415系&キハ185系「ゆふ」の旅

今回は九州への遠征です。
時系列としては「北陸新幹線で行く西日本遠征」の一環であり、「『WEST EXPRESS銀河』で行く下関」の続きとなります。
ですが、活動内容がもはや北陸新幹線とは関係なく、九州も西日本の一部とは言え、直近の記事でも遠征シリーズとは別のタイトルにしていたこともあって、この記事も遠征シリーズとは別のタイトルとしました。

本日の行程

遠征としては5日目(最終日)となる今日は、昨晩宿泊した下関からスタートし、日豊本線に直通する大分行き普通列車(415系充当)で大分まで行き、そのあとは別府からキハ185系による特急「ゆふ」で博多へ向かい、福岡の実家へ向かったらゴールというごくシンプルな内容です。
つまりは帰省を兼ねた遠征というわけですね。

元々は昨日の「WEST EXPRESS銀河」で下関に到着後、そのまま福岡へ向かって活動終了とする案もあったのですが、前述の大分行き普通列車の存在に気づき、これは乗らねばということで1泊追加してこのような行程になりました。

下関発大分行き415系

旅の始めは下関発大分行きの415系による普通列車です。
415系は国鉄型の交直流電車であり、かつては常磐線などでも活躍していたこともあって、首都圏でも見られる形式でしたが、2024年現在ではJR九州でのみ活躍しており、JR九州の中でも年々運用範囲が狭まっており、福岡県内の鹿児島本線での運用がメインになっています。
かつては長崎鹿児島なんかでも活躍が見られ、乗車したこともあったんですが、そういえば大分地区ではほとんど乗ったことがなかったということもあって、今回乗車を決めました。

この下関発大分行きの列車についてですが、下り列車としては唯一下関から小倉以南まで直通する列車となっており、しかも大分まで直通となるとそのレア度はかなり高いですね。
ちなみに、反対の上り方面では柳ヶ浦や行橋から下関まで直通する列車や、大分から小倉まで直通の列車はあるのですが、大分から下関まで直通という列車はありません。
このような運用がある理由ですが、大分車両センターに所属する415系を小倉や下関へ回送するついでだと思われます。


下関駅構内にあったこれですが、「車両航送」ってなんぞや?というと、鉄道車両をそのまま船に乗せて運んでしまうことを指します。
関門トンネルが開通するまでは関門連絡船によって九州への連絡をしていた下関ですが、自分で歩いて乗り換えてくれる旅客ならまだしも、貨物となると積み替える作業だけでも手間がかかるので、貨車ごと船に乗せて運んでしまおうという発想に至ったわけですね。
そのため、車両航送に対応した連絡船では、船内にもレールが設置され、桟橋に設置されたレールと繋げて車両を積み込んでいました。
いわば鉄道版のカーフェリーとも言えそうですね。

ちなみに、以前に訪問した青森市の「メモリアルシップ八甲田丸」は青函連絡船として活躍した船であり、そういった船内に伸びるレールなどを見ることも出来ました。


それでは本題に入りまして発車標です。
九州方面というざっくりした案内のところに出ているの6時16分発の大分行きがお目当ての列車です。
2024年現在のダイヤではこの1本を除いては小倉か門司までの運行となっており、大分という行先が見られるのもこの1本だけのレアな光景です。
昔は寝台特急「富士」が当駅から大分行きとして運行されていましたがね。


乗り場へ行くと既に入線していました。


こちらは415系の中でも1500番台と呼ばれるタイプで、211系のような外観になっています。
オリジナルの415系は「鋼製車」と呼ばれ、113系などに似たスタイルでしたが、そちらは1500番台に先立って引退してしまい、1500番台が最後の415系の生き残りとなっています。


方向幕です。
415系というだけでもレアですが、大分行きの幕を出しているのはもっとレアです。


側面です。


反対側から


車内です。
このようにオールロングシートとなっていますが、当初はセミクロスシートだったようです。
現在はロングシート化された車両のみが生き残っているわけですが、JR九州では長らくセミクロスシートないしクロスシートの車両が主力だったこともあり、ロングシートの本形式はラッシュ輸送に重宝がられ、交直流電車としての能力を求められない交流のみの区間でも運用されてきた経緯がありました。


