に指定されバス転換による廃止が決定しかかりますが、1984年に青森県を走る弘南鉄道が路線の受け入れを表明したことから鉄道として存続させる方向となり、第三セクター由利高原鉄道が発足し引き継いだという経緯を持つ路線です。
運行形態としては全列車が各駅停車で、区間運転はなく全列車が羽後本荘~矢島間の運転となっています。また、JR羽越本線への直通運転はなく線内完結の運転のみです。
とはいえ、1~2時間ヘッドの運行が確保されており、ローカル線にしては本数を確保できている方なのではないかとは思います。
このように運行形態などは平凡なローカル線ですが、特筆すべきは「まごころ列車」でして、これは午前中の1往復のみですが、秋田おばこの格好をしたアテンダントが乗務するという列車でして地域色を出したローカル線活性化の取り組みとして気になりますね。
羽後本荘駅は乗り換え時間が僅かだったので701系を撮ったらすぐに乗り換えます。
駅の方は由利高原鉄道の乗車後にレポートしたいと思います。
こちらが由利高原鉄道の列車です。
由利高原鉄道では3代目にあたるYR-2000形という車両だそうです。
ちょうど我々が乗る列車に併結して運行されるようです。
この七夕列車は親子を対象に車内で七夕の短冊を書くという催しでした。
となると当然小さな子供が多く乗車するということで録音環境的な意味で不安がありましたが、実際の所車両が分かれていたおかげでそこまで騒がしくはありませんでした。
発車前に車内で由利高原鉄道の1日乗車券を購入するというミッションがありましたが、運転士さんに尋ねるとおばこのアテンダントから買ってくれとのことでした。他の乗客への対応で忙しかったようですが、発車直前に何とか購入できまして、いよいよ発車ですが何やら様子がおかしいです。
というのは、自動放送が流れないのです。「まごころ列車」だからアテンダントが放送を担当して自動放送を使わないのかなとも思いましたが、次の停車駅などの案内はありません・・・
すると運転士さんが肉声で案内をはじめました。どうやら放送装置の不具合だったようですね。
運転士さんは大変だったでしょうが、ちょっとレアなシーンに遭遇しましたね。ただ、初めての由利高原鉄道だっただけに放送も聞いてみたかった思いもあります。
そして、列車は由利高原鉄道で唯一の交換可能駅となる前郷駅に到着します。
当駅以西はスタフ閉塞、以東はタブレット閉塞となっており、スタフとタブレットの交換が行われるのが見どころですね。
↑というわけで動画撮影です。
タブレット交換のイベントも終わったらあとはまっすぐ矢島駅まで進んでいくだけです。
矢島駅
由利高原鉄道の終点矢島駅では滞在時間僅かながら簡単な取材をしましたのでレポートします。
車体には「EVOLTA」のラッピングが施されていました。
エボルタといえばパナソニックが発売する乾電池ブランドの名前ですが、由利高原鉄道とどう関わりがあるかといえば、2015年11月3日に鳥海山ろく線の前郷~矢島間で埼玉県の川越工業高校の生徒らが作成したオリジナルの電車を使用しての乾電池での鉄道走行距離最長記録にチャレンジしたそうで、その時のオリジナル電車のデザインを模したラッピング列車を走らせているんだとか。
ちなみに、このチャレンジでは乗員含めて約2トンの車両をエボルタ600本を使用して前郷~矢島間の往復22.615kmを走破したんだとか。
乾電池の公称電圧は1.5Vですから、これが600本全て直列に接続されていたと仮定すれば900Vの電源ということになり、これより低い600Vや750Vで営業運転している鉄道路線もあることを考えれば乾電池でも十分電車を走らせることが出来るんでしょうね。
あと、すごいのがこの企画のために鳥海山ろく線の定期列車2往復を運休したとのことで、ローカル線だからこそできる企画ですよね。
ついでにいうと、何かのテレビ番組の企画で通常の営業運転に使用する電車を乾電池で走らせるという企画をやっていた覚えもありますしね。
駅名標です。
国鉄のデザインに類似していますが、所在地の表示はなく、通常は終着駅ゆえに片方の隣駅の部分が空白になるところを、路線名と会社名を入れるという独特なデザインも見受けられます。
ところで、何故か駅名標の下の所に腕木式信号機のパーツと思われるものが放置されていましたw
あと、構内には車両基地があります。
JRと接続する羽後本荘駅の方が拠点という感じがしますが、由利高原鉄道としては当駅に拠点を持ってきているようです。
