6泊7日で実施した北海道遠征の4日目です。
なお、1日目・2日目・3日目をご覧になっていない方は1日目から順にご覧になることをおすすめします。
本日の行程
4日目の活動内容は、タイトルにもある通り、「モノコックバス」と「深名線」の2つがメインになります。
まず、「モノコックバス」の方ですが、士別市を中心に運行する士別軌道が運行するもので、モノコックボディという構造を持つ古いバスが今でも現役で走っており、それに乗りに行くわけです。
もう1つの「深名線」ですが、かつて深川と名寄を結んでいたものの廃線になった鉄道路線の名前であり、かつ、その代替交通機関として運行されているJR北海道バスのバス路線でもあります。
廃止になった鉄道に乗ることはタイムマシンでも発明されない限りは出来ない相談なので、今回乗るのはバスの方です。
行程としては、まず昨晩宿泊した旭川から宗谷本線で北上して一旦名寄へ向かいます。名寄ではすぐに折り返して風連へ向かい、風連から士別までは士別軌道のバスで移動して、ここでいよいよモノコックバスです。モノコックバスに乗った後は宗谷本線で名寄へ移動して、そこから深名線で深川まで乗車して、あとは特急で札幌へ移動して終わりとなります。
ようするに、今日はバス回といえる内容ですね。
まずは名寄を経て風連へ
というわけで本編スタートです。まずは宗谷本線で北上します。
列車は名寄行き普通列車であり、昨日の出発よりは遅い時間です。
昨日同様朝の旭川駅からスタートですが、写真を見れば分かるように昨晩はもっと太陽が低くまさしく”早朝”でしたが、今回はもう少し明るくなった普通の”朝”ですね。
昨日ラストランを迎えた「風っこそうや」の横断幕はそのままでした。
名寄行き普通列車はキハ40系でした。昨日も名寄まで乗ったのはキハ40系だったのでかぶってしまいましたが、まあいいでしょう。
昨日は大勢の乗客でごった返した比布駅も静寂を取り戻していました
その他は道中を端折って名寄に到着です。目的地は士別ですが、「モノコックバス」の時間までだいぶあるので暇つぶしですw
これまた昨日は色んなものを売っていたホームも、こんな殺風景になっていました。
まあ、これが普通の駅の姿とも言えますけどね。
「風っこそうや」の運行を記念してか、「名寄駅舎の歩みパネル展」とやらをやってるらしいです。
ちょうどいいので見学していきましょう。
その場所は休憩室みたいになっていて、教科書やノートを広げて勉強している学生さんもいました。
カラー写真もあるのが意外でした。こういう展示って何か白黒写真ってイメージがあるんですよね。
全部の写真をご紹介するのはきりが無いのでこれくらいで割愛w
残った時間で駅舎を見ます。
名寄駅には以前にも訪れていて、そのときにも駅舎を見ているのですが、前回訪問時は何か工事があっていて、防音幌で駅舎をまともに見られなかったんですよね。
なので実質初めて見る駅舎になります。
全体的に小綺麗に直されていますが、ここだけ年季が入っていますよね。
前の駅舎から受け継いで使っているとかでしょうか。
折返しは快速「なよろ」です。風連までの1区間しか乗りませんがw
跨線橋から見下ろすと乗ってきたキハ40系がそのまま停まっていました。
これがそのまま「なよろ」として折り返すのですかね。
↑そこへ「宗谷」が入線してきました。
そろそろ「なよろ」も発車です。
キハ40系の方は誰も乗っておらず、おかしいと思っていたら、これは「なよろ」じゃなかったようですw
実は、隣に止まっていたキハ54系こそが「なよろ」だったのでしたw
「なよろ」にはキハ40系だけでなく、キハ54系も充当されることは知っていましたが、実際に当たるとは思わなかったです。
これに乗って風連へ向かいます。
折返しも普通列車だったら、降りたことがない東風連駅を見てから1駅戻って風連へ向かうというプランもあったのですが、「なよろ」は東風連駅には停まらないため、一旦名寄へ行くことになりましたw
風連駅
というわけで、ちょっと引き返して風連駅です。目的地は士別なのは既に書いたとおりですが、「なよろ」でそのまま士別まで行くと早く着きすぎて暇になってしまうために、一旦風連で降りて、士別軌道の路線バスで士別を目指すというわけですね。
↑「なよろ」を見送ります。
それでは駅取材開始です。
まずはやっぱり駅名標から
風が連なると書く地名はどことなく牧歌的な名前ですが、由来はアイヌ語であり、「フレペッ」という「赤い川」を意味する言葉から転訛されたようです。
ホームは2面2線で、昔の交換駅にありがちな上下のホームが互い違いに設置された構造です。
反対のホームへは跨線橋でアクセスします。
当駅には「なよろ」は全ての列車が停車しますが、特急は通過ということで、構内踏切では危険ということなんですかね。
たまに北海道の駅で見られる半分だけシートで覆われた跨線橋の入口ですが、冬場の吹き溜まり対策はしたいけど、通行は確保しなければならない妥協の産物なんですかね。
「鉄道管理局」という国鉄を連想させるワードが出てくる銘板がありましたが、これ絶対左側にある孔を開けるときにドリルで削っちゃったでしょw
跨線橋はだいぶくたびれている感じですが、1989年に駅舎改築とあるので、その当時、いや下手をすればそれより前から使われているわけで、相応の見た目でしょうか。
それでは跨線橋を上がっていきます。
これまた年季を感じる階段ですね。
駅舎側とそんなに違いはなさそうですが一応こちら側のホームも撮っておきます。
すっかり錆びた勾配標がありました。
速度制限標識や信号機ほど重要な標識ではないのかもしれませんが、これでいいんですかねw
何か騒がしいと思っていたら、駅を横切るように通る陸橋をメンテナンスしているようでした。
縁の下の力持ち的存在の彼らですが、こういう日々のメンテがあるから陸橋にしても鉄道にしてもインフラを安心して使えるわけですから感謝しないといけませんね。
駅舎に縦型の駅名標を取り付けるのはやっぱり北海道流なんでしょうかw
トイレかと思ったらワンマン列車の利用方法が貼られているだけで、何の扉なのかさえ表示されていませんでした。
関係者用の物置とかかな?
そう思った理由はこれです。
終了通告っていうのは、多分沿線で工事をするときに終わったことを輸送指令所などに通告するって意味だと思いますが、どう見ても関係者向けの注意書きですよね。
駅ノートは壁にぶら下げられるという形で設置されていました。
ここにはベンチはありますが、ノートを置けそうなテーブルや棚がないので、こうせざるを得なかったのでしょうね。
時刻表です。最大で2時間程度運転間隔が開く時間帯もあり、都会に住んでいる人からすれば、これでも本数が少ないと感じるんでしょうが、北海道を始め地方のローカル線を巡っていると、本数多いじゃん!と思ってしまいますw
宗谷本線も末端の稚内周辺では特急と普通列車がそれぞれ3本ずつという運行本数になってしまいますが、本数が多い旭川~名寄間にある駅で、快速「なよろ」も停車するためまだ当駅は恵まれている方ですね。
駅前へ出ました。
広場は何の車線区分もなく、道路が唐突に終わっているみたいになっているアバウトさもローカル駅あるあるですよね。
これが駅舎と言われても信じてしまいそうですが、これは「さわやかトイレ」という、いわゆる公衆トイレです。
それにしても、以前にレンタカーで駅巡りをした時も、特に日高本線の沿線で「さわやかトイレ」という名前の公衆トイレが駅前に設置されているのを何度か見ていますが、これも北海道ならではのものなんでしょうか。
駅舎はこちらです。ホームから見た姿とあまり違いはありませんね。
ホームからも見えた陸橋の入口みたいです。
駅の裏手にある地区への連絡のために設置されているようです。
駅前通りです。周辺は旧風連町の中心となっており、現在は名寄市の一部となっているとはいえ、医療・商業・役場といった街の機能が揃っているのは地方では恵まれたことですよね。
それでは、風連駅のレポートはこれくらいにして、お次はバスです。
士別軌道 風連駅前→士別
お次は乗りバスとなります。士別軌道の中多寄線に乗車します。
バスは駅前広場には乗り入れておらず、駅から少し行った道路上にバス停を設けています。
乗り入れるのはこれから乗車する士別軌道の他、名士バスが乗り入れており、その他都市間バスの共同運行事業者として道北バス、北海道中央バスも発着します。
ローカルバスに限っていうと、士別~風連間は士別軌道、名寄~風連間は名士バスの路線があるため、一応はバスだけで名寄~士別間を移動可能ではあるんですが、あまり乗り継ぎを考慮したダイヤにはなっていないようですし、所要時間・運賃の面でも宗谷本線に劣ると言わざるを得ず、ローカルバス乗り継ぎ旅でもやるのでなければ実用性のあるルートとは言いかねますw
ところで、余談になりますが、名士バスという社名は名寄と士別から取られているのですが、現在は士別市内には路線を持っていません。これはかつては士別市内にも営業所を構えていたものの、士別市内の路線を士別軌道に譲渡したためであり、名寄~士別間の路線もかつては名士バスが直通で運行していたこともあるようです。
そのため、これから乗る中多寄線も、遡れば元々名士バスが運行していた路線ということになります。
時刻表です。名士バスは1日5往復となっており、風連行きとなっていますが実はここが終点ではなく、もう少し先の「道の駅もち米の里☆なよろ」まで足を伸ばします。かつてはもう少し路線が伸びていて御料7線というところまで行っていたみたいですが、道の駅から先の区間はデマンドバス扱いになったようです。
右に貼られているやつも気になりますが、名寄方面の時刻表だとするとネットで公表されている時刻表と内容が食い違うし・・・古いやつを撤去し忘れているとか?w
一方、こちらは士別軌道のバス停です。「駅前」と書いてありますが、正式な停留所名は「風連駅前」のようです。
士別軌道の中多寄線の時刻表ですが、こちらは更に少ない4往復です。
しかも、朝の1本は地方バスあるあるの登校日のみ運行なので、学校が休みの日は3本になってしまいます。
ちなみに、バス停からも駅舎がこうやって見えるくらい近いので、列車との乗り継ぎもそこまで不便ではないです。
まあ、列車とバスを乗り継ぐなら名寄駅か士別駅を使う人が多そうですがw
さて、そろそろバスの時間ですが・・・来ないw
田舎のバスは遅れないと勝手に思っている私ですが、士別も案外渋滞があったりしてバスが遅れてしまうんでしょうか。
結局のところ数分遅れだったのでバスということを考えれば誤差の範囲内でしたが、慣れない土地で時間通り来てくれないとバス停が違うのか?とか不安になってしまうんですよねw
来ました!