これはトイレの案内ですが、「便所」という言葉自体がもうレトロですw

それでは発車となります。
いきなりクライマックスと言わんばかりに列車は関門トンネルを潜って九州へ渡っていきます。
今では九州だけでなく四国・北海道へもトンネルないし橋が建設され、沖縄県を除いて全ての都道府県がレールで結ばれているわけですが、最初に海を越えてレールが繋がったのがこの関門トンネルなんです。
開業は戦前の1942年(昭和17年)であり、これは関門海峡が狭い海峡であり技術的にも建設のハードルが低かったことや、増加する貨物需要に対して連絡船の輸送力では遠からず限界が来るという予測があったことや、戦時下の船舶不足もあって戦時中でも工事が続行されたとのことです。

トンネルに反響するモーター音もBGMに10分とかからずにトンネルを抜けて九州は門司駅に到着します。
青函トンネルとかだと新幹線ですら数十分かけての通過となり、海峡を越えている感もある乗車となりますが、ここだとあっけなさ過ぎて「ちょっとコンビニ行ってくる」という程の手軽さですね。
ちなみに、下関市は北九州市との結びつきが強く、過去に何度も北九州市と下関市の越境合併が模索されるほどであり、下関駅の時刻表を見ても、下関駅から山口県内へ向かう山陽本線新山口方面は日中だと1時間に1~2本程度なのに対して、九州方面へ向かう門司方面の列車だと日中でも2~3本程度あり、県境を挟む九州方面へ向かう列車の方が多いくらいなのです。
となると買い出しなどで日常的に関門トンネルを通っている人もいるでしょうし、中には通勤・通学で毎日のように通過しているという人もいるでしょうね。
これほどお手軽に越えられる海もなかなか無いのでは?w

列車は小倉でしばらく停車するようです。
ここから先は日豊本線の列車として案内されるようになりますが、厳密な意味での分岐点は1駅先の西小倉であり、そこまでは複々線でそれぞれの線路が分けられています。

しばしの停車を経て列車は再び動き出しました。
この先は日豊本線であり、おおむね九州の東海岸に沿って南下していくルートとなります。
北九州市から苅田町・行橋市・築上町を経て大分県中津市に入ります。
最初は北九州市内ということでそれなりに乗客はいましたが、早朝に市中心部から郊外へ向かう方向ということで、全体的には空いていました。

列車は福岡県内最後の駅となる吉富駅を過ぎ、山国川を渡れば中津に到着です。
中津あたりまでは福岡県との結びつきが強く、歴史的には中津と北九州市の中心と言える小倉は同じ豊後国に属しており、日豊本線の運行形態としても中津までは日常的に小倉への普通列車が乗り入れていますから、北九州の近郊区間は中津までと言えるでしょう。
余談ですが、鉄道唱歌第2編「山陽・九州編」の33番では「中津は豊後の繁華の地 頼山陽の筆により 名だかくなりし耶馬渓を 見るには道も遠からず」と歌われているんですが、中津は豊後ではなくて豊前なんですよね。
恐らくは大分県の大部分が豊後国であり、中津も大分県なんだから豊後だろうという思い込みで歌詞を書いてしまったんでしょうね。
今だったら色んな資料がネットで簡単に手に入りますが、当時はそうではなかったでしょうし、仕方がないのかもしれません。


そんな中津では特急待避があるようでしばらく停車するようです。


もちろん415系も撮ります。

https://youtu.be/0VWC-4xwfbA
↑そこへ813系1100番台がやってきました。


日豊本線の小倉口では主力車種となっている813系1100番台ですが、大半が当駅で折り返しとなっており、ごく僅かに柳ヶ浦行きや宇佐行きがあるくらいです。
これらの駅も旧豊前国の領域なのでやはり豊前国の範囲内の流動が今でも多いということなんでしょう。


そこへ415系を待たせていた張本人の883系「ソニック」がやってきました。


883系単独で
それにしても、九州にいた頃は身近過ぎて意識していませんでたしが、こうして色んな地域の列車を見た経験を踏まえて見てみると883系ってかなり個性的ですよね。
JR九州らしいとでも言えばいいでしょうか。


415系と並べて
待避が終わったら再び発車です。

https://youtu.be/tpR490KBLyo
↑「ソニック」の発車シーンです。

この日は日曜日ではありましたが、朝でもそれなりに利用者はいるようで、部活やバイトなのか若者の姿も見られました。
宇佐を過ぎるとこれまでの開けた地形から打って変わり、山へ分け入るように進んでいきます。
このあたりからは国東半島の付け根を横断するようなルートとなり、立石峠を越えていきます。
かつての豊前国と豊後国の境でもあり、日豊本線としてもこの区間を越える普通列車は最大で4時間ほど間隔が開く時間帯があるなど、まさに境と言える場所です。
蒸気機関車時代には難所として知られ、補助機関車を連結していたようですが、今の電車にとってはそれほどでもなく、旧型の415系でも軽々と越えていきます。

