今回は3泊4日の日程で北海道へ出掛けました。特に意識しているわけではないのですが、年に1度の北海道遠征は私の中での恒例行事に近くなっていたりもしますが、昨年は10月に実施しましたので半年ちょっとしか開いていないことになります。
そんな一般の感覚から言えば「立て続け」とも言えるタイミングでの北海道遠征となったわけですが、今回のお目当てはと言うと、ずばり「駅巡り」です。
北海道には膨大な数のローカル駅が存在し、長期不通区間を除く全鉄道路線の完乗を既に達成した私でも訪れていない駅がたくさんあったので、この機会に・・・というわけですね。
なお、順番的には「ズイパラ」よりも前ですが、記事の執筆順を入れ替えています。
また、訪れる範囲ですが、根室本線の富良野~新得間、日高本線、札沼線の3線区が目当てとなります。ようするにJR北海道が廃止を発表済み、あるいは廃止の可能性が高い路線をピックアップしています。
なお、今回はレンタカーでの活動となっており、飛行機に乗るための空港までの移動以外では全く列車に乗らないという、私の旅としては異例中の異例とも言えるプランになっています。
既に三江線で前例のあることとはいえ、こんな活動が計画されたのはもちろん駅好きに定評のある西鉄8000系さんが関わっており、元々西鉄8000系さんと話す中で持ち上がった計画でした。過去形を使った時点で「おや?」と思った方もいるかも知れませんが、その西鉄8000系さんは遠征直前に体調を崩してしまい御本人も断腸の思いだったようですが不参加となり、結局私単独の活動となりました。
長ったらしい前置きはこれくらいで、そろそろ本題へ入りましょう。
1日目の活動内容
1日目の内容について触れておくと、LCCのバニラエアで新千歳空港へ飛び、空港周辺のレンタカー店でレンタカーを借り受けたら高速道路を飛ばして富良野方面へ向かい、富良野駅の1駅隣にあたる布部駅からスタートして、1駅ずつ訪問しておきます。なお、当初計画では東鹿越駅と落合駅にも行く予定でしたが、以前の私単独の活動で訪れており、今回は割愛しました。
となると訪問予定駅は5駅のみとなりますが、まず新千歳空港から布部駅までの移動が長いですし、訪問後はホテルのある帯広まで行かないといけないので訪問駅数の割には1日をフルに使う行程だったように思います。
まずは北海道へ飛ぶ
そろそろレポート本題に入るとしましょう。
成田空港へ向かいますが、もう何度もお世話になった「東京シャトル」を利用します。
以前はなかったはずの待合室が出来ていたので撮影しました。
何度か使っている路線でも細かい変化があって面白いですよね。
受付のスタッフの方が来たので携帯の予約メールを見せて予約済みであることを申告するとこんなプラスチック製のプレートを渡されました。
どうやら乗車時にこれを運転士さんに渡すことで運賃が支払い済みであることの証明としているようです。
実質的にチケットと言えますね。
なお、「東京シャトル」は予約を受け付けているものの座席までは指定されない仕組みなのでいい席を取りたければ早く並ぶ必要があります。
当然ながら予約済みの人から先に乗車が始まり、続いて予約なしの人が乗り込みますから、予約したほうがいい席にありつける確率が高いとも言えます。また、繁忙期だと満席で乗車を断られる可能性もありますから、乗車予定が決まったら早めに予約をとることをおすすめします。
既に何度も乗っているということもあるので、乗車中は割愛します・・・っていうか爆睡してましたw
今宵の宿は成田空港のターミナルであり、適当なベンチを寝床としました。
もう何度もやってきたことなので慣れたものです。
意外と熟睡できて気がつけば周りが明るくなっていたので、朝食を食べてから保安検査を完了して、搭乗口へ向かいます。
こちらがバニラエアの機体です。
バニラエアはもうすぐピーチ・アビエーションと統合されることとなっており、この塗装の機体も見納めとなりますね。
それではいよいよ搭乗開始です。
成田空港もLCC用の第3ターミナルはボーディングブリッジがなくバスで移動なんですが、LCC慣れした私からすればもはやボーディングブリッジがある方が違和感を覚えるレベルですw
座席に着いて、置いてあったパンフレットを手に取りましたが、ピーチとの統合を記念してかピーチとバニラエアの合同号になっていました。
↑座席指定をしていなかったにも関わらず窓際になったので機窓を撮りました。
