4泊5日に及ぶ北日本長期遠征の3日目です。なお、1日目、2日目をご覧になっていない方はそちらを先にご覧になることをおすすめします。
本日の行程
3日目となる今日は昨晩宿を取った大鰐からスタートしてまずは弘南鉄道大鰐線に乗車して津軽大沢駅にも立ち寄りつつ中央弘前へ向かい、徒歩で弘前駅まで移動したら奥羽本線の列車で川部へ向かい、そこから「リゾートしらかみ」で五所川原まで行き、隣接する津軽五所川原駅から津軽鉄道を1往復乗車、再度五所川原から「リゾートしらかみ」に乗って弘前に戻ってきたら今度は弘南鉄道の弘南線を黒石まで1往復乗車しますが、その道中にて田舎館と平賀の2駅に立ち寄ります。
弘前からは奥羽本線をさらに北上して新青森から北海道新幹線に乗車し新函館北斗まで乗って北海道入りしたら函館本線に乗り換えて函館駅でゴールとなり周辺のホテルに宿泊します。
翌日の早朝に西鉄8000系さんとお別れするため、実質上西鉄8000系さんと同行する最終日になりますね。
ちなみに、本日は私鉄に乗る割合が高く、そのため、東日本パスの出番は少なく「津軽フリーパス」というトクトクきっぷを別途購入しています。
この切符はJR線の奥羽本線の青森~碇ヶ関、五能線の川部~五所川原、弘南鉄道全線、津軽鉄道の津軽五所川原~金木が乗り放題に加えて指定区間の弘南バスにも乗れて2日間有効で2060円というお得な切符です。
今回、我々はJR線部分は東日本パスでも代用できたため恩恵をうけるのは私鉄部分のみですが、それでも元が取れているようです。
なお、特急列車に乗る場合は特急券の他に乗車券も別途購入しなければならないのは青春18きっぷや東日本パスと同じで、津軽鉄道についても冬季に運転される「ストーブ列車」には乗車できません。
大鰐温泉の朝
温泉ですっかりリフレッシュしたものの、家族旅行なんかで温泉旅館に泊まった場合はゆっくり朝食を食べてどんなに早くても8時台の出発ですが、今回は大鰐線の始発列車に乗るということでその大鰐発の時刻は6時20分、宿から駅までの徒歩移動の時間に西鉄8000系さんお得意の駅取材の時間を考慮すると5時半くらいには宿を出なければならないでしょう。となると必然的に5時には起きねばならないという訳ですw
西鉄8000系さんの旅・・・いや私単独を含め乗り鉄旅行ではそう珍しくないパターンなのですが、泊まったのが温泉旅館だと言うだけでハードに感じてしまいますねw
ただ、1つ嬉しい誤算がありまして、早朝すぎて利用できないと思われた駅への送迎サービスを利用できることが判明し、徒歩移動が車での移動に変わったことで5分程度ですが出発を遅らせることが出来ました。
そんなわけでやってきた早朝の大鰐温泉駅です。
ところで、JRの始発って弘南鉄道とほぼ同等の6時19分ですが、駅に人影は見られませんでした。
地元の方の通勤・通学は弘南鉄道の利用者の方が多いのかもしれませんね。
送迎の車中で宿の方が勧めてくれた足湯ですが、早朝もやっぱりお湯は張られておらずw
まあ昨晩気持ちよく入浴できたしよしとしましょうw
昨晩も見たワニのキャラクターです。
明るくなったおかげか昨晩より愛らしく見える?w
このちょっと狭い通路が弘南鉄道への連絡通路です。
ちなみに、昨晩は弘南鉄道に有効な切符を持っていなかったことから構内を通り抜けて北口へ行くことは憚られてここは通らず駅の外を迂回して北口へ向かいましたが、今日は津軽フリーパスという弘南鉄道にも有効な切符を持っているわけなので堂々と通れますねw
構内を見下ろします。JRと弘南鉄道の間に妙にスペースがあるのが気になりますが、昔は側線があったんですかね。
乗り場の案内はレトロな雰囲気を残していました。
隠されていたであろう西弘前が出てきちゃっていますが、今は弘前学院大前という名前に変わっています。
ホームです。1面2線の島式ですが、基本的には4番線しか使っていなようです。5番線は臨時列車か夜間滞泊用なんですかね。
事務室と書かれた扉が開け放たれていたので今は係員がいるんですかね。
5番線にも列車が止まっていまして、こちらも7000系ですが、水間鉄道とのコラボラッピング車でした。
水間鉄道も東急7000系を中古で使用している縁でのコラボなんだとか。
車内にはレトロな雰囲気を感じさせる扇風機
最近の車両ではまず見かけない設備ですよね。
余談ですが、弘南鉄道は全国で唯一冷房車が一切存在しない鉄道会社何だとか(観光用のトロッコなんかは例外とします)
この看板がなかったら入っていいのか躊躇してしまいそうですねw
ホームへの階段はスロープが付いていましたが、幅的に自転車用でしょうか?
