北陸・関西遠征2023(4・5日目)

4泊5日で実施した北陸・関西遠征の4・5日目です。
なお、1日目2日目3日目をご覧になっていない方はそちらから先にご覧になることをおすすめします。

本日の行程

4日目となる今日は、昨晩宿泊した三田からスタートして、まずは神戸電鉄三田線・有馬線の特快速に乗って新開地へ、そこから山陽電鉄本線の普通列車で飾磨へ行ったら、網干線を山陽網干まで1往復した後、山陽姫路まで行ったら直通特急で一気に大阪梅田まで行きます。
そこからは地下鉄で天王寺へ出てから隣接する大阪阿部野橋から近鉄南大阪線・長野線を河内長野まで行ったら、富田林まで折返して、そこから金剛バスに乗車後、道明寺線にも立ち寄りつつ大阪阿部野橋に戻って活動終了ですが、翌朝の行程の都合上、再び三田まで移動してゴールとなります。
ただし、タイトルをご覧頂ければ分かるように、今回は変則的ながら4日目から引き続いてそのまま5日目をレポートしようと思います。
理由としては5日目は朝にちょっとした活動をしたら新大阪で知人と合流してその後は通常の観光旅行をすることになっているからであり、単独記事にするとあまりにも内容がなさすぎるという理由からです。
大まかには「神戸電鉄の特快速に乗る」「山陽電鉄網干線乗りつぶし」「近鉄南大阪線の一部と長野線・道明寺線の乗りつぶし」「金剛バスに乗る」という4つの目的がありました。

まずは「特快速」に乗る!

というわけで、早速本編のレポートに入っていくとしましょう。


前日の記事でもネタにした「ホテル三田」を後にして4日目の朝が始まっていきます。


昼間でも看板がよく目立ちますねw


住宅地を抜けて駅を目指します。
このあたりは地元住民以外が立ち入ることも稀という雰囲気の場所で、駅への案内すらまともになかったので部外者はスマホナビに頼らないと駅にたどり着ける気がしませんw
この風景を見ても、本当にこんなところに駅があるのかと不安になりますよねw


でも、ちゃんとありました!


横山駅は三田線と公園都市線の分岐点なんですが、その事がよく分かる光景でした。

横山駅からは三田線を2駅だけ乗って三田駅に向かいました。


折り返し乗車となるので一瞬だけ駅前に出ました。


まずは発車標ですね。
「特快速」という唯一無二の種別名も、地元の人には珍しくもなんともないのか、カメラを向けているのは私だけでしたw


↑ちょうど幕回しが始まりました!


↑側面の幕も


幕が止まったところで写真も撮ります。
前面にも幕があるのがいいですね。


幕をアップで


側面の幕
ところで、発車標でも思いましたが、「特快速」の英語表記は”SPECIAL RAPID EXP”なんですね。
直訳すると「特別快速特急」みたいになりそうですがw


反対側からも撮ったら乗り込みます。


せっかく全区間乗るので前面展望を狙ってかぶりつきポジションを確保しました。
この位置に座席はないのでかぶりつくならば立ちを強いられますが、1時間程度の乗車なので頑張っていきましょう!w


方向幕の操作盤ですね。

ここで「特快速」について解説を入れておきましょう。
「特快速」は神戸電鉄が三田線・有馬線で運行している種別の1つで、三田線・有馬線における最上位種別となっています。
運行は平日の朝ラッシュ時間帯に三田発新開地行きの2本のみとなっていて、沿線以外から乗りに行くのは難しい設定であり、私もこの特快速に乗るためにわざわざ三田に宿泊したというのがあります。
停車駅は三田から岡場までは各駅に停車しますが、岡場を出ると谷上・山の街・北鈴蘭台・鈴蘭台・港川・新開地と停車していきます。
岡場~谷上間では6駅連続通過するなど、最上位種別らしい思い切った設定で三田市や神戸市北区から神戸市中心部への通勤輸送に特化しています。
また、三田~有馬口間の三田線内では唯一通過駅を持つ種別でもあり、「特快速」という種別名も他に例のない唯一のものとなっています。
この由来ですが、かつて存在した快速よりも停車駅が少なく、かつ特急よりは停車駅が多いということで、快速と特急の間で特快速となったようです。
現在は快速も特急も神戸電鉄からは消滅してしまったために特快速という変わった種別名だけが残る形になりました。
と言ったところで、そろそろ乗車レポートに戻るとしましょう。


↑それでは前面展望をどうぞ!


まずは三田市内を進みます。
横山までは公園都市線の列車も混じって本数が多いため複線化されています。
通勤ラッシュの時間帯ですが、この時点ではそれほど混んではいませんでした。


横山駅で公園都市線と分岐しますが特快速は左手の三田線を引き続き走行します。
横山駅では公園都市線からの乗り継ぎ客が大勢乗ってきて車内は混み合ってきました。
既に立ち客も出始めていますね。

調べてみると、三田駅周辺から神戸市中心部だと高速バスやJRに利用が流れる傾向があるものの、公園都市線沿線から神戸市中心部だと運賃を通算できる点で神戸電鉄ルートが優位なため、横山駅乗り換えを利用する利用者が多いとのことです。


ここから先は単線区間ということで、駅ではポイントで分岐して行き違いをしますが、こんなローカル線みたいな風景なのに車内の雰囲気は完全に通勤電車ですからギャップが面白いです。


ホームもすごい人です。
既に神戸市内ではあるんですが、特快速が通勤輸送のための種別であることを実感しました。


この2面4線の都会的な駅は岡場駅です。
特快速はここまで各駅停車でしたが、いよいよ本領発揮です。
そのため、岡場では急行ないし準急と接続を取るダイヤになっていて、通過駅への利用者にも配慮されています。


そんな岡場駅ですが、新開地方面は単線なんですよねw
2面4線の高架駅から単線になるなんて風景もなかなかないと思いますw


一気に長閑な景色に変貌していて、車内の雰囲気とのギャップは広がるばかりです。


最初の通過駅の五社駅では阪神高速と交差です。
このあたりは山がちな地形ですが、ニュータウンが多く開発されていて、そのために交通路もよく整備されているみたいですね。


まあ、ニュータウンとニュータウンの間はやっぱり長閑な景色なんですけどねw


三田線としては終点となる有馬口駅ですが、容赦なく通過です。
ここからは有馬線となります。
ちなみに、急行の場合は当駅で有馬温泉発新開地行きの各駅停車と接続するようです。


