1泊2日で実施した長崎遠征の2日目です。
なお、1日目をご覧になっていない方はそちらから先にご覧になることをおすすめします。
本日の行程
2日目となる今日は、昨晩宿泊した諫早からスタートして、まずは長崎本線の普通列車で長崎へ向かい、長崎電気軌道を適当に乗り回したら特急「かもめ」で博多へ向かってゴールです。
軽く実家に顔を出してから翌日に新幹線で東京へ戻るわけですが、その部分ももしかしたら記事にするかもしれません。
まずは諫早駅からスタート
というわけで諫早駅から2日目の朝がスタートします。
朝とは言っても9時近くなのでのんびりしたものでした。
昨日は撮らなかった諫早駅の外観です。
新幹線を受け入れる準備ですっかり今風の駅舎になりました。
駅前の交差点です。
歩道橋もあってよく整備されている印象です。
そこへやってきたのは長崎県営バスです。
名前の通り長崎県が運営するバスですが、実は日本の公営バスのほとんどが市区町村が運営するものであり、都道府県が運営するバスというのは非常に珍しいんです。
どれくらいかというとなんと日本では2つしか例がありません。
では長崎のほかはどこかというと、東京都です。
まあ、都営バスは有名なので関東住みでない方でも聞いたことぐらいはあったかもしれませんね。
でも、東京以外でもう1つ都道府県が運営するバスと言われるとなかなか出てこないと思います。
こちらが島原鉄道のりばです。
すっかり綺麗になって都会の鉄道みたいな雰囲気ですが、実際には1両か2両のディーゼルカーが走るだけのローカル線です。
もし無人だったらホームにもお邪魔しようかと思いましたが、普通に駅員さんがいらしたのでホームへは入りませんでした。
ここは新幹線の改札口になるスペースですかね。
ただ、改札機はまだ設置されていませんでした。
ちょっとだけ西口にも来てみました。
こちらも今風の駅舎ですが、駅前の道路や歩道はちょっと古そうに見えます。
駅前の整備はこれからなんですかね。
それではJRの構内に入りますが、ここで発車標を撮ります。
在来線での特急の案内は見納めですからね。
肥前山口駅や二日市駅には停車しない列車もあるのでこのような案内をしているんですね。
レピーターですね。
”大”は大村線でしょうが、”鳥”は鳥栖ですかね。
この自由席特急券の券売機も新幹線が開業したら撤去されるでしょうし、貴重な記録になりそうです。
↑発車シーンです。
そして、この817系で長崎へ向かいます。
ところで、昨日も長崎行き普通列車をここで降りて宿泊したわけですが、それなら昨日のうちに長崎まで行ってそこで宿泊すればよかったのではと思われるかもしれません。
なぜそうしなかったのかというと、1つは新幹線開業直前の諫早駅をしっかり取材しておきたかったというのがあり、もう1つは朝早く起きれば島原鉄道に1往復乗車できる行程にしていたというのがあります。
まあ、前日の晩は成田空港であまりよく眠れなかったこともあって結局朝はゆっくりすることにして、島原鉄道1往復はカットしましたがw
島原鉄道は昔乗ったことがあったのと、どうせ西九州新幹線が開業したらまた乗りに来るでしょうからその時の楽しみにしておきましょう。
ラッシュは過ぎているのでそこまで混んでいませんでしたが、普通の座席は空いておらず補助席に座ることになりました。
喜々津からはトンネルが連続する区間ですが、普通列車でも結構飛ばしていました。
長崎駅にて
というわけでしばらく長崎駅で撮影タイムです。
↑発車は動画で
↑続いてYC1系が入線してきました。
↑それから787系「かもめ」の入線です。
そこへなんと新幹線が入線してきました!