昨晩は気づきませんでしたが、駅前のマンホールの蓋にもワニがいましたw
さて、それでは、大鰐線でまずは津軽大沢駅に向かうとしましょう。
弘南鉄道大鰐線
ここから乗車しますは弘南鉄道大鰐線ですが、その概要を説明しておきたいと思います。
大鰐線は元々弘前電気鉄道という会社が開業させた鉄道路線であり、当時は三菱電機も資本参加していたようです。なぜ電機メーカーが鉄道会社に関与していたかという話ですが、これは地方電気鉄道のシステムのデモンストレーションの場という意味合いを狙っていたと言われています。
ちょうど東京モノレールに日立製作所が資本参加しているのに似たような事例といえますね。
当初は板柳や田代への路線拡大も狙い実際に免許の取得までは行われたようですが、並行する奥羽本線や弘南バスに乗客を奪われて大鰐線の利用が伸び悩んだこともあって全て幻となっています。
また、このような事情から弘前電気鉄道自体も資金難に陥り、国鉄や秩父鉄道から譲り受けた車両に三菱電機製の部品を取り付けた車両を使用せざるを得ず、完全新造車を導入できなかったことから、三菱電機が狙ったデモンストレーションの目的は達せられなかったようです。
そして、1970年には弘南鉄道に経営権を譲渡する形で弘前電気鉄道は解散となり、現在の弘南鉄道大鰐線になりました。
弘南鉄道移譲後はラッシュ時限定ながら快速運転を行ったり、新駅を開業させたりと積極的な展開をしたものの、弘前側のターミナルがJR弘前駅とは離れた中央弘前駅という駅であり、現在の市中心部からは外れていることもあって利用は減少傾向にあり、2013年の弘南鉄道株主総会ではついに大鰐線の廃止の方針が示されましたが、弘前市などの沿線自治体が路線維持に前向きな姿勢であることもあり結局撤回され現在に至ります。
当面の危機は去ったものの予断は許さない情勢ですね。
ルートとしてはほぼ奥羽本線に並行して走っており、奥羽本線が途中石川駅の1駅のみを設置しているのに対し、大鰐線には14駅も設けられており、全線が単線です。また、前述の快速運転は2006年をもって廃止されており、現在は全列車が各駅停車です。
乗っていて気になった点としては列車の揺れが激しいことですね。車両の特性なのか軌道の状態のせいなのかは分かりませんが、「列車ってこんなに揺れる乗り物だっけ?」と思うほど揺れが激しかったですw
まあ、これもローカル線の味わいの1つということにしておきましょうw
それにしても、これで快速運転をしていた頃はどんなだったんでしょう?
説明はこれくらいで最初の下車駅の津軽大沢駅のレポートに入ります。
津軽大沢駅
大鰐線では唯一途中下車する駅となる津軽大沢駅です。
構内に6000系を発見
快速運転が廃止された際に定期運用を失い現在は波動用としてのみ使用されているんだとか。
6000系については他社への譲渡例もないようですし、現在は乗車が困難な形式の1つですね。
ちょっとレトロなギミックの接近表示です。
既に廃止されて久しい快速の表示が薄っすらと見えたのは嬉しかったですが、なぜひらがなで「かいそく」なんですかね?w
駅舎です。構内の広さからすると小ぢんまりした印象ですが、現在は無人駅となっているようです。
車両基地以外にも車両検修所や運転指令所、変電所といった重要な施設が集中する当駅なのに無人駅というのも意外な感じがします。
車両基地のある駅ということで車両も多少撮っておきましょう。
冬場に大活躍の除雪用モーターカー
あと気になったのがこれ
「最悪の場合、死にます」という「落ちたら死ぬ!」並に強烈なメッセージも印象的ですが、赤旗を持った駅員(?)風のキャラクターがすごく漫画チックですw
それでは、次は一気に終点の中央弘前へ向かい、大鰐線を完乗してしまいましょう。
沿線には「義塾高校前」とか「聖愛中高前」とか「弘前学院大前」といった学校名を冠した駅名が多数あるため、流石の大鰐線も朝の通学時間帯は学生で良くも悪くも賑わうのではないかと思っていましたが、確かに学生こそそれなりに乗ってくるのもの意外と騒がしくならず録音的には助かりましたw
青森県民の県民性としてあまり車内などでおしゃべりをしない傾向があったりするんですかね。
中央弘前駅
大鰐線の弘前側起終点の中央弘前へやってきました。
いつもなら駅名標から始めるところですが、駅名標が見当たらなかった(見逃しただけ?)のでホームの写真から始めます。
中央弘前という一見立派なターミナル駅を想像させる駅名とは裏腹にホームは1面1線だけというあまりに簡素な構造ですw
大鰐方の本線です。
終着駅なのに分岐器もないというのはちょっと寂しい感じがしますね。
一応観光客の利用も想定しているのか、パネルも設置されていました。
他の駅同様のギミックの接近表示がありましたが、中央弘前行きの表示はいらないんじゃ?w
まあ同じものを大量発注したほうがコストが下がると言った事情もあるでしょうから、終着駅だけ別のものにするより同じものを汎用的に使ったほうがいいということなんでしょうかね。
駅舎へは簡素ながら屋根が付けられていて雨天時でも濡れずに移動できます。
ここも列車別改札をやっているらしく、改札中の表示もありました。
しかし、ホームの案内は「かいそく」だったのに、ここは「快速」と漢字表記なんですね。
駅の周辺は古くからの市街地という趣になっていました。
今では市中心部からも外れていて、中央弘前駅という駅名が皮肉のようになっていますが、かつてはJR駅周辺よりこのあたりが中心部だったんですかね。
さて、ここからはJR弘前駅へ向けて移動を開始しますが、前述の通りここからは2kmほどの距離があります。当初計画では徒歩移動するつもりでしたが、小雨ながら雨が降り続いており、なおかつ今持っている津軽フリーパスで弘前市内の弘南バスも利用可能であることに気づき、西鉄8000系さんに弘前駅までバスでの移動を提案しました。
西鉄8000系さんはバス嫌いに定評があるんですが、雨も降っているしその分移動時間が短縮されて駅取材の時間が増えるということを考えれば流石の西鉄8000系さんも了承するだろうと思って提案しました。
しかしながら、答えは予想に反して拒否w
そんなにバスに乗りたくないのかと思いつつ弘前駅までの移動は別行動とすることが決定となりましたw
ただ、駅前からバスが出ているわけではなく、少し離れたところのバス停から乗車しなければならずそこまで徒歩で数分あります。
懸念されたのはバスの運行本数ですが、一応今はラッシュ時間帯ですし、いくら地方都市でも最低でも15分ヘッドくらいで走っているだろうと踏んでバス停を探しながら歩きます。
たどり着いたのは「本町」というバス停でした。
調べた最寄りバス停は確か「中土手町」という名前だったはずですが、まあここからでもバスには乗れるはずなのでバスを待つとしましょう。
時刻表を確認するとちょうど5分後くらいに弘前駅行きがあるようです。ジャストタイミング!