路線バスなら当然あるはずの方向幕がなかったので最初はこれが中多寄線のバスだと認識できませんでしたが、よく見るとフロントガラスの上のところ(観光バスなら団体名とか掲示するところ)にサボみたいな運行区間を表示する板が掲げられていたし、フロントマスクのところに士別軌道と社名も入っていたのでやっと理解しましたw
当然ながら乗客は私だけであり、数百メートル進んだところにある「風連病院」でバスは止まりました。乗客はいなかったのですが時間調整だそうです。
実は士別軌道の公式サイトでは、風連行きは風連駅前が終点という書き方でしたが、逆に士別行きは風連病院が始発であるかのような書き方をしていたので、風連駅前から風連病院の間はもしや回送扱いとかで利用できないんじゃないかという不安を抱えていたのですが、風連駅前のバス停に士別行きの時刻表が掲示されていましたし、こうやって現に乗車できているわけですから杞憂に終わったようです。
ここで中多寄線についてざっくり説明しておくと、士別と風連を結ぶ路線となっており、士別と多寄の間はほぼ宗谷本線に並走していますが、多寄から風連にかけては宗谷本線沿いから外れて走る上、日中に走る2本は日向温泉という施設に立ち寄るため、山の方へ向かうルートになっています。
時間調整の間は運転士さんにとっても手持ち無沙汰なのか、ただ一人の乗客となった私にいろいろ雑談を振ってきたのですが、モノコックバスに乗りに来たことや昨日「風っこそうや」に乗ったことなんかを話していると発車時間になりました。こういう一コマもローカルバスならではですよね。
発車してしばらく走るともう風連の市街地は終わって田園風景が広がる北海道らしい景色に変わりました。
市街地と郊外の区別がはっきりしているのもまた北海道らしいといえばらしいですね。
列車の車窓から見ても、バスの車窓から見ても長閑でいい景色です。
途中の停留所ですが、「27線」みたいに数字だけで固有名詞がないというのは北海道ならではの停留所名ですよね。
特に開拓によって人が定住するようになった土地だと旧来からの地名が存在せず、地域の中心から順番に数字を振っていくやり方が合理的だったんでしょうね。
ちなみに、北海道でも比較的小規模な街では「~線」という名前が多いですが、ある程度大きな都市になると「西~丁目」とか「北~条」というように方角+数字になったりします。
防風林と思われる木々の間をすり抜けるように通る道路の景色もいいですね。
いわゆる青看ですが、同時に日向温泉の案内も出ていますね。士別へは直進ですが、私が乗った便も日向温泉へ立ち寄るので一旦寄り道する形で右折します。
はっきり分かるアップダウンもジェットコースターみたいで面白いw
山というのは大げさな丘を上がると大きな建物が見えてきました。
あれが日向温泉のようですね。
倉庫か何かにも「ようこそ」と書かれていました。
まあ、私はここでは降りませんけどねw
日向温泉に到着です。
ここは正式には「士別市日向保養センター」というらしく、日帰り入浴や食事にレジャーも楽しめるスポットのようです。
現在、公共交通機関でのアクセスは士別軌道のバスのみですが、日向温泉を利用する人はバスの運賃が無料になるらしいです。
その利用方法など詳細は不明ですが、自己申告制なんでしょうか。
雰囲気としては、昨日訪れた「天塩川温泉」に似ている気もしますね。
と思っていると、ここで地元の方と思われるご夫婦が乗ってきて、風連から続いた貸切状態はここで終わりました。
士別まであと9kmとなりましたが、バスは多寄を通って士別へ向かうので左折です。
路線名にもなっている多寄です。
同名の駅が宗谷本線にもありますね。
ここから走行するのは道北のメインルートと言ってもいい国道40号です。
国道40号は旭川から稚内へ至る国道で、ほぼ宗谷本線と並行する国道です。
また、239号も重複していますが、こちらは留萌から士別・名寄を経て紋別・網走へと至る国道で、道北を横断する国道となっています。
路肩を示す矢羽根と吹雪対策のバリケードは雪国の標準的な道路風景ですよね。
車窓から宗谷本線の列車が見えました。
いくら北海道の道路事情がよくても、流石に列車の方が早いですw
市街に入れば流石に他の利用者も乗ってくるだろうと思ったらそんなことはなく、一方で日向温泉から乗ってきたご夫婦が士別市街のバス停で降りていきました。
午前の便で温泉へ行って、ひとっ風呂浴びた帰りとかでしょうか。
降車の際にはそのご夫婦は当たり前のように運賃を払わず降りていき、運転士さんも当たり前のように見送っていたので、申告の有無に関わらず日向温泉から乗るか、日向温泉で降りれば運賃を徴収しないという運用なんですかね。
バス会社も慈善事業でやっているわけではないはずですから、無料にした分は士別市が負担するみたいな制度になっているんでしょうね。
本来なら温泉利用者向けの送迎バスを走らせるなどすべきところ、元々路線バスが乗り入れているならその運賃を無料にする形で事実上の送迎バスとして機能させるというのはなかなか賢いアイディアだと思いました。
この後はいよいよ目玉のモノコックバスです。
士別軌道のモノコックバスに乗る
ここまでは寄り道的な活動ばかりでしたが、いよいよタイトルにも入っている「モノコックバス」にお目にかかります。
私の乗りバス趣味は専ら”路線”を対象にしており、特定の車種を目当てに、しかも北海道という遠隔地まで赴くというのは初めてのことでしたが、「モノコックバス」の希少さを考えれば当然の判断でしょう。
まず、最初に「モノコックバス」について解説しておくと、そもそも「モノコック」とは何かというところから話せば、フレームを使わずに外板だけで車体の形を保つ強度を得る設計のことであり、現在でも乗用車や航空機では使われている構造です。メリットとしてはフレームがない分軽量化できるという点があり、特に重量にシビアになる航空機で取り入れられ、その後自動車や鉄道にも広まった経緯があります。
一時期はバスにもモノコックが普及しますが、外板全体で強度を確保するため、大きな開口部を設けることが出来ず、ドアの配置に制約があることや、窓の大型化が難しいこと、表面に大量のリベットが見えてしまい見栄えが悪いなどの理由から廃れてしまい、1980年頃からはフレームを使った構造のバスに取って代わられました。
このモノコック構造を持つバスは2019年現在、国内に4台が現存していますが、士別軌道以外の事業者は予備車的な扱いで保有しているのであり、運行は他のバスが点検などで使えないケースやイベント時などに限られており、毎日定期的に走っているのはここ士別軌道が国内唯一となっています。
余談ですが、最近じわじわと国内でも導入事例が増えてきている観光・高速バス向けの韓国・現代自動車製の「ユニバース」も実はモノコック構造なんだとか。これは私も調べるまで知らなかった事実ですが、技術の進歩なのか、モノコック特有の欠点は見られないようです。
そして、士別軌道にいるモノコックバスについてですが、1982年式の「K-RC301P」という車種で日野自動車製です。
長らく士別市の隣りにある和寒町が自家用として所有していましたが、1998年に士別軌道に移籍しました。移籍からしばらくは士別軌道側もそれほどプッシュしていなかったようですが、2014年から復刻塗装に塗り直され、春から秋にかけては平日の朝の通学時間帯に定期運行されるようになりました。
しかし、この定期運行は地元の学生向けの便であるため、士別市内に宿泊するか、旭川に泊まって宗谷本線の始発列車で士別へやってくるなどしなければ乗れない時間帯だったこともあり、バスファンなどから運行拡大の要望が出たそうです、これに応える形で昨年(2018年)から特別運行として遠方からでも乗りに行きやすい日中にも走るようになり、昨年は中多寄線の1往復で運行され、今年は朝日線の1往復で運転されているようです。今年の運行は6月1日~7月15日と8月17日~9月29日となっており、記事執筆時点では既に運行が終わってしまっているようですが、モノコックバスに重大な問題など生じなければ、来年の夏もまた運行されると思いますし、これ以外にも旅行商品という形でモノコックバスを使ったツアーが開催されることもあるようですので、興味のある人は士別軌道の公式サイトなどを要チェックですね。
ところで、運行期間が7月16日~8月16日の間は歯抜けになっているのが気になった方もいるでしょうが、これはモノコックバスが非冷房車であり、士別も盆地に位置する地理的条件もあって夏場は気温が上がることを考慮してのことだそうです。
士別駅から歩いても数分の至近距離に士別軌道の本社があります。