なんだか、最近は飛行機に乗って機窓を撮るのが定番になりつつありますが、成田空港ってLCCでしか使ったことがない空港なので窓際になることが少なく、こうして機窓を撮るのは初めてだったりします。
みるみる上昇して1時間半ばかりの空の旅を楽しみます。
暗かったり天気が悪かったりすると飛行機に乗る時間は単なる移動時間でしかなくなってしまいますが、明るくて天気が良ければ楽しい時間となりますよね。
飛行機の機種とかそういう知識はあまりないので、航空ファンを名乗るほどではないと思っていますが、飛行機に乗るのも結構好きだったりします。
地形的に目印になるものがあまりなく、どこなのか判然としないのですが、これぞ「リアル空から日本を見てみよう」ですね。
ただ、鉄道の景色なら地図でその路線をたどっていき、類似が疑われる場所でストリートビューを確認すると言った地道な手法で写真の撮影地を特定できたりするものですが、飛行機だと明確な道が存在しない上、航空路も普通の地図には乗っていないと来ては場所の特定についてはよほど特徴的な地形や建築物がないとお手上げですねw
高速道路のジャンクションも空から見るとより全体像を把握できて楽しめます。
昨晩は深夜帯にバス移動した上、ターミナルで夜を明かしたこともあって時々寝ていましたが、気がつくともう北海道上空に差し掛かっているようで着陸態勢に入ります。
↑新千歳空港への着陸ももちろん機窓を撮ります。
新千歳空港といえば札幌市最寄りの空港であり、周辺は市街地が広がっているイメージでしたが、実際には田畑が広がるばかりでイメージとのギャップもありましたw
着陸するとなんと政府専用機を発見!
航空業界の事情にはそんなに明るくないこともあってなんとなく撮っただけだったんですが、写真は先月退役したボーイング747の方であり、航空自衛隊千歳基地に所属している関係で隣接する新千歳空港で保管されていたようです。
というあたりで、飛行機編は以上!
ここからはレンタカーを受け取り、布部駅までひたすら移動です。予定ではここで福岡から空路でやってきた西鉄8000系さんと合流する手はずでしたが、冒頭にある通り体調不良のため不参加となりましたので、私単独でレンタカー店へ行きました。
北海道は何度も訪れた土地ではあり、札幌周辺など鉄道ではもう何度も行き来しているわけですが、車を運転しての訪問は初めてであり、鉄道とは違った景色で新鮮でした。
道東自動車道を占冠ICまで通行しましたが、暫定2車線区間が多く高速道路の割にスピードが出せなかった一方、インターから先の一般道は市街地を抜けてしまえば信号一つない直線道路が延々と続く区間が多く、最高速度が60km/hに制限されるとはいえ、平均速度も60km/hに達するであろうくらいスムーズな通行ができ、北海道の道路事情の良さにはちょっとした感動を覚えました。
まあ、その分鉄道が苦境に立たされていることを思えば手放しに喜べない部分もありますが・・・
西鉄8000系さんが助手席に乗っていれば近況報告やら趣味の話やらに花を咲かせていたであろう車内は、代わりに今まで聞いたこともない北海道のラジオをBGMに、私はひとり静かに今後の活動内容を検討していました。
冒頭の予告では結果的に実行した内容を前提にレポートを構成しましたが、実際にはキャンセルの連絡が出発直前の晩だったこともあり、手元にあるのは西鉄8000系さんが作ってくれた訪問予定駅リストだけで、当日の流れも西鉄8000系さんに仕切ってもらう気満々だったこともあり、車での移動時間に考えをまとめて、西鉄8000系さんのリストでは行くことになっていた駅でも、私単独の活動で行ったことのある駅は省略し、逆にそれだと時間が余るので行く予定じゃなかった駅も追加して・・・という感じで考えをまとめるとカーナビはあと数kmで最初の訪問駅となる布部駅であることを示していました。
飛行機が新千歳空港に降り立ったのが10時半頃、レンタカーを受け取って走り始めたのが11時頃で、ここまで2時間半程度は走りっぱなしで来たので今は13時半頃ですが、こんな時間にしてようやく旅のメインが始まります。
布部駅
既に3000字以上を使ってようやくメインに入っていきますw
最初の訪問駅となる布部駅ですが、根室本線の閑散区間の中に位置する駅の1つで、富良野駅の隣であり、富良野市内の駅ではありますが、利用の少ないローカル駅となっており、所属する根室本線自体が存廃問題に揺れていることもあり、興味があるならば早めに訪れた方がいい駅でしょう。