ちなみに、このように中央弘前駅からバス停までの移動時間や今回のようにバスがちょうど来るとは限らないことを考えると結局歩いてしまったほうが早い場合もあるそうで、地元の方なんかはバスに乗らずに歩いて弘前駅まで向かう人も多いんだとか。
似たような条件の駅として上毛電気鉄道の中央前橋駅もありますが、あちらは乗り継ぎ専用の路線も走っている他、市内路線の大半を中央前橋駅を経て前橋駅へ向かう経路にすることでバスの利便性は非常に高くなっているのとは対照的ですね。
やってきた弘南バスです。
もちろんごく普通の路線バスであり、乗車するのもごくわずかな区間ですが初の弘南バスなので楽しみですね。
早速乗り込むと車内は立ち客はいないが席はほとんど埋まっているといったくらいの乗車率でした。
駅への道中は特に渋滞にはまるでもなく順調な走行でした。
下車時に津軽フリーパスを提示して、無事に追加運賃無しでJR弘前駅まで移動できた所で、続いては弘前駅のレポートとなります。
弘前駅
西鉄8000系さんはまだ駅にたどり着いていないようでとりあえず時間つぶしがてら私単独で撮影しながら待ちます。
駅前のバスロータリーです。
目の前のバス停からは100円循環バスが出ていますが、これは中央弘前駅近辺を経由するので、運行時間帯内であればJR弘前駅~中央弘前駅の乗り継ぎに利用することが推奨されている路線です。
弘南バスの高速バスでした。
弘前を発着する高速バスとしては盛岡とを結ぶ「ヨーデル号」がありますが、東北新幹線が新青森まで延伸されると所要時間での優位は薄れてしまい、利用の少ない時間帯の減便などもあったようですが、鉄道では一旦青森市を通る遠回りなルートを短絡する路線として活躍しています。
しばらくバスを撮ったりしていると西鉄8000系さんも到着したという連絡が入りまして合流して取材を再開します。
が・・・西鉄8000系さんは既に外観の撮影を終えてしまわれたとのことで、私は駅の方はまだ撮れていませんが、そのまま中へ入ることに。
まあ、津軽鉄道に乗った後もう1回ここに戻ってきますからその時に撮ればいいでしょう。
駅の中に入るとこんなものがありました。上に飾られているのはスキー板ですかね?
あと、駅ビルの名前は「アプリーズ」というらしいですが、名産のりんごの英訳「アップル」をもじったネーミングでしょうか。
側線にいたのは701系
乗車するのももちろん701系
これに乗って2駅隣の川部駅へ向かいます。
川部駅
「リゾートしらかみ」に乗る前に川部駅に立ち寄って取材します。
もちろん弘前から直接「リゾートしらかみ」に乗ることもできたわけですが、西鉄8000系さんお得意の駅取材のためですw
ホームからも駅舎が見えました。
ちなみに、この駅舎ですが、建物財産標に1894年10月との表記があるらしく、現役駅舎として国内最古とされている武豊線の亀崎駅がこの翌年に駅舎を火災で焼失した記録が残っていることから、現在の亀崎駅の駅舎がこの火災後に再建されたものだと仮定すると、当駅の駅舎が現役最古の可能性があるとのことです。
これが事実なら123年目の駅舎ということになりますが、見た限りはそこまで古くは見えないんですよね。
ホームは単式1面と島式1面の3線となっていますが、国鉄型のように待避や折り返しのような使い方ではなく1番線を五能線、2・3番線を奥羽本線という使い方のようです。
側線にはホッパ車がいましたが、これはバラスト運搬用なんだとか。
↑「リゾートしらかみ」くまげら編成が通過していきました。
実はこれがこの後乗る列車だったりするんですが、弘前駅でスイッチバックして再度当駅に戻ってくるため、乗車する列車の通過シーンに遭遇するという珍しい体験ができるわけですね。
今度はたらこ色のキハ40系がやってきました。
キハ40系だけ全検明けなのかスカートが綺麗だったので並ぶとこんなに差が出ますw
↑これは発車シーンを動画で撮りました。
それでは外に出まして駅舎を撮ります。
確かに年季が入っていますが、120年経った駅舎なのかというと、そこまで古くは見えない気がしますね。
自販機や点字ブロックなど現代的なものが置かれていたり、建物自体も窓枠がアルミサッシになっていたりするから古さを感じさせないんですかね。
そして、我々の乗る「リゾートしらかみ」がやってきたのでそろそろ構内に戻りましょう。
え?もう列車が来ているのに外にいて大丈夫かって?