峠越えが終われば杵築の街が出てきます。
ここからは大分都市圏に入り、乗客も徐々に増えていきました。
日出(ひじ)から先は別府湾を左に見ながらの走行となり、特急「ソニック」だったらそろそろ別府駅に到着するというタイミングですね。
温泉都市として著名な別府を過ぎ、猿で有名な高崎山もすぎれば終点の大分です。


というわけで終点の大分に到着!
下関からは3時間07分の乗車でした。


もちろん列車も撮ります。
ここに415系がいるのも1日数回しか見られないレアな光景でしょうね。

https://youtu.be/xsZeVqKwSrs
↑ここで幕回しが始まりました。

https://youtu.be/1MrKRfOSBgM
↑そして引き上げです。
これにて415系の旅も終わりですが、このあと別府からキハ185系「ゆふ」に乗るということ以外は正直ノープランだったので、どうするか考えながらとりあえず周辺にいる列車とかを撮ることにしました。


883系単独で


よく見ると運転室に扇風機がありました。
この活動の頃はまだまだ夏の暑さが残る時期でしたし、日当たりのよい運転室は暑いんでしょうね。


883系同士の並び

https://youtu.be/sWfecMRM3EI
↑発車も撮ったり

といった感じで構内をうろついていたのですが・・・


なんかいる~!?
中津でも見かけた813系1100番台ですが、まさか大分でも見るとは・・・
調べてみると最近のダイヤ改正で大分地区での運用が始まったそうで、ちょうど暇している状況もあってこれに乗ることにしたのでした。

時刻表で調べてみると終点の中津まで行っても特急を使えば「ゆふ」までに別府に戻れることも分かりましたし、今回の活動では下関の金券ショップで買ったJR九州の株主優待券を使用しており、この優待券はJR九州全線が1日乗り放題というものだったので、実質タダで乗れるのもありがたいですね。

813系1100番台で中津へ

というわけでここからは暇つぶしパートです。
813系1100番台に乗って中津へ行きますが、その所要時間は2時間ほどになります。
下関からの乗車から考えると3分の2ということになりますね。


これが車内ですが・・・


不自然に空いたこのスペース、実はかつてここにも座席がありました。
なんでもJR九州ではコロナ禍の頃から普通列車の減便を始めており、その後アフターコロナで需要が戻ってきても本数をそれに見合って増便しなかったために混雑が問題になり、それへの対応として一部の座席を撤去することで収容力を向上させるという策をとっているのです。
当然空いている時間帯に利用する利用者からは座れなくなったなどと不評の声が出ているようです。

それでは発車です。
まだ大分市中心部から帰る方向は混雑が始まっていないようで、ガラガラの車内だったので無事に座ることが出来ました。


列車は別府湾を見つつ行きます。
やっぱりこのあたりが日豊本線で最も景色がいい区間でしょうね。


別府の2つ先にある亀川で列車は待避があるようです。


ここでも列車を撮りました。


そこへ815系がやってきました。
大分地区の普通列車の主力車種ですね。

https://youtu.be/t36d5fMAiqY
↑そして特急「ソニック」の通過です。
またしても883系でした。


後追いで写真も撮ったら車内に戻ります。

続いて列車は杵築を過ぎて中山香で待避&交換待ちがあるようです。
実は日豊本線の大分以北は最大で毎時2本の特急が走る線区でありながら、今でも単線区間が残っているんですね。


まずは駅名標です。
現在は杵築市の一部ですが、かつては山香町という町でした。
駅名は地名である山香に”中”を冠したものというわけですが、これと別に山香駅があるわけでもないので、素直に山香駅としなかったのは何でなんでしょうかね?