ここまでくれば複線区間となり、対向列車との行き違いも体験できます。


ここからはどんどん坂を下っていきます。
神戸電鉄は山がちな路線が多いですが、この区間は特にそれを体感できます。


ニュータウンらしい景色を見つつ進みまして・・・


谷上駅に到着です。
ここは神戸市営地下鉄北神線との接続点であり、神戸市中心部の三ノ宮へはここで乗り換えると早く行けるため大勢が降りていき、混雑は一気に解消されましたw
神戸電鉄としては新開地まで神戸電鉄を使ってほしいのが本音でしょうが、利用者的には早く行けるに越したことはないですからね。


ニュータウンの中を更に下りながら進みます。


鈴蘭台駅に到着です。
ここで粟生線と合流して、神戸電鉄で最も賑やかな区間となります。


もう終点も近いというのに車窓はまだこんな山岳路線です。


ジェットコースターのようにまだまだ下ります。
もう新開地まで数駅しか無いのにこれだからすごいですよね。


だいぶ麓に降りてきました。


地下に潜って湊川駅です。
ここは元々の終点だった駅ですが、現在は神戸高速鉄道に乗り入れる形で新開地まで繋がるようになっています。
湊川駅では地下鉄と乗り換えが可能ということもあって、ここで降りる人も結構いました。


終点の新開地に到着です。
阪神・阪急・山陽といった私鉄に乗り継ぐならこっちの方が便利です。


新開地に到着です。
1時間ほどの楽しい時間でしたが、すぐに乗り換えなので余韻に浸る間もなくすぐに撤収です。


なんと神戸養蜂場の自動販売機を発見!
今は本当にいろんな自販機がありますね。

あとは乗り換えて今度は山陽電鉄です。

山陽電鉄で西へ

ここからは山陽電鉄に乗ります。
山陽電鉄は記事にはしていないものの本線には乗ったことがありまして、では今回の目的は何かというと、唯一の支線である網干線の乗りつぶしです。
なので、網干線が出る飾磨まで移動する必要があるのですが、それもあえて直通特急ではなくて普通列車で行きます。
私の中の乗りつぶしのルールとして、1度は普通列車で乗るというのがありまして、そのためにあえて普通列車というわけですね。


というわけで乗り場にやってきました。
ここは阪神・阪急・山陽の3社が一同に介するホームであり、大阪方面のホームは多くの通勤客でごった返してますね。


この7時49分発の普通列車に乗ります。
3つもの鉄道会社が乗り入れていることもあって、「山陽普通」と会社名付きで案内されていました。


それではこの電車で飾磨へ移動です。
ラッシュ時間帯ですが、通勤の移動とは逆方向ということで車内は空いてました。


山陽須磨駅では早速直通特急の待避がありました。


島式2面4線という典型的な緩急接続駅ですね。


↑そして、対向列車が入ってきました。


こちらは「S特急」といって、直通特急よりも停車駅の多い種別となっています。


よくある撮り鉄への注意喚起ですが、ホームの地べたに書いてあるのは初めて見ましたw


↑直通特急を先に通したらこちらも発車です。


山陽須磨を出ると海沿いに走るようになります。
JR山陽本線と国道2号とも並走し、主要な交通路が集中する場所だということが分かります。


JRの複々線も電車線と列車線が上下に分かれて走っていきます。


JRの電車と並走して


明石海峡大橋が見えました!


明石海峡大橋の真下を潜りました。


続いて山陽明石でも待避がありました。
ところで、駅名標の上に時計がありますが、これって明石市に日本の標準時子午線が通っている関係でしょうか?


ここでもホームに降りて撮影です。


駅名標と絡めて


対向の直通特急は阪神車でした。


そして、後続の直通特急が到着しました。
ヘッドマークが付いていますね。


↑発車を見送って車内に戻ります。


続いて東二見でも待避がありました。


乗ってきた電車


対向の直通特急


↑後続の直通特急がやってきました。


今度は阪神車ですね。


この頃はちょうど日本シリーズの頃でしたから、こんな札を掲げていました。


その次は大塩でも待避がありました。
本当に待避が多いですw


別バージョンの駅名標も発見!


対向の普通列車としてやってきたのは3000系でした。
山陽電気鉄道では古参であり、置き換えが進みつつある形式です。
今回の遠征では乗れるでしょうか?


対向の直通特急ですが、よく見るとこれにも阪神タイガースの札を掲げていますね。


↑後続の直通特急もやってきました。


特急と普通の並びを撮ったら車内に戻ります。
流石にこれが最後の待避ですが、既に4回も抜かれていますからねw


その途中にあったこの駅ですが・・・
「バルス」されたときにお使い下さいw


そして、ようやく目的地の飾磨です。
ところで、漢字では「飾磨」と書きますが、「しかま」と読むのは何気に難読地名ですかね。


縦型


ところで、ホームのすぐ脇に踏切があるんですが・・・


このあたりの構造を見るに昔はここから直接外へ出入りできたんですかね?

と言ったところで、後は網干線に乗り換えです。

山陽電鉄網干線

いよいよ2つ目の目的である山陽電鉄網干線に乗ります。
まずは網干線について解説を入れておきましょう。

網干線は飾磨駅と山陽網干駅の間の8.5kmを結ぶ路線で、運行形態としては全列車が飾磨~山陽網干間の線内完結運転で本線への直通はありません。
そんなローカル色の強い網干線ですが、開業は1940年のことで、翌1941年までに全線開業しました。

実はかつての壮大な計画の夢の跡とも言うべき路線ということができ、山陽電気鉄道の前身である宇治川電気が飾磨から岡山への路線の敷設免許を申請した時に、「山陽電気鉄道」という別名義を用いたことが現在の社名に繋がっており、「山陽電気鉄道」は兵庫県内しか走っていないのに、「山陽」という広範囲を表す言葉を社名に用いている由来だったりします。

結局、岡山への延伸計画は鉄道省の新線計画(現在の赤穂線)と競合することから却下され、工場立地が進んで需要が見込まれた網干までの建設となったものの、戦後になっても赤穂方面への延伸は検討が続いていました。
当時は既に国鉄の赤穂線が開業していたものの、終戦直後の混乱で燃料事情が悪くバスの運行が困難だったという背景から私鉄ルートによる赤穂延伸が計画されました。
実際には揖保川を渡る架橋の技術的困難や建設資金の問題、そして何より急速に燃料事情がよくなり赤穂への延伸の意義がなくなったことから計画は中断となり、網干までの短いローカル線という状態に落ち着きました。


こちらが網干線の電車です。
本線と同じく6000系が使われていました。


車内案内表示器ですが、これで全線が収まってしまうほど短い路線です。


10分程度で終点の山陽網干に到着です。
全線単線の割には直通特急に接続する15分サイクルのダイヤが組まれているため列車の行き違いの待ち時間がちょくちょくとありました。

乗りつぶしの実感もないほどにあっという間でしたが、これにて山陽電気鉄道完乗達成です!