五能線は川部駅では青森方面に直通するような形につながっている関係上、弘前からやってきた「リゾートしらかみ」はスイッチバックをしなければならずその関係で停車時間が長いので大丈夫です。
近くで眺めるのも初めてだけにホームでも撮影していきます。
ちなみに、このくまげら編成は実はレアな存在でして、何がレアかというと、3編成ある「リゾートしらかみ」で唯一キハ40系を種車とする車両だからです。
デビュー時は全編成がキハ40系を改造したものでしたが、経年劣化もあってHB-E300系というハイブリッド気動車に置き換えが進み、キハ40系ベースのままなのはくまげら編成だけなんですね。
今回はたまたま都合の良い時間に走っていた列車がこれだったと言うだけですが、いつ消滅するかもしれず乗れて良かったです。
車番はしっかりキハ48形です。
さて、この「リゾートしらかみ」に乗って五所川原へ行くわけですが、「リゾートしらかみ」については4日目でも乗車するのでその時に取っておくとして、津軽鉄道のレポートに進みます。
津軽鉄道
五所川原では乗り換え時間がそんなになかったので駅は後回しにして津軽鉄道の乗車レポートになります。
津軽鉄道は第三セクターや公営鉄道を除けば日本で最北の私鉄となる鉄道で、冬場には「ストーブ列車」が走ることでも有名ですね。
この路線は五能線の前身となる川部~五所川原間の鉄道を開業させた陸奥鉄道が国有化された際、国有化によって出資額の倍程度の利益を得た株主等によって新たな津軽地方の鉄道として五所川原~中里間に鉄道を建設すべく設立された津軽鉄道の手によって開業されました。。無事中里まで開業した後は小泊、三厩を経て青森まで延伸するという壮大な構想もあったようですが、三厩~青森間がJR津軽線として実現した以外は未成に終わりました。
かつてはバス事業も営んでいましたが、1955年に全て弘南バスに譲渡して現在バス事業からは撤退しており鉄道専業ということになります。
いわゆるローカル線であり、通常は1両ないし2両のディーゼルカーが行き来するだけの路線ですが、前述の「ストーブ列車」や「鈴虫列車」「風鈴列車」など様々な趣向を凝らした列車を走らせて集客に取り組んでいます。
↑「リゾートしらかみ」はここでも発車シーンを撮ります。
乗り継ぎの手持ち無沙汰に津軽鉄道の駅を見学する人もいるでしょうが、そういう場合は入場券を買って下さいという告知でした。
たかが入場券でもローカル私鉄にとっては貴重な収入源でしょうしね。
津軽21形という形式の車両で、ストーブ列車以外の列車は全てこの形式が充当されるようです。
沿線の金木町が太宰治の出身地であることから「走れメロス号」の愛称があります。
「一般」と書かれた看板が立っていましたが、これは2両目は団体専用車両らしくそれとの区別だったようです。
あと、車内には「津鉄文庫」といって自由に手にとって読むことが出来る本が用意されています。
さて、それでは発車ですが、この列車にはアテンダントが乗務していました。
外は生憎の雨で景色が楽しめませんでしたが、アテンダントさんの案内で楽しく乗車時間を過ごすことができました。
あと、津軽フリーパスでは金木までしかフリーエリアに入っていないので終点の津軽中里まで行くためには乗越分の乗車券を購入しなければなりませんからこういう意味でもアテンダントがいて助かりましたw
アテンダントさんは乗客1人1人に声をかけて案内をしていき、話し好きでないとみると基本的な案内のみで立ち去り、話し好きとみると積極的に雑談を振って世間話をしたりもしていました。
アテンダントさんとずっと喋っていた人もいましたが、地元っぽい訛りだったので地元のお年寄りが移動中の話し相手として楽しんでいるというところでしょうか。
実は往路より復路のほうがネタがあったので往路はこれくらいで津軽中里駅のレポートに進みます。
津軽中里駅
津軽鉄道の終点で必然的に私鉄最北端の駅となる津軽中里駅です。
改札というより通路な出入り口w
ここの窓口で今度は金木までの乗車券を買っておかないといけませんのでそれを済ませたら続きを見ていきます。
一見すると当駅とは関係が薄そうな北海道新幹線開業を祝うのは単に同じ県内の話題だからということではなくて、実はちゃんと接点がありまして、当駅と奥津軽いまべつ駅の間で実証実験で運行されている路線バスがあり、それを利用することで北海道新幹線と当駅を直通で移動することが出来るんですね。
1日4往復運転されているんですが、どうも利用が伸び悩んでいるようで正式運行に漕ぎ着けるかどうか今後の動向に注目ですね。
なお、補助金の関係なのか、中里駅行きは途中停留所は降車のみ、奥津軽いまべつ駅行きは途中停留所は乗車のみとなっており、必然的に奥津軽いまべつ駅を発着する利用しかできず、中里駅へのフィーダー路線的な使い方はできないようです。
そういえば、2両編成のままでしたが、結局団体さんは乗ってきませんでしたね。
折り返しで乗ってくるのでしょうか?