改札口です。まあ当然自動改札はなく、ラッチすらないただの通路みたいになっていますけどねw
それでも列車別改札は徹底されており、出発時間が近づくまでホームには立ち入れないようです。
当駅には窓口があり切符は窓口でのみ発売するスタイルです。
また、由利高原鉄道の本社も当駅に隣接しており、まさに由利高原鉄道の拠点駅ですね。
駅舎内を撮影しながらうろついていると優しそうなおばちゃんが話しかけてきて、写真のような紙コップをくれました。
中身は桜茶だそうで、美味しく頂きました。
それにしても、ただ駅を訪れただけの我々に何故親切にお茶を振る舞ってくれたのかと思ったら、この方は駅構内で売店をやっている方なんだとか。
観光客のみならず地元の利用者にも気さくに声をかけ、売店のスペースは「まつ子の部屋」とか呼ばれて人々の憩いの場になっているそうですよ。
駅の入口にはこんな看板が掲げられています。
そこまで年季の入ったものではなさそうですが、木の温もりを感じていいですね。
駅名にもなっている矢島町という地名ですが、地方自治体としては2005年に由利本荘市に合併して消滅しており、現在は由利本荘市内の地名としてのみ名前が残っています。
東北の駅百選に選ばれているようです。
理由は「近代的な木造建築の駅舎を有する」らしいです。
そして、こちらが駅舎です。この駅舎は2000年から使用されているものだそうですが、あえて木造を採用しているのは趣がありますね。
ちなみに、2011年まで先代の駅舎が残っていたそうですが、残念ながら現在は解体・撤去されて跡形もありません。
次に乗る列車は車両が変わり、今度はYR-3000形という車両でした。
何だか松浦鉄道のMR-600形に似ているなと思ったら、同じ日本車輌製造が受注したもので実際にMR-600形をベースにした設計になっているんだそうです。
九州と東北という遠く離れた地域に兄弟とも言える車両が走っているというのも面白いですね。
それでは、羽後本荘駅に引き返すとしましょう。
再度タブレット交換を見学
とその前に、前郷駅でのタブレット交換を今度は車外の様子で見てみましょう。
当駅では上下列車の運転士同士が直接手渡しするのではなく、駅係員を配置してその人を介してやりとりしているようです。
スタフを回収しました。
これを我々が乗る列車の運転士に渡したら羽後本荘駅まで進むことが出来ます。
ところで、タブレットとスタフではキャリアの大きさが違うんですね。
タブレットだのスタフだの言われても訳がわからないという方もいると思いますが、とりあえずここでは駅と駅の間に同時に1つの列車しか入れないようにするための仕組みだという程度の認識でいいかと思います。
ちゃんと解説しようとしたらそれだけで1つの記事になりそうですしねw
いずれ「とれいんアカデミー」の方でそういう方面の解説ページを作りたいなとは思っています。
ファミレスのメニューの宣伝のごとくテーブルに置かれていたそれは、「まごころ列車」の案内でした。
羽後本荘駅
先ほどは乗り換え時間わずかのためスルーした羽後本荘駅ですが、今度は滞在時間があるためしっかりレポートしていきます。
由利高原鉄道の使用する4番線の隣に3番線があり、当駅始発や特急退避を行う普通列車が使用するようです。
そして、ちょうど秋田行きが隣に停車していました。これは乗り換えが便利ですね。
まあ、といってもこれには乗らずに見送るわけですがw
↑701系の動画はあまり持っていない気がしたので動画撮影しました。
先ほども説明しましたが、由利高原鉄道は4番線のみを使用し1番線~3番線がJRが使用するという構成の島式2面4線のホームになっています。
縦型ですが、取り付けられている向きが面白いですね。
浜川崎駅を思い出します。
ここで貨物列車が通過です。
特急「いなほ」も酒田以北は3往復しか運行されませんが、下手をすると貨物列車のほうが本数が多いかもしれませんねw
跨線橋の窓にはこんなステッカーが貼ってありました。
これって気動車の車体によく貼ってあるやつですよね?w
確かにこの跨線橋からなら架線が近いので釣り竿などを使えば架線に触れることができるかもしれませんが、そんな馬鹿なことをする人はいませんよね?(いないと信じたい
ホーム上には229キロポストがありました。
これは新津駅を起点としたものでしょうが、新潟駅からの距離も似通った数値でしょうから、初日から通算してそれだけの距離を旅してきたということですね。
こちらが改札口です。特急も停まる駅にしては簡素だなと思ったら・・・?