もしかしたらかつて存在した山鹿温泉鉄道に表記は違うものの読み方が同じとなる山鹿駅があったので、それとの区別のためとか?
だとしても豊後山香とでもつければよかったのでは?とも思いますし、やっぱり謎ですね。


ここは停車時間が長いようなので駅の方も見ていきます。
また、何気に初訪問の駅でもありました。


ホームは島式+単式の2面3線でいわゆる国鉄型配線です。
基本的には両側の線路を発着しますが、当駅で待避をする列車や折り返し運転をする列車は中線に入るという運用のようです。


ホーム同士は跨線橋で連絡します。


ホームの真ん中から生えるように跨線橋が設置されていました。


それにしても、跨線橋の柵がかなり厳重にガードされていますね。
これはこの区間が交流電化であり、2万ボルトという高電圧が流れる架線の上を跨線橋が跨いでいることから、跨線橋から架線に触れることが出来ないように厳重にしているんでしょうね。
これくらいの高電圧になると、直接触れずとも近づくだけでも危険なんだそうです。


跨線橋から見た構内です。


駅舎側の1番乗り場にやってきました。


ここからも813形を撮ります。
ちょうど編成写真が撮れますね。


改札口・・・というか出入口です。
SUGOCAエリア内なのでICカード用簡易改札機があるのみで、紙の切符の人は集札箱に投入するスタイルです。


駅舎内にはかつて窓口があったであろうスペースがありました。
調べてみると現在も簡易委託扱いではあるものの、平日の午前中だけ窓口が営業しているようです。
この日は日曜日でしたから開いていなかったわけですね。


窓口が開いていない時はこの券売機を利用できます。
発売しているのは近距離のみのようですが、それでもあるだけいいですね。


駅前はちょっとした広場があり、周辺は民家が集まる集落となっていました。
調べてみるとお店も多少はあるようで、旧山香町の中心地という雰囲気はありました。


こちらが駅舎です。
ちょっとした民家という感じの小ぶりな駅舎ですが、2007年に作られた駅舎ということで思ったより新しいみたいですね。


でもこの看板はとても渋いものでした。
もしかして先代駅舎のものを残しているんでしょうか?

それではホームへ戻り、通過する特急を撮ってから車内に戻ります。

https://youtu.be/Zfwh_Hv7GCo
885系「ソニック」の通過です。
これは対向列車なので離合待ちということになりますね。
更にもう1本通過待ちをするようなのでそれも待ちます。

https://youtu.be/-2cvd8zG5nk
↑今度も885系の「ソニック」でした。
これが後続列車であり、2本の列車を待ってからの発車でした。

そして発車となり、あとはまた立石峠を越えて中津へ至ります。
ちなみに、立石峠の区間は下り線のみ立石トンネルというトンネルが穿たれていますが、上り線は国道10号に沿って谷筋を通るルートとなっていて、上下でルートが異なっています。
これは最初は現行の上り線のみの単線だったところを複線化するにあたり、新設する下り線はトンネル経由の別ルートとしたためです。
そのため、直線的なトンネルを通る下り列車の方がこの区間の所要時間が1分早くなっているようです。

なお、中山香~杵築間にも同様に上下別ルートとなっている区間がありますが、こちらは下り線がトンネル、上り線が従来からの線路を使っているため、日豊本線全体で見れば上下の所要時間は同じになるようです。

宇佐まで来ると車内は混み合い始め、中津都市圏に入ったことを伺わせました。
そして、大分から2時間ほどの乗車で中津に到着です。


中津に到着!
イラストは旧1万円札の肖像の福沢諭吉さんですね。


ホームは島式2面4線の高架駅です。


待合室でももちろん福沢諭吉さんをPRしていました。


この駅名標ですが・・・あれ、なんか違うぞ?と思ったら、「つ」の字が魚になっていましたw


更にはやけに長いベンチもありました。
「日本一長い鱧の椅子」と書いてありますが、これは中津の名産である鱧をPRする目的で作られたようです。
鱧というとなんとなく京都というイメージがありましたが、鱧特有の調理技術である「骨切り」は中津が発祥なんだとか。
ということは駅名標の魚も鱧だったんですね。


コンコースも福沢諭吉づくしでした。


改札を出ると軽自動車がお出迎え
実は2004年にダイハツ車体の本社・工場が中津に移転してきたそうで、地場産業として紹介されていたわけですね。


駅前には大きく「学問のすゝめ」の垂れ幕がありました。


旧1万円札のモザイクアートまで!