駅名標です。
ところで、駅名は「山陽網干」ですが、JRの網干駅とは3kmほど離れていて、乗り継ぎはできません。
他の”山陽”と付く駅は、山陽姫路駅や山陽明石駅など、JRの駅と隣接しているものも多いのですが、山陽網干駅は例外の1つですね。

ちなみに、実は網干という街の中心に近いのはJR網干駅よりも山陽網干駅の方であり、ローカル需要については山陽電鉄網干線の方が優位と言えそうです。
しかし、JR網干駅の方は車庫がある関係で始発電車が多く設定されていて、神戸や大阪へも直通で行ける利便性の高さから住宅地としての人気があるようです。


縦型


ホームは頭端式1面2線となっていますが、ホームの幅も狭いですね。


ホームの端は手前の部分に柵があって入れなくなっていました。
使用しない部分を閉鎖するのはよくあることですが、柵の向こう側も普通に綺麗ですよね。


頭端式ということで、ホームがそのまま出口に直結しています。


改札口です。
台数は少ないですが自動改札機完備です。


きっぷ売り場


駅前はしっかりしたロータリーがありました。


このバス停に書いてある「エコパークあぼし」というのはゴミ処理場のことのようです。
その中に公園もあるみたいですね。

その他の一般路線バスも存在していて、JR網干駅や”たつの市”、宍粟市方面へ路線があるようです。


そして、駅舎です。
小さいですが駅ビルもありますね。


駅の入口です。
それでは構内に戻って網干線を引き返したら、飾磨で乗り継いで山陽姫路駅へ移動します。

一旦姫路へ向かう

これにて網干線乗りつぶしは終わりですが、一度山陽姫路駅に寄ってから直通特急で大阪へ戻ります。
乗りつぶしだけなら飾磨から直接直通特急に乗ってしまってもいいんですが、飾磨~山陽姫路間も普通列車で乗っておきたいのと、直通特急も全区間通しで乗りたいため、山陽姫路まで一度移動します。


飾磨に戻ってきました。


↑そこへ直通特急が入線してきました。


しかし、普通列車に乗りたいのでこれは見送りです。
網干線は基本的に直通特急に接続するダイヤになっているので、本線の普通列車との接続は基本的によくないです。


乗ってきた網干線もそろそろ折り返すようです。


↑網干線の発車シーンです。


↑そして、乗車する山陽姫路行きの普通がやってきました。


その途中の車窓から見えたこの橋脚のような遺構ですが、これは「姫路モノレール」の遺構です。

「姫路モノレール」というのは姫路市交通局モノレール線とも呼ばれ、姫路市が運営するモノレールでした。
姫路駅から手柄山までの1.6kmという非常に短い路線でしたが、1966年に開業するも営業不振から1974年に休止、1979年には正式に廃止されるという短命に終わった路線でもあります。
このような路線が造られた経緯ですが、1966年に姫路市で行われた「姫路大博覧会」への輸送機関という名目だったようです。
将来的には飾磨や広畑といった地区までの延伸や環状路線にするなどの計画もあったもののそれは実現せず、手柄山までのごく短い路線のままだった上に運賃も高く利用が伸びなかったようです。

廃止後も一部の橋脚などが遺構として残っており、手柄山駅があった場所に「手柄山交流ステーション」としてモノレールの駅と車両が保存・展示されているので、姫路を訪れたら見に行くのもいいですね。


そして、山陽姫路駅に到着です。


駅名標


駅は山陽百貨店の2階部分に乗り入れており、頭端式4面4線となっています。


終端部はこのように円形のデザインになっています。


頭端式ホームなので各のりばへ平面移動だけで行けるのがいいですね。


「普通車」という言い方は関東人としては京急を連想してしまいますw


ここにもいました3000系!


折り返し乗車になるので一度改札を出ます。


階段を降りて外へ出ます。


山陽百貨店の中に出ました。
駅とデパートが一体なのは私鉄の駅では多い形態ですね。


山陽百貨店の入口です。
今は百貨店も衰退していて、大手以外は廃業するところも多い中、山陽百貨店は今でも元気に営業中です。
大手私鉄以外での電鉄系デパートという意味でも貴重ですね。


駅前に出ると大手前通りが通っています。


駅前にやってきたのは神姫バスです。
姫路市内はほぼ独占しているだけあって、姫路駅前では嫌というほど見ることが出来ます。


郵便ポストは姫路城のデザインでした。


そして、実物の姫路城も駅前から見ることが出来ます。


神姫バスと絡めてみるもちょっと強引ですねw


そして、こちらが山陽姫路駅も入っている山陽百貨店の外観です。
やっぱり街の中心には百貨店があると活気づいていいですね。


あとは直通特急で引き返すのですが、その前に寄り道しました。
ここは「えきそば」というお店ですが・・・


ここでお蕎麦を頂きます。
実は蕎麦麺ではなくて中華麺を使っていて、関西ではこういうのを「黄そば」というらしいですね。
上に乗っているのはたこ焼きでして、変わり種のメニューですが関西らしいので頼みましたw

「えきそば」というと駅構内で営業する立ち食いそば屋を総称する言い方でもありますが、ここの場合はお店の名前が「えきそば」なんです。
元々は姫路駅のホーム上にある文字通りの「えきそば」でしたが、現在では駅以外へも多く出店するようになり、単なる駅そばを越えて姫路市のローカルフード的な存在にまでなっているんです。
18きっぷで旅をするときなんか、姫路で乗り換え時間があるとホームで食べたりもしていましたので、姫路に住んだこともない私ですが思い出の味だったりしますw