どういうことかと思ったらJR東日本と由利高原鉄道で改札口を分けているようでした。
由利高原鉄道の改札口案内
それにしても、構内を共有しているのに改札口を分ける意味ってあるんでしょうか?w
我々は由利高原鉄道の1日券、東日本パスの両方を所持していますからどっちの改札口も利用できるわけですが、自動改札で面倒がないであろうJRの方を通って外に出ました。
「ごてんまり」とは何かと思って調べたら、さっきのくす玉だと思ったもののことで、このあたりの民芸品なんだとか。
たしかにこのあたりは日本海に鳥海山に子吉川にと自然に恵まれていますよね。
さて、西鉄8000系さんは朝食すら抜いているというのにまだまだ元気いっぱいでこのまま構内の撮影の続きをするとおっしゃいましたが、私は朝食抜きで既にお昼が近づいてきていることもあって空腹に耐えかねて一旦別行動を撮って売店で軽食を買うことにしました。
といってもおにぎりだけのわびしい昼食になりましたけどねw
久々に西鉄8000系さんと共に旅をしたせいもあるかもしれませんが、趣味に対するストイックさにはただただ感心するばかりですw
その途中、待合室で見かけたE6系の模型です。
車両のディティールもさることながら、鉄橋やトンネル、架線柱といった付属物もよく再現した力作ですね。
そして、すごいのが車内の座席まで再現していたこと。
これ、待合室に飾っておくだけじゃもったいない出来ですよね。博物館とかで展示されていても良さげなクオリティだと思いました。
構内で「いなほ」を撮ったら西鉄8000系さんと合流して秋田を目指します。
写真は逆方向の新潟行きですが、秋田方面でこの「いなほ」に乗ってしまえば次の停車駅は秋田であり、30分弱の乗車で済みます。
しかし、我々は普通列車限定の東日本パスですから、701系に50分近く揺られなければなりませんw
この区間では特に書くことはないのですが、1つネタを取り上げるならば桂根駅ですかね。
この駅は今回乗車した列車を含め普通列車でも大半の列車が通過するという駅であり、1日に3.5往復しか停車列車がなく秋田方面に関しては7時台に2本列車があったと思えば、その次は18時台まで停車列車がないという有様ですw
この駅は元々信号場だったものを駅に昇格したものだそうですが、よほど利用者数が少ないんですかね。
秋田駅では小休止
羽後本荘駅でおにぎりを食べた私ですが、朝食抜きで昼食がそれだけでは流石に持たず、滞在時間のあった秋田駅でちゃんとした食事を済ませることにしました。
県庁所在地の駅だけに駅周辺だけでもいくつも飲食店がありますから、食べる店には困らないのですが、西鉄8000系さんはこの滞在時間さえも全て撮影に費やすつもりで、昼食すら抜くそうなのでまたしても別行動になりました。
秋田駅は私にとっても初の訪問だったわけですが、実は西鉄8000系さんとお別れした後の4日目の宿泊地がここ秋田でありそこで個人的に撮影をするチャンスもあったということもあり別行動という選択になりました。
秋田駅は羽越本線、奥羽本線が出会う駅ですが、どの線区も701系が主力車種なのでご覧の通り701系だらけw
跨線橋には「リゾートしらかみ」を模したパンフレットの棚がありました。
D51の実物の部品も展示されていました。
コンコースの展示にしておくにはもったいない品々ですよね。
外に出ると初めて見かけるバスを発見
秋田中央交通というバスで、秋田市営バスの多くの路線を譲り受けて秋田市内の隅々まで路線を展開する他、県内外への高速バスも手掛けています。
大量の提灯がありますが、これは東北三大祭りの1つ「秋田竿燈まつり」をイメージしているんですかね。
と、ここで駅取材は中断して飲食店に入って燃料補給です。西鉄8000系さんのタフさに驚愕しつつ腹ごしらえをしたら駅構内に戻って西鉄8000系さんと再度合流です。