側面にも「走れメロス」の文字が入っていました。
確かにタイトルに”走れ”なんて入っている文学作品は列車の愛称にはもってこいかもしれませんねw
「ここにふるさとがある」という短いフレーズですが、ローカル線の良さを端的に表しているいいフレーズだと思います。
それでは、五所川原に向けて折り返し乗車となりますが、前述の通り復路の方でネタがあったので道中のレポートが入ります。
復路にて
後ろに連結されていた団体車両の意味がここで判明します。アテンダントさんがまた一人ひとりに声をかけ始めたのですが、「保育園のちびっこ達が乗ってくるので賑やかになるかもしれませんがご了承下さい」みたいなことを言っていました。
なるほど、団体さんは保育園の園児たちだったんですね。それにしても、別々の車両に乗るなら子どもたちが騒いだとしても一般車両の方には底まで響くわけではなかろうに、随分と丁寧だなと思ったら実際に乗ってきてその意味がわかりました。
引率の先生の指導もあってか礼儀正しく乗ってきた子どもたちですが、アテンダントさんがその子どもたちの車両に行って観光バスのバスガイドさながらにマイクを握って司会者のようなことをし始めたのです。そのマイクは一般車両にも届いており、アテンダントとしての停車駅の案内などもしながら合間で子どもたちの車両を盛り上げたりもして忙しそうでした。
あと、アテンダントさんは地元の子供達相手だからということもあってか流暢な津軽弁で話し始めたのですが、東北、それも青森県に縁があるわけではない私でも何故か懐かしさを感じました。それから、津軽鉄道井初めて乗る人と問われて2~3割程度手を挙げていたようでしたが、普段のお出かけは親の運転する車でしょうから、地方の子供なら列車に乗ったことがないのも珍しいことではないのかもしれませんね。
もう1つ、実家がリンゴ農家の人という問いでもポツポツと手が上がっており、さすがは青森だなと感心しましたw
ケンミンSHOWだったかでやっていた話で、青森県民は見ただけでりんごの品種を言い当てることが出来るそうなので、それだけ青森県民にとってりんごは身近な存在なんでしょうね。
こちら、嘉瀬駅にて留置されている「夢のキャンパス号」なんだそうですが、元SMAPの香取慎吾さんが企画デザインしたものなんだそうですよ。
アテンダントさんはこのことを紹介するのに「SMAPの・・・ではなく元SMAPの~」と言い直す場面もありましたw
団体の園児たちの園のバスが列車と並走しているという話も聞こえてきたら終点の津軽五所川原駅に到着しました。
それにしても、わざわざバスを並走させるということは、移動手段として津軽鉄道を使ったというより、子どもたちに社会見学の一環として鉄道での移動を経験させよう的な趣旨だったりするんでしょうかね。
津軽五所川原駅・五所川原駅
無事に津軽鉄道完乗も果たし、再び戻ってきた津軽五所川原駅です。
ちなみに、津軽鉄道は津軽五所川原駅、JRは五所川原駅と隣接していながら駅名が異なっています。
両駅とも取材しましたのでレポートしていきます。
あっという間でしたが津軽鉄道の部は終わりですね。
先ほどの団体の園児たちがホームで整列していたのでしばらく端っこの方を撮影しつつ時間を潰します。
が・・・残念だったのが工事でホームの半分ほどが塞がれて立ち入れなくなっていたことです。
どうやら屋根の補修工事をしていたようです。
構内にはいくつか車両が留置されていて、これは既に使われていないのでしょうがボロボロの気動車もいました。
実は当駅構内には多数の保存(放置?)車両がありまして、それを見学する目的もあって今回滞在時間を確保した経緯もあります。
待合室の看板ですが、JRの駅とは違うことをはっきりさせたいのか駅名付きで「津軽五所川原」と書かれていました。
それにしても、ちょっと昭和を感じさせるこのパネルは一体何なんでしょうw
JRのホームには五能線の列車が来ていました。
この列車は弘前行きですから、実は「リゾートしらかみ」に乗らなくても弘前に戻れたわけですが、そうするとこのように保存車両を見たり駅取材の時間が確保できなくなるため、指定席料金がかかることを承知で「リゾートしらかみ」を選んだという経緯があります。
このような通路でJR五所川原駅に直結されていて実質同じ駅といえます。
それなのに駅名を変えている理由が気になりますね。
これも手作り感があります。
それにしても、「つ」をヘボン式の”tsu”ではなく”tu”としているのは駅の案内としては珍しいですよね。
階段の窓からは機関車が見えました。「ストーブ列車」の牽引機ですかね。
ここも観光地の駅ということで立佞武多の顔出しパネルがありました。
目指すは津軽鉄道の出口です。
実は五所川原駅と津軽五所川原駅は独立した駅舎を持っており出入り口も別々に構えているのですw
昔ながらのラッチを備えた改札がありますが、入場時の改札のみ行い、集札は列車内で行うためここでは行われません。
これも駅名標の一種ですかね。
そういえば、ここのローマ字表記は”tsu”なんですね。
その他、駅前にはバスターミナルもあって、正式には弘南バス五所川原駅前案内所となっているそうですが、青森、弘前、鰺ヶ沢など多くの路線バスが集まる交通結節点となっています。
長距離バスとしては「ノクターン号」と「パンダ号」の2路線が乗り入れており、いずれも東京まで結ぶ夜行路線です。
何だか巨大な格納庫のようなものがありましたが、これは「立佞武多」を格納するためのもので、祭本番はここで出番を待つようです。
「立佞武多」とは五所川原で8月4~8日にかけて開催されるまつりであり、「佞武多」は「ねぷた」と読みます。青森のねぶた祭と共通する部分の多いようですが、何よりも特徴的なのは山車の巨大さで、このシェルターからも分かるように高さ20mを超すものもあるようです。
市街地に電線が張り巡らせられるようになると巨大な山車を運行することが不可能になり一時期は姿を消したそうですが、ボランティア活動の力により1996年から復活されたそうです。このために、電柱の地中化や道路の拡張までやったらしいですよ。
実物が見たい方は駅の近くに「立佞武多の館」という施設があり、そこで実物をいつでも見られるそうですので訪れてみてはいかがでしょうか?