お腹も満たされたらあとは直通特急で大阪へ戻ります。

直通特急で大阪へ

それではここからは直通特急に乗って大阪へ移動します。

まずは直通特急について解説を入れておくと、直通特急は阪神電鉄・神戸高速鉄道・山陽電気鉄道の3社を直通して大阪梅田~山陽姫路間を運行する種別です。
山陽電鉄と阪神が神戸高速鉄道を介して繋がっていることを活かした種別と言えますが、意外にも神戸高速鉄道の開業から長い間、この種別が登場するまで待たねばなりませんでした。
それは阪神と山陽で車両規格や編成長が異なっていたことが理由としてあり、1990年代にはこの問題は解消されていきますが、運行開始は1998年のことでした。
これは大阪~姫路間の流動創造や阪神淡路大震災の影響で山陽電鉄沿線の地域への転居が増えたことの対応、甲子園球場や有馬温泉への集客などを目指してのことでした。
当時は高速神戸や須磨浦公園で折り返す列車も存在し、全区間通しの運転は30分ヘッドとされていましたが、2001年より増発が行われ現在と同様の15分ヘッドで運転されるようになりました。

2023年現在のダイヤでは大阪梅田~山陽姫路間の直通運転が基本で、早朝や夜間には途中駅を始発・終着とする区間列車も設定されています。
停車駅は山陽姫路を出ると飾磨・大塩・高砂・東二見・山陽明石・舞子公園・山陽垂水・山陽須磨・月見山・板宿・高速長田・新開地・高速神戸・元町・神戸三ノ宮・御影・魚崎・芦屋・西宮・甲子園・尼崎・大阪梅田となっていますが、時間帯によって荒井・滝の茶屋が停車駅に加わることがある他、黄色地の方向幕で案内される通称「黄色直通特急」は西代・大開・西元町にも停車するため、神戸高速線内は各駅停車となります。
更に特定のシーズンや曜日のみ停車する特別停車も多いことから、直通特急の停車パターンは多岐に渡りますが、全て直通特急と案内されているようです。

大阪~姫路間の運行ということで、JR神戸線を走る新快速とは競合関係にある列車ということになりますが、新快速では1時間強のところ、直通特急は1時間半以上かかるため、所要時間ではJRの圧勝という状況になっています。
停車駅もかなり多くなっており、新快速が姫路~大阪間では途中で7駅しか停車しないのに対して、平日日中の神戸高速線内も通過運転するタイプでも21駅も停車しています。
所要時間ではJRに勝てない分、こまめに停車して集客するという方針が分かりますが、JRでは運賃が1520円のところ、直通特急の走る山陽・神戸高速・阪神のルートなら1320円と200円安い上、「阪神・山陽シーサイド1dayチケット」という1日乗車券を使えば2400円で往復でき、片道あたり1200円で利用できることになります。
更に山陽網干や武庫川団地前、大阪難波もフリーエリアに入っていて追加料金無しで行けるため、安価に大阪まで往復したいとか、途中の駅にも立ち寄りながら行きたいというニーズに応えることで、JRとの差別化を図っているようですね、


それではレポート本編に戻りまして、発車標です。
11時12分発の「直通特急」ですが、黄色地で案内されているので、神戸高速線内は各駅停車のタイプですね。


神戸高速鉄道は自社の車両を持たないため、山陽か阪神のどちらかが充当されますが、今回は山陽電鉄の5030系が充当されていました。


側面の行先表示です。
大阪梅田駅は阪急電鉄にもあるため、区別のために「阪神」を冠しており、かなり長くなっていますね。
また、板宿~神戸三宮間が各駅停車となることも案内されているため、スペースを使い切っていますw


そして、車内です。
直通特急に充当される車両については、多くの車種で編成中の一部がクロスシートとなっていて、長時間乗車でも快適になるように配慮されています。

クロスシートということは車窓を楽しむにもうってつけ!・・・ということで


↑車窓をどうぞ!

山陽姫路を出ると飾磨・大塩・高砂と行きますが、このあたりはJRよりもより海沿いのルートを行くために、JRとはうまく棲み分けているんですかね。
加古川を渡って加古川市に入りますが、JRでは新快速に加えて一部の特急も停まる加古川駅があるのに対して、山陽電鉄では加古川市内の駅は全て直通特急は停まらない駅となっていました。
加古川市はスルーして明石市に入ると東二見駅に停車します。
続けて山陽明石駅ですが、ここはJR明石駅と隣接しており、姫路を出てから最初にJRと乗り換えができる駅となっています。
このため、飾磨や高砂・東二見から神戸や大阪へ急ぐ人はここでJRに乗り継ぐ人も多いようで、今回もここでの乗客の入れ替わりが多かったです。


明石市が終わって神戸市に入ります。
このあたりまで来ると、車窓には明石海峡大橋が見えてきます。
JRからも見える景色ではありますが、JRよりも海側を走るのでより近くに見ることが出来ます。

そして、舞子公園駅に停車です。
ここはJR舞子駅に隣接しており、JRへの乗り換えも可能ですが、それだけでなく、ここは明石海峡大橋の本州側の起点に隣接しており、高速舞子バス停があることから、関西と淡路島や四国へ向かう高速バスと乗り換えが可能であることから、高速バスとの乗り換え需要のある駅ともなっています。

その先はJRと並走しつつ山陽垂水・山陽須磨と停車したらまたJRとは離れて走るようになります。
月見山・板宿・・・と行くと西代ですが、ここからは神戸高速鉄道に入り、地下線となります。
神戸市中心部が近づいてきて車内の乗客も多くなりはじめ、座席はほとんど埋まっていました。
高速長田・大開・新開地・高速神戸と来たらかなりの乗客の入れ替わりがありましたが、ここからは大阪方面を目指す利用者で更に混み合っていきます。

西元町・元町と来てここからは阪神本線に入っていきます。
そして神戸三宮駅に停車したら、ここからまた通過駅がある区間になります。
地上に顔を出して御影・魚崎・芦屋・西宮・甲子園・尼崎と停車していきますが、流石に阪神線内は利用者が多く、一気に都会の電車の様相を呈していました。
尼崎では阪神なんば線の電車と接続していて、大阪難波方面への利用者が大挙して乗り換えていきました。
梅田が目的地ならJRも使えるのが、難波だと山陽・阪神のルートの方が便利ということで、難波への利用者の割合が高くなっているんですかね。
最後の1区間は意外に空いていて終点の大阪梅田に到着です。