さて、ここから乗りますはキハ40系です。男鹿線は追分駅が起点ですが全ての列車が秋田駅まで直通しているので実質的には秋田駅が男鹿線の起点といえますね。
車体にも「なまはげ」を発見w
秋田といえば「なまはげ」という程に秋田を代表する文化、あるいは風習として浸透している「なまはげ」ですが、実はこの風習があるのは男鹿半島とその周辺地域に限られており、秋田県全域で行われているわけではないんだそうです。
男鹿線
車内で無事に西鉄8000系さんと合流した所で男鹿線の旅が始まります。
男鹿線は正式には追分駅から出ている路線であり、男鹿駅までの26.6kmを結ぶローカル線です。
全線非電化であり、現在の主力車種はキハ40系ですが、烏山線に投入されたものとほぼ同形式のEV-E801系という蓄電池電車の投入が始まっており、順次キハ40系を置き換えていく計画があったため、今回乗車したという経緯があります。
1時間に1本程度の運行頻度であり、路線自体も短いので乗車自体は容易なんですが、東京に住む私でさえ秋田はそう気軽に訪れられる土地ではありません。九州に済む西鉄8000系さんなら尚の事であり、こういう機会でもないと乗りに来られませんよね。
過去には上野からの夜行急行が乗り入れたり、沿線で採れる石油を輸送する貨物列車が運転されたりと特色もありましたが、いずれも廃止され、現在は単なるローカル線という感が強いですね。
秋田駅を出るとしばらくは奥羽本線を走りますからキハ40系といえども結構飛ばしますから高回転域のエンジン音が楽しめますね。
追分駅からはいよいよ男鹿線に入っていきます。
半島を進む路線だけに山越えもあるわけなく、平凡な平地の車窓が続きます。
途中川のようなところを鉄橋で越えていきますが、実はこれ「船越水道」という人口の水域だったりします。
地元では釣りスポットとして有名だそうですが、取り上げた理由はそれではありません。
奥に水門が見えると思いますが、あの水門より上流は八郎潟という湖なんです。
現在では日本で18番目に大きい湖であり、特段注目を集める要素はないように思えますが、大規模な干拓により大半が陸地化された経緯があり、干拓前の八郎潟は琵琶湖に次ぐ日本で2番目に大きな湖だったんだそうです。
あの水門は八郎潟と海との水位差が小さく海水が八郎潟に逆流してしまうと農業用水として使用するのに不都合だったために水門を設けて淡水化したんだとか。
というわけで、以上、旅して学ぶ社会科でしたw
男鹿駅
秋田駅から1時間ほどの乗車で男鹿駅に到着しました。
ここもサクッとですが取材していきます。
このキハ40系も遠からず見られなくなると思うと寂しいですね。
こちらも縦型ですが、緑色の背景に白文字というデザインでした。
ホームは1面2線の島式ですが、かつては多くの側線を有した名残で広い構内になっていますね。
終着駅で通過列車もないためか構内踏切で駅舎に接続していました。
温泉をプッシュしていますが、男鹿半島の温泉といえば男鹿温泉郷というのがあります。
ただ、公共交通機関で訪れる場合、当駅ではなく1つ手前の羽立駅からバスに乗り換えるルートになるようです。
もっとリアルな像もありました。
子供が見たら泣き出しちゃうかな?w
駅前広場です。ちょっと寂れた感じのホテルがありますが、男鹿駅周辺では唯一のホテルのようです。
観光客は男鹿温泉郷か、逆に利便性の高い秋田市内などに宿を取ることが多いでしょうから、ビジネス利用が主体だったりするんでしょうか。
駅舎です。2012年のプレ・デスティネーションキャンペーンに合わせてリニューアルされたものだそうで、古民家風のイメージなんだとか。
こっちは地域のお祭をPRしていました。
それにしても、ここにも「なまはげ」がw
それでは、これにて追分に引き返して今宵の宿泊地の大鰐を目指して旅を続けましょう。
追分駅
大鰐へは当然男鹿駅から直通列車はなく追分で乗り換えなければなりませんが、乗り換え時間にちょっとだけ撮影したのでレポートしておきます。