構内からも格納庫がよく見えました。祭り期間中に来たら駅の中からでも山車が見られるわけですね。
キハ40系がやってきました。
が、乗るのはこれではなく対向列車の「リゾートしらかみ」です。
「リゾートしらかみ」については明日も乗るのでここではスルーして、記事は2度目の弘前駅へと飛びます。
2度目の弘前駅
2度目の訪問となる弘前駅です。
↑発車シーンを撮影です。
そういえば、当駅の発車メロディは「津軽じょんがら節」なんですね。しかも津軽三味線の音色なのがすごいです。
それでは、外に出るとしましょう。
こちら側は今朝私がバスを降り立った中央口ではなく、城東口という方です。
それぞれは「あずましろ~ど」という愛称の自由通路で連絡されています。
なお、中央口の方ですが、デザイン的に似通っていたので写真は省略します(撮りに戻るのが面倒だったとも言うw
弘南鉄道は独立した駅舎になっているため、個別の表記になっています。
五所川原でも立佞武多のご紹介をしましたが、ここ弘前にも「弘前ねぷた」という祭りがありまして、それの山車が展示されてました。
それでは、そろそろ弘南線のホームへ入りましょう。
ここも列車別改札となっており、発車時間が近づくまで改札前の待合スペースで待つ必要があり、西鉄8000系さんは早く構内に入って撮影したいとウズウズしていたようですw
といってもホームは1面2線しかなく、短時間で撮影が終わりそうですね。
大鰐線と同じ車両が使われていますが、何やらラッピング電車になっていました。
沿線の高校の生徒が描いたラッピング電車が走っているらしいのでそれでしょうか。
ヘッドマーク付きでしたが、会社名が入っているあたり、スポンサー制度とかですかね。
それでは、この電車に乗って一気に終点の黒石まで行き、弘南線、そして弘南鉄道の完乗を目指します。
弘南線
ここから乗る弘南線ですが、弘南鉄道の社名にもなっているくらいであり、弘南鉄道が自社で開業させた弘南鉄道発祥の路線となります。
大鰐線とは異なり、JRと同じ弘前駅に乗り入れておりルートもJR線と重複しないものなので存廃問題は今のところ出ていないようですが、地方鉄道を取り巻く環境を思えば楽観視もできませんね。
運行形態ですが、大鰐線と似たダイヤ構成で、朝夕に30分ヘッドの運転になる以外は1時間ヘッドで、全列車が全線を走破する各駅停車となっています。
また、かつて快速があったようですが、これは2007年に発生した脱線事故の影響で休止され、そのまま事実上廃止となっているようです。
唯一ネタといえるのが朝の通学時間帯に4両編成のツーマン列車が走ることくらいですかね。
最初は私鉄線らしく市街地を走っていきますが、しばらく走るとこんな田園風景に変化します。
途中にある面白い駅名として「田んぼアート駅」をご紹介しておきます。
川部駅のくだりでも田舎館村が田んぼアートで有名だという話をしましたが、その最寄駅として整備されたのが当駅です。
ただ、「田んぼアート」って当然稲刈りをしてしまってから次の稲を植えるまでは見ることができませんし、観光客以外の利用がほとんどないのか、12月1日~3月31日までは全列車が通過する扱いとなり利用できなくなる他、それ以外の期間でも早朝・夜間は列車が停車しないため利用できません。
それでは、次は終点黒石駅のレポートとなります。
黒石駅
弘南線の終点黒石駅にやってきました。ここもレポートしていきます。
そういえば、よく見たらこの方向幕は車体にそのまま塗装されているんですねw
区間運転が存在せず、全列車が弘前~黒石間の運転だからこそできる芸当なんでしょうが、かつて存在したという平賀折り返しの区間運転には充当しないようにしていたんですかね。
検車庫を併設しています。
おや?・・・黒石線じゃなくて弘南線では?
と思ったら黒石線というのはかつて当駅と川部駅との間に存在した鉄道路線だったようです。
黒石線は元々国鉄が建設した路線であり、黒石へ乗り入れた最初の鉄道だったようですが、弘南線が開業すると乗客は弘南線に流れて黒石線は利用者離れに見舞われました。
そして、国鉄末期、1984年には特定地方交通線に指定され、廃止の方針が定められますが、弘南鉄道が路線の受け入れを表明したことから、1984年に弘南鉄道黒石線として再スタートを果たし、国鉄と弘南鉄道で分かれていた黒石駅を統合したり、割引回数券の導入などの施策の成果もあり、国鉄末期には700を超えることもあった営業係数が110~120程度まで改善しましたが、最後まで黒字転換には至らず黒石線の赤字が弘南鉄道の経営にも影響を及ぼすと懸念され、1998年に廃止されてしまいました。
他の路線は全て電車のみが走る弘南鉄道が非電化の黒石線を受け入れるのは車両や運転士の融通が効かないなどのデメリットもありますし、黒石線は弘南線のライバルとも言える路線であり、それを赤字の状態で受け入れるというのは地域の足を守りたいという思いの現れだったのかもしれませんね。
余談ですが、この旅の2日目で乗車した由利高原鉄道鳥海山ろく線も、結果的には第三セクターによる存続ということになりましたが、弘南鉄道が受け入れを表明したことが鉄道存続への道を開いた例ですね。
ホームの先がそのまま改札になっています。
現在は1面2線の頭端式ホームだけですが、黒石線が走っていた頃は2面4線のホームだったようです。
終端部ですが、ちゃんとしたコンクリートの車止めがありながら、枕木も置いているんですね。
駅前はバスロータリーが広がっていて多くの路線バスが集まります。
青森への路線があるのは鉄道だと遠回りになりますからわかりますけど、弘前駅への路線が2路線もあるというのに驚きでした。
いずれも弘南線とは微妙に経路が違っているようで、そのため同じグループ内ながら共存できているようです。