本社とは言いますが、営業所を兼ねていて、そもそも士別軌道の営業所はここ1箇所しかないようです。
営業所へ向かうのは、「創業100周年記念往復チケット」を購入するためです。
このチケットはモノコックバスが充当される士別~朝日間の朝日線往復乗車ができるチケットであり、発売価格は1760円で同区間の往復運賃と同額であり割引などはありませんが、乗車後のアンケート回答を条件にポストカードがもらえる上、モノコックバスの関連グッズを半額で購入できる権利があり、お楽しみ抽選会で当選すればグッズがプレゼントされる(しかもハズレはなく必ず何かしら当たる)という特典があるため、せっかく乗るならばこれを買ったほうがお得です。
社名の部分をアップにしてみました。
普通なら「~営業所」という文字も併記されそうですが、ここの場合営業所が1つしかないので固有の名称が必要ないということなのか、社名しか書いていませんでした。
ところで、社名からして勘付いた方もいるでしょうが、実は士別軌道は昔鉄道もやっていた時期があり、士別駅から奥士別というところまで762mm軌間のナローゲージの軌道を走らせていました。奥士別で接続する士別森林鉄道と連絡して、木材を士別駅まで輸送するのがメインで、旅客も一応は扱っていたみたいですが、時刻表では列車として掲載されていても実際にはバス便だったなんて逸話も残っているようで、旅客列車はほとんど運行されず、専ら貨物輸送をしていたのが実態だったようです。
1955年には旅客列車は全廃されてバスに一本化され、1959年には士別森林鉄道が廃止になり、輸送するべき貨物が無くなったため軌道線は廃止となり、士別軌道はバス会社となりました。そして、名士バスの士別営業所を引き継ぐ形で現在の路線網が出来上がりました。
気になったのは運行区間がステッカー貼りだったことです。
車両ごとに運行する路線がある程度決まっているとかでしょうかね。
入った瞬間からもうレトロな空間ですが、ここが営業所であり待合室も兼ねているようです。
運行系統図がありましたが、公式サイトでは時刻表に載っていない路線もあるので、廃止になった路線もかなり混じっていそうです。
ちなみに、士別軌道で一般の路線バスとして運行されているのは士別市内の循環線を別にすれば、さっき乗った中多寄線に加えて温根別線、そしてこれから乗る朝日線の3路線のみとなっており、これ以外に川西・南沢線、武徳線、北線、川南線がデマンドバスとして運行中です。
系統番号を用いない案内もこの路線の少なさゆえに成立するんでしょうね。
時刻表もありました。それにしても、士別を起点にする全路線が1枚に収まってしまうのはすごいですねw
そんな中で比較的本数があるのは朝日線であり、これから乗る路線でもあります。
実は朝日線はかつて士別軌道が運行していた軌道のルートに近い路線であり、士別軌道創業の地と言ってもいい路線だったりします。
あのガラポンが例の「お楽しみ抽選会」で使われるんでしょうね。
それにしても、バス営業所にガラポンがあるなんて初めて見ましたw
バスに関係あるものも、無いものもいろんなレトロな品々が並びます。
ダイヤル式の黒電話と公衆電話もありました。
私も電話機として使ったことはなく、実家の押し入れに仕舞われているのを見たことがある程度ですが、昭和を象徴するアイテムの1つなのは間違いないですね。
今の若い子なんてダイヤルの回し方も分からないんじゃないでしょうかw
それでは、窓口でチケットを買うとしましょう。
これがそのチケットです。
どうみてもハガキにしか見えない見た目は置いておくとして、これで朝日線のモノコックバスに1往復乗車できます。
乗車時に運転士さんから日付を入れてもらい、その日付のある日に限ってお楽しみ抽選会をやる権利があるということらしいです。
例えば、士別に1泊するようなスケジュールを組んでいたとして、初日にモノコックバスに乗って翌日抽選会を・・・みたいなことは出来ないってことですね。
まあ、普通はモノコックバスに乗ってすぐに抽選をするでしょうから問題にはなりませんね。
どちらかと言えば、使用済みのチケットを転売・譲渡して抽選だけやられないようにってことなんでしょう。
裏面はモノコックバスの写真が入っています。
・・・なんか、自宅のPCとプリンターでも作れそうだなw
でも、その素朴さも逆に親しみが湧きます。
まだ発車までは時間があるようなので車庫見学です。
ただ、許可を頂いたわけではないのであくまでも敷地外からですがw
でも、この会社なら一言断りを入れれば許可してくれそうではありますね。
モノコックバスが現役なくらいだから、他のバスも古いやつばっかりなのかと思っていたらノンステップバスがいて驚きました。
大方補助金で導入されたんでしょうけど、モノコックバスからノンステップバスまで揃っているのはバリエーション豊かですね。
気になったこれですが、足回りをメンテするときに使うジャッキ代わり?
この丸み、表面に浮き出るリベット・・・間違いありません。これがモノコックバスです!
日野は今でもバスを作ってはいますが、このエンブレムはもはや見ることは出来ませんね。
というか、今のバスってメーカーのエンブレムが目立たない事が多い気がします。
ついにモノコックバスの実物を見られてテンションが上っていましたが、後ろ姿だけでは物足りない・・・
どうせもう少し待てば顔を拝めるのは分かっているんですが、逸る気持ちから敷地周辺の道路をぐるりと廻ると・・・
なんとか顔が見えました!
聞けばモノコックバスは営業所の目の前に停まるそうなので、あとは朝日行きの運行を待合室で大人しく待ちます。
いくら希少なモノコックバスとはいえ、こんな普通の平日にわざわざ北海道まで馳せ参じるファンは私くらいのものかと思えば、別のバスファンとお見受けする二人組もいつの間にか営業所へやってきていて、どうやらモノコックバスに乗車するみたいでした。
免許維持路線みたいに極端に本数がない路線に乗りに行くと他のバスファンとかち合うのはたまにありますが、特定の車両が目当てでとなると、モノコックバスの人気の高さが伺えます。
そして、いよいよモノコックバスが乗り場へやってきます。
↑いよいよ登場です!
顔を出したと思ったら一旦バックしたのは、恥ずかしがったわけではなくて、カラーコーンが邪魔で曲がりきれなかったんでしょうねw
行き先表示はもちろんサボタイプ
あと、わざわざ「ワンマン」と表記されているのもポイントですね。鉄道では今でもワンマン運転の場合は車外に「ワンマン」と表記することが義務付けられていますが、路線バスについてはもはやワンマンではないバスがほとんど存在しない状況となったこともあって、現在は義務ではなくなっており、わざわざワンマンと表示するバスはかなり珍しいです。これもモノコックバスの歩んで来た歴史を物語っていますね。
車内です。天井が丸みを帯びていますし、リベットが車内からでも見えますね。
あと、窓枠の角が丸いのもモノコックならではでしょうか。
これは、角があるとそこに力が集中してしまうためだそうで、初期の航空機では窓の角に応力がかかったことが原因で金属疲労を起こし墜落に繋がったこともあったようです。
バスの場合は与圧による圧力もかかる航空機よりはまだ負荷は小さいでしょうが、それでもなるべく負荷がかからない構造が望ましいですしね。
車内に時計がある事自体はそんなに珍しくないですが、アナログ時計は初めて見ましたw
それでは発車です。乗客は私の他には例のバスファン2人組で合計3名となりました。
発車して1分も立たずにバスは停まりました。
ここは士別駅前の停留所のようですが、「西2条8丁目」という表示が目立って「士別駅前」の表記は小さくなっていますw
ここから何名か地元の方が乗ってきました。
ところで、営業所からの乗車は便宜上認めているだけで、実際の起点は駅前なんですかね。
羊と雲の丘という看板が出てきました。
そういえば、昨日の「風っこそうや」でも士別駅に停まった時に羊のキャラクターが出迎えてくれましたね。
あと、合宿の里でもあるらしいです。
中央通りというどこにでもありそうな名前の通りがありました。
北海道だと数字3桁の通りの名前が多い気がしますが、普通の名前がついているところもあるんですね。
市立病院に差し掛かりました。驚いたことにここからの乗車が多く10名前後の地元民が続々乗り込んできて車内の席は半分程度埋まりました。
時間帯的に午前の診療を終えて帰路に就くところなんですかね。
市街を抜けて郊外へ出ました。
中多寄線の時も思いましたが、市街地と郊外の変化が唐突ですねw
ところで、中士別や上士別では国内最大級の田んぼがあるそうですよ。
カントリーサイン発見!