駅の入口扉にも諭吉さん


小便小僧もありました。


そして駅舎です。
昭和後期頃の地方都市の駅という雰囲気ですが、実際に現駅舎は1977年に造られたものだそうです。


駅前にはもちろん諭吉さんの銅像が鎮座していました。
そりゃあ駅構内でもあれだけプッシュしておいて無い方がおかしいレベルですよねw


「学問のすゝめ」の石碑もありました。


反対側へ出てきましたが、やっぱり駅舎のデザインはよく似ていますね。


それでは折り返そうと改札へ向かったのですが・・・
な、なんか出てる!?
というのは3列目に出ていた「36ぷらす3」ですね。
以前に乗車したこともあるのですが、ちょうど来るみたいですし、これは撮っていかない手はないでしょうw


地元のPRをする階段を登ってホームへ向かいます。


お出迎えの準備なのか地元のゆるキャラも来ていました。

https://youtu.be/ufqNfG38BBo
↑「36ぷらす3」のお出ましです!


写真でも撮ります。
黒光りするボディが重厚感を醸し出しますね。
なお、当駅でしばらく停車し、駅でのおもてなしをする間に、私が乗る「ソニック」が先行するため、特急同士の待避という見方もできます。
近鉄では特急同士の退避があるようですし、JRでも寝台特急が全国的に走っていた頃は寝台特急を後続の昼行特急が追い抜くなんてダイヤがまま見られました。

https://youtu.be/L7pQFf577nM
↑そして、「ソニック」の入線です。
今度は885系の「白いソニック」でした。
これに乗って一気に別府まで戻ります。
普通列車では2時間かかりましたが、特急なら40分と3分の1の所要時間なんだからすごいですよね。

キハ185系「ゆふ」 別府→博多

ここからはキハ185系「ゆふ」に乗って博多を目指していきます。
まずは「ゆふ」についてざっくり解説ですが、「ゆふ」は博多と由布院・別府を久大本線経由で結ぶ特急列車であり、使用車種はキハ185系となっています。
また、姉妹列車として「ゆふいんの森」があり、こちらはキハ71系・キハ72系を使用しています。
ようするに使用車種の違いで愛称を変えており、キハ185系は観光だけでなく一般的な需要も想定した列車であり、キハ71系・キハ72系は観光列車としての性格が強い列車といえ、ダイヤ面でも「ゆふいんの森」の方が停車駅が少なく、全車指定席であるのに対して、「ゆふ」は停車駅が多く、自由席も設定されているなどの差異があります。

また、博多~大分・別府間では日豊本線経由の「ソニック」が本数・所要時間共に圧倒的優位にあるため、沿線にある由布院などの観光需要が大きな需要となっている列車でもあり、同じ区間にルートが異なる特急が定期運行されているという珍しい例の1つとも言えます。
なお、大分~博多間での比較では「ソニック」が速達タイプの列車で2時間08分程度ですが、今回乗車する「ゆふ4号」では3時間5分を要しており、およそ1.5倍の所要時間がかかっています。

続いてキハ185系についてですが、元々は国鉄が四国向けに導入した特急型気動車であり、後にJR四国に引き継がれますが、2000系などの後継車両を早々に登場させたこともあって余剰となり、ちょうど特急型気動車を求めていたJR九州と利害が一致して一部がJR九州へと売却されて九州でも活躍するようになりました。
ギリギリ国鉄時代にデビューした車両なので、国鉄型と言えるわけですが、特急「やくも」から381系が定期列車としては離脱したこともあり、定期運用される国鉄型の特急型車両としては唯一の生き残りになったわけです。
JR九州ではキハ185系の代替となるような気動車を現状保有していない上、新造計画も特に発表されていないことや、JR四国でも観光列車として活用している状況があるので、いますぐに引退という状況ではありませんが、乗れるうちに乗っておけということで今回行程に組み込みました。
「九州横断特急」や「くまがわ」「A列車で行こう!」などでは乗ったことがあったんですが、「ゆふ」では乗ったことがなかったんですよね。


とりあえず駅名標を撮りました。
やっぱり国際的な温泉都市だけに温泉マークが描かれていますね。


883系「ソニック」


向かいのホームに居たのはキハ183系「あそぼーい!」でした。
北海道に居た特急型気動車と同じ形式名を持ちますが、一部分に設計を流用した程度の関連性しか無く、実質的には別形式といえる形式です。
更に面白いのは、「オランダ村特急」としてデビューし、「ゆふいんの森2世」「ゆふDX」と転用され、4度目の転用でこの「あそぼーい!」になったという波乱万丈な歴史を持つ車両でもあります。