どうやら試運転だったようですが、遭遇できるとは・・・
なんとか在来線の「かもめ」と絡められないかと色々やっていましたが、これが限界・・・
せめて手前側の線路に入ってくれたらなぁ・・・
↑そして「かもめ」の発車です。
↑そして、817系の入線を撮ったらホームでの撮影は以上とします。
ここでお昼ごはんです。
昨日は海鮮丼でしたが、今日は長崎名物の1つ「トルコライス」です。
トルコとは何ら関係がない料理ですが、命名には諸説あるようです。
食事を済ませたら駅の外へ出ます。
帰路は16時頃の「かもめ」ですが、それまで4時間はあるので駅構内の観光案内所で1日乗車券を買って長崎電気軌道の路面電車を乗り回したいと思います。
ちなみに、長崎電気軌道の1日乗車券は車内では買えないので利用する場合は事前購入必須です。
車内で買えない代わり市内の多くの場所が販売箇所となっているので、ネットやパンフレットなどで事前に調べておくことをおすすめします。
なお、長崎電気軌道については故郷の福岡に近い場所ですから当然かなり前に完乗を果たしているんですが、暇なのでまた乗ってみようというのと、2018年にいくつかの停留所の名前が変わったので新しい放送音源を収録しようというのもありました。
こういう工事中の光景もまた貴重な記録になると思いますのでしっかり撮っておきます。
こちらは長崎県営バスのバスターミナルですが、昭和チックな雰囲気が残っていていいですね。
ただ、こちらも再開発の予定があるらしく遠からず見納めとなるようです。
こちらが長崎電気軌道の長崎駅前電停です。
JRの駅からはちょっと歩くんですが、富山駅みたいに駅に直接乗り入れたりする計画はないようです。
その代わりバリアフリーは強化するということなのか、電停へのエレベーターだと思われる構造物が伺えました。
こちらは駅前の商業施設「アミュプラザ」です。
九州内の主要駅には大抵ありますよね。
よくある偉人の像かと思いましたが、「少女と盲導犬の像」だそうです。
ベンチも兼ねた主要観光地までの距離が書いた看板がありました。
「カステラ1番、電話は2番、3時のおやつは文明堂♪」のCMソングでおなじみの文明堂です。
長崎電気軌道を乗り回す
ここからは路面電車編となります。
昭和生まれで令和までと、3つの年号を跨いで頑張る電車です。
古い電車も現役で頑張っていて乗り鉄としても嬉しいですね。
それではまずは赤迫へ向かいます。
赤迫は浦上駅の先にあり、長崎~浦上間はJRと並行していることになります。
当然所要時間ではJRの方が早いですが、運行本数は長崎電気軌道の方が圧倒的に多いため、市内交通としては路面電車がメインとなっているようです。
あと、面白いのが岩屋橋~原爆資料館間は専用軌道となっていて、路面電車ながら路上を走らない区間があります。
そのこともあり路線バスよりも定時性に優れていて、終点の赤迫などでは時津町方面などからのバスに乗ってきた人が路面電車に乗り換えるというケースもあるようです。
赤迫に到着です。
ここが長崎電気軌道の最北端の終点ですが、場所としてはJR長崎本線(旧線)の西浦上駅にも近い場所です。
面白いのが隣の住吉と赤迫の間の1区間は赤迫支線という独立した路線として扱われています。
実態としては住吉以南の本線と一体的に運行されているんですが、なぜ別路線扱いなのかというと、この区間は後から延伸された区間であり、かつては更に先にある滑石地区への延伸も計画されていたという経緯から別路線扱いにしたのだと思われます。
結局滑石地区への延伸は道路の拡幅も必要で莫大な費用がかかることから断念され、赤迫支線はわずか1区間だけの路線となりました。
そして、滑石地区や時津町方面は路線バスでのアクセスとなっていますが、前述の通り朝ラッシュ時には渋滞が激しく路線バスの定時性が悪いこともあり赤迫で路面電車に乗り換える利用者も少なくないようです。
乗ってきた電車と赤迫電停のホームです。