ここから朝日町に入った・・・と言いたいのですが、自治体としての朝日町は2005年に士別市と合併したため、住所としての「士別市朝日町」は存在しますが、自治体としての朝日町は現存しません。
地元の方は途中のバス停で皆降りていき、終点まで乗り通したのは私と例の2人組の3名のみでした。
30分の乗車で朝日に到着です。
ここで10分間の折り返し待ちがありますが、この間が撮影タイムとなるのは言うまでもありませんw
昨年の中多寄線での運行では風連側での折返しが数分程度だったようなので、ゆっくり撮影できるという意味では朝日線での運行に変わって良かったのかもしれません。
後ろからの公式側
これで4方向揃いました。いやぁ、普段は撮りバスといいつつ、公式側だの非公式側だの気にしないで適当に撮っていることが多いんですが、これだけ貴重なバスだと思うとつい撮影にも熱が入りますw
今やノンステップバスが当たり前になりつつあり、ワンステップですら時代遅れな感じがするのに、ツーステップバスなんてもはや骨董品ですね。
隣にも士別軌道のマイクロバスがいました。
営業所にあった路線図では朝日から先にも路線があるような書き方になっていましたが、公式サイトの時刻表には載っておらず・・・
スクールバスか何かで使う車両なんでしょうか。
朝日の停留所はこんな広場になっており、待機や折返しも容易になっています。
公共交通機関で訪れるならここが玄関口ですが、観光客向けの町内マップがありました。
モノコックバス目当ての人はとんぼ返りしてしまうでしょうし、それ以外に路線バスで訪れる観光客ってどれくらいいるんでしょうね。
意外に立派な待合所がありましたが、実はこれかつての営業所だったそうです。
朝日営業所という名前でしたが、営業所撤退後は建物を待合所に転用しているみたいです。
現在は路線バスとしては朝日線しかありませんし、ここに独立の営業所を設ける意義は小さいですよね。
あれこれ撮影していたらもう発車時間なので車内に戻ります。
今度はマニア席を取れたので展望風景を貼っていきます。
これは朝日の市街地ですが北海道を旅しているとこれでも開けていると感じてきますね。
幟で一部が隠れてしまいましたが、「北海道道205号上士別ビバカルウシ線」という路線名に惹かれてつい撮影w
ビバカルウシは剣淵町内にある旧地名だそうですが、本当に国内なのかさえ疑いたくなる地名ですね。
あと、バス停が羊の形だったのに今気づきましたw
士別は羊肉の街というのは昨日の記事でも触れたとおりですが、バス停を使ってまでプッシュしているんですねw
↑あと、モノコックバスならでは・・・なのかは分かりませんが気になったことがあったので展望動画を撮りました。
何が気になったかというと、左折警報です。普通ならキコーンといった擬音で表せるような音だったり、ちょっと古いやつで電鈴の音だったりしますが、ここのはブザーの音なんですね。
この年式のバスでは当たり前だったんでしょうか。
これは私より一回りは上の世代とお見受けした例の2人組も反応していました。
士別市街に戻ってきて国道40号です。
やっぱり朝日町より都会感はありますねw
士別行きでは時間帯もあるので朝日行きの時ほどの利用者はありませんでしたが、それでも4~5名は一般の利用者がいたので朝日線は士別軌道の中では需要の多い路線なんでしょうね。
士別駅前に戻ってきましたが、バスは当たり前のようにそのまま営業所へw
どうせお楽しみ抽選会があって営業所へ行くだろうということでそのまま乗せてくれるサービスなんですかね。
モノコックバスとはこれにてお別れ。
また乗れる日が来るかどうかは分かりませんが、どうか末長らく走り続けてほしいですね。
このあとは営業所へ戻ってアンケートに答えたらいよいよお楽しみ抽選会です。
アンケートの方はどこから来たかとか、モノコックバスのことをどこで知ったかとか、どこに宿泊したかとか、士別市内で飲食したかといった内容で、一般的なアンケートの範疇の内容ばかりでした。士別市に関する質問もあったのは士別市に対してモノコックバスを観光資源として扱ってほしい意図もあったり?w
それではいよいよ抽選です。私はクリアファイルが当たりましたが、例の2人組は2~3個のグッズが当たっていたので私の場合は参加賞的な感じだったのですかね?w
まあ、クリアファイルならば荷物にもならないし、それでいて日常使いも出来るのであまりグッズには手を出さない私ももらって嬉しいグッズなので変に嵩張るものが当たるより良かったのかもしれません。
これにて一通りの活動は終わったので士別軌道本社を後にします。
例の2人組は車で来ていたみたいで、駅へは向かわずにどこかに駐めているであろう車へ向かったようです。
というわけで、士別軌道編はこれにて終了・・・しません!w
もうちょっとだけ士別軌道
終了しないとはどういうことかというと、まだ士別軌道のバスに乗るからです。
このあと名寄へ向かうわけですが、実は宗谷本線の列車がしばらくなく、いくら士別駅が初訪問とは言え、時間を持て余すだろうということで検討した結果、士別軌道の「外回り循環線」という市内循環路線に1周乗車すれば1周25分とちょうどいい暇つぶしになる上、160円の均一運賃で乗れるのでお手頃ですw
士別軌道の市内循環路線は全部で3路線あり、今回乗車する外回り循環線は通年運行ですが、残る「内回り循環線」と「西周り循環線」は冬季のみ運転で、前者が11月1日~4月30日、後者が11月1日~3月31日の運転となっています。冬季運休はよく聞きますが、冬季のみ運転は珍しいですよね。
積雪で車の運転が難しくなるのでバスの需要が増えるとかが理由でしょうか。
ちなみに、内回り循環線については外回り循環線の逆周りというだけでルートは全く同じですが、西周り循環は単独区間もあるため、冬季しかバスが利用できない地区が存在することになりますね。
内回り循環線・外回り循環線は30分ヘッド、西回り循環は1時間ヘッドとなっており、地方都市としては頑張っている方だと思います。
なんとやってきたのはハイブリッドバスw
ノンステップバスがいるだけでも驚いたのにハイブリッドバスまでいるとは、本当に士別軌道はバスのバリエーションが豊富ですね。
ちなみに、このハイブリッドバスもモノコックバスと同じ日野製ですが、30年以上の年式の差のあるバスの乗り比べになりましたw
ところで、この外回り循環線ですが、地方のバスにしては珍しく運賃先払いの前乗り後降りを採用しているんですが、これを知らずに後のドアから乗ろうとしてしまい、地元のお年寄りにバスの乗り方の手ほどきを受けることになりましたw
要するに東京の23区内のバスと同じ方式ですが、まさか北海道で遭遇するとは思いませんでしたね。
この路線は当然ながら地元民向けの路線であり、余所者が乗るのは珍しいようで、長期遠征の大荷物を抱えた私を見て「そんな大荷物でどこ行くの?」なんて声をかけられる始末w
ちょっと肩身が狭いですが、別に余所者だから乗っちゃいけないなんてことはないはず、堂々と乗りバスさせてもらいましょう。
中多寄線・朝日線と乗ってきて、この地域のバスはガラガラがデフォだと勝手に思っていたのですが、外回り循環線についてはそれは当てはまらないようであり、乗客が降りてはまた乗ってくるので常に座席の半分以上は埋まっていたと思います。それでいて30分ヘッドで運行されているのですから、士別市街に限ればバスの需要は都市部の郊外路線並みにはありそうですね。
そのため、車窓なんかを撮る余裕はありませんでした。まあ、街中しか走らないので車窓的な見どころがあまりなかったのもありますがw
1周乗車して士別駅に戻ってきました。
モノコックバスの印象が強すぎたこともあって、外回り循環線はあまり印象に残らなかったのですが、感想としては普通の路線バスでしたね。
それでは、今度こそ士別軌道編は終わりで、旅を進めていきましょう。
士別駅
今度は初訪問となる士別駅のレポートです。
既にバスの車窓として何度か貼りましたが、こちらが士別駅の駅舎です。
試験研究のまちとありますが、トヨタやダイハツといった名だたる自動車メーカーが開発中の車のための試験場を構えているそうです。
郊外に出れば起伏のある地形もあったり、夏場は温暖で冬場は積雪と言ったいろんな条件でテストできるのが魅力なんでしょうか。
今や絶滅危惧種と言っていいだろう駅の伝言板がここにはありましたが、書かれている内容はメッセージばかりw
それも利用者が勝手にやっているんじゃなくて、右上に書かれているように士別駅の公式な取り組み(?)として伝言板をメッセージボードにしているようですね。
そして、その内容の「風っこそうや」率の高さw
まあ、今や携帯が普及して伝言板を本来の目的で使う人は皆無でしょうし、せっかく残すならばこういう使い方もありでしょうね。
窓口の隣に改札があり、自動改札はないという地方駅の標準スタイルです。
近距離利用者についてはいちいち窓口へ行かなくていいように、自動券売機もありました。
食券を売っていそうな簡易型ですけどねw
士別翔雲高校の生徒たちが作ったというディスプレイがありました。
ペーパークラフトみたいですが、よく出来ていますよね。
翔雲が瑞雲に見えたのは私だけでいいですw
アート作品がありましたが、ここでも羊推しw
今更ながら外回り循環線に乗らずにジンギスカンを食べに街に繰り出してもよかったななんてw
改札周辺です。顔出しパネルがあったりして、観光ムードの漂う駅ですね。
ここも昨日は「風っこそうや」のお出迎えで賑わっていましたが、今日は閑散としています。
ところで、この顔出しパネル・・・顔を出す穴がキャラクターの口の中にあるので、実際に顔を嵌めて撮ると、キャラクターに食べられているみたいになりません?w
それにしても、羊推しがすごいですね。
こうして、私の心の中には、北海道滞在中に必ずジンギスカンを食べるという決意が生まれたのでしたw
ふと見るとこんな貼り紙がありました。
1919年製だって!?