まあ、今回の遠征で訪れる駅はほとんどがそういう駅なんですけどねw
まずは駅舎です。
普段ならばまずは駅名標になるんですが、列車で訪れていないのでいつもと順番が変わっています。
なんだかんだで富良野市内ということか、付近には民家が点在していますが、布部駅の利用者数は1日あたり10名以下というデータもあるなど、この立ち並ぶ家々のうちの1軒か2軒にお住まいの方が時々富良野へ出るのに列車に乗っているという感じなんでしょうかね。
当駅を発着する列車は1日に5往復しかなく、生活の足として使うには不便と言わざるを得ず、車を運転できる人はいくら駅前に住んでいてもわざわざ列車を使わないよなぁなんて思ってしまいました。
駅の入口ですが、北海道という土地柄、冬場の防寒や吹雪への対策として二重扉になっています。
北海道に限らず雪国の駅は、どんなマイナーなローカル駅でも最低限風雨をしのげる待合室程度の設備は用意されているものですが、冬場を思えば当然と言えますね。
駅舎内です。
無人駅であり窓口もないので待合室としての機能しかないですが、普通に居心地が良さそうな空間です。
気になるものを見つけたのでご紹介します。
かの有名なドラマ「北の国から」のパスポートと書いてありますが、このドラマって実は舞台が富良野であり、しかもここ布部駅が第1話に登場していたんだそうで、今でも僅かながらドラマのファンが当駅を訪れることがあるんだそうです。
駅舎に縦型の駅名標を取り付けているのはJR北海道あるあるですよね。
島式1面2線のホームとなっており、かつてこの区間にも長距離優等列車や貨物列車がひしめいて走っていた時代を感じさせる広々としたホームが残っています。
駅名標です。
ついでに駅名ネタで少し書きますが、一見どこにでもありそうな普通の名前なものの北海道らしくアイヌ語由来の地名であり「ヌム・オッ・ペツ」が由来で意味は「クルミの多い川」だそうです。
ホームからの見晴らしはよく、北海道の広大な大地を体感できます。
「北の国から」に関連がある駅という知識を得たせいもあるでしょうが、いかにも「北の国から」の世界観を体験できる駅と言えそうです。
今も使われているのかは分かりませんが、古い倉庫のようなものが残っていました。
ここがホームだということを忘れそうになるくらい立派に枝を伸ばした木が鎮座しています。
反対側にも若干小ぶりながら木が植えてあります。
駅舎と絡めるとそれなりに絵になりそうですね。
流れでつい撮ってしまいましたが、こちらは木は木でも木製の柱で、照明器具を設置するためのもののようです。
内部は案外すんなり見終えてしまったので外へ出ました。
駅から少し出たところに広い道路があり、道路沿いに建物が並ぶ集落の光景でした。
ただ、駅前だと言うのにコンビニの1つ見当たらなかったんですけどw
ちょっとお昼ご飯に弁当でも買おうと思っても、車を持っていないと1日5本しかない列車に乗って富良野駅まで行かないといけないと思うと、地方の現実を思い知った気がしました。
最後にもう1度駅舎を貼ります。
実は最初の写真ではあえて木を写さないアングルを選んで撮ったのですが、今度は木も一緒に撮りました。
この方が北海道の駅らしい(?)ですかね。
それでは次の駅へ行きましょう。
山部駅
1駅お隣の山部駅にやってきました。
布部駅からは約6km離れていますが、道路の流れが早いこともあって10分かかるかどうかでたどり着けました。
まずは駅舎です。
山部という駅名だけにどことなく山小屋っぽい雰囲気ですね。
最初の写真では見事に死角に入っていて見えませんが、実は煙突みたいなものが付いていました。
装飾目的だけなのか、実用的なものなのかは分かりませんが、余計に牧歌的な印象を受けます。
駅前通りですが、この長さと道幅で中央分離帯があるのが逆に違和感がw
駅前通りの名前は「道道544号麓郷山部停車場線」というようです。
登山道の案内もありました。
しかし、列車に乗って登山に訪れる人ってどれくらいいるんでしょうね。
それでは駅舎の中に入ります。
オシャレな雰囲気で、駅というよりカフェにでも入るみたいです。
当駅も現在は無人駅ですが、かつて窓口があった痕跡が残っていました。
ところで、この物体は何なんでしょうか?