「ゆふDX」は「ゆふ」のうちキハ183系を使用する列車に対する愛称として設定されていたものであり、その頃も別府まで来ていたので、役割は変われど別府に戻ってきたとも言えます。
「あそぼーい!」も最初は熊本県内だけの運転であり、大分県までやってくるようになったのはかなり後になってからなんですけどね。


コンコースには顔出しパネルがありました。
「ゆふいんの森」と「ソニック」という当駅を代表する2つの列車が描かれていました。


改札口には暖簾がかけられていました。
駅を出るところからもう温泉気分にさせてくれますね。
まあ、今回は入る余裕はないですがw


こちらは鬼が橋をつつく丼に浸かっているというなかなかに衝撃的な絵面の顔出しパネルでしたw
別府といえば温泉だけでなく地獄めぐりも有名ですからそのイメージでしょうか。
あと、鬼が食べているのは大分県の郷土料理「だご汁」ですよね。


駅前に出てきました。
別府市といえば観光地としても著名ですが、人口で見ると県庁所在地大分市に次ぐ県内2位の人口を誇り、都市としての規模も大きいです。


駅舎です。
落ち着いた和風なデザインですが、これも温泉旅館とかのイメージなんでしょうか?


発車標です。
青い発車標はJR九州ならではのものですが、その一番上に出ているのが今回乗る「ゆふ4号」です。
その7分後に「ソニック32号」がありますが、これに乗ると「ゆふ4号」よりも1時間は早く博多へ行けるので、博多方面へ急ぎたい人は7分早く出るからと「ゆふ4号」に飛び乗ると損することになりますw

あと、両数は5両と案内されていますが、所定は2両であり、通常の2.5倍まで増結されていることになりますね。
この日は日曜日であり、ちょうど由布院観光を終えて博多方面へ帰る人が多い時間帯でもあったので、増結していたのでしょうが、普段の2.5倍というのはすごいですね。
でも、これも鉄道だからできる芸当であり、バスだったら増便する以外に手がないので、鉄道が得意とする大量輸送を象徴する場面でもありました。

今回は自由席利用だったこともあって早めにホームに行って並んでいたのですが、それでもちらほらと待っている人がおり、別府からの乗車も少なくないようでした。

https://youtu.be/LJdvo8wMhtU
↑そして「ゆふ」の入線です。


座席確保が優先ということで写真はこれだけ撮ったら乗り込みます。


車内です。
JR九州に移籍してからリニューアルされており、木目調の床などJR九州らしさも見えています。


でも、このバス用の部品を流用した冷房の吹き出し口なんかはオリジナルのままですね。


ここで昼食です。
実は今回の行程では、まとまった滞在時間を確保することが難しく、駅滞在中に飲食店で昼食を食べるのが難しかったため、別府駅で弁当を買っておいたのでした。
右側が唐揚げ&鶏めし弁当、左側が鶏天で、大分県は鶏肉を名物としているだけあって鳥づくしになりましたw


↑ここで車窓も撮りました。
日豊本線基準で行くと、あえての山側ですが、これは久大本線に入った時に由布岳が見える方向に合わせたためです。

そして列車は発車していきます。
「ソニック」だったら博多とは逆方向へ進んでいるのに、「ゆふ」もちゃんと博多へ行くというのが不思議な感じですが、これは日豊本線と久大本線の線形の関係ですね。
そのため、日豊本線としては別府から大分へ向かうのは下りですが、「ゆふ」「ゆふいんの森」は久大本線内の向きに合わせて別府から大分へ向かうのを上り列車としているため、上り列車なのに下り線を走るというあべこべなことになっていますw

10分ほどで大分駅に到着し、ここからは久大本線となります。
久大本線は久留米と大分を結ぶ路線で、それぞれの頭文字から路線名が着けられていますが、現在福岡県と大分県の往来は主に日豊本線経由の「ソニック」が担っており、久大本線は観光需要と沿線のローカルな需要を担うようなサブという位置づけになっています。