矢印がいまいちどこを指しているのか不明瞭でしたが、多分これが1919年製のレールなのでしょう。
昔、鉄がまだまだ希少品だった時代は摩耗して使えなくなったレールを駅などの鉄道関連施設で建材として再利用するケースが多くあり、歴史のある駅では廃レールがそのまま残っていたりもしますが、これもその1つなのでしょう。
2・3番線のホームを撮ったら駅取材はこのくらいにしましょう。
なんだか駆け足になってしまいましたが、北海道特有の事情として、列車別改札を徹底しているので発車時刻が近づかないとそもそもホームへ入れてもらえないため、構内の撮影は駆け足になってしまうんですよね。
これも外回り循環線で暇つぶしをした理由の1つです。
バスを乗り継いだ復路では名寄から士別の道のりは遠く感じましたが、この特急「サロベツ」が私をたったの16分で名寄へ連れて行ってくれます。
特急なら名寄は次の停車駅ですが、1区間だけの特急利用なんて贅沢ができるのも北海道フリーパスの恩恵ですね。
名寄の「キマロキ編成」を見る
「サロベツ」に乗って名寄へやってきました。ここからは深名線に乗りますが、それまで時間があるのでその間に「キマロキ編成」を見に行きます。
「キマロキ編成」というのは、昔活躍していた排雪列車のことであり、名寄駅の近くにフル編成が揃う形で保存・展示されており、昨日の「風っこそうや」の車窓からも見えましたね。
今度は間近に近寄って見学します。
ただ、列車に乗っていると本当に名寄駅のすぐ近くという印象ですが、歩くとこれが意外と距離があり、15分~20分はかかったと思います。
大荷物に加えて、これまでの活動の疲労から足にもダメージが蓄積していた中では辛いものがありました。
見えてきました!
ただし、写真だと近く見えるものの、間に宗谷本線の線路が横切っており、踏切はキマロキ編成を少し通り過ぎた場所にしか無いため道のりとしてはもうちょっとあります。
見えているのにまだ着かないのは精神的に来ますねw
「キマロキ」と看板が立っていますが、宗谷本線の車窓から見た時にちょうど車両と重なる位置に設置されているらしく、このアングルからだと最後尾の機関車しか入りませんw
ここで「キマロキ編成」について解説しておきましょう。
「キマロキ編成」とは、排雪列車の1つですが、通常の除雪で使われるラッセル車は単純に線路上にある雪を線路脇に押し退けるだけなので、あまりに雪の量が多い場合は押し退けた雪の壁がたちまち線路上へ崩れてきてしまって除雪にならないという事態が起きます。
このことへの対策として生まれたのが「キマロキ編成」であり、キマロキという言葉の意味は”キ”が機関車、”マ”がマックレー車、”ロ”がロータリー車、最後の”キ”もやっぱり機関車を意味しており、機関車+マックレー車+ロータリー車+機関車という構成になっています。
先程述べたようにラッセル車である程度除雪して線路際に雪の壁が出来上がっている状況でキマロキ編成は出動し、マックレー車が左右に伸ばした羽根を使って雪の壁を崩して寄せ集め、その後続のロータリー車が高速回転するブレードで雪を遠くへ投げ飛ばすことで雪の壁を無くしてしまうわけです。
先頭と最後尾は機関車ですが、雪を寄せ集めてから投げ飛ばすという作業をしながらの走行は大きな負荷がかかるため、2両の機関車で強力に推進していたというわけです。
なお、実際の作業時には機関車+マックレー車とロータリー車+機関車の編成に分割して、キマとロキという状態で走ることが多く、この場合、キマとロキはある程度距離を開けて追従走行していたようです。これは閉塞における1列車の原則に反することになりますが、キマロキ編成に限っては分割して走っていても1つの列車とみなす特例があったらしいです。
そんなキマロキ編成ですが、除雪用のディーゼル機関車が登場すると次第に出動する機会は減少し、多くは役目を終えて引退していきましたが、この名寄市北国博物館に隣接する敷地ではキマロキ全てが揃う形で保存・展示されており、準鉄道記念物にもなっているそうです。
それでは現地レポート再開ということで、腕木式信号機です。
このキマロキ編成がいる場所はかつての名寄本線の線路敷だったようですが、この信号機も名寄本線で使っていたんでしょうか。
キマロキの順番とは逆になってしまいますが、最後尾の車掌車から
実際のキマロキ編成でも最後尾に車掌車が連結されるケースはあったようです。
後を振り返れば炭水車が見えます。
実際に運行される時はここには石炭が山積みになっているはずですが、これを絶えずシャベルでボイラーへ焚べていたわけですから、機関助士の苦労が忍ばれます。
天塩弥生駅の駅名標がありましたが、天塩弥生駅は深名線にあった駅のようです。
これはレプリカだそうですが、深名線は1995年に廃止になっており、JRの駅名標なのは正しいです。
随分とリアルな顔出しパネルがありましたが、これって現役時代に乗務していた機関士さんが所蔵していた写真を加工したとかでしょうか?w
続いてはロータリー車です。
・・・決してマツダ製じゃないですw
これも中にはいれました。
外観は箱型でしたが、内部にはSL同様のボイラーが備えられており、羽根を回す動力源となっています。
走行用のボイラーと比較しても劣らないサイズですが、雪を跳ね飛ばすのはこれだけの力が必要ってことですかね。
こうしてみると車内に小さな蒸気機関車が入れ子のように入っているように見えます。
何に使うものなのか分かりませんが、妙に男心をくすぐられるメカですねw
と思って覗き込むと・・・あ、これ見たことありますw
エアーコンプレッサーですよね。電車の床下によく付いていますが、これは塗装などの作業用の小型のやつではないでしょうか。
しかし、なんでこんな場所に・・・と思っていると、昨日目にした光景がふと蘇りました。
↑動画でいうとこれです。
実は昨日「風っこそうや」でキマロキ編成の近くを通った時、SLの汽笛を鳴らしてくれるという演出があり、ボイラーを稼働させずに汽笛を鳴らすには何らかの圧縮空気を供給する手段が必要ですからそのためのエアーコンプレッサーだったのではないかという推理です。
このように完全に車内に据え置かれていることを考えると、あれは「風っこそうや」のために特別に実施されたというよりは、日頃からイベント時などに汽笛を鳴らすことがあるんでしょうね。
こちらがロータリー車がロータリー車たる命ともいえる羽根の部分です。
ここが高速回転してマックレー車によりかき集められた雪を粉砕しながら吹き飛ばします。
そのロータリー車に雪を寄せ集めるのがこのマックレー車です。
こちらは左右に開いた板状の翼を持っていて、これが物理的に雪を寄せ集める仕組みなので動力は持っておらず、機関車の牽引力を使って除雪していくことになります。
動力がないためボイラーも不要であり、車体は小柄ですね。
銘板はこんなところに付いていました。
日本国有鉄道の文字がかっこいいです。
先頭の機関車は最後尾がD51だったのに対して、9600形という別形式です。
こちらも運転台に入れました。
ここを見ただけで形式が分かるならかなりのマニア度ですが、残念ながら私はその境地までは達していませんw
あえての真正面w
これだとキマロキ編成の写真というより9600形の写真ですが気にしないw
何故か勾配標がありました。
これも展示の一環なんでしょうか。
当然ながらキマロキ編成についての解説板もありました。
かなりの情報量で私が書いた解説より詳しいと思いますが、この解像度だと視力の弱い方は虫眼鏡で見るようになってしまいますかね・・・
内容が気になる方向けに高解像度版も用意しましたので、よろしければご覧下さい。
それにしても、SLの動輪やら銘板もついていてデザイン的にもこだわっていますよね。
裏面は「祝キマロキ保存40年」と入っていました。
実はこのキマロキ編成は国鉄時代に役目を終えて名寄市に貸与されており、その後名寄本線の廃止により廃線跡を広場として、そこにキマロキ編成を保存することになったようです。
今でこそ宗谷本線しか乗り入れない名寄ですが、かつては名寄本線・深名線が分岐する駅であり、名寄も鉄道の町としての顔があったようです。それゆえキマロキ編成の保存にも力を入れているんでしょうね。