駅舎に煙突がついているのを見ているので、暖炉かなとも思いましたが、それにしては小さすぎる気もしますし・・・
ホームは相対式2面2線ですが、かつての幹線の痕跡でやっぱりホームが立派ですね。
レンガ造りのランプ小屋も残っています。
あ、ランプ小屋とは何かという話もしていきますと、昔は客車の照明に灯油ランプを使用しており、ランプ本体や燃料を格納するための小屋をランプ小屋と呼んでいました。
後に客車の照明も電灯に切り替わっていくとランプ小屋の必要性はなくなり、かつてはほとんどの主要駅にあったのが今では絶滅危惧種レベルで珍しくなった設備です。
現存するものは、単なる倉庫として使われている場合が多いようですが、山部駅の場合も倉庫としての用途で残されているんでしょう。
ホームはまだ続きます。本当に有効長が長いです。
昔の交換駅はタブレット交換の都合で上下ホームを互い違いに設置するため余計にそう感じるんでしょうね。
階段の部分だけ鉄製に作り変えられたっぽい痕跡があったのが気になりましたが、昔からの階段が崩れて危険になったので急遽鉄製のものを設置したとかでしょうか。
構内踏切は渡らずこのホームの端っこまで行ってみましょう。
端の方は後に延長されたようで木製のホームになっていました。
所々腐食している板がありますが、閉鎖はされていません。
基本的に1両編成の列車ばかりでホーム端っこに用のある人はいないからあえて閉鎖しなくてもいいやってことなんでしょうかw
ここが端っこです。
ホームそのものに比べて柵が真新しいですが、柵は流石に老朽化したものを放置したら危ないからって取り替えたんですかね。
構内踏切のところへ戻ってきました。
今や通過列車もない閑散線区ですが、それでもちゃんとした警報器が取り付けられていました。
駅の脇は貯木場になっていました。かつては木材を鉄道輸送していた名残ということですかね。
関係あるかは分かりませんが、現在でも当駅近辺にはあの国内最高学府の東大が演習林を持っていたりするようです。
元いたホームの端っこですが、階段がついていたんですね。しかも、柵は半分だけしかなくいかにもお通り下さいって感じでスペースが空いています。
これって、つまりここからの出入りはJRも公認ってこと?
階段の先には建物がありますから、これらへアクセスする場合はこの階段を使うと便利そうなのは確かです。
遠くにそびえる山には残雪がありました。
流石の北海道も平地は防寒着が必要ないくらいの気温でしたが、山の上は極寒の世界なんでしょうね。
登山には興味もないのでおそらく訪れることはないでしょうがw
今や希少とも言える駅前旅館がありました。
見た目も綺麗ですし、現役で営業しているっぽいですね。
ただ、公式サイトは見当たず、楽天トラベルに掲載されているのを見つけるも、予約を受け付けていないと表示されるなど、泊まるとしたら直接電話で申し込むしかなさそうな雰囲気です。
引きで駅舎を撮ったらこの駅はこれくらいにして次の駅へ行きましょう。
下金山駅
3駅目の訪問となる下金山駅です。
ついに富良野市内ではなくなり南富良野町に入りました。
まずは駅舎です。
左側の通路はそのままホームへ通じていますが、横に逸れる形で待合室が完備されています。
それでは待合室へ入ってみます。
扉は普通のアルミサッシですね。
ここも窓口の跡が残っていました。
無人化は国鉄時代のことのようですが、それにしては現代風の窓口ですね。
待合室はこれくらいでホームへ向かいます。
こちらが出入口ですが、こういう駅はホームと外部との行き来は待合室を通らないといけない構造が多い中、こうして直接出入りできるのは珍しい気がします。
この位置に縦型の駅名標があるのもJR北海道のセオリーに従っていますね。
窓越しに事務所の内部が見えました。
当然誰もいませんが、意外と整然と保たれており、反射材がぶら下がっていることなどから保線作業などをするときに作業員の詰め所みたいな使い方で今でも活用されているのかもしれません。
昭和を代表するレトロアイテムと言えそうな黒電話もありました。
かつては交換駅だったそうですからタブレット閉塞での閉塞扱いのための鉄道電話だったのかもしれません。
そして、ホームです。
かつては島式1面2線の交換駅だった上、貨物用の側線も存在したためご覧のように広々した構内になっていますが、今は貨物輸送の廃止により側線は撤去され、交換設備も廃止されて1面1線となっているため、構内には遊休地と化したスペースが広がります。
ちなみに、当駅周辺にもかつて東大の演習林があって、そこへ連絡する森林鉄道が当駅に乗り入れていたそうです。
この構内の広さから言っても木材の積み出し拠点としての役割が大きかったのでしょうね。
ホーム側からの駅舎ですが、広い空きスペースのせいで駅舎が孤立して見えますねw
分かりやすいように別アングルで撮りましたが、駅舎とホームはこんなに離れています。
しかも、明確な通路が示されておらず、構内を勝手に横切ってホームへ向かう感じなので、悪いことをしている気分になってしまいますが、他に通路らしい通路も見当たらないのでこれが正式なホームへの出入り方法で間違いなさそうです。