終点の大阪梅田に到着です。
ここからは少し乗り換えがタイトなので巻きで行きます。


さっさと駅を出て・・・


御堂筋線に乗り換えます。


乗ったのは御堂筋線では新しい車両となる30000系でした。


天王寺にやってきました。
ここから次の活動となりますが・・・

近鉄長野線を乗りつぶす

ここからは近鉄長野線の乗りつぶしです。
元々の目的としては金剛バスへの乗車があったんですが、起点となる富田林駅が近鉄長野線の沿線であることもあって、ついでに一度河内長野まで行って近鉄長野線を完乗してしまいます。
バスの接続の関係もあって、まずは河内長野まで行って乗りつぶしてから金剛バスです。

ここで近鉄長野線についてざっくり解説ですが、近鉄長野線は古市駅と河内長野駅を結ぶ全長12.5kmの路線ですが、ほぼ全ての列車が近鉄南大阪線に乗り入れており、運行形態としては大阪阿部野橋駅~河内長野駅間の路線と見ることも出来ます。
古市~富田林間は複線でそれ以外は単線ですが、日中ダイヤでは大阪阿部野橋発着の準急が毎時4本走るなど、大阪近郊の通勤路線という顔も持っています。
なお、路線名の”長野”は河内長野駅がある河内長野市に由来していますが、たまに(冗談交じりで)長野県へ向かう路線であるとする誤解もあるみたいですねw
もっとも、近鉄は現実に名古屋までは路線を持っているわけですから、長野県まで路線を持っていたとしても不思議ではないのもまた事実ですw


というわけでレポート本編に戻りまして、御堂筋線を降りたところからです。
大阪阿部野橋駅って実は天王寺駅のすぐそばにあるんですよね。


あれが「あべのハルカス」ですかね。


こっちはJR天王寺駅の駅ビル「MIO」です。


駅の入口です。


そして、こちらが近鉄の大阪阿部野橋駅です。
「あべのハルカス」と一体化しており、ビルとしては「麻布台ヒルズ森JPタワー」に抜かれて2位の高さになったものの、駅ビルとしてみると今でも日本一なんだそうです。


駅前を通りがかった大阪シティバス


これも大阪シティバスですが、「いまざとライナー」というBRTです。


それでは駅へ入るとしましょう。


改札口です。
意外と小さいですが、こちらはメインの改札口ではないようです。


発車標はLCDになっていました。
河内長野行きは10分~20分に1本程度の本数となっています。


ホームへのエスカレーターですが、ここにも発車標があるのは分かりやすくていいですね。


ホームへ上がってきました。
頭端式6面5線とターミナル駅らしい堂々たる規模です。
また、最近増えているロープ式のホームドアも設置されていますね。


駅名標も忘れずに
JRや地下鉄は天王寺駅なのに、近鉄だけ大阪阿部野橋駅となっているわけですが、開業当時は「大阪天王寺駅」という駅名だったようです。
しかし、すぐに現在の「大阪阿部野橋駅」に改称されたそうです。
そのまま大阪天王寺駅の方が分かりやすかった気もしますが、所在地は阿倍野区なので、こちらの方が由緒ある地名とも言えるかもしれません。
ちなみに、大阪阿野橋駅と阿野区では部首が異なっていたりします。


そして、これが河内長野行きの準急です。
ロープのせいでちょっと撮りづらいですが、仕方ないですね。


幕をアップで


側面の幕の一部はなぜか省略して「長野」と表示されていました。
これでは本当に長野県まで行くみたいですw

それでは発車です。
準急は大阪阿部野橋を出ると河内松原・藤井寺と停車したらあとは各駅停車となります。
一方、区間急行や急行は古市までノンストップとなるので、停車駅が異なります。
準急というと一部区間は通過運転をし、末端部は各駅停車というパターンが多いですが、準急と急行では停車駅そのものが違うんですね。

ちなみに、普通列車は大阪阿部野橋~藤井寺間と古市~橿原神宮前間で運行されており、準急と接続するダイヤを組んでいます。

そして、古市からは長野線に入ります。
長野線内では定期列車では全ての種別で各駅に停車するため、準急も各駅に停車していきます。
ところで、古市駅では支線である長野線が直進方向で、本線である南大阪線が左へカーブする形で、まるで長野線が本線という感じになっていますが、この理由は元々は柏原~河内長野間の路線として建設されたのが始まりで、あとから大阪阿部野橋や橿原神宮前方面への路線ができて南大阪線となった経緯があるからです。

長野線はごく普通の郊外路線という感じでしたので、記事は河内長野まで飛びます。


河内長野に到着です。
このまま折り返しますが、一度改札を出る必要があるので、1本見送ってこの次の電車に乗って富田林へ引き返します。


縦型


乗ってきた電車です。


ホームは近鉄部分は1面1線となっていて、手狭な印象ですが、駅自体は南海高野線のホームもあるため大きな駅となっています。


ちなみに、元々は1面2線だったようですが、1線は使用停止されているため、現在は1面1線となっています。
なのでホームの片側は柵で塞がれていますね。


そこへ南海電車が入ってきました。


こちらは南海の駅名標です。
南海でも大阪へ行くことが出来ますから、近鉄と南海で競合関係にあるということができますが、近鉄ルートは遠回りなので南海優勢といったところですかね。

ちなみに、近鉄の準急で大阪阿部野橋まで行くと42分~45分ほどかかりますが、南海の急行だと27分ほどです。


↑1本見送るので発車シーンは押さえておきました。


まずは改札を出ましょう。


きっぷ売り場


こちらは南海線の改札です。


駅前へ出ました。
大阪の端っこに位置する河内長野市ですが、ベッドタウンとして発展してなかなか栄えた駅前でした。


駅は橋上駅舎となっていて、駅前にあるのは出入口のみとなります。


こんなオブジェがありました。
人権尊重を呼びかけるモチーフなんですかね。


南海バスを撮ったら撤収です。


構内に戻ると「こうや」がいました。
以前の関西遠征乗車しましたね。


↑そして近鉄長野線の電車がやってきました。


この電車に乗って続いては富田林へ向かいます。

富田林からは金剛バスに乗る

続いては富田林駅から金剛バスに乗ります。


到着しました。


縦型


名所案内がありました。


ホームは相対式2面2線となっていて、複線区間と単線区間の境界でもあります。
ラッシュ時には当駅折返しの列車もあるんですが、その割にはシンプルな構造ですよね。


発車標はパタパタ(反転フラップ式案内表示機)が残っていました!
当駅の場合、ほとんどの列車が準急大阪阿部野橋行きなので、これの表示が変わる瞬間を見る機会はかなり限られますね。


上下のホームは地下道で結ばれています。


内部はこんな感じです。


↑対向列車の発車シーンです。


それでは改札を出るとしましょう。


駅前にはなかなか立派なバスターミナルが整備されていました。
この南口は全て金剛バスとなっています。


惣菜の自動販売機がありました。


こんな石碑がありました。
富田林市にはPL教団の本部があるので、その関係でしょうか?