最後に広場の全景を撮ったら撤収です。
隣接する北国博物館にも興味がありましたが、時間の関係で断念です。
また、驚いたのは平日だというのに私の滞在中にも2~3組はキマロキ編成を見学に訪れる人がいたことであり、やっぱりキマロキ編成が完全な形で残っているというのは全国各地からファンを集めているんですね。
それでは、お次は深名線です。
JR北海道バス深名線
モノコックバスと並んで今日の活動の目玉となる深名線です。
駅前にあった「よろーな」という駅前交流プラザにやってきました。
ここは貸し会議室、イベントスペース、観光案内所などが集まる施設となっており、バスの待合所としても利用可能なんですが、時刻表も全路線分用意されています。
名寄にはかつてはこれから乗る深名線の他に名寄本線という鉄道も乗り入れており、これの代替バスもあり、旭川や札幌への都市間バスもあり、バスターミナルと言っていいくらいの路線数はあります。
LED幕の車両も来ましたが、ローマ字表記しないのは地方ならではでしょうかw
こちらは名寄市のコミュニティバスのようです。可愛らしい小型のバスですね。
お、深名線のバスですね。まだ発車時間まではしばらくあるので、一旦どこかで待機してから改めて私が乗る便になるんでしょうか。
そして、こちらがJR北海道バスのバス停です。
名寄へやってくるJR北海道バスは深名線だけなので、深名線も必然的にここから出発です。
路線図ですが、長大路線バスのメッカといえる北海道でも長い部類に入りそうですね。
そして、時刻表です。時刻表が2枚あるので、普通なら平日と土休日かなと思いますが、夏ダイヤと冬ダイヤで分かれているようです。
夏ダイヤと冬ダイヤなんて飛行機みたいですが、冬季は積雪で夏よりスピードを落とす必要があるからとかが理由でしょうか。
なお、名寄駅については夏も冬も発車時間は変わらないようですが、いずれも1日4本w
それも朝の1本は休日運休なので休日は3本ということになります。
また、基本的に幌加内で系統分断となっており、ダイヤ上は名寄~深川を走破する便は設定されておらず、深名線を乗り通すためには必ず幌加内で乗り換えが発生します。
尤も、名寄から深川なら特急「宗谷」が直通で結んでいますし、特急「サロベツ」や快速「なよろ」で旭川に出て、函館本線の「カムイ」「ライラック」や函館本線普通列車に乗り換えるルートも含めれば本数もそこそこ確保されているわけで、わざわざ深名線を使うのはバスマニアくらいのものでしょうから、これで問題ないんでしょうねw
ここで時間になったようでバスがやってきました。
ところで、この車両はメルファというやつですが、メルファって基本的には観光バスや送迎用などの自家用向けの車両であり、路線バスとして使われるのは非常に珍しいです。
自主運行バスとかコミュニティバスなんかではたまに見ますが、そうでない純粋な路線バスとして使っている、ましてやそれに乗ったというのは今回が初めてとなりました。
行先表示も撮ったら乗り込みます。
「よろーな」には学生さんが結構バス待ちをしていたので、何人かは乗ってくるだろうと思ったら乗客は私だけでした。
地方のバスに乗るとありがちな展開ではありますが、私だけの貸切状態で深名線の旅が始まりました。
ここで、深名線について解説を入れてからレポートを進めるとしましょう。
まず、鉄道時代の深名線についてですが、深川と名寄を幌加内経由で結ぶ全長121.8kmの鉄道でした。深川~名寄間は函館本線・宗谷本線でも結ばれており、これらの路線のバイパス線となる立地ではあったのですが、そもそも深名線経由は旭川経由に比べて10km以上も遠回りであり、急勾配箇所が多く、線形の低さから高速運転にも向かないなどの条件から函館本線深川以西と宗谷本線名寄以北を短絡するような役割を果たすことはありませんでした。
沿線のダム建設時には工事用の資材を運んだり、沿線で伐採された木材の運搬、羽幌炭鉱の石炭輸送と言った役割を担い、更には沿線の雨竜ダムが作り出した朱鞠内湖は観光地として人気を集めるようになり、一時はこの観光客輸送でも活躍した時代もありました。
しかし、1960年代に入ると安価な輸入材の台頭もあり、林業が衰退し、石炭産業の斜陽化による炭鉱自体の閉山などもあり、沿線地域が人口減少を迎えるようになり、更には道路の改良にモータリゼーションも追い打ちをかけるようになると、深名線の利用者は減少の一途を辿り、木材や石炭の輸送も無くなってしまうと、1970年代にはいわゆる「赤字83線」として廃止対象になりました。この時は沿線自治体の廃止反対運動の成果か廃止を免れますが、後の特定地方交通線においても廃止候補として上がりました。しかし、この時も冬季における代替道路が整備されていないことを理由に廃止を免れ、そのまま国鉄分割民営化によりJR北海道へ継承されました。
しかし、JRに継承されたわずか3年後の1995年、この頃には既に並行道路の整備が進んでいたこともあってJR北海道は深名線の廃止を沿線自治体に対して通告し、この時に代替の交通手段として路線バスの開業をJR北海道自身が行うこととして設定されたのが現在の深名線です。
なお、当初はJR北海道の直営でしたが、2000年にJR北海道がバス部門を分社化してJR北海道バスが誕生しています。(正式な表記は「ジェイ・アール北海道バス」ですが、長いので記事内では「JR北海道バス」としています)
面白いのは国鉄線やそれを引き継いだJR線が廃止になった場合の代替バスは、元々その沿線を事業エリアとしていた民間のバス会社が運行するケースが多い中、深名線についてはわざわざ深川に営業所を開設してまでJR北海道自ら代替バスを走らせていることですが、これはそもそも深名線沿線に路線バスを走らせている事業者が皆無だったことが理由だと思われます。
1950年代に道北バスが幌加内~和寒間、名士バスが添牛内~士別間にそれぞれ路線バスを開設したことがありましたが、いずれも数年で廃止されており、深名線に並行するバスも深川~多度志間に北海道中央バスの路線があった程度で、ほぼ皆無と言ってもいい状態だったようです。
そのため、代替バスの運行を打診しようにも妥当なバス会社が見当たらなかったとも言えますし、仮に近隣のエリアで営業する空知中央バスや道北バスと言った事業者に打診するにしても、深名線の鉄道末期の輸送量を鑑みると、見込める利益も小さく手を上げるバス会社が現れなかった可能性もありますね。
深名線の廃止時は沿線自治体はやはり反対の姿勢を見せており、もし代替バスの運行の目処が立たないなんてことになれば、自治体側はますます強硬に廃止反対の姿勢を取ることは明らかでしたし、それならば自前で運行することで鉄道廃止をスムーズに進めたい思惑もあったかもしれません。
ところで、今まで深名線はJR北海道バスが運行していると書きましたが、実を言うと、2002年からは実際の運行や管理を道北バスへ委託しており、JR北海道バスの深川営業所自体、既にJR北海道バスの職員は配置されていない状態らしいです。ただし、営業上は今でもJR北海道バスの路線なので、同じJR同士ということでか、北海道フリーパスで乗車できたりはします。
それではレポートを本筋に戻して乗車レポートに戻りましょう。
貸切状態なので遠慮なくマニア席に座らせてもらいました。
最初は名寄の市街を進む普通の路線バスの景色が続きます。
バス停のポールが3本も並んでいますが、市立病院というところでした。
市街を走る間に何名か乗ってきて乗客3名となりました。
都会のバスと比べれば空気輸送同然の利用者数ですが、士別軌道の路線にも乗った同日中だったこともあって、他の乗客がいるだけで賑わっている気がしてきますw
バスは天塩川にかかる橋を渡って行きます。名寄市街もこのあたりまでで、あとはもう見慣れてきた北海道の田園風景となります。
稲川商店前というローカルすぎるネーミングのバス停w
下手をすると個人宅が停留所名になっていたりもしますから、商店はまだまともな方?w
続いて出てきたのはライスセンター前というバス停。
ライスセンターとは、お米を貯蔵する場所とかでしょうか?