これだけ広い構内でも、今でも現役で使われているのはこの1本だけというのは、何だか寂しくなります。
その分ホームの立派さが際立ちますが、土を盛っただけの構造がまた古い時代の鉄道風景を残しているように思えます。
↑ここで列車がやってきました。
↑発車シーンも撮りました。
ところで・・・窓から見える範囲には乗客がいなかったんですが・・・
構内はこれくらいで駅周辺をもう少し見ていきたいと思います。
駅周辺はロータリーみたいになっていましたが、片側だけ舗装されて、片側は未舗装という中途半端なw
所在地は南富良野町ですが、占冠村営バスも乗り入れています。
地図で見ると分かりますが、占冠村も南富良野町と隣接しており、鉄道で行くとすると(現在は一部区間がバス代行ですが・・・)新得まで出て石勝線に乗り換えることになり、バスで行ったほうが利便性が高いのでしょうね。
もちろん、南富良野町の町営バスもあるのですが、バス停は別々みたいです。
と、これくらいで次に行きましょう。
金山駅
愛知県にあるターミナル駅と同名ながら、規模には圧倒的な差がある北海道の方の金山駅です。
バス停もあります。
ラインナップは先程の下金山駅と同じで占冠村営バス、南富良野町営バスの2つが乗り入れています。
どうも窓口の跡っぽいですが、今は掲示板として使われているようですね。
社名入りの鏡というのも昭和チックなアイテムですが、右から左へ読むように書かれているのが余計に時代を感じさせます。
ホーム側の扉にはやっぱりひらがなで駅名が書かれていました。
このあたりを管轄していた鉄道管理局の慣習とかなんですかね。
やっぱりこの位置に縦型の駅名標がありました。
同じ地区で連続して駅取材をやると共通点とか見えてきて、それもまた面白いです。
ここにもランプ小屋が!
全国的にはレアな存在なはずですが、こうして連続して見られるとそんなにレアなものだと思えなくなってきますね。
ここで駅名標です。
ところで、冒頭部分に上げた愛知県の方の金山駅との関連ですが、こちらの金山駅が1900年に開業しているのに対し、愛知県の方は国鉄の駅として開業したのは1962年の開業(ただし、当時は中央本線のみの駅であり、東海道本線は停車していませんでした)であり、東海道本線が停まるようになったのはJR転換後の1989年のことです。
なので、本来ならば愛知県のほうが「尾張金山」とでも名乗るべきだと思うんですが、あちらは名鉄・地下鉄・JRの総合ターミナル駅としての役割を期待して整備されており、名鉄や地下鉄の駅まで「尾張金山」だと逆に違和感ありますし、JRだけが「尾張金山」で、名鉄・地下鉄は「金山」とするのは総合ターミナル駅としての役割を考えると相応しくなく、愛知と北海道という遠隔地同士であり混同による不都合も少ないであろうということで、表記も読みも重複するのを承知で「金山」としたんでしょうかね(全部私の想像ですw)
なお、JRの乗車券で愛知・北海道いずれかの金山駅を発着するものを発券する場合は区別のため、愛知の方は「(中)金山」と、北海道の方は「(根)金山」と所属する路線名を冠することで区別をつけています。
あと、小学校の校庭でお馴染みの百葉箱もありました。
駅のホームにあるのってかなり珍しいと思いますが、今は気象庁の観測では使わなくなっているようですし、今は使われていないか気象庁以外の団体などが設置しているとかでしょうか。
小屋と呼ぶには大きすぎる規模の建物がありました。
どうやら保線区の建物らしいです。
謎の丸い石がありましたが、「安全第一」と読める文字があるので、安全祈願の石とかですかね。
これは木でも植えてあったんでしょうか?(道路で言う「植えます」?)
ホーム端まで来ました。
ホームの先までも複線部分が続いていて、有効長はかなり長そうです。
反対側です。側線のようなものがありますが、保線区があるくらいだから作業車を留置するためのものでしょうか。
↑ここで列車がやってきました。
さっき下金山駅で見たやつが東鹿越駅で折り返してきたようですね。
やっぱりキハ40系はいいですね。
今回は乗車しませんが、また乗りたいなぁ
最後に1枚
駅舎の脇にあったゲートですが、車もそのまま通れそうな幅ですよね。
これも保線関係で使うのかな?
それでは次の駅ですが、お隣の東鹿越駅は以前訪れているので省略して幾寅駅へ行きます。
ところで、隣が東鹿越駅なので、鹿越駅もあると思って検索しちゃいましたが、かつて存在したものの廃止されており、今はないみたいですw
幾寅駅
東鹿越駅を飛ばしたとはいえ、金山駅からだと20kmほど離れており、車での移動でもちょっと距離を感じる移動でしたが、ついに根室本線の長期不通区間に入りまして幾寅駅です。
幾寅駅は、駅の規模などは今までご紹介してきた駅と大差はないと思いますが、今回訪問する駅の中では最も知名度のある駅ではないかと思います。
また、私自身、今回の活動では最も訪問を楽しみにしていた駅でもありました。理由は後述するとして本題に入っていきましょう。
こちらが駅舎です。古そうな見た目ですが、どことなく「作られた」感じのする古さだとは思いませんか?