のりばは1面1線ですが、ホームの長さは3両が縦列に停車可能な長さとなっていて、実際にこの写真でも1番奥に留置車両が停車中です。
↑この電車は見送って、次にやってきた電車に乗ります。
続いて乗車するのはこちらです。
ラッピング車となっていますが、形式としては360形という車両です。
注目はこの行先で、先程の3号系統蛍茶屋行きではなく、1号系統崇福寺行きとなっています。
この崇福寺というのは2018年までは正覚寺下という名称でしたが改称されており、2018年に改称された電停の中では唯一終点となる電停であり方向幕にも反映されます。
それでは乗車しますが、扇風機がついているのも昭和レトロですね。
先程紹介した専用軌道区間です。
東京で言えば都電荒川線や東急世田谷線っぽい車窓風景ですね。
横を走る高架線はJR長崎本線ですが、ここまで他の鉄道と並行する路面電車というのも珍しいと思います。
こちらは長崎西洋館という施設で、原爆資料館電停近くにありますが、面白いのがなんと路面電車はこの長崎西洋館の建物をトンネルみたいに潜り抜けてしまいますw
この長崎西洋館は長崎電気軌道の子会社が運営していて、このように路面電車が通り抜ける商業施設というのは全国的にも珍しいですが、コロナ禍でテナントの撤退が相次ぎ、2023年5月をもって閉鎖されることが決まってしまったようです。
建物の処遇については詳しいことは決まっていないようですが、もし取り壊しとなってしまうならばこの珍しい光景も見納めになってしまいますね。
そして電車は長崎駅前まで来ました。
ここで乗客の多くが入れ替わりますが、ここで線路は二股に分岐して、1号系統崇福寺行きと3号系統蛍茶屋行きの2つに別れていきます。
今回乗車した1号系統崇福寺行きは直進して出島・新地中華街などを経て崇福寺へ向かいます。
観光地を多く通るルートでもあり、観光客風の人の姿も多く見られました。
出島電停を過ぎると電車は大通りを外れて少し狭い道路に入ります。
路線バスだったらこれくらいの道幅は普通ですが、路面電車が走る道路としては異例の狭さとなっていて、まるで専用軌道にすら見えます。
でもちゃんと公道となっていて一般の自動車も通行します。
現在の道路交通法では路面電車の軌道上を自動車が走ることは原則として禁止されていますが、ここは例外的に許されています。
というか、軌道敷を通れないと自動車は物理的に通行できませんからねw
これも長崎特有の景色といえ、鉄道に興味があって長崎へ旅行するならぜひとも見学コースに加えて欲しいスポットの1つです。
その狭い道路の区間を過ぎて大きな通りに出ると新地中華街です。
名前の通り新地中華街へのアクセス電停ですが、2018年までは築町という名前でした。
ここは観光客にも分かりやすくする意味で改称したのでしょうね。
また、石橋方面の5号系統沿線には大浦天主堂やグラバー園などの観光スポットがあるため、それらへ向かう観光客の乗り換え拠点としての役割もあり大勢が降りていきました。
崇福寺行きとしてはここで石橋方面からの5号系統と合流しますが、1号系統は西浜町で右折してしまうためすぐにお別れです。
西浜町電停のそばには3方向へ分岐するポイントがあり、石橋・出島方面、崇福寺方面、蛍茶屋方面の3方向全てへ行き来できる構造です。
ここを通るのは1号系統、4号系統、5号系統の3系統でちゃんとすべての方向の渡り線が活用されています。
駅名標です。
前述の通りここは2018年までは正覚寺下という名前でしたが、崇福寺に改称されました。
元々の駅名だった正覚寺下の由来である正覚寺は今でも電停の近くに存在していますが、同じく隣接する崇福寺の方が国宝となっていて観光客へのアピールの意味もあって改称となったのだと思います。
ただ、正覚寺の関係者からしたら崇福寺に電停名を奪われたみたいで複雑な心境かもしれませんね。
せめて副駅名的に「崇福寺(正覚寺下)」みたいにすればよかったのかもしれません。
ここも1面1線しかなく、複線でやってきた線路も電停内は単線となります。
路面電車の終点としてはよくある形ですね。