いかにも農業倉庫っぽい建物が出てきましたが、これがそのライスセンター?
両側が開けているためそんなに圧迫感はないですが、バスが走るにしては狭いかなという道もありました。
名寄市街から幌加内へは道道が通じていますが、あえてその道道を通らない区間もあるようで、道道から外れた集落にもこまめに立ち寄るルート設定なんですかね。
続いて出来たのは天塩弥生です。もしかしなくても駅名がそのまま停留所名となっており、こういう名前のバス停が出てくるのは鉄道の廃止代替バスならではですよね。
ところで、どっかで聞いた名前だなと思って写真を撮りましたが、(実際の活動時間としては)1時間ほど前に見たキマロキ編成の広場に駅名標があったのでした。
ちなみに、駅自体は完全に解体され現存しませんが、跡地には2016年にオープンした民宿が営業しており、その建物は北海道のローカル駅の駅舎をイメージした設計になっているそうです、運営しているご夫婦は元鉄道マンだったりと、なかなか濃厚な鉄分が味わえそうなスポットです。
昼間はレストランとしても営業しているらしいので、機会があれば行ってみたいですね。
いつしか堂々たる2車線道路に出ました。普通の田舎道の光景ですね。
農免農道という聞き慣れない名前が出てきましたが、まず農道についてはそのまま農業用の道路であり、見た目は普通の道路と変わらないですが、これは道路法には準拠しておらず、管轄も国土交通省ではなくて農林水産省となっているなど、一般の国道や都道府県道とは全く異なる制度に基づく道路です。
そして、一番気になる”農免”の部分ですが、これはトラクターなどの農業機械や漁業で使う機械のために使用するガソリンが関係する制度であり、ガソリンには主に道路予算とすることを目的に揮発油税が課せられているわけですが、これはあくまで公道を走行する自動車の燃料として使う場合のみ課税されるべきもので、主に農地内で使用される農業機械の燃料として使う場合は課税されないのが本来の制度です。しかし、ガソリンを販売する際に自動車に給油するのか、農業機械に給油するのかを区別することは容易でなく、利用者サイドで自動車に給油しないことを証明するのも非現実的です。
そこで、本来払う必要がない税金を払っている農家のために、農業機械用に購入されたガソリンに課された分の税金を財源にして農道整備に使うことで課税免除の代替とする制度があり、これによって作られた道路を「農免農道」あるいは「農免道路」と呼ぶのだそうです。
完全に道路行政の話になってしまいましたが、道路の世界も奥が深いですね。
あと、農道を走る路線バスというのも新鮮ですw
幅員減少の標識を見るとテンションが上がるのはバスマニアか酷道ファンくらい?w
でも、狭くなると言っても橋の上だけみたいですし、乗用車にとっては全然狭いうちに入らない道幅ですね。
そんな農免農道もこの突き当りで終了します。
そこそこ道幅もある道路同士の交差点で信号がないのも北海道らしい?w
ここからは道道688号名寄遠別線という道路で名前の通り名寄と日本海側の遠別を結ぶ道路ですが、幌加内町と遠別町の間の峠区間は未開通となっており、実質的には名寄と幌加内を結ぶ道路になっています。
この先は峠越えのようで勾配もカーブも増えて山岳道路の様相に変化していきます。
通行止め用のゲートに道路情報表示板が出てきて、遠くには覆道まであるという山岳道路の全部乗せ状態ですねw
この先のトンネルを抜けると名寄市から幌加内町へと入っていきます。
ところで、道路ですらそこそこ長いトンネルで越えるこの峠ですが、鉄道時代の深名線もどこかでトンネルを穿っていたんでしょうね。
残念ながらここまで鉄道の廃線跡と思しき遺構には出会えていませんが・・・
トンネルを抜けて幌加内町へ入ると牧場前というバス停が出てきました。
これまたアバウトですが、その地区には牧場が1軒しかないとかなら場所の特定はできるのでありなんでしょうか。
なんか急に駐車場の案内が出てきました。
普通は景色のいい場所とかに作りそうですが、ここは田園風景が広がるとは言えわざわざ車を止めて眺めるほどか?という場所。
これは長距離ドライブで疲れた時の休憩用という意味合いが強いんでしょうね。
私も5月にレンタカーで北海道を旅した時は長距離ドライブの苦労を実感しましたしw
しばらく進みかつて深名線の北母子里駅があった母子里という集落で道道688号とはお別れして、国道275号に入ります。
鉄道時代の深名線は母子里から更に先の蕗ノ台というところまで道道688号に並行するルートでしたが、バスは朱鞠内湖を南東に迂回して朱鞠内を目指す国道275号のルートを取っています。
これは蕗ノ台~朱鞠内には道道528号蕗ノ台朱鞠内停車場線という道路が通じていますが、大半の区間は未舗装の林道同然の状態であり、そもそも崖崩れで通行止め状態にあるなど、廃道に近い状態になっているようで、迂回せざるをえないのが実情でしょう。
ただし、鉄道時代も北母子里~朱鞠内間には4つの駅および仮乗降場があっただけであり、そのうちの3つは鉄道廃止以前に廃駅となっていますし、鉄道廃止まで存続していた湖畔駅もバスが朱鞠内から一旦国道を外れる形で代替となる停留所を設けているので利用者的にはこの区間に並行してバスが走らないことに寄る不利益はないようです。
道道729号朱鞠内風連線との交差地点です。
このあたりは元々鉄道沿線だったわけではありませんが、かつて深名線の駅があった添牛内という名前が出てきました。
車窓右手には朱鞠内湖が見えていました。
深名線沿線で唯一と言ってもいいであろう観光資源ですが、深名線も夏季(6月1日~8月31日)の間は湖畔という停留所まで一部便の延長運転をしており、観光客もある程度は意識したダイヤになっているようです。
エンジン橋なんて変わった名前のバス停が出てきました。
すぐ手前に雨竜川にかかる橋があるのでその名前がエンジン橋なんでしょうが、なんでそんな名前なのか由来は不明です。
こんな観光ムードたっぷりな看板が出てきました。
左に行けば幌加内市街、右へ行けば朱鞠内湖畔キャンプ場だそうですが、バスは一旦右折します。
かつて深名線の湖畔駅があったあたりにバスは三股というバス停を設置しており、それは今走っている国道275号からは外れるため、道道528号に入って寄り道します。
まどか前というところから三股までは行ってまた戻る形となり、三股で降りない人はまどか前を2回通過することになります。
キャンピングカーとすれ違いました。朱鞠内湖畔キャンプ場を利用する(した)人でしょうか?
バスはいきなり道路を逸れたと思ったらこんな広場に突っ込んで方向転換しました。
方向転換して道道に戻るとそこに三股バス停があります。
なお、前述の通り夏季は一部便が三股から更に湖畔というバス停まで延長運転されますが、その場合はさっきの転回場を使わないで進むのでしょうね。
厳密な意味での路線完乗を目指すならば夏季に訪れてその区間も乗車する必要がありますが、今の所、私はバス路線については完乗を目指しているわけでもないのであまりこだわりませんw
ところで、この三股バス停の至近にはかつて湖畔駅というのがありましたが、実際には湖畔に出るまでは徒歩で30分以上かかっていたようであり、バス停名にするに当たっては本当に湖畔にある湖畔停留所を新設したため駅名を踏襲できなくなって三股という別の名前にしたんでしょうね。
あと、駅があったということは当然深名線はここを通っていたことになりますが、廃線跡だと気づかないほど自然に還っていました。
まあ平地だとレールやバラストが撤去されてしまえばわかりづらくなってしまうのはありますけどね。
何かと思えば雷注意報とのこと。注意報レベルでも道路情報表示板に表示されるんですね。
そして、朱鞠内に到着です。朱鞠内湖の由来となった地名ですがかつては朱鞠内駅がありました。
鉄道時代はここで運行系統が分断されていたそうですが、バスになってからは幌加内が運行系統の境界になりました。
なお、幌加内~朱鞠内間は平日限定で区間便が夕方に1往復設定されています。
ここで私以外の乗客は降りていってついに貸切状態に戻りましたw
ちょっと立派なバス待合所がありますが、この場所はそのままかつての朱鞠内駅の場所だったようです。
ところで、この待合所の反対側には線路と駅名標が残っていたようなのですが、気づきませんでした・・・
朱鞠内の市街地を抜けると道幅は元に戻ってトンネルも出てきます。
ルオント前というこれまた変わった名前のバス停が・・・!