駅舎です。


駅名部分をアップで

駅の方の紹介はこれくらいで、金剛バスの紹介と行きましょう。
金剛バスは正式には「金剛自動車」という社名のバス事業者であり、富田林市に本社を構え、富田林市・河南町・太子町・千早赤阪村に路線を展開しています。
歴史としては大正時代の1925年(大正14年)に前身となる「金剛自動車乗合組合」として事業免許を取得しており、なかなかに歴史のあるバス事業者なんですが、私鉄系のバス事業者ではなく、数少ない独立した事業者であるという点が特筆されます。
そのためか、スルッとKANSAIやICOCAへの加盟や導入は行われておらず、運賃の支払いに交通系ICカードは利用できません。
また、かつてはタクシーや貸切バスの事業も営んでいましたが、いずれも廃業しており、記事執筆時点では乗合バス事業のみとなっています。
富田林市とその周辺のみ運行し、高速バスにも参入していないなどローカル色の強い事業者ですが、そんな金剛バスの名前を全国に知らしめる大ニュースが飛び交いました。

それは「バス事業の廃業」というものです。
文字通り、現在運行している路線バス全線を廃止するということであり、小規模事業者とはいえバス事業そのものの廃止という事態は衝撃を持って受け止められ、全国的にもニュースになりました。
背景にはバス業界全体で深刻化するバス運転士不足があり、沿線自治体の補助金支給の申し出も虚しく金剛自動車のバス事業は2023年12月20日をもって廃止されることになりました。(記事の公開はそれに間に合いませんでした・・・)
当然富田林市とその周辺の自治体は公共交通を失うことになりますから、大きな問題となり、協議会が開かれた結果、南海バス・近鉄バスが路線を引き継ぐことでまとまり、これらをコミュニティバスの形で運行することとなったようですが、近鉄・南海も運転士不足という事情は変わらず、全ての路線がそっくりそのままというわけにはいかず、廃止される路線や運行区間が短縮になる路線もあるようです。
とりあえず公共交通の消滅という事態は避けられたものの、2024年問題も間近に迫ったこのご時世では、第二・第三の金剛バスが出てきてもおかしくないですし、公共交通を守るための取り組みは待ったなしのところまで来ていると言えるでしょう。

ところで、最近良く耳にする「2024年問題」とは何なのかということも軽く触れておくと、「2024年問題」というのは端的に言えば2024年4月からバス業界を含めたドライバー職の時間外労働に関する規制が厳しくなることに端を発する問題でして、バス業界や運送業界ではドライバーの長時間労働によって今までの仕事量を回していた実情があり、これが規制強化で同じ仕事量を維持するならば運転士を増やさなければならないのに、ただでさえ採用に難儀しているのにそれは難しいということで、仕事量を減らすしか無い・・・つまり、路線バスならば本数を減らしたり、路線そのものを廃止したりして事業規模を縮小していくしか無いというわけです。
世間一般では物流業界で荷物を運べなくなるという問題としての認識が強いかもしれませんが、実はバス業界においても深刻な問題と言えますね。

また、金剛バスでは「バス事業の廃業」をするわけですが、会社そのものの今後については今のところはっきりとはしていません。
しかし、金剛自動車の事業内容は乗合バス事業(路線バス)のみであることから、それを廃業するということは会社そのものも消滅してしまう可能性が高そうですね。

そんなわけで、少なくとも金剛バスというバスはもう見納めになってしまうということで、今回乗りに来たのでした。
私も廃止予定の路線のさよなら乗車というのは経験がありますが、バス会社そのもののさよなら乗車というのはこれが初めてのこととなりました。


こちらが金剛バスです。


この20系統千早ロープウェイ行きに乗車します。


後ろから
「乗務員募集」の掲示も廃止が決まった今となっては虚しいですね・・・


側面の社名表示


これがロゴマークのようですね。


この20系統は毎時1本程度走っていて、廃止になるような路線にも思えないんですが、バス会社そのものの廃止となるともはや本数がどうとかいうレベルの話ではないですよね。
ちなみに、この路線も運行区間が短縮されるものの、南海バスに移管する形で存続はするようです。


バス事業の廃止のお知らせが出ていました。

まだ発車まで時間があるので、富田林駅周辺でもう少し金剛バスに関連するものを探してみることにしましょう。


こちらも金剛バスですが、別の路線のバスでした。


駅前にひっそりとあったこの建物ですが・・・


実はこれ、金剛自動車の本社です。
富田林営業所も兼ねているみたいですが、この本社屋を見るだけでも金剛自動車の経営がどれだけ厳しいかが分かってしまいます・・・


↑ちょうどバスが出ていくところでしたが、まさかのバックで駅前ロータリーに出ていくというw


営業所なので定期券や回数券も発売しているようです。
ところで、営業所にしてはいくらなんでも敷地が狭すぎるとお思いの方も多いと思います。
実際、この敷地ではバスを1台駐めるのがせいぜいで、いくら金剛バスが小規模な事業者とはいえ、それでは不足です。
ではここに収まりきらないバスはどうしているのかというと、少し離れた場所に車庫が別にあるみたいで、車両の待機や保管はそちらが担っているようですね。


ガレージみたいなスペースの奥が入口のようですね。


扉にはちゃんと施設名が書かれていました。

と言ったところで、そろそろバスに乗り込むとしましょう。


車内でも金剛バスの名前があるものを探すとこんなプレートがありました。
他社でもよくある掲示物ですが、運転士さんの実名が出ていたのでその部分だけぼかしをかけています。