電停側を向いて
のりばは道路から外れた場所にありますが、実はそこは川の上であり、路面電車の電停としては異例の構造となっています。
なぜこんなことになっているかというと、元々は1つ隣の思案橋が終点だったのが思案橋周辺での渋滞が深刻化し、終点を移動させて渋滞緩和しようという意図で1区間延伸してここを終点としました。
渋滞緩和という目的があったために終点は道路から外れた場所にしたものの、用地がなくて川の上になってしまったようですね。
ちなみに、道路自体も路面電車延伸の際に拡幅されており、その際に川の上に拡張したため崇福寺より下流側は暗渠となっています。
路面電車としては終点ですが、長崎市の市街地はまだ上まで続いておりここから先の公共交通機関は路線バスが主力です。
写真は長崎バスです。
こちらも長崎バスですが先ほどとは塗装が違っていますね。
旧塗装ということですかね。
↑ここで乗ってきた電車が折り返します。
↑続いて1500形がやってきましたが、これは1号系統なので見送りです。
このあとは蛍茶屋へ向かいますが直通で行けるのは4号系統だけであり、こちらは本数が少なめなのでちょっと待ちます。
少なめと言っても20分ヘッドなので、下手なローカル線よりはよほど高頻度運行ですけどね。
川の上に停まっていることが分かりやすいアングルで
この電車は見送って4号系統を待ちます。
↑4号系統がやってきました。
4号系統は西浜町までは1号系統と同じですがここで右折してめがね橋を通り市民会館からは赤迫・長崎駅前からの3号系統と合流します。
ところで、めがね橋電停は長崎の観光スポットの1つであるめがね橋の最寄りですが、ここも2018年に改称された電停の1つでして、以前は賑橋という名前でした。
賑橋というのも電停の近くにある橋ですが、めがね橋の方が観光スポットとして著名なので、観光客への分かりやすさを重視しての改称だと思われます。
また、その隣の市民会館電停も2018年に改称された電停の1つで、以前は公会堂前という名前でした。こちらは名前の由来だった長崎市公会堂が老朽化により廃止され現状に合わなくなったための改称で、2015年の公会堂廃止時にすぐに改称しなかったのは、1箇所だけ変えるよりはほかもまとめて変えたほうが費用面で有利だったためでしょう。
終点の蛍茶屋に到着です。
ここは車庫が併設されていることもあって2線が用意されています。
ん?なんか来たぞ!?w
これは軌陸車というやつで、トラックベースながら鉄道用の車輪も装備していて、レールも走れるという車両です。
営業電車の後ろに付けて停車しました。
メンテナンスをするということは営業電車の合間を縫って走る必要がありますから営業電車のすぐ後ろをついて行くんでしょうね。
↑珍しいので動画も撮りました。
そこへ次に乗る5号系統石橋行きがやってきました。
この車両は3000形といって、2003年にデビューした軽快電車です。
登場から20年近く経っているのでもう新型と呼べる世代ではありませんが、昭和生まれが当たり前に走っている長崎電気軌道では十分新型の範疇ですかねw
軌陸車は走り去っていきました。
それにしても、メンテナンスをしながら走るのでスピードは遅く、これでは後続の営業電車に追いつかれるのではと思っていたら、鉄道用車輪を格納して自動車に変身し軌道を外れてやり過ごしていました。こういうことが出来るのは軌陸車の機動性ゆえですね。
↑200形の到着を撮ったら5号系統石橋行きに乗り込みます。
車内です。
座席が少なめに見えますが、連接車体になっていて輸送力としては従来の電車より増えていると思います。
連結部は円形の接続部分となっていてこの部分も輸送力に貢献できるようになっています。
あと、「V・ファーレン長崎」のロゴも描かれていました。
新地中華街を過ぎるといよいよ5号系統単独区間に入ります。
ここから先は長崎駅前方面との直通が存在しない区間ですが、前述の通り沿線には観光スポットが多いため観光客の利用も多く、新地中華街では大勢が乗ってきてかなり混み合いました。