と、白々しいツッコミはこれくらいにして種明かしをすると、当駅は小説を原作として映画化もされた「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影で使われた、いわゆるロケ地となっており、駅舎は映画の撮影の時に改装されており、作られた感じのする古さは映画のセットにされたからということですね。
そして、「幌舞駅」という名前は作中に登場した駅名で、当然架空の駅名ですが、あえてそのままにされているようです。
私はこの作品をかなり前に見たことがあるはずですが、内容をよく覚えていない程度なので、とても作品のファンを名乗れるほどの思い入れはないわけですが、それでも鉄道を題材にした映画のロケ地と聞けば興味を持たざるを得なかったわけですw
これはセットなのか、普通に古いポストが残っているだけなのか分かりませんが、丸ポストもありました。
ちなみに、本当の駅名である「幾寅」はこんな小さなステッカーでかなり控えめに表示されていました。
映画ファンに配慮してできるだけ映画の世界観を壊したくないけれど、現役の駅である以上本当の駅名を表示しないわけにも行かない・・・という葛藤の結果なんですかねw
車両も保存されていました。
この車両はキハ40系ですが、作中で「キハ12」として登場し、外見もそれに似せて改造されています。
2005年までは「ぽっぽや号」として普通に営業運転に使用されていたようですが、廃車後はここで保存されているみたいです。
そして、この「ぽっぽや号」には階段がついています。
ということは・・・
中に入れちゃいます!
しかし、内部は普通にキハ40系ですねw
扇風機もありましたが「JNR」の文字が残っているのはいいですね。
このボックスシートを見てしまうと、無性にローカル線の旅がしたくなります。
今回は車移動ですが、やっぱり列車の旅のほうが性に合うな・・・
車番は本来のキハ40-764ではなく、作中でのキハ12-23となっていました。
解説までありました。普通にこっちの方が分かりやすいので、記事中では説明しませんw
ここはスタッフの常駐もなく誰でも自由に立ち入れるため余計でしょうが、やっぱり盗難被害があるようですね。
そういうことがあると、せっかくこうして自由に開放してくれている施設も立入禁止になってしまいかねませんし、絶対にやめてもらいたいものです。
「便所」という昭和チックな看板も撮影用にこしらえられたものなんですかね。
ところで、気になったのがその下の張り紙で、駅のトイレとして普通に使えるようですが、掃除はしているものの少々の臭いがある上、トイレットペーパーも設置していないとのことで、そういうトイレが無理な人は近隣の別のトイレを使ってねということらしいです。
「鉄道員」の時代を感じる・・・という一文が物は言いようだなと思いましたが、こういうローカル駅を利用した経験の少ない人からしたら、駅のトイレが水洗化すらされておらずトイレットペーパーもないなんてちょっとしたカルチャーショックかもしれませんよね。
その近くには小屋がありました。
解説パネルが付いていることからこれもロケで使われたようですが・・・
覗いてみると何もありませんでしたw
まさか撮影のためだけにわざわざ建てたとか?
照明器具でしょうか?
電球は取り付けられていないですが、これも古さの演出かな?
「ひろた理容店」とありますが、これももちろんセットです。
これだけセットが揃っていると、普通に映画の中に入った気分になりそうですが、入場料などを徴収していないのだからすごいですよね。
屋外展示となると維持管理も大変だと思いますしね。
映画の世界からは一旦戻ってきて、映画以外の部分を見ていきましょう。
「駅前線」という分かりやすすぎるネーミングですが、そのローマ字表記が”ekimaesen”というそのままなのがなんかツボりましたw
外国人のことを考えたらせめて”ekimae street”とでも訳したほうがいいんじゃないかとは思いますが・・・
周辺マップがありました。
意外とびっしり書かれていて驚きましたが、「鉄道員」目当てでやってきた人についでに他のスポットも観光してもらいたいという意図ですかね。
バスが止まっていました。占冠村営バスのようですが、白ナンバーなんですね。
行先表示は札をぶら下げるだけという簡素なもの。
こういうバスも乗ってみたいと思うこともありますが、そもそも運行されている地域に行くだけでも一苦労ですし、本数が極端に少ないのが常なので鉄道のローカル線以上にハードルが高いです。
なお、本数は上下3往復のみで、しかも日曜運休です。
幾寅周辺の住民が例えば札幌へ出たいと思ったら、石勝線のトマム駅に出られるこの路線は有用なルートに思えますが、この本数だと相当に行動パターンが限られちゃいますね。
さて、それじゃあ駅に入ろうと思ったら「祝 令和」と大きく張り出されていました。
「令和」の日付が入った記念入場券を買いませんか?ってことですかねw
内部です。駅舎自体も映画のセットみたいな感じですが、長期運休中とはいえ現役の駅でもあるわけで、ベンチは現代風のものです。
でも、側面に目を向ければまた映画の世界でした。
しかも、事務室側へ入れるっぽい?