あと、川部線っていうのはお察しの通り黒石線の廃止代替バスとして運行されているものですが、こちらも利用が芳しくないようで、減便傾向にあるようです。
やってきたバスは青森からの路線でした。
それにしても、青森県は意外とバス路線が充実している印象ですね。ローカル路線バス乗り継ぎの旅をやるなら青森は好適地かもしれませんw
すっかり後回しにしていましたが、駅舎です。
これを撮ったら引き返すわけですが、田舎館駅と平賀駅の2駅に立ち寄りますのでそのレポートが入ります。
田舎館駅
それでは、弘南線途中下車1駅目です。
まずは駅名標です。
それにしても、田舎という字が入る地名というのもなかなか無いですよね。
地名の由来としては蝦夷が住むから「蝦中(えなか)」と呼ばれ「田舎」に変化したとか、「稲家」からの変化、平安時代に「田舎の郡」と呼ばれて鎌倉時代に「田舎館」と呼ばれるようになったなど諸説あるようです。
ホームは1面2線で交換可能駅ですが、日中ダイヤでは列車交換はなく朝夕の30分ヘッドの時間帯のみ使用されているようです。
駅舎の内部です。現在は無人駅となっていて、窓口だったと思われる場所も塞がれていました。
駅前には大きな立木があり、ロータリーのようになっていますが、駅前に乗り入れるバスはなく、バスを利用するには少し歩かねばならないようです。(そのバスも弘前と黒石を結ぶ路線なので当駅で乗り換える意味はなさそうですね)
そういえば、田舎館村には3つの鉄道駅があり、当駅と隣の田んぼアート駅、もう1つは川部駅ですが、いずれも村の中心部からは外れているという交通に恵まれているのか不便なのかよく分からない村ですねw
土器のようなデザインのマンホールがありましたが、付近に垂柳遺跡という遺跡があるためのようです。
駅前には道路が通っているだけで、田園風景が広がります。
名前の通り田舎の風景ですね。
そういえば、歩道のガードパイプがりんごの形のデザインになっているのには驚きました。
それでは、次は平賀駅へ向かい、駅取材はラストです。
平賀駅
朝から駅を巡ったり徒歩乗り換えがあったりと疲労がたまりつつありますが、これで最後ですから頑張っていきましょう。
ホームは駅ビルの1階部分に作られており、薄暗い印象です。
まだ雨が降り続いていましたから濡れずにホームを撮影できるのはありがたいですが、暗いと光量不足でブレやすくなるので撮影自体には不向きというジレンマw
駅名標は何故か黄色w
???「じゃあ、なんでそんなに黄色いんだよ」
五所川原や弘前でも見かけたねぷたの山車がここでも展示されていました。
当駅が所在する平川市の平川ねぷたまつりというものがあるんだとか(ねぷたまつりはいくつあるんですかねw
そうそう、駅名は平賀なのに地名は平川の理由ですが、旧平賀町と周辺村町が合併して発足したのが平川市ということのようです。
停止位置目標のようですが、これ見た感じちゃんと固定されておらず置いてあるだけに見えるのは気のせいですかね?w
錘代わりにカットしたレールが取り付けられているものの、ホームという立地を考えると誰かが躓いて倒したりとかしないんでしょうか。
本当に固定されていないのかどうか確かめたくもなりましたが、下手にいじって本当に動いてしまったら大変なので結局触りませんでしたけど。
と、ここで一旦改札へ向かいます。当駅は有人駅なのですが、列車別改札が多い弘南鉄道(というより東北地方全般)ですから、いつまでもダラダラとホームに居残って撮影していたら怒られる可能性もあるので、先に切符を見せておいて構内で撮影する許可を頂こうという作戦です。
これで駄目ですと言われたら諦めて引き下がるしかなくなりますが、知らんぷりして撮っていて怒られるよりはいいでしょう。
女性の駅員でしたが、快諾してくださりまして、更には反対側のホームまでなら行ってもいいというお墨付きまでくれました。(この言葉の意味はすぐにわかりました)
というわけで撮影続行ですが、こんな扉が行く手を阻みます。
いくら駅ビルに一体化しているとはいえ、線路部分はオープンなわけですからここだけ扉がある意味はあるのかと疑問にも思いましたが、冬場の吹雪の時とかはこれがあるだけでホームの快適さが段違いなのかもしれませんね。
扉の向こうからもう1枚
こうしてみると本当に駅ビルに一体化していますね。
反対側からも
ところで、こちらのホームですが、実は現在は使われていないホームだったりします。
それは、2番線へと進入しようとした電車が脱線事故を起こしたことがあり、その事故以来ポイントそのものの使用を停止して、1番線のみを使用する形に改めたようです。
それでも完全に閉鎖しないあたり、緊急時や臨時運行では使用する可能性もあるという考えなのでしょうか。
そして、現在は使っていないからこそわざわざ「入ってもいい」なんてお墨付きをくれたわけですね。
そういえば、併設される車両管理所などへ出入りするのか職員が時々往来しましたが誰も我々を気に留めることはなく当たり前の光景だとでも言わんばかりに素通りしていきました。意外とここで撮影する人は珍しくないのかもしれませんねw
改札口のところには吊り下げタイプの駅名標もありましたが、こちらはやっぱり黄色
こちらが駅舎です。津軽みらい農業協同組合、並びに弘南鉄道本社と一体化した駅舎になっており、駅の規模の割には大きな駅舎を持っています。
改札上部にあった接近案内です。
快速の表示も残っていますが、1番線か2番線かも表示できる仕様だったんですね。
もう2番線が光ることはないんでしょうけど・・・
↑弘南鉄道の動画を1つも撮っていなかったことを思い出して慌てて撮影しましたw
それでは、弘前駅へ戻って後はひたすら北を目指して移動します。
北を目指して進む
何だかんだで今日3度目の訪問の弘前駅ですが、列車を中心に撮影しましたのでレポートしておきます。
構内に「リゾートしらかみ」(青池編成)が停車中なのを発見しました!