また、学生服の集団もいたのですが修学旅行生ですかね。
一時はコロナで修学旅行を見合わせる学校も多かったですが、ようやく戻ってきましたね。
このため出島からメディカルセンターの間に短絡線を建設して長崎駅前方面と直通できるようにする構想もあるようです。
余談ですが、九州内の学校の修学旅行先としては長崎は定番でして、観光地としても有名であると同時に、広島と並んで原爆投下の被害を受けた都市であることから平和学習という観点からも選ばれやすいようです。
そんな5号系統単独区間に入って最初の電停はメディカルセンターです。
ここも2018年に改称された電停の1つであり、以前は市民病院前でした。
こちらは長崎市立市民病院だったのが2017年に長崎みなとメディカルセンターに改称されており、それに合わせて電停も改称したようです。
また、近くには「日本の鉄道発祥の地」という碑もあります。
え?日本の鉄道発祥の地って新橋~横浜間じゃないのか?と思われるかもしれません。
確かに営業路線としての発祥は新橋~横浜間ですが、それより前に実験線として長崎にわずか600mですが線路が敷かれてデモンストレーションが行われました。
これはグラバー園で有名なトーマス・グラバーが日本人に鉄道を紹介するために走らせたものでした。
古くから外国と交易を行っていた長崎らしいエピソードですよね。
その次の大浦海岸通は軍艦島へ向かう観光船が出る港の近くであり、鉄道としてはここから先が単線であり単線と複線の境界でもあります。
大浦天主堂・石橋方面は一切交換設備がないため大浦海岸通りを出た石橋行き電車が折り返して戻ってくるまで次の電車は進入できず、これが5号系統のダイヤ上のネックになっています。
大浦海岸通りを出ると左折して少し狭い道に入りますが出島~新地中華街間ほどではありません。
ここは唐突に線路が終わっている感じですが、いかにも路面電車の終点という感じがして好きです。
地図で見るとまだしばらく市街地が続いていますが、恐らくは路面電車が市内交通の主流だった時代の市街地はこのあたりまでで、ここから先の市街地は戦後に拡大していったものなのではないかと思います。
単線区間の末端であり、電停も1線しかありませんが、ホームは乗車用と降車用に分かれていて2つあります。
ここも川の一部にせり出すようにのりばがありますね。
長崎は坂の街と言われることもあるくらい起伏の激しい地形の都市ですが、その分平地が少なく用地確保に難儀するのかもしれません。
ここでは1本見送って少しだけ周辺散策です。
グラバー園なども近いのですが、観光客は隣の大浦天主堂電停を使うことが多いみたいでこのあたりは観光客の姿は少なめです。
でもそんな石橋電停の近くにも観光スポットはあります。
こちらは「オランダ坂」です。
え?オランダ坂ってこんなんだったっけ?とお思いの方、御名答ですw
実はここはオランダ坂はオランダ坂でも、「大浦オランダ坂」という別の場所ですw
一般的にオランダ坂というと少し北側にある別の場所であり路面電車でアクセスするならばメディカルセンターか大浦海岸通が最寄りとなります。
ここにもオランダ坂という石碑(?)があるので知らないとここがそうだと思ってしまいそうですよね。
途中で細い路地と分岐しますが、ここもいい味わいを出していると思います。
坂の上から
かなりの急坂であり徒歩でも転げ落ちるのではないかというスリルを味わえます。
車道なので自動車も通行できますが、運転するにもかなりスリルがありそうですね。
法律上は自転車も通行できますが、たとえ電動アシスト自転車だとしても登るのは不可能ではないでしょうかw
それでは電停に戻ります。
蛍茶屋まで乗車して最後に3号系統に乗り換えますが乗り換え時間がタイトだったこともあってここの写真はありませんw
3号系統で長崎駅前に行けば1日で長崎電気軌道の全区間を乗り尽くしたことになりますが、まだ帰りの特急まで時間があるので・・・
原爆資料館電停に行ってみました。