路線図もありました。

今回乗車する20系統千早ロープウェイ前行きですが、富田林市と千早赤阪村を河南町を経由して結ぶ路線で、全線の走行時間は40分ほどとなっています。
富田林市の市内交通であると同時に、域内に鉄道がない河南町・千早赤阪村にとっては富田林駅へアクセスできる貴重な公共交通機関となっています。
ところで、この千早赤阪村ですが、大阪府内では唯一の”村”となっており、大阪府内では最も人口の少ない自治体であり、更に大阪府内最高地点があるなど、大阪府という都会的なイメージに反した長閑な村となっています。
鉄道もない自治体なので、鉄道趣味で訪れることはまずないわけですが、金剛バスに乗るに当たり、千早赤阪村へ向かう路線を選んだのはこの千早赤阪村への興味も動機の1つでした。

車内は意外にも混み合っていて、本当にこれが廃止になるバスの車内なのかと疑いたくなりますが、単純な採算の問題というよりは、運転士不足が根本的な原因ですしね。

最初は普通の市街地の景色でしたが、市から町へ、そして村へと進むにつれて徐々に長閑な景色へと変貌してきます。
千早赤阪村に入り森屋というバス停からはこの路線は二股に分岐します。
1つは千早ロープウェイ前への道で、もう1つは水越峠への道です。
水越峠はそのまま奈良県御所市へ抜けることが出来る道ですが、バスは峠の途中までの運行となっていて、奈良県側へバスで通り抜けることは出来ません。
運行も土休日のみとなっていることからも、登山者向けの設定だと思われますが、残念ながら金剛バスの後を引き継ぐコミュニティバスは峠の手前の東水分までの運行となってしまうため、峠へのバスは消滅することになります。
そちらも乗っておけばよかったと思っていますが、活動当時は具体的にどの路線が存続するのかといった情報もない中での活動だったのでやむを得ない部分もありますね。

そして、今回乗車したバスが通る千早ロープウェイ前方面ですが、千早赤阪村の役場前も通るなど、メインルートとなっており、ほとんどのバスはこちらのルートを通ります。
村の中心部を過ぎると一気に山道へと変貌していき、金剛バスの名前の由来でもあろう金剛山の中腹あたりまで達します。


終点の千早ロープウェイ前に到着しました!
金剛バスの廃止が決まったタイミングでしたから、他にもさよなら乗車の人がいるかと思えば、終点まで乗り通したのは私だけでしたね。
富田林駅前でバスを撮影している人はちらほらといたので、ファンの関心がないわけではないと思いますがね。

「富田バス」と書かれたプレートがありますが、多分元々は「富田林行きバスのりば」とでも書いてあったんでしょうね。


バス停のポール


駅名標代わりに停留所名部分をアップで撮ってみました。


時刻表です。
基本的に1時間に1本ですが、早朝や夜間はロープウェイ前までは乗り入れなくなるようです。


乗り場はバスロータリーになっていました。


実は金剛バスによる富田林行きだけでなくて、河内長野行きのバスもあります。


こちらが河内長野行きのバス停です。


運行は南海バスが行っています。
金剛バスの路線も南海バスが引き継ぐ予定なので、千早赤阪村へのバスは南海バスのみになりそうですね。


周辺案内図がありました。
ところで、このバス停名の由来でもあるロープウェイですが、実は2019年3月15日より運行休止となっており、民間企業への譲渡の上での再開を模索していたものの、残念ながらそれは叶わず廃止の上で施設を撤去することとなりました。
この立派なバスロータリーもロープウェイ接続のためのものだったでしょうが、ロープウェイがなくなるとその存在意義もなくなるため、もしかしたらここまでのバスの乗り入れも無くなってしまうかもしれませんね。


非公式側からバスを撮影です。


金剛山(多分)と金剛バスを絡めて撮ったら撤収です。
この奥に大阪府内の最高地点があるはずですが、ロープウェイがもう利用できないため、到達するには登山道を徒歩で行くしかありません。


↑復路は前面展望を撮りました!
ところで、なぜ往路では撮らなかったかという話ですが、実は今回乗車したバスはいわゆるマニア席がないタイプのバスであり、最初は前面展望を諦めたのですが、復路は車内が空いていたこともあって、マニア席の後ろの席からもかろうじて前面展望が可能だったために撮りました。
そのためちょっと画角が苦しいですがご了承下さい。

というわけで、金剛バス編は以上となります。
これにて活動のメインは終わりなんですが、宿のある三田への移動がてら、道明寺線も乗りつぶしておこうと思います。

道明寺線を乗りつぶす

富田林から大阪阿部野橋へ戻りますが、途中の道明寺駅からは道明寺線に立ち寄り、柏原駅まで1往復します。


↑富田林駅からは長野線に乗って道明寺駅へ移動です。


道明寺に到着です。


縦型


道明寺線の電車がやってきました。
2両編成のローカル線ですね。


方向幕ですが、路線が短く頻繁に折り返し運行を行うためか、行先ではなくて運行区間を表すサボ方式でした。


ホームにはこんな案内がありましたが、柏原駅では近鉄とJRの改札が共有されているため、ICカードを利用する近鉄利用者は近鉄専用の中間改札にタッチする必要があるという案内です。

ここで道明寺線について解説を入れておきましょう。
道明寺線は道明寺駅と柏原駅を結ぶ全長2.2kmの短い路線ですが、JR関西本線(大和路線)と近鉄南大阪線を連絡し、藤井寺市と柏原市を直接結ぶ唯一の鉄道でもあることから、その役割は決して小さなものではありません。

運行形態は全列車が道明寺~柏原間をピストン運行するのみで、他線区への直通はなく、また線内に行き違い設備はないため、1編成が行ったり来たりするだけのシンプルな運行形態です。

歴史としては近鉄の路線としては最古の1898年、つまり明治時代に開業した路線で、当時の河陽鉄道が柏原~古市間を開業させたのが始まりです。
しかし、その翌年に河陽鉄道は経営破綻してしまい、あとを河南鉄道が引き継いで河内長野まで延伸されました。
つまりは、歴史的に見れば南大阪線・長野線となっている区間はかつては一体の路線だったわけですね。
柏原で接続する大阪鉄道(現在の関西本線)を介して大阪市内の湊町駅(現在のJR難波駅)まで直通列車が設定されることもあるなど、当時は本線格の路線でしたが、道明寺から分岐する大阪市内へ直通するルート(現在の南大阪線)が開通すると道明寺線は支線という扱いになりました。