距離で言えば「ソニック」の運行経路である日豊本線・鹿児島本線経由が200.1km(西小倉~小倉間は重複計上)、「ゆふ」の運行経路である久大本線・鹿児島本線経由では177.2kmと20km以上も久大本線経由の方が短いのですが、日豊本線が全線電化で大半が複線化されており、130km/hで走行が可能なのに対し、久大本線は全線非電化で単線であり、九州山地を横断するため急勾配、急カーブも多いなど高速運転には不利な条件が多く、最高速度も95km/h止まりとなっています。
大分県へ向かう主要な高速道路である大分自動車道は概ね久大本線と並走するようなルートをとっていることからしても、高速化改良がされていたら久大本線が博多~大分間のメインルートだった可能性はありますね。
まあ、どのみち日豊本線沿線の方が人口が多いでしょうし、小倉も経由できるメリットもあるので、結局は日豊本線がメインルートだったかもしれませんけどねw
こうして考えると、最短ルートながら廃れているという意味では函館本線長万部~小樽間の山線に近い立ち位置かもしれません。
もっとも、あちらは定期列車としては特急が全廃され、更には北海道新幹線の札幌延伸後は廃止が決まっているのに対し、久大本線は特急が今でも走っていますし、今のところは存廃問題も持ち上がっていないところを見れば、久大本線の方がはるかに恵まれていると言えるでしょうけどね。

そして、大分駅を出発した列車はしばらくは大分市内の郊外を走っていきます。
そんな大分市街の終端といえる向之原に停まったら、あとは由布市に入りまして湯平・由布院と停車していきます。


徐々に山に分け入る車窓風景になっていきます。


久大本線最大の見所といえる由布岳!
ですが、生憎雲隠れしていましたw


由布院に到着です。
ホームには外国人を中心とした大勢の利用者が待っており、これは自由席には立ち席が出るのでは?と心配になるほどでしたが、実際には全員が座れる程度の混雑でした。
5両という所定の2.5倍という増結が功を奏したようですね。
もしここで座れなかったら、博多までの2時間を立って過ごすことになりますし、それはさすがに辛いでしょう。

ところで、「ゆふいん」には2つの表記がありまして先程から使っている「由布院」と「湯布院」というものです。
駅名は「由布院駅」ですし、所在するのは「由布市」、そして温泉地としても「由布院温泉」と書くのが正式だそうです。
では「湯布院」という表記はどこから出てきたのかというと、それは2005年まで存在した「湯布院町」に遡ります。
この町名は昭和の大合併で旧由布院町と旧湯平町が合併し、新湯布院町となった際に登場し、それぞれの町名を混ぜた表記としたわけですね。
こうした例は市町村合併時の新名称にてよく見ますが、地名としてはあくまでも「由布院」が正式なんだとか。
平成の大合併で湯布院町が周辺2町との合併で「由布市」となったことで、地名と自治体名が一致しないややこしい状態は解消されたかに見えましたが、住所としては「由布市湯布院町」として残っているんだとか。
昭和の大合併の頃は由布院の知名度も今ほど高くはなかったでしょうし、”湯”の字を入れたのは湯平町サイドへの配慮という面もあったんでしょうが、このことが混乱を招くことにもなったわけですね。
そういう経緯もあるためか、あえてひらがなで「ゆふいん」と表記することも多いらしく、JRでも特急「ゆふいんの森」「ゆふ」はいずれもひらがな表記を採用していますね。

その他大分自動車道のインターチェンジは「湯布院」だったりと未だにその痕跡は見受けられます。

そんな由布院を出ると列車は大きく左へカーブしながら更に山を登っていきます。
南由布方面から見ると、まるで由布院へ立ち寄ってからすぐにUターンするような線形になっていて、地図で見るととても印象的です。
これは由布院の有力者だった衛藤一六氏が熱心な鉄道誘致活動をした成果であるとされており、これにちなんでこの線形を「一六曲がり」なんて呼ぶらしいです。
大抵こういう誘致活動のために迂回するルートになった系の話はネガティブな文脈で語られることが多いと思いますが、由布院については鉄道の乗り入れが温泉地としての成長の原動力の1つと言えるでしょうし、久大本線としてみても博多~大分間の直通需要は日豊本線が担っていることもあり、由布院を跨いで利用する利用者が少ないこともあって、この遠回りがそこまでデメリットになっていないこともあって、ポジティブな文脈で語られているんでしょう。
ちなみに、この逸話はNHKの番組「ブラタモリ」でも取り上げられたことがあるようです。
また、衛藤一六氏の名前はJR九州が今年から運行している久大本線の観光列車「いちろく」としても使われていますね。


列車はなおも坂を登り、水分峠を越えて行きます。
この峠は名前の通り筑後川水系と大分川水系を隔てる分水嶺となっており、峠を越えた先にある野矢駅が久大本線で最も標高の高い駅となっています。