前述の通りここは長崎西洋館の中を電車が潜り抜けてくるという光景が見られますのでその撮影をしようというわけです。
ところで、ここまで1号系統・3号系統・4号系統・5号系統と乗っていましたが、あれ?2号系統は?とお思いの方もいるかもしれません。
実は長崎電気軌道には2号系統も存在していますが、公式にはほとんど案内していません。
理由は単純で深夜帯に1往復しか走っていないからです。
この系統は赤迫~蛍茶屋間を走りますが、3号系統とは違って長崎駅前~市民会館間は出島・新地中華街を経由しており、蛍茶屋~長崎駅前間で見るとかなり遠回りをしています。
この系統があるおかげでめがね橋電停にも1往復だけとは言え長崎駅前方面への直通が設定されていることになりますが、めがね橋へは市民会館からも徒歩圏内であり、他は崇福寺発着の1号系統と重複する箇所がほとんどということで運行するメリットが薄いんでしょうね。
ただし、年末年始の終夜運転を行う際は1号系統と3号系統を別々に走らせるより効率がいいという判断なのか2号系統がメインで運行されるみたいです。
路線バスで言う免許維持路線的な感じですが、こちらも機会があれば乗ってみたいななんて思ったりw
電停名の通り原爆資料館の最寄りとなっています。
ここも2018年に改称された電停の1つでして、以前は浜口町という名前でした。
あと、気になったのがこちらです。
一見するとアンケート用紙かなにかの回収ボックスみたいですが、実はこれ使い捨てのビニール手袋の回収ボックスなんです。
長崎電気軌道ではコロナ対策として車内でビニール手袋を配布しており、使い終わったらここに入れるようになっているみたいです。
バイキング形式のレストランなどではビニール手袋の配布はありますが、交通機関でやっているのは珍しいと思います。
まあ、コロナ禍で公共交通機関からマイカーやレンタカーなどにシフトする動きもありましたから、少しでも安心して公共交通機関を利用してもらって利用者離れを食い止めようという施策だったんでしょうね。
↑動画で西洋館を通り抜けるシーンを撮りました。
あとは長崎駅前に戻って特急「かもめ」で帰路に就きます。
↑発車は動画で
特急「かもめ」で帰路に就く
あとは帰るのみということで「かもめ」に乗ります。
往路は885系でしたが、今度は787系です。
九州新幹線全通で「リレーつばめ」が廃止され余剰になったことで「かもめ」にも充当されるようになりましたが、その頃に九州を離れたこともあり、逆に「かもめ」として乗車したことはありませんでした。
それでは乗り込みます。
旅のお供は長崎駅で買った岩崎本舗の「角煮まんじゅう」です。
これも長崎名物の1つですね。
今度は車両が787系ということ以外は往路とあまり変わらないので書くことがあまりありませんが、あえて有明海とは反対向きとなる左手の席に座りました。
↑もちろん車窓は撮りましたよ。
新鳥栖駅を過ぎたら30分ほどで終点の博多です。
今回も割引きっぷの都合で指定席でしたが、佐賀からはほぼ満席というほど混み合っていました。
そして終点の博多に到着です。
それにしても885系のときも思いましたがやっぱり自動放送の音源が変わってしまったので違和感がw
博多駅では特に放送がかなり簡素になったことを実感します。
そんな終点の博多駅ですがすぐに乗り換えてしまったので写真はありませんw
最後の「かもめ」の扱いが雑だった感もありますが、恐らくは最後の在来線特急「かもめ」での旅になると思いますのでしっかり思い出に刻みたいと思います。
なお、特急が通らなくなる肥前鹿島以南での沿線での撮影なんかもしたいと思っているのでそのうちまた長崎を訪れることになるかもしれませんw
この後ですが、福岡は私の故郷ということもあり実家に軽く顔を出して1泊し、翌日の新幹線「のぞみ」で帰路に就きます。
そこも記事にするかもしれません。
ですが、長崎遠征としてはこれにて完結ということにしようと思います。
それでは!
~追記~
この翌日の活動はこちら