調べてみると「せいわ温泉ルオント」という施設のことみたいで、実はこれも深名線とちょっとだけ関係のあるようです。
どういうことかというと、元々政和温泉は1918年に開業した温泉宿が起源ですが、経営不振により廃業してしまいます。その後1962年に温泉成分に有効成分が含まれることや深名線の「下政和仮乗降場」が近いことから交通の便もよいということで、廃業した宿の後継者や町の有志で新たな温泉旅館を開業させました。この時に深名線の仮乗降場も旅館の近くへ移転され名前も「政和温泉仮乗降場」となりました。
しかし、それも1981年より休止してしまい1986年には建物を解体の上、完全な廃業となりました。仮乗降場の方はしばらく存続し、JR北海道へ継承されると仮乗降場から臨時駅へ昇格しますが、1990年に深名線の廃止を待たずに廃駅となりました。
かつて存在した政和温泉駅やその温泉旅館と、現在のせいわ温泉ルオントは場所は違うようですが、同じ政和温泉を名乗る意味では繋がりはありますよね。
道の駅「森と湖の里ほろかない」というのも出てきましたが、どうやら「せいわ温泉ルオント」はこの道の駅に併設という形みたいで、日帰り入浴や食事、物販にログキャビンに宿泊も出来る多機能な道の駅のようです。
幌加内はそばの有名な産地ですし、クルマの旅だったらきっと立ち寄っておそばを食べているでしょうねw
いっそ途中下車しても良さそうですが、私が乗っている便の後続は3時間も後であり、しかもそれで幌加内へ行っても深川への乗り継ぎはできないため今日は幌加内で足止めになってしまうこともあり却下w
ふと車窓を眺めているとこんな看板が・・・
え?残っているの!?
ちゃんと架かっているどころか、塗装も綺麗なまま。
1995年まで使われていたわけで、24年前に廃止されたことを思うとちょっと綺麗すぎる気もしましたが、調べるとこの橋は土木学会の土木遺産に指定されているようで、保存会が組織されて今でも雪下ろしといった手入れがされているようです。
確かにこの豪雪地帯で完全放置ならもっとあちこち壊れていてもおかしくないですよね。
ここまで分かりやすい廃線跡がなくてちょっと退屈を感じていたわけですが、思わぬ発見にそれも吹き飛びました。
あとは単調な車窓風景が続きましたが、対面通行の一般道で追い越されるのも北海道らしいかななんてw
と思ったらトラックまで追い越しw
北海道は市街地やカーブの多い峠付近を除いては追い越しOKな道路が多いですが、それだけ直線が多くて交通量が少ないってことでもありますね。
朱鞠内行きの深名線バスとすれ違いました!
この朱鞠内行きは1日1本だけであり、土休日運休なので学生の下校用なんでしょうね。
名寄を出て2時間弱で幌加内へ到着です。
もうお腹いっぱいな気分ですが、深名線全体からすればまだ半分しか来ていないんですよねw
この建物は「幌加内交流プラザ」でして、事実上のバスターミナルですが、観光協会・商工会が入居する他、蕎麦の産地だけあってお蕎麦屋さんも入っている複合施設となっています。
また、「深名線資料展示室」なるものも設置されているようでこれは是非とも見学したかったですが、私が到着した時間では既に閉まっているようなのでいつか再訪した時の宿題ですね。
乗り場は建物内にあってバスターミナルらしい造りです。
ここでこのバスは終点ですが、私のことをバスマニアと判断したであろう運転士さんから、「深川まで行くつもりなら、このバスがそのまま深川行きになるからそのまま乗っていていいですよ」というようなことを言われました。
とはいえ、トイレも行きたくなっていたし、ずっと座りっぱなしで歩き回りたい気分でもあったので一旦降りることにしました。
既に深川行きに変わっていました。
快速というのが気になりますが、多度志というところから深川の間をノンストップで走るのが快速で、この間にある9つのバス停はすっ飛ばします。
ただ、所要時間的には幌加内→深川を快速便が1時間7分で走るのに対して、各停便が1時間13分とたった6分しか所要時間が変わらないことを考えると存在意義が微妙w
平日の学校がある日限定で走る朝の1本は多度志で、多度志→深川の区間便と接続しているので遠近分離の意味合いかなと思いますが、それ以外の快速便は各停便との接続は一切ないことを考えると快速運転区間内のバス停の利用者は乗車機会を奪われる形になりますし、それでいて6分しか早くならないんじゃあ・・・w
余談ですが、深川~多度志間には空知中央バスによる路線バスも出ていて、それの利用者を奪ってしまわないようにという配慮で途中バス停に停まらないようにしているんじゃないかという仮説も立ててみましたが、空知中央バスの多度志線は1日にわずか3本しか走っていない上、深名線が快速運転をする時間帯に入れ替わりで走っているわけでもないし、そもそも多度志~深川間の経路では深名線が道道875号を使うのに対して、多度志線は道道281号を使うみたいで全く別経路なので競合関係は多度志と深川を相互に行き来する人に限定されるなど、既存事業者への配慮説は当てはまらないと思いました。
バス停のポールを撮ったらトイレを借りてそのままバスに戻ります。
ほぼ定刻通りに幌加内に到着しましたが、それでも10分しかありませんから、あまりゆっくりは出来ません。
どっちみち深名線資料展示室も開いていませんし、あまり長く停まられてもすることないですしねw
発車間際に一人掛けこんできたので今度は貸切状態は免れると思ったら、「名寄行きは?」と運転士さんに尋ねていました。
実は幌加内から名寄方面のバスはさっきすれ違った朱鞠内行き(幌加内発17時48分)が最終となっており、この時間帯に名寄方面のバスはありません。
その人はどこへ行きたかったのか分かりませんが、もし名寄まで行きたかったならタクシーを使えばとんでもない金額になるでしょうし、今日中の移動は諦めて明日の始発を使うしかないですよね。
ちなみに、逆に深川行きなら私が乗った便のもう1本後もバスがあり、本数自体も名寄方面より多い7往復になっています。
というわけで、今度も貸切状態で旅を再開です。
私もすっかり疲れていましたし、何よりだいぶ暗くなって車窓を満足に見られなくなったこともあってここから先は漫然と乗車していただけという感じになりました。
外の暗さについては行程を組む段階から想定はしていたんですが、幌加内~深川間も明るい時間帯に通過できる行程を組むと士別軌道とは別日程にせざるを得ず、半分は車窓を見られないことを承知の上でこの時間帯に決めましたので仕方ないです。
↑その代わりといってはなんですが、夜だから見られる光景をどうぞ
雪国の道路には大抵ある矢羽根(路肩を示す標識)ですが、夜間は光るんですね。
これは知らなかったです。
あと、2~3回は道路上にキタキツネやら鹿が飛び出してきて急ブレーキという場面がありました。
乗客視点だから北海道らしいなぁなんて呑気に乗っていられますが、運転士さんはきっとヒヤヒヤしながらハンドルを握っていたでしょうね。
この区間では1名たりとも乗ってくることはなく、とうとう最後の途中停留所となる多度志を通過してしまいました。全区間で乗客は私だけだったのが確定しましたw
それにしても、最後の1区間は20分程度走りっぱなしになるので本当に長く感じました。
幌加内から約1時間、名寄から通算なら約3時間で深川に到着です。
特急「宗谷」なら1時間18分で行けてしまう距離を倍以上かけて移動してきましたが、たまにはバスもいいものですね。
ただ、やっぱり幌加内→深川がほとんど乗っているだけになってしまったので、機会があればこの区間だけでも乗り直したいというのはありますね。それに、快速じゃないバスにも乗ってみたいですし。
最後に1枚撮ったら深川駅へ向かいます。
このあとは特急で札幌へ出てゴールですが、実はここの乗り継ぎが結構タイトで8分しかありません。
まあ、この時間帯は旭川~札幌間の特急は30分ヘッドで運行されていますから、最悪乗り遅れても何とでもなるんですけどねw
今宵の宿は札幌に取っていますが、土日を跨ぐ日程ではなかったこともあってか意外に安い値段で泊まれるホテルが見つかってよかったです。
既に3万字を超えてしまっていますので、レポートはこれにてシメたいと思います。
5日目以降は別記事で追ってレポートしますのでしばらくお待ち下さい。
~追記~
5日目も公開しました。
あわせて読みたい関連記事
- 【乗車記】岩手県北バスMEX青森02便
- 【乗車レポート】杉崎高速バスSG701便
- 九州遠征2018(1日目・鹿児島編)
- 北海道ローカル駅巡り(3日目前編/札沼線)
- 名古屋乗りバス旅(2日目/三重交通など)