構内に入るとまだいました。
どうやら弘前始発の秋田行きのようでまだ発車時間まではしばらくあるようです。
そういえば、今日は「くまげら」「橅(ブナ)」に乗車して「青池」は見ただけですが見れたので、3種類の編成を写真ではコンプリートできましたね。
ホームに何やら展示物を発見
1つは弘前城で、もう1つは旧弘前市立図書館なんだとか
と、これくらいで乗車となります。
乗るのは酒田から何度も乗ってきた701系でして、これに乗って新青森まで行きます。普通列車でも結構な混雑でなかなか座ることが出来ませんでしたが、調べてみると弘前~青森を直行できる公共交通機関は現在JRしか存在せず、高速バスもないようなので都市間移動の役割も普通列車が担っているゆえこんな混雑なんでしょうね。(特急「つがる」も今や3往復しかないですしねぇ・・・)
北海道入りしてしまえばもう乗ることはない車両ですから最後に1枚くらいとっておきましょう。
まあ、私は明日また本州に戻ってくるんですけどねw
ここからは北海道新幹線に乗り換えですから新幹線乗り場へ移動していきます。
ちなみに、北海道新幹線については私単独では以前の旅で乗ったことがありましたから、正直言って明日も青森に戻ってくる私は北海道新幹線に乗らずに青森で西鉄8000系さんとお別れでもよかったわけですが、前回乗車時の録音が散々な結果に終わっていたので、せっかく東日本パスのおかげで乗車券を買わずに乗れるチャンスだけに函館まで付いていくことにしたのですw
ここもやっぱりねぷた推しw
あちこちで見てきて見飽きた感も正直否めませんが、ねぷた(ねぶた)は青森県を中心に東北地方で広く行われているお祭りで、青森と弘前のものは国指定重要無形民俗文化財であり、特に知名度も高いですからね。
この並べられた作品は有名な棟方志功氏の作品でした。
そういえば、青森県出身だと聞いたことがありますね。
新幹線ホームへは何度か来ていますが、北海道新幹線開業後には来ていませんから、奥津軽いまべつ駅が表記された駅名標は初ですね。
ところで、ちゃっかり新幹線ホームに入っているけど、東日本パスって普通列車限定じゃないの?っていうツッコミが来る前に説明しておきますが、東日本パスは確かに普通列車限定ながら北海道新幹線(新青森~新函館北斗)に関しては座席を指定しない特定特急券を購入することで東日本パスを併用して乗車できる特例が設けられています。
この区間だけの乗車券でも2810円しますから、これは大変ありがたい特例ですね。
驚いたのがなんと自動改札で問題なく通れました。
ちなみに、同様に普通列車限定の乗り放題系きっぷとして「青春18きっぷ」や「秋の乗り放題パス」もありますが、こちらは「北海道新幹線オプション券」(2300円)というものを追加購入すると奥津軽いまべつ~木古内間の北海道新幹線(指定席の空席に乗車)と、木古内~五稜郭間の道南いさりび鉄道の列車が片道1回のみ利用できるという内容であり、在来線時代は追加料金無しで津軽海峡を越えられたのに対して、2300円の追加が必要になった上、従来は青森~蟹田~木古内~五稜郭と2回の乗り換えで良かったものが、青森~蟹田~奥津軽いまべつ~木古内~五稜郭と3回乗り換えが必要になった上、北海道新幹線も奥津軽いまべつ・木古内に停車する列車の本数が特急時代より減っている上、奥津軽いまべつ駅に隣接する津軽二股駅への津軽線も運行本数が少ないと18キッパーにとって津軽海峡を渡るハードルが高くなってしまいましたね・・・
っていうか、乗り継ぎの繋がり次第では津軽海峡フェリーを使ったほうが早くて安かったりしてw
と、話が脱線しましたがH5系がいたので撮影
H5系は言ってしまえばE5系のうちJR北海道が保有する分を別形式で呼んでいるようなもので、E7系のJR西日本持ちがW7系というのに似たような話ですが、側面に入ったストライプが「彩香パープル」という色に変えられている他、内装にも違いがあります。
側面部のロゴも北海道の形をモチーフにしたデザインになっています。
ちなみに、乗車したのは普通にE5系でした。運用割合で言えば圧倒的にE5系が多いわけですから当然っちゃ当然・・・
北海道新幹線の解説は前回乗車したときのレポートでしていますからここでは省略して青函トンネル進入時の動画を貼ってお茶を濁しておきますw
↑青函トンネル進入時の車窓
青函トンネルではずっと暗闇の単調な景色が続くことから旅の疲れも出てウトウトしてしまっていましたw
気がつくと北海道という青函トンネルあるあるを体験したら木古内も通過でもう新函館北斗はすぐでした。
宿は函館駅の近くに取っているので「はこだてライナー」で移動します。
これも前回乗っていますから私にとっては単なる移動手段ですね。
そういえば乗車位置案内がアルファベットになっていた上、動物のイラスト付きになっていました。以前はなかったように記憶していますが、北海道は外国人観光客が多いですから外国人にも分かりやすいようにということですかね?
函館駅では構内は特に撮るものもなく駅前で函館山行きのバスを撮ったら終わりです。
あとは、ホテルへ入って今日の活動は終わりなんですが、3日間(実質2.5日間?)行動を共にした西鉄8000系さんと過ごす最後の晩ということもあってちょっと贅沢をしてステーキレストランに入って夕飯を食べました。
またいつか一緒に旅をすることになるでしょうが、今は遠く離れて暮らしていますから顔を合わせる機会自体が希少なものになっていますからね。
それでは、あとは4日目の記事に続きます。追ってレポートしますのでお待ち下さい。
~追記~
4日目も公開しました。