乗車したら5分程度で終点となり、あっという間の乗りつぶしでしたw


柏原駅に到着です。
ところで、「柏原」という駅は実はJRに3つもありまして、1つはこの大阪府の柏原駅でしてあと2つは兵庫県の福知山線と、滋賀県の東海道本線にあります。
しかも、その全てで読み方が違っていて、当駅は「かしわら」、兵庫県は「かいばら」、そして滋賀県は「かしわばら」となっています。
JRの前身である旧国鉄ではたとえ遠隔地であっても駅名が重複することは避けており、同じ地名が異なる地域にあった場合は駅名にする際に旧国名を冠するなどする慣例があるのですが、たまにこうやって重複したままになっているケースもあります。
特に当駅と兵庫県の柏原駅はどちらも大阪市内から直通電車が存在するわけで、紛らわしそうですよね。
どちらも観光客が訪れるような土地ではないから問題にはなっていないでしょうが、関西版の青梅・青海問題と言えるかもしれません。


こちらが近鉄のホームです。
JRホームの一部を切り欠きホームとして間借りしている感じですね。


こちらがJRの駅名標です。


隣はJRのホームなので、縦型はJRのデザインでした。


こちらが近鉄利用者のための中間改札機です。
これにタッチすることで道明寺線経由で乗車したことがICカードに記録されて、正しい運賃が精算されるようになっているようです。


ホーム上にもデカデカとタッチするように呼びかけられていました。


更には看板でもタッチするように訴えていました。


乗り場案内です。
近鉄側は直通のない藤井寺・古市や富田林までも書いてありますね。
一方、お隣はJRですが、大阪市内方面への電車と対面乗り換えなので、道明寺線から乗り継いで天王寺やJR難波などへ向かう利用者にとっては便利ですね。


一度改札を出るためにコンコースへ上がってきました。
近鉄の乗り場も大きく書いてありますね。


近鉄への導線が床の線で案内されていました。
よほど「近鉄乗り場はどこですか?」という問い合わせが多発していたんでしょうかw


更にはこんな張り紙まで


一旦改札を出ます。
大阪近郊の駅だけあって普通に都会的な雰囲気です。


きっぷ売り場です。
近鉄のきっぷは専用の券売機で発売しているようですね。


まずは西口へ出てきました。


周辺には商業施設も集積しており、大阪近郊らしい風景でした。


駅前のペデストリアンデッキからみた駅周辺です。
高層マンションもあって、ベッドタウンらしい風景です。


続いて東口です。


周辺は店舗が集まる商店街となっていて、昔ながらの大阪の風景が残っていると言えるかもしれません。

それでは構内に戻ります。


↑ここでJRの快速電車の通過です。


201系の普通電車も来ました。
今やすっかり希少車種ですよね。


↑発車シーンは動画でどうぞ


それではこの電車に乗って道明寺に戻ります。


南大阪線に乗り換えて大阪阿部野橋駅に戻ってきました。


夕飯は豚まんで有名な551蓬莱に入りました。
お土産用の豚まんのイメージが強いでしょうが、一部の店舗では店内飲食も可能でして、豚まん以外にも様々な中華料理を楽しむことが出来ます。

食事を済ませたらあとは今宵の宿がある三田へ移動です。


途中の川西池田駅では特急待避がありました。


↑289系「こうのとり」の通過でした。


三田に着いたら昨晩も泊まった「ホテル三田」へ向かいます。
電車で行っても良かったんですが、連泊のおかげで着替えなどの荷物を部屋に置いていくことができたため、身軽だったことから歩いていくことにしました。

というわけでこれにて4日目の活動は以上となりますが、冒頭にある通り、このまま5日目のレポートもしてしまいます。

神戸電鉄急行に乗る

というわけで5日目の朝が始まります。
ホテルの最寄りである横山駅へ向かい、一旦三田駅まで電車で移動してから、急行にも全区間乗車しようかとも思っていたんですが、考えてみれば昨日の朝に特快速で全区間乗車していますし、三田→横山では急行も各駅停車なので別に全区間乗車しなくてもいいかと思い、横山からそのまま急行に乗ってしまうことにしました。


↑電車がやってきましたが、これは別の電車です。


↑ようやく私が乗る急行がやってきました。


写真でも撮ったら乗り込みます。

ここで神戸電鉄の急行についての解説です。
神戸電鉄は日中ダイヤでは普通と準急の二本立てであり、準急が通過運転をするのは新開地~鈴蘭台間だけなので、鈴蘭台以北で通過運転をする列車はないのですが、ラッシュ時間帯は有馬線については急行・特快速が設定され、鈴蘭台以北も通過運転を行います。
特快速は三田線内でも通過運転をしていたのが、急行は三田線内には通過駅はなく、有馬線内のみ通過運転となります。
停車駅は三田~唐櫃台間の各駅と大池・花山・谷上・山の街・北鈴蘭台・鈴蘭台・湊川・新開地となります。
準急と比べると箕谷と神鉄六甲の2駅を余分に通過するだけなので、特快速ほどのインパクトはないですが、種別は全て制覇しておきたいというのは鉄道ファンの習性ですw

特快速と違って土休日も運行があり、しかも新開地方面だけでなく三田方面へも運行があるなど、特快速よりは乗車難易度の低い種別と言えますね。
この日は休日でしたから通勤客は少なかったですが、朝早くから神戸市中心部へ出る人たちも少なくないのか、それなりに利用者はいました。


新開地に着いたら側面の幕も撮影です。


↑ちょうど幕回しが始まったので動画で撮りました。


こちらは隣に停まっていた別の電車ですが・・・


「全国登山鉄道‰会」のヘッドマーク付きでした。

と言ったところでこれにて活動終了ですが、待ち合わせは新大阪なのでそこまで移動しないといけません。


↑三ノ宮駅では特急「スーパーはくと」の入線が見られました。

あとは書くこともないのでこれにて記事を締めくくりたいと思います。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。

次回ですが、関東近郊での単発ネタの活動をしていますのでそのレポートでお会いしましょう。

それでは!

ブログランキングに参加しています
鉄道コム にほんブログ村 鉄道ブログへ

つばめ501号(管理人) について

関東を拠点に鉄道旅行を楽しんでいます。また、写真撮影や走行音の録音もしています。 サイトの方ではそれら写真や録音も公開していますのでぜひご覧ください。
カテゴリー: 鉄道・バス活動関係 タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , パーマリンク

コメントを残す

このサイトは reCAPTCHA で保護されており、Google の プライバシーポリシー利用規約が適用されます。