ここも映画の撮影で使われたであろう、事務室内部です。
流石にセットが置かれている場所へは入れないようですが、このようにかなり近づいて見ることが出来ます。
高倉健さんもここに座ったんですかね。
あと、テレビがかなり古そうな見た目ですね。
流石に本来の改札の位置には設置できなかったようですが、改札が再現されていました。
「御食事処」という暖簾がかかっていましたが、構内に食堂があるわけでもなく、これもセットなんでしょうね。
作中での当駅周辺を再現した模型だそうですが、撮影するアングルなどを決めるためのシミュレーションに使ったようです。
「鉄道員」って舞台設定からして古い映画のイメージがありましたが、調べると製作されたのはなんと平成に入ってからだったようで、当時ならもうコンピューターも発展していたでしょうし、3DCGとかでも出来そうだと思いましたけど、平成初期のコンピューターではまだ不足な部分もあったんでしょうね。
写真やサインなど
・・・なんか、本当にただで見せてもらっていいの?ってくらい充実した展示ですね。
普通にお金を取れる展示内容だと思います。
運賃表です。
もちろん作中での運賃表であり、幌舞駅が所属するとされる幌舞線やそこにあるとされる駅は全て架空ですが、逆にそれ以外は実在する駅名なんですよね。
なお、書かれている運賃は幾寅駅からのものだと仮定すると実際の運賃よりも若干安い金額が書かれており、そもそも実際の幾寅駅と、作中の幌舞駅が同じ場所ではないという可能性もありますが、時代設定からして今よりも運賃が安い時代なのかもしれませんね。
時刻表もありました。
美寄というのは架空の地名ですが、旭川は実在ですね。ほとんどが美寄までの運行で、一部が旭川へ直通するという点から考えると、実際の幾寅駅に当て嵌めると富良野あたりのイメージでしょうか。
あと、作中では利用者の減少で廃止される設定の幌舞駅、および幌舞線ですが、1日7本も走っていればローカル線としては恵まれている方だななんて思ってしまいます。
JR北海道管内に限っても、これより本数が少ない路線や区間をいくつも思い付きますしね・・・
これまた古そうに作られた扉
と、これくらいでそろそろホームへ向かいましょう。
ホームは駅舎より一段高い位置に存在しており、階段を登る必要があります。
(今は動いていませんが・・・)列車の車窓から見える位置にも歓迎の横断幕がありました。
しかし、流石に幌舞駅だけではまずいと思ったのか、一応幾寅駅とも併記されていますが字が小さすぎて本来の駅名が分からなくなりそうw
ホームへ入りました。
交換設備もない1面1線の棒線駅ですが、かつては貨物扱いもあり、急行の停車駅だった時代もありました。
遠くに腕木式信号機が見えました。普通の信号機もあるので、あれも映画の撮影用に設置されたんですかね。
ここに来てようやく駅名標と名所案内です。
これで駅名標まで「幌舞(幾寅)」みたいな表記だったらどうしようかと思いましたが、流石にここは本当の駅名である「幾寅」だけでした。
ここで駅名ネタですが、「幾寅」という名前もやっぱりアイヌ語由来であり、「ユクトゥラシペッ」というアイヌ語の一部を切り取って漢字を当てたものだとか。
ちなみに、「ユクトゥラシペッ」は「鹿が登る川」という意味になるんだそうで、これを意訳したのが隣にある東鹿越駅の「鹿越」の部分だそうで、同じアイヌ語を由来としていながら、そのまま漢字を当てるか意訳するかで全く違う地名が生まれるのは面白いですよね。
類似の例として「オタ・ウシ・ナイ」に漢字を当てた「歌志内市」と、意訳した「砂川市」がありますね。
一方、名所案内の方は「鉄道員」に関連するものの記述はないのが意外でした。
駅名標は流石にいじれなくても、名所案内でアピールすればいいのにって思いました。
尤も・・・再びこの駅に列車が停まる時がくれば・・・ですが。
富良野・滝川・札幌と案内が出ていましたが、列車でこれらの駅へ行ける日が来ることを祈っています。
個人的な話になりますが、実は現在根室本線で不通となっている東鹿越~新得間は、一度乗りつぶしの旅を計画していましたが、諸事情から延期せざるを得なくなり、その間に例の台風が北海道を襲い根室本線が不通になってしまったため、その延期がなければ不通になる前に乗れていたということであり、同様に乗る前に不通となってしまった日高本線と並んで、北海道での心残りの路線の1つだったりします。