追分駅で次に乗り換えるのは快速弘前行きです。
この快速列車はかなり停車駅を絞った設定であり、特急「つがる」も運行される区間でありながら大盤振る舞いのように思えますが、実は元々「つがる」として運行されていたものを格下げされた結果のようです。
跨線橋からホームを俯瞰します。
単式と島式の複合で2面3線のホームを持ちます。
追分鉄道設備技能教習所なる施設が構内に立地しているようですね。
ガーター橋の橋桁なんかもありましたから、土木施設などのメンテナンスの技術を教えるための施設なんですかね。
快速ですが、車両はやっぱり701系w
そして、こいつにまたしても2時間近く乗らなければなりませんw
道中は乗っていただけなので端折って記事は大鰐温泉駅に飛びます。
今宵の宿 大鰐温泉
あちこち駅巡りをしながらだったため長く感じたものですが、いよいよ2日目のゴール大鰐に到着しました。
構内はすっかり暗くなっていました。
が・・・西鉄8000系さんはやっぱり撮影したいらしく軽く駅を撮ってから宿へ向かいます。
当駅はJRの駅ですが、構内が繋がっている形で弘南鉄道の大鰐駅があるため弘南鉄道の出入り口が別途用意されていました。
弘南鉄道の出入り口です。ラッチはありますが駅員が立つことはあるんでしょうか?
弘南鉄道は南北の出入り口を持ちますが、通り抜けるには入場券を買ってくださいねという張り紙です。
が、時間が遅いせいかお湯は張られておらず・・・w
まあ、今宵の宿は温泉旅館であり宿で温泉に入れるのでよしとしましょう。
さて、いよいよ宿へ向かおう・・・と思ったら1つミッションが残っていました。
それは、夕食の確保です。駅前には地元の人向けと思われる食堂が1軒あったのですが、そういうタイプのお店はどうも気兼ねしてしまうこともあって、駅の北口側にあるスーパーマーケットで弁当を調達してそれを宿の部屋で食べることにしました。
ついでなので弘南鉄道の乗り場も見ていこうと思ったらなんとまだ営業時間内のはずなのに券売機が稼働していないというw
駅員もおらずどうしようもないので普通に中に入りました。
こちらが弘南鉄道の車両です。明日乗るわけですが、使われているのは多くの中小私鉄御用達の東急からの中古車です。
暗かったですが、駅名標はとりあえず撮っておきました。
そういえば、JRは大鰐温泉駅ですが、弘南鉄道は大鰐駅なんですよね。
あと、隣の駅名に見覚えがあるなと思ったら南武線にも宿河原駅がありましたね。尤も”川”の字があちらは”河”ですけどw
というわけで、スーパーマーケットに行って夕飯調達ですが、まさかの弁当が全て売り切れというw
私は昼ごはんはちゃんと食べてきたからまだいいですが、西鉄8000系さんは本当にまともな食事にありついていないこともあってパンやおにぎりだけではきついということもあり「ディナーの危機なのだ!」状態でしたが、「よーし、アライさんにおまかせなのだ!」と言わんばかりに汁や薬味も付いたうどんセットが売られていたので事なきを得ましたw(元ネタが分からない人はごめんなさい・・・
で、今宵の宿は温泉旅館だといいましたが、実は駅から温泉郷までは徒歩で10分程度歩く距離にあり、送迎サービスもあったようですが、予約時に申し込んでおかねばならなかったらしく後の祭りw
まあ、我々の足ならば徒歩10分なんてさほど苦でもないので西鉄8000系さんと今日の旅を振り返りつつ歩きました。
泊まった旅館が想像以上に立派な旅館で、乗り鉄旅の寝床として使うにはもったいないレベルだったのと温泉が気持ちよくて満足だったということを書いて2日目のレポートをシメたいと思います。
3日目以降は別記事として追ってレポートしますのでしばらくお待ちください。
~追記~
3日目も公開しました。
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