あとは緩やかに下っていくのみです。
大分自動車道・国道210号に沿いつつ行きます。
そして、豊後中村に到着です。
ここは「ゆふ」のみが停車し、「ゆふいんの森」は通過するのですが、九重町の中心駅であり、筋湯温泉、飯田高原、九重“夢”大吊橋といった観光地への玄関口でもあります。


多少地形が開けたところで田園風景もありました。


豊後森を過ぎると玖珠川の渓谷に沿って進みます。


鳴子川を渡ります。


続けて地形が開けてくるとそろそろ豊後森です。
奥には大分自動車道の高架が見えます。


豊後森は玖珠町の中心駅であり、「ゆふ」だけでなく「ゆふいんの森」も停車します。
この豊後森駅の近くには扇形機関庫が残っており、近代化産業遺産、登録有形文化財にも指定されているんだとか。


温泉街の景色が見えてくるともうすぐ天ヶ瀬です。
現在は日田市の一部ですが、かつては天瀬町という独立した自治体でした。
天ヶ瀬温泉の最寄りでもあり、「ゆふ」だけでなく「ゆふいんの森」も停車します。


ここで対向列車と行き違いもありました。


なおも玖珠川沿いに行きます。

そして、地形が開けてくるとそろそろ日田です。
日田市の中心駅であり、ここからは福岡への高速バスが多く運行されるくらい需要の多い場所ですが、ここからの乗車もそこそこありました。
さすがに空席がなかなか見つからない状態となり、車内を右往左往して空席を探す姿も見られましたが、なんとか座れているようでした。
日田~福岡は高速バスの独壇場かと思えば鉄道もそれなりに使われているんですね。


筑後川を渡り福岡県に入ります。
ここから先は筑紫平野となり、ようやく地形が開けてきます。


福岡県内に入って最初の停車駅となる「うきは」です。
うきは市にある駅ですが、地名としては浮羽と書きます。


このあたりまでくれば長閑な農村風景です。

続けて筑後吉井に停まりますが、この間は通過駅がなく2駅連続停車となります。
更にその次の田主丸にも停車するため3駅連続停車ということになりますね。

次第に久留米の市街地に入ってくると久留米大学前に停車します。
観光色の強い特急にしては不釣り合いな駅名ですが、案外通学で使っている人もいるんですかね。


そして、久留米市中心部に近づいて来ると久大本線としては終点となる久留米に到着します。
久留米は九州新幹線との接続点であり、多少降りる人もいました。


久留米を出るとすぐに筑後川を渡ります。
ここから先は鹿児島本線ですが、鹿児島本線の鳥栖~久留米間では「ゆふ」「ゆふいんの森」が唯一の定期特急列車となっています。
臨時扱いの「36ぷらす3」を入れれば今でも特急は走っていますが、九州新幹線の並行在来線ということでこれは仕方ないですかね。
また、筑後川を渡ると同時に佐賀県に入っていきます。


そんな九州新幹線の高架と並走しつつ北上していきます。


駅前不動産スタジアムが見えたらもうすぐ鳥栖です。
鳥栖では長崎本線が合流してくる形になり、佐世保や佐賀からの特急も走るようになります。

再び福岡県に戻って二日市にも停車したらいよいよ終点の博多です。


福岡外環状道路と交差して


ららぽーと福岡が見えたらもうすぐ竹下です。
竹下は博多の1駅手前であり、車内では博多に到着するというアナウンスが流れ、乗客たちも降車の支度を始めています。


最後は九州新幹線(博多南線)の高架と並走しつつ博多に滑り込みます。


終点博多に到着!


向かいのホームへ移動してもう1枚

https://youtu.be/_koXnhHKxIg
↑最後に引き上げを撮ったらこれにて活動終了です。

あとは実家に行っただけなので、レポートはここでシメたいと思います。
遠征シリーズ初日からお付き合い頂いた方も、この記事だけという方も最後までお付き合い頂きありがとうございました。

それでは!

ブログランキングに参加しています
鉄道コム にほんブログ村 鉄道ブログへ

つばめ501号(管理人) について

関東を拠点に鉄道旅行を楽しんでいます。また、写真撮影や走行音の録音もしています。 サイトの方ではそれら写真や録音も公開していますのでぜひご覧ください。
カテゴリー: 鉄道・バス活動関係 タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , パーマリンク

コメントを残す

このサイトは reCAPTCHA で保護されており、Google の プライバシーポリシー利用規約が適用されます。