記事執筆時点では、沿線自治体が根室本線の維持費の負担に合意したというニュースもあり、若干復活の可能性が出てきたかなという雰囲気ですが、どうか復活してこの区間も乗りつぶせるようになってほしいです。
ここにも国鉄コンテナを発見したところで、幾寅駅はこれくらいにしましょう。
冒頭にも書いたとおり、私自身が今回の活動で一番行きたかった駅だった上、見どころも多く、ボリュームもかなりあったと思いますが、これにて本日の行程で訪問予定の駅は終了です。隣の落合駅は以前の活動で訪れていますしね。
↑幾寅駅のレポートで「鉄道員」を見てみたくなった方はDVDの通販なんていかがでしょう?w
帯広を目指して狩勝峠越え
さて、これにて本日の活動は終了ですが、宿があるのは帯広ですから、ここからはひたすら移動です。
列車旅ならばあとはのんびり乗っているだけでいいですが、車だと運転しないといけないですからね・・・w
ちょうどこの区間にはかつて鉄道の日本三大車窓の一つだった狩勝峠を控えており、それだけご紹介してシメにしたいと思います。
狩勝峠の頂上付近にはパーキングエリアのような施設がありましたので、そこに駐車してちょっとだけぶらつくことにしました。
こんな看板がついています。
実は1合目~9合目も看板があるのですが、走行しながらの撮影はできないためご紹介できませんw
以前の旅では代行バスに乗ってここを通ったわけで、その時には他の看板もご紹介していたかと思いますので、そちらも併せて御覧下さい。
ドライブインのような施設がありましたが、これ・・・今でも営業しているんでしょうか?
道路ネタで引っ張ってきましたが、やっぱりお目当ては景色です。
以前代行バスに乗ってここを通ったときも景色の素晴らしさに感動した覚えがありますし、今回行動の自由が効く車での移動ということでこれは立ち寄ってでも見てみたかったわけです。
もったいぶらずにご紹介するとこんな感じ
天気のせいでぱっとしない印象もありますが、素晴らしい見晴らしですね。
私が車を駐めた駐車場の方を見下ろします。
かなり広いのがお分かり頂けると思いますが、その割に停まっている台数はかなり少ないですね。
交通量自体はそこそこあるのですが、観光客が少ない平日でしたし、何より時間が遅かったので、こんなところで止まるより目的地へ急ぐドライバーが多かったのでしょうね。
と、そこへ「ふらのバス」が通り掛かりました。
ここを通る路線バスとして「ノースライナー」がありますが、こちらには「ふらのバス」は参入していないのでこれは根室本線の代替バスである可能性が高そうです。
以前に乗っているわけですが、こうして走っている姿を見られたのは何だかラッキーな気分です。
これくらいであとはひたすら帯広まで走っていきます。
峠道ながらも線形はそこまで悪くなく、ものすご勢いで迫ってきて、躊躇なくぶち抜いていく後続車を何台か見ましたが、北海道だけ適用される交通ルールが違うんじゃないかと思うくらいカルチャーショックでした。
中にはここが高速道路だと錯覚するくらいスピードを出している人もいましたね。
私はもちろんスピードは控えて安全運転で帯広を目指します。せっかくの旅で警察のお世話になったり、事故に遭うのは勘弁願いたいですからね。
流石に帯広市内に入ると信号がちょくちょく出てきて交通量も増えてくるので流れが悪くなりますが、そのことが逆に刺激になって若干眠気を覚えていたのが目が覚めてきました。
ホテルへ向かう前には十勝名物「豚丼」を頂きます。
帯広へ来たら絶対に食べるというくらい、よく食べていますが、今回は車ということで駅から離れたお店に入りました。
既に帯広では3軒目の豚丼のお店ですが、やっぱり美味しいです。
あとはホテルへ向かいゆっくり休みました。何しろ昨晩は深夜帯に移動した上、空港ターミナルで夜を明かしましたから十分な睡眠が取れているとは言い難い状況でしたからね。
翌日以降はまた追ってレポートしますのでしばらくお待ち下さい。
それでは!
~追記~
2日目(前編)